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2013年1月

2013年1月29日 (火)

勝ち負けのない武道

5年前から浜離宮庭園での新年の恒例行事となっている、6031_2 放鷹術の実演を見に行くようになりここ数年前から放鷹術の合間に合気道の演武が行なわれていた。演武が始まる前に箱根駅伝などの見物に移動して演武を見たことがなかったが今年も昨年同様に日本晴れの陽光の下で2日午前10時半頃の放鷹術の始まる前と11時からの放鷹術実演後の12時頃に合気道の演武を二度も見物した。

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澄んだ青空に陽気も寒さを感じることなく日の光があふれるなかで合気道の演武が始まりました。観客は冬支度の服装ですが、合気道の演武者の胴着は柔道・空手などと同じような白晒し筒袖・前合わせの上衣に下は黒袴を着用していました。司会者の説明によると、合気道は他の武術やスポーツと異なる最大の特徴は相手と戦う事でなく勝ち負けを目的としない護身術である。合気道では基本的に試合を行いません。ここが、他の武道と大きく異なる点です。

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いつもの様に独断と偏見で、演武者が男性と男性、女性と男性の組み合わせは割愛です。女性同士の演武だけを撮影しました。

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画面もいつものようにクリックすると拡大しますが1画面は50kbに縮小してあります。

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中年女性と若い女性の演武でした。中年女性に打ち掛かると、いつも投げられている若い女は円運動のような動きの受身に見えましたが初めて見る合気道は護身術の武道の一つに見えました。若い女性が反撃?する場面は次回のお楽しみに!

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2013年1月26日 (土)

放鷹術の実演

大塚紀子鷹匠の著書「鷹匠の技とこころ08169l_3  「渡り」と「飛流し」の鷹狩り用語の解説は第三章 鷹と野に出る 狩のまえの調教P127④渡り・・・「渡り」とは、樹上などにとまった鷹を拳に呼び戻すことである。P132の⑦「飛流し」は空中に放った獲物を捕えさせることであり、実際の狩を想定した仕上げの仕込になる。P162に「羽合:はわせ」は日本の鷹匠の独特な猟法の一つで、鷹に加速をつけてやるために、拳から鷹を獲物に向って投げるように押し出すことをいう。この本は調教用の器具の名前や鷹狩りの専門用語を初心者にも分かり易く、写真と挿絵でも体系的に解説しているので鷹狩りの入門書ともいえる。

今年の実演では諏訪流第17代宗家、田籠善次郎鷹師の「羽合」「飛流し」「渡り」の妙技であった。今年は午前11時と午後2時の2回とも見物した。

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「飛流し」鷹匠の拳から飛び立ったオオタカがバードランチャー(放鳥器)から飛び出した鳩を一瞬で捕獲して地上に降りた、オオタカの飛び出しとバードランチャーから打ち出された鳩をカメラはこの一枚しかピントが合っていなかった。「飛流し」は実際の鷹狩り、そのもの実演であった。

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「飛流し」を始める前に田籠鷹師が内堀広場の立ち木に向ってオオタカを羽合せした。

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立ち木にとまったオオタカ

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樹上にいるオオタカに、餌合子(エゴウシ:切り身にした肉を携帯するための容器)の蓋で音を出したり、声を掛けたり、呼子で合図して呼び戻すことを「渡り」という。

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立ち木や飛び出した鳩に目掛けての鷹を投げるように押し出す「羽合せ」を実演する田籠鷹師、人馬一体は乗り手と馬の心が一つになるように、鷹匠と鷹が追求する究極の感覚が人鷹一体といわれる鷹狩りの醍醐味である。

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鷹は短距離で獲物を捕らえるように訓練されているので獲物が飛び出した瞬間に、追跡よりも早く、空中で鳩を捕えてしまう。ファインダーからの目線では空中での追跡に追いつかなかった。

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これも訓練されているのか捕えた鳩をあまり傷つけない

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鷹がハトを傷つける前に鷹匠が切り身の餌を見せて気をそらして、鷹の爪から傷つけないようにハトを外した。放鷹術実演の終了である。

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2013年1月23日 (水)

四人の女性鷹匠

正月の浜離宮庭園での諏訪流放鷹術実演に妙技を披露した女性鷹匠達です。

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女性鷹匠の第一人者、オオタカ若を据える諏訪流鷹匠 大塚紀子さん

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放鷹術実演会の観客の中からの希望者、外国人(オーストラリア)の女性に「据替(すえかえ):鷹匠以外の人に鷹をとまらせる」の指導をする大塚紀子鷹匠

