カテゴリー「日本100名城」の54件の記事

2020年11月20日 (金)

日本100名城8仙台城

 奥州の覇者伊達政宗が築いた高石垣の城、本丸跡に伊達政宗の騎馬像のある仙台城が日本100名城シリーズのブログにUPされていないことに気付きました。ブログには、二年前の東北盆休み家族旅行の記録の中で、2018年8月26日の「世界遺産・中尊寺・金色堂」で仙台城フォト探訪記で触れていますが肝心のスタンプの場面がありませんので、当時の写真を併用して新たに日本100名城8 仙台城を記録に残すことにしました。

Img006-3_20201118160901

登城日 平成30年8月17日

Img007-3_20201118161001

Img007-4_20201118161101

日本100名城8仙台城より

Dscn92661

 青葉山公園仙台城跡の案内板

Dscn92630

逆光の中に奥州の覇者、伊達政宗の騎馬像は人気があります

Dscn92641_20201118172901

東北大地震で昭忠碑の上にあった鵄(とび)像が落下して破損、修復後は安全と像の保存を配慮して石塔の前に台座を設けて2016年より修復展示している

Dscn92711

修復された本丸跡北面出隅部分の高石垣(横矢の部分)

Img008-4_20201118161601

野面積み石垣(下)と切込接の石垣(上)のモデル

Dscn92731

修復された本丸跡北面出隅部分の高石垣

Img007-5

復元された大手門脇櫓

これで2018年5月北海道から始めた日本100名城スタンプ・ラリーは、最も近場の江戸城以外の北海道から近畿までの62城をスタンプ完了しました。中国・四国・九州・沖縄などの遠方の残り38城となりましたが、このうち焼失前の首里城と石垣だけが残る100名城の沖縄の城(グスク)と崩落事故前の熊本城、二年前の温泉旅行で巡った四国の高松・丸亀・松山城など十数ヵ所の100名城は既に登城済ですがスタンプだけがありませんの再探訪が必須です。
戦国時代をめぐる生涯学習は現状のコロナ禍では卒業はいつ頃になるのか、過去3年間の野鳥撮影や家族旅行・温泉旅行などのついでのペースからでは予測がつきませんが、最近は日本100名城巡りを本気で目指すことに熱が入りました。しかしながら終活人生と云えども、武漢ウイルスと呼ばなくなった正式名称のCOVID-19(コービット・ナインティーン)の第三派の襲来と思われる現状では暫く様子を見ることになります。残りの38城の遠征は自重せざるをえません。旅行中にマスク着用の会食では、マスクを外しながらビールは飲めても、食事はギコチナク、楽しからずと思います。😢

 

 

 

2020年11月18日 (水)

日本100名城22八王子城

 日本100名城22八王子城の見どころは、北条氏康の三男氏照によって築城された山城である。小田原北条の支城では最大規模の城で、築城技術の到達点を示す城と評されている。城は本丸を中心とした要害地区と山麓の居館地区、さらに外郭の防御施設で構成されている。山中には堀切、石垣などが残り、御主殿跡などの復元整備が進んでいる。ハイキングコースに従い城跡をたどれば、小田原北条氏の築城術と規模を体感できる。(日本100名城に行こうP25八王子城より)

長野県伊那市の高遠城、山梨県甲府市の武田氏館跡と甲府城の後は、野鳥撮影で通った中央道笹子トンネル前の道の駅で車中泊、翌日は東京都八王子市の山城・八王子城管理跡管理棟前のガイダンス施設でスタンプ後に探訪開始となった。
小田原北条氏に関する日本100名城は小田原城・山中城と八王子城で三城目である、桜の時季に地元の小田原城の支城である小机城跡まつりの出陣式と孫の武者行列などをブログにしてきたので北条氏の城に関してはついてこれまでも身近な存在であったようです。

