100の登城攻城足跡は北海道の桜開花とともに始まり!
五年五ヶ月の日本100名城スタンプラリーダイジェスト版!!
残りデスク容量0.01%以下、スタンプと写真など割愛してます!!!
①日本100名城巡り最初の足跡は2018年5月11日の北海道の桜の時期に開幕した。日本100名城No.2五稜郭と併せてNo.3松前城からスタンプラリーを開始したがどちらも北海道の桜の名所であった。更に北海道根室市の桜の名所・清隆寺の千島桜を撮影後に、北海道に500ヵ所もあるアイヌ民族の砦や柵囲いを意味する代表的なチャシ跡を探訪した。日本100名城No.1「根室半島チャシ跡群」は温根元漁港の崖の上に在ります。スタンプ場所はJR北海道根室本線日本最東端の駅、東根室駅と根室本線終着駅の根室駅を撮影してからJR根室駅前の観光インフォメーションセンターに設置されているスタンプを押印。北海道さくらの名所三ヵ所と縁が深い処でスタンプラリーを始めました。
②第二幕は東北観光の道中でした。高一の孫の夏休み合わせての見学となりました。2018年8月15日から18日にかけて津軽地方の青森市三内丸山遺跡、鶴田町の鶴の舞橋などの観光と併せて、弘前市のNo.4弘前城、黒石市黒石温泉郷落合温泉・花禅の庄宿泊など遺跡と城巡りの温泉旅は更に16日はNo.9盛岡城から本籍地の秋田県湯沢市の東山寺に墓参り、小野小町を祀る小町堂を観光後に日本の秘湯を守る会・秋の宮温泉・鷹の湯に投宿、翌日の17日は世界遺産・中尊寺と金色堂の観光して宮城県仙台市のNo.8仙台城を巡り飯坂温泉叶やに宿泊。四日目の18日は帰路の途中に会津福島のNo.12会津若松城と福島白河市のNo.13白川小峰城を巡り名所観光と日本100名城と温泉宿を巡る東北家族旅行の思い出に城郭探訪が加わりました。
③2018年10月14,15日 秋の鷹の渡りで訪れた愛知県には日本城郭協会が認定した日本100名城は、国宝のNo.43犬山城・No.44名古屋城・No.45岡崎城・No.46長篠城の四城があります。伊良湖岬のタカの渡り撮影を延長した二日間これらの四名城を巡りを行ってきた。愛知県の日本100名城の帰路は静岡県の日本100名城のNo.42掛川城、No.41駿府城、No.40山中城と更に神奈川県唯一のNo.23小田原城のスタンプを済ます。小田原城御城印は小田原城天守閣復興60周年記念の令和元年5月1日に入手しました。
④阪急交通社のツアーに便乗して日本100名城巡りの記録も有ります。2019年4月3日~5日の「高級グルメと春爛漫・北陸三県桜良いとこどり三日間」と長い名称のパッケージツアーに家族4人で参加した機会に「日本100名城に行こう・公式スタンプ帳」を持参して桜名所100選の城郭に寄った機会にNo.33高岡城、No.37一乗谷城、No.35金沢城の北陸三県のスタンプを取得する機会を得た。
⑤2019年4月16日 北海道遠征中にアップロードしたブログに「国営ひたち海浜公園のネモフィラ」の撮影の記録に、ひたち海浜公園から車で30分の水戸市内へ、梅園で有名な日本三名園の偕楽園は過去に2,3回観光していますが関ヶ原合戦後に家康から秋田に転封させられた佐竹家に替わり、家康の11男徳川頼房が入城、徳川御三家水戸家の城は高い土塁と深い空堀に囲まれたNo.14水戸城は石垣のない土づくりの城であった。
⑥2019年7月10~17日 青森県の日本100名城は二ヶ所あり、弘前城の他に根城は甲斐から陸奥に移り住んだ八戸南部氏が南北朝時代から戦国末期まで本拠とした城である。日本百名城五番目のNo.5根城、復元作業で復原された南部氏の城を北海道撮影旅行の帰りの7月10日に北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅に立ち寄り後に八戸市の根城跡を訪問してアカショウビンの撮影に向かう。
