2020年6月 8日 (月)

日本100名城29・松本城

 現存する天守のある城は十二城あるがそのうち松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城の五つの天守は「国宝五城」と呼ばれる。長野県には日本100名城が五つあるうちの一つが松本城である。2011年11月7日と8日のブログで鹿塩温泉の帰路と2015年8月19日では家族と娘の孫どもと信濃路の温泉巡りで松本城と上田城に登城していますがこれらの時点ではまだ日本100名城スタンプラリーに参加する前でした。

撮影日2019年7月18日雨天

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雨の埋橋と松本城

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右が月見楼

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券売所の出入り口

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黒門

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松本藩歴代城主

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左の月見楼(朱塗り欄干)・辰巳櫓・天守・渡り廊下・乾小天守

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雨の日はさらに暗い天守内

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石落

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鉄砲隊鉄砲頭

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天守からの埋橋

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天守天井に守護神二十六夜神

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天守の急階段

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月見楼内部

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雨の日の松本城

2020年6月 7日 (日)

日本100名城28小諸城

 日本100名城28小諸城、主な遺構は大手門、三の門、天守台、石垣など、城は千曲川に向かって傾斜した深い浸食谷に突き出た台地を活用している。このため城下町、三の丸、二の丸、本丸の順に低くなっており、穴城とも呼ばれていた。

撮影日2019年7月16日

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大手門

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大手門内側

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三の門

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三の門

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二の門跡

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二の丸跡

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門跡

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南丸跡

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本丸跡

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天守閣跡

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小諸城懐古園案内図

 

2020年6月 5日 (金)

日本100名城27上田城

 徳川軍を撃破した真田一族の城、上田城への登城は5年前の2015年8月18日に信州の温泉巡りをした時にNHKの大河ドラマ「真田丸」放映開始一年前であった。この時のブログは2015年8月21日のブログ、大河ドラマ「真田丸」ゆかりの地、上田城でUP済であるが今回は北海道遠征の帰路に寄り道した2019年7月16日(雨上がりの曇天)に日本100名城スタンプラリーの記録です。5年前の晴天の日の写真も添付しました。
撮影日2019年7月16日

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公式スタンプ帳「日本100名城に行こう」No.27上田城より転載

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本丸北東角の濠の土塁は内側にへこませている。これは隅欠きといわれ、鬼門除けである。

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櫓門石垣の大きな真田石

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復元された櫓門

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5年前8月18日は晴天でした、復元された櫓門と左は南櫓

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大手門内側の北櫓

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櫓門と北櫓

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西櫓 3現存櫓のうち昔の姿をよくとどめている

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5年前撮影の西櫓

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5年前に撮影した真田家の家紋瓦

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5年前撮影の真田丸・真田幸村の大きな兜と幟は記念写真のスポット

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昨年の7月16日 真田丸の兜の周りに人影なし、歳月人を待たず

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以下の写真はNHK大河ドラマ仕様 真田幸村

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左より真田幸村、真田昌幸、真田信之の敵味方に分かれた親子の兜・甲冑

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NHK大河ドラマ仕様・赤備甲冑・陣羽織

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NHK大河ドラマ仕様・真田信繁(幸村)白糸巻朱鞘陣太刀と腰刀

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上田城・大阪城友好城郭記念碑

 

2020年6月 4日 (木)

日本100名城26松代城

 昨年の七月に北海道遠征の帰路に長野県で撮影した長野県長野市の日本100名城26の松代城、松代城は武田信玄が北信濃を支配するために築いた海津城が前身である。川中島合戦で著名なこの城には、武田氏滅亡後、織田・上杉・豊臣・徳川各氏の家臣団が次々と入城した。元和八年(1626)真田信之が入封、三代藩主幸道の時に松代城と改称された。

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撮影日2019年7月16日

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松代城址

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上の写真の左隅にあった史跡松代城跡の説明板

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本丸太鼓門と太鼓前橋

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本丸太鼓門前橋と堀と石垣

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本丸北不明門

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松代城(海津城)跡 国史跡案内板

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真田邸表門

 