Img004-5_20201117172701

登城日 令和元年7月20日

Img005-5

Img005-6

_dsc49261_20201118091101

八王子城縄張りのイメージ図

_dsc49291

御主殿ガイドコースに従い本丸跡まで城を攻める気分で探訪

_dsc49310

大手門跡の史跡 八王子城跡の石碑

_dsc49321

大手の門跡の説明板

_dsc49360

堀切の役目と同じような城山川の両岸に架けられ曳橋の復元

_dsc49390

当時の曳橋は敵が攻めてくると壊して侵入を防ぐ簡単な木橋であった、現状はハイキングコースの立派な橋

_dsc49381

曳橋の構造と役目の説明板

_dsc49440

築城当時の石垣

_dsc49431

築城当時の石垣の説明板

_dsc49470

御主殿虎口

_dsc49461

_dsc49510

御主殿跡の石段と復元した冠木門_dsc49541_20201118101101

御主殿跡の説明板

_dsc49740

御主殿跡

_dsc49590

会所跡の床の復元

_dsc49620

会所跡の庭

_dsc49581

会所の説明板

_dsc49830

御主殿跡の次はいよいよ本丸方面へ攻城開始

_dsc49860

本丸へは平たんな山道では無かった、キツイ凸凹の上り坂あり

_dsc49870

本丸を守る金子曲輪、金子三郎左衛門が守っていた金子丸跡

_dsc49901

柵門跡

_dsc49960

高丸跡

_dsc50071_20201118103901

八王子城本丸跡の石碑と横地社

_dsc50100

城主氏照は小田原城に詰めていたので、完成前の八王子城本丸は横地監物吉信が守っていましたが激しい攻防の末一日で落城したといわれる

_dsc50010

本丸跡の八王子神社、北条氏照は築城の際に八王子権現を城の守護神にしたのが「八王子」の地名の起源とされている

_dsc50081

本丸跡・八王子神社・横地社の説明板

山城の攻城は行きは攻め手の気持ち、帰りは守り手の気持ちで想像力を働かせて、縄張りを下りてくる。これが山城探訪の醍醐味と言えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年11月17日 (火)

日本100名城25甲府城

 日本100名城25甲府城は一条小山の地に天下統一をとげた豊臣秀吉が羽柴秀勝や加藤光泰を送り込み築城を開始。その後浅井長政・幸長父子が拡張して一応の完成をみたようである。関ヶ原合戦、徳川家康は一門のための城とし、後年、柳沢吉保が城主となってさらに城と城下町の整備を行っている。近年発掘調査をもとに復元整備が進んでいる。(日本100名城に行こう)より

駐車場から鍛冶曲輪門から入城して探訪したが、オベリスク(謝恩塔)が異様に目に入るが、天守閣などの建物の遺構が無い、本丸天守台などの野面積みの高石垣が目立つ石垣の甲府城跡でありました。

Img002-8_20201117075501

登城日 令和元年7月19日

Img003-7_20201117075601

Img003-8_20201117075601

公式ガイドブック 日本100名城より

_dsc48420

鍛冶曲輪門からの堀と石垣と土塀(奥に見えるのは遊亀橋)

_dsc48461

復元した鍛冶曲輪門

_dsc48470

復元した鍛冶曲輪門の説明

_dsc48542

舞鶴城公園案内図 公園管理事務所に行きスタンプ

_dsc48580

_dsc48571

数寄屋櫓跡(別称:巽櫓)の説明板

_dsc48621

_dsc48630

鍛冶曲輪からの天守台

_dsc48671

復元・再建 稲荷櫓は鬼門の北東にあるので艮櫓(うしとらやぐら)とも呼ばれた

_dsc48710

復元・再建された稲荷櫓

_dsc48720

築城者・主要城主の家紋と石垣

_dsc48691

天守台

_dsc48730

天守台の角の石垣

_dsc48741-2

 

_dsc48750

天守台の石垣

_dsc48830

本丸跡からの謝恩碑(オベリスク)手前は鉄門

_dsc48761

オベリスクと鉄門(くろがねもん)

_dsc48851

謝恩碑(オベリスク)の説明板

_dsc48840_20201117094401

復元・再建された鉄門(くろがねもん)

 

