カテゴリー「日本100名城」の55件の記事

2021年1月25日 (月)

御城印は御朱印に非ず、登城記念札なり

 自分にとって御城印は2018年5月北海道から始めた日本100名城スタンプラリー帳による歴史散歩とスタンプラリーの登城記念、攻城記念が主で御城印はお土産程度のプラスαみたいなものであった。御朱印は持参した御朱印帳にその場で墨痕鮮やかに毛筆で記され、参拝した証や神仏とのご縁を感じるが、御城印はハガキ位の大きさの和紙などに印刷されたもので御朱印に比べ有難味をあまり感じないお札である。御朱印ブームに乗ってこの1~2年に急に人気になったと思われる。そのためか自分が収集はじめた御城印の記念札も昨年からである。
日本100名城のうち60城までスタンプラリーを終えているが昨年の令和2年からはスタンプラリー帳に捺印の際に御城印発売の有無を確認するようになって、販売していればコレクター魂で購入するようになり、300~500円の有料スタンプラリーもどきの御城印コレクターとなった。現在までの三年間で日本100名城巡りを終えた60城のスタンプラリーのうち昨年登城した16城のうち、スタンプ窓口で御城印の有無を聞き忘れたものと発売していない城もあったので九城しか御城印をコレクトしていない。
2020年11月に登城した姫路城の管理事務所窓口では、10月まで販売していたが11月は販売していなとのつれない返事で、国宝の日本100名城といえども必ずしも御城印を発売しているとは限らない。全く御城印を販売していない日本100名城もあります。

日本100名城の天守閣のあるなしに関わらずお城などは登城記念、登閣記念、入城記念などが記され、城名と城主ゆかりの家紋が印刷されている。遺構だけの石垣や山城の城址・城跡のお城に訪れた証としての御城印も同じように城名と城主の家紋が印刷されて発売されている。城よりも大石神社の方が有名な赤穂城跡は御城印は無く、四十七士の絵柄が印刷された特製ケースに入れた大石神社の御朱印を勧められる。

地元の小田原北条氏の小田原城の御城印

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小田原城の御城印。北条早雲から5代約100年間続いた戦国北条家の御城印の家紋は小田原北条家の三つ鱗(うろこ)。この他に小田原北条氏初代の北条早雲(伊勢宗瑞)1519年没の没後500年の数量限定1519枚を2019年に発行されて即売り切れている。

 

御城印としては珍しい武士の守護神として信仰される摩利支天がお札の中央にある。小田原城の天守閣に摩利支天像が祀られており現在の天守にも摩利支天像が安置されている。左上の家紋は江戸時代の城主・大久保家の家紋、大久保藤(上がり藤に大の文字。小田原城の御城印は期間限定や枚数限定など数種類発行されている

Photo_20210125114001 1960年に小田原城天守閣が復興されて、今年が60年目になることを記念した期間限定の御城印で、同期間中に天守閣で開催する特別展「復興 小田原城天守閣―昭和から平成・令和へ―」との連動企画です。
 小田原城の歴代城主をコンセプトに前期大久保氏の「上り藤に大」、稲葉氏の「折敷に三」、後期大久保氏の「上り藤に大」、北条氏の「三つ鱗」、そして徳川氏の「三ツ葉葵」の家紋をあしらい、中央に「小田原城」と表記して歴代城主×小田原城を強調しています。期間 2020年11月21日(土) ~ 2021年2月28日(日) までの限定販売 天守閣復興60周年記念 小田原城御城印 (小田原市観光協会HPより)

小田原北条氏の小田原城の有力な支城であった地元の小机城址に関する小机城址まつりの2014年4月6日のフォト(孫が小学4年の時に少年少女隊として参加)

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相模国・小田原城の有力支城として地元に小机城跡が横浜線小机駅近くにある

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小机城址本丸広場下の空堀、現在は立派な竹やぶとなっている

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小机城址本丸広場で毎年4月の桜の時季に小机城址祭りが行われ港北区長が北条氏綱の城代として、小机城主笠原越前守信為の役で小机城址祭りの出陣式で活躍する

