カテゴリー「日本100名城」の99件の記事

2024年2月 1日 (木)

日本100名城登城順位:5846番

 日本100名城の登城全制覇は2023年10月25日に達成、公益財団法人日本城郭協会の登城認定日は2023年12月21日、登城順位は5846番目でした。

日本100名城は、2006年に財団法人日本城郭協会が歴史的に重要な城や文化財的に優れたお城を100城厳選したものです。下記の日本100名城が平成18年2月に発表されました。日本を代表する文化遺産であり地域の歴史的シンボルでもある城郭、城跡を、多くの人に知ってもらい、関心を高め、ひいては地域文化の振興につながることを念じて設定されました。また翌2007年(平成19年)にはスタンプラリーを設定したことにより、多くの人が全国の城郭に直接足を運ぶきっかけともなりました。「日本城郭協会日本100名城」HPより

日本100名城® (各県1城以上 5城以内)

/北海道・東北地方/
北海道         根室半島チャシ跡群   五稜郭   松前城
青森県         弘前城   根城
岩手県         盛岡城
宮城県         多賀城   仙台城
秋田県         久保田城
山形県         山形城
福島県         二本松城   会津若松城   白河小峰城

/関東・甲信越地方/
茨城県         水戸城(弘道館)

栃木県         足利氏館(鑁阿寺)
群馬県         箕輪城   金山城
埼玉県         鉢形城   川越城
千葉県         佐倉城
東京都         江戸城   八王子城
神奈川県        小田原城
山梨県         武田氏館(武田神社)   甲府城
長野県         松代城  上田城  小諸城  松本城  高遠城
新潟県         新発田城   春日山城

/北陸・東海地方/
富山県         高岡城

石川県         七尾城   金沢城
福井県         丸岡城   一乗谷城
岐阜県         岩村城   岐阜城
静岡県         山中城   駿府城   掛川城
愛知県         犬山城   名古屋城   岡崎城   長篠城
三重県         伊賀上野城   松阪城

/近畿地方/
滋賀県         小谷城   彦根城   安土城   観音寺城

京都府         二条城
大阪府         大阪城   千早城
兵庫県         竹田城   篠山城   明石城 姫路城 赤穂城
奈良県         高取城
和歌山県        和歌山城

/中国・四国地方/
鳥取県         鳥取城

島根県         松江城   月山富田城   津和野城
岡山県         津山城   備中松山城   鬼ノ城   岡山城
広島県         福山城   郡山城   広島城
山口県         岩国城   萩城
徳島県         徳島城
香川県         高松城   丸亀城
愛媛県         今治城   湯築城  松山城 大洲城 宇和島城
高知県         高知城

/九州・沖縄地方/
福岡県         福岡城   大野城

佐賀県         名護屋城  吉野ヶ里(吉野ヶ里歴史公園)佐賀城
長崎県         平戸城   島原城
熊本県         熊本城   人吉城
大分県         大分府内城   岡城
宮崎県         飫肥城
鹿児島県         鹿児島城
沖縄県         今帰仁城   中城城   首里城

注1城跡が現在社寺となっている場合はその社寺名をカッコ内に記した。
注2各都道府県の城郭名は北から南もしくは東から西の順に記した。
「日本城郭協会 日本100名城 HPより抜粋・転載」

上記の日本100名城を登城を目指してスタンプラリーを北海道を皮切りに2018年5月より開始して、北海道から沖縄の日本100名城の登城記録は2023年10月までの5年5ヶ月の歳月を要してスタンプラリーを完遂した、このほど日本城郭協会より日本100名城 登城認定書 登録順位5846 の認定書を頂きました。

 

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登城日数は平均約4年と言われていますが、2018年5月から北海道より登城開始して100名城の達成期間は2023年10月までの5年5ヵ月であった。その登城足跡は2018年16城、2019年29城、2020年16城、ここまでの3年間で61城登城済。コロナ緊急事態の2021年は0城でした。2022年35城、2023年10月に沖縄の4城と最後の江戸城の登城で100名城登城に到達しました。

2021年の登城数0件は2021年1月8日の第二回目のコロナ緊急事態宣言と2021年4月5日まん延防止等重点措置などが発令された年度でしたので実行年数は4年間でしたが2023年は10月の登城一ヶ月間のみで沖縄の三城と江戸城が殿でした。

北海道から沖縄まで日本100名城全制覇の登城順位5846番目です。この順位はどの位か多いか、少ないか、日本の総人口1億2千万人、15歳以上の総人口は約1億1千万人から概算すると0.005%となります。

 

 

2023年12月 1日 (金)

百の足跡は日本100名城スタンプラリー

 100の登城攻城足跡は北海道の桜開花とともに始まり!
五年五ヶ月の日本100名城スタンプラリーダイジェスト版!!
残りデスク容量0.01%以下、スタンプと写真など割愛してます!!!