天守曲輪から入城した鍛冶曲輪門に戻り、石垣が見事に残る甲府城の探訪を終える。一年前の出来事であるが翌日は東京都の八王子城を探訪する。

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年11月16日 (月)

日本100名城24武田氏館

 日本100名城24武田氏館は戦国大名の雄武田氏三代の館、昨年7月高遠城を探訪した帰路に山梨県甲府市の武田氏館跡に祀られた武田神社を参拝した。武田氏館は、源氏の嫡流である武田信虎が永正16年(1519)、石和から館を移したことに始まる。その後、信玄、勝頼と武田氏三代にわたり62年続いた館であった。扇状地の頂部の三方を山に囲まれた要害の地に築かれ、四方の堀と土塁を巡らせてある。一辺200mの正方形の主郭(現武田神社)を中心にいくつかの付属の曲輪によって構成されている。

Img004-5

登城日令和元年7月19日

Img001-3_20201116113801

Img001-4_20201116113901

日本100名城24武田氏館より

_dsc4891

武田氏館跡(現・武田神社)

_dsc4892

赤い橋の上から左右の水堀を撮る(左側)

_dsc4893

橋の欄干と右側の水堀(一辺200mの正方形の水堀)

_dsc4895

正方形の水堀に囲まれている

_dsc4896_20201116115201

史跡 武田氏館跡の石碑

_dsc4894

武田神社の石垣・石段・鳥居

_dsc49200

石垣

_dsc48972

武田氏館跡(躑躅ヶ崎館跡)

_dsc49072

武田神社

_dsc49081

風林火山の大杯

_dsc49091

武田二十四将の大杯

_dsc49100

甲陽武能殿

_dsc49162_20201116120301

躑躅ヶ崎館跡配置図

_dsc49110

武田水琴窟

_dsc49130

姫の井戸

_dsc49121

_dsc49170

土塁

_dsc49180

広い水堀

次は秀吉が築き家康が重視した石の城、甲府城を登城する。

 

 

 

 

 

2020年11月15日 (日)

日本100名城30高遠城

 昨年七月信州の日本100名城の上田城・松代城・小諸城・松本城を巡り五城目の高遠城のブログをUPしていないことに気付きましたので、登城から一年以上経過していますが日本100名城30高遠城を掲載することにします。高遠城の築城者に名を連ねる武田信玄は、天文14年(1545)三峰川と藤沢川の段丘上にある高遠城を攻略し、その後大規模の改修を行った。三峰川の断崖を背に本丸と、それを囲むように二の丸、三の丸が配された「後堅固」の構えの縄張りであったが、武田勝頼の実弟仁科盛信が城主のとき、織田信長軍に攻められて一日で落城した。本丸をはじめ、各曲輪はすべて空堀で区切られていた。野鳥撮影を始める前に全国の桜を追いかけていた時代に、その名残の空堀から桜の名所となっタカトウコヒガンザクラの撮影の思い出がある高遠城址である。

 

Img001-3_20201115093201

登城日令和元年7月18日

Img002-8_20201115093301

Img002-10_20201115093301

公式ガイドブック日本100名城30高遠城より

_dsc48031_20201115103001

_dsc48010

高遠城大手門

_dsc48001-2

伝、高遠城大手門

_dsc4823

広大な空堀の一部

_dsc47991

勘助曲輪

_dsc48090

天下第一櫻の碑

_dsc48081_20201115103601

二ノ丸跡

_dsc48100

桜雲橋

_dsc48110

桜雲橋 下は空堀

_dsc48130

桜雲橋」と問屋門

_dsc48121

_dsc4817

問屋門内の石垣

_dsc48141

織田信長軍の攻撃に落城した信玄の五男仁科五郎盛信の戦い

_dsc4819

本丸跡

_dsc48240_20201115110001

南曲輪址

_dsc4827_20201115110401

白兎橋

_dsc48261_20201115110301

_dsc48280

法幢院曲輪

春には城内を埋め尽くしたコヒガンザクラの桜の名所となった高遠城址でした。

 

 

 

 

 

2020年11月13日 (金)

