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2012年11月27日 (火)

松下村塾と萩城下町

0271 津和野は「野原などに咲くつわぶきの花、つわぶきの生い茂る野」から「つわの」になったと言われる。その津和野郊外の鴎外記念館から松蔭神社の萩まで、司馬遼太郎の「街道をゆく」ではないが「つわぶき街道」と言われる島根県と山口県の県道13号線、萩・津和野線を路傍に咲くつわぶきの花を愛でながら街道をゆく。正午過ぎに津和野を出て、松蔭神社まで48kmを1時間20分余で到着、松蔭神社の駐車場に止めて、境内にある土産物屋兼蕎麦屋で遅い昼食を済ますと目に入ったのは壁に貼ってあったお国自慢、15131 15141 維新の先覚者吉田松陰のゆかりの地をここから巡りはじめる。衆院選真近になって離合集散して世間を騒がせている政党・政局、第三局とか呼ばれる老党首が代表になった維新の会ではない、松下村塾で明治維新の原動力となった多くの逸材を育てた維新の先覚者である。 吉田松陰の小さな私塾から探訪する前に松15171_2 蔭の絶唱の碑が目についた。 「親思うこころにまさる親ごころ きょうの音ずれ何ときくらん  寅二郎」安政の大獄に連座して江戸伝馬町の獄に投ぜられ、いよいよ処刑を覚悟した松蔭が郷里の両親達に書き送った便りの中にある永訣の一首である。享年三十、まことに親を思う孝子の至情の表れであり、断腸血涙の絶唱との解説文が隣にある。寅二郎は松蔭の通称。

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当時この地域が松下村と呼ばれた松下村塾と看板、講義室内の床の間にある竹に書かれた松下村塾聨がある。右の写真は維新や明治政府の中心となる人物の肖像画が飾ってあった、上段左から久坂玄瑞、高杉晋作、吉田松陰、前原一誠、木戸孝允(桂小五郎)。中段左から山田顕義、品川弥二郎、野村靖、山県有朋、伊藤博文。三段目堺二郎、飯田吉次郎、河北義次郎。15260_2 15320_2 国指定史跡となっている吉田松陰幽囚の旧宅、実家である杉家で謹慎生活を命じられた。松下村塾と松蔭神社の中間にある。

15370杉家旧宅の奥に、吉田松蔭を祭神とする神社で御神体として松蔭愛用の赤間硯と父叔兄宛に書かれた書簡の二品が祀られている。この後に伊藤博文の旧宅と別邸に向う前に境内で松蔭になったつもりで高杉晋作と記念写真を撮る。薄毛・抜毛・細毛の総髪の15460御三毛、松蔭の2・5倍近く年老いた素浪人には志が立つものは何もなく、今となっては維新には自信がなかった。初代内閣総理大臣となった伊藤博文の銅像・旧宅・別邸は松蔭神社の右脇の道を歩き、松蔭神社ご本殿と同じ位の位置にある。

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15561_2旧宅の横の広場に建つ、銅像よりも台座の方が大きく高くて立派に見えた。農家に生まれ9歳の時に萩に来て伊藤家に住むようになり、1857年に松下村塾に入塾、15590 1863年長州ファイブ(蕎麦屋の壁に貼ってあった長州五傑)の一人として英国に留学、明治になり憲法制定に携わり、初代内閣総理大臣となった。隣にある別邸は1907(明治40年)に東京府下荏原郡大井村に建てたもの、玄関・大広間・離れ座敷を萩に移築した。次は境内の駐車場に戻り、市内を移動して萩市中央公園の駐車場に車を置いて武家屋敷の見学。
15641 高杉晋作誕生地の斜め向かいにある晋作広場には平成22年10月に「高杉晋作立志像(江里敏明作)」が建てられた、松下村塾に通っていた20歳頃をイメージした像。15650 15660

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萩城下の菊屋横丁にあった高杉家。晋作は家禄二百国の大組士 高杉小忠太の長男として天保10年(1839)8月20日生まれた。幕末の風雲児高杉晋作ゆかりの地である。
15740 15750 田中義一の誕生地の石碑16070_2 15760_3

と白壁の城下町の武家屋敷の町並みが今に残る。

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重要文化財菊屋家の庭園、毛利輝元の萩入国にしたがい山口から萩に移り、城下町造りに尽力して呉服町に屋敷を拝領して代々大年寄格に任命された豪商の佇まいが偲ばれる。

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16050 国指定史跡、この旧宅は木戸孝允(桂小五郎)の実父、和田昌景の家です、木戸孝允は天保4年(1833)この家に生まれ8歳の時に近隣の桂家の養子にいって桂小五郎を名乗りましたが、生まれてから嘉永5年(1852)に江戸に出るまでこの家で過ごしています。

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国指定史跡「萩城下町」の一部であり、青木周弼旧宅という単独指定ではない、青木周弼は医者の家に生まれ漢方医学を学んだ、幕末当時は日本屈指の蘭学者でした、彼のもとには全国から学生が集まり、そのためにこの家を安政6年(1859)に新築しました。

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萩城下町の武家屋敷の最後は江戸屋横丁の円政寺、高杉晋作と伊藤博文の勉学の寺、拝観料200円で中の鳥居をくぐると住職が変わった形の鳥居の説明、寺と金比羅社の神仏混合のために鳥居の柱の上に数珠の玉がある。境内には菊の御紋もある、高い大きな灯篭の台座に仕掛けがあり、灯篭の下が可動するので大きな地震がきても倒れたことがないとか、高杉晋作が子供の時に怖れた赤い天狗の面の話など話し好きな住職が付き合ってくれた。

萩の宿はじゃらんで予約した津和野の宿「よしのや」姉妹宿の夕日の宿 海のゆりかご「萩小町」である。

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宿の部屋は一階の海辺にある露天風呂の隣にある角部屋、元は露天風呂がここにあったそうです。部屋からの海の眺め、元露天風呂があった風情が残る。内風呂の温泉と丸い桶の露天風呂。日本一と称していた海岸の岩をそのまま利用した温泉の名は海鳴りの湯、磯の海鳴りが時かに聞こえる。久し振りにこの部屋では部屋食であった。

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