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観客の中から小学生の女の子の希望者に据替の指導をする大塚紀子鷹匠

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観客の中から据替の女性希望者を指導する大塚紀子鷹匠

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オオタカ若を据える女性鷹匠補

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実演後の女性鷹匠補の据えるオオタカの周囲にあつまる観客、オオタカは背後に人が来ると嫌がる性質がある。

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実演会当日の司会を務めた女性門下生とモモアカノスリ(ハリスホーク)

1月2日の放鷹術実演に出演した女性鷹匠たちでした。

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2013年1月20日 (日)

女性鷹匠

今夜10時のBS161 BS-TBSのTV番組の紹介です。正月2日の浜離宮庭園で放鷹術の実演を見てきた女性鷹匠の大塚紀子さんが出演するTV番組をお楽しみに!

番組タイトル女子才彩「鷹狩りの伝統を残していきたい」
番組概要

今や女性の力なくしては語れなくなった日本の社会。さまざまなシーンで日々奮闘する女性を彼女たちの人生の転機を紐解き、その素顔に迫ります。鷹狩りを学問する鷹匠

番組詳細内容
出演者
「司会」石山智恵
「ゲスト」大塚紀子さん(鷹匠)
番組内容
人と鷹が一体となって狩をする「鷹狩り」。中央アジアで6千年前に始まり、日本にも4世紀ごろに伝わってきたと言われています。その鷹狩りに魅せられた女性が大塚紀子さん。鷹狩りの流派・諏訪流の門を叩いて17年になる大塚さんは4年目に「鷹匠」の得ました。今は鷹匠として後進の指導にあたっています。また大学院で鷹狩りを研究し、学術的まとめようとしています。実演会にカメラが密着、鷹狩りの妙技も紹介します。

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1月2日浜離宮庭園の放鷹術の実演会にて、諏訪流鷹匠の大塚紀子さん

次は単行本のご紹介です。著者の大塚紀子さんは諏訪流鷹匠である、1月2日実演前の慌しい時間に、この本にサインをお願いしたら快く応じてくれた、妙齢の美人である。放鷹は古代の埴輪の時代や古事記の時代まで遡り、渡来人まで登場する歴史的背景など興味深い内容だがまだ全頁を読破していないので出版元のコメントを参考までに紹介する。
鷹狩の歴史は古い。渡来人がもたらしたとされる鷹狩はすでに記紀万葉に登場し、貴族社会に受容された後には武家政権や戦国大名に継承されてゆく。鷹狩文化を保護した最大の功労者は家康であり、放鷹術は幕末まで厚く保護され、維新後は天皇家に受け継がれた。
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将軍家および天皇家(宮内省)に仕えたのが諏訪流鷹匠である。戦後、公式の鷹狩は中止され、廃絶をおそれた第十六代鷹師・花見薫は民間の田籠善次郎に十七代を允許し、伝来の『鷹書』を託した。一九九五年にこの十七代に弟子入りした著者は、鷹狩文化を伝承してゆくことの重要性を痛感して、〇六年早大大学院に入学、〇七年には諏訪流認定試験に合格し、晴れて鷹匠となる。
本書では鷹狩の歴史、文化としての鷹狩の現況と未来をも扱っているが、圧巻は第二章「鷹の調教」、第三章「鷹と野に出る」である。鷹という高貴な猛禽を飼育し、左拳に据えて実際の狩に至るまでの、数百年間門外不出とされてきた極意の逐一が初めて一般に公開される。「人鷹一体」を追求し鷹匠のこころの体現を目指す著者の、伝統文化を後世に伝承したいとの想いは揺るぎなく、かつ感動を呼ぶ。カラー口絵を含み図版多数掲載(出版元白水社のコメントより)

本日22時からのBS-TBS161 「女子才彩」の予約と録画をセットして、今からわくわくしながら今夜の放送を楽しみにしている。

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2013年1月16日 (水)

予期せぬ出来事

アクシデントは不意の出来事、思わぬ事故など。ハプニングは予想外の出来事、偶発的な事柄、日常的に起こり得る程度のアクシデントよりも軽い状況であり、良いことも含まれるがアクシデントはトラブルと同じで悪い出来事や事故である。

