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2014年4月

2014年4月30日 (水)

四月の島鳥

今日は四月30日の晦日である、消費税増税の黄金週間も雨で湿ったまま四月が終わる、今年も四枚目のカレンダーがお仕舞い(お四枚)になる。
過去3年間の四月に渡った島は沖縄本島・石垣島・与那国島の三島である。この三年間に八回訪れて撮った島の鳥です。

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ヤツガシラ 沖縄県石垣市

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ヤンバルクイナ撮影地・沖縄県国頭郡国頭村

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ヤンバルクイナの採餌、今日の12時~13時のワイルドライフBS3chでヤンバルクイナとノグチゲラの生態の放送を久し振りに見ました。(追記)

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ホントウアカヒゲ 沖縄県国頭郡国頭村

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ノグチゲラ 沖縄県国頭郡国頭村

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クロツラヘラサギ 沖縄県那覇市

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カンムリワシ 沖縄県石垣市

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ズグロミゾゴイ 沖縄県石垣市

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ムラサキサギ 沖縄県石垣市

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リュウキュウアオバズク 沖縄県石垣市

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リュウキュウコノハズク 沖縄県石垣市

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コオバシギ 沖縄県石垣市

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クロサギ白色型 沖縄県石垣市

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オオチドリ 沖縄県八重山郡与那国町

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シマアカモズ 沖縄県八重山郡与那国町 

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ムネアカタヒバリ沖縄県八重山郡与那国町

PCが非常に重たくなったので近所のPCデポに故障診断に行った、オーバーホール(初期化)をしなければならない重症と判ったが初期化は写真関係のソフトをインストールするのに自信がないので重たい遅いPC(2008年11月に購入したVistaのノート、VGN-NS50B)ではこの2,3日はブログを書くのにイライラしながら半日も掛かるので本日より間をおいて更新することにしました。昨日の午後から書き出した四月の島鳥、四月の暇鳥に非ず。

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2014年4月29日 (火)

想い出桜と過去鳥

平均余命を考えると、年とともに余命は確実に減少し、過ぎ去った過去の想い出は増え、未来の時間は少なくなる反面、過去は充分にある。過去を顧みて現在を生き抜き、未来のピン・ピン・コロリを夢見て余生を過ごす、今日この頃。

さまざまのこと 思ひ出す 桜かな0060_3_2
               芭蕉

昨日の朝日の記事です「見納め 弘前公園」の見出しと写真で人気撮影ス ポットの赤い下乗橋で大勢の人がカメラを構えた。満開となった園内には32万人が詰め掛けた。石垣の大改修が今秋から始まり、内掘の一部を埋め立て、天守も一時移動する。工事は10年ほどかかる見込みだ。(記事の抜粋)
0402_3 添付の写真は昔日に
撮ったものです。しばらくお預けになる下乗橋の袂から撮った天守閣です、満開のソメイヨシノと観光客がまだ居ない早朝の下乗橋の上からの天守、満開の桜で天守が見えないので下乗橋の上からももう一枚撮影しました。全国の桜を撮影していた頃の想い出です。
昨日の弘前公園の情報ではソメイヨシノが満開になり、例年だと満開は3日ほど続き、その後、花吹雪や花筏が見られます。また本丸のヤエベニシダレは4月30日満開の予想です。

今日は過去に見た!撮った!桜と過去の鳥です。

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河津桜とジョウビタキ 撮影地 静岡県河津町

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ソメイヨシノと地元のカワセミ

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まだ蕾の時期に求愛給餌

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下向きに咲く寒緋桜とひたむきに吸蜜するメジロ

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熱海桜とメジロ 撮影地 静岡県熱海市

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三つ池公園のソメイヨシノとウグイスの囀り

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地元の桜が葉桜になってやって来たウソ

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地元で巣作り中のツミがサクラの枯れ枝を咥える

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三つ池公園の早咲きのオカメとヒヨドリ

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ニュウナイスズメ 撮影地 埼玉県

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オオヤマザクラとアトリ 石川県輪島市舳倉島

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富士桜(豆サクラ)とシジュウカラ 山梨県

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地元の満開のサクラの中にアカガシラサギ

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2014年4月28日 (月)

過去鳥

過去帳とは寺で、檀家や信徒の死者の俗名・法名・死亡年月日・年齢などを記入しておく帳簿です。家庭では仏具の1つで、戒名や俗名・死亡年月日を記して仏壇にお祀りするものです。
この過去帳ではなく、カッコーカッコーと鳴く郭公でもなく、過去に撮影してブログに貼った過去鳥です。
最近は遠征しての鳥撮りがめっきり少なくなりましたが、創めた頃や盛んな頃に撮影した野鳥の一部、それも4月に限定して撮影した写真。

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キレンジャク 撮影地 埼玉県

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カンムリワシ 撮影地 西表島

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ヤンバルクイナ 撮影地 沖縄県

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キヅタアメリカムシクイ 神奈川県

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オガワコマドリ 撮影地 舳倉島

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ウミバト 撮影地 茨城県

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サシバ 撮影地 神奈川県

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ライチョウ 撮影地 富山県

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コチョウゲンボウ 撮影地 埼玉県

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クロツグミ 撮影地 東京都

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2014年4月26日 (土)

