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2012年11月26日 (月)

山陰の小京都・津和野

15日は宿泊した津和野の宿「よしのや」の駐車場に車を置いて、朝食後の散歩は山陰の小京都といわれる、津和野の市内観光である。宿の前の通りは津和野観光のメインストリートの「殿町通り」なまこ壁と掘割の通りである。

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殿町通りの掘割、宿から30秒で城下町並みにとけ込んだ西洋ゴシック建築、キリシタン殉教の乙女峠の悲劇をくり返さないようにとドイツ人によって建てられたカトリック教会。 錯覚なのか27年前はこんなに肥えた鯉は見なかったような気がする、自分がメタボになったのか鯉がメタボになったのか、観光客の脚の下に来いと投げる餌に鯉が寄ってくる。メタボ鯉の原因はこれかも。

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全国に名を馳せた幾多の秀才を輩出した藩校養老館、明治の文豪森鴎外もここの出身。お祭りで屋台が出て古都の風景の邪魔をするので一部しか撮れない。真ん中は亀井氏11代にわたり家老職を務めた多胡家の間口4m長さ26mの立派な武家屋敷門。藩校養老館の前、殿町通りには白いなまこ壁の家老職を務めた武家屋敷門が3軒あったがお祭りの屋台で撮れなかったのが町役場となっていた大岡家の武家屋敷門もあった。

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弥栄神社の樹齢540年以上の欅の御神木。京都八坂神社より伝わった鷺舞は弥栄神社の古典芸能神事である

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弥栄神社の次は太鼓谷稲荷神社、ここは日本五大稲荷のひとつである。京都伏見稲荷の千本鳥居に似ている商売繁盛・開運・厄除け・福徳円満の成就で奉納された1000本の鳥居が九十九折れのトンネルとなり、山腹に抱かれた朱塗りの本殿まで続く、運よく11月15日は例大祭であった、本殿の中、神官の前で二人の巫女が舞っていた、小さな社に数多くの小さな白狐が祀ってある、帰りは下りで多少は楽な千本鳥居のトンネルであったが年一回の例大祭とあって年老いた参拝者が休み休み、次々に上って来られるが朝は若い人には会わない。

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次の歴史散策は町並みの西側にあるJRの線路を越えて左に曲がる坂をあがると歴代津和野藩主の菩提寺である覚皇山永明寺山門がある、山門をくぐると広場があり、その右側の錦秋の中に本堂が奥にある、広場の左の一段高い場所、本堂正面と向き合った場所に代々津和野藩の藩医であった森家の墓所があり、その一番奥に軍医でもあった森鴎外の墓がある 「石見人 森林太郎として死せんと欲す」という鷗外の遺言により、お墓には珍しい文字で「森林太郎墓」としかない質素なお墓、落葉の中に白菊が供えられていた。この寺には大坂夏の陣で手柄を立てたが千姫事件で将軍家の怒りを買い切腹をした悲運の武将、津和野藩藩主であった坂崎出羽守の墓所が奥にある。

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14801_2 14821_2 JR津和野駅と改札口、27年前に息子に見せた貴婦人と呼ばれるC571はここで撮影したのである。SLやまぐち号は土日の運転のみ、平日であった11月15日は駅横広場に静態保存されているD51で我慢する。その前に撮った駅前にある津和野町の観光案内と駅待合室のポスターを撮る。今年のSLやまぐち号の最終運転日は二日後の11月17日であったがこの日は世界遺産・岩見銀山の見物であった。

14761_2 14771_2 津和野にも葛飾北斎の美術館があった、当地から初ずりの「北斎漫画」が発見された縁で葛飾北斎美術館を建設したそうです、今年見物した小布施の北斎美術館よりは規模が小さいが版画・版本・肉筆画などが展示されていたが館内は撮影禁止、写真は最初のご挨拶の一枚のみ。津和野駅前には赤茶色の岩見瓦と白壁となまこ壁の美術館、この町の出身である安野光雅氏の津和野町立安野光雅美術館がある。やさしい雰囲気ただよう独特の淡い水彩画の漫画や本の装丁などで国際アンデルセン賞などを贈られている。ここも館内撮影禁止なので入口にあったこの一枚だけである。二つの美術館を鑑賞後は5,6分歩いて宿の駐車場に戻り、今度は森鴎外記念館と旧居の見学で萩方面に車を走り出す。

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殿町通りから津和野大橋を渡り、津和野川沿いを2,3分車を走らせると旅の駅鴎外村ふる里の前に森鴎外記念館があり、その後ろに鴎外の旧居がある。記念館内は撮影禁止で入口の写真歩きながら一枚パチリ。鴎外の旧居は撮影OKである。下の写真の写真は右から父親森静雄、母森峰子、左が鴎外の本名は森林太郎。

4時間以上かけた古都津和野の観光であったが山の上にある津和野城祉に行く余裕がなく昼過ぎには「つわぶき街道」を萩に向った。

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