日本100名城20佐倉城

 鹿島台地西端の川や急崖に囲まれた要害の地に、地元豪族の千葉氏が中世の城郭を築いたといわれる。慶長15年(1610)に土井利勝が入封して大修築し、石垣を用いずすべて土塁で曲輪、掘割などを築城した。以後、江戸の背後を固める城として代々譜代大名の居城となった。(日本100名城ガイドブックより)
千葉県佐倉市城内町官有無番地の佐倉城址公園では国立歴史民族博物館の方が大きな建物と目立つ場所に建築されていた。この場所は佐倉城の椎木曲輪(侍屋敷)跡であであった。歴博(国立歴史民俗博物館の略称)の駐車場は満杯であったが散歩を終えた地元の車が出た直後に駐車して、歴博正面の石段を上り正面扉から入館して受付のスタッフにスタンプの置いてある佐倉城址公園管理センターの場所を尋ねてから佐倉城跡の探訪をはじめた。

 

Img003-3_20201112112901

Img010-3_20201112113001

Img010-4

_dsc71401

佐倉城跡公園管理センタープレハブ小屋の内部、スタンプ押印台と佐倉城天守閣の模型と明治時代に撮影された元藩士による櫓や門などの写真が展示されていた。これらについて専任スタッフの親切な説明を聞いてから佐倉城跡の探訪を始める。

_dsc70933

現在地は公園センターの駐車場の一番奥の角

_dsc70941

_dsc70960_20201113084001

空堀と土塁

_dsc72210

日米修好通商条約の調印に奔走した二人、タウンゼント・ハリスと佐倉藩主・老中首座・堀田正睦(まさよし)の像

_dsc72220

日米修好通商条約150周年記念に完成、平成20年6月14日

_dsc7174

子規の句碑

_dsc7173

正岡子規の佐倉城跡の俳句

_dsc71120

一の門跡

_dsc71130

土塁の説明板

_dsc71940

天守台址

_dsc71190

佐倉城天守台跡(上の画面で左端に見える)

_dsc71160

_dsc71151

佐倉城の夫婦モッコク

_dsc71210_20201113133501

銅櫓跡

_dsc71220_20201113134001

銅櫓跡の銅櫓の写真

_dsc71680

佐倉城の礎石

_dsc72160

二の丸門跡の写真

_dsc7189_20201113135401

出丸址への下り坂

_dsc71820

出丸跡と水堀

_dsc71660_20201113135701

角馬出の空堀(右側が馬出部)

_dsc71621

馬出空堀

佐倉城は巨大な角馬出を持つ土の城であった。最近は佐倉城跡よりも歴博(国立歴史民俗博物館)を探訪する人がはるかに多いようである。現在の企画展は10月6日~12月6日「性差(ジェンダー)の日本史」ー治める・はたらく・性を売るー の人気が高いようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年11月12日 (木)

日本100名城19川越城

 埼玉県川越市郭町の日本100名城19川越城は江戸の背後を守る拠点城郭。幕閣重臣が城主となって江戸背後の拠点を護る。築城者は長禄元年(1457)太田道真と道灌の時代。現存する川越城本丸御殿は小江戸といわれる川越市郭町(くるわまち)にあります。川越城本丸御殿専用の駐車場に停めて本丸御殿に登城する。

