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嘴の先が食い違っているように見えたので拡大してみました、本当にイスカのように食い違っています、虫を摘み易いような細く鋭い嘴の先が食い違っています、ムシクイ類は姿・形が似ているので識別が難しい上に嘴の先端が交差しているとは、交喙の嘴である。物事が食い違って合わないことを「イスカの嘴の食い違い」というそうですが、このムシクイは図鑑とは食い違っています、無視するならば虫喰違い(ムシクイチガイ)で程度で済みますが・・・目細なのか仙台なのか、はたまた蝦夷なのか知りたいものです、またはこれらの奇形なのか、新種なのか興味津々です。撮影地 5月19日舳倉島
上嘴は黒褐色下嘴は肉色、眉斑は黄白色で長い、足の色は肉色で目細かな?
前にもUpしたへぐら島のキマユホオジロですが枯れススキ絡みの羽広げや飛び出し写真がありましたので再掲します。話が変わりますがこのブログのディスク容量は2000MBですが現在は99%になり残り僅かの容量となってきました、記事数は5年間で1660頁を超えていますので1回のブログ容量は平均約1.2MBになります。今月末までのブログをタイマーセットして昨日から北海道に来ました、蝦夷の山野ではネットに繋がらない場合が多いのでまだ未整理のへぐら島・信州・甲斐などで撮影した写真を貼ってあります。7月からは新しい容量のブログに乗り換えて北海道紀行編から新しいスタートを考えています。
大洗港から日曜日PM6:15発苫小牧港21日PM1:30着に乗船、カジュアルルームは定員12名にお客3名でした、二等船室も定員の1/10以下の旅客しかいなく極端に少ない、船内の売店に茨城県の復興支援で茨城名産品陳列コーナーが特設、船上では夕・朝・昼の食事以外は暇な19時間でした、4時に起きて宮古沖で日の出をパチリ、道中は薄曇でしたが苫小牧は小雨でした、午前中の薄曇の船上ではフェリーから鳥撮は誰もいません、苦手な海鳥を360度の視界で病み上がりの上に手持で探すのも大変なので暇を持て余して下手な川柳をひねっていました。
復興に 穴が埋めるか 梅を買う
市立輪島病院から治療費納入請求書と郵便局の振込取扱票が送られてきました、5月17日に舳倉島の竜神池の周囲で珍鳥のイワミセキレイとチフチャフを撮影中にヌカカの群れに襲われて靴下を履いていない部分の両足を刺されて赤く腫上がりその晩は痒くて一晩中寝られなかったので翌日は観察舎の隣にある舳倉島診療所を初めて訪問した、患者が誰もいないガランとした廊下の脇にある診察室で新任の女医さんに真っ赤に腫れた両足を見せると痒み止めの軟膏と五日分の飲み薬を調剤して貰った時の初診料と投薬・処方箋料である、スギ花粉症でもありどうもアレルギー体質の弱点のようだ、17日に近くの郵便局で一割負担の420円を振り込んできた、診療所のお世話になったのは今回初めてであるが島に赴任してきた先生達が6ヶ月交代でリレーでUPする「舳倉島診療所日誌」のブログは時期になるとお世話になる見逃せないブログである、先生いつもありがとうございます。
先週は信州に一週間遠征中であったが10日に帰浜して既に一週間経過、舳倉島で痛めた頸部椎間板障害のリハビリ治療を今週初めから再開したが左腕に走った痺れるような痛さと左肩のだるさを感じなくなったのでリハビリ効果はあるようだ、近所の太田整形外科の薄いピンク色のユニフォームのリハビリスタッフの親切な対応で毎日リハビリの日を楽しく過ごしてきた、頸部ヘルニアの一歩手前の障害の遠因はヒメコウテンシにあった。 昨年ヒメコウテンシを舳倉島で初見ではあったが西海岸の避難通路で警戒心が強く50m以内に近づけない400mmレンズとFX版では写真にならなかった、ブログに載せる初撮りの記録になっていない、今年はこの轍を踏むことのないように600mmとD300に1.4のテレコンを持って島に渡った、この重たい器材を15-19日まで五日間右肩に担いで島に渡って来た鳥を探鳥した、ドコモのらくらくホン万歩計では5/15は13800歩、翌日は15600歩、三日目13600歩、四日目14100歩、3時に離島する最終日は9700歩であった、普段は車から撮影ポイントまで担いでそこであまり移動しない撮影であるのでこんなにも歩かない、毎日リハビリに通っている頸部椎間板障害は常に右肩に器材を載せて首を左に傾ぐ姿勢が原因ではなかろうかと思っている、歳はとりたくないものである、今日はその遠因となった初撮りのヒメコウテンシです、この齢になると時間の流れが早くひと月前の撮影になります。
