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2011年11月

2011年11月30日 (水)

大鷺は見た!

源頼朝・北条義時・武田信玄などの武将も信仰した由緒ある相模国一ノ宮寒川神社と神奈川県民の水がめとして毎日お世話になっている相模川寒川取水堰のある寒川町の「町の鳥」はダイサギです、源頼朝が落馬して馬が川に落ちたので馬入川と呼ばれる相模川下流・河口の平塚市の鳥はシラサギ(コサギ)です。 今夜10時から人気TV番組で晴海家政婦紹介所の家政婦三田 灯役の松島菜々子主演の「家政婦のミタ」ではなく、昔のTVドラマで大沢家政婦紹介所の家政婦・石崎秋子役の市原悦子主演の「家政婦は見た!」の方からタイトルをオマージュしました。 ダイサギは見た! コサギを狙うオオタカが空振りした時とダイサギの目の前でミサゴがボラを空振りした時を見た!二回も見た!!全部で三回も見た!!!

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ダイサギの中に唯一いた一羽のコサギを襲うオオタカであったがコサギはダイサギに紛れて下流の平塚市方面に逃げたようだ、オオタカには小癪な小鷺であったのだ。

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ダイサギも餌場から飛んだが大きいダイサギにはオオタカもお手上げ、否、羽上げ

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ダイサギは飛びながら見た!オオタカの空振りをするのを!

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対岸の浅瀬でダイサギの目の前でミサゴの飛込み

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あ~空振りみたいとダイサギが顔を見合わせる

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ダイサギが下手くそと言っているように見える朝9時ごろでした

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それから三時間後の12時頃今度もミサゴの空振りにダイサギは見て見ぬふりか

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あんたも下手ね~~~と横目のダイサギであった

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ダイサギに会わせる顔がないとミサゴは白を切る

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ああ~~また空ぶったと天を仰ぐミサゴであった。

鷹が三回も獲物を空振りしたのをダイサギは見た!

ダイサギはホークスの三振を見た!

2011年11月29日 (火)

岩場のお嬢さん

一年は早いですね!との挨拶をする季節です、今月中旬に早めの忘年会を会社OB仲間と仙石原・姥子での今年で第三回目の横浜会の忘年会でした、ここの温泉荘別荘地は一流企業の保養所が自然景観の中に調和するように建ち並ぶ地域である、温泉に浸かり宴会で盛り上がり仲間がカラオケを熱唱した宿はDNP創発の杜・箱根芦ノ湖山荘である、ここは保養所ではあるが温泉旅館と同じような造りで談話室・カラオケルーム・卓球・ボーリングなどの設備が完備、ここは昔株券の印刷をお願いした印刷関係のTOP企業、研修所と宿泊棟が別棟となっている、社員の憩いや癒しの保養所を一般客にも開放している企業である、二階の部屋からは箱根外輪山と新雪の富士山が眺望できる見晴らしもよい、朝の散歩は野鳥の鳴き声と道路から吹き出す温泉の湯煙が白い中をそぞろ歩く、全員年金生活者の60代70代の仲間にはお手頃の費用で宴会&カラオケ&温泉を楽しんだ。当日は雨でゴルフは中止となったが翌朝は晴れ晴れした秋晴れであった、仲間は後述の食改善番付表を忘れて七年長生きすると言われる黒い温泉卵を食べに大涌谷に行ったが当方は昨年二つも食べたので一人で箱根山を下り湯河原の温泉街経由真鶴半島の三つ石海岸で野鳥撮影をした、その時の岩場の芒と冬鳥のお嬢さんです。 最初に忘年会の料理と温泉を参考までに載せます。

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宴席で幹事さんが「食改善の番付表」勧進元は田辺製薬を全員に配付、コレステロールの多い横綱は鶏卵・張出横綱は卵黄、コレステロールの少ない横綱は豆腐・張出横綱は卵白、鶏卵の中身が良い方と悪い方に分かれる、気味が悪いとはこのことか?忘年会はコレステロールの少ない摂りたい食品を主にコレステロールの多い控えたい食品を少なくした特別料理を幹事が注文したので出席メンバーには好評であった。

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真ん中は男湯10人程度入れる大涌谷の湯、右は女湯4-5人程度の乙女の湯、翌朝はこれが入れ替わるシステムになっていた。当日は3組の宴会で賑わい3つのカラオケルームは二次会で満杯であったが平日で年配客が多いのか卓球とボーリング場は閑古鳥。

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遊歩道からススキの中を分け入り近付いて撮りますが

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あまり近付いたのでこの後に飛ばれました

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岩の上で獲物探しの様子、近付くとまた飛ばれてしまう

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今度は苔むした岩の上です、云わば岩場の好きなお嬢さん

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ジョウビタキ♀は蔦類の上にもいました、周辺に居たのはホオジロとイソヒヨドリでしたがホオジロは枝葉の蔭、イソヒヨドリ♂は逆光の中で写真にはならない箱根の忘年会の帰路に寄った海岸の野鳥でした。

昨日は1ヶ月振りに通い付けのクリニックで血圧とコレステロールの薬を貰いに行く、悪玉コレステロールは下がったので一段弱い薬に替えたが肝機能のGOTとGPTが基準値を外れて悪化していると診断された、今年は忘年会に来られなかった同じ齢の企業戦士仲間が肝硬変で戦死したのでもう少しビールを控えてノンアルコールのビールに変えようかと思う今日この頃である。

2011年11月28日 (月)

耳鳰の狩

先週ミサゴの飛込み前の7時頃にいつも上流の取水堰の下にいる渡来して来た冬鳥のミミカイツブリが浅瀬のスズキ釣りの人がいなくなるとミサゴの飛込みを待つカメラマンの前に鮎獲りに橋の下を流れながら下流に来ました、雌雄同色なので♂♀が不明です、成鳥冬羽の頭上の黒い線の下にある赤い目が嘴の基部まで涙を流したように赤くなっているのが目立つミミカイツブリです。来春には海から遡上するように放流された10cm程の稚鮎の群れが手が届くほど岸辺に寄り水中で銀影を見せています、人が居なければウとサギなどが採食に来ると思われる相模川のホトリでミサゴの飛込みを待つ間に撮影したミミカイツブリです。

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川面の色がいろいろな色となっているのは緑の木々や枯れ草などの他に建物や建造物が川面に写り込んでいろいろな色を醸し出している。

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川岸の木々の緑が写し込まれた水面を餌の鮎を追って岸辺に向う、ミミカイツブリが動いた水面は水色に変わる瞬間でもある。

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こちらを向いて赤い涙目が光る一瞬でした

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赤目の横目です、潜水するとどこに出てくるのか分らなくなる潜水時間も結構長息の潜水カモのミミカイツブリです

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朝日に照らされたL33cmのミミカイツブリと対比すると結構大きい獲物はええ物です

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頭から旨そうに飲み込みましたが小さい鮎は一気に飲み込み写真のチャンスは一瞬ですが大きい魚はかなりの時間があります

2011年11月27日 (日)

