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舳倉島の竜神池岩場でヌカカに喰われながら撮影したイワミセキレイです、17日に岩陰に座りイワミセキレイを午前中の半日待った撮影であったがズボンの裾や長袖の袖口から入った黒ゴマの粒のような小さいヌカカ(糠蚊)に刺された、虫除けスプレーで露出した部分の手などにスプレーしていたが、大袈裟に言うとサッカーボール大のヌカカの黒い塊が無数に飛んでいる中での撮影では被害が甚大であった。刺された直後は蚊と異なり刺された感触も痒みも無かったが靴下を履いていない部分から膝下にかけて両足の十数ヶ所に刺された痕が真っ赤に腫れてその晩は痒くて一晩中眠れなかった、翌日は市立輪島病院・舳倉島診療所に駆け込んだ、日曜日の15日にコウライウグイスの撮影場所でカメラを持っているところをお見かけした女医さんである、今年の4月に赴任して9月まで勤務するそうです、6月で新婚一年目を迎える単身赴任中の女医先生である、痒み止めの塗り薬(リンデロン-VG 軟膏)と飲み薬アレグラ錠剤を五日分調剤して戴き痒みから逃れることが出来た、保険証は常に携帯していて良かったが6年間島に通って診療所のお世話になったのは今回が初めてであるが、半年交代で赴任してきた新米先生が引き継いで更新しているブログの「舳倉島診療所日誌」は舳倉島に渡って来た鳥達の最新情報が掲載されているのでこの島に行く前には必ず見るブログとなっている。普段はブログでお世話になっている先生に虫刺されで治療を受けるとは想定外であったが御蔭さまで残りの二日間は虫刺されの痒みから逃れることが出来た。
ヌカカに襲われながらも必死に撮った痒い思い出のあるイワミセキレイ、岩場の上を歩いて餌探ししている、ここにはハクセキレイやキセキレイ、ツメナガセキレイも餌獲りをしていたがこの子は4時間掛かって二回しか近くに来なかった、勿論初見・初撮りである
岩場の上にある水溜まりで鳴いたようだが耳が遠かったが特徴ある胸のTマークの黒帯がハッキリ見えた、胸下部には中央で切れる黒い帯がある
渡り鳥の寄留地である今年の舳倉島は当たり年と言って良いほどの成果があった、初日の港近くの東屋がある広場でキマユホオジロを撮影中にアオジを見つけたが何か違う?アオジにしては灰黒部分が多いので何枚か撮影しておいたが昨日写真を整理中に図鑑を調べたらシベリアアオジであった、これも初見・初撮りであるが残念ながら亜種シベリアアオジである。
何枚か撮っておいたがこの時はカワラヒワの群れの中にいたキマユホオジロをここで4,5人で撮影中であったがどこからもシベリアアオジとの声が上がらなかったのでこの数カットで済ましてしまった、雌もいたかも知れないが普通のアオジとして見落としているかも
背羽に草が被ったままであったが喉から胸まで灰黒である、これがアシベリアアオジ雄の夏羽の特徴である、中国東北部・朝鮮半島・台湾などで越冬して渡りの途中でへぐら島を通過してシベリアに帰る、晴天の翌日にはこの場所では見ることは出来なかった。
この大きさでもノントリであるのでかなり近づいてくれた、お腹の黄色味がアオジよりもかなり薄い亜種シベリアアオジでした。