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真田邸新御殿入口

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真田邸内部

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真田邸新御殿の庭にアオサギ

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旧樋口家門

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旧樋口家内部の一部

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旧白井家表門案内板

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旧白井家表門

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松代城駐車場から松代城址→真田邸→旧樋口家住宅→旧白井家表門まで歴史的道筋をフォト散歩

 

 

 

2020年5月17日 (日)

北海道の日本100名城

 2018年5月に北海道道の駅スタンプラリー中に千島桜の名所・清隆寺の開花情報を聞くために立ち寄ったJR根室駅前の観光インフォメーションセンターで日本100名城スタンプラリーを知りました。根室市内の千島桜を撮影の時でしたので最初のスタンプはNo.1の「根室半島シャシ跡群」でしたがスタンプ捺印を最初に失敗しました。北海道には日本100名城のNo.1~3までの三ヵ所があります。

日本100名城の公式スタンプ帳の使用開始は2018年5月より、No.1根室半島チャシ跡群の温根元を訪問したのはこれより2年前の2016年5月15日のキョウジョウシギの撮影でした。桜の名所のNo2.五稜郭 と No.3松前城の写真は趣味のサクラ開花時期の撮影です。

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三ヵ所とも日本100名城のスタンプを開始したのは2018年5月

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公式スタンプ帳「日本100名城に行こう」より転載

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撮影日2016年5月15日 オンネモトシャシ跡にて撮影。左上隅に見える野鳥観察小屋と根室半島チャシ跡群の説明板

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野鳥観察小屋の内部の写真、チシマシギとキアシシギはいませんでした

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野草の中にポツンと標識柱が立っていました

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これが遺構なのか?盛土や掘のような凸凹した海岸に面した丘の上です

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盛土のような先に見えるのは温根元の漁港のようです

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断崖の真下は温根元の漁港でした。シャシは砦や柵囲いを意味するアイヌ語である。丘陵や海岸に面した断崖上に自然地形を生かして掘、土塁、盛土で形成された単純構造のものが多い。(日本100名城の説明を抜粋)

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撮影日2018年4月30日

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2018年4月30日、五稜郭の満開のソメイヨシノと五稜郭タワー
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五稜郭 函館奉行所と桜

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函館奉行所玄関
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五稜郭の環濠と満開のソメイヨシノ
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2016年4月26日鯉のぼりと五稜郭タワー

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2016年4月26日撮影 五稜郭の星型に開くソメイヨシノ

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老桜のソメイヨシノと函館奉行所
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日本最後の天守の松前城

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松前公園マップ

_dsc7208 2018年4月30日撮影、 北海道最南端の松前町、海岸線を走る国道228号線の海側にある道の駅「北前船松前」より撮影したが靄なのか霞なのか薄ぼんやりした日本最後の日本式城郭の松前城(正式名は福山城)

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2016年4月27日撮影

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2018年4月30日、搦手二ノ門よりの松前城

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2018年4月30日北海道のソメイヨシノ北海道上陸開花標準木

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撮影日2016年4月27日

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2016年4月27日撮影 本丸御門

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2016年4月27日撮影 本丸表御殿玄関

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2018年4月28日撮影 松前城と夜桜ライトアップ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年5月16日 (土)

徳川慶喜も学んだ水戸学の道

 最後の征夷大将軍・徳川幕府最後の第十五代徳川慶喜も学んだ弘道館より水戸学の道をフォト散歩した。
徳川慶喜の実父は徳川御三家のひとつ常陸水戸藩第九代藩主徳川斉昭(なりあき)である。慶喜は斉昭の七男で幼名は七郎麿、2歳~11歳まで9年間水戸で学び11歳の時に徳川御三卿のひとつ一橋家に養子に入り、徳川慶喜と名を賜り幕末に徳川幕府最後の15代将軍推挙された。
今日は昨日の続き「水戸学の道」フォト散歩である。

撮影日4月15日

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大手門前の大手門橋の袂の徳川斉昭公像(第十五代将軍 徳川慶喜の実父)この像の前からフォト散歩が始まる

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弘道館は新型コロナウイルス対応で閉館中

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水戸市観光HPより水戸学の道の案内、昨日は主に1.光圀ルートであったが今日は主に2.斉昭や3.慶喜ルートのフォト散歩