よい風呂の日

4月26日はよい風呂の日、「よい(4)ふ(2)ろ(6)」の語呂合わせ。毎月26日は「風呂の日」、今月は「良い」が付く普段より強調されたお風呂の記念日です。この流れで6月26日は露天風呂の日。11月26日は「いい風呂の日」となります。
お風呂といえば温泉。それも源泉掛け流しの温泉。今月9、10日で宿泊した法師温泉長寿館に「よい風呂の日」の本日から封切られるヤマザキマリの人気コミックを阿部寛主演で映画化し、大ヒットを記録したコメディ「テルマエ・ロマエ」(2012)の続編。「テルマエ・ロマエⅡ」をここでロケ撮影したとの貼り紙がありました。
どのようなシーンを撮影したか不明ですがこの長寿館の玄関座敷のある本館とフルムーンで有名になった法師の湯は登録有形文化財になっている。

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国登録有形文化財の築百数十年の玄関座敷 、4月9日撮影

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玄関座敷の廊下に国鉄時代のフルムーンのポスター、上原謙と高峰三枝子の入浴シーンが今でも輝いている。

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4月10日早朝5時半の混浴時間帯、誰もいないと思ったら女性が一人枕木を抱いて外を見ながら入浴中でした。足元から湧出する湯は見えても・・・

草まくら 手枕に似じ 借らざらん
山のいでゆの 丸太のまくら
                           与謝野晶子

与謝野晶子もその昔はこのように入浴したのか

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テルマエ・ロマエⅡでは法師の湯はどのような場面になるのか?本日からの封切りを見なければ分りませんが国登録有形文化財の鹿鳴館風の窓と見事な太い天井の木を記念に撮りました

先週は永年の友達、今週は急死されたご近所の方の通夜・葬儀と二週続きました。宗派の異なる導師が引導(死者に迷いを去り悟りを開くように説法する)を渡す場面に注目しましたが友達の葬儀では導師が大きな声と身振りで引導を渡す瞬間を確認したが昨日は読経も低く引導を渡す場面がよく認識出来ませんでした、宗派が違うと引導の渡し方も違うことを知りました。
人の死は理解出来ても生きている限り、自分の死は誰もが分りません。自分にはどのような引導が渡されるのかも分りません。
「老いじたく」とはこんな妄想もすることでしょうか、元気な内に「もしものとき」を想定しておくことは「老いじたく」と言えることでしょうか。
今日からゴールデンウィークが始まったが鳥撮りの予定がない今日この頃である。

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2014年4月21日 (月)

日光戦場ヶ原と中禅寺湖

奥湯西川温泉・上屋敷 平の高房を出発してから鬼怒川温泉、今市ICから日光宇都宮道路に入り、日光IC経由して終点の清滝ICへ、一般道からいろは坂を登り国道20号を戦場ヶ原の三本松で休憩、ここまで宿を出てから90分。昨秋の紅葉のいろは坂は大渋滞で5時間も立ち往生、明智平を最後に帰宅した。今年は空いているが鳥がいない、車と人も少ないまだ残雪が残る黄金週間前の寂しい観光地であった。
撮影日4月11日

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戦場ヶ原・三本松駐車場からの男体山

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三本松土産物店の裏からの男体山、何年か前にここの店先の軒下でランプのシェードにツバメの巣があったが今年は何もなかった。

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国道120号線は湯ノ湖湖畔ではまだバリケード、金精峠の開通は4月25日、湯滝の駐車場はまだ雪の中、車も2台だけこの日は無料

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まだ観光客が少ない湯滝であった。

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湯ノ湖から戻り光徳牧場によるが道路以外は残雪が多く、道路際で5,6羽のシジュウカラが笹の中と道路を行き来して餌探し、他の小鳥は見えず。三本松に戻りトイレ脇(上の現在地付近)で下の看板を撮る

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戦場ヶ原では鳥はなにも見えなかった。

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土産物店前から撮影した竜頭の滝、中禅寺湖に近いせいか観光客は湯滝よりも多かった。

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土産物店右横の龍頭観音、龍頭の滝を見物後は中禅寺湖歌ヶ浜の立木観音に向う。

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中禅寺湖の名前の由来となった中禅寺(立木観音)に数十年ぶりのお参り(連れ合いは3年ぶりらしい)

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山門の仁王像

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左端の山門脇に工事中の鐘楼、映画愛染かつらで有名になった愛染明王のお堂と幟

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愛染明王のお堂

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本堂にはご本尊の十一面千手観音を祀る本堂内は撮影禁止、たった二人の拝観にも関わらず、立木観音の由来を説明(お土産のPRも)する僧がいたので撮影の機会はなかった。

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日光山中禅寺は784年、日光開山「勝道上人」によって創建されたお寺で、世界遺産「日光山 輪王寺」(にっこうざん りんのうじ)の別院である。 ご本尊は、桂の立木を勝道上人ご自身が手刻されたと伝わる「千手観音」様。 高さ6mと大きい。中禅寺のHPより拝借した。今年は午年なので立木観音様から五本の五色の綱が参拝者と縁があるようにと結ばれていたが撮影は禁止であった。

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五大堂から望む中禅寺湖・白根山方向、右の玉葱のお化けのような擬宝珠のある屋根はご本尊の立木観音の本堂。

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境内の最高所にある不動明王を中心に本尊の五大明王を祀った五大堂も内部は撮影禁止、中禅寺湖・白根山・男体山を一望出来る五大堂の擬宝珠の欄干から撮影した男体山。五大堂の天井には大雲竜が睨んでいた。

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本堂前の歌ヶ浜から男体山を撮影

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帰路は華厳の滝の駐車場前の蕎麦屋で、湯葉と茸のついた蕎麦で遅い昼食、お土産は名物の「たまり漬」。

老いの温泉旅はお寺参りが多くなった、立木観音のお土産は「名香 立木観音」のお線香と午年の娘のお土産に手首に嵌める五色の「五縁綱」であった。

旅から帰宅した日に友達が亡くなった。先週は二歳年下で先に逝った友の通夜と告別式の悲しい日であった。
今週はご近所の知り合いが急病で入院した翌朝に54歳で急逝する悲報があり、二週続いての通夜・告別式となる。