日本100名城巡り最初の足跡は2018年5月11日の北海道の桜の時期に開幕した。日本100名城No.2五稜郭と併せてNo.3松前城からスタンプラリーを開始したがどちらも北海道の桜の名所であった。更に北海道根室市の桜の名所・清隆寺の千島桜を撮影後に、北海道に500ヵ所もあるアイヌ民族の砦や柵囲いを意味する代表的なチャシ跡を探訪した。日本100名城No.1「根室半島チャシ跡群」は温根元漁港の崖の上に在ります。スタンプ場所はJR北海道根室本線日本最東端の駅、東根室駅と根室本線終着駅の根室駅を撮影してからJR根室駅前の観光インフォメーションセンターに設置されているスタンプを押印。北海道さくらの名所三ヵ所と縁が深い処でスタンプラリーを始めました。

②第二幕は東北観光の道中でした。高一の孫の夏休み合わせての見学となりました。2018年8月15日から18日にかけて津軽地方の青森市三内丸山遺跡、鶴田町の鶴の舞橋などの観光と併せて、弘前市のNo.4弘前城、黒石市黒石温泉郷落合温泉・花禅の庄宿泊など遺跡と城巡りの温泉旅は更に16日はNo.9盛岡城から本籍地の秋田県湯沢市の東山寺に墓参り、小野小町を祀る小町堂を観光後に日本の秘湯を守る会・秋の宮温泉・鷹の湯に投宿、翌日の17日は世界遺産・中尊寺と金色堂の観光して宮城県仙台市のNo.8仙台城を巡り飯坂温泉叶やに宿泊。四日目の18日は帰路の途中に会津福島のNo.12会津若松城と福島白河市のNo.13白川小峰城を巡り名所観光と日本100名城と温泉宿を巡る東北家族旅行の思い出に城郭探訪が加わりました。

③2018年10月14,15日 秋の鷹の渡りで訪れた愛知県には日本城郭協会が認定した日本100名城は、国宝のNo.43犬山城・No.44名古屋城・No.45岡崎城・No.46長篠城の四城があります。伊良湖岬のタカの渡り撮影を延長した二日間これらの四名城を巡りを行ってきた。愛知県の日本100名城の帰路は静岡県の日本100名城のNo.42掛川城、No.41駿府城、No.40山中城と更に神奈川県唯一のNo.23小田原城のスタンプを済ます。小田原城御城印は小田原城天守閣復興60周年記念の令和元年5月1日に入手しました。

④阪急交通社のツアーに便乗して日本100名城巡りの記録も有ります。2019年4月3日~5日の「高級グルメと春爛漫・北陸三県桜良いとこどり三日間」と長い名称のパッケージツアーに家族4人で参加した機会に「日本100名城に行こう・公式スタンプ帳」を持参して桜名所100選の城郭に寄った機会にNo.33高岡城、No.37一乗谷城、No.35金沢城の北陸三県のスタンプを取得する機会を得た。

⑤2019年4月16日 北海道遠征中にアップロードしたブログに「国営ひたち海浜公園のネモフィラ」の撮影の記録に、ひたち海浜公園から車で30分の水戸市内へ、梅園で有名な日本三名園の偕楽園は過去に2,3回観光していますが関ヶ原合戦後に家康から秋田に転封させられた佐竹家に替わり、家康の11男徳川頼房が入城、徳川御三家水戸家の城は高い土塁と深い空堀に囲まれたNo.14水戸城は石垣のない土づくりの城であった。

⑥2019年7月10~17日 青森県の日本100名城は二ヶ所あり、弘前城の他に根城は甲斐から陸奥に移り住んだ八戸南部氏が南北朝時代から戦国末期まで本拠とした城である。日本百名城五番目のNo.5根城、復元作業で復原された南部氏の城を北海道撮影旅行の帰りの7月10日に北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅に立ち寄り後に八戸市の根城跡を訪問してアカショウビンの撮影に向かう。
十二湖でアカショウビンを撮影していた7月12日は朝からの雨天であったので日本100名城巡りに変更して秋田県唯一の日本100名城のNo.9久保田城と佐竹資料館の見学をした後は城郭巡りの継続。東北から越後、越中、越前方面に移動して信州を最後にした。No.10山形城、No.7多賀城、No.11二本松城、No.31新発田城、No.32春日山城、No.34七尾城、No.36丸岡城 7月15日までにこれら九城のスタンプを完了した後に、7月16日に信州のNo.26松代城、No.27上田城No.28小諸城の三城をスタンプラリーした翌日2019年7月18日も帰路に城巡り、 
現存する天守のある城は十二城あるがそのうち松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城の五つの天守は「国宝五城」と呼ばれる。長野県には日本100名城が五つある。上の信州三城の他に国宝のNo.29松本城とコヒガン桜名所のNo.30高遠城で五城になる。信州から帰路の山梨県にはNo.24武田氏館、No.25甲府城にの二城の次は東京都八王子市の小田原城の最大の支城(山城)のNo.22八王子城を巡る。