魚鷹の飛込み

先々週はコウライアイサの撮影で三日間連続の撮影でその後は四日間休養した三撮四休であったが先週は今季初めてのミサゴの飛込みを撮りに月~金まで連続して五日間の撮影であった、相模川の最初の取水堰があるここは夜明け前から川の中で若い釣り人がルアーフィシングをしている、狙いの魚は何かと尋ねるとシーバスと答える、浮かぬ顔をするとスズキだよ!また付け加える、出勤前の若い人が出世魚を釣っていた、セイゴ→フッコ→スズキ→オオタロウと成長に伴って出世するように名前が変わる縁起が良い魚、まだ若い釣り人は新入社員クラスのセイゴのようだった、朝から川の中で体力を消耗して出世出来るのか気になったがミサゴが狩を始める頃には釣り人は去り今度はミサゴの出番である、ミサゴの狙いはこれも出世魚のボラである、関東ではオボコ→スバシリ→イナ→ボラ→トドと出世する、ミサゴがダイビングして獲るボラの大きさはミサゴ♂の全長L54cmから推測すると40cm前後である。  先週は五日間ここに通ったがこれでは週休二日制の現役時代と変わらぬ大仕事であった、これでは五撮二休となり写真の整理が追いつかない、ところがミサゴが思うように飛び込まないので杞憂に終わる、全く飛び込まない空振りの日もあり、飛び込んでも後ろ姿など三脚を置いた位置と風向きや風が強い日は飛込み方向が異なるなど思ったような写真が撮れず仕舞いであったが今日は一週間前の今シーズン初であるミサゴの初日の写真です。640+D3 M1/2000 +0.3の全てトリム

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飛込み直後ボラを捉えたのか?凄い水滴の幕が上がる、これがミサゴ飛込みの幕開けである。

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引き上げようと頑張るがボラが大きいのかトド級の大きさか?

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一度は途中まで引き上げたがボラも必死の抵抗か?水中に引き戻される、ミサゴの後ろ向きSOSの様は羽旗信号?

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水中で暴れるボラの尻尾の方を掴み直したのか?なんとか引き上げ開始

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一気には上がらず、一気上げは叶わず獲物はデカイようだ!

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ミサゴが水面を離れたが水幕で肝心のボラが見えない一瞬

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ようやくボラの尻尾が見え始めたので安堵

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畑から大根を引き抜くようにボラを引き抜いた、アルキメデスの原理からもこの一瞬はボラの浮力が無くなり重力が掛かる重たくなる瞬間である、この大きさでは水中からの引き上げに時間が掛かる納得の大物であった!

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上流の白いコンクリートの橋桁の前を重そうに通過、W♂155-♀175cmの翼開長の中にはスッポリ入るボラであった、このミサゴの姿が漢字一字の鶚と書くよりも二字の魚鷹と書く漢字が似合う感じがする。

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下流方向にUターンして採食場所へ、古い人間は昔年末年始に街角で見た新巻鮭をぶら下げて持つような姿を彷彿したのである、今週から師走が始まる。

2011年11月26日 (土)

海から川へ

デジタル時計からアナログ時計に替わりタイトルもいつもの鳥名ではなく、なにやらアナログ人間の旅行記のような感じですが一昨日と昨日の続きなんですよ、ブログが川秋沙♀から海秋沙♀にリレーされたので今度は海から川に遡りました、撮影日は10日ほど遡った一日中曇り空の日で鳥の色が出ない、眼が出ない日でした、アナログ人間にはデジタル写真の加工技術がないのでそのまま掲載します。 ところで苺のアナログ時計に変えたのは特段の意味はありませんが路地栽培のイチゴの旬は初夏の5-6月ですがクリスマスケーキやショートケーキの材料として12月から年末にかけて一年で最もイチゴの出荷量が多い時期です、1月15日は「イチゴの日」1(イチ)5(ゴ)の語呂合わせから、また毎月のカレンダーの15日の下に必ず22日があるので、22日はショートケーキの日だそうです、あまり聞かない話なのでマジなのか冗談なのか分りませんが11月22日はショートケーキで祝う日だったようです、我が家では「いちご大福」の方が似合う年になりましたが最後にホントの話です、イチゴ時計の苺の振り子を見ていると眠くなりますよ、睡魔が襲ってきますよ  今日は拙い写真でスイマセン。

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右カワアイサ♂左コウライアイサ♂、曇り日には両種とも目立ちません、大きさの違いと嘴の色・形、鱗斑の有無く位が暗い日に分る程度でした。

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カワアイサ♂ 淡いピンク色の腹の色は出ましたが目なのか眼なのか褐色の虹彩は出ませんので駄目です、 曇り空に降参です。

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上流から下流に向う6羽の群れ、先頭二番目の小さいのがコウライアイサ♂3番目がカワアイサ♂先頭を含めて他はカワアイアサ♀のようですがこの中に鳥友がエクリプスが居ると云われていますがどれだか判りません。

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下流から上流に向う4羽、先頭二羽はカワアイサ♀中央がコウライアイサ♂その後ろにカワアイサ♂

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カワアイサ♂と♀

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コウライアイサ♂とカワアイサ♀

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仲睦まじいコウライアイサ♂とカワアイアサ♀の傍にカワアイサのエクリプスと思われるのが近付くとこのように二羽で威嚇します、人の恋路の邪魔は犬に食われて死んでしまえ、とか馬に蹴られて死んでしまえ・・・どちらだったけ!どうでもよいことですが

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カワアイサ♀の採食、一日中このような色の出ない陽の出ない曇り日の写真でした。

2011年11月25日 (金)

海秋沙雌

川秋沙ときたら今度は海秋沙です、今度は二級河川のコウライアイサ・カワアイサとは違う一級河川です、河口から訳7km上流の場所です、今週初めに相模川のミサゴの飛込み場所でコウライアイサ♀一羽がいるとミサゴを撮りにきたカメラマンの話題になっていましたが翌日にウミアイサ♀と分り騒ぎは沈静化しました、因みにカワアイサL65cmコウライアアイサL57cmウミアイサL55cmでこの三種の中では一番小型です。3種とも頭の冠羽のボサボサはありますがコウライアイサが一番長く二種は少しか有りません、大きさの違いの他にカワアイサ♀は頭部と胸の境界や喉の白色部も明瞭ですがウミアイサはこれらがハッキリしていません、ウミアイサの嘴は少し上に反って見え目も橙色に近い赤色でしたがカワアイサの目は褐色です。

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陽の光の入り具合で川面の色が変化します、日が雲間に入るともっと暗くなります

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飛び出しのトリムです

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飛び出し最後のノントリです、ここでは餌の鮎を探しながら潜水して移動していますが、たまにはこのように飛んで移動します

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時々このような仕草をします、陽に向かって姿を斜め後方からの撮影でした

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今度は潜る瞬間、嘴が少し上に反っていりように見えます

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今度は正面向きの羽ばたき、この時は訳1時間で5,6回このようなサービスがありました。

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今度は側面です

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今度は右斜め正面向きでした、撮影位置で水面の色が変化しますがここは水色が出ました。

2011年11月24日 (木)

川秋沙雌

先週は月・火・水と三日連続でコウライアイサの撮影に行きなんとか撮れたのでその後の4日間は鳥撮の急用もなく休養した、旅行やツアーの三泊四日はよく聞く話だが三日間撮影して四日間休む三撮四休であった、お蔭様で16日から21日までコウライアイサで六日間ブログを繋いだ、その後はコウライアイサの帰りに撮影したタゲリで更に二日間の歯抜け防止。今回は16日の初日にお目当てのコウライアイサを待っていた時に撮影したカワアイサの♀である。 昨日は相模川のミサゴの飛込みの撮影地で会った野鳥撮影を始めた頃からの鳥友から最近のブログは手を抜いていますねと見抜かれました、久し振りに親しい鳥友の辛口に感謝した次第です、今週も月・火・水と三日連続でミサゴを撮りに行ったが思うような写真が撮れないのでブログにも力が入らない、気が乗らないのを見透かれたようです。写真一枚一枚に能書きが書いてないとお叱り受けたのでその反省から今日は下手な能書きで入れました。

