放鷹術の実演者
初夢は「一富士 二鷹 三なすび」が縁起が良いとされていますが、元旦と二日に晴天の富士山を拝み三日には浜離宮恩賜庭園で諏訪流放鷹術の実演を見て夢ではなく現を見る縁起が良い正月三が日であった。三日のブログは消化不良に終わってしまいましたので整理して再載します。まず当日会場で配布されていたパンフレットによると、放鷹術とは飼いならした鷹を放って野生の鳥獣を捕まえる猟法を鷹狩り、あるいは放鷹術といいます。鷹狩りは約四千年ほど前、中央アジアで始まり中国、朝鮮半島を経て四世紀頃に日本に伝えられた。勇壮なこの野外スポーツは貴人たちに好まれ、熱心な愛好家として、仁徳、一条などの諸天皇や、大伴家持、徳川家康などをあげることができます。そうした貴人達のために鷹を調教する専門職が鷹匠です。江戸幕府や明治政府は多くの鷹匠を抱えていましたが、戦後は諸般の事情により、政府による放鷹術は行われなくなり、民間の有志に受け継がれることになります。鷹狩りの技術は、単に伝統文化のひとつというだけではなく、希少な猛禽類の飼育下での繁殖や、怪我や病気で人に保護された猛禽類の野生復帰訓練(リハビリテーション)などの自然保護にも有効であり、その意味でも未来に伝えていくべき価値を持っています。実演を通して、自然と人、鷹と人との望ましいあり方を感じて頂ければ・・・と願っています。※「諏訪流放鷹術とは・・・?」江戸時代、将軍家お抱えの鷹匠の集団が二つあり、「吉田流」「諏訪流」と名乗っていました。「諏訪流」の語源は、信州諏訪大社で行われていた鷹が捕えた鳥を神前にお供えする神事に由来します。それでは三日の実演者の写真です。(当日の司会をされた森谷鷹匠の奥様が実演者の方々を一人ひとり紹介された)
諏訪流第十七代宗家/鷹師、田籠善次郎氏
大橋鷹匠(埼玉在住)
女性の大塚鷹匠(千葉在住)、本日のメインイベントである電通本社ビル屋上(地上高210m)から腕に据えしているハヤブサを地上で振り鳩をする田籠鷹師に向けて放つが・・・続きは明日
鈴木鷹匠補(神奈川在住)
本人に聞いたところ経験は6年、会場では今年鷹匠への昇格試験を受けると発表されていました。
神手明(門下生)の親子
神手明(門下生)
櫛田手明(門下生)東京在住
後藤手明(門下生)埼玉在住
本日は実演者の紹介に留めて、この続きは明日にします。(この他にもう一人手明の方がおりました)
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