⑦2019年9月21日 白樺峠のタカの渡り撮影後に乗鞍岳に向かう。マイカー規制中は乗鞍高原駐車場に車を置いてから畳平まで50分間シャトルバスに乗り換え、降りた処がバス乗り場標高日本一2702mの乗鞍岳畳平。周辺を散策後に大黒岳登山でホシガラスやイワヒバリなどの野鳥撮影などで過ごした後は乗鞍高原に戻りマイカーで移動距離180㎞以上して、岐阜県の日本一高い地の標高717mに築かれた山城、No.38岩村城と天下布武を宣言した信長の城、No.39岐阜城の岐阜県の2城のスタンプを完了。

⑧2019年10月6~8日 午前中まで渥美半島の伊良湖岬でタカの渡りを撮影した。ここには芭蕉の「鷹ひとつ 見つけてうれし 伊良湖崎」の句碑がある。6日にフェリーで鳥羽港へ渡り、江戸時代の俳聖松尾芭蕉の出身地伊賀国のNo.47伊賀上野城と翌日の7日に松坂牛のNo.48松坂城をスタンプラリーする。午後から滋賀県長浜市のNo.49小谷城と彦根市のNo.50彦根城を巡る琵琶湖畔の旅。8日は小雨の中を傘をさしながらの近江八幡市の織田信長が築城した近世城郭の祖型と言われるNo.51安土城と隣は安土城よりも以前に築城された六角氏のNo.52観音寺城の山城登山に手こずりスタンプを完了。9日は滋賀県近江八幡市から新横浜まで新名神・新東名424kmを走り、総走行距離約1300km五泊六日の車中泊の旅を無事ゴール。野鳥撮影と100名城スタンプラリーなどの車旅でマイカーの新車は二年十ヶ月間に走行距離5万3千キロを記録した。

⑨2020年10月1日 渥美半島の渥美の森展望台でタカの渡りを撮影後の午後3時に伊良湖岬と鳥羽を結ぶフェリー航路で鳥羽港に渡り、道の駅の飯高駅で車中泊した翌朝に奈良県唯一の日本100名城高取城のスタンプ設置場所の高取町観光案内所に向う、奈良県の日本100名城No.61高取城日本一の山城の次は和歌山県の日本100名城No.62和歌山城は紀伊徳川家の威光を示す城。豊臣秀吉が栄華誇った大阪は車での遠征は初、森ノ宮駐車場から勝手の判らない大阪城の堀端をトボトボNo.54大阪城の天守はJR大阪城公園駅の方がはるかに近かった。楠木正成の大阪府千早赤阪村のNo.55千早城 以下からは城跡のみの表示、No.57篠山城、No.58明石城、No.56竹田城、No.60赤穂城、No.59姫路城、No.53二条城
令和2年10月1日~4日までの和歌山県・奈良県・大阪府・兵庫県・京都府の二府三県を巡り、日本100名城を十ヵ所登城した殿(しんがり)の城は、昨年までは外国人観光客で混雑していた二条城はコロナウィルスの影響で外国人観光客が皆無で長い行列をするまでもなく開館時間の8:45から入城出来ました。10月4日の二条城見学は駐車場の駐車時間2時間弱の滞在だけで新名神・新東名・東名高速の440kmをトイレ休憩を含めて5時間のソロドライブで無事に帰浜した。

⑩2020年11月5日~7日まで関東の日本100名城を巡りを目指しました。No.15足利氏館、No.16箕輪城、No.17金山城、No.18鉢形城、No.19川越城、最終は千葉県のNo.20佐倉城のスタンプと国立歴史博物館めぐりでした。

