秋吉台と秋芳洞
萩市内から国道490号を40分も走ると日本最大のカルスト台地があらわれる、 10月に訪れた神島にもカルスト岩礁の景勝地があった、石灰岩は水に溶けやすいため石灰岩地には特有の地形がみられる、 ススキと緑に縁取られたゆったりした曲線の小高い山、ドリーネと呼ばれる陥没した凹みの谷、ラビエと呼ば れる石灰岩の柱は鬼の角のように見える地獄台と名がついたカルストの岩の山などが秋芳洞の上あたりに展開する。秋吉台の台地の下にある鍾乳洞の名前が秋芳洞と気がついたのはつい最近のことである。秋吉台と秋吉洞と思っていたが昭和天皇が皇太子時代にここに行啓した折、それまで地元では滝穴と称していたのを秋芳洞と命名された。
27年前の夏休み息子と二人で盆踊りで賑わっていた長門湯本温泉に一泊して秋芳洞に来た時は秋芳洞入口に 真っ直ぐ来られたが、今はいろいろな鍾乳洞関係の観光施設が出来ているのでカルストロードをさまよってしまい最初はエレベータ口に行ってしまった。やはり見覚えのある土産物屋のある商店街を通り、秋芳 洞案内所・入口に行くことにした。 特別天然記念物 秋芳洞の石碑、星野哲郎の秋芳洞愛歌の碑、美祢市の特別天然記念物の説明と地域指定の碑などを見ながら秋芳洞入口の来た。 日本で最大の鍾乳洞を入って直ぐにある青天井にカメラを向けたが 青天井は内臓フラッシュを焚いても青くは写らない。次の百枚皿はよく撮れたようだ。 中腹の段丘から流れ出る水が、波紋の形に固まったもの。多くの皿を並べたような姿から百枚皿と名付けられたと、団体客のバスガイドさんの説明が聞こえたが、実際には500以上あるそうです。水の波紋の端の泡立つ部分に石灰分が沈積。波紋の縁の部分だけが、長い歳月の間に盛り上がって、皿状になったといわれている。暗闇の中で白米の千枚田を思い出す。 次は洞内富士である、 富士山の次は南瓜岩であったが近くで撮り過ぎたのでかぼちゃに見えるかどうか。 それとももしかすると隣の大松茸と間違えて撮ったか?次のが千枚田ならぬ千町田と呼ばれる百枚皿のひとつひとつを大きくしたものであった、 青緑光りするような部分もあったがなん だかな~。金属の銅かな~どうかなあ~それとも植物か?鍾乳石のつらら群のある 傘づくしでは 天井からお化けの足のような形の鍾乳石が垂れ下がる。 床から立ち上がった石筍のおばけのような大黒柱、下から立ち上がった竹の子ような石筍と天井からのつららのような鍾乳石が一度は繋がったが地震で ずれて離れてしまった鍾乳石のところでまたバスガイドさんの解説を聞いて得した気分になる。
千畳敷といわれる広場にある照明案内 板、ここにはエレベーター口から入ってくる観光客はここから見学開始する場所でもある、 ここは黄金柱が近くにある。 27年前には息子と記念写真をコンパクトカメラで撮ったが今は殆どの人がデジカメである。ここで偶々黄金柱を見物していたご夫婦とお互いに記念写真を撮り合った秋芳洞で一番の名所、人気の場所である。
石灰華の瀧とクラゲの滝のぼりはどっちがどっちだか分からなくなった、くらげに見える方がクラゲの滝のぼりです(あたり前田のクラッカー、古い人でした)。 岩窟王と呼ばれる鍾乳岩は何かようかい(妖怪)と言わんばかりに見えた。 五月雨御殿はこの名前の意味を理解できない暗闇の世界です。 竜 の抜け穴は逆に3億年の世界から妖怪が出てきそうな穴でした。最後にマリア観音を出合って何かほっとする気分でした。 この先は3億年のタイムトンネルを通り、観光バスの団体客が入ってくる黒谷口です。 ここでUターンして入って来た秋芳洞入口まで戻り、中から撮影した紅葉です。11時から12時まで1時間の日本一の鍾乳洞の見物が終わり、帰りに土産物店をぶらぶら見物しながら旅の記念に瓦そばを食べ てみました、熱した瓦の上に茶蕎麦を乗せ、暫く焼いて、ソバがこんがりこげてから錦糸卵など上の具をかき混ぜてつゆで食べる変わった料理でした。店の主人の説明では下関市豊浦町の川棚温泉から広まった郷土料理だそうです。
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