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今日は東京マラソンをTV観戦です、公務員ランナーも注目ですが市民ランナー(都民と言うべきかな)の中で顔見知りが映ると良いですね。今朝は顔が命のコミミズクを撮った干拓地の灰色沢鵟の雌です、こちらも正面顔が撮れればラッキーですがハイイロチュウヒのオスを目的に通った干拓地です。ハイオスは遠くで空高くバトルする写真しか撮るチャンスがありませんでした。マラソンは走る位置取りが重要ですが撮影の位置取りが悪かったのか鳥運か撮り運が無かったようです。それでも灰色沢鵟の雌が撮れたので全くの運無しでは無かったようです。ハイイロチュウヒの大きさは雄45cm雌50cmW98~124cm、同じ場所でネズミを捕食するノスリとコミミズクと三種の競争・共存の場所です。
枯れ草地の中で低く飛んでタカ斑模様を見せる、コミミズクと同じようにネズミ類を獲る、一度下りた草地から飛び上がったところ。
また見つけたのかネズミの捕獲態勢で低空飛翔、♀の特徴である腰の白帯が目立つ
青空の中を干拓地の下を見ながら飛ぶ
獲物のネズミを見つけると急反転・急降下
低空飛翔の岩盤形に見える正面顔
初めて見るへの字飛翔に ヘーは出ても屁は出せず
ハイチュウはいつも下を見ての飛翔なのでこのような写真が多い
いつも下を見つめる目線が上目遣いの目線が珍しい飛翔、ライバルの仲間のハイチュウかコミミと目線の目戦か
野鳥撮影を始めた7年前に初めて大洞の泉にプチ遠征に出かけたときは御殿場ICを出てから246号を横切り、ぐみ沢上から138号に入り須走の手前で富士平原GCを右に見てから1km先の篭坂峠を上り始めると左に富士高原ゴルフコースと隣に篭坂GCがある。この3コースは現役時代にプレーをしたところである、IT部門にいた頃は若いSE達とのコンペでゴルフ場の目の前にある須走温泉・天恵で温泉でプレー後の汗を流しその後に食事しながらの表彰式の思い出がある。野鳥撮影の行く先々で自分がプレーをしたゴルフコースを身近に感じていたが野鳥撮影を始めてから暫くしてやめてしまったゴルフコンペのお誘いが今年も来た、ひとつは毎年4月と10月の年二回開催され主に富士平原GCの隣に位置する富士国際GCでプレーを楽しむOB有志のゴルフ会その名も「ゆうゆう会」、もう一つは毎年3月と9月に秦野市の東京カントリーで開催している社友会ゴルフコンペである。こちらの幹事さんの電話番号は市外局番の後が(822)(1017)である、8でニコニコ、10でもイイナと大叩きを今でも記憶している。どちらも楽しいコンペであったが右手の腱鞘炎を患って3,4年前から残念ながら参加していない。 東関道大栄ICを下りて稲敷市に向う途中にはゴルフ場が多い、長太郎CCや神崎CCにアスレチックGCなどがある。現役の時代に工場見学したオーディオ&ヴィジュアル関係の精密射出成型で定評がある不二プラスチック(株)本社工場の前を通る。 小耳木莬を撮影した工事中の干拓地は周囲を小高い丘の上にあるゴルフ場に取り囲まれた地形にある、IT部門を担当した頃に若い連中とコンペをしたセベバレステロスGCが北に見える、昔何回か通った霞台CCと霞丘CCは北西に隣り合わせのように見える、後ろ方向の南には霞南ゴルフ倶楽部のコースの一部が見える。ここはまるでゴルフ銀座の真ん中で道路沿いに路駐して野鳥撮影しているような光景である。昔の銀座は銀ブラなどよそ行きの銀座であったが今の銀座は自転車が放置されているような日常の買い物をするような銀座に成り変わってしまったがここも平日でも4~50台が路駐する野鳥銀座である。
ここは人工のとまり木もあるが枯れたセイタカアワダチソウにとまる自然体のコミミが撮れる
枯れた草木からの飛び出し態勢
万歳の飛び出し
そして空飛ぶ円盤形はUFO
枠からはみ出しそうだがギリギリセーフ
葦原の中を・・・もしかして荻原の中かも
Uターンして空に舞い上がる、これはノントリとは無理なトリムの大きさ
メーテルリンクの童話「青い鳥」では貧しい木こりのチルチルとミチルの兄妹が幸せの青い鳥を求める旅に出たが見つからず、家に戻ると飼っていたハトが青い鳥になったいた、それも直ぐに篭から飛び出してどこかに行ってしまった童話の寓話でした。 東京オリンピックの翌年4月に結婚式で新郎・新婦と呼ばれてから家住期を四十数年経った今は旧郎・旧婦となり老郎・老婦になった。新婚時代は世の中は高度成長期で生活の質を高める物欲に走っていた。バブル期の憧れの3Cはクーラー、カラーTV、カーであった。 バブル期の女性の結婚条件は3高(高収入・高学歴・高身長)であったが今は3低(低姿勢・低依存・低リスク)奥さんに低姿勢で低依存で仕事は公務員などのリストラのない低リスクの職業だそうです。 老夫婦にとっての青い鳥もお互いに低姿勢で低依存そして認知症などにならない低リスクが青い鳥かも知れません。人生が終わる寸前までPPK(ピンピンコロリ)お互いがピンピン元気で誰の世話にもならないようにコロリと旅立つ、これが青い鳥かも知れませんがあくまでこれは願望の青い鳥です。
若芽も出始めた枝で春よ来い早く来い!