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少年少女隊の出陣式

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小机城址祭りの鉄砲隊、陣幕は小田原北条家の三つ鱗、幟の旗印は笠原越前守の家紋、小机城址への途中に小机駅前で鉄砲隊の発砲演技もあった。

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御城印が無い播州赤穂城跡の一角にある大石神社の御朱印入れの絵柄、日本橋の馬上に大石内蔵助と赤穂浪士四十七士、三つ折りの紙ケースを開いて撮影。

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御朱印ケースの大石神社の由緒書 日本橋の四十七士(日本橋一部)

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大石神社の御朱印は左に大石内蔵助由雄と印刷済みの金色の大願成就の印

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登城日2020年11月5日 日本100名城足利氏館の御城印は鑁阿寺となっている現在の御朱印と同じ大日如来

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登城日2020年11月5日日本100名城の金山城の不落の城の由来は左の御城印の中に添付されていた。御城印の印影は地元の作家の作成

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登城日令和2年10月1日 印面は南海の鎮 紀州徳川家伝来の金印

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登城日令和2年10月2日 急階段の険しい人気のない山城であった。金剛山麓の豆腐屋にてスタンプラリーと御城印を500円で購入、左は楠木正成を称える昭和11年軍国時代の書

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登城日令和2年10月2日 御城印は明石城初代小笠原忠正の家紋と越前徳川家の家紋

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登城日令和2年10月2日 6代にわたり篠山城主であった青山家の青山銭紋、小さい御紋は築城を命じた徳川家康の葵の紋、他に篠山城主を勤めた、松井松平・藤井松平・形原松平の家紋も右の書にあります

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左から築城主 山名宗全の家紋、中央は山名氏と赤松氏の家紋、右は最後の城主赤松広秀の三枚セット、登城日10月3日

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登城日令和2年10月4日 日本100名城の二条城の御城印には世界遺産と元離宮の印刷と徳川家の葵の御紋。左は御城印を入れる特別配布されていた松と鷹のプラスティックケース

御城印は100%印刷されたほぼハガキ大の印刷紙または和紙に城主の家紋が赤く印刷されていたが(城主の家紋とは限らない御城印もあります)登城日が記入されていたのは約1/3で大部分は登城日の日付は空欄であった。一部はゴム印が置いてあり自分で日付を入れる処もある。

 

 

 

 

2020年11月20日 (金)

日本100名城8仙台城

 奥州の覇者伊達政宗が築いた高石垣の城、本丸跡に伊達政宗の騎馬像のある仙台城が日本100名城シリーズのブログにUPされていないことに気付きました。ブログには、二年前の東北盆休み家族旅行の記録の中で、2018年8月26日の「世界遺産・中尊寺・金色堂」で仙台城フォト探訪記で触れていますが肝心のスタンプの場面がありませんので、当時の写真を併用して新たに日本100名城8 仙台城を記録に残すことにしました。

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登城日 平成30年8月17日

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日本100名城8仙台城より

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 青葉山公園仙台城跡の案内板

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逆光の中に奥州の覇者、伊達政宗の騎馬像は人気があります

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東北大地震で昭忠碑の上にあった鵄(とび)像が落下して破損、修復後は安全と像の保存を配慮して石塔の前に台座を設けて2016年より修復展示している

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修復された本丸跡北面出隅部分の高石垣(横矢の部分)