十二湖でアカショウビンを撮影していた7月12日は朝からの雨天であったので日本100名城巡りに変更して秋田県唯一の日本100名城のNo.9久保田城と佐竹資料館の見学をした後は城郭巡りの継続。東北から越後、越中、越前方面に移動して信州を最後にした。No.10山形城、No.7多賀城、No.11二本松城、No.31新発田城、No.32春日山城、No.34七尾城、No.36丸岡城 7月15日までにこれら九城のスタンプを完了した後に、7月16日に信州のNo.26松代城、No.27上田城、No.28小諸城の三城をスタンプラリーした翌日2019年7月18日も帰路に城巡り、
現存する天守のある城は十二城あるがそのうち松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城の五つの天守は「国宝五城」と呼ばれる。長野県には日本100名城が五つある。上の信州三城の他に国宝のNo.29松本城とコヒガン桜名所のNo.30高遠城で五城になる。信州から帰路の山梨県にはNo.24武田氏館、No.25甲府城にの二城の次は東京都八王子市の小田原城の最大の支城(山城)のNo.22八王子城を巡る。
⑦2019年9月21日 白樺峠のタカの渡り撮影後に乗鞍岳に向かう。マイカー規制中は乗鞍高原駐車場に車を置いてから畳平まで50分間シャトルバスに乗り換え、降りた処がバス乗り場標高日本一2702mの乗鞍岳畳平。周辺を散策後に大黒岳登山でホシガラスやイワヒバリなどの野鳥撮影などで過ごした後は乗鞍高原に戻りマイカーで移動距離180㎞以上して、岐阜県の日本一高い地の標高717mに築かれた山城、No.38岩村城と天下布武を宣言した信長の城、No.39岐阜城の岐阜県の2城のスタンプを完了。
⑧2019年10月6~8日 午前中まで渥美半島の伊良湖岬でタカの渡りを撮影した。ここには芭蕉の「鷹ひとつ 見つけてうれし 伊良湖崎」の句碑がある。6日にフェリーで鳥羽港へ渡り、江戸時代の俳聖松尾芭蕉の出身地伊賀国のNo.47伊賀上野城と翌日の7日に松坂牛のNo.48松坂城をスタンプラリーする。午後から滋賀県長浜市のNo.49小谷城と彦根市のNo.50彦根城を巡る琵琶湖畔の旅。8日は小雨の中を傘をさしながらの近江八幡市の織田信長が築城した近世城郭の祖型と言われるNo.51安土城と隣は安土城よりも以前に築城された六角氏のNo.52観音寺城の山城登山に手こずりスタンプを完了。9日は滋賀県近江八幡市から新横浜まで新名神・新東名424kmを走り、総走行距離約1300km五泊六日の車中泊の旅を無事ゴール。野鳥撮影と100名城スタンプラリーなどの車旅でマイカーの新車は二年十ヶ月間に走行距離5万3千キロを記録した。
⑨2020年10月1日 渥美半島の渥美の森展望台でタカの渡りを撮影後の午後3時に伊良湖岬と鳥羽を結ぶフェリー航路で鳥羽港に渡り、道の駅の飯高駅で車中泊した翌朝に奈良県唯一の日本100名城高取城のスタンプ設置場所の高取町観光案内所に向う、奈良県の日本100名城No.61高取城は日本一の山城の次は和歌山県の日本100名城No.62和歌山城は紀伊徳川家の威光を示す城。豊臣秀吉が栄華誇った大阪は車での遠征は初、森ノ宮駐車場から勝手の判らない大阪城の堀端をトボトボNo.54大阪城の天守はJR大阪城公園駅の方がはるかに近かった。楠木正成の大阪府千早赤阪村のNo.55千早城 以下からは城跡のみの表示、No.57篠山城、No.58明石城、No.56竹田城、No.60赤穂城、No.59姫路城、No.53二条城
令和2年10月1日~4日までの和歌山県・奈良県・大阪府・兵庫県・京都府の二府三県を巡り、日本100名城を十ヵ所登城した殿(しんがり)の城は、昨年までは外国人観光客で混雑していた二条城はコロナウィルスの影響で外国人観光客が皆無で長い行列をするまでもなく開館時間の8:45から入城出来ました。10月4日の二条城見学は駐車場の駐車時間2時間弱の滞在だけで新名神・新東名・東名高速の440kmをトイレ休憩を含めて5時間のソロドライブで無事に帰浜した。
⑩2020年11月5日~7日まで関東の日本100名城を巡りを目指しました。No.15足利氏館、No.16箕輪城、No.17金山城、No.18鉢形城、No.19川越城、最終は千葉県のNo.20佐倉城のスタンプと国立歴史博物館めぐりでした。
2021年はコレラ禍の閉じこもり日本100名城スタンプラリーを敬遠しました。