良き友が先に逝き、54歳の現役の人が急逝するなど「死」は不公平であり、理不尽である。
これから先「死」をどう考えるか、どう受けとめるか、老いじたくの重たい課題である。


 

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2014年4月19日 (土)

平家の末裔が営む温泉宿・平の髙房

日光宇都宮道路今市ICより車で70分、湯西川の源流近く、山あいの地に平家の末裔が生き続ける湯の里が奥湯西川温泉である。この地に籠もった平家一族の末裔の一人として山砦形式の居館を築造し、旅館名に平家家臣団の長の名前、平高房の名を戴くのが宿泊した日本秘湯を守る会と源泉湯宿を守る会の会員宿。上屋敷 平の髙房 である。(部屋の宿泊案内書を参考に手記)

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砦のような風格がある門構えと奥に玄関が見える、車ごと砦の中に入る。

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本館の玄関・フロント部分、建物は丘の斜面に客室とその上段にも客室が十六、右方に大露天風呂付き古民家の広々とした離れ(望郷亭部屋数六の53畳と閑静亭部屋数四の35畳)がある、合計十八室。左のワンボックスは1.5km離れたバス停などへの送迎用、山あいの緑豊かな盆地に今も佇む湯の里であった。

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玄関には日本秘湯を守る会と平の髙房の二つの提灯が出迎える、お客は四組の名前が見える。

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玄関に入ると正面に壁一面に源平合戦の屋島で有名になった下野国の弓の名人、那須余市の勇姿

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フロント前のロビーの一部

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部屋の廊下(宿泊は屋島)、随所に木造りの温もりを感じる

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次の間付きのバス・トイレ付きの部屋、上段にある清盛・重盛・宗盛・知盛などの平家一門の名を冠した四部屋がある。

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3時半に入館したのでまずは庭先にある露天風呂に入る、6時より女性時間となっていた、隣のもっと広い女性用は冬期は休業の様子。この宿には露天風呂が五つあるそうな。

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参考までに冬期閉鎖中の広いと思われる隣の露天風呂を撮影、見た感じはすぐにも湯あみが出来そう!

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まだ西日が射す本館内湯に入る(男女別)、外は本館露天風呂

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本館露天風呂は外の露天風呂よりも小規模、明るい内に入館したので露天風呂も本館内湯・露天風呂も独り占めでのぼせる程のんびりと温泉につかり、露天の景色を見ながら至福のひと時を過ごし、誰にはばかることもなく撮影

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6時より夕食、囲炉裏を囲むひととき、串物いろいろ岩魚・肉・団子など、平家落人の末裔と称する女将の説明では右の一升べらは味噌仕立てで鶉の骨まで入るコリコリした食感が時たまある、これでお酒が一升飲めるので「一升べら」というそうな!だがジョッキー生は二杯で満腹

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これに山菜(ふきのとうなど)の天婦羅が付くので老夫婦には食べきれない野趣あふれる砦料理、10日は木曜日で囲炉裏の間には四組のお客、部屋数は十八、囲炉裏も十八あった。

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夕食後8時に予約しておいた貸切露天風呂に入る、子宝の湯と金精の湯があるが予約は勿論、金精の湯に入るが金精のご利益はなかったのが残念無念と落ち延びた。写真は昼間の撮影

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翌朝11日も晴天、宿の砦門の外は急な斜面で湯西川に流れも込む支流の谷川、残雪が残る、緑色の木は嫌いな杉なのか檜なのか、スギならば花粉の時期は過ぎているがヒノキはまだ終わっていないかも。平家の里の方へ下るが帰りの上りの辛さを考えて500mくらいで散歩をやめて引き返す、山間で聞いた鳥の鳴き声はカラスとカケスだけ、小鳥はまだ里に降りて戻らない。それよりも担いでいた400mmのカメラが故障、SWがONしない、電池交換してもダメだった、鳥がいないので幸いかな?

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夕べの囲炉裏どころで8時からの朝食

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夕べの天婦羅は庭先のフキノトウ、朝の散歩でもまだ梅も桜も花はなにも咲いていかった。花と芽吹きは4月末からの黄金週間のようだ、だから客も少ないのだ。

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フロント横のお土産品コーナー、ここでは大女将が店番していた。ここでも民生委員は買い物、普段あちらこちらからお土産を戴くのでお返しのようだ、時々我が家と孫へのお土産を忘れるのが玉に疵。

三日目も天気が良いので9時半に中禅寺湖に向うことにした。昨秋は紅葉で大渋滞、宿泊した鬼怒川温泉からいろは坂を登ったところで午後3時となり帰宅した、そのリベンジでもある。

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2014年4月17日 (木)

秘湯から秘湯へ

上野国(こうずけのくに)から下野国(しもつけのくに)へ、群馬県から栃木県へ、弘法大師空海が順錫の折の発見と伝えられ、川底から湧き出る処に建てた法師乃湯から壇ノ浦の合戦に敗れ逃れてきた平家落人が、河原に湧き出る温泉を見つけ傷を癒したと伝えられる湯西川温泉へ。日本秘湯を守る家会の会員旅館、旧三国街道の三国峠にある山の中の一軒宿「法師温泉」、明治時代から一世紀以上の歴史を刻む鹿鳴館風の大浴場「法師乃湯」の温泉に癒され、翌朝は末はころり観音にお参りした朝食後に宿をたち、国道17号を沼田に向かい国道120号から下野国の山奥にある奥湯西川の平家の落人伝説の宿、日本秘湯を守る家会の会員旅館、上屋敷 平の髙房 に向う道中の景色と花鳥風月である。