舳倉島で5月15日の午後5時に撮影出来た珍鳥コウライウグイスです、午前中はヒメイソヒヨ雌雄の撮影に時間を費やしていましたが、午後二時頃から灯台とへぐら愛らんどタワー(5階スペースの上に海水を真水に浄水した簡易水道の高架水槽が設置されている、5階バルコニーから全島が一望出来る、2-4階に観光用展示スペースがある)が見える位置、後ろには狭い島に八つもある神社のひとつで島の北側にある金比羅神社前の草原、松の防風林を取り囲む防風柵の上にド派手な色のコウライウグイスを見たのは午後2時過ぎであった、この時は写真が間に合わなかった、必ずまたここに来ると確信して待つ事3時間後の午後5時に餌とりにやって来た、鳥は待つ事が鉄則、最初はこの場所に顔見知りの人達を含めて5,6人いたが一人去り二人去り、4時頃には一人になってから更に1時間待ってから真っ黄色い鳥がやって来た、ウグイスとは大違いの大きさはムクドリよりも大きいL26cmもある大きく黄色く目立つ派手なウグイスである。独占撮影した写真は全てトリム。
距離約50mくらいあるので600mm+1.4テレコン+D300=1260mm相当の撮影で更に二倍にトリミングしたコウライウグイスの後ろ姿、風切と尾羽が黒い、足の色は鉛色に見える、朽ちかけた柵の上から下の草原に飛び降りて餌の虫を探しては柵の上に戻る動作を繰り返しながら西へ(柵の右)移動して行くので遠くなる(5時02分頃の撮影、この写真が一番目が出たので最初に貼った)
最初に気がついた時は防風柵の手前の枯れた草木にとまる、既成概念では防風柵の上と思っていたので気づくのが一瞬遅かった、撮影時の時間は5時ジャストを記録
遠目には全体が黄色く見えるが西日があたらない部分が黄緑色に見える、ここから柵の上に移動したので遠くなる
赤く枯れた松林の移動、ところどころ朽ちたこの柵の上が好きなようだ、それでも赤い嘴が目立つ、成鳥♂は黒い過眼線が後頭で太くなっている言われるがこれは太いのか細いのか雌雄どちらなのか心細い。
更に遠くに移動、一人で撮影しているので草原の中を重たい器材を担いで鳥を撮りに近づくが蔓性の草に足をとられながら自己責任で前進するが鳥との距離約50mはつまらない、最後は5時04分の記録があるので4分間あったが器材を担ぎ移動しながらの撮影は一瞬の出来事だった。いまでも鮮やかな黄色が眼に残る鮮烈な出会いであった。翌朝の月曜日4時起きで来たが二度と見ることが出来なかった!
舳倉島遠征帰路の途中で雄雌二枚の写真を20日に取り急ぎ貼りましたが、ようやく整理が出来ましたので初見・初撮りの珍鳥の写真を本日掲載致します。横浜から590kmを8時間かけて石川県輪島港に到着した14日は晴天でしたが、へぐら島海域では風速10m/s以上 波高2m以上 視程500m以下の時は運航規則で前日の金曜日に続いての欠航でした。輪島市内観光に切り替えて朝市・白米の千枚田の田植え・800年前の昔源平合戦で敗れ能登に配流になった平家第一の実力者 平大納言時忠、その子時国が近隣の村々を統治してきた暦史がある重要文化財、現在は第二十五当主が豪壮巨大な屋敷と伝統を守っている上時国家と分家した下時国家には「能登安徳天皇社」が祀られている、これらの歴史の観光と曽々木にある観光塩田などを見物して一日過ごして、翌日曜日の朝9時に三日ぶりに定期船が出港した、群馬から来られたHさんはヒメイソヒヨを撮るために日帰りで来られた現役の人も見えて舳倉港に定刻の10時30分に着くと日帰りの皆さんは一斉にヒメイソヒヨのポイントに駆けつけ、宿に荷物を置いて後から行くと後ろの方からの撮影で思うように撮れなかったが二日間の欠航で島流しになっていた鳥撮りの方と日帰りの人が帰る時間(午後3時に出港)になってようやく前の方で撮影が出来ました。
頭と雨覆いの一部に空色がある、風切に白斑がある、野花の青よりも後ろ姿の青い頭の方が綺麗である