太い幹で太っ腹の青い鳥
青葉も目立つようになりました
斜に構える時もあります
春はもう直ぐですね!
一昨日・昨日の続きです。とまり木にとまった冬鳥の小耳木莬です、雌雄同色で羽色はかなり個体変異がありますが顔の変異もかなりあります。ここのコミミは日中から採食活動で飛びまわっています、超低空で羽音を立てずに停空飛行(ホバリング)を行いネズミを捕食していますが時々止り木にとまって顔を左右にゆっくりグルグル回してあたりを見回しています。
地元の人が立てた風格あるとまり木に一本立ちのコミミです、小さな羽角が立っています
顔盤型のコミミは奥目です、目は黄色い虹彩に黒い縁取り
このお立ち台で片足片羽のストレッチの妙技です
横顔は奥目と猛禽類の嘴の鋭さが分ります
上とは別の個体です、下の道路にある電柱の頂上にとまるコミミとは土手の上からは水平距離でした、撮影を咎めるのか怖い顔に見えた
口から見える三本の紐?捕食したネズミの尻尾と後ろ足二本です
獲物を見つけたのかとまり木からの飛び出し
ふわっと飛んだ二枚目
音も無く獲物の気配する方角への三枚目
今年の二十四節気も1月6日の小寒、19日の大寒、2月4日の立春を過ぎて今日19日は雨水、今朝の天声人語によれば雨水は雪が雨にかわる候。待ちわびた南風をはらんで、ほどなく春が訪れる、とあった。されど雪国はいまだに雪は深く、関東でもこの頃に雪が降ることがある、この時期に雪が降ると鳥友は雪中の小耳木莬を撮ると天からの恵みと喜ぶ。先日撮影した武州・彩の国の小耳木莬の飛翔形を見てギリシャ文字を思い出した。その一つが小学6年か中1の時に習った円周率π:3.1415、今となっては暗記した記憶はせいぜい5桁まである。昔は10桁や15桁は誰でも暗記していたと思う。小耳に挟んだ最近の暗記法に3.1身一つ41世一つ592生くに653無意味、これで10桁。あるいは3.14産医師1592異国に65向こう35産後8979薬なく、これで15桁となる。このような方法で1000桁まで円円と読んだ人がいるそうです。今となっては暗記どころかπの感触すら忘れた。現実に戻り今朝は勝手に夢想した小耳木莬の飛翔形の話です、昔は物理化学数学で見覚えのあるギリシャ文字の一覧表をネットから引用してきました。
A、α | アルファ | N、ν | ニュー |
B、β | ベータ | Ξ、ξ | グザイ (クシー、クサイ) |
Γ、γ | ガンマ | O、ο | オミクロン |
Δ、δ | デルタ | Π、π | パイ |
E、ε | イプシロン | P、ρ | ロー |
Z、ζ | ゼータ | Σ、σ | シグマ |
H、η | イータ(エータ) | T、τ | タウ |
Θ、θ | シータ(テータ) | Υ、υ | ウプシロン(ユプシロン) |
I、i | イオタ | Φ、φ | ファイ |
K、κ | カッパ | X、χ | カイ |
Λ、λ | ラムダ | Ψ、ψ | プサイ |
M、μ | ミュー | Ω、ω | オメガ |
枯れた保護色のような草むらから白い翼が蝶のように舞い上がった後にいろいろな飛翔形を○○○は見た!最初はギリシャ文字の大文字Υ(ウプシロン)
I(イオタ)を斜めした一文字の姿で、すーっと音も無く滑空、顔盤の見つめる方向は斜めでシャーないねとイオタ。
最初に覚えた円周率の記号、ギリシャ文字の小文字のπ(パイ)に似た形でゆっくりふんわりと音も無く飛ぶ長い翼が目立つ
尾羽も全開の十文字型の飛形、十文字といえば宝蔵院流の十文字槍が有名ですがこの形でネズミ目掛けて一突きかな
翼を下にしての形は波長・熱伝導率の記号、ギリシャ文字小文字のλ(ラムダ)かな
振動数の記号、ギリシャ文字の小文字ではν(ニュー)の形、翼の内側は外観に似合わずニュー白色が目立つ
前方を見据えてのふんわりと寒気の空をコミミの飛翔、正面から見ればもしかするとゴルゴ松本の漢字の命の字にも似ているかも
