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2013年10月25日 (金)

漁夫歌人に学ぶ紀行

今年の伊良湖・恋路ヶ浜と渥美の森のタカの渡りの五日間は、鷹の渡りが極端に少なく、正直言って遠征をなかったことにしたい気持ちです。伊良湖にある芭蕉の句碑「鷹ひとつ見つけてうれし伊良湖崎」の字面(じづら)通りのようになった。
滞在六日間のうち一日だけは名所旧跡の観光地を回ったので足跡を残しておきたい。「探鳥記」では看板に偽りがあるので伊良湖港に至近の場所であり、フェリーが寄港することにあやかってタイトルに紀行を入れて自分のブログに寄稿する形をとり、カテゴリーは「趣味」の登録としたがおこがましくも紀行としたことは奇行かも知れない。

太陽崇拝の民族、日本人は太陽を敬い親しみ感謝する言葉として最近ではあまり聞かなくなったが「お天道様」と呼んで「お天道様に恥ずかしくない生き方」を心掛けたいたといわれる。日出の石門から朝日が上り、三河湾に夕日が沈む伊良湖村は半農半漁の村といわれたので漁夫であった磯丸も朝日が昇るのを見て拍手をうち、農夫は日が沈むのを見てクワをおろして合掌したであろうと思われる江戸時代の明和元年(1764)~嘉永元年(1848)の生涯に漁夫歌人といわれて村人に敬われていたと記述がある。

伊良湖の貧しい漁師の子として生まれた磯丸は、30才半ば伊良湖明神にあった奉納額の歌を人に詠んでもらい、和歌のリズムに深く感銘し、歌作りに没頭するようになりました。文字を知らない磯丸は30才を過ぎてから読み書きを習いました。現在残されている歌だけでも数万首に及ぶといわれています。中でも商売繁盛、無病息災等を願うまじない歌は数多く歌われ、その内容は人柄そのままに純真無垢な歌です。(椰子の実博物館展示パネルより)

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伊良湖観光の案内図を借用して、漁夫歌人の糟谷磯丸を偲び辿った道の案内、(10)伊良湖神社、(13)磯丸園地、②遊歩道の磯丸句碑③伊良湖崎灯台、この他に①道の駅伊良湖クリスタルポルトに併設されている「やしの実博物館」にも磯丸に関する資料が展示されている。

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磯丸が長年病床の母の回復を願い日参した伊良湖明神(伊良湖神社)ここで参詣人たちが奉納額を見上げて和歌を口ずさむのを聞き、その響きに心を魅かれ歌を詠むようになった。

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伊良湖神社境内にある左、磯丸霊神祠(いそまるれいじんほこら)と右、糟谷磯丸旧里碑(かすやいそまるきゅうりひ)

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磯丸園地にある伊良湖村の旧跡の地

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上の写真の説明文

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磯丸園地の磯丸歌碑
夏ころもきてもみよかしいらご崎
      涼しき浪のよるの月かげ

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磯丸の功績を讃え平成26年には磯丸生誕250年事業の一環で磯丸園地の歌碑の左横に新装された祈願・磯丸願貝。後方のホテルは伊良湖シーパーク&スパ(旧伊良湖ガーデンリゾートホテル&スパ)、伊良湖シーサイドゴルフ倶楽部も隣接している。

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磯丸園地入口近くにある漁夫歌人 糟谷磯丸 説明文、やしの実博物館のパネルよりも詳しく磯丸の功績と人柄が記されている。

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伊良湖灯台と遊歩道の両側の石に嵌め込まれた歌碑の数々

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磯丸歌選の中心部分、家内安全歌 むつましく君もろともに住吉のきしの姫まつ千世も榮えよ

和歌はわからなかったが文字を知らない漁夫が30才過ぎてから文字を学び85歳までの生涯に数万首も和歌を詠んだのは目指している「生涯学習」の目標のひとつになった。

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