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法師温泉の玄関前、法隆殿の外壁に掲示してある日本秘湯を守る会会員旅館一同の挨拶文。

法師温泉は山の中、手前にある猿ヶ京温泉でもまだ梅も桜も咲い002 ていなかったが平地に降りてきた沼田付近からは梅も桜も花開いていた。前日の昼食に寄った猿ヶ京温泉の「岡村うどん」温かい地鳥のつけ汁につるつるした腰の強い、冷たいうどんが旨かった。ご主人から沼田 から国道120号に行けば金精峠越えの近道になると聞いたのでこの道を進んだ。老神温泉から吹割りの滝を過ぎ、右に片品温泉、120号の直進は白根温泉となる交差点に大きな看板、金精峠は4月25日まで閉鎖の文字を見て慌ててUターン。来た道を老神温泉まで戻り、古いナビの情報では左折して267号を薗原湖沿いに走り薗原ダムの上を通り、62号に出て群馬県桐生市黒保根村で122号に合流した。

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黒保根村の十二山神社の満開の桜に出会う

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黒保根村の道端で撮影した水仙などの遅い春を告げる野花

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国道122号線をわたらせ渓谷鉄道沿いに暫く走ると二年前にも法師温泉の翌日に寄った奥塩原・平家平温泉御宿こまゆみの里に行く途中に休憩した草木湖ドライブインで満開の桜を愛でる。

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貧乏神と疫病神の木像、左手前の棒杭を身代わりとみなして参拝者がこの棒杭を竹棒やバットのような叩き棒で思い切り叩いて追放する。心の中では他の者を思いながらも叩く、スッキリした。右は2021_2 湖畔から遠望した二子山と草木湖の寝釈迦などを見物した。
二年前はここで蕎麦を食したがあまり旨くないので今年は通過した。122号を草木湖・足尾・清滝ICから高速に乗り日光を通過、今市で121号線に入り鬼怒川方面に向う。途中の蕎麦屋一歩庵で昼食をとる。

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湯西川温泉は、平家落人伝説の地として古くから知らされていた。湯宿に入る前に復元された平家の里を拝観した。

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入口にある平家物語の冒頭の有名な書き出し、昔は暗記したが今は忘却の彼方なり。暗記力・記憶力も久しからず。

祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰の理を顕す
驕れる者久しからず
ただ春の夜の夢の如し、
猛き人も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

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九つの茅葺屋根の復元された家あり、二と三は調度営みどころでは生活様式がみられる

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囲炉裏の間

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外観がこのような茅葺の家屋が九棟

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四、五、六は床しどころと呼ばれる展示館

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紅顔の貴公子、笛の名手の平敦盛像

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入道姿の平清盛像

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種々伝えどころ、座敷の側面から

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種々伝えどころ、奥の正面

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下関赤間神宮より分祀された、壇の浦で崩じられた八歳の安徳天皇を祀る湯西川赤間神宮

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平家の武具や金銀財宝を埋めた所と伝えられている平家塚、奥に見えるのが入口の冠木門と太敷館(受付)

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平家塚の説明

平家の里から車で5分もすれば奥湯西川の湯宿、平の髙房に到着した。さらに1km先は平家狩人村がある。

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2014年4月13日 (日)

法師の湯と末はころり観音

弘法大師が発見したと伝えられる法師乃湯に、弥生三月の自分の誕生日か、家内の誕生月卯月4月のどちらかの誕生月の前後に毎年通っている法師温泉・長寿館である。今年で野鳥撮影10年目の合間に7回目の法師温泉となった。
今年は長寿館の景色が変わり、昨年10月26日の十年に一度の強い勢力の台風26号といわれ、各地に甚大な被害を及ぼしたが、本館横の太い樅の木が倒され、3本の切り株だけが残った。
訪れる度に入りたいと願っていた、三つある浴槽のうち今まで女性専用の「長寿の湯」に男性専用の時間帯が設けられた。
それに今まで気付かなかったが日本野鳥の会の創始者、野鳥研究家・詩人・歌人の中西悟堂先生の詩の足跡を発見した。

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本館右の渡り廊下の右横、本館二階客室19号室前にあったモミの木がなくなり長寿館の風景が変わった。

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玄関を入って直ぐの古風な佇まい

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まだ寒いので玄関左の囲炉裏の火が恋しくなる

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玄関座敷の横にあるこの温泉の名物、旧国鉄時代の高峰三枝子と上原謙が入浴したフルムーンの絵を今年も撮りました。

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3時前に入館したので準備中の玉城の湯を内湯から見た露天を撮影

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玉城の湯の野天風呂

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3時過ぎから男性の時間となった長寿の湯に初めて入浴、桶と腰掛がそれぞれ3つしかないこじんまりとした浴室でした。

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浴槽の上に「長寿祝」を掲げてある。読み方すら分らない祝いもある、どこまで進むのか、長湯をしているとボーとして字が見えない、先も読めない。

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還暦・古希・喜寿・傘寿・米寿・卒寿・白寿・百寿・茶寿・皇寿の十段階、まだ二段階目である、三段階の喜寿は三年先、長寿と云うにはまだ先は長い。

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温泉のハシゴである、午後3時半に法師の湯を一人じめする、男性側の入口からの撮影

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今度は女性側入口からの撮影、浴槽の底にある玉石からもプクプクと温泉が湧き出ている。与謝野晶子も癒された温泉。