90度ずれたL字型はギリシャ文字の大文字Γ(ガンマ)の形、我慢してΓを維持して意地で飛ぶコミミさんでした。
狩場と言うべきか餌場の直ぐ上の低空で停空飛翔する小耳木莬です、昨日の長元坊のホバと同じ堤の法面です。平日にも関わらずカメラマンが多く、土手のサイクリング道路脇でようやく三脚一台分の隙間からの撮影です、この日のカメラマンは4ヶ所に分かれていたがここが一番多く、土手の中腹から上の道路まで約20人でコミミとの距離を一定にして横一列(斜め一列)で砲列を敷いているので三脚が全く移動出来ない状況での撮影を強いられた、初めてのコミミズクのホバリング撮影です。撮影場所がベストポジションではありませんが上から目線でなんとか撮影出来ました。この後で近くの土手の草むらでネズミを狩してから止まり木に後ろ向きにとまり、チューを捕食中の姿がありました。口から出ている3本のヒモ?は尻尾と二本の後足です。
草ムラを見ながら低空で停空飛翔の始まりです
コミミの翼長100cmとすると地上高約2mくらいでしょうか
土手の上から斜面の中程でのホバです
高度を下げてのホバです
更に位置を下げて地面まで約1mくらいです
このホバではネズミの捕食は不成功でしたが暫くして
いつの間にかネズミを咥えてホバした近くの止まり木でネズミを飲み込む寸前
頬白にとっては「湖畔の宿」なのか「湖畔の谷戸」なのか、2月早々に湖畔の水色をバックにソングポイントで春を待ちわびて囀るホオジロです。ホオジロに早くも春が来た! 女優であり歌手で歌う映画スターの草分け的存在であった高峰三枝子が歌い1940年(昭和15年)の72年前にヒットした「湖畔の宿」の名曲。1990年に72歳で亡くなったが毎年のように湖畔ではないが川畔に佇む日本の秘湯を守る会、法師温泉長寿館に宿泊して高峰三枝子の豊満な胸元が話題になった国鉄のCMフルムーンの写真を見に行くのと混浴の長寿の湯を愉しみにしている。
湖畔の宿の歌の舞台になった湖は榛名湖と言われるがホオジロが歌う湖畔は幻の魚クニマスが72年ぶりに発見された富士五湖の西湖。戦争直前の1940年に発電所建設で玉川の酸性水(毒水)を田沢湖に注入したために死滅したと言われるクニマスの卵を事前に水深の深い西湖に移殖していたのが昨年発見された釣りキチでなくてもロマンを感じる幻の魚が棲む湖畔である。この湖畔で春を待ちわびるホオジロです。
チョッピチューピ-チューチュチュリチュー
と囀り、聞きなしは「一筆啓上仕り候」と
早口で囀るように聞こえる。あるいは
「源平ツツジ 白ツツジ」 北海道では
「札幌ラーメン 味噌ラーメン」と聞きなす。
湖畔の囀り
場所を変えてまた囀る
ここでも囀る
チョットトリム
湖面に向かっては囀らないがそれ以外は向きを変えて盛んに囀りをする
ノントリにすると湖面が青い
また場所を変えて熱心に春を呼ぶ
図鑑の漢字は戴勝と書いてヤツガシラと読み随分難しい感じである。数少ない旅鳥として各地の平地から低山の草地、農耕地・川原などに渡来し、3,4月の春先の記録が多く、秋・冬は少ないようですが自分の体験では今回の県内と兵庫県とで二回目になります、南西諸島では毎年定期的に通過するようです。鳥撮りをはじめて7年間にこの数年はヤツガシラを毎年のように撮影している。最初の撮影は1月の松の内に兵庫県尼崎市の猪名川の川沿いにある猪名川公園、隣は園田競馬場の駐車場があった、伊丹空港に発着する旅客機が近くで見えた記憶がある。年末から渡来したようで地元のカメラマン4人と撮影したが最初は関西まで遠征して撮影するほど熱があった。2008年4月には多摩川の河川敷に出た時は初日に撮れたが二日目にカメラマン大勢と一緒に空振りした記憶がある。南西諸島の西表島・石垣島などでもヤツガシラは3月と4月に撮影したが昨年は与那国島で木にとまっていたのを撮る直前に飛ばれてそれっきりでした。