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十日前の晴天にコウライアイサと一緒にいた虹彩が黒いカワアイサ♀です

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この時のコウライアイサは下流に飛んで長時間戻りません、カワアイサも下流を見ながらいつ戻るのか案じているように見えたが・・・

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水を飲み上を向いて喉に流し込んでいたので普段見れない喉元が見えた

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少し散歩して下流に移動する

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起きている時に上流に向うカルガモには見向きもしないが・・・

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寝ている時にカルガモが近くを通ると起きて威嚇する気の強いカワアイサ♀、安眠妨害に怒ったのか凄い剣幕です、今日はこれで健幕です。

2011年11月23日 (水)

田計里の飛翔

冬鳥として渡来して来ていた水田の刈り取り跡にいたタゲリの飛翔です、黒褐色の頭頂に黒色の長い冠羽があり、顔から喉は白く、目のまわりは黒っぽい模様がある、胸は黒色帯がある、後頭からの上面に緑色や赤紫色の光沢があるが飛翔すると確認は難しい、昨日のブログに書き忘れたが嘴と虹彩は黒く足は暗赤色である。

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見張りが真っ先に飛び出し、寝ていたのが後に続いて飛ぶ

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飛翔すると翼の先が白く丸く、尾の根元が白く見える

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羽を広げると翼の半分ほどある白い部分と黒色部分とのコントラストがハッキリ見える

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遠く丹沢山系をバックに飛翔

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相模の穀倉地帯の上空を飛ぶ

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羽とお腹の白と羽の黒い部分とのコントラストが明瞭な9羽のタゲリの一部でした。

2011年11月22日 (火)

田計里

先週、相模の国の河川で高麗(コマ)と縁の深いコウライアイサを撮影した帰りに相模国一の穀倉地帯で今季初のタゲリを撮影してきました。

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二番穂が伸びる中に九羽の群れがいましたが後頭からの上面にある緑色や赤紫色の光沢がなかなか出ませんでした。タゲリは雌雄ほぼ同色と言われますが雌は雄よりも顔・胸などの黒色部が褐色で冠羽も短めと云われますが雌雄の区別はわかりませんでした。

2011年11月21日 (月)

高麗秋沙の飛翔

高麗秋沙の和名は朝鮮半島で確認されたのが由来のようです、ロシアと中国黒龍江省との国境を流れるウスリー川(中国名:烏蘇里江)流域から中国東北部にかけてのみ繁殖する世界的な希少種と図鑑にあります。越冬地は中国南部や朝鮮半島などへ移動して最近は日本にも数羽がカワアイサに混在して毎年渡来しているようです。相模の国を流れる酒匂川と相模川の間にある、アオバトの大磯は1300年程前から朝鮮半島からの渡来人が関東平野に上陸する朝廷指定の場所であった、大磯の高麗山の麓に高来(たかく)神社がある、なにやら高句麗を思い浮かべる名称である、しかも別名は高麗神社である、大磯や秦氏の所領であった秦野周辺には渡来人に関わる地名や遺跡が数多く残るのはこのためである。その昔船で海を渡ってきた高句麗からの渡来人とゆかりのある相模の国に飛来してきた高麗アイサは昨年の雌に続いて今回が二度目の高麗からのアイサツでした。

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コウライアイサがバシャバシャ助走してもカルガモは寝ているかも

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ようやく赤い足が水面から出た!

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そして低空飛翔に入る

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この辺りは見物の鴨がいないかも

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こちらは全くの鴨どもが昼寝状態の脇を脇目も振らずに飛ぶ

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カワウの脇を低空で飛ぶ

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赤い嘴の先端は黄白色であるのが分る

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頭上近くで突然のUターンで枠からはみ出す始末、お粗末様でした。

 

2011年11月20日 (日)

高麗秋沙と鴨

10年前の現役時代は内外・上下・前後・左右に常に緊張のを張り巡らしていましたがそれを全く意図しなくなり胃とともに心も楽になり医者からは太り過ぎに注意と言われるようになりました、加齢を重ねる度に迂闊や粗忽が多くなり惚けが忍び寄って来たのか自分のブログのリンク先を見逃していたブログにまた気づきました、先日ご紹介した「瑞鳥庵ブログ」さんにリンクさせて頂いているのを今頃になって分りました、大変申し訳ないと思います o(_ _)oペコッ(顔と耳を真っ赤にして恐縮している様子です) ブログを拝見する際にリンク先を意識して見ていない証左です。ブログを始めてこの5年半(約2000日)の間にまだ一度も人様の掲示板に投稿した事がありません腕と度胸がない小心なのか精進が至らないか理由はこのあたりです、掲示板に投稿する時は真っ先に「ぶんちゃんの可愛い鳥屋敷」の掲示板に投稿しますとお約束してもう5年経ちました、生きているうちに約束を実行する意図は今でも持ち続けて空手形にならないように留意はしています。また自分のリンク先のブログでさえも滅多にコメントをしたことがなく拙ブログの更新(現在1800頁)で精一杯の毎日です。こんな有様ですのでリンクフリーとは云え意図して捜していないのでまだ気づいていないリンク先様があるかも知れませんのでもしあれば先に失礼をお詫びをさせていただきます o(_ _)oペコッ

さて今日はコウライアイサがしいと近寄るカワアイサ♀と鴨の仲間との写真です、昨日の鵜と比べると安らぎを覚えます、休んでいる鴨類だからでしょうか

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鴨がなにかに驚いて水に飛込み仲睦まじしくしていたコウライアイサとカワアイサも・・・

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一緒につられて川面へ避難

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川の中でもラブラブの様子です

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そのうち冷やかし見物の鴨に見らてから少し離れてしまいカモに囲まれ見守られながの行進です、これっていいかも!

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昼寝をしているコガモやヒドリガモの前を静々と上流へ

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更に上流にはマガモも居ました

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昼寝するマガモなどの前を通過して更に上流へ

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ところが人影に驚いてカルガモの前あたりからバシャバシャと下流へ飛び出し鴨類よりも警戒心が強いかもです。

2011年11月19日 (土)

河鵜と高麗秋沙

先週コウライアイサを空振りした川岸で9月の対馬遠征でお世話になったNさんから日本各地で撮影された野鳥の素晴らしいカレンダーを戴きました、ご本人が激写された写真にKプロが監修しておられる一流会社のカレンダーです。自分の写真は毎日のブログ用に撮影している野鳥とは異なり図鑑やカレンダーに採用される写真はこのように撮るものだと辰年の一年間勉強させて頂きます、有り難いことです、深く感謝です。     2,3日前に今頃は雪景色の北海道・摩周・温泉民宿・北の大地のオーナーが撮影した北海道のカレンダーが今年も届きました、今年は夏に3泊お世話になり野鳥の情報を頂いた頼りになる、そして肌が滑々になる温泉が自慢の宿です。戴いた両方のカレンダーに共通していたのが最後の一枚12月はエゾフクロウです。朗らかに福が来る福来朗・苦労知らずの不苦労・老いて福の福老など縁起の良いフクロウです。北の大地のオーナーが毎日更新されているブログ「北の大地は今」を開くと既にエゾフクロウが洞にいるところが出ています、そして1月31日までに北の大地に宿泊を予約された方にこのカレンダーを差し上げると情報があります。それに今まで気づいていませんでしたが自分のブログが「北の大地は今」にリンクされていたのを今になって気づき迂闊なことをしていました。 ウカツと言えば鵜の大群に囲まれながら鵜に喝、勝つ、鵜勝つコウライアイサが今日のテーマです。

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いつも一緒に行動しているカワアイサ♀とオシドリ夫婦のような仲睦まじい様子です

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休憩中のカワアイサ♀に近付くコウライアイサ、こんな仲睦まじい姿にやっかんだのかカワウの大群にこの場所を追い出された?