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野面積み石垣(下)と切込接の石垣(上)のモデル

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修復された本丸跡北面出隅部分の高石垣

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復元された大手門脇櫓

これで2018年5月北海道から始めた日本100名城スタンプ・ラリーは、最も近場の江戸城以外の北海道から近畿までの62城をスタンプ完了しました。中国・四国・九州・沖縄などの遠方の残り38城となりましたが、このうち焼失前の首里城と石垣だけが残る100名城の沖縄の城(グスク)と崩落事故前の熊本城、二年前の温泉旅行で巡った四国の高松・丸亀・松山城など十数ヵ所の100名城は既に登城済ですがスタンプだけがありませんの再探訪が必須です。
戦国時代をめぐる生涯学習は現状のコロナ禍では卒業はいつ頃になるのか、過去3年間の野鳥撮影や家族旅行・温泉旅行などのついでのペースからでは予測がつきませんが、最近は日本100名城巡りを本気で目指すことに熱が入りました。しかしながら終活人生と云えども、武漢ウイルスと呼ばなくなった正式名称のCOVID-19(コービット・ナインティーン)の第三派の襲来と思われる現状では暫く様子を見ることになります。残りの38城の遠征は自重せざるをえません。旅行中にマスク着用の会食では、マスクを外しながらビールは飲めても、食事はギコチナク、楽しからずと思います。😢

 

 

 

2020年11月18日 (水)

日本100名城22八王子城

 日本100名城22八王子城の見どころは、北条氏康の三男氏照によって築城された山城である。小田原北条の支城では最大規模の城で、築城技術の到達点を示す城と評されている。城は本丸を中心とした要害地区と山麓の居館地区、さらに外郭の防御施設で構成されている。山中には堀切、石垣などが残り、御主殿跡などの復元整備が進んでいる。ハイキングコースに従い城跡をたどれば、小田原北条氏の築城術と規模を体感できる。(日本100名城に行こうP25八王子城より)

長野県伊那市の高遠城、山梨県甲府市の武田氏館跡と甲府城の後は、野鳥撮影で通った中央道笹子トンネル前の道の駅で車中泊、翌日は東京都八王子市の山城・八王子城管理跡管理棟前のガイダンス施設でスタンプ後に探訪開始となった。
小田原北条氏に関する日本100名城は小田原城・山中城と八王子城で三城目である、桜の時季に地元の小田原城の支城である小机城跡まつりの出陣式と孫の武者行列などをブログにしてきたので北条氏の城に関してはついてこれまでも身近な存在であったようです。

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登城日 令和元年7月20日

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八王子城縄張りのイメージ図

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御主殿ガイドコースに従い本丸跡まで城を攻める気分で探訪

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大手門跡の史跡 八王子城跡の石碑

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大手の門跡の説明板

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堀切の役目と同じような城山川の両岸に架けられ曳橋の復元

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当時の曳橋は敵が攻めてくると壊して侵入を防ぐ簡単な木橋であった、現状はハイキングコースの立派な橋

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曳橋の構造と役目の説明板

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築城当時の石垣

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築城当時の石垣の説明板

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御主殿虎口

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御主殿跡の石段と復元した冠木門_dsc49541_20201118101101

御主殿跡の説明板

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御主殿跡

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会所跡の床の復元

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会所跡の庭

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会所の説明板

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御主殿跡の次はいよいよ本丸方面へ攻城開始

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本丸へは平たんな山道では無かった、キツイ凸凹の上り坂あり

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本丸を守る金子曲輪、金子三郎左衛門が守っていた金子丸跡

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柵門跡

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高丸跡

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八王子城本丸跡の石碑と横地社

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城主氏照は小田原城に詰めていたので、完成前の八王子城本丸は横地監物吉信が守っていましたが激しい攻防の末一日で落城したといわれる

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本丸跡の八王子神社、北条氏照は築城の際に八王子権現を城の守護神にしたのが「八王子」の地名の起源とされている

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本丸跡・八王子神社・横地社の説明板

山城の攻城は行きは攻め手の気持ち、帰りは守り手の気持ちで想像力を働かせて、縄張りを下りてくる。これが山城探訪の醍醐味と言えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年11月17日 (火)

日本100名城25甲府城

 日本100名城25甲府城は一条小山の地に天下統一をとげた豊臣秀吉が羽柴秀勝や加藤光泰を送り込み築城を開始。その後浅井長政・幸長父子が拡張して一応の完成をみたようである。関ヶ原合戦、徳川家康は一門のための城とし、後年、柳沢吉保が城主となってさらに城と城下町の整備を行っている。近年発掘調査をもとに復元整備が進んでいる。(日本100名城に行こう)より