到着した15 日までは餌付けされていたが翌日は抜けてので月曜日16日に到着した人はこの珍鳥は見られなかったので一日違いで残念ながら天国と地獄となる。
過去に撮った三光鳥の写真は大嫌いな杉花粉発生源の暗い森でしたが、渡りの途中のサンコウチョウが舳倉島の人家の周囲にいました、眩い程の明るい場所と人家とサンコウチョウの取り合わせ(撮り合わせ)はへぐら島が渡り鳥のオアシスである証でもある。竹薮の中で庭先の花に来る虫を待機しているが突然長い尾をヒラヒラさせながら明るい庭先に飛び出してきます、庭先を一周してまた元の竹薮に入り、なかなか庭先にの木に止らないサンコウチョウでした、竹藪の中の暗い通路から明るい人家の庭先に遠慮しながらの撮影でしたので大砲を何本も並べる訳にはいかず、顔見知りのカメラマンにも内緒で一人で撮りましたが帰り船に乗る前には顔見知り仲間の3人にはこの場所を教えて乗船しました。
竹薮の前に来ました手前の葉が被ります。昔の人は囀りがフィチィフィチィホイホイホイ、チーチョホイホイホイなどと聞こえたのを日月星の三光鳥としたと図鑑にある。
三羽の襟巻鷸です、先日の武州の水田に続いて今度は常州蓮田のエリマキシギ3羽です、一番大きいのが雄L32cm 次に雌25cmと思われますが3羽目は更に小さく見えますので若でしょうか、撮影日は連休明け後の火曜日でしたこの日は4時前に起きてメールをチェックすると成田山の方角よりお世話になっているご夫婦から写真と地図の朗報が入っていました、車の中に二日間置き忘れた携帯にも前日二回、Mさんからも本件に関する受信暦がありましたが私の携帯は皆さんからあてにならないと言われているのが事実のようです、遠征中は国保と携帯(GPS機能)は必携しています(余談ですが与那国では宿で充電中に忘れてAさんからムラサキサギの情報を受け損ない気が付いたのは夕食後、翌日は抜けていました携帯に関する抜けた話です)。 横浜から約130km霞ヶ浦方面に横羽・首都・東関道・51号を走り二時間強で七時前に現地到着、既に3人のカメラマンが撮影中でした、先にこられた二人が帰った後に9羽の白鳥さんご夫婦が見えられました、8時頃に鳥脅しの空砲三発で鳥は全ていなくなり暫くいても戻る気配がなく約1時間の曇り日の撮影を終了です。
ツミは一番小さい鷹ですがツミが営巣する公園ではこの猛禽を恐れずにオナガの群れが近くに営巣します、ツミとオナガの共通の敵は繁殖中に卵や雛を狙うハシブトガラスです、ツミの巣に近づくカラスを追い払うのでオナガはツミの営巣木の周囲に営巣します、この市街地にある公園では朝から犬の散歩もかなりある人通りの多い駅近の公園ですが今年もツミとオナガの共生は続いています。
ツミの営巣木の近くで巣材を折るオナガです
巣材を咥えるオナガ
新緑の森にオナガの群れがあちこちにいます
ツミの営巣木の近くで枯れ枝を探しています
鉄棒体操の尾長選手です、自慢の長い尾でバランスを取って胸をはります
一年振りに常州の梟巣立ち雛です、神社境内にある大木の洞から一週間前に巣立ちした梟を巣立ち三日目の10日に撮りました。雛は気のせいか奥目に見えます、昔から奥目と言われていたが自分では控え目の自覚でしたが気の利いた台詞を言うと口の悪い友達からは引っ込目とも言われてました、その噂の可愛い奥目は隣の民家との境界で境内の薄暗い隅の高木にいました、まだ世間知らずの巣立ち雛は木の根元にいる3人のカメラマンが物珍しく下を向いて目を開けてくれましたが昼間には場所の移動はありません。