正月4,5日に一泊旅行の熱海から戻ると一年前と同じ症状が出てきた、気管支喘息で咳が止まらない、5,6日の土日は医者が休みなので市販の咳止めを飲んだら足のふくらはぎと太腿などの柔らかい部分が赤くなり痒みを覚え、薬疹の兆候が出たので飲むのを止めて7日に医者に行き、1日に4回内服する7日分の内服薬を今日も飲んでいるが症状は多少和らいだがまだ治癒には至らない。
今回も薬の副作用に悩まされた、服用してから三日目あたりから腹部や背中などが痒みを伴って赤くなり、手の届かない背中などは孫の手が必需品となり、一日中手元に置いている。痒みも我慢出来ないが酷い喘息に悩まされるよりはましである。
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正月から気管支喘息のアクシデントに見舞われるのはこれで二年連続である。余生を生き抜くには体力・気力の低下とともにアクシデントとも付き合いが必要になる。
正月2日の浜離宮庭園の諏訪流放鷹術の実演においてもアクシデントが起きていた。4931

初日の実演前の説明によると、12月26日に事前の予行演習で電通ビル48階の屋上、213mからハヤブサを放したが、この地にシベリアから飛来していたオオハヤブサに追われて、驚いて下で振り鳩していた鷹匠の元には戻らず、行方不明になったそうです。そんな訳で目玉のハヤブサの実演は中止でした。

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正月2日の午後2時から二回目の実演前にもアクシデントがあり、このオオタカが輪回り前に何かに驚いて飛んでしまいました。

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地元のカラスの集団に追われるオオタカです。

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先頭の下を飛んでいるのがオオタカ若8ヶ月です。

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近くの松の木に飛んで行きます

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カラスがどんどん増えてオオタカを追います、オオタカは鴨場の松の木にとまりカラスの群れから逃げましたが、鷹匠がいくら呼んでも戻りません。午後二時からの輪回りは間に合わず、5人の鷹匠のによる実演の開始となりました。アクシデントはこの日も起こりました。

今年もアクシデントで年が明けていまだにアクシデントの喘息に悩まされて半月が過ぎて、未だに自宅待機が続いています。


何をするにしても健康でなくちゃーと
茶を飲みながら大雪の様子をTVで見ながら一日が過ぎてゆきます。

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2013年1月 8日 (火)

初めは輪回り

放鷹術の実演は鷹をその場の雰囲気に慣れさせる輪回りから始まります。5年前は11名の鷹匠が実演に参加していましたが今年は6名でした。

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田籠鷹師を先頭に鷹匠・鷹匠補・門下生など今年は6名の輪回し

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鷹を左手に据えて時計回りに会場で静かに回ります

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横一列並んでの挨拶

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輪回りの先頭は田籠鷹師

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二番目は大塚鷹匠

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三人目はハリスホークの鷹匠補

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4人目はオオタカ若の女性鷹匠補

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5人目も女性鷹匠補、据えているのはオオタカ

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最後は門下生

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2013年1月 6日 (日)

モモイロノスリの振替

モモイロノスリ(ハリスホーク)は扱い易すく、よく慣れることでタカ狩の入門種として人気がある。
「振替」とは、鷹が他の見知らぬ人の拳にも恐れずに乗ることを教える調教である。鷹は顔を見分けるため、どうしても据前*(すえまえ)にばかりなつきやすい。しかし伝統的な放鷹では、鷹狩とは鷹匠が行なうものではなく、鷹主であり、鷹にとって初対面の天皇や将軍といった貴人が行なうものであった。そのため、誰の拳からでも放つことができるように教えておく必要があるのである。(出典:諏訪流鷹匠 大塚紀子著 鷹匠の技とこころ P130より)*鷹の担当者

正月2日の浜離宮庭園の内堀広場での諏訪流放鷹術の実演で観客の中から大人と子供の振替実演の希望者が登場します。初日午前中の最初の振替実演の希望者は鷹匠の世界に女性の進出が目覚ましいかのように女性と女の子でした。
最初は水平に保った拳の上に鷹を安定して止まらせる据えから始めます。

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左手に鞢(えがけ)を嵌めても羽ばたくハリスホークを怖がる女性にハリスホークの据え方を指導する田籠鷹師

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ようやく落ち着いて据えができましたので振替の開始です

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相方にいるのは大塚鷹匠の指導を受ける小学生の女の子、左手の大きな鞢(えがけ)がだぶだぶの様子です

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餌合子(エゴウシ)切り身にした肉を携帯するための容器、蓋を叩いて鷹を拳に呼び寄せ、ふわりと拳に止まる鷹をつくる。

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女の子一人でハリスホークを扱ったが・・・

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ハリスホークが下に降りてしまった

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どうやら餌合子(エゴウシ)から落ちた肉を食べに下りたようです

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ようやく女の子の鞢(えがけ)の上に据えました、振替の開始です。

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最初の女性が持つ餌合子を目掛けての振替

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門下生にハリホークを据えさせてこの日最初の振替が無事終了です。