駐車場から鍛冶曲輪門から入城して探訪したが、オベリスク(謝恩塔)が異様に目に入るが、天守閣などの建物の遺構が無い、本丸天守台などの野面積みの高石垣が目立つ石垣の甲府城跡でありました。

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登城日 令和元年7月19日

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公式ガイドブック 日本100名城より

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鍛冶曲輪門からの堀と石垣と土塀(奥に見えるのは遊亀橋)

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復元した鍛冶曲輪門

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復元した鍛冶曲輪門の説明

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舞鶴城公園案内図 公園管理事務所に行きスタンプ

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数寄屋櫓跡(別称:巽櫓)の説明板

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鍛冶曲輪からの天守台

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復元・再建 稲荷櫓は鬼門の北東にあるので艮櫓(うしとらやぐら)とも呼ばれた

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復元・再建された稲荷櫓

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築城者・主要城主の家紋と石垣

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天守台

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天守台の角の石垣

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天守台の石垣

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本丸跡からの謝恩碑(オベリスク)手前は鉄門

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オベリスクと鉄門(くろがねもん)

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謝恩碑(オベリスク)の説明板

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復元・再建された鉄門(くろがねもん)

 

天守曲輪から入城した鍛冶曲輪門に戻り、石垣が見事に残る甲府城の探訪を終える。一年前の出来事であるが翌日は東京都の八王子城を探訪する。

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年11月16日 (月)

日本100名城24武田氏館

 日本100名城24武田氏館は戦国大名の雄武田氏三代の館、昨年7月高遠城を探訪した帰路に山梨県甲府市の武田氏館跡に祀られた武田神社を参拝した。武田氏館は、源氏の嫡流である武田信虎が永正16年(1519)、石和から館を移したことに始まる。その後、信玄、勝頼と武田氏三代にわたり62年続いた館であった。扇状地の頂部の三方を山に囲まれた要害の地に築かれ、四方の堀と土塁を巡らせてある。一辺200mの正方形の主郭(現武田神社)を中心にいくつかの付属の曲輪によって構成されている。

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登城日令和元年7月19日

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日本100名城24武田氏館より

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武田氏館跡(現・武田神社)

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赤い橋の上から左右の水堀を撮る(左側)

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橋の欄干と右側の水堀(一辺200mの正方形の水堀)

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正方形の水堀に囲まれている

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史跡 武田氏館跡の石碑

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武田神社の石垣・石段・鳥居

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石垣

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武田氏館跡(躑躅ヶ崎館跡)

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武田神社

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風林火山の大杯

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武田二十四将の大杯

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甲陽武能殿

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躑躅ヶ崎館跡配置図

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武田水琴窟

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姫の井戸

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土塁

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広い水堀

次は秀吉が築き家康が重視した石の城、甲府城を登城する。

 

 

 

 

 

2020年11月15日 (日)

日本100名城30高遠城

 昨年七月信州の日本100名城の上田城・松代城・小諸城・松本城を巡り五城目の高遠城のブログをUPしていないことに気付きましたので、登城から一年以上経過していますが日本100名城30高遠城を掲載することにします。高遠城の築城者に名を連ねる武田信玄は、天文14年(1545)三峰川と藤沢川の段丘上にある高遠城を攻略し、その後大規模の改修を行った。三峰川の断崖を背に本丸と、それを囲むように二の丸、三の丸が配された「後堅固」の構えの縄張りであったが、武田勝頼の実弟仁科盛信が城主のとき、織田信長軍に攻められて一日で落城した。本丸をはじめ、各曲輪はすべて空堀で区切られていた。野鳥撮影を始める前に全国の桜を追いかけていた時代に、その名残の空堀から桜の名所となっタカトウコヒガンザクラの撮影の思い出がある高遠城址である。

 

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登城日令和元年7月18日

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公式ガイドブック日本100名城30高遠城より

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高遠城大手門

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伝、高遠城大手門

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広大な空堀の一部

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勘助曲輪

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天下第一櫻の碑

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二ノ丸跡

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桜雲橋

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桜雲橋 下は空堀

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桜雲橋」と問屋門

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問屋門内の石垣

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織田信長軍の攻撃に落城した信玄の五男仁科五郎盛信の戦い

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本丸跡

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南曲輪址

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白兎橋

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法幢院曲輪

春には城内を埋め尽くしたコヒガンザクラの桜の名所となった高遠城址でした。

 