ISO1600まで上げてプラス補正、更にソフトで明るさを上げましたが証拠写真の域を出ません。
根元のカメラマンに向ってパーか~~~真上を向いての手持撮影は気力・体力が必要です
世の中にデビューしてまだ三日目親の濃茶色と比べるとはるかに白い雛です
最後は遠い未来を見つめる奥目を見てめんこい雛を後にしました、因みに二番子は巣立ち直後でしたが枝葉と葉陰で見えません撮れませんでした。
新緑のリューイーソウ(緑一色)の中で巣作り真っ最中のアオゲラです、ここも散歩の人通りがある森の散歩道ですが人気の多いところの巣作りはカラス対策でしょうか、ケンの父親もケンと一緒にここまで散歩にくれば一日一万歩は達成する結構な健康距離です、ケン公と健康これを称してケン健です、はてどこかで聞いた響きあり。今日から無線の繋がらない処に遠征しています。
新緑の中で彫った木屑が落ちていく巣穴堀真っ最中のアオゲラ♂です、♀には掘らせず健気にも一羽で力仕事です
穴掘り中に人が近づくと木の裏にまわり上に登ります、雌に警戒の鳴き声も出します、舌を出しているので警戒はホントかどうか?
雌が木の反対側上方の裏側に来て雄の働きぶりをチエックに来ました、横を向いた時に頭の赤いベレー帽が見えます
時々周囲を警戒します、かなり仰け反りの振り返り
鳥友から戴いた情報では埼玉県在住の友達(今年一月の新年会では熊本に帰省中でした)と同じ市内の水田に襟巻鷸(エリマキシギ)がムナグロの群れの中に一羽いるとの情報を先月末に戴きました、現地に行くと広い河川敷の中にはムナグロの群れは数組いましたが親切な鳥友との携帯のやりとりで3組目のムナグロの群れの中にいるのが見つかりました、周囲の水田では田植えが始まっていましたがまだ田植え機がまだ入らない田んぼにいました。
何かに驚くとムナグロと一緒に飛び立ちます、ムナグロの群れの中を飛ぶとひとまわり大きい、ムナグロは雌雄ともL24cm、エリマキシギは雄L32cm雌L25cmと雄が大きいがこの子は雌の大きさ?
東京から約2000km、鹿児島から1000km、沖縄本島から509km、石垣から127km、台湾まで111kmの日本最西端の与那国島である、今日の東京競馬場でGⅠレースNHKマイルカップを開催するJRAとは全く関係の無い与那国馬が今日のメインテーマです。 与那国島という離島に生きてきたために他の種類の馬との混血がなく 東崎(あがりざき)灯台にある与那国馬の説明文では与那国馬の特徴はかなり純度の高い在来馬で、体高115cm体長120cm胸囲は130cm前後で日本の在来馬の中で最も小型である。蹄は硬く蹄鉄を必要としなく、強健で粗食に耐え、体質温順である。このような小型馬でありながら重い荷物を背中に載せて運び、馬車を牽き、畑を耕す鋤を牽き、人を乗せ与那国島にとっては貴重な家畜であった(説明文の一部抜粋)。因みにサラブレッドは体高160-170cm、体重400-500kg 北海道に探鳥に行く際に通過する日高地方にはサラブレッドの牧場が多くあり真夏にはウマクすると休養中の有名馬が見られます。
与那国空港近く馬鼻崎の北牧場ヨナグニウマの子馬が母馬の馬乳を飲んでいた、カメラを持って近づいても温順そのものである。
北牧場のヨナグニウマ二組の親子
東崎(あがりさき)にある東牧場に放牧されている与那国馬が東牧場から道路に出ていましたがいつもの光景です、今は農業の機械化によりその役目が終わりのんびりと自然の中に溶け込んでいる