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L81cmのウの群れの中をL57cmのコウライアイサが気丈にも平気で進みます、まるで高麗王の進軍のようです。

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若鵜なのか雌鵜なのかが近付いてきますが無礼ものは無視です

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中州にいる鵜の大群の前を二羽で泳ぐ、コウライアイサには「烏合之衆」に見えたのか、カラスは鳥のなかでも頭が良い鳥なのでこの四文字熟語は「鵜合の衆」の方が似合うと言ったら鵜に失礼です、鵜も群れで水中に潜り岸辺に魚を追い込む集団漁法でウグイを捕るウ食いを見たことがあります。

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ペリカン目/ウ科の居並ぶ前で鵜の目鷹の目の中をカモ目/カモ科の潜水カモの潜水を披露、まさか鵜合の衆はこの潜水方法を鵜呑みにはしないと思いますが・・・

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三列に整列するウの前を凱旋将軍のようです、コガモに向ってお前も負けるなよと言っているかのように見えます

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最後は鵜が居並ぶ前で飛翔を披露です、いつもの様に得意の低空飛行です。

 ご参考までに北の大地のアドレスです。

温泉民宿 北の大地

北海道川上郡弟子屈町湯の島1丁目1番13号
TEL.015-482-4937
IP電話.050-3607-4601
Email.
info@kitano-daichi.com

HP:http://www.kitano-daichi.com/index.html

Blog:http://blog.livedoor.jp/kitanodaichi/

2011年11月18日 (金)

晴天の高麗秋沙

三日目は前日の曇り空から一転して朝からの秋晴れでした、待ちに待った曇天から晴天への二日掛りのどんてん返し。この日のコウライアイサは七時頃に川の流れの中にある四角いコンクリートの堰堤の上にいましたがまだ朝日が当たらず暗い中にいたのが7時半頃からこの場を離れて上流に向かい始めました。この日も朝から40-50人のカメラマン、見知らぬ人も顔見知りの人も鳥友も皆さん朝早くから目が生き生きしていました。

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朝の逆光気味の中で下流の朝日の方向に振り返り緑黒の頭に陽が指しました

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今度は上流に向って上げた頭に陽があたり緑の光沢と目に光が入った

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いつも一緒に行動を共にするカワアイサ♀の朝日を背負った羽ばたきを眺めるかのような目つきにも光が入った

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更に上流に向かいます

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途中ところどころで魚探しかな

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コウライアイサの動きにつられて三脚を担いで上流方向に移動中に油断していたら9時20分頃に上流に向って飛んで行き、慌てて咄嗟に撮った写真です。

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赤い足が可愛い後ろ姿が午前中最後の写真です、この後に気がつかない内に上空を飛んで下流に向ったようです。12時まで待っても戻って来ません、二日前は7時10分頃に下流に向かい4時頃まで戻らない実績があります、前日の曇りの日に限ってこの付近には長時間いました。明日はこの日の午後に撮影した記録です。

2011年11月17日 (木)

曇天の高麗秋沙

昨日の続きです、翌日は秋晴れのつもりで出掛けたが朝から2時すぎまでくもり空の曇天でした、コウライアイサが視野の中に居る間に一瞬でもお日様を拝みたいと願っていたが願いが叶わず、どんでん返しの秋晴れは起きません、そんな日のコウライアイサの緑黒色の頭部をいくら写しても緑色の光沢は出ないと皆さん嘆いていました。

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傍に来たカルガモを威嚇した時です、高麗は気が強い!カルガモ君は気が軽かも

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曇天の日は鱗状斑だけは良く出ます

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曇天の日の飛び出しも冴えがないように見えます

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低空飛行が得意です

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日が弱いので目に光が入らず黒い虹彩も輝きません!

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小魚を飲み込んだ後のディスプレイも曇天では迫力がありません

晴天の日に再トライをする気でこの日は2時であきらめました。

2011年11月16日 (水)

高麗秋沙

「フィールドガイド 日本の野鳥」に珍しい種や識別が難しい種の記録にコウライアイサがある、この図鑑によればL57cm雄の頭部は緑黒色で、後頭には背まで垂れるぼさぼさした長い冠羽があり、背と肩羽は黒い。胸と腹は白くて淡紅色帯び、脇には鱗状の斑が並ぶ。腰と腰脇には細かい横斑がある。雌の頭部は茶褐色で目先が黒く、冠羽は雄よりも短い。背は灰色で胸は白く、頸側から脇にかけて鱗状斑が並ぶ。嘴は太めで赤く、先端は黄色くて鉤形が不明瞭であり、嘴の中央部に鼻孔がある。足は赤い。この書き出しは2010年2月4日に初めてのコウライアイサを山口県まで遠征して撮影した時の写真を50万回アクセス記念のブログの記述の一部です、県内の河川に渡来した雌の時は見送りましたが今回は先月雄が渡来したとの情報で遅まきながら二日前撮影に出掛けました。

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朝が早いためか頭の緑色と目が良く出ませんが特徴ある赤い嘴と赤い足それに鱗状斑と頭のボサボサの冠羽が立ちました。

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川面に朝日が入り鱗斑の一部が光ました

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目はどうやら確認できます

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暗い中での飛び出しです

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暗いのでピンが甘くなります

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それでもなんとか飛びの証拠写真です

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上流に飛んでからまた戻ってきました、この日は7:10頃に下流に飛んでしまい午後2時で撤収したが翌日の情報では午後4時頃にこの場所に戻ったそうです。

2011年11月15日 (火)

三ツ石の黒鷺

神奈川県景勝50選の真鶴岬三ツ石の風景に溶け込む黒鷺です。ここは番場浦海岸から遥拝する初日の出のスポットとして有名な場所です。

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神奈川の海から上る日の出の名所となっている三ツ石、正式名称は笠島、クロサギ君が目立ちません。200mmレンズの風景です。

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トリムするとここに佇んでいました

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カモメが飛び顔に浪の泡が飛びクロサギの目と錯覚します

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潮の飛沫で画面はこの始末

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カモメ飛ぶ岩礁の上で釣り人のようにひたすら獲物を待つクロサギでした。

2011年11月14日 (月)

黒鷺のシルエット

神奈川県真鶴岬の黒鷺です、岩礁の上で魚を獲っていましたが逆光の中で黒鷺が黒いシルエットになりました。

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海の中の岩礁では逆光の位置を移動出来ません

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全てが逆光の中での撮影を強いられました

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なんとか目が出ました

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逆光の中での羽繕いです

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浪に洗われる岩礁の上です

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浪の飛沫にピントが取られて甘くなります

2011年11月13日 (日)

辛夷と眉茶

辛夷(コブシ)は早春に葉に先立って白い花を咲かせ秋にはコブ状の突起物がある細長い形の果実ができ熟すと裂けて中から赤い種子が出てくる、名前の由来は果実がコブ状になり、種が子でコブシという説があります、マミチャジナイの漢字は眉茶の次に上に即下に鳥(即/鳥)の一字でジナイという鶇(つぐみ)の古い呼び名のようです、(即/鳥)はIMEパッドで手書き入力してもこの字は出てきませんでした ・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。 眉が白い、体が茶色い、ツグミの仲間をマミチャジナイと呼ぶ変わった和名です、 鶇(つぐみ)はあまり鳴かないで口を噤む意から「つぐみ」と言われる、これらはネットのサイトから大体同じような事が書かれています。今日も昨日の続きです。今日はコブシの実が主役です、全て逆光の中で撮影したコブシを採餌に来たマミチャジナイです。

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残りものに福はあるのか

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こちらのコブシは拳のように見えます

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枝の上からホバで実を啄ばむ

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先月末はコブシも沢山ありました

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コブシを啄ばむ

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コブシを嘴に入れた直後・・・

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そして飲み込んだ直後に嘴を開く・・・旨い!