 

 

 

 

2020年11月13日 (金)

日本100名城20佐倉城

 鹿島台地西端の川や急崖に囲まれた要害の地に、地元豪族の千葉氏が中世の城郭を築いたといわれる。慶長15年(1610)に土井利勝が入封して大修築し、石垣を用いずすべて土塁で曲輪、掘割などを築城した。以後、江戸の背後を固める城として代々譜代大名の居城となった。(日本100名城ガイドブックより)
千葉県佐倉市城内町官有無番地の佐倉城址公園では国立歴史民族博物館の方が大きな建物と目立つ場所に建築されていた。この場所は佐倉城の椎木曲輪(侍屋敷)跡であであった。歴博(国立歴史民俗博物館の略称)の駐車場は満杯であったが散歩を終えた地元の車が出た直後に駐車して、歴博正面の石段を上り正面扉から入館して受付のスタッフにスタンプの置いてある佐倉城址公園管理センターの場所を尋ねてから佐倉城跡の探訪をはじめた。

 

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佐倉城跡公園管理センタープレハブ小屋の内部、スタンプ押印台と佐倉城天守閣の模型と明治時代に撮影された元藩士による櫓や門などの写真が展示されていた。これらについて専任スタッフの親切な説明を聞いてから佐倉城跡の探訪を始める。

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現在地は公園センターの駐車場の一番奥の角

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空堀と土塁

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日米修好通商条約の調印に奔走した二人、タウンゼント・ハリスと佐倉藩主・老中首座・堀田正睦(まさよし)の像

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日米修好通商条約150周年記念に完成、平成20年6月14日

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子規の句碑

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正岡子規の佐倉城跡の俳句

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一の門跡

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土塁の説明板

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天守台址

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佐倉城天守台跡(上の画面で左端に見える)

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佐倉城の夫婦モッコク

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銅櫓跡

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銅櫓跡の銅櫓の写真

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佐倉城の礎石

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二の丸門跡の写真

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出丸址への下り坂

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出丸跡と水堀

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角馬出の空堀(右側が馬出部)

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馬出空堀

佐倉城は巨大な角馬出を持つ土の城であった。最近は佐倉城跡よりも歴博(国立歴史民俗博物館)を探訪する人がはるかに多いようである。現在の企画展は10月6日~12月6日「性差(ジェンダー)の日本史」ー治める・はたらく・性を売るー の人気が高いようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年11月12日 (木)

日本100名城19川越城

 埼玉県川越市郭町の日本100名城19川越城は江戸の背後を守る拠点城郭。幕閣重臣が城主となって江戸背後の拠点を護る。築城者は長禄元年(1457)太田道真と道灌の時代。現存する川越城本丸御殿は小江戸といわれる川越市郭町(くるわまち)にあります。川越城本丸御殿専用の駐車場に停めて本丸御殿に登城する。

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登城日11月6日

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公式ガイドブック日本100名城19川越城より

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以上の資料は川越市立博物館のパンフより転載

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川越城本丸御殿玄関前の学生の一団

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川越城の縄張りを示す石碑

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本丸御殿館内案内図

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大広間36畳

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大広間

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大広間の床の間

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座敷部分を取り巻く廊下

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展示されていた徳川家紋の屋根瓦

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家老詰所

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家老詰所十畳の間の展示 この後は本丸御殿から博物館へ移動

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博物館内の展示 北条氏と川越城

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築城者の太田道灌と川越城

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博物館⇒美術館(戦国時代の展示物なし)⇒中ノ門堀跡へ

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川越城中ノ門掘址

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中ノ門堀 内側(東)の勾配60度幅18m深さ7m西側勾配30度

