足立美術館と出雲大社
ジャーナル・オブ・ジャパーニーズ・ガーデニングの庭園日本一の足立美術館、館内には横山大観をはじめ、川合玉堂、榊原紫峰など日本画壇の巨匠たちの作品、特に横山大観コレクションの特別展示室に秋季に展示される「紅葉」は豪華絢爛であった。北大路魯山人と河井寛次郎の二大巨匠の陶芸作品もお宝を見る思いであった。館内は撮影禁止であり、写真を撮ることは出来ないので一枚もない。
入館前の歓迎の庭、紅葉の日本庭、枯山水庭を案内する創設者の足立全康翁の青銅像
「庭園もまた一幅の絵画である」創設者の言葉。苔庭と池庭
池庭と白砂青松庭
枯山水庭と題名不詳であったゴツイ横たわる美人の像。この日は新たにオープンした新館は休館日で現代日本画の粋は観賞できなかった。折角の教養を高めた錯覚で隣の安来節演芸館を素通りして、出雲大社方面に向った。
そぼ降る雨の中、宍道湖の畔で松江フォーゲルパークの前を通りかかると午前10時50分、事前の情報では11時からのフクロウの飛行ショーが始まるので寄って見ることにした。
全天候型のセンターハウスの施設の中は世界中から集めたベコニアが展示してあり、この奥で飛行ショーが始まるところであった。観客席はコの字型、右手に幼稚園児、左手には車椅子の老人の一団、ショー開始直前に正面一番前の席に座りフクロウの飛行ショーに間に合った。このフクロウ飛行ショーの詳細は明日にしたい。
松江フォーゲルパークから1時間弱で神話のふる里、縁結びの神様で名高い出雲大社に到着。
出雲大社の左にある無料駐車場に車を置いて正面の大鳥居からは入らず、脇から参拝、松の参道左にある彫刻、瀧徹作「神話の社」、三本の石で森をイメージして白い大理石は神話に登場する、兎・八岐大蛇・猪・鼠が集い遊ぶ姿を抽象的に刻んだとか、凡人にはどうしてもイメージが湧かない、分からない、作者にイジメられている気がした。松の参道は真ん中を歩くと松の根が傷むので両脇歩くように注意書きがあった。
「因幡の白兎の神話」の主人公である大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)を祀る古社の前にある御慈愛の御神像。
ムスビの御神像、出雲大社の御祭神”大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)”が、幸魂奇魂(さちみたま・くしみたま)を拝戴される様子を表した像なのだそうです。格好を真似してみましたが、今年もビリに終わったベイスターズの帽子を被り”お手上げの主の老狼”にしか見えません。これでは優勝との縁結びは当分なさそうです。
平成の大遷宮で御本殿は仮本殿でした、平成20年に仮殿還座祭を行い神様はこちらにお住いです。縁結びの神様に30代とみられる女性二人の観光客が参拝していました。真ん中に千木が見えるのが修造された御本殿ですが周囲の建物が修造できる平成25年5月10日が本殿還座祭です。右は神楽殿です、長さ13m周囲8m重さ5トンの巨大な注連縄の神楽殿を御本殿と勘違いする人が多いそうです。
忘れもしない27年前の8月12日は出雲大社を息子と二人で参拝した後に、この日に電話で予約した日御碕の民宿に向う途中でラジオからJALが大変なことになっていた、民宿の女将さんに報せるとTVをつけて日本航空123便墜落事故の大惨事を知ったのである。この民宿に忘れたのは女将さんに冷凍をお願いしたクーラーボックス用のハードタイプ保冷剤二つであった。忘れ物は昔からの癖となっている。
午後1時に出雲大社を出発、この日の宿は山口県の津和野まで160kmある、途中の世界遺産・岩見銀山の観光を中止して国道9号を4時間掛かって、じゃらんで予約した津和野の町中にある「よしのや」に午後5時に到着。
津和野の宿「よしのや」は全館が畳じきである、旅の疲れをとるために入った浴場は温泉ではなかった。観光地のど真ん中にあり、一分も歩かないうちに鯉の掘割やキリシタン殉教者の教会などがあり、城下町の佇まいがある白壁や格子窓など津和野藩の家老の家も近い、観光地のロケに便利な宿なのかTVや映画人の色紙が多い。
夕食のかに鍋ととらふぐの刺身、鯉の煮付けご飯は釜飯。翌朝の朝食。
翌朝は宿の駐車場に11時半まで車を置いて津和野の町を歩いて観光。
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