Img003-2_20201111125101

登城日11月6日

Img003-7

Img003-8

公式ガイドブック日本100名城19川越城より

Img011-4

Img013-3_20201111125401

Img014-3_20201111125501

Img003-4_20201111130501

以上の資料は川越市立博物館のパンフより転載

_dsc7043

川越城本丸御殿玄関前の学生の一団

_dsc70441

川越城の縄張りを示す石碑

_dsc69851

本丸御殿館内案内図

_dsc70230

大広間36畳

_dsc70300

大広間

_dsc70310

大広間の床の間

_dsc6989

座敷部分を取り巻く廊下

_dsc69931

展示されていた徳川家紋の屋根瓦

_dsc7001

家老詰所

_dsc70070

家老詰所十畳の間の展示 この後は本丸御殿から博物館へ移動

_dsc70641

博物館内の展示 北条氏と川越城

_dsc70681_20201111180601

築城者の太田道灌と川越城

_dsc70701_20201111180601

博物館⇒美術館(戦国時代の展示物なし)⇒中ノ門堀跡へ

_dsc70870

川越城中ノ門掘址

_dsc70821

中ノ門堀 内側(東)の勾配60度幅18m深さ7m西側勾配30度

_dsc70811

中ノ門堀のしくみ、侵入した敵の行く手を阻む堀の構造

_dsc70900

郭町の本丸御殿⇒市立博物館⇒市立美術館⇒川越城中ノ門堀跡を巡り本丸御殿の駐車場に戻り川越城の登城を終え、次の佐倉城へ進撃開始。

 

2020年11月11日 (水)

日本100名城18鉢形城

 埼玉県大里郡寄居町鉢形の日本100名城18鉢形城、荒川と深沢川に挟まれた河岸段丘上に位置する自然の要害。築城者は文明8年(1476)長尾景春、永禄年間(1558~1570)北条氏邦。主要城主は長尾氏、上杉氏、小田原北条氏。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めに際し鉢形城も豊臣方の大群に囲まれ、氏邦は城兵の助命を条件に城を明け渡し、戦いの後間もなく廃城となった。荒川の崖の上につくられた中世の名城「鉢形城」復元された城跡を訪れて激しい戦いのあった時代を想像する。

Img002-4_20201110112201

攻城日11月6日

Img008-3_20201110112401

Img008-5

公式ガイドブック日本100名城P61鉢形城より転載

Img006-3_20201111073101

寄居町観光ガイドマップより

_dsc69161

鉢形城の由来の説明板

Img002-12

荒川と深沢川に挟まれた平山城、歴史館の鉢形城復元模型

_dsc69201_20201111085001

虎口

_dsc69211

復元された四脚門

_dsc69250

石積み土塁

_dsc69260

庭園と石積土塁、復元された四阿(あずまや)

_dsc69271_20201111073001

整備された庭園址と石積土塁

_dsc6930

四脚門の内部、馬出

_dsc69311

馬出跡

_dsc6932

_dsc6933

井戸の内部

_dsc6934

_dsc6936

空堀

_dsc6942

林の奥に荒川

_dsc6946

二の曲輪

_dsc6954

鉢形城のシンボルツリー、エドヒガン(氏邦桜)

_dsc6968

三の曲輪と復元四脚門

_dsc6976

城郭南端の大光寺曲輪の脇にJR八高線

_dsc69131_20201111091101

見学の仕上げは鉢形城歴史館の見学

Img002-8_20201111091301

この日の企画展は「戦国を彩る武具」激しい戦いを彷彿させる戦国武将の軍配・兜や甲冑などの武具が展示されていた。

 

 

 

 

2020年11月10日 (火)

日本100名城17金山城

 群馬県太田市金山町の金山は標高約239mで関東平野北部の太田市中心部に位置する。城は新田氏の一族である岩松家純により、文明元年(1469)に築城された。後に岩松氏の重臣・由良氏が権力を握ると北条氏に仕えるようになり、城は上杉氏や武田氏の攻撃を幾度も撃退する程の堅城となるも、秀吉の小田原攻めでの北条氏滅亡によって廃城となった。(宝島社・城の攻め方・つくり方より)

金山城は石敷きの通路や石垣、大きな池などが数多くある石造りの遺構がある城址であった。

 

Img002-3_20201109091501

攻城日11月5日

Img007-2_20201109092001

公式ガイドブック日本100名城17金山城より

_dsc69041-2

_dsc69041

難攻不落と言われた金山城の攻城開始です

_dsc68160

史跡 金山城跡の攻城はここからです

_dsc6894

西櫓台址

_dsc6897

西矢倉台址の通路

_dsc6819_20201110073101

石畳の通路

_dsc68181

物見台案内板

_dsc68210

石垣

_dsc6887

攻める時は堅固な石垣の出現にたじろいたと思われます

_dsc6889

またも石垣と石敷きの通路

_dsc68810_20201110074401

物見台からの見晴、城下が一望

_dsc68700_20201110074901

馬場曲輪

_dsc68260

月の池 山の中に水の豊富な大きな池に驚き Σ(・□・;)