散策ルート   
水戸の誇る歴史や文化、水戸藩が育んだ魁の精神などに触れ、親しんでいただくとともに、歴史的景観を楽しみながら回遊していただく散策ルートを設定しました。
 1 光圀(義公)ルート:義公生誕の地、大日本史編纂の地である水戸彰考館跡や二の丸展示館、弘道館等を散策するルート(約2km、約1時間)
 2 斉昭(烈公)ルート:弘道館を中心に、孔子廟や八卦堂、弘道館鹿島神社、水戸東照宮等を散策するルート(約2.5km、約1時間30分)
 3 慶喜(将軍)ルート:義公生誕の地から二の丸、弘道館を経て水戸東武館や空堀・土塁等を散策するルート(約3.3km、約2時間)

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斉昭ルートの始めは弘道館脇の梅林の散歩道を往く

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始めは孔子廟

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弘道館全体が閉館中で中に入れず

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弘道館に学ぶ人に時を告げる鐘

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孔子廟は見られず、学生警鐘付近で初めて散歩の母娘を見つける程人通りは殆どないようです

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復元された北柵御門

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北柵御門から見えた水道局の建物

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三の丸緑地公園の入り口

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水戸東武館の正門

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水戸東武館の附塀にある文化財・無形文化財の説明
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水道局の建物と水戸東武館

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茨城県三の丸庁舎

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三の丸庁舎前の空堀(三の丸跡の空堀の遺構)

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三の丸庁舎前の遺構(三の丸跡の空堀、御三家でありながら水戸城は石垣のない高い土塁と深い空堀の土づくりの城であった)

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車を停めた弘道館の駐車場に戻り水戸学の道フォト散歩を無事終える

 

2020年5月15日 (金)

水戸城・大手門と薬医門(橋詰門)

 昨日の4月14日に39県の緊急事態宣言が解除された。北海道、東京、神奈川、埼玉、千葉、京都、大阪、兵庫の8都道府県への宣言は維持した。緊急事態宣言は4月7日に7都道府県へ発令し、16日に全国へ広げた。発令後に解除するのは初めて。首相は39県の解除理由について「徹底的なクラスター対策を講じることで感染拡大を防止できるレベルまで抑え込めたと判断した」と述べた。「医療提供体制も改善し、検査システムも十分に機能している」と語った。
「感染者は毎日100人を下回る水準で推移している。1カ月で7分の1以下に改善した。国民一人一人の行動の結果だ。改めて感謝する」と話した。特定警戒地域の8都道府県は来週の4月21日の再判断での全解除を期待したい。


緊急事態宣言を全国に広めた4月16日の前日の4月15日に横浜を出発して最初の訪問地は「国立ひたち海浜公園」の見頃を迎えたネモフイラの青い花であったが現地に着いてから閉鎖中を知った。それではと昨年と同様に大洗町から隣の水戸市の徳川御三家の日本100名城水戸城址に向かった。特に今年は昨年復元された大手門と水戸城址の主な遺構「橋詰門(薬医門)・切通し・空堀」などをフォト散歩した。

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公式スタンプ帳「日本100名城に行こう」のNo.14水戸城より転載

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昨年4月16日撮影・訪問時は大手門の復元工事中であった。

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2019年に復元工事が竣工された大手門は道路の補修工事中

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大手門橋の右脇下の階段途中から覗くように大手門を撮る

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徳川斉昭公像と大手門橋左よりの復元された大手門を撮影

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大手門の次の復元工事、水戸城二の丸角楼復元及び土塁整備工事

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復元された大手門の内側、左隅は次の復元工事

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大手門内側左上は土塁の整備と塀の復元工事

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大日本史編纂の地記念碑

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大日本史を編纂の地とされた旧水戸彰考館跡

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二の丸展示館

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二の丸展示館前の通りは奥まで人影なし

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水戸城三階楼跡地(水戸城天守閣と代わりとみなされた)

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(1)散策ルート   
水戸の誇る歴史や文化、水戸藩が育んだ魁の精神などに触れ、親しんでいただくとともに、歴史的景観を楽しみながら回遊していただく散策ルートを設定しました。
 1 光圀(義公)ルート:義公生誕の地、大日本史編纂の地である水戸彰考館跡や二の丸展示館、弘道館等を散策するルート(約2km、約1時間)
 