2021年はコレラ禍の閉じこもり日本100名城スタンプラリーを敬遠しました。

⑪2022年5月15日~26日 日本100名城スタンプラリー目的の車旅で横浜を出発して東名・名神・山陽道・中国道から鳥取自動車道から鳥取県入りして、日本100名城と100名城付近の静態保存SLなどブログネタ撮影のソロ旅に出発して山陰・山陽・四国一周してきました。
5月15日~22日に、山陰と山陽の中国地方5県の12城を巡り、No.63鳥取城、No.64松江城、No.65月山富田城、No.66津和野城、No.75萩城、No.74岩国城、No.73広島城、No.72郡山城、No.71福山城、No.70岡山城、No.69鬼ノ城、No.68備中松山城No.67津山城の日本100名城12城のスタンプラリーを完了して四国に向かい、しまなみ海道(西瀬戸自動車道)を尾道から入り今治北IC降りて、愛媛県の5城、No.79今治城⇒No.81松山城⇒No.80湯築城⇒No.82大洲城⇒No.83宇和島城を巡り、5月25日に高知県のNo.84高知城⇒徳島県のNo.76徳島城⇒5月26日AM10時に香川県のNo.77高松城を下城してから2時間後に香川県のNo.78丸亀城へ登城した。三日間で四国四県九ヵ所の日本100名城をスタンプラリーを完遂してきました。山陰・山陽・四国の日本100名城の二十二城を巡り新横浜に到着した往復の走行距離は3553Kmでした。

⑫2022年7月11日に4回目のワクチン注射した翌日の12日より横浜を出発して最後の長期ソロドライブで九州の日本100名城を目指した。横浜から約1100㎞の福岡県のNo.85福岡城➡No.86大野城➡No.88吉野ケ里➡No.87名護屋城➡No.89佐賀城➡No.90平戸城➡No.91島原城➡No.92熊本城➡No.93人吉城➡No.97鹿児島城➡No.96飫肥城➡No.95岡城➡No.94大分府内城の九州七県日本100名城13城を巡るスタンプラリーを完了して門司を14時に出発して約千キロ、雨の中を徹夜ドライブして18日の午前4時にクタクタで帰宅した。今回八日間の走行距離3558km、前回の13日間の中国・四国100名城巡り3553kmとほぼ同じ走行距離であった。因みにJR最北端の稚内駅 ⇒JR最南端の西大山駅の距離3127km、これよりも400Km以上も長距離の車旅でした。

⑬2023年10月11~13日 二泊三日の城郭巡りの余裕旅、空路で沖縄のソロ空旅とレンタカーでソロドライブ移動。11日はNo.98今帰仁城(なきじんじょう)12日No.99中城城(なかぐすくじょう)13日復興工事中のNo.100首里城、沖縄の日本100名城の三城のスタンプラリーを完遂する。12日は日本100名城のNo.199座喜味城とNo.200勝連城の探訪とスタンプを押印したが日本100名城は98城も残る。残された時間と体力・気力は在庫が少ないので新たな目標には成り得ない。SNSには一説によると一般的に見学できるお城の数は、約200城くらいになると言われています。

⑭2023年10月25日 日本100名城スタンプラリーの上がりは江戸城と計画していたので、沖縄から帰浜後に今年3月に新線開通した東急新横浜線急行「西高島平」行で乗り換えなしで地下鉄「大手町駅」に40分間で直行でして、パレスホテル東京C13b出口から5分で皇居東御苑大手門入口、ここで手荷物検査を済ましてから江戸城跡の遺構である大手門高麗門と桝形に囲まれた渡櫓門、同心番所などの写真撮影をしながら30分で江戸城天守台に辿り着く。本丸跡周辺の松の廊下跡や富士見櫓などの撮影後、大手門を出て巽櫓と桔梗門のスナップショットを最後に、スタンプ押印は和田倉門休憩所で100城目のNO.21江戸城の登城とスタンプを完了して感無量。所要時間は大手門入口から2時間の探訪に歳を取った疲労感が残る。

思い起こせば2018年5月11日から二年後はコロナ禍の期間にも関わらず2023年10月25日まで5年5ヶ月に渡る主にソロドライブによる日本城郭協会発行の「日本100名城に行こう」公式スタンプ帳を携えての歴史探訪旅でありました。
これは目標達成による人生の喜びであり、終活の成功体験でもあります。

 

2023年10月27日 (金)

日本100名城No.21江戸城でゴール

 2018年5月に北海道の野鳥撮影の傍らに開始した日本100名城スタンプラリーは、5年5ヶ月の長期に渡ったが最後の上がりの一城として残していた日本最大の将軍の城、江戸城の本丸・二の丸・三の丸・天守台などの「皇居東御苑」を令和五年十月二十五日に日本100名城巡りの最後を完了した。スタンプは大手門から500mの桔梗濠・桔梗門を撮影後に和田濠休憩所で最後の日本100名城公式記念スタンプを押して完結しました。余談ですが東急新横浜線急行「西高島平」行で乗り換えなし「大手町駅」に40分間で直行でした、現役の頃は大手町駅までJR横浜線・東横線・日比谷線など3回の乗り換えの記憶がありましたが久し振りの電車に乗り隔世の感がありました。

撮影日2023年10月25日

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「日本100名城に行こう」No.21江戸城

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「日本100名城に行こう・公式スタンプ帳」に完結のスタンプ