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4日前の6月13日、相模原市にあるJAXA(宇宙航空研究開発機構)は、昨年6月に地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」が、世界初の小惑星から物質を持って帰還した探査機として、ギネスの世界記録に認定されたと発表された、はやぶさはちょうど1年前の昨年6月13日に、小惑星イトカワから、世界で初めて小惑星から鉱物微粒子を持ち帰った探査機。はやぶさは7年間の挑戦と苦闘を克服して宇宙から無事帰還した、目下リハビリ中のバネ指と頸部椎間板損傷や車の故障などを乗り越えて(チョット大袈裟かな)野鳥撮影7年目で5月に初めて信州の山のハヤブサを撮影した、過去6年間は江の島のハヤブサ、霧多布のハヤブサ、伊豆沼のハヤブサ、新潟日本海のハヤブサに続いて5ヶ所目のハヤブサ撮影である。 はやぶさと言えば今年3月にデビューした東北新幹線最速列車はやぶさよりも、その昔九州出張で乗った寝台特急列車のはやぶさを思い出す、戦闘機ファンには一式戦闘機隼、ライダーには隼と同じ時速300kmを出す輸出専用大型オーバイのスズキGSX1300R Hayabusaなど乗り物にハヤブサの愛称が多いのは鷹の中で一番早く飛ぶ時速300kmの魅力であろうか、日本人にはJAXAの快挙によりはやぶさ人気は当分続くだろう。
崖の前を飛翔、5月にここを訪れた時は今年は3羽の雛を育てていたが今月初めには雛三羽は無事に巣立ったが暗い樹木の中にいるようだったが巣立ち雛の写真は撮れなかった、無事に成鳥してくれることを祈るばかりである。
北海道在住の読者でHNが「赤々ショウビン」さんと言われる愛鳥家が居られますがこの方はまだアカショウビンを見たことがないそうです、大沼公園で道路近くの森に営巣した時は病気で見に行けなかったようです、元気になられてからは北海道でアカショウビンが見られる可能性が高い大沼公園に行かれたが恋焦がれているアカショウビンにまだ会っていないそうです、キョロロロ~~~キョロロロ~~~と雌雄が呼び合う尻下がりに消えゆく、物悲しく聞こえる鳴き声は雨を呼ぶ鳥とか水を乞う鳥とも言われています、今年こそは梅雨のない北海道で赤々ショウビンさんがキョロロロ~~~の囀りを聞いてアカショウビンとの出会いを楽しんで貰いたいと思います。それでは先週撮影した信濃のアカショウビンです。
何回も何回も岩魚を叩いてスッカリ鱗がなくなりました、暗い場所でしたので余所見をした時に飛ばれてしまいましたが愛のプレゼントの岩魚は丸呑み出来なく放棄?したようです。
今日はあの懐かしい一世を風靡したリンゴの唄、敗戦後(一般に終戦と言いますが正しくは戦争に負けたから敗戦です)のリンゴの唄からはじまり、最近は地元が売り込んでいる信州リンゴ三兄弟そして信州山の長元坊三兄弟の写真が締めとなるお話です。
赤いリンゴに 口びるよせて♪
だまってみている 青い空♪
リンゴはなんにも いわないけれど♪
リンゴの気持は よくわかる♪
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ♪
戦後ヒット曲第一号となった並木路子が歌った「リンゴの唄」は昭和20年敗戦後の日本人の心を癒し救った歌です。この時代のリンゴといえば紅玉と国光が二大品種でした、あれから66年も経ち、昭和でいえば昭和86年です、3月11日未曾有の東北大震災後3ヶ月経過しても被災地の苦悩は癒えず原発の終息がまだ見えて来ない、そして今日で三ヶ月となったその翌日に起きた長野県北部地震(栄大地震)の被害状況を先週末に現地を訪れて初めて知った震度6の悲惨な爪跡、生活道路の崩落・陥没・数えきれない亀裂などの本格的な修復工事が6月13日からようやく始まる。
信濃路の小布施ハイウェイオアシス(道の駅オアシスおぶせ)で見た地元農家の直売所のポスターに「秋映 あきばえ」濃い赤が夕焼けを思わせる甘みと酸味のバランスが絶妙「シナノスイート」鮮やかな赤色に色づき強い甘みとジューシーさが魅力「シナノゴールド」黄色に色づき甘みと酸味のバランスとパリッとした食感が特徴、最近の信州りんご三兄弟のキャッチフレーズが目にとまりました。三兄弟といえば信州の山の長元坊です、先週末は巣立ち雛の三羽が巣穴の周囲で親から給餌を待っていました(地元では雛は四羽とも言われていますが当日は三羽しか確認出来ませんでした、本当に四羽でしょうか?)
