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2014年4月 4日 (金)

鵯の吸蜜

鵯(ヒヨドリ)が春秋に越えるといわれる鵯越、古(いにしえ)の800年前、一の谷の合戦で「鵯越の逆落とし」の奇襲・急襲で源平合戦にデビューしたのが源義経。勝利後は腰越の満福寺で腰越状を綴った悲劇の九郎判官義経。まだ見ぬ「義経千本桜」(よしつねせんぼんざくら)は人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつ、源平合戦後の源義経の都落ちをきっかけに、実は生き延びていた平家の武将たちとそれに巻き込まれた者たちの悲劇を描く。ぱっと咲いて潔く散る桜のような義経に日本人の心は判官贔屓。
染井吉野の花蜜が大好物の鵯が「ピーヨ ピーヨ ピーヨ」「ピーィピーィピーィ」「ピーッ ピーッ」など桜花の中で大声で喧しく奇声をあげるのが「鵯声」。好みの木の実はクロガネモチ、食べる葉はユズリハ、桜蜜は河津桜が最初、次に寒緋桜の次は染井吉野と開花の順、いずれも一重桜。実も葉も蜜も好みの木が異なる、木違いのヒヨドリ。だがどこに行っても鳴き声が耳障りな鵯声である。
「女三人寄ると姦(かしま)しい」とは故事諺事典で女(おなご)三人も集まればうるさく騒がしい。ヒヨドリも三羽集まれば大きな鵯声がやかましい。
50年位前から30年位前まで庄司歌江・照江・花江の三姉妹(私よりも年上)が三味線とギターの音曲漫才トリオ「かしまし娘」がTVで華々しく活躍していた若い頃を思い出す。

さまざまのこと 思ひ出す 桜かな
               芭蕉                                     
誰でも詠めるような平凡な俳句のように思えるがこの句は、元禄元年(1688年)芭蕉が奥の細道の旅に出る一年前に生まれ故郷の伊賀に帰省して、旧藩主の下屋敷に招かれて花見をしたところ、昔のいろんな事を思い出し詠んだとされます。芭蕉の句と知ると名句に思える気がしてくる。

世田谷区立烏山小学校を卒業した昭和28年4月北多摩郡調布町立調布中学校の入学式に米軍の水耕農場(現在の調布飛行場と味の素スタジアム)の前にある校門から満開のサクラの中を期待と不安(都内からの転入学)で母親と歩いた桜の記憶が蘇ってきた。
さまざまのこと 思い出す 桜なり。

今日はメジロと同じようにサクラの蜜が好物のヒヨドリの吸蜜

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ヒヨドリの全身が比較的良く撮れた、嘴の根元が花粉で黄色い

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吸蜜の様子がサクラの花の中に埋もれてしまった、シマッタ!

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青空の一部が入り五分咲き位がヒヨドリの写真には良いかな

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嘴が花粉で黄色くなるほど吸蜜してもまだ夢中で蜜さがし

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太い枝止まりの吸蜜が一番撮りやすい

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これくらい空間があれば吸蜜するヒヨドリも撮りやすい、嘴の先端に花粉の黄粉、ヒヨドリもCMも興奮。

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プラス補正が足らず、ヒヨドリが暗くサクラが主役に撮れたがこれも無心に花蜜を吸う花鳥風月。

ウソはサクラの花芽を食べてしまう、スズメとシジュウカラはメジロやヒヨドリの吸蜜方法とは異なり花弁を落とす、メジロとヒヨドリの嘴は吸蜜で黄色くなる。

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