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地下鉄大手町駅地下通路出口(パレスホテル)C13b出口の目の前に江戸城の正門・大手門がある。大手門から登城して本丸(現在は大芝生の広場)を反時計周りに周回して江戸城を攻城してきた。

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大手門(高麗門)平日の正午前であったが外国人観光客が目立つ

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大手門高麗門の前で手荷物検査後に桝形の奥に大手門渡櫓門

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建築中の右横の三の丸尚蔵館の前を素通すると目前に同心番所

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同心番所の斜め左に細長い「百人番所」、甲賀組・伊賀組・根来組・二十五騎組という4組の鉄砲百人組が江戸時代に昼夜交代で待機していた。

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二の丸庭園を素通り「白鳥濠」と「汐見坂」の次は本丸の大芝生

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大芝生の本丸跡に江戸城本丸御殿の説明板が天守台の前にある

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本丸跡の大芝生の後ろは「天守台」正面の坂が上り口

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西側面からの天守台石垣 将軍の天守台は日本最大の城

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江戸城の北桔橋門(きたはねはしもん)手荷物検査している入口

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蓮池濠沿いに歩くと竹林・石室の次に富士見多聞の内部

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忠臣蔵で有名な松の大廊下跡、後ろは蓮池濠 

 

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富士見櫓には入れません

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大番所を右に見て百人番所と同心番所を通り大手門に戻る

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大手門を出てから桔梗濠と巽櫓に向かう

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桔梗門 皇居東御苑の案内図の薄紫色の通路は進入禁止でしたが桔梗門も一般の人は入門出来ませんでした。

和田倉公園内の休憩所で日本100名城のスタンプを完了してAM11:30~PM13:30の二時間の江戸城跡登城とスタンプラリーを完了する。

残りのデスク容量がわずかとなり写真は1/2に割愛してあります。使用率は9994/10000=99.94% 残りデスクで6MBでカテゴリーの「日本100名城」は完了しました。

 

2023年10月23日 (月)

日本100名城No.100首里城は修理城

 四年前の2019年10月19日の未明に焼失した日本100名城No.100首里城は復旧工事で修理城であった。
沖縄の日本100名城巡りの三日目の10月13日は宿泊した国際通り近くのナハナ・ホテル&スパを10時にチェックアウトして、三日目のレンタカーでホテルを出発して渋滞している国際通りをナビを頼りに約5kmの距離を50分も掛かり目指した首里城公園の地下駐車場に到着する。首里杜館から地上に出ると左横に守礼門が現れる、ここから正殿復元工事エリアの現場に向かう。 

撮影日2023年10月13日

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「日本100名城に行こう」No.100首里城

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「日本100名城に行こう」公式スタンプ帳

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登城日2023年10月13日(金)首里城 御城印

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世界遺産 首里城跡

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守礼門➡世界遺産比屋武御獄石門➡歓会門➡瑞泉門➡広福門
(券売所)➡奉神門(改札)➡復元工事エリア(正殿正面の絵)

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東の方向に正殿復興工事が見える逆光の下に「守礼門」AM11時

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守礼門の次は世界遺産・園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)石門

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守礼門の次は城壁の歓会門(かんかいもん)琉球衣装の門番が立つ

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歓会門➡瑞泉門(ずいせんもん)は正殿へ三番目の門

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瑞泉門➡漏刻門(ろうこくもん)正殿の復元工事が見えてくる

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広福門(こうふくもん)券売所は漆塗装の塗替中でしたが通行可

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奉神門(ほうしんもん)改札所 いよいよ正殿復元工事中を見学

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正殿の復元工事エリアの壁面に正殿が描かれていた

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八年前の2015年4月沖縄観光で撮影した首里城正殿の写真

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八年前の2015年4月18日に撮影した正殿内部の貴重な写真 

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四年前の2019年10月31日に焼失した正殿、記録ビデオの写真

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復元工事エリアの素屋根の中、柱など建材加工の現場

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2023年10月13日撮影 正殿復元工事中の現場の様子

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正殿復元工事中素屋根の裏側

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「あがりのアザナ」(東の物見台)見学通路から工事中の正殿

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東のアザナ「あがりのアザナ(物見台)」東は日が昇る場所のため方言で「アガリ」といい、アザナは「物見台」を意味します。 歓会門・守礼門方向を見ると沖縄の城特有の美しい曲線を描く城郭北側の壁面を見ることができる。正午を回ったので守礼門に戻る

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昼食は守礼門近くの首里杜館(すいむいかん)のレストランすいむい 沖縄そば「長命草そば」が美味かった。