長期に渡り楽しませてくれたのは2010年2,3月に千葉県富津に渡来した時は800円と安くなったアクアラインを走り3回も通って地上と樹上のいろいろな仕草を撮影したが今回の県内は遠くて撮影距離は50m以上も有り偶に近くても30mでの撮影となった。遠いと言えば8時過ぎから開く無料の公園駐車場からも重たい器材を担いで歩くのも遠かった、駐車場から堤の上を川上に向って500歩歩くと公園のトイレがあり、さらに700歩合計1200歩歩いて私有地のグランドに着くがこれは空身で歩いた時にドコモの万歩計の歩数であったので器材を持つと辛い距離ではあるが一日一万歩を目指す健康促進には良い運動になる。600+D300の撮影で写真は全てトリム。
餌場と言われるゴミ置き場のような場所に来ての採餌
朝日が当たる餌場これが一番近い撮影、この後にこの反対側のグランド側の日の当たらない場所
グランド内の日陰どきの木下さんちのヤツガシラ
昼時から1時まではグランドを社員が使うのでヤツガシラもカメラマンもグランドから追い出されるとヤツガシラは餌場と言われるここで採餌する機会がある。
冠と羽を伸ばすストレッチ、ヒヨドリに攻撃態勢
丸形の昆虫の幼虫?を見つけて丸飲みの採食
葉が落ちている木とまりでも枝被り、飛ぶ姿も羽を広げないヒヨドリタイプで絵になりませんでした。千葉の富津は良かったとフーッと思い出されました。
雪道走行の練習で先月雪道を走行してきました、6年間総走行距離は18万キロですがこの間にタイヤは5本目です、昨年11月に冬タイヤに履き替えた時に3本目のノーマルタイヤを破棄して新横浜のオートバックスに預けていた2本目の冬タイヤに替え、この冬タイヤは今年で3シーズン目ですが夏タイヤに履き替えが遅れて昨年5月中旬まで履いていたので軟らかいスタッドレスはスリップサインは出ていませんがかなり溝が浅くなっていた。磨耗の激しい前輪に履いていた2本を後輪にローティションしたが雪道のグリップ力が昨年履き替えた時よりも弱く感じる。昨年は轍のない農道でも車を入れたが今年は誰も走行していない新雪の農道は走る気がしなかった、早朝の幹線道路以外の雪道は直前に前車の轍が視認された農道などを時速30km以下で走行したのは長野県と山梨県との県境、JR最高地点の付近である。近くのJRは標高1346mにある野辺山駅、八ヶ岳山麓開拓地の南牧村、ここの名産品の酪農製品と高原野菜のレタス・キャベツ・ハクサイなどが10月ごろまで収穫作業が見られるが今の時期は牧場も農場も雪一面の冬景色です。農道沿いに秋に黄色い花が咲く帰化植物、花の後に野山を歩くと服やズボンにくっつく実がなるコセンダングサと思われる枯れた草木の僅かに残った実を食料不足の今の時期にコガラが一生懸命に採餌していました。どちらも同じ意味で使われますがこの場合は同じ場所での採餌なので一所懸命の方が賢明ですね、ここの県名は長野県です。県内でヤツガシラ騒動?が起きていますが早いものでもう二週間前の話です。
①JR野辺山駅②開拓記念碑③八ヶ岳主峰の赤岳正面であるが曇り日で風が強く全く見えなかった。
運転席から撮影したコガラが採餌していた付近の農道と雪景色
雪中の草木の枯れ木に小柄なコガラが居た
秋に黄色い花が咲き晩秋には服やズボンに実がまとわり付くコセンダングサのようです。
草木の芽はまだ早いがコガラの目がやっと出た、雪上で実を啄ばむ姿が可愛らしい。
これは目ではなく粉雪のようです、目はもう少し前にあるのでこれではダメです。
虚ろに見える目が出ました、餌の事情が悪いとこんな目に遭います
雪が降ってきましたので見通し目通し?が悪くなりまた目が出なくなりました。この時期はコセンダングサの実は貴重な野鳥の餌です。
朝の凍結した道路を走る機会が多くなった
白一色の雪景色が汚いものを隠してくれる
そんな凍結道路の轍に乗ってスピンした!