2011年11月12日 (土)

眉茶鶇

タイトルの眉茶の次の鶇は漢字のツグミをあてていますが正式には即/鳥です、上に即、下に鳥の一字で古名はシナイと呼びます、ツグミの仲間の呼び名の古名です、マミチャジナイとは白い眉斑のある茶色い鶇(眉白茶鶇)マミジロチャジナイがつまってマミチャジナイとなった説があります。一番早く渡来するツグミの仲間ですが先月末に戸隠の森でツルマサキの実を啄ばんだ後にここで休憩していました。

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♀のように咽喉が白くありません♂です

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下から覗くショットは嘴の基部と下の黄色も見えます、嘴基部からの目の下の白い部分も良く見えます。

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休んでいても目はあちらこちらと目配りしていますが時々考え込んでいるようにも見えます。

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上を警戒してジェイと鳴いたかどうかは聞こえませんでした

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ようやく休憩から立ち上がり足の爪から全身が見えました

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カメラを一瞥してから飛び去りました、トリムしてありますが今年一番スッキリ・ハッキリ撮れたマミチャジナイです。

2011年11月11日 (金)

花鶏

昨日の続きです、カラ松林で撮影した花鶏でアトリです、これでアトリと読む鳥名の由来は次回にまともな写真が撮れた時にします、こんな証拠写真で花鶏の名前の由来を書くのはアトリに失礼です。

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黄葉のカラ松にアトリが枝葉の蔭にいてまともに撮れないが同系色の中に鳥の姿は見えます、この子を見つけた時に「あ~鳥だ!アトリだ!」

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カラ松の幹の前に移動して来た

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それをトリムしてみた

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木の実を食べにカラ松カラ降りてきたが暗い中での逆光で写真にならない

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ムリにトリムしてもこの有様です、こんな木にとまるアトリの名前の由来を書く気になりませんでした、冬鳥ですので都市公園に来た時にもっと良い写真を撮ってからにします。

2011年11月10日 (木)

鷦鷯見栄を張る

鷦鷯(しょうりょう)深林に巣くうも一枝(いっし)に過ぎず

「荘子」逍遥遊からミソサザイは林に巣をつくるが、必要なのはただ1本の枝である。人は自分の分に安んじるべきであるというたとえ(出典:デジタル大辞典)

時の流れは早いもので11月2日に大鹿村の山塩館の若旦那に教えて貰った赤石岳が目の前に見える夕立神パノラマ公園からカラ松の紅葉が美しい鳥倉山の林道を散策中に林道の道端に積まれていた山から切り出した松材の中に秋ミソがいました、昔は村の基幹産業であったと思われる材木です、昔から秋ナスは嫁に食わすなと言われるほど美味しいそうですが、先日の戸隠のそば屋のナスのおやきも旨かったが鳥友のAさんが戸隠で秋ミソが旨いと話していましたが秋ナスに掛けた秋のミソサザイを撮る鳥撮りの洒落のようです。今日は紅葉の自然美に昂揚した大鹿村の写真から始ます。

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上が緑色岩の説明板、左下が夕立神での実写、パノラマからの紅葉の美しい展望景色、ミソサザイがいた紅葉のカラ松林、日本で最も美しい村連合に加入している大鹿村、信州で二番目に山奥にある大鹿村ですが赤石岳方面にある荒川小屋から大鹿村まで新しい道を作る計画があるそうですが日本で最も自然が美しい村には自然破壊の道路は必要ありません。ミソッチもコマッチでしょう。(大小どちらの写真もクリックすると800x800ピクセルの写真が画面に出てきます、大きい方は従来通りPCの←を小さい方は写真の右上のXをクリックするとブログに戻ります)

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深林に一枝に過ぎずのミソサザイの筈が道端に積んであるカラ松に居ました、大きなロッジか山荘が建てられるほどの木材の隙間から出てきました。

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カラ松の木材で虫探しでしょうか

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木材の下にも降りての虫探し、L11cmのミソッチにはマツボックリが大きく見えます

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小さなお山の大将、ここで下手なフォト一句

鷦鷯 秋は鳴かずに 見得を張る

流石は大鹿歌舞伎の村のミソッチは見せますね♪

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今度はフォト川柳

虫取りを 見事見せよと せがむ我

から松ふし松おそ松でした!!!

2011年11月 9日 (水)

蕨温泉旅館わらび野と小布施の旅

三日目の宿は10月22日に放送されていたテレビ東京の毎週土曜日夕方6:30~厳選いい宿で紹介されていた信州高山温泉郷蕨温泉旅館わらび野である、今回の旅で三日目は日本秘湯を守る会の北信にある温泉を探していたが見ていたTV番組のタイトルが「厳選いい宿」と気に入り、番組で宿の部屋と温泉と食事などの内容とサービス期間中は15000円→11500円となっていたので11月3日宿泊でネットで申し込むと即OKのメールが来たのである。戸隠から信濃町・中野市を経由して観光客で混雑する小布施町から約10kmにある信州高山温泉郷の入口にある蕨温泉まで約1.5時間で3時半に到着した。

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わらび野に来てから気がついたがこの宿は日本秘湯を守る会の会員旅館でもあった。この日は旅館の駐車場を使ってお祭りでした、花・地野菜・りんご・かき・きのこなどの農産物とおやき・きのこ汁・おでんなどの出店があり、早速テントの中で椅子に座りきのこ汁とビールで一杯をやりはじめた、この間にお外さんは安い地野菜とシナノスイートなどの買い物を楽しむ、右は旅館と地続きにあるふれあいの湯、旅館の女将がうちの外湯と称していた入浴料300円の村営の温泉、宿泊客は何回入っても無料であった。

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部屋に置いてあった茶菓子と大きなリンゴ(シナノスイート)と後から持って来たおやき、これらが本日のサービス品、岩風呂の温泉湯口、ロビーにおいてある柿は食べ放題であるが食べた形跡ナシ

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食事処の囲炉裏では岩魚・じゃがいも・姫リンゴの串焼きが焼き上がっていた、着席するとその串焼きでビールを飲み始める、左上にあるのが食べ切れなかった茸汁、御造りが来た時に一切れ食べてから写真を撮る始末で既に酔ったか?