地元の監視員がこの子が一番子と教えてくれました、一番色が白いように見えます
三番子の場所です、三番子が親から餌をもらったのを見て右側から白ぽぃ左の一番子が飛んできて兄弟二羽並びになりました
親が三番子に与えた餌を兄弟仲良く採食かと思いましたが 一番子と三番子が餌の取り合いの始まりです
手前のお兄ちゃんに餌を奪われて奥にいる三番子がなんとも情けない顔をしています。
暫くするとお腹が空いた一番子と三番子がキィキィキィと鳴いて餌をねだっています
真ん中の親が獲物を持って来て三番子に与えました、この雌親は別の場所で標識を付けられて成鳥になりこの場所でつがいになり崖下に営巣したようです、雄は標識を付けていないそうです。
またお兄ちゃんが餌を奪うようです、ハヤブサの給餌は雌親が捌いた餌を食いちぎってそれぞれの雛に給餌しますがチョウゲンボウは獲物の餌をそのまま与えていきますので兄弟で餌の取り合いが始まります。
平安時代に編纂された古文書、延喜式神名帳に記載されている信濃国の由緒ある神社の社叢(しゃそう:神社の森)は樹齢500年以上と思われる鬱蒼としたケヤキの大木があります、そのケヤキの大木に営巣を始めた稚児隼のつがいが今年も来ていました。
左上が雄L34cm右下が雌L37cm、つがいが並ぶと大きさの違いと胸と脇の色の違いがわかります
雄はこの時期には狩に出かけていることが多くあまり見かけません
雄の帰りを待つ雌です、雌雄はほぼ同じ色をしていますが雌でも立派なヒゲが有り、体下面は雄は白いが雌はややバフ色をしています
延喜式にある格式の高い神社とあって、高い場所で いろいろな演技をしてくれます
巣作り中のアカショウビンの番です、今信州の森林公園はアカショウビンの撮影で過熱しています、土日は遊歩道や木道上をカメラマンが一ヶ所に50~60人占拠して一般観光客の通行を妨げていますので近日中に営巣場所が確定すると撮影規制がかかると思われます。この写真は400+1.4+DX版のノントリです。
先週の土曜日の木道上はカメラマンで大混雑でした、三脚を一脚にしてようやく撮りました、左が♂ 右のお腹の白いぽいのが♀、この場所から左下の木に巣穴掘りをしていました
前におられたカメラマンがここの方が良く撮れますよと言われて、撮らせてもらいました、私の後ろにいた人にも交替したが、その後はその人は私の前に居座りました、流石にむっとする思いが暫く続きました。親切と迷惑が混在する人いろいろ、人生いろいろです。
雌はこの細い枝葉のところが好きなようですが撮影には不向きなところにいます、青葉がグリーンベレーのように見えます
ここは昨年の巣穴の場所です、掘ると言うよりも巣穴の清掃の感じです。
土曜日12時10分、これが最後の写真となりました、夕方5時過ぎまでここで5時間の待ちぼうけでした。翌日曜日は早朝4時過ぎに駐車場を出て一番乗りのつもりが既に10人以上が場所取りを終わっていました、結局11時までいましたがここには二度とペアが来ません。結局二日間で11時間ここでは空振りでした。
高速でも電波の遅い高速道の道の駅小布施で前日3時間以上かかり午後11時過ぎまでかかり作成、本日七時にタイマーセットしてありますが、以後の旅先からの送信は写真の受送信に時間が掛かりますので休む場合がありますブログは歯抜けとなる可能性が大です。
はやぶさといえば昨年はJAXAの小惑星探査機「はやぶさ」です、ミッションは小惑星ITOKAWAのサンプル採取、2003年5月に打ち上げられて故障など幾多の困難を乗り越えて2010年6月13日に帰還カプセルが無事地球に戻り7年間の宇宙飛行を終えて喝采を浴びてから今月で1年になります、イトカワから持ち帰った帰還カプセルの中身、興味津々であった微粒子の鉱物組成分析結果の発表などもあり「JAXA はやぶさ」の人気は継続しています。今年のはやぶさ人気は3月5日に開通した東北新幹線の「はやぶさ MADE IN DREAM」が更に盛り上げました、残念ながら開通直後の3月11日の東日本大震災で運休を余儀なくされましたが4月29日から全線運転再開の運びとなり、大震災の復旧・復興に寄与して被災地の人々を勇気付けています、話題が沸騰した航空機と同じファーストクラスのグランクラスは一般指定席料金にプラス1万円(グリーン席はプラス5000円)の内5000円はJR東日本が被災地に寄付していますので新青森まではやぶさのグランクラスで往復すると1万円を寄付したことになります。豪華列車の旅をして被災地の支援をしよう!