草まくら 手枕に似じ 借らざらん
山のいでゆの 丸太のまくら  与謝野晶子

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午後6時からは夕食、毎年同じような献立である、昨年は虹鱒が塩焼きであったが今年は焼いて甘酢がけであった。

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9時に玉城の湯に入る

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玉城の湯の湯煙上がる野天風呂

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玉城の湯の温泉成分表

温泉で癒したあとは館内の見物で新たな発見をする

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本館二階から薫山荘に渡る廊下に掲示してある地元群馬県出身の中曽根康弘元総理の雁と蝉の句額

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額に装丁された中西悟堂の野鳥の詩歌を詠んだ4枚の直筆

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朝の散歩は三国峠へ4kmの標識を横目に見ながら100m坂を登ると「末はころり観音」へのお参り、右は入魂記念碑、曹洞宗管長が行なったのをはじめて知る。

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「ぴんぴん長生き、ころっと往生」の世の中の大多数の願い。ただ長寿を願うよりも、家族や子供に迷惑をかけないよう元気に長生きをし、介護生活など苦しく事なくころっと死にたいという願いだが「末はころり」と往生を願う観音様に朝のお参り、昨年は雪が深くここまで来られなかったので途中で立ち往生した。

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さらに50m進むと周囲に残雪が残る逢初(あいぞめ)の滝が法師川の対岸に落ちる

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宿に戻る道すがらの風景、カケスが三羽、飛びながら駆けつけ三回鳴いていた。

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法師川に掛かる橋の袂に水芭蕉が春を告げていた

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夕食に出た天婦羅の蕗の薹も花が開いていた

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8時に朝食を摂る、朝の散歩のあとはご飯が旨い

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帰り際に撮影した本館脇の倒れた樅の木は大きな空洞が出来ていた、これでは台風26号には持ち堪えられなかった、毎年餌台に来るシジュウカラ・ゴジュウカラ・ヤマガラ・コガラなどのカラ類が今年は全く見られなかった、3本も切り倒すと景観が変わり、野鳥も近づかないのだろうか。
そのかわり夕べは詩人・歌人・日本野鳥の会の創始者の中西悟堂の詩を見つけた。

仏法僧いまだ鳴きつつ 曇り日の
谷の真洞の空明けむとす
  中西悟堂

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2014年4月10日 (木)

染井吉野と雀

嘴の細長いメジロやヒヨドリのようにサクラの花蜜を吸飲できず、花芯にクチバシが入らないスズメは花の裏側をかじって花蜜を吸い、花を落とす三ツ池公園の染井吉野のスズメです。
撮影日4月5日

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どの花弁の蜜をとるか思案中?のスズメ

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①花の裏側、5枚の萼片の下にある筒(蜜と子房が入っている部分)を嘴でかじるスズメ、下は下の池。

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萼片の下、蜜が入っている子房の蜜を吸う

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③蜜を吸うと嘴から花を落とす、スズメは花粉を媒介せず、種の部分をかじる花盗人である

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①花を取る

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②蜜を吸う

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③花弁・萼片を付いた花を落とす

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①花弁・萼片を食いちぎる

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②子房の上から蜜を吸い

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③吸ったら花を落とす

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これはスズメがクチバシを舌切り婆さんのハサミのように開いて赤い萼片の下の子房 あたりを食いちぎる瞬間です。

この写真を見て、日本昔ばなしの「舌切り雀」の海苔を食べられスズメの舌を切ったお婆さんの気持ちになるか、舌を切られたスズメを心配する親切なお爺さんの気持ちになるか、どちらでしょうか。それとも「我と来て遊べや親の無い雀」小林一茶
一茶の寂しい気持ちでしょうか。

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2014年4月 9日 (水)

花まつり

4月8日はお釈迦様のお誕生をお祝いする「花まつり」の日です。昨日は午後から菩提寺の曹洞宗 天宗山 東林寺の本堂前に設けられお花で飾られた花御堂 (はなみどう) のなかで、右手で天を左手で地をさす小さなお釈迦様に甘茶をかけてお誕生のお祝いをしてきました。丁度ご住職がお釈迦さまの写真を撮っているところでした、東林寺HPの見所などの雑談したあとに、駆けつけ三杯ではありませんが「お釈迦様」の頭の上から小さな柄杓で三回甘茶をかけてお祝いをしました。
花まつりは40年前の昔、中目黒に住んでいた時に娘が通う正覚寺境内(仙台・伊達家ゆかりの正岡の局・三沢初子像が有名)の二葉幼稚園の花まつり以来であった。最近は年々お寺さんの行事に関心が深くなるようで老いじたくの齢なのか、思えば遠くに来たものです。
東林寺のホームページにはご住職のつぶやきやお寺の四季おりおりの写真が掲載されていますのでご参考までにお寺のHPをご照会します。今日のブログはカテゴリーが趣味となっていますのでカレンダーまたは最近の記事のタイトルをクリックしないと読めません。下の東林寺のHPをクリックするとお寺のHPに移動します。
曹洞宗 天宗山 東林寺のHP

http://www.torinji.com/

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本堂前の花御堂 (はなみどう)

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天地を指差した誕生のお姿を安置したお釈迦様に、甘露の雨を模した甘茶をかけお誕生日のお祝いしました。

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お寺参りの度にこの山門と名木のイチョウを撮っています。昨日は墓地販売中の幟がたっていました。100台駐車可能です。

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山門を入ってイチョウの木の脇から本堂方向への参道、今はサクラと秋には紅葉が綺麗なドウダンツツジの白い花が咲いていました。

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本堂前の階段を登ってから山門方向のサクラの花とイチョウを撮る、花まつりにサクラが間に合いました。

