天命・宿命と運命の悪戯
辞書を引くと「天命」とは天が人間に与えた使命。天の命令である。
孔子が「五十にして天命を知る」と論語にあるが孔子は50歳の老境に悟ることが出来たが「天命」は人間の力ではいかんともし難い神の領域、七十を過ぎても凡人には天命は知る由もない。
昔から好きな言葉に「人事を尽くして天命を待つ」この言葉はビジネスマン時代に辞令が出る度に心に念じたものである。自分の能力のできる限りのことをしたら、あとの結果は天の意思に任せることであった。同様に「天は自ら助くる者を助く」は人に頼らず自分自身で努力する者には、天が助け、成功や幸福をもたらすということのようだ。いまだに運を天を任せて小さな幸を求めている。
「宿命」とは「宿る命」と書くように、変えることができない。この世に命を授かったときに、既に自分の中に宿っていたものである。酒と煙草が好きだった父は胃から肝臓に転移した癌で71歳で他界しました。母は父の没後10年後に心不全で78歳で急逝しました。叔父(父の兄)も胃癌で亡くなりました、両親と叔父は日本人の平均寿命よりも短い生涯でした。私のDNAは両親の胃癌と心不全の遺伝子を持っていますのでこれも宿命です。
宿命は変えられないが、運命は変えられるという。「運命」とは、「命を運ぶ」と書く、自分の意思で、授かった命を運んでゆくという意味がある。場合によっては、不都合な宿命を背負っていても、運命を変えることでよりよい人生へと変えることが可能といわれる。
運命を変えるといえば、野鳥撮影に生き甲斐を求めて今年で9年目になる。この間に年賀状の挨拶をする鳥友も増えたが新年欠礼の挨拶が来る年もある。今年は先月末に幾多のご厚情を戴いた鳥友の奥様から喪中のご挨拶が届き驚愕の境地、熱心な野鳥愛好家であり、真面目なブロガーでもあったので鳥撮り仲間に驚天動地の出来事であった。
天命なのか、それとも宿命なのか運命の悪戯としか思えない訃報でした。
天命なのか、それとも宿命なのか運命の悪戯としか思えない訃報でした。
ここに心から哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りいたします。合掌
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