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チーズ入りの茶碗蒸しもでかい、食事は変わっていたエノキの餡かけスープの中に焼きおにぎりを蓮華で食する、食後のワインゼリー

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夕食後に外湯のふれあい温泉に入った雷神の湯口からコンコン温泉が噴出していた、宿の翌朝は岩の風呂から木の風呂に入れ替わっていた、小さな露天風呂もある。

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部屋の様子と部屋からの庭の景色

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朝の食事処からの小布施町方面の秋景色、朝食の献立

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わらび野で一茶ゆかりの里一茶館の割引券(400円→300円)二枚を貰い信州生涯教育の旅に出る(大袈裟だ!)小林一茶は今の信濃町の出身で黒姫駅近くに一茶記念館があるがこの高山村には門人の久保田春耕から自宅の離れ家の提供を受けてここを拠点に俳句の教授をしたことから高山村には一茶の遺墨が数多く伝わっている。駐車場にある案内板の両脇に一茶の俳句がある。変わった形の一茶館を離れ家から逆光の中に写す、内部の一部この一枚を撮影したらスタッフから館内撮影禁止と言われこれが館内の最初にして最後の写真、このために見てきた俳句など全て記憶に留めず。ネットから一茶の代表句を拝借してきました、対比される与謝蕪村の代表句の一句「菜の花や月は東に日は西に」のように自然描写に対して一茶は人間描写に目を向けた。

雪とけて村いっぱいの子どもかな

大根(だいこ)引き大根で道を教へけり

めでたさも中位(ちゆうくらゐ)なりおらが春

やせ蛙(がへる)まけるな一茶これにあり

悠然(いうぜん)として山を見る蛙かな

雀の子そこのけそこのけお馬が通る

蟻(あり)の道(みち)雲の峰よりつづきけん

やれ打つな蝿(はへ)が手をすり足をする

名月をとってくれろと泣く子かな

これがまあ終の栖(すみか)か雪五尺

うまさうな雪がふうはりふうはりと

ともかくもあなたまかせの年の暮(くれ)

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一茶館の敷地内に久保田春耕の離れ家を移築・復元された茅葺の数奇屋風の造りは村の有形文化財、真ん中は内縁がある八畳の座敷、右は炉のある四畳半の茶の間と奥の四畳半、土間と板の間

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二ヶ所目の見学は葛飾北斎の作品を展示してある北斎館、中は撮影禁止なので写真は一枚も無い、江戸時代を代表する浮世絵師の一人である葛飾北斎の代表作に富士山を中心に描いた風景画「富嶽三十六景」や役者・美人・風景を描いた肉筆画、錦絵、版画などが展示されていた、北斎の晩年の祭り屋台の肉筆の天井画が凄い、二台の祭り屋台の天井に龍と鳳凰の二面、男浪女浪の怒涛の二面を冥土の土産に見て来た。小布施の豪商高井鴻山の招きで北斎がこの小布施堂の正門を叩いたのは天保13年より通算4年間滞在したと書いてある説明板、栗菓子の老舗小布施堂本店

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三ヶ所目は北斎館近くの(財)日本のあかり博物館を見学したが入館前に描いていたものと違っていた、あかり=電球の発達史と思っていたがロウソク・あんどん・ちょうちん・石油ランプなど信濃及び周辺地域の灯火用具などが主に展示されていた、ここも写真撮影は原則禁止である、フラッシュなしと有りの昔のタングテンフィラメントのキュピーの形をした電球、電球はこれだけであった。信州には400以上の美術館・博物館があるが今回見学したのはたった三ヶ所で全体の1%にも満たない。

今日も半日以上かかってしまった旅のブログに慣れないせいなのか、それとも写真が多いせいか、これで信濃路のブログはひとまず終わりにします。ああ~~~疲れた!観よりも 疲れが残る 旅日記

2011年11月 8日 (火)

南信から北信へ戸隠の森へ

南信の大鹿村夕立神パノラマ公園から次の目的地である北信の戸隠までは200km以上ある、向学心や生涯教育に熱心な県民性が育んだのか長野県は美術館・博物館の数が多い全国でも有数な県である、長野県博物館協議会が編纂・発行した長野県ミュージアムガイドには広い長野県を長野市を中心とした北信エリア、上田市・佐久市などの東信エリア、松本市・塩尻市などの中信エリア、県境の天竜村から茅野市・岡谷市までの南信エリアの四つのエリアにそれぞれ30数ヶ所の美術館・博物館があり合計140所弱もある、生涯教育をモットーに余生をおくる身にとってはこのうちのまだ見学していない所を訪問したいと思いつつ、この広い長野県の南信から北信へのドライブ、鳥友が待つ戸隠へ向うがラジオから松本城でお城まつりが開催中であるニュースを耳にして助手席のナビゲーター(あまり役に立たない)の同意を得て、中信エリアの松本ICで途中下車して記憶が定かではないが二十数年ぶりに国宝・松本城に向う。

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お城まつりを開催中の国宝・松本城を久し振りに観光しました、駐車場からお城を見ながら、写真を撮りながら最初は赤い埋の橋を入れての撮影、プロの写真屋さんがススキを右横に配置してお客さんを撮影していたので、ススキを左に入れてお城をちゃっかり撮影、黒門前の券売所で松本市立博物館との共通観覧券を求めて入城、本丸広場からの国宝・松本城は観光客で人通りが絶えない。

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団体さんの後を六層の天守閣を最上階まで、四層から六層までは狭い急階段を上り下りする観光客が数珠繋ぎになりここだけで30分掛かり上りました、天守六階からの撮影写真二枚と天守六階の屋根裏に祀られていた二十六夜神

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城内の展示品は火縄銃などの展示が多いのは城の作りが刀・弓矢の戦いから鉄砲の時代に備えた作りに変遷したものと思われる、後から付け足した赤い欄干の見える月見櫓の下に二羽の白鳥が佇んでいた。二時から三時半まで松本城を見物したが松本市立博物館を見学する時間がなくなり戸隠へ移動する。

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松本城見物中に戸隠で撮影中の鳥友MさんからTELが入りお弁当とビールを依頼されたので残り30kmある長野ICで降りて夕闇迫る市内のコンビニに寄り戸隠へ急ぐ、駐車場に到着したのはすっかり日が落ちた5時過ぎである、お弁当とビールを届けて挨拶もそこそこに今夜の宿、越水ロッジに急ぐとお客は我々夫婦一組との事、日本野鳥の会会員証ナンバーを宿帳に記入して風呂に入り直ぐ食事であった(左の写真)信州の宿に共通している岩魚の塩焼きと野菜の天婦羅など料金の割りには一通りの料理が出る、翌朝朝飯前に野鳥撮影に出かける時に撮影した越水ロッジと宿前の景色。6時過ぎに鳥友と合流したが朝飯前には何も撮らず否撮れず7時半過ぎには宿に戻り8時に朝飯を摂り食後直ぐに会計を済ました家外(寺に住んで仕事しているのが住職さん、家にいるから家内と呼ばれるがいつもボランティア活動と称して家に居ないので家外、あるいはお外さんと呼ぶ)に奥社参拝を勧めるとまた行くの言われながら一緒に随神門まで歩く、三年前はまだ吉永小百合のJRのCMが登場していなかったが昨年から吉永小百合が入った杉の洞には注連縄が張られているが当時はうろの中にも入れて写真も撮れた。家外が奥社に参拝中に先週も撮影した木道や天明稲荷に行く。鬼のいぬまの野鳥撮影となる。

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左からツルマサキの実とコゲラ、マミチャジナイ、カシラダカなどが先月末は撮れたが・・・

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11月3日はマミチャもアカハラもカケスも全て枝葉の蔭にいたのしか撮れず仕舞いであった。