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奥に見えるのは杉山門

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杉山門

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棚町坂下門

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柵町坂下門の徳川頼房公像 初代水戸藩主

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この本城橋を渡ると唯一の遺構建造物の橋詰門(薬医門)がある

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二の丸と本丸の間に大堀切、現在は水郡線が走る深い空堀

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本丸跡に移築された橋詰門がある

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本丸跡の県立水戸第一高等学校内に移築された橋詰門(薬医門)の外側

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約医門の内側

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弘道館はコロナで休館中であった、駐車場に3台のみで復元された大手門の見学者

次回に続く

 

 

2019年12月30日 (月)

日本100名城52 観音寺城

 日本100名城51安土城の次に近くにある隣の繖山(きぬがさやま)別名観音寺山の山頂にある観音寺城を攻城したが生憎の雨天で思うように攻めることが出来ない。

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安土山にある安土城、その隣の繖山の観音正寺の奥にある観音寺城

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有料道路を通り駐車場に車を置いて登ってきた急な石段を登り切り上から写した参道

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ここは西国三十三所第三十二番所の観音正寺の境内、案内図を見ても安土城の直ぐ近くであることが分かる、ここは西国三十三所第三十二番所の観音正寺の境内

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仁王門はないが仁王像が境内を守る

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観音正寺庫裡のスタンプ場所で捺印

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観音正寺の境内を進み左の観音寺城へ山道へ

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観音正寺の本堂左脇下にある観音寺城跡への山道を登る

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苔むした石垣のある山道を下りる

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台風や大雨の被害で通行止めがあるので雨天の中で大石垣跡は諦める

 

 

 

2019年12月28日 (土)

日本100名城51 安土城



 日本100名城巡りは、2018年5月に根室駅前のお土産店にある観光協会で千島桜の開花状況を調べている時に、目に入ったのが「日本城郭協会の日本100名城」のスタンプ帳でした。地元の根室にもあるアイヌ民族の城跡を含めて北海道に三ヶ所の日本100名城「根室半島チャシ跡群・五稜郭・松前城」の3城を皮切りに、日本100名城スタンプラリーを「人生百歳時代」の健活に歴史を学ぶ生涯学習のテーマ―の一つとして始めました。 

今年は台風の襲来でなかなか日程が定まらず、愛知県の天気予報を見て10月4日に新横浜を出発した、東名・新東名をドライブして浜松SAスマートICから出て国道1号浜名バイパスから国道42号で伊良湖崎の7km手前にある渥美の森まで313kmを6時間掛けて辿り着く、10月6日の午前中までここでタカの渡りを撮影して、午後から三重県伊賀市の伊賀上野城と翌日の7日に松坂市の松坂城をスタンプラリー、午後から滋賀県長浜市の小谷城と彦根市の彦根城を巡る琵琶湖畔の旅。8日は小雨の中を傘をさしながらの近江八幡市の安土城と観音寺城の山城登山となり、杖と傘を両手に厳しいスタンプラリーでした。9日は滋賀県近江八幡市から新横浜まで新名神・新東名424kmを走り、総走行距離約1300km五泊六日の車中泊の旅を無事ゴールした。この旅でマイカーは2年10ヶ月間に総走行距離5万3千キロを記録した。(この遠征後の10月15日よりホンダのミニバンSTEPWGN SPADAに乗り換えた)              

安土城は標高199mの安土山一帯にある織田信長(1534-82)の居城跡。国指定の特別史跡です。天正4年(1576年)から織田信長が約3年の歳月をかけて完成しました。安土・桃山時代の幕開けとして築城されましたが、織田信長が倒れた本能寺の変後、焼失して石垣だけが残っています。安土山の南側には、堀が巡っていて往時の名残りを留めています。天主跡と本丸跡には礎石が、また二の丸跡には、豊臣秀吉が建立した織田信長廟が残っています。天主閣跡から東へ少し下った黒金門跡(くろがねもんあと)付近には、壮大な石垣もあります。また、山の中腹には家臣団屋敷跡があり、山の尾根づたいに北へ行くと八角平や薬師平があります。城山の中心部への通路は、南正面から入る大手道のほかに、東門道、百々橋口道、搦手道などがあります。
 城の外面は各層が朱色・青色・あるいは白色、そして最上層は金色だったといいます。内部は、狩野永徳が描いた墨絵で飾られた部屋や、金碧極彩色で仕上げた部屋などがあり、当時の日本最高の技術と芸術の粋を集大成して造られたといわれています。わが国最初の本格的な天主の建築は、この安土城が始まりとされ、歴史上に名を残す名城跡です。滋賀県観光情報より