真央ちゃんのような3回転半ではなかった
結果は下手な半回転だけで結果オーライ!
わだち(轍)馬鹿よね お馬鹿さんよね
と「心のこり」で安堵の唄がでる
シニアドライバーでもまだ死にや~
飛蚊症でも動体視力はまだどうだい!
死角でもまだ視覚ありの資格ありだ
冬タイヤに替えたタイヤ おもたいや~
めっちゃ大きいあの巨木はなんという
メッチャセコイヤ→メタセコイヤ
高齢者講習で裸眼でも眼鏡にめがねぇ~
講習前に爺さん公衆トイレにイットィレ~
洒落はしゃれよう 酒はさけよう
空木は空洞、鳥はウツギの実をくうどう
榛の木に鳥がいないね ハーン
(マヒワは榛の木の実が大好きだが例年みられるハンノキに今年は鳥がすくなくてマヒワも見られない)
「1本でもハンノキと雪景色の中に居ても居なくてもシジュウカラ」
「雌かな母かな?母ノンキにハンノキの実を啄ばむシジュウカラ、ハンノキも冬芽を出して春を待つ、松の木ばかりが待つでなく木も鳥も春を待つ」
イタドリの木にベニマシコがイタドリ
実は木になり、目が気になるベニマシコ
空木(ウツギ)と言いながら実はベニマシコがウツギの実を誰にも催促されずに採食、駄洒落に細則なし。早く出来れば最速。
空木(ウツギ)の木はカブレないがベニマシコはウツギの実に被れた。この木はどうもイタドリらしい、ベニマシコが居た鳥。赤い鳥が撮れても被ればかりで洒落にもならない。
撮影地山梨県河口湖町 駄洒落地横浜市
今朝は強い雨風の中を血圧とコレステロールの薬が切れたので薬疹以来の1ヶ月ぶりの通院である、血圧測定では二度目が138でまあまあの調子であるので従来通りのジェネリックの血圧降下剤、コレステロールは薬疹事件時の血液測定結果でも善玉・悪玉とも基準値内であるので10mgから5mgに下げたこれもジェネリック、それにスギ花粉症に備えての内服薬と点眼液を薬局で受け取る。朝飯を食べながら好きな番組の「ちい散歩」を見ていたら今日は昭島市東中神でカメラマンが晴れた日の富士山の撮影に拘っていた、これは当然録画である『晴れてよし 曇りてもよし 富士の山」は晴雨(人生の幸・不幸をの執着をはなれる)に関係なく観る人の心に依るのである。69歳の俳優地井武男さんはテレビ朝日で月から金曜日ちい散歩で元気良く歩き回っていたのが先月末に急に目が見えなくなったと緊急入院したとニュースを見たが今まで元気に散歩する地井さんからは想像だに出来ない出来事である。暫くは録画済みを見ることになる。 「日々是好日」の生活に入り7年前から鳥撮りを始めてからそれまでの晴耕雨読の生活から「晴撮雨編」晴れで撮影、雨の日は撮影した画像の編集・整理で全くと言っていいほど本を読まなくなってしまった。趣味はと問われると読書とゴルフと答えていたのが両方とも鳥撮りに没頭してから縁がなくなってしまった。それまでの読書の内容は50代後半から仏心からなのか親不孝を恥じるこころなのか「生と死を見つめる、暗い小説である」と感じていた五木寛之の著作を読む機会が多かった、自分よりも8歳年上の小説家の五木寛之氏は敗戦後は12歳であった北朝鮮・平壌から昭和22年14歳の時の引揚者である、自分はもっと北の中国東北部・旧満州・牡丹江からの昭和20年末の5歳の「引揚者」が共通点・出発点。14歳の多感な少年には敗戦後の引揚者としての記憶は鮮烈であったに違いない、5歳の幼児には異国でひもじい思いしか記憶が残っていないのは致し方ない。横浜市在住も共通点であったので身近に感じた作家であった。最初に本屋の店頭で手にしたのは「こころ・と・からだ」1996年7月であった、本の帯が凄かった、<大世紀末>を生き抜く、衝撃の死生観、人は「死」をいかに生きるか、自分らしい「大往生」を迎える準備、あなたはしていますか? 書き出しを引用すると、私は最近、自分に残された時間はそう長くはないのでないか、ふっと感じることがある。考えてみると、若い頃からずっと自分の死を意識しながら生きてきたような気もしないではない・・・こんな暗い「告白的まえがき」から始まる。北朝鮮のピョンヤンで敗戦を迎えた五木寛之の母は戦後まもなく41歳で外地で亡くなり、父親も引揚げ後55歳で世を去り、直ぐ下の弟は幼い時に死に二番目の弟も42歳でガンで死んだ短命の家系にあって体験した64歳の時の作品であった。