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天明稲荷この社の付近で懸命にムギマキを探したがイナリであった、これも天命なり。稲荷の近くで杖をついた女の石像と矢もった男の石像、しかも離れて相対しているので何か謂れがあるのか気になる二体の石像であったが何も文字が無いのか古くて見えないのか気になったいたが、ようやく戸隠観光協会のサイトで見つけた、昔から伝わる鬼女紅葉伝説とは平安の昔、奥州の会津で生まれた少女呉羽は子のなかった夫婦が魔王に願って生まれたためか輝く美貌と才知に恵まれ育ちました、やがて「紅葉」と名を改めた彼女は両親と共に京に上り美しい琴の名手として都中の評判になり、源経基公の寵愛を受けることになる、しかし紅葉は正妻を呪術で除こうとしたことが露見して信州戸隠に流されてしまいますが都への想いが絶ち難く配下を集め力を貯えます。これを聞いた朝廷は平維茂を追討に差し向けますが待ち構えた「紅葉」たちは美しく装って毒入りの酒を勧めたところ維茂に見破られ鬼女の正体を現したところを討たれてしまった。(サイトのあらすじ)前々からこの離れて相対する無銘の石像の由縁を知りたかったがこれでようやく喉に刺さっていた小骨が取れたような気がする。

この石像の近くで撮影中に鏡池方面から傘を杖がわりに柿色のダウンジャケットを着た熟女が天明稲荷から現われた、今に思えば鬼女紅葉の再来かと想われたがお外さんのお早いお着きであった。

この直後にご夫婦の鳥撮りが来られて思い出すのに少し時間が掛かったがこのブログに一年前からリンクしているケンケン&ミントの鳥撮りLifeⅡさんの仲良しご夫婦でした、思い掛けないところでの一年振りの再会でした挨拶してから平維茂像から離れて木道に戻り家外はそば屋へ予約に行き当方は朝の撮影場所に戻りました。

5420 11月3日文化の日の参道は混雑していました、奥社前食堂「なおすけ」は12時前に予約したが8組目で40分待って新蕎麦を食べました、待った甲斐がある旨さです、地野菜の天婦羅も美味しく、サービスのそば団子も旨かったがそれぞれ写真を撮るのを忘れるほどでした、「なおすけ」のHPにあるブログ「女将のたわごと」の愛想の良い女将さんに今年はムギマキの記事がないと話かけると鳥撮りのお客さん皆さんもムギマキが難しいと話しているとの返事が返ってきました、女将さんも今年はムギマキは撮れなかったようです、それほど今年はムギマキは難しい年でした。

そば屋を出てからまた元の木道で撮影していると二時頃鳥友が戻ってきたがこちらは次の目的地に出かける時間となりお先に失礼しました。本日は鬼女紅葉の資料調査で時間が掛かりブログ更新が遅くなりました、明日もこの続きがあります。

2011年11月 7日 (月)

紅葉の信濃路、鹿塩温泉・山塩館

先週は霜月に入った一日から四日まで紅葉の信濃路を夫婦で散策した、初日の目的地は三年前に宿泊した南信州・大鹿村の日本秘湯を守る会の温泉宿、鹿塩温泉・山塩館である、今年は映画「大鹿村騒動記」のロケ地となった伊那山地に囲まれた山峡の温泉宿である。自分と同じ辰年である主演の原田芳雄が7月19日に亡くなる三日前に公開されたのがこの村で春秋二回定期公演される300年の伝統を誇る村民による地歌舞伎の大鹿歌舞伎(国選択無形民俗文化財)を題材にした「大鹿村騒動記」である。映画の中で貴子(大楠道代)と治(岸部一徳)が昔を懐かしみながら浸かる塩分が強い不思議な山の温泉。このロケ地となった山塩館に投宿したのが11月1日。日本秘湯を守る会の会員旅館に泊りスタンプ帖に10軒のスタンプを押捺してもらうとその中の一軒を選び無料で宿泊出来るシステムがある、三年前に山塩館に宿泊してから8月北海道・足寄の芽頭温泉で10軒目となり、スタンプ帳の中から山塩館を選んだので今回は無料招待となっているので財布の負担が軽い宿泊となる。

八時半に出発して相模湖ICに向う、途中で高田橋からミサゴ撮影の様子を見たが撮影者の気配がない、更に相模川沿いを二ヶ所目のゴルフ場の右手前の堤では3台の大砲が見えるので降りて様子を伺うと今日は飛込みはまだ無いとのアンサーに礼を述べて先に進む、大小の小倉橋を右に見て左へ宮ヶ瀬方面から相模湖ICに入る、中央高速を快調にドライブする富士山の眺望が良い途中の双葉SAで12時を廻る、ここで昼食休憩。

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山梨側からの富士山を眺めながらなめこ蕎麦のセットで腹を満たす。諏訪湖ICで高速を降りて国道152号線を高遠城址から分杭峠に向う目的地まで登りの狭い山道が残り65kmとなる。

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152号線の分杭峠と是より北高遠領の標識と石碑、今年の4月30日に水場への林道が崩落して通行止めとなっていた、水場への林道途中の崩落現場。磁場ゼロ(気場)・気功の日本一のパワースポットも自然のパワーに人気もたじたじのようだ。

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ゼロ磁場の秘水と言われ三年前に水汲みの人と車で大混雑していたのを経験したが、タンクやボトルを持った水汲みの行列が時には二時間待ちの盛況から見ると雲泥の差である。気を入れるベンチも枯れ葉が積もりこの有様、人を幸せにする力を持つといわれる“気”が集まっているこちらも瞑想に耽る人で満席の時もあったがこの日はどの段も空席・空席・空席でした。昨年は平日約200人、土日約800人で人気のパワースポットである事は継続していたようだ。

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磁場ゼロの分杭峠から程なく中央構造線の断層が見える鹿塩川の川岸がある、駐車広場にある説明板、中央は拡大した写真、川岸から撮影した色の異なる断層を実写したがこれが北川露頭なのかどうか3時半にエンジンを掛ける、152号線を更に進むと塩の里、152号から左折すると鹿塩温泉、橋を渡ると山塩館に3時50分に到着する。

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鹿塩館の玄関、ロビー&フロント、庭にある山塩を煮詰めて製塩する製塩所。

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到着した日の男湯は映画の 大鹿騒動記では貴子役の大楠道代と治役の岸部一徳が入浴したのはこちらの温泉ではなさそうです。湯口とは反対側に冷塩水の浴槽があります、その説明文木札です。

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夕食は後から出る温かい天ぷらは山塩でいただきます、3年前と同じような鹿のカルパッチョ、岩魚の塩焼き、鯉こく、鯉の旨煮など天ぷらの手前は松茸の土瓶蒸し、ソバ椀も出ました、右は朝食の豆腐も山塩で食します。

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翌朝は男女の温泉が入れ替わっていました、こちらの温泉が映画で使われた少し大きい方の湯船です、反対側に丸太の枕がある寝湯になっていました、ロケではこの旅館に18日間滞在したと若旦那が説明していましたので、阪本順治監督・名優原田芳雄と佐藤浩市・松たか子などの実力派俳優などもこのしょっぱい不思議な温泉でロケの疲れを癒し楽しんだことだろう、名優原田芳雄には人生最後の秘湯になったと思われる。

3年前には当時中学二年生の息子さんと一緒にデジスコドットコムの初心者コースで野鳥撮影を学んでいた息子さんは高校生となり寄宿生活に入り今は若旦那が一人で時間があると野鳥撮影されているようです。今回教えて頂いた「夕立神(ゆうだちかみ)パノラマ公園」に行ってみました、標高1620mにあるパノラマ公園まで宿から車で林道を約40分登ります。