_dsc68280

大手虎口でNHKの正月3日のGTのTV撮影中でした、出演者は金山城保存会のボランティア活動の人々のようです。

_dsc6854

大手虎口

_dsc6861

大手虎口の石敷きの通路、通路両側の排水路

_dsc68330

日の池/戦勝や雨乞いを祈る為の儀式が行われたと思われる神聖な池

_dsc6856

水が見える井戸もあります。水の豊富な不落城のようです

_dsc68340

大手虎口、武器庫の横、井戸の前で攻めるのは赤い槍隊と右側の城を守る弓矢と鉄砲隊の撮影風景、石垣の上は三の丸

_dsc6860

石敷き遺構展示、石敷きされた当時のままの建物(武器庫兼兵の詰め所)

_dsc68390

スタンプの置いてある休憩所の横に金山城の石碑

_dsc68450

金山城跡から眼下の太田市の眺望

_dsc68441

大手虎口、今度は法螺貝を吹く場面の撮影です、正月3日のNHKのゴールデンタイムを忘れずに!

_dsc68630

ここを最後に下城です

Img011-3_20201110091701

初の山中にある石敷きの通路、多くの石垣、山の中の大きな池など石造りの金山城跡、難攻不落と称された金山城の攻城でした。

 

 

 

 

2020年11月 9日 (月)

日本100名城16箕輪城

 群馬県高崎市箕郷町の日本100名城16箕輪城は山上に多数の曲輪が展開した、深く幅の広い大堀切が城郭の東西を横切り南北に二分する巨大な平山城跡である。築城年代は15世紀後半~16世紀前半頃、永禄10年(1567()、天正15年(1587)、天正18年(1590)。築城者は長野業尚、武田信玄、北条氏邦、井伊直政。主要城主は 長野氏、武田氏、織田氏、小田原北条氏、徳川氏。(公式ガイドブック日本100名城P59箕輪城より)
山中に大きな溝の大堀切や土を盛り上げた土塁や石垣などの遺構が残る箕輪城跡を一万歩も歩き、痛めていた左ひざの痛みが増し足を引きずりながらの攻城でした。

 

Img002-2_20201108140401

攻城日11月5日

Img005-3_20201108140501

Img003-6

Img005-4

Img004-4_20201108142701

_dsc6595

長野氏時代はここが大手口だった。搦手口より箕輪城を攻城開始

_dsc6601

二の丸

_dsc6603

本丸馬出

_dsc6606

箕輪城跡

_dsc6608

本丸(四方を空堀に囲まれていた厳重な曲輪であった)

_dsc6614

大堀切(幅30m現況でも深さ9m)

_dsc6617

郭馬出(かくうまだし)東西52m、南北27mの広い馬出

_dsc6622

復元 郭馬出西虎口門(かくうまだしにしこぐちもん)

_dsc6623

_dsc6641

三の丸

_dsc6645

三の丸門跡と石垣

_dsc6660

鍛冶曲輪の石垣

_dsc6663_20201108191601

虎韜門(ことうもん)の石垣

_dsc6665

東の搦手口から攻城して西の大手門にあたる虎韜門口に出て来た

_dsc6666

古い箕輪城大手虎韜門口(おおてことうもんくち)の表示板

_dsc6674

帰路は東西に横切る大堀切の中を登って郭馬出西虎口門へ戻る

_dsc6672

大堀切の石垣は雑草に覆われて石垣が見えない

_dsc66751

正面に大堀切の土橋と掘り出された石垣が見える、シャッターの故障か?(撮影中に時々起こるピンボケの現象です、本人と共にカメラもボケる)