この本を56歳の現役の時に読んだが暗い内容で決して元気が出る本ではなかった。次に読んだのが幻冬舎のベストセラーとなった「大河の一滴」である、1998年4月15日第一刷発行であったが手にしたのは8月5日の第20刷であった、私はこれまでに二度、自殺を考えたことがある。最初は中学二年生のときで、二度目は作家としてはたらきはじめたあとのことだった。だが現在、私はこうして生きている。・・・これが本文の書き出しであった。1998年11月に刊行された「他力」では「もはや現在は個人の自力で脱出出来るときではありません。法然、親鸞、蓮如などの思想の核心をなす「他力」こそ、これまでの宗教の常識を超え、私達の乾いた心を劇的に活性化する魂のエネルギーです、日常的に自分でも他力本願を願う時が多々ある「他力」について仏教思想から来るパワーを秘めた生きる力として位置づけている。1999年11月に出された「人生の目的」の中で書かれている内容は人生は苦である、思うにまかせないものである、人生に決められた目的はなかなか見つからない、確実に見つかるのは「目標」である。年初からブログに書いていたその目標400種も看板を下ろした自分である。講談社創業100周年企画第1弾!2003年6月「百寺巡礼(第1巻)奈良」「百寺巡礼ガイド版(第1巻)をセットで購入してそれぞれ2005年3月に発刊された第8巻までセットで購入した。当時はTV朝日から放映されて五木寛之が百寺巡業する姿を愉しみに観ていた、1981年から休筆して龍谷大学で仏教史を学び1985年から執筆を再開した作者とあってTVでは一般客が拝観できない秘仏や普段ではご開帳していない仏像などが画面に出てくるをわくわくしながら観たものである。ところが2005年3月から現在に至るまで野鳥撮影と2006年6月からのブログ開始で読書の時間がなくなったのである。10巻シリーズの百寺巡礼の第9巻は2005年6月、第10巻は9月に刊行されたがこれらの二巻は百寺巡礼ガイド版とともに本棚には無いのである。それだけ鳥撮りに夢中になり各10巻シリーズを不揃いにしてしまったのである。その他に2004年4月「元気」は大河の一滴の続編のような感じで「人は元気に生まれ元気の海へ還る・・・これがサブタイトルであった」2004年5月「気の発見」は野鳥撮影前に最後に読んだのがこの本である、気功家望月 勇氏との対話形式で書き下ろしエッセイ+トークで平凡社の帯には「いま心身の悩みを抱えるすべての現代人へ!」知の格闘・衝撃の対決とあった。鳥撮りをしてから唯一購読したのが2007年「私訳・歎異抄」である、親鸞の思想と信仰を語りつくす本であったが修行が足らないのか読んでもさっぱり分らなかった、心が鳥撮りに行っていただけではなさそうです。こんな訳で読書から遠ざかっていたので2008年9月に出版されて流行った「林住期」という五木寛之の本はまだ未読である、近日中に読破したいと思っています。
林住期(りんじゅうき)にいながら先日は雪の山道で息も絶え絶えの中国から持ち込まれて野生化した飼い鳥(篭抜け鳥)の臨終期のガビチョウをUPしたが今日は先日の晴れた日に富士山麓の湖畔で草木の実を漁る特定外来生物に指定されているガビチョウです、生態系や在来種に与える影響はL24cmと大きいのでここに渡って来た冬鳥や留鳥のヒタキ類に少なからずあると思います。
低木の木とつる性の草木と二種類の赤や橙色の実を採食していました。ウメモドキとツルウメモドキなのか、ガマズミやニシキギの木の実か全く葉の落ちた草木の実は名前がわかりません。