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中ノ門堀のしくみ、侵入した敵の行く手を阻む堀の構造

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郭町の本丸御殿⇒市立博物館⇒市立美術館⇒川越城中ノ門堀跡を巡り本丸御殿の駐車場に戻り川越城の登城を終え、次の佐倉城へ進撃開始。

 

2020年11月11日 (水)

日本100名城18鉢形城

 埼玉県大里郡寄居町鉢形の日本100名城18鉢形城、荒川と深沢川に挟まれた河岸段丘上に位置する自然の要害。築城者は文明8年(1476)長尾景春、永禄年間(1558~1570)北条氏邦。主要城主は長尾氏、上杉氏、小田原北条氏。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めに際し鉢形城も豊臣方の大群に囲まれ、氏邦は城兵の助命を条件に城を明け渡し、戦いの後間もなく廃城となった。荒川の崖の上につくられた中世の名城「鉢形城」復元された城跡を訪れて激しい戦いのあった時代を想像する。

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攻城日11月6日

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公式ガイドブック日本100名城P61鉢形城より転載

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寄居町観光ガイドマップより

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鉢形城の由来の説明板

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荒川と深沢川に挟まれた平山城、歴史館の鉢形城復元模型

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虎口

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復元された四脚門

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石積み土塁

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庭園と石積土塁、復元された四阿(あずまや)

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整備された庭園址と石積土塁

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四脚門の内部、馬出

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馬出跡

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井戸の内部

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空堀

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林の奥に荒川

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二の曲輪

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鉢形城のシンボルツリー、エドヒガン(氏邦桜)

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三の曲輪と復元四脚門

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城郭南端の大光寺曲輪の脇にJR八高線

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見学の仕上げは鉢形城歴史館の見学

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この日の企画展は「戦国を彩る武具」激しい戦いを彷彿させる戦国武将の軍配・兜や甲冑などの武具が展示されていた。

 

 

 

 

2020年11月10日 (火)

日本100名城17金山城

 群馬県太田市金山町の金山は標高約239mで関東平野北部の太田市中心部に位置する。城は新田氏の一族である岩松家純により、文明元年(1469)に築城された。後に岩松氏の重臣・由良氏が権力を握ると北条氏に仕えるようになり、城は上杉氏や武田氏の攻撃を幾度も撃退する程の堅城となるも、秀吉の小田原攻めでの北条氏滅亡によって廃城となった。(宝島社・城の攻め方・つくり方より)

金山城は石敷きの通路や石垣、大きな池などが数多くある石造りの遺構がある城址であった。

 

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攻城日11月5日

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公式ガイドブック日本100名城17金山城より

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難攻不落と言われた金山城の攻城開始です

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史跡 金山城跡の攻城はここからです

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西櫓台址

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西矢倉台址の通路

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石畳の通路

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物見台案内板

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石垣

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攻める時は堅固な石垣の出現にたじろいたと思われます

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またも石垣と石敷きの通路

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物見台からの見晴、城下が一望

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馬場曲輪

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月の池 山の中に水の豊富な大きな池に驚き Σ(・□・;)

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大手虎口でNHKの正月3日のGTのTV撮影中でした、出演者は金山城保存会のボランティア活動の人々のようです。

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大手虎口

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大手虎口の石敷きの通路、通路両側の排水路

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日の池/戦勝や雨乞いを祈る為の儀式が行われたと思われる神聖な池

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水が見える井戸もあります。水の豊富な不落城のようです

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大手虎口、武器庫の横、井戸の前で攻めるのは赤い槍隊と右側の城を守る弓矢と鉄砲隊の撮影風景、石垣の上は三の丸

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石敷き遺構展示、石敷きされた当時のままの建物(武器庫兼兵の詰め所)

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スタンプの置いてある休憩所の横に金山城の石碑

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金山城跡から眼下の太田市の眺望

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大手虎口、今度は法螺貝を吹く場面の撮影です、正月3日のNHKのゴールデンタイムを忘れずに!

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ここを最後に下城です

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初の山中にある石敷きの通路、多くの石垣、山の中の大きな池など石造りの金山城跡、難攻不落と称された金山城の攻城でした。

 

 

 

 

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