先月の遠征途中に撮影した二週間前の山の隼3兄弟の給餌の様子です、今では白と黒の斑模様となりかなり成長して成鳥に近付いていると思います。
前日は11時頃に給餌した後は日没6時半過ぎても親は給餌に来ません、6時過ぎの給餌を待つ3兄弟
10時半頃は朝の食事が終わりお兄ちゃんが餌の足指を咥えているのを弟達が物ほしそうに見ていました
午後1時12分頃に大きな獲物を捌き始めた雌親、獲物はドバトか伝書バトのようです
羽をむしり捌き始めてから30分後に食欲旺盛な3兄弟が待つ巣穴に向う(これがノントリの大きさ)
食欲旺盛育ち盛りの雛に公平に順番に給餌しますが一番目は大きなお兄ちゃんからです
残り物を雌親が採食して給餌が終了すると見送る雛を後にして飛び去ります、時に14時12分でした、食事を開始してから30分後獲物を捌き始めてから1時間後でした。
昨日は市内の小中学校が休みになった横浜開港記念日、1859年の開港から152年目になる、赤レンガ倉庫周辺では開港記念のイベントが行なわれていた。さて本日6月3日はリンク先では六三松の記念日のようだ、六三松に因んで松とムギマキを選んだ。今時は「ムサマツの鳥撮り日記」はどんな鳥が出てくるのか楽しみである。 先月の遠征ではホンダ・エリシオンが二度も坂道が登れず一度は夕方近くたまたま源泉掛け流しの天然温泉の近くであったので温泉で疲れた心と身体を癒し、逆に熱くなったトランスミッションを冷やして23時まで営業している温泉の駐車場で車中泊であった、翌早朝に冷えた車は残り2kmを力強く上り坂を登った冷えると登坂走行は可能である。先週の水曜日に30年以上付き合っているデイラーに持込みトランスミッションとトルクコンバータの交換修理を行い今週の月曜日に完了したが6日間掛かり部品代と交換費用で36万円の痛い出費となった、5年半で16万㌔を走り高速道や平坦な道では制限速度以上でも快調に走る車が長時間走行中に長い5%や短い10%坂道の登坂走行が出来ないエリシオンである、登坂中にエンジン回転数が突然6000-7000回転に唸りを上げてもスピードメーターは0km、昔のクラッチが滑る感覚で車は進まない、これ以上回転数を上げるとレッドゾーンになるが車は動かない、エンジンの回転を伝道するクラッチに相当するトルクコンバータが滑り、抜けてしまう現象が起きてそこで車は停止せざるを得なくなり坂の途中で路上駐車となるその場でエンジンを切って1時間以上の冷却時間が必要である、一車線の高速道上り坂でこんな現象が起きると大渋滞になる虞がある。今まで過去二回このような現象が起きた、最初は走行距離15万㌔当時の甲斐の国、冬の嵯峨塩鉱泉の上り坂、二度目は3月に法師温泉から奥塩原温泉へ行く途中の日塩もみじラインの上り坂、この現象で翌日の日光いろは坂を回避している、今年も賑わった柳沢峠もこの車では敬遠してきた、撮影地を限定される車となって上り坂を敬遠しながら更に1万キロを走行したがホンダマチックATがこんなにも脆いとは思わなかった、車重2トンを超えるフルタイム4WDではあるがクラッチに相当するトルクコンバータが他社の車では20万30万キロも走ると言うのに、ホンダ独自開発技術のトルコンが他社よりもこんなに弱いとは思わなかった、今日は63941ムサクルシイ車の愚痴記念日となってしまった。
海岸や松林にいることが多いと言われるがここでも松林の中で橙色の腹部が目立つ
口直しならぬ愚痴直し、立派な松を見てきました。
下時国家の間口十三間、奥行八間総面積108坪の茅葺き入母屋作り、一尺五寸の大黒柱と巨大な梁組は豪壮で古い生活様式を偲ばせる奥能登の松材が暦史の証人である。庭といわれる大土間の入口からの撮影。
有名な大納言の間は本家上時国家にある(5月14日の欠航で輪島と奥能登を観光時に撮影)