最近このブログで度々出てくる林住期(りんじゅうき)を用いだしたがまだその理由を説明をしていなかったと気付いた。 ヒンズー教徒は一生を四季の巡りと意識して、それぞれの季節にふさわしい生き方を志向する。春は勉学に励む学生期(がくしょうき) 、夏は懸命に働き家庭を築く家住期(かじゅうき)、秋は一線を退きゆとりを楽しむ林住期(りんじゅうき)、そして冬は安らかな死に 備える遊行期(ゆぎょうき)である。今朝の朝日にも「人生の締めくり方も学習を」と死と向き合うことで生きる意味を見出し人生の締めくり方の学びも必要とありました。 破天荒な未婚でありながら白人との間に生まれた三人の子持ちのシングルマザーのエッセイ集の数々がベストセラーとなりお金持ちになった作者の桐島洋子が60歳になる時に自分が林住期を謳歌して赴く向くまま書いたエッセイと思われる、もの書きとして成功者となってカナダのバンクーバーに別荘を求めてのんびりと自然に接しながら楽しく過ごしている時の作品である。自分よりも3歳年上の作者のこの本を手にとったのは、ひと月前にいつもお世話になっている近所のクリニックの待合室で薬疹で痒い身体を我慢しながら順番待ちにチョイ読みした「林住期を愉しむ 水のように風のように」は人生の四季で実りの秋に楽しく生きる自伝と思える。桐島洋子の本は今まで読んだ記憶があまりないが数十年前の三十代の現役時代に三人の子持ちの未婚の母が作家として脚光を浴びたような記憶があるだけです。この作家の林住期に関する著書は50代に入ってから書き始めてこの作品が四作品目の本である。この作者が出した作品をこの際に3冊を斜め読みした、鳥撮りを始めてからそれまでの趣味であった読書をやめていたのを数年振りに復活したのである、早朝からの野鳥撮影と撮影した写真の整理とブログの作成に追われいたので林住期を好きな読書でのんびり過ごし、愉しむ余裕を昨年戴いた雪のオオマシコの写真のカレンダーをめくる前に読破したのが昨年と違う自分を見つけた。桐島洋子の最初の林住期に関する作品は海竜社から平成元年(1988年)に刊行された「華やぎの午後のために林住期が始まる」作者51歳の時の作品である。三番目の男の子が高校を卒業してアメリカに留学する年に二人の姉と一緒に三人の子供を連れて親子四人でアジア・アフリカ・ヨーロッパ・アメリカの12ヵ国を一遍に廻る豪華な「親子生活卒業記念世界大旅行」の旅行記のような内容であった。それは家住期から林住期に入る前夜祭みたいなものであった。二冊目は1989年1月~12月に家庭画報に寄稿したエッセイ集を1990年1月に家庭画報の世界文化社から出版された時の題名は「人生の秋を生きる 林住期ノート 」である。翌年は同じ家庭画報に1990年に一年間掲載された作品を1991年4月に「刻のしずく 続林住期ノート」が三冊目であった、作者が54歳の時の作品である。この二冊は家庭画報に毎月1回を二年間に渡り海外旅行中にも投稿して掲載されたエッセイであるがやたらにカタカナの国名・地名・都市名が多い旅行記であった。そして待合室で最初に読んだ一番最後に刊行した60歳のなった時の作品の四冊目も通信販売で買い求めて今度は自宅で読破したのである。4冊ともヒンズー教では人の一生を四つに分けて暮らすという解説。学生期・家住期・林住期・遊行期の四つのライフステージのうち作者が50歳から始めた子供を育てる家住期を卒業して自分自身の人生を静かに見つめる「林住期」を愉しむエッセイである。一般的にはカナダのバンクーバーを作者はヴァンクーヴァ-と書き、50歳になった林住期にここに別荘を購入して林住庵と称してここを拠点に旅行しながらのエッセイを書いていた。久し振りの読書で二週間で4冊の速読の乱読で読む端から内容を忘れる始末であったが今の時代は60~65歳の定年になる団塊の世代が林住期にあたり、自分の解釈では野鳥撮影を始めた頃が林住期であり今は林住期の中でもフォーシーズンがあり、最盛期を過ぎた秋になる頃でそろそろ林住期の冬支度でも始めなければならない時期に思えた。
さて今日の野鳥は青木ヶ原樹海に林住して富士五湖湖畔の溶岩に生えた蔓性の草木の実を採餌する冬鳥のジョウビタキです。
銀髪に白斑の紋付のジョウビタキ♂
湖岸の方向を見る
このつる性の草木の実は色や実の先の形がヘクソカズラに似ていますがよくわかりません
蜘蛛や虫が少ない時期は草木の実を美味そうに採食します