二つ月前の10月7日に安土城跡駐車場で野営して8日朝から攻城した記録。
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大手道跡安土町城郭資料館の安土城天主模型1/7と安土城ひな型1/20からも信長の絢爛豪華な型破りの城がうかがえる

 

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大手口石垣址

 

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大手門の石垣

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大手道の両側に階段状に家臣団の屋敷跡のひとつ

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焼失した信長の菩提寺総見寺はこの石垣の上に復元

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幅6m両側に溝がある入口にあった杖を借りて大手道を攻城する

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上から見た大手道

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安土城は急造したので所々に遺跡を使用、大手道の石仏

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豊臣秀吉が建立した二の丸跡の織田信長廟

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仏足石

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黒鉄門跡

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黒鉄門付近

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本丸跡

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本丸跡

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天主閣への石段・石垣

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天主台跡

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安土城だけは天守ではなく天主

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安土城で現存する建造物は総見寺の三重塔と仁王門だけ

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三重塔

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仁王門

 

2019年12月21日 (土)

日本100名城4 弘前城

 野鳥撮影の前はサクラを追いかけていた、日本さくら百選の弘前城は何回も通った有名なサクラの名所であった。日本100名城のなかで江戸時代の天守で現存するのは12天守、弘前城は東北唯一の天守が現存する。
弘前城は、現在の弘前市における弘前公園がそれにあたり、津軽統一を成し遂げた津軽為信(ためのぶ)によって慶長8年(1603年)に計画され、二代目信枚(のぶひら)が慶長15年(1610年)、築城に着手し、翌16年に完成しました。以後、弘前城は津軽氏の居城として、廃藩に到るまでの260年間、津軽藩政の中心地として使用されました。
弘前城は、東西約600m、南北約1000m、面積約50haの中に、三重の濠(ほり)と土塁(どるい)に囲まれた6つの郭(くるわ)から構成されています。 城内には、天守閣、櫓(やぐら)3棟、城門5棟が残され、いずれも重要文化財に指定されています。また、城跡は築城当初の形態が良くのこされており、昭和27年に国の史跡として指定を受けました。(弘前市HPより)

弘前市では、弘前城本丸の膨らんで崩れそうになった石垣修理に伴い、天守を約70m本丸の内側へと曳屋する工事を平成27年に実施しました。

 

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2005年5月6日 下乗橋からの満開の桜と弘前城天守と石垣・内濠

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 撮影日2005年5月4日 満開のソメイヨシノと天守

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2018年8月15日 既に天守は本丸の内側70mに曳屋で移動済でした

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2018年8月15日撮影 工事中の石垣と濠、下乗橋から撮影出来た弘前城天守は本丸方向へ70m曳屋で移動した弘前城天守は屋根の一部しか見えません

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曳屋70mで移動した天守

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工事中の本丸石垣修理作業と天守の見学台、この日は雨天で人影少なし

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見学台には4月22日~5月5日弘前さくらまつりのポスター展

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見学台から撮影した弘前城天守、5年後の石垣修理後に元の位置に曳屋で戻る予定(2021年)

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2018年8月15日 雨の中の石垣修理現場

これから後は2005年5月4~6日撮影の桜まつり弘前城の思い出

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2005年5月4日撮影 下乗橋からの弘前城

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内濠に写る弘前城、奥は下乗橋、この頃から本丸の石垣は膨らんでいるように思える

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本丸内濠のオシドリ

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外濠一面の花筏

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東門外濠

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東外濠

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西外濠

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辰巳櫓、この他に同じような形の丑寅櫓と未申櫓と三つの隅櫓

225

夜間撮影の花筏

261

下乗橋と夜の弘前城

2290

夜間撮影の弘前公園 撮影日2005年5月6日

 

 

 

 

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