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本堂横のまだ若い枝垂れ桜、満開は過ぎたがまだ見頃でした。

余談ですが40年前の課長時代の頃、隣の席でボヤクので、なにかようか(7日8日)と聞くと江戸は小石川生まれの部長は辞書を引くときに「ひ」を「し」でひいてこの辞書はダメだよ、のってないと隣で言っていました。

鋳物の出来具合が失敗した江戸の職人が江戸訛りで「ひ」を「し」で発音するので「火が強かった」→「しがつよかった」→「しがつようかだ」、「4月8日」はお釈迦様の日→「お釈迦になった」ということで職人の隠語で「オシャカ」とは失敗したことになる。

私は江戸の下町生まれ(町屋)ですが野鳥撮影10年目の花鳥時代となり、手ぶら(忘れ物)と手振れ、ピンボケ写真のオシャカが多くなりました。

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2014年4月 8日 (火)

小机城址まつり出陣式

今年で第50回となる、毎年5月3日の小田原市最大のお祭りである戦国時代に小田原城を拠点とし、五代約100年にわたりその栄華を極めた戦国大名北條氏を偲ぶ小田原北條五代祭り(主に五代城主を模した武者行列)を仮に本店の行事とすると、小田原城の有力支城であった小机城の城主に北条氏綱は父早雲以来の重臣、笠原越前守信為を任じた、信為の後は北條一門が城主となり、笠原氏は城代を務めたので「小机城址まつり」は支店の行事といえるかも。毎年4月上旬に開催され今年は4月6日に第22回目が開催された。

昨日のブログは武者の練り歩きであったが今日はその後に小机城址本丸広場に於ける出陣式である。

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小机城代、笠原越前守信為に扮したのは4月1日に就任した港北区長の横山日出夫氏、出陣式の挨拶。

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ひな壇の右は地元小学校四校の少年少女武者隊と後ろに鉄砲隊、散ったサクラの花弁が広場を彩る。

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ひな壇の左に整列した長刀(なぎなた)隊(女武者隊)と槍隊、後ろのテントは来賓席。

「散る桜 残る桜も 散る桜」良寛和尚の辞世の句

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小机城址太鼓の出陣太鼓

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出陣前の必勝祈願「三献の儀式(さんこんのぎしき)」肴に三宝の打ちアワビ、勝ち栗、昆布の3つを順番に食し、三つ重ねた杯に酒を注ぎ三度づつ飲む儀式。

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打ちアワビとは、干した身をむいて、打ち伸ばしたもの、敵を討ちのばすとの意味を含め「打ち勝ってよろこぶ」というゲン担ぎの語呂合わせ。

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三献の儀式の後に兜を被り出陣宣言

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鉄砲隊に射撃を指示

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鉄砲隊の整列

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鉄砲隊の一斉射撃、轟音とともに硝煙があがり火を吹く火縄銃

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采配を振って出撃!の号令

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「エイ!エイ!」「オーッ!!」と三度繰り返して、陣営を鼓舞し、士気を奮い立たせる。

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いよいよ出撃開始 、旗印の丸に三つ柏は笠原氏の家紋、ひな壇に見えるひしゃげた三つ鱗(北條鱗)は北條家の家紋

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ドラを打ち鳴らして出陣

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鉄砲隊の出陣

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総大将の笠原越前守信為の出陣

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本来は馬上姿かな?

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薙刀隊のお出まし

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槍隊の出陣

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やりやり~~今日は疲れたなあ~~横槍を入れては失礼です!

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篠原西小学校の少年少女隊

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孫の進軍姿を見てマゴマゴ

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武者行列全員の記念撮影で打ち上げ、時間は11時50分。

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篠原西小の6年生

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終了後の12時半頃に小雨がパラパラと降り出した、武者行列参加者には特製弁当が出されたが、見物人は出店で焼き芋・おにぎり・豚汁・カレー・おでん・ヤキトリなど、お茶やジュースの他に生ビール・スーパードライなども販売されていたので当然のごとく生とおでんで腹を満たす。以下の写真は小机城址の参考資料。

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小机城址市民の森にある小机城の由来

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ひな壇の本丸広場の直ぐ後ろ第三京浜、主城域と出丸の間を第三京浜道路が縦貫している(一点鎖線の部分)

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小机城址の空堀、本丸広場の下、今は立派な竹林が往時を偲ぶ

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竹の子を見つけた!

今回は写真の縮小サイズを普段の1/2の50Kバイトに軽量化して貼付。

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2014年4月 7日 (月)

小机城址まつり武者行列

野鳥撮影を始める10年以上前はサクラ撮影をしていた、その当時にここのサクラを撮りに来たことがある。第22回目の小机城址まつりを見物してきました。今年は小六の孫がパレードに参加するので篠原西小学校の少年少女武者隊に付き添うように歩きました。
横浜市港北区の広報によれば
小机城址まつりは、区内の歴史的資産である小机城の由来・歴史について広く区民に理解してもらうとともに、「スポーツ・健康・福祉」が融合した魅力ある街づくりを推進することと地域の観光振興を図ることを目的として、毎年春に実施されています。
今年は4月6日(日)10時より三会寺(さんねじ)よりスタートして直ぐに、横浜上麻生道路の三会寺信号を左折してホンダ川崎の前を通り、小机駅前→小机辻→小机城址市民の森に到着するまで約50分
のパレードでした。
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10時ジャストに三会寺からのパレードのスタートです。パトカーに続いて白バイ、そしてこの小机城址まつりの開始