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2013年1月 4日 (金)

蒼鷹の振替

毎年恒例の1月2,3日に浜離宮庭園で行なわれる、諏訪流放鷹術の実演を見物に今年も行って来ました。今回で21回目になりますが、このブログでは5回目になります。
当日の実演されたオオタカの「振替」を最初に載せます。

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女性の鷹匠補と鞢(えがけ)と呼ばれる、いぶし鹿皮製の手袋に乗る2才のオオタカ 

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鷹匠補からの最初の振替は省略してあります。田籠善次郎第17代鷹師の手からオオタカが飛んだ瞬間です。

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大勢の観客(主催者発表1万人)の前を飛んで行く

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地面スレスレに飛んで行く

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今度は鷹匠補から飛ばす(オオタカを受け取る振替の時は後ろ向きでオオタカも顔が見えないので省略してあります)

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一番前の観客席から400mmFXでノントリ撮影

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目の前を横切って田籠鷹師目掛けて飛んで行く

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地上にいる獲物に気つかれないように、やはり地面スレスレに飛ぶ

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後ろ向きで構える田籠鷹師の前にくると鞢に持つ餌に飛び上がる

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そして鞢にとまりご褒美を食べる、この動作を3回くり返した、鷹匠間の距離は約20mと思われる。

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2013年1月 1日 (火)

新春来福、元楽萬年

門松は、冥土の旅への一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし。

人間「おぎゃ~」と生まれてから全ての人は、冥土に向っての旅人となる。人生長いか短いかは、神のみぞ知る、
人の運命次第。
平均寿命とは0歳児があと何歳まで生きるかの平均余命=平均寿命となる。
団塊世代の65歳の平均余命は男18・86歳、女23.89歳である。現在、75歳の平均余命は男11・58歳、女15.38歳である。自分にはまだまだ余命を感じるが統計の平均余命であって誰も保証はしてくれない。親不孝なのか亡父の歳を二年以上も長生きした、長寿の国である。これは平成22年簡易生命表の数字である。
頓知で有名な一休さん、のちの一休宗純・禅師が残したこの狂歌の時代。14、15世紀の室町時代の平均寿命は33歳と言われるのでこんな狂歌を一休さんが詠んだのも頷ける。
年末恒例に観賞したTV映画では、赤穂浪士、新・忠臣蔵の四十七士の江戸時代は平均寿命は45歳だった云われる。大石内蔵助45歳、大石主税16歳、高田の馬場で有名な堀部安兵衛36歳など切腹した四十六士(四十七士で一番身分の低い足軽の寺坂吉衛門は44歳であったが浅野家や浪士たちの家族へ報告の為に赤穂に向かい、泉岳寺には葬られてはいない。82歳まで長生きした。)の享年は平均39歳であったが堀部弥兵衛77歳、間喜兵衛69歳、吉田忠左衛門64歳、間久太夫63歳、村松喜兵衛62歳など60代以上が5人もいた。平均寿命45歳の江戸時代でも志や目的を持ったシニアは元気で長寿であった。


団塊の世代が始まった、昭和22年(1947)には男50.1歳、女54.0歳であった。手先の器用な日本人は「品質が良い」=Maid in japan のブランド力で高度成長期に世界市場を席巻した。厚生労働省も予測出来なかった超短期間に長寿の国 メイド イン ジャパンとなった。

新春来福の来福は「ふくろう」が福を持って来る意味に解しています。このフクロウには羽角と呼ばれる耳のようなものがあるミミズクと耳のようなものがないフクロウが居ます。
このフクロウとミミズクは日本には10種程度いますが鳥類図鑑では分類学上の区別がなく、両方ともフクロウ目フクロウ科に属します。1301
この鳥を撮り始めた頃はフクロウとミミズクは別物と思っていました、耳がないのがフクロウ、耳があるのをミミズクと思い違いをしていました。_dsc0434_edited2s_2 ところが地元の神奈川で撮影したアオバズクには耳がなく、北海道で初めて撮影したシマフクロウには耳がありました。耳よりな話ではなく、鳥名にも一貫性を欠く不条理ま話があった、こんな複雑な思いをしたトリ初めの頃のフクロウとミミズクの昔話です。
ところで、いわゆる「ミミズク」の耳状に見える3111 のは耳ではなく羽角と呼ばれる飾りのような羽毛です。本当の耳はフクロウと同じように顔の側面に穴があいているだけで羽毛で隠れて外からは見えない耳があります。三枚目の写真は地元・相模国のトラフズクです。
日本書記などではフクロウ類の古語は「ツク」で、ミミヅクは耳状の羽毛があるフクロウと云うことになります。ミミヅクは現代仮名遣いではミミズクになり、図鑑でもアオバズクのようになります。