_dsc6678

大堀切の底を登りきると、そこは再び郭馬出西虎口門に戻る

ここから郭馬出(かくうまだし)→本丸→本丸馬出→二の丸→搦手口の駐車場に戻り9時~11時まで2時間の探索をした箕輪城跡を後にして群馬県太田市の金山城跡に向かった。

 

 

 

 

 

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

アオアシシギ アオゲラ アオサギ アオシギ アオハライソヒヨドリ アオバズク アオバト アカアシカツオドリ アカオネッタイチョウ アカガシラサギ アカゲラ アカショウビン アカハラ アカヒゲ アトリ アナドリ アマサギ アメリカウズラシギ アメリカコガモ アメリカヒドリ アリスイ イカル イソヒヨドリ イヌワシ イワツバメ ウグイス ウスハイイロチュウヒ ウソ ウトウ ウミスズメ ウミネコ エゾビタキ エゾフクロウ エゾライチョウ エナガ エリマキシギ オオアカゲラ オオクイナ オオコノハズク オオジュリン オオソリハシシギ オオタカ オオハクチョウ オオハム オオヒシクイ オオマシコ オオメダイチドリ オオヨシキリ オオルリ オオワシ オガワコマドリ オグロシギ オサハシブトガラス オシドリ オジロビタキ オジロワシ オナガミズナギドリ オバシギ カケス カササギ カシラダカ カツオドリ カラスバト カラフトワシ カワガラス カワセミ カワラヒワ カンムリワシ キクイタダキ キセキレイ キビタキ キマユツメナガセキレイ キョウジョシギ キリアイ キレンジャク キンバト ギンザンマシコ クイナ クビワキンクロ クマゲラ クマタカ クロガモ クロサギ クロツグミ クロツラヘラサギ クロトウゾクカモメ ケイマフリ ケリ コアオアシシギ コアカゲラ コイカル コウライアイサ コオリガモ コガラ コゲラ コサメビタキ コチョウゲンボウ コハクチョウ コブハクチョウ コマドリ コミミズク コムクドリ コヨシキリ コルリ ゴイサギ ゴジュウカラ サシバ サンコウチョウ シジュウカラ シノリガモ シベリアオオハシシギ シマアオジ シマアジ シマゴマ シマノジコ シマフクロウ シロガシラ シロハラ シロハラクイナ シロハラホオジロ ジョウビタキ ズアカアオバト ズグロカモメ ズグロミゾゴイ セイタカシギ センダイムシクイ ソウシチョウ タカブシギ タシギ タマシギ タンチョウ ダイシャクシギ チゴハヤブサ チョウゲンボウ ツクシガモ ツツドリ ツバメ ツバメチドリ ツミ ツメナガセキレイ ツルシギ ツンドラハヤブサ トウネン トラツグミ トラフズク ナベツル ノグチゲラ ノゴマ ノスリ ノハラツグミ ノビタキ ハイイロチュウヒ ハイタカ ハギマシコ ハクガン ハシナガウグイス ハチクマ ハチジョウツグミ ハヤブサ バン ヒクイナ ヒドリガモ ヒバリシギ ヒメハマシギ ヒレンジャク ビンズイ フクロウ ベニバト ベニマシコ ホウロクシギ ホオジロ ホオジロカンムリツル ホシガラス マガモ♀ マガン マナヅル マヒワ マミジロ マミチャジナイ ミサゴ ミソサザイ ミゾゴイ ミフウズラ ミヤコドリ ミヤマホオジロ ミユビシギ ムギマキ ムクドリ ムジセッカ ムナグロ ムラサキサギ メグロ メジロ メボソムシクイ モズ ヤツガシラ ヤマガラ ヤマゲラ ヤマシギ ヤマセミ ヤンバルクイナ ヨーロッパトウネン リキュウキュウコノハズク リキュウサンショウクイ リュウキュウアカショウビン リュウキュウサンコウチョウ リュウキュウヨシゴイ ルリカケス ルリビタキ 旅と観光 日本100名城 温泉 観光 趣味 趣味の鉄道 野鳥 鉄道

2021年1月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
顔文字教室
無料ブログはココログ
フォト