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夕立神パノラマ公園展望台からは南アルプス・中央アルプスを望む360度の紅葉の大パノラマでした、左上は付近の林道風景、右下は林道から撮影した黄葉をバックにしたヒバにとまるホオジロです。この他にミソサザイ、アトリ、ジョウビタキなどを観察、午前11時にこの山を降りてここから200kmもある戸隠・越水にある宿に向う、分杭峠経由駒ヶ根ICから松本ICで降りて国宝・松本城を見物してから長野に向かい戸隠には夕方5時過ぎになった。この信濃路の旅ブログは続きがあります。

帰りに通行した駒ヶ根市から分杭峠にアクセスする県道49号線にて通行規制が行なわれています。
▼規制概要
規制期間…11/04から12/03まで,土日祝祭日除く
規制時間…08:30から17:00まで

2011年11月 6日 (日)

蔓柾と常鶲

早や一週間以上前の蔓柾食堂には麦蒔の次には冬鳥の常鶲♀が入っていました、普段は主に昆虫類やクモ類を採食するがさまざまな草木の実も採食するジョウビタキです。 直前までムギマキ♂を撮影していたカメラマンは最初はムギマキと勘違いしていましたがそのうちムギマキではなくジョウビタキ♀と分りガッカリ?したようですがツルマサキの実を啄ばむお嬢さんも珍しいので撮り続けました。

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遠くの暗いツルマサキには直前までムギマキ♂が居たが筈でした

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ジョウビタキのお嬢さんが実を啄ばみに来ていました

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どれにしょうかな?今年は売れ行きがさっぱりなので実の在庫は豊富です

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雌の小さい白斑がやっと確認できました

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さらに鳥を観るためにトリミングしてみました、鳥観INGと言えば野鳥撮影愛好家の会「鳥観ING」主宰、瑞鳥庵の庵主のFさんがお隣で撮影されていました、神奈川県内のフィールドで時々お会いしますがこの日は以外にも県外でした。

瑞鳥庵HOMEPAGE:http://homepage2.nifty.com/zuityouan/
瑞鳥庵ブログhttp://zuityouan.cocolog-nifty.com/ 

2011年11月 5日 (土)

麦蒔の証拠写真

11月3日信濃路の旅で寄った戸隠森林公園の蔓柾の実は熟し四裂し赤い実が豊富にあるにも関わらず、鳥撮り人の期待に背きムギマキは神域の森から抜けていたようです、今年のムギマキ♂を自分が最後に見たのは10月28日午後3時過ぎでした、ムギマキが出た実績のある稲荷社の近くで撮影中に、この日初めて3人で来られた仲間の鳥友から携帯に連絡が入り、ムギマキが出た!!!との連絡で重たい640を20分も担いで到着した木道で遠くて暗いムギマキ♂がようやく撮れた証拠写真です、鳥友3人は初めて来てムギマキ♂が見られたとは強運の人達でしたがこのような鳥友がいる自分にも鳥運がありました、鳥友に感謝です。

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暗く遠い枯れ葉の枝にいました、写真は全てトリムです

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ここで約10分間も休憩していました

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ツルマサキの中に入りました

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ツルマサキの実を啄ばんでいました、このツルマサキの付近にはジョウビタキ♀やカシラダカなど他の小鳥も見られました

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この後はツルマサキの枝葉の蔭で啄ばむ姿が見えましたが写真は撮れません、これが最後の証拠写真になりました。

 

2011年11月 4日 (金)

五十雀と木の実

今年の蔓柾食堂に閑古鳥が鳴いているのは例年のお客が他の木の実のレストランに行っていたのも理由かもしれません、五十雀が他の木の実を食べに来ました。戸隠の初日はムギマキ一辺倒で探していましたが2日目からは鳥は何でも写そうと木に来た鳥を写す気になりました。

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ゴジュウガラが採餌した木の実は園内にある植物の写真には有りません、これは木道を散策する人の案内板でした。

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木の枝にトゲがないのでカラスザンショウではなさそうですが名前がわかりません、空抜けのミズキでもなさそうです

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実を咥えて

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飛び出しです

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貯食に行ったのでしょうか?

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今度は虫取りに来ました

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頭を下にして木の皮にいる虫を探していました

2011年11月 3日 (木)

辛夷と赤啄木鳥

アカゲラが辛夷(コブシ)の実を啄ばみに来ました、辛夷の果実は集合果であり、鳥に食べられる前は握り拳状のデコボコが見られたはずです、拳の形状が名前のコブシの由来とも言われています。マミチャジナイなどの先客が食べ残したコブシに来たのがアカゲラです。

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残り物のコブシを食べに来たアカゲラ♀です

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どれにしようかな

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てっとり早くこの実にしようか

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啄ばむのか!

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咥えたのか!

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木の実のあとは好みの虫を捕りにキツツキです

2011年11月 2日 (水)

懸巣は樅の木に残った

前日にムギマキが来たと言われる蔓柾の近くで一人でムギマキの出現を待機中にモミの木にとまったカケスが顔を出した、森林植物園の木道を歩くとモミの木園地の大木の他にもモミの木が散見されます、今年はお山にはドングリが少ないそうです、カケスはドングリの代わりにモミの実を食べに来たのか、モミの木の中を物色しながらモミからモミを移動していました。 ところで余談ですが「樅の木は残った」は山本周五郎の小説を昔NHK大河ドラマで平幹二郎が主役の原田甲斐を演じていましたが、歴史上では悪人の扱いであった原田甲斐を新解釈でお家騒動の仙台藩を救った悲劇の主人公として毎回ハラハラして見ていたハラダカイでした、 樅の木は木偏に人の字が沢山ありますが年末のクリスマスツリーに使われ、字と同じように木の周りに人がモミ合う様に人が多く集まる木です、子供や孫が今年のサンタのプレゼントを気にしている木です。

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若い樅の木から訝しげな目つきでカケスがモミの木から顔を出した(ノントリ)

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目があったら後ろ向きに隠れた、これが頭隠して尻隠さず(トリム)

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木道の反対側のモミの木、暗い枝の上で何やら嘴でつまんでいる

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旨そうに口の中に入れた

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そして採食後にジェーとひと鳴き

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またモミの木の上で葉隠れ、青・黒・白の三色のパッチ模様をパッチリと撮れないカケスが樅の木に残った。

2011年11月 1日 (火)

蔓柾と眉茶

今頃は彼の地では落葉のピッチが早まっていると思われるがムギマキと同じように紅葉の時期に群れで木の実を求めて旅鳥として渡来して来たマミチャジナイはシロハラやアカハラと同じツグミの仲間で似ているが少し小さいL22cm、特徴のひとつに白い眉斑と嘴基部から目の下が白い、先週の中頃コブシの実を啄ばんだマミチャジナイが直ぐ傍の蔓柾で食後の休憩をしていた時の写真です。今年はコブシの実を食うマミチャを沢山見ても蔓柾に来るムギマキは稀有であった。蔓柾に音もなく舞い落ちる枯れ葉にムギマキが来たかと緊張する晩秋でもあった、ムギマキの撮影でこんなに苦労した年は今までになかったがマミチャはそこそこ撮れた年であると思う。

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蔓柾の枝が弓のように曲がった頂点で羽を広げて有頂天かな?ノントリです。

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今度は乙に澄まして・・・

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暗い場所で見返り・・・

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白い腹を見せて長い間ここでシラバックレテいました

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今度は別固体が別の蔓柾の枝に来たがここも休憩場所には暗くて良いが写真には条件が悪い場所でトリムしてあります

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バランスを崩して左羽を開く

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今度は飛び移る体勢

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飛び移るではなく跳び移るところが写る、ここからコブシの実を啄ばみに移動でした。

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