⑪2022年5月15日~26日 日本100名城スタンプラリー目的の車旅で横浜を出発して東名・名神・山陽道・中国道から鳥取自動車道から鳥取県入りして、日本100名城と100名城付近の静態保存SLなどブログネタ撮影のソロ旅に出発して山陰・山陽・四国一周してきました。
5月15日~22日に、山陰と山陽の中国地方5県の12城を巡り、No.63鳥取城、No.64松江城、No.65月山富田城、No.66津和野城、No.75萩城、No.74岩国城、No.73広島城、No.72郡山城、No.71福山城、No.70岡山城、No.69鬼ノ城、No.68備中松山城、No.67津山城の日本100名城12城のスタンプラリーを完了して四国に向かい、しまなみ海道(西瀬戸自動車道)を尾道から入り今治北IC降りて、愛媛県の5城、No.79今治城⇒No.81松山城⇒No.80湯築城⇒No.82大洲城⇒No.83宇和島城を巡り、5月25日に高知県のNo.84高知城⇒徳島県のNo.76徳島城⇒5月26日AM10時に香川県のNo.77高松城を下城してから2時間後に香川県のNo.78丸亀城へ登城した。三日間で四国四県九ヵ所の日本100名城をスタンプラリーを完遂してきました。山陰・山陽・四国の日本100名城の二十二城を巡り新横浜に到着した往復の走行距離は3553Kmでした。
⑫2022年7月11日に4回目のワクチン注射した翌日の12日より横浜を出発して最後の長期ソロドライブで九州の日本100名城を目指した。横浜から約1100㎞の福岡県のNo.85福岡城➡No.86大野城➡No.88吉野ケ里➡No.87名護屋城➡No.89佐賀城➡No.90平戸城➡No.91島原城➡No.92熊本城➡No.93人吉城➡No.97鹿児島城➡No.96飫肥城➡No.95岡城➡No.94大分府内城の九州七県日本100名城13城を巡るスタンプラリーを完了して門司を14時に出発して約千キロ、雨の中を徹夜ドライブして18日の午前4時にクタクタで帰宅した。今回八日間の走行距離3558km、前回の13日間の中国・四国100名城巡り3553kmとほぼ同じ走行距離であった。因みにJR最北端の稚内駅 ⇒JR最南端の西大山駅の距離3127km、これよりも400Km以上も長距離の車旅でした。
⑬2023年10月11~13日 二泊三日の城郭巡りの余裕旅、空路で沖縄のソロ空旅とレンタカーでソロドライブ移動。11日はNo.98今帰仁城(なきじんじょう)12日No.99中城城(なかぐすくじょう)13日復興工事中のNo.100首里城、沖縄の日本100名城の三城のスタンプラリーを完遂する。12日は続日本100名城のNo.199座喜味城とNo.200勝連城の探訪とスタンプを押印したが続日本100名城は98城も残る。残された時間と体力・気力は在庫が少ないので新たな目標には成り得ない。SNSには一説によると一般的に見学できるお城の数は、約200城くらいになると言われています。
⑭2023年10月25日 日本100名城スタンプラリーの上がりは江戸城と計画していたので、沖縄から帰浜後に今年3月に新線開通した東急新横浜線急行「西高島平」行で乗り換えなしで地下鉄「大手町駅」に40分間で直行でして、パレスホテル東京C13b出口から5分で皇居東御苑大手門入口、ここで手荷物検査を済ましてから江戸城跡の遺構である大手門高麗門と桝形に囲まれた渡櫓門、同心番所などの写真撮影をしながら30分で江戸城天守台に辿り着く。本丸跡周辺の松の廊下跡や富士見櫓などの撮影後、大手門を出て巽櫓と桔梗門のスナップショットを最後に、スタンプ押印は和田倉門休憩所で100城目のNO.21江戸城の登城とスタンプを完了して感無量。所要時間は大手門入口から2時間の探訪に歳を取った疲労感が残る。
思い起こせば2018年5月11日から二年後はコロナ禍の期間にも関わらず2023年10月25日まで5年5ヶ月に渡る主にソロドライブによる日本城郭協会発行の「日本100名城に行こう」公式スタンプ帳を携えての歴史探訪旅でありました。
これは目標達成による人生の喜びであり、終活の成功体験でもあります。
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