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サクラも霞む赤い横浜消防署音楽隊のパレード

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港まつりと同じような消防音楽隊の行進です

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警察・消防・消防団のお偉方のパレード

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消防署のゆるきゃらも参加

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地元の子供お神輿

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スタートの三会寺は鳥山町、鳥山囃子保存会の山車

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桜は見頃が終わったが、いよいよ武者行列の見頃

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鉄砲隊の行進、それぞれに三つ柏の旗印

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武者行列の主役は小机城代、笠原越前守信為、4月1日に新任直後の港北区長 、三つ柏は笠原家の家紋。

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笠原越前守信為の後に続く、お年を召したお姫様

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更に貫禄十分な姫君たち

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三会寺入口交差点、コマツストアーの角で待ちにまった孫達の出番です

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先生・父兄が見守る中を堂々と行進していきます

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ホンダ川崎デイラー前を通りその先の歩道橋の上からチョット

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一度だけ規律違反、歯を出して少し笑顔

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お母さん達も我が子の勇姿をパチリ

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小机駅前でJR小机駅方向へ鉄砲隊の射撃音5回

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笠原越前守信為が小机駅前を通過、だいぶ貫禄が付いてきた

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その後に地元の4つの小学校の武者隊が続く、先頭は篠原西小学校

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行列に連れ添うように歩道のお母さん達

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先生も笑顔で行進を見守る

 

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音楽隊・お神輿・山車などはこの先の小机辻のバス停で終了

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横浜線の踏み切りを渡る武者行列

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小机城址公園への坂を登る武者行列

明日は小机城址の本丸跡での出陣式の写真です。

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2014年4月 4日 (金)

鵯の吸蜜

鵯(ヒヨドリ)が春秋に越えるといわれる鵯越、古(いにしえ)の800年前、一の谷の合戦で「鵯越の逆落とし」の奇襲・急襲で源平合戦にデビューしたのが源義経。勝利後は腰越の満福寺で腰越状を綴った悲劇の九郎判官義経。まだ見ぬ「義経千本桜」(よしつねせんぼんざくら)は人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつ、源平合戦後の源義経の都落ちをきっかけに、実は生き延びていた平家の武将たちとそれに巻き込まれた者たちの悲劇を描く。ぱっと咲いて潔く散る桜のような義経に日本人の心は判官贔屓。
染井吉野の花蜜が大好物の鵯が「ピーヨ ピーヨ ピーヨ」「ピーィピーィピーィ」「ピーッ ピーッ」など桜花の中で大声で喧しく奇声をあげるのが「鵯声」。好みの木の実はクロガネモチ、食べる葉はユズリハ、桜蜜は河津桜が最初、次に寒緋桜の次は染井吉野と開花の順、いずれも一重桜。実も葉も蜜も好みの木が異なる、木違いのヒヨドリ。だがどこに行っても鳴き声が耳障りな鵯声である。
「女三人寄ると姦(かしま)しい」とは故事諺事典で女(おなご)三人も集まればうるさく騒がしい。ヒヨドリも三羽集まれば大きな鵯声がやかましい。
50年位前から30年位前まで庄司歌江・照江・花江の三姉妹(私よりも年上)が三味線とギターの音曲漫才トリオ「かしまし娘」がTVで華々しく活躍していた若い頃を思い出す。

さまざまのこと 思ひ出す 桜かな
               芭蕉                                     
誰でも詠めるような平凡な俳句のように思えるがこの句は、元禄元年(1688年)芭蕉が奥の細道の旅に出る一年前に生まれ故郷の伊賀に帰省して、旧藩主の下屋敷に招かれて花見をしたところ、昔のいろんな事を思い出し詠んだとされます。芭蕉の句と知ると名句に思える気がしてくる。

世田谷区立烏山小学校を卒業した昭和28年4月北多摩郡調布町立調布中学校の入学式に米軍の水耕農場(現在の調布飛行場と味の素スタジアム)の前にある校門から満開のサクラの中を期待と不安(都内からの転入学)で母親と歩いた桜の記憶が蘇ってきた。
さまざまのこと 思い出す 桜なり。

今日はメジロと同じようにサクラの蜜が好物のヒヨドリの吸蜜

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ヒヨドリの全身が比較的良く撮れた、嘴の根元が花粉で黄色い

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吸蜜の様子がサクラの花の中に埋もれてしまった、シマッタ!

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青空の一部が入り五分咲き位がヒヨドリの写真には良いかな

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嘴が花粉で黄色くなるほど吸蜜してもまだ夢中で蜜さがし

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太い枝止まりの吸蜜が一番撮りやすい

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これくらい空間があれば吸蜜するヒヨドリも撮りやすい、嘴の先端に花粉の黄粉、ヒヨドリもCMも興奮。

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プラス補正が足らず、ヒヨドリが暗くサクラが主役に撮れたがこれも無心に花蜜を吸う花鳥風月。

ウソはサクラの花芽を食べてしまう、スズメとシジュウカラはメジロやヒヨドリの吸蜜方法とは異なり花弁を落とす、メジロとヒヨドリの嘴は吸蜜で黄色くなる。

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2014年4月 3日 (木)

三つ池の桜と「馬超龍雀」

県立三ツ池公園はその名のとおり、江戸時代に灌漑(かんがい)用水として利用された三つの池の岸辺には豊かな木立が囲んでいる。農業用水として活用された時代は周囲は田んぼに囲まれていたものと思われるが今は公園を囲む周囲は住宅街である。78品種1600本と言われる桜は早咲きから遅咲きまでさまざまなサクラを長く楽しむ事ができる。またこの名前の由来となった三ツ池を取り囲む自然の起伏を活かした豊かな樹林や四季折々の花々が楽しめる。
正門から入るとパークセンター(管理棟)の前を通り、芝生の広場の前方にお隣の中国とは領土問題などで最近は友好関係とは言いがたいが中国遼寧省から友好の記念として寄贈された‘天馬の像’「馬超龍雀」像がある。