今朝の横浜は梅雨の走りが終わりとうとう梅雨入りのような雨である、夕べは会社OB十人で賑やかな飲み会でした、いつも野山にいるので久し振りの横浜の夜を満喫しました、その野山から帰浜して10日以上になります、帰路の高速道で運転中に左肩がだるくなり左腕に痛みが走りハンドルが持てない程の痛みを我慢して帰宅した、翌月曜日に両手人指し指のバネ指のリハビリで通院している整形外科で頸のレントゲンを撮ると第五と第六の頚椎の幅が狭く変形していた、頸部椎間板障害でヘルニアの一歩手前です、肩と腕の痛みはこの変形が神経を刺激しているようだ。痛み止め注射とソレトン錠・メチコバール錠・セフタックカプセルの三種の錠剤7日間分の処方箋をもらい近所の薬局で調剤してもらった、その後は毎日首と肩に電子レンジのような温かいマイクロ波を10分間の照射、その後に左肩を中心に6ヶ所に電極を貼っての低周波治療を10分間、2.5mA?にセットして電流が流れ出すとチクチクとする、3~100Hzに変化する周波数のリズムでトントン叩くような感じもする、この間にスーパーライザーで両手人指し指の根元を7分間の光照射してバネ指のリハビリである。鳥撮り6年間に蓄積した疲労が出てきたのか、いつもの口癖で珈竰は好きだが加齢は嫌いだ! 先月の10日間の遠征の無理が祟ったか無理は禁物、無理せんか!・・・無理せっか!・・・いつの間にか無地セッカになる。今日は昨日のチフチャフと同じ草地の潅木で餌とりしていたムジセッカと思われるが自信がない、この小鳥も良く判らないがチフチャフと同じ環境が好きなムジセッカと思ってしまった、チフチャフと同じ位の大きさの小鳥で、チフチャフが二羽かと思ったが嘴の太さと長さ色が異なり足も黒く無く肉色、眉斑が白く後頭まで長く伸びています。これがカラフトムジセッカならば最高ですがメボソムシクイにも似ています。ブログに載せるのを無理せっかと言われそうな・・・地震があっても自信が無い今日は無地雪加?です。もしこれがムジセッカならば怪我の功名です。
2006年6月1日に開始したこのブログもお蔭様で本日で満五周年を迎えることが出来ました、これも偏に支えていただいた鳥友の皆さんと毎日のように後押しを戴いた読者の皆様のお蔭と感謝しております。 昨年の今日は四年間通算でこのブログは1292頁でしたが本日までの五年間で1635頁となりこの一年間で343回の更新となります、逆に22回もブログを休んだことになりブログの更新率は94.0%となりました。リンクしているmusamatsuさんのブログは2年半以上も毎日継続している持続力には同じブロガーとして頭が下がるだけでなく感歎ものです。 さて400種の目標に挑戦して撮影済みの鳥さんは日本野鳥の会から1989年初版発行(日本野鳥の会に入会して鳥撮りを始めた2005年3月に第13刷版を購入)の増補版「フィールドガイド日本の野鳥」巻末にある、さくいん和名に撮影した鳥名を蛍光ペンでマークして員数していたが、最近はこの図鑑に掲載されていない鳥が多くなり、2007年10月に発行された同じ図鑑の増補改訂版に変更するとこのチフチャフが追記されています、今回の初見を含めてこれで380種目になりますが日本名「チフチャフ」はこの小鳥のさえずりの声に由来すると言われる、へぐら島のヌカカの群がる竜神池と無他神社(ここでもヌカカに刺されて泣いたが無いたとは呼ばずムタ神社と読む)周辺の草原の潅木で餌とりに俊敏に動き回り飛び回っていた時はそのような鳴き声は聞こえなかった。スズメ目/ウグイス科/メボソムシクイ属 L11~12cm 初見の印象は嘴は黒く細い、脚が細く黒い、尾が短い、小さくてとにかく動きが早いムシクイの仲間である。
大きくトリムしてみた、黒く細いくちばしと短い白っぽい眉斑、翼帯は目立たない
動きが早いのでSSを上げているとこんな姿もカメラに入る、黒い嘴に黒く細く長い脚である
次の瞬間低い潅木の隙間を飛んだと言うよりも移動した飛翔、翼帯が無いのか見えないのかよく分らない、とにかくカメラで追い駆けるのが忙しい小鳥さんである、頭部と背羽の色の違い・コントラストば無いようだ、流石に鳴き声から名付けられたといわれるこの鳥の漢字名は簡単には分らないが珍しい鳥が撮れたと感嘆! ビックリマーク五つ!!!!!で五周年記念でした。
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