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2011年12月21日 (水)

瓢湖と水原代官所

今頃は雪景色の下越の阿賀野市、二週間前の瓢湖の早朝は雨だったので瓢湖の白鳥の塒立ちの撮影を見送ったが雨が上がった10時過ぎには観光バスで見物に来た観光客と同じようなオナガガモなどの水鳥が多い瓢湖の写真しか撮れなかったので歴史と時代劇好きには直ぐ近くにある上杉家の武将、水原(すいばら)常陸介憲親の碑がある水原城館跡に復元した水原代官所を見学した。その前に瓢湖の歴史を紐解くと瓢湖は、寛永年間(江戸時代)に農業用水確保のため、新発田藩主溝口宜勝が13年間かけて完成させた灌漑用水のため池である、今はその役目を終わりラムサール条約登録地として冬に白鳥や水鳥が渡り来る、春にはサクラが咲き夏には蓮やオニバスが咲く、秋にはコスモスの四季彩の瓢湖です。

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大勢の観光客がバスを降りると一袋100円の餌を蒔くので集まる白鳥とオナガガモなどのカモ類

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気の強い一羽のオオバンが大きなオナガガモの群れの中で餌を奪い合っていた、オナガガモを蹴散らしての大盤振る舞い?を受けていた。以下は瓢湖から指差の距離にある水原代官所の見学記。

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関が原戦後越後から米沢に転封された上杉景勝の武将、大坂冬の陣に参軍し活躍したので徳川家康から感状を贈られた、転封前の水原城主・水原常陸介親憲の看板が水原代官所の入口にあった。

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江戸幕府直轄領(天領)水原代官所の中にある説明書

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復元した水原代官所の正門と葵の紋幕の大玄関

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御用場の様子(仕事場)年貢などに関する執務をするところ

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訴所(うつたえどころ)村役人が年貢やその他の問題を伝える

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時代劇では大概は農民を苦しめ私服を肥やす悪代官が多いが江戸では家格の低い武士が地方に来てお代官様と呼ばれるようになり我が儘が出るのか?ここの第19代の代官であった小笠原信助は温故堂とも呼ばれた学問所を代官所の中に創り有名な学者頼山陽の子供で同じく学者の頼支峰を招くなどして授業を行ない12年間在職した高潔な代官もいた(水原代官所配付資料より)

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白州と唐丸かご(囚人かご)

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白州のむしろの上に拷問座(ぎざぎざの板)左手後方にある石は抱き石一個40kg、座らせられただけでも白状してしまいそうな拷問座、その上に40kgも抱き石を載せられると・・・

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白州に置いてある「つく棒」「さすまた」「袖がらみ」時代劇でもみられる捕り物の道具3点セットの実物を見て見学を終演。

この後は水原代官所の主な仕事でもあった新田開発を行なった瓢湖から約9kmの距離にある新潟市の福島潟に移動した。新潟県にあって何故か福島潟とは?この謎は次回に

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