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 昼食後は首里城公園の入り口から100mの世界遺産へ「玉陵(たまうどぅん)」の入口チケット売場へ、玉陵は1501年、尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、第二尚氏の陸墓となりました。玉陵パンフより

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玉陵(たまうどぅん)向かって左より東室は王様と王妃がねむる部屋、中室 洗骨前の遺体を安置する部屋、西室 王子や王女がねむる部屋。

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「玉陵TAMA-U-DUN」の左の東室 王様と王妃がねむる部屋

世界遺産・国宝・国指定史跡「玉陵たまうどぅん」を見学は八年前の沖縄観光で2015年4月18日に首里城・識名園など共に見学していました。今回と同じ様にレンタカーで観光しましたが、今回は脚力と体力が落ちたので疲れやすく、首里城復元工事と玉陵の二ヵ所の見学を終了してレンタカーを借りた豊見城市高安まで約15Kmを運転して契約した1時間前に返却しました。
首里城の再建は3年後の2026年秋頃と言われていますが3年後に再見が可能かどうかその時の体調次第と思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年10月20日 (金)

沖縄の世界遺産・日本100名城中城城

 沖縄の城(グスク)巡りの座喜味城と勝連城を見学した後は、10月12日の三ヶ城目は、うるま市の勝連城から85号線と国道329号を南下して約40分走行後に中城村の日本100名城No.99中城城(なかぐすくじょう)に14時30分に到着する。東シナ海側から中城湾側までは思ったよりも近距離であった。

撮影日2023年10月12日

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「日本100名城に行こう」No.99中城城

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「日本100名城に行こう」公式スタンプ帳

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中城城パンフレットより中城城(なかぐすくじょう)縄張り、尾根上に六つの郭が連なる連郭式の沖縄のグスク

 

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中城城・西の郭の正門(櫓門)矢などを撃つ狭間が見える

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北の郭(くるわ)

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⑤ 北の郭の裏門は東に向かって建つ美しい石造アーチ門 

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⑥ 三の郭

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⑦ 二の郭

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⑧ 一の郭

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⑧ 一の郭 正殿跡

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⑨ 南の郭 雨乞イノ御嶽(あまごいのうたき)場内には八つの拝所(聖域)があります。

 中城城の駐車場に車を停めるとゴルフ場のカートよりも一回り大きい(7~8人乗り?)で、平日の午後2時半頃は空いていたので乗客は一人のみ、上の中城城縄張りの管理事務所の前から正門前までの上り坂をサービスで乗せてもらえるが見学後は石造りの美しいアーチ門の裏門から下り坂を徒歩で下りてくる見学コースとなっている。

2023年10月18日 (水)

沖縄の世界遺産城巡り・座喜味城と勝連城

 沖縄県北部エリア本部半島の日本100名城No.97今帰仁城を攻城した翌日の10月12日は秋晴れに恵まれて絶好の城巡りとなった。国頭郡今帰仁村から505線を名護市へ南下して、許田ICから高速の沖縄自動車道に乗り、石川ICで下りて国頭方西海道を経て、中部エリアの中頭郡読谷村に続日本100名城No.199座喜味城(ざきみじょう)と、同じ中部エリアのうるま市の続日本100名城No.200勝連城(かつれんじょう)二ヵ所の続日本100名城を初めて見学しました。

撮影日2023年10月12日

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続日本100名城No.199座喜味城の公式スタンプ帳

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世界遺産 座喜味城御城印

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「続日本100名城に行こう」No.199座喜味城

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座喜味城壁と二の郭石造アーチ門から攻城する遠足の幼稚園児

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二の郭

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一の郭

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一の郭建物跡

座喜味城跡から最後の続日本100名城No.200の勝連城跡へ移動

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「続日本100名城に行こう」No.200勝連城

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続日本100名No.200城勝連城の公式スタンプ帳

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世界遺産勝連城跡 御城印

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世界遺産 勝連城跡

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三の曲輪

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二の曲輪

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一の曲輪への石段

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一の曲輪

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勝連城跡の記念写真

昨日は菊名ドライビングスクールで認知機能検査と高齢者講習・運転実技の高齢者講習を受けて来ましたが幸いにも合格しましたが認知機能検査は三年前よりも成績は不出来の印象を自覚しました。来年3月の免許更新時には視力検査のみとなりましたので87歳誕生月まで運転が可能となりました。

2023年10月16日 (月)

沖縄の日本100名城No.98今帰仁城

 昨年7月の日本100名城スタンプラリーは、ソロドライブで横浜から距離約1100㎞の福岡を皮切りに福岡城➡大野城➡吉野ケ里➡名護屋城➡佐賀城➡平戸城➡島原城➡熊本城➡人吉城➡鹿児島城➡飫肥城➡岡城➡大分府内城の九州七県の日本100名城13城を巡る八日間走行距離3500kmのスタンプラリーを完遂しました。それ以来1年2ヵ月振りに空路とレンタカーで二泊三日の沖縄の日本100名城三ヵ所と続日本100名城二ヵ所の五ヵ所を巡る遠征旅の記録です。