風力発電設備の下、東牧場のお腹が大きい与那国馬が道路を歩いている後ろから馬の散歩?を邪魔にならないように徐行運転しながら車中からの撮影、ヨナグニウマは車に動じません
道路上の与那国馬は脇に車があっても馬の空?で逃げないが、牛は車が来るとさっさと歩き脇の牧場に入ってしまう、古くから人間と暮した農耕馬であったヨナグニウマに比し牛は近年の牧畜で来たせいか人間慣れがしていない?馬の次にフロントガラス越しに撮った道路上を祖納方面に逃げる牛
東崎牧草地の山羊の親子、親に甘えるデビュー当時を彷彿させる可愛い小山羊ルミ子? 古すぎてサブ~~
白い山羊だけではありません茶斑(ちゃぶち)のヤギの親子それぞれ紐がありますが繋がれていない開放感、道路で山羊乳せがむ斑小山羊
世界最大級の蛾(羽を広げると24cm) ヨナグニサンを展示するアヤミハビル館に飼われているクロヤギ徹子?の子山羊 メェメェと早口で鳴くかどうかはフメェ~
白頭と言っても自分の頭ではありません、ピッキョ・ピッキョ、ヒッキョッキョッなどと聞こえいろいろな鳴き声でかなり大きく甲高く囀る、一ヶ月前の与那国では毎日のように目にした野鳥、雌雄同色のスズメ目/ヒヨドリ科のシロガシラです。
空抜けの木の枝に大きな声で囀りディスプレイもしているシロガシラを見つけました
囀りだけでなく羽を広げてディスプレイも併用している繁殖期に一生懸命なシロガシラを初めて見ました
額から頭頂にかけて白く、白くて短い冠羽、目の下から後頸にかけて太い黒帯がある、耳羽後方に白斑がある
左が先にとまり囀りはじめると後ろに二羽目が来ました、シロガシラは 雌雄同色なのでつがい?二羽並んだ写真も初めてです。
見つめる先は同床異夢?身に覚えがある木がする、否 気の間違いです。
今日は与那国観光編そのⅡです、鳥がいないので快晴が続いた五日間は島の観光に時間を費やすことが出来た、青い空・蒼い海・白い雲・豊かな自然。
フジTVで放映されたテレビドラマDr.コトー診療所ロケ地マップに載っていたオープンセットが現在も有料で公開されていた
Dr.コトー診療所前の比川浜、浜の右手堤防下にある比川小の校庭で愛知のMさんとムネアカタヒバリを撮影した場所、五日間この比川浜では海鳥を見ることはなかった。
アヤミハビル館全景、世界最大の蛾 ヨナグニサン(方言名:アヤミハビル)の生態をビデオで解説しているこの日は一人で鑑賞、展示室では日本最西端の豊かな自然を体感できる、若いスタッフに珍鳥を尋ねると今年は渡りが少ないとの返事が返ってきた。島にいる人も今年は鳥が少ないと実感しているようだ。
西崎(いりざき)灯台とカジキのオブジェ、毎年7月には国際カジキ釣り大会も開かれるカジキ漁で知られる島
時の流れは早く与那国に滞在した日々はそろそろ一ヶ月前になる。石垣発10:10 JTA961便(JAL系列日本トランスオーシャン航空)で飛び立つと直ぐ西表島の上空を通過して暫くすると着陸体勢、石垣から30分後には与那国空港に無事着陸。予約していた旅の館 阿壇の主が迎えに来ていた、客は前夜の石垣ナイトツアーでご一緒であった愛知のMさんと二人である7,8分も走ると祖納(そない)に入り役場やふくやまスーパーを主の説明を聞きながら宿に10分で到着、5泊6日の宿泊とナビの無いレンタカーの手続きを済ませ宿の置いてある観光用の地図、与那国島(Dr.コトー診療所ロケ地マップ)をもらい初日は与那国の経験豊富なMさんのガイドで島の探鳥地を一周したのが与那国の初日であった。 本日は翌日からは一人で探鳥地と観光地を巡った時の与那国の有名な観光地の写真です。