平成19年3月に更新した運転免許書の更新日が今年の誕生月の翌月4月までに運転免許書の更新日が来るので先月25日に講習を受けに行った、神奈川県警から更新日の6ヶ月前に高齢者運転講習のハガキが来て最寄の菊名ドライビングスクールへ行くように案内されていたが1月10日頃にこの教習所に電話を入れるとひと月以上先の2月中旬以降まで満員の盛況であった、少子化で生徒が大幅に減少したが高齢化に目を付けた法制化で教習所の高齢者講習は大盛況である。次に鶴見川河川敷にあるコヤマドライビングスクール綱島に問い合わせると二週間待ちの1月25日午前9時半からの講習を指定されたので予約を入れておいた、役所が目をつけた平均寿命の伸びたので高齢者ドライバーが増えている証である。この時に受付嬢が普段車に乗っているかとQがあったのでこの6年間で18万㌔、年間3万キロ走っているとAを返すとプロのドライバーと勘違いされたが道交法108条の講習義務ではペーパードライバーも毎日運転していても同じ扱いを受けるようだ、法律とはこんなも不条理なものだ。当日は快晴であった、6年前の2006年2-4月3ヶ月間に何回も通った珍鳥オガワコマドリが出た綱島の鶴見川堤防、当時は付近のコイン駐車場が毎日満車であり、東横線綱島駅は連日カメラバックと三脚を持った乗降客が急増していた、今となっては昔話となったが対岸にあたる河川敷にある教習所の駐車場に車を止めて若い人達が出入りするモダンな本館一階101教室に入る、講習は9時半~12時半までの3時間、お爺ちゃん(午前中の6人の中にお婆ちゃんはいなかった)6人を受付順に3人の2斑に分け教室内とコースでの運転に分けて講習が始まる、配付された教本は「いつまでも安全運転を続けるために」「知っておきたい交通ルール」の二冊、教室内で静止視力、動体視力、夜間視力、視野角測定、孫が行くゲーセンにあるようなドライビング・シュミレーターの画面を見ながらハンドル・アクセル・ブレーキ操作による反射動作能力、反応の速さと正確さ、注意力の持続とハンドル操作、複数の作業を同時に行なう能力のテストが行なわれた。これが終わると実車走行の3人組と入れ替わりコース走行を行なう。最初に教官がハンドルを握り、講習者3人が助手席と後部座席に二人座り講習コースを一周してから1人づつ実車走行が始まる、試験ではないが自分の車と違いATの操作が気になる、一時停止・信号待ち・優先道路への進入・車庫入れ・クランクとS字カーブ・最後にエンジンを噴かして段差を乗り越えた直後にあるポール前で急停止をする(最近多くなった車止めを乗り越えた事故の対応力、3人目の自分は急停止出来たが前の二人はポールを倒して失敗)、最後に教官から三人の共通するウイークポイントして左右のバックミラーの死角の確認が甘いと指導を受ける、これは右左折時のバイクや自転車の巻き込み事故への対応であった、教習場の1500ccクラスといつも乗っているワンボックスとはバックミラーの大きさと高さが違うので死角の範囲が多いのは事実であった。教官からの教訓として右左折時はバック・ミラーをよくミラーであった。最後に教室に戻り6人の受講者で高齢者の運転事故に関するビデオを見てから高齢者による逆走事故や信号無視・一時不停止などの違反をすると記憶力・判断力の低下など認知症の疑いがあるので専門医の診察を受ける場合があるので注意をするようにと言われてから「高齢者講習終了証明書」を受理して3時間の講習が終了する。免許書更新時にこの証明書がないと更新が出来ない仕組みとなった。尚教習所に行く場合はどこも予約で混んでいるので早目の予約と当日は①免許書②講習通知のハガキ③筆記用具④手数料5800円 が必要です。 少子高齢化で自動車教習所の経営が危ぶまれていたがこの法制化で教習場の経営は潤うと思われるが70歳を過ぎた高齢者は大概は年金生活者であり3年毎の負担は重い思いがする。
正月早々から薬疹で腹が赤くなったが今朝は高齢者講習を書いていたら憤懣やるかたない思いで腹の中が熱くなり赤くなったようだ、そこで先月自分が薬疹で赤腹であった時に撮影した市内公園のアカハラです。
高齢者講習の前日に横浜市戸塚区にある公園で撮影、今年の横浜の初雪は1月20日であったが前日の23日も雪が降り雪景色と野鳥を撮りに行ったつもりが夜中に雪から雨にかわったらしく雪景色はこの程度でアカハラが落葉の下を掘り返して餌を探していたが頭の黒さからどうやら大赤腹のようだ。
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