10月11日 羽田発07:30のANA463便で沖縄那覇着10:10 
10月13日 那覇発19:55のANA1096便、羽田着22:20


初日の11日は那覇空港で事前に予約したレプコレンタカーの送迎を受けて豊見城店から出発。沖縄本島を北上して約90km走り日本100名城97番目の世界遺産・今帰仁城(なきじんじょう)に到着、14時30分頃から1時間ほど城跡を見学してからスタンプを完了するとまだ明るかったが久し振りの旅で万歩計は9000歩で足腰の痛みと疲れでひどく、予定していた近くにある「沖縄美ら海水族館」の見物は中止して、この日の宿泊先はネットで予約していた今帰仁村のホテルBuena Vista Nakijin に明るいうちに早めのチェックインして旅の疲れを癒やした。

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日本100名城に行こうNo.98今帰仁城

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今帰仁城のスタンプ

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世界文化遺産 今帰仁城の御城印

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今帰仁城跡のパンフレットから①~⑨の写真を撮る 

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撮影日2023年10月11日 世界遺産今帰仁城跡
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①今帰仁城 外郭の城跡入口付近の外観

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②平郎門

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③大隅

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④カーサフ

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⑥大庭

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⑧主郭(俗称本丸)

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⑨志慶真門郭(シゲマジョウカク)

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今帰仁城跡見学の記念。83歳7ヵ月のマスクを外した老人です。

14年前の2009年から沖縄固有の野鳥であるヤンバルクイナ・ノグチゲラ・ホントウアカヒゲなどの野鳥撮影に4,5回通ったヤンバルは野鳥の宝庫であった。今回は名護市まで来ましたが懐かしいヤンバルの森がある国頭村などの沖縄本島北部の探索は見送ることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年4月12日 (水)

米子城址の大規模な木の伐採

 1年前に山陰の日本100名城スタンプラリーで米子市の湊山公園案内図の続日本100名城の米子城址を登城してきましたが昨日のニュースで米子城址の大規模な木の伐採が問題視されたニュースを見て一年前の自然豊かな米子城址を思い起こしました。
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全国から注目“米子城跡”の整備に危惧の声 米子市長「丁寧な情報提供は必要だったと反省しています」 鳥取県米子市
日本海テレビ によるストーリー • 昨日 18:22の記事

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日本海テレビより転載 伐採された樹木
最強の城に市民から懸念の声が上がった。鳥取県米子市が実施した米子城跡の整備に伴う大規模な木の伐採について、市民から森林破壊や防災面などで心配の声がきかれている。これに対して米子市長は…(日本海テレビ)

米子市 伊木隆司市長談

「適切に(城)山には、手を入れていかないといけない。このあたりも含めて、もう少し市民の皆さまに理解を促進していくためにも我々からの丁寧な情報提供は必要だったと反省しています」

この問題の舞台となっているのが、大パノラマなどの絶景が楽しめ最強の城として人気の“米子城跡”。米子市は城跡を整備するため、今年2月から3月中旬にかけて広いエリアで大規模な木の伐採を実施した。米子城跡で植物の観察会を行っているグループの代表松下順一さん。松下さんは、今回の大規模伐採は、城山に生息する貴重な多くの植物が失われかねないと指摘している。

米子城山の植物を愛する仲間 松下順一代表

「米子市が、こういう形で(樹木を)伐採されて、このあたり(県の絶滅危惧種の)キンランとかいろいろな植物があったりとか、やっぱり自然があって文化財も守られますので、土台がなくなったら何も残りませんよね」

このようなニュースと伐採された木材が登山道に積み重なって放置されている無残な様子と登山者には危険極まりない様子の写真が添付されていました。

以下は樹木伐採前の昨年5月16日の米子城址攻城の記録です

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登山道登り口には竹杖が設置されていましたので借用しました

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豊かな自然の中に米子城址の登山道、これらが伐採されたのか?