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「馬超龍雀」像は桜に彩どられた天馬の広場の一角に馬が首を上げ、尾を仰向け、三本の足を空に舞いあがらせ、右後足を龍雀(飛燕)にかけて、疾走する姿が天を駆けるように躍動感にあふれている。

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実物は甘粛省武威で1969年に出土し、甘粛省博物館に保管展示されている1700年以上前のものであるらしく、躍動感に富む馬の姿は飛燕の上(燕よりも早く走る姿をあらわす)に一本の脚のみによって支えられ、力学的平衡原理が正確に計算されているといわれる。「馬踏飛燕」とも呼ばれ、馬 飛燕を踏む、疾走する姿は飛燕に勝る。能書きは馬脚が出る前にこれくらいで。

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左手に天馬の像がある水辺の広場からの下の池と岸辺の桜、この右手はコリア庭園があり、ここは今では夢となっている隣国との国際交流の広場といえる日はいつになるのか。

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中の池里の広場入口にある三つ池公園の案内図

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上の池と中の池を仕切る堤の上からの中の池の風景、右手に下の池の岸辺にあるソメイヨシノの標準木と濃いピンク色は横浜緋桜

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堤の通路でシジュウカラが落ちた椿を啄ばんだ後にポィと吐き出していた、虫と勘違い?

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堤の下で上の池でもカイツブリの巣作りの最中

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上の池の上にある丘の広場、桜咲く休憩舎の近くで私のお友達に出会う、それはボケの花。皮肉にもボケの花言葉は「指導者、先駆者」。ボケの原種のほとんどが中国が原産のボケで、「馬超龍雀」の像が寄贈されるはるか昔から中国のボケは日本に入っていたようです。日本全国にボケを広めたのは原産国の中国です。

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丘の広場の通路で見つけたソメイヨシノの胴咲き桜、こんな風に咲くサクラもどうかな!ほんどうは胴吹き(どうふき)サクラというんだよ。

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隣にも咲いていた、幹に直接芽吹いた可愛いブーケのように咲く胴吹きサクラ、健気(けなげ)に咲くように見えるがこれはあまり良い兆候とはいえないそうです。

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昔見た!老木の多い弘前公園ではよくみられたが、ここはまだ若いサクラが多いはずであるが三本目はかなりの老木桜、幹に咲く胴吹きサクラはエネルギーの衰えた木・老木・古木に多いそうな。

今日は近所の岸根公園で自治会の老人会(名称はさくら会)の花見であったが今年も雨天で集会室に変更(花見弁当を予約してあるので延期は出来ない)。昨年も雨であった、名称がさくら会であるので花見になると雨となる不思議な縁がある。花より団子の酒飲み爺が花咲爺に勝つ日、花咲爺に活を入れて来年は晴れを期待か!花見も写真もサクラは青空が良く似合う。

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2014年4月 1日 (火)

桜が咲いた

誰が読んだか一月は「往ぬ」二月は「逃げる」三月は「去る」と人は云う、今年も時のうつろいは「イヌ」と「サル」が早くも「逃げる」。
弥生三月の弥生は旧暦の和風月名、この由来は「いよいよ生える」意、旧暦四月の和風月名は卯月、白い卯の花が咲く頃、卯の花はオカラの別称でもある、弥生の月末は「いよいよ上がる」庶民の切ない気持ちの行動。
昨日の近所のスーパーは朝から駐車待ちの車が取囲む、駐車場は開店直後から満車であった。夕方には道路際のガソリンスタンドには車の長い行列が出来ていた。急ぎ働きの駆け込み買いのはずが渋滞とは当て外れ。今日からの消費税8%は四月バカのエプリルフールであって欲しかったが庶民の財布は疼き、年金も切り下げ、安倍晋三政権では来年はとうとう10%も視野に入るのでやべえ、心臓にも負担が掛かる、今日か(狂歌)らオカラのレシピが卯の花盛りかな。でも今はサクラの花盛り。

26日の三つ池公園のソメイヨシノの開花から六日目の昨日、見頃と思われる染井吉野桜の花見に訪問した。

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日の出時間の5時30分頃に駐車場のゲートが開き、最初に撮影した下の池からショット、風があるので池面が波立つ、桜風景撮りが嘆いていた。

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三つ池公園のソメイヨシノの標準木、根元にはスイセンの花が少々

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標準木の傍にある三つ池の由来の石碑、石碑も説明書も今年も読めなかった。

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下の池と中の池を横切る通路際の横浜緋桜が満開であった。背景の染井吉野桜に朝日があたりはじめた、ソメイヨシノが白く見える。

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花の広場近くの中の池では、ソメイヨシノの下でカルガモの♂が♀を追いかけていた、カルガモも花の宴です。

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花見の時季に一番人気の場所・花の広場、毎年満開には周囲が満会になるのに誰もいない。紅枝垂が今年は花芽がなく枯れ木のようだった、消費税3%UPで気落ちした気分に拍車が掛かる。

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これが紅枝垂桜の根元に目立たぬかのようにひっそりと貼ってあった。

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花の広場、三つ池公園の1600本の桜のうち七割がソメイヨシノ

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日陰の中の池、ソメイヨシノの下でカイツブリが巣つくりしていた。

午前5時30分~8時15分の早朝花見であったので月のない花鳥風月となった。因みに8時30分より駐車場は800円/日の有料となる。

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