前置きはこの程度にしてこれからが今年のふくろうの福初めです。

福が籠もるで「福籠」、朗らかに福を呼ぶで「福来朗」、「不苦労」は苦労知らず、難をのがれる、「不苦老」は苦労知らずに老いる、「福老」と「富来老」は豊かに歳をとる。このように「ふくろう」に関する縁起が良い語呂合わせはいろいろありますね。
数字合わせでは二九六でフクロウ、三三二九でミミズク、五三三二九でコミミズクですが二を「ツ」と英語読みの和魂洋才の知恵でしょうか。

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福路への旅路はいつも楽しい福のある撮影旅であった、初めて冬の北海道で撮影した成鳥の亜種エゾフクロウです。フクロウは西へ行くと茶褐色が濃くなり、北へ行くほど白ぽっくなります。秋に旅行した秋芳洞のお土産は大理石の白いフクロウでした。石フクロウは幸せを呼ぶ不老長寿の縁起物といわれる。

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初夏に撮影した巣立ち後のエゾフクロウの兄弟、右がお兄ちゃんです。まだあまり飛べない弟の方が白く肥えています。

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時代劇好きには眠狂四郎の円月殺法で池に近づく魚食性のシマフクロウ。L70cmW180cmの北海道に僅かに130羽程度が生息する絶滅危惧種、日本産最大のフクロウ類です。アイヌの集落ではコタンコロカムイ、村の守護神。

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数字では5333、昔思うように鳥撮りが出来ない日に、 通り掛かっ1931_4 た車のナンバーを見て「誤算で散々」と読んだら、可愛い「コミミサン」ですよ。と諭された人と鳥友になり。その後には鳥運が撮り運になりました。

右のオオコノハズクは昨夏に鳥取県で撮影したものです。フクロウはギリシア神話をはじめ、いろいろな国の伝説や物語に登場し、様々な意味を持つ縁起の良い存在です。また、「幸せを呼ぶ」「賢明」「友達」などの意味も持っている。茅ヶ崎在住のSさんご夫婦からオーストリア、チロルのお土産に戴いた名品のスワロスキー(SWAROVSKI)のクリスタルガラスのフクロウには耳があり、いまでも我が家で青い目が燦然と輝いて福を呼んでいるように見えます。

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昨年夏に撮影したコノハズク赤色型♂撮影地 鳥撮り県。三年前に輪島市の白米千枚田(しろよねせんまいだ)の棚田を撮影した時に露店で見つけたのが素焼きの上に竹の子をかわを貼った民芸品のふくろうには耳があり、ガラスの目玉がこのコノハズクに似ています。これは貯金箱ですが直近まで中は空でしたが貯まったのは福老のようです。

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巣立ち直後のコノハズク幼鳥、撮影地 因幡国、コノハズク巣立ち雛がここに因州(いんしゅう)でした。

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昔、空路で飛んで撮れた福路です。琉球木葉木莬(リュウキュウコノハズク)は内地のコノハズクとの差異がよく分かりません。 撮影地 宮古島

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亜種リュウキュウアオバズク 撮影地 石垣島の夜間撮影

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北海道の冬景色、クヌギの森で佇むエゾフクロウ、野鳥撮影を始めた頃は風景の中の鳥撮であったがいつの間にか図鑑のような大きい写真を撮るようになってしまった。フクロウは西洋では森の賢者、北海道のエゾフクロウをアイヌの人々はインサンケカムイ、獲物を出す神即ち狩猟の神として崇めています。撮影地 北海道 茅沼

2005年から始めた野鳥撮影で2012年までの8年間、北は北海道から南は沖縄・石垣島まで撮影したふくろう類です。日本中どこでもフクロウ類はいました、日本に福は有りました。
今年はその福老で新年を迎えました。ネットにあった面白の薀蓄ではふくろうの視力は人間の100倍、聴力は人間の3倍、首は270度回転して、首がよく廻るので商売繁盛に良い、頭の回転が良いとされ勉学に、視野が広く夜目が利くので時代や人生の闇に光をもたらす。
新春来福は語呂合わせの不苦労、福来朗、福老などを含めて縁起の良い「ふくろう」で年の初めです。
元楽萬年は元気で楽しいことが久しく続くことへの願いであります。長楽萬年→元楽萬年に置き換えて、天寿や長寿のみならず元気に病まずの
健康寿命あるいは、毎日の衣食住と移動を自力で出来る自立寿命への願いを込めてあります。

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