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道案内も豊かな自然の中に豊富にあります

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至る所に案内板があり天守台まで迷わず登れます

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米子城址の登山道にある植物と野鳥の看板

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このような坂道もありました
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米子城址の天守台石垣
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鉄御門跡
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本丸跡
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本丸跡からの中海などの景観
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水手御門跡
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番所跡 これらの樹木が伐採されていない事を祈るばかりです

2022年8月 2日 (火)

日本100名城No.94大分府内城

 日本100名城No.94大分府内城。大分市荷揚町に所在する「府内城」(荷揚城)は、府内藩主の居館および武家屋敷により構成された、近世城郭の特徴を色濃く残す城です。大分川と住吉川に挟まれ、かつて海辺に面した府内城は、白土の塀と、まるで水上に浮かぶその姿から、「白雉(はくち)城」とも呼ばれています。府内城は、大友氏が国を去った後、豊後を治めていた早川氏に続き、府内に入った福原直高により、築城が行われ、その後竹中重利により、現在の府内城の形が出来ました。府内城下町も同じ時期に形成され、今の大分市街地のおおよその形は、この頃に作られました。(大分市HPより掲載)

登城日7月18日

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日本100名城に行こう公式スタンプ帳

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主な遺構と見どころ

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江戸時代の府内城の地図「本丸・二之丸部分」大分市教育委員会発行 府内城ウォーキングマップより

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現在の府内城跡の地図「大分城址公園」大手門でスタンプをしてから府内城ウォーキングマップを頼りに歩き始める

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西之丸角櫓(二階櫓)

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大手門と西之丸角櫓

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平櫓

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大手門、ここで100名城のスタンプとウォーキングマップを入手

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宗門櫓

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城内からの西之丸角櫓と白壁

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大分城址公園 案内板 撮影位置

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内堀

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二階櫓石垣の内堀

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拡大するとアオサギが堀の獲物を狙っていた

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廊下橋前の冠木門

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本丸址・本丸櫓台(左)と天守台(右)

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天守台

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天守台からの廊下橋、橋は床を外して敵の侵入を防ぐ構造でした

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天守台からの人質櫓

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人質櫓

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二階櫓

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北東角の二階櫓

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水手口の内堀

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帯曲輪

府内城ウォーキングマップによる攻城でした。

四国は四県九城の日本100名城の城廻りでした。九州の県は九州といえども七県、7月13日から福岡県の福岡城を皮切りに大野城、反時計回りに、佐賀県の吉野ヶ里・名護屋城・佐賀城、長崎県の平戸城・島原城と周り、熊本県は雨の中で復興した熊本城に登城後に加藤神社に参拝して、二年前の球磨川洪水被害の人吉城跡へ歴史資料館は未だに閉館中、肥後熊本から薩摩の鹿児島城へ、ついでにJR最南端の西大山駅をロケして指宿観光、薩摩から日向の飫肥城と岡城へ、ゴールは7月18日の豊後の国、大分府内城で九州13城のスタンプラリーを完了しました。

 

2022年8月 1日 (月)

日本100名城No.95岡城

 日本100名城No.95岡城。岡城跡は、大分県竹田市天神山の標高325mの高さにそびえ立つ堅城。文禄3年(1594)に豊臣秀吉の命でこの地にはいった岡藩初代藩主中川秀成(なかがわひでしげ)が石垣づくりのお城にした。現在も石垣補修や環境整備のため有料となっています。料金所(駐車場)から大手門跡までの坂道を登り、城内の役所・家老屋敷跡を横目に三の丸・二の丸・本丸まで往復40分(最短コースの場合)。本丸からくじゅう連山を、西の丸からは阿蘇山と城下町を一望でき、二の丸には「荒城の月」の作曲者 瀧廉太郎像(朝倉文夫作)があります。
(たけ旅HPより)
瀧廉太郎銅像の背後は柵の無い高石垣の真上、めまいする程高い石垣の上で、よろめき老人は近寄ると危険です。

登城日7月17日

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日本100名城に行こう公式スタンプ帳

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主な遺構と見どころ

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岡城跡の御城印、岡城の御城印は岡藩主中川氏の家紋「中川柏」を中央にあしらう。

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史跡 岡城阯

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大手門跡までの上り坂

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大手門跡

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大手門跡

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古大手門跡

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岡城跡案内図

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貫木門跡

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太鼓櫓跡

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小三階櫓台の石垣

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三の丸跡

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二の丸跡

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荒廃していた岡城跡の詩”荒城の月”作曲者 瀧廉太郎銅像

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瀧廉太郎像の背後は絶壁の高石垣、ふらつく老人は近づくと危険

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阿蘇の幻想的な景色

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月見櫓跡

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岡城跡の来歴

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岡城天満神社

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天満神社の天井絵

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金倉跡

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御三階櫓跡(天守の代わり)

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本丸跡

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本丸阯

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本丸址からの風景

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城代屋敷跡

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家老屋敷跡

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西の丸跡 ここを最後に上って来た坂道を下り下城する

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出発した総役所跡の料金所へ100分間登城に使用した竹杖を返却して岡城跡攻城を〆る。次はいよいよ九州を福岡城から反時計回り巡った最終地の大分県大分市の大分府内城である。

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