東崎(あがりさき)近くの立神岩(たちがみいわ)観光パンフレットの表紙にもなっている与那国の観光名所
西崎展望台よりフェリー桟橋・久部良漁港・久部良集落方面を臨む
石垣から127km、台湾まで111km、晴れて海上が澄んだ日には台湾の宜蘭市(新竹市とは反対側)あたりの山々が見えるとか・・・それが年に2,3回
西崎(いりざき)から久部良漁港を挟んだ対岸、悲しい歴史を持つ久部良バリ近くにある碑、昼間快晴であっても夕日を撮りに行くといつも海上に黒い雲、珍鳥と同じように夕日が撮れない、夕方近くになると海水の蒸発なのか雲が湧き出て一度も海に沈む夕日が撮れなかった。
個人的には忘れていた10年前の9.11テロのビンラディン、忘れないのが10年前3.31現役ハッピーリタイア、日本国民にはこれから忘れられないのが東北大震災3.11の悲惨な日、GWは渋滞ウィークでもあるのでこの時期は高速道には近づかないことにしている、 5月3日の憲法記念日は「ザよこはまパレード」横浜みなと祭り国際仮装行列が行なわれる日であったが今年は大震災で自粛・中止です、例年ならば孫連れで場所取りか一人の時は脚立を持って写真撮影、あるいは家でのんびり地元TVKの実況中継を見るのが5月3日の文化の日であったが今年は家族で会場近くにある近場の温泉・万葉の湯で過ごすことにしました、天気予報は4月のスギ花粉の黄禍から5月は昨日からの黄砂です、夕方からの雨であまり良い天気予報ではありません。 とうとう珍鳥の成果がゼロとなった五日目です、いつかは目が・・・リベンジを期待してまた来たい珍鳥が来る(はずであった)日本最西端・国境の孤島・与那国島である。
いつも目が出ないシマアカモズ、目が出ないと言えば5泊6日の与那国の滞在であった、目的のスギ花粉からの避難は実現したが初めての島で何か大きな忘れ物をした気がする。
朝から島を一周したが何もいない、二周目の 南牧場沿いの海岸線でイソヒヨドリ♀に遊んでもらった。猛禽がいなくなったのでイソヒヨドリを見る機会が多いのは気のせいか?
黒潮わきたつ日本最西端の島の自然とイソヒヨドリ
新緑の皐月に入り、日本の最西端の与那国を訪れたのは三週間以上も前のことです、当時の記憶は「どこふく風」となり大部分が「忘れな草」となって仕舞い詳しいことは「朧月夜」で呆けの程度は「アホウドリ」のよう、これが与那国の花鳥風月となってシマッタ!
毎朝続く高齢者が恒例の田原川のシベリアセンニュウを探す場所に来る人が半減してきた、時々声が聞こえても姿は一度も見えない、折角ここまで来ても元気に鳴くセッカしか撮れない
直ぐ後ろにある田原川の手前の乾いてひび割れた水田(当時は乾燥注意報が出ていたので水不足)に来た亜種タイワンハクセキレイ
亜種ホオジロハクセキレイもいた、これら三枚は朝飯前の撮影遅くとも8時にはこのシベリアセンニュウの場所で解散する
東崎牧草地のシマアカモズ、朝9時頃ここでは連日現われるサシバを見た後に元気に囀るのを撮る
反対側の西崎(いりざき)に向う南牧場の海岸(絶壁)で黄色い花が咲く岩の上、13頃イソヒヨドリ♀
いつもの飛行場近くの水田の農道でシロハラクイナ 16時12分
いつもの空港北、北牧場入口付近で車の中から近過ぎるコホオアカを撮ったのは17時50分
宿に帰る途中で製糖工場の電線にコムクドリ30羽の群れがいたのは薄暮の18時16分、この日も期待の珍鳥には会えず仕舞いであった。
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