秘湯から秘湯へ
上野国(こうずけのくに)から下野国(しもつけのくに)へ、群馬県から栃木県へ、弘法大師空海が順錫の折の発見と伝えられ、川底から湧き出る処に建てた法師乃湯から壇ノ浦の合戦に敗れ逃れてきた平家落人が、河原に湧き出る温泉を見つけ傷を癒したと伝えられる湯西川温泉へ。日本秘湯を守る家会の会員旅館、旧三国街道の三国峠にある山の中の一軒宿「法師温泉」、明治時代から一世紀以上の歴史を刻む鹿鳴館風の大浴場「法師乃湯」の温泉に癒され、翌朝は末はころり観音にお参りした朝食後に宿をたち、国道17号を沼田に向かい国道120号から下野国の山奥にある奥湯西川の平家の落人伝説の宿、日本秘湯を守る家会の会員旅館、上屋敷 平の髙房 に向う道中の景色と花鳥風月である。
法師温泉の玄関前、法隆殿の外壁に掲示してある日本秘湯を守る会会員旅館一同の挨拶文。
法師温泉は山の中、手前にある猿ヶ京温泉でもまだ梅も桜も咲い ていなかったが平地に降りてきた沼田付近からは梅も桜も花開いていた。前日の昼食に寄った猿ヶ京温泉の「岡村うどん」温かい地鳥のつけ汁につるつるした腰の強い、冷たいうどんが旨かった。ご主人から沼田 から国道120号に行けば金精峠越えの近道になると聞いたのでこの道を進んだ。老神温泉から吹割りの滝を過ぎ、右に片品温泉、120号の直進は白根温泉となる交差点に大きな看板、金精峠は4月25日まで閉鎖の文字を見て慌ててUターン。来た道を老神温泉まで戻り、古いナビの情報では左折して267号を薗原湖沿いに走り薗原ダムの上を通り、62号に出て群馬県桐生市黒保根村で122号に合流した。
黒保根村の十二山神社の満開の桜に出会う
黒保根村の道端で撮影した水仙などの遅い春を告げる野花
国道122号線をわたらせ渓谷鉄道沿いに暫く走ると二年前にも法師温泉の翌日に寄った奥塩原・平家平温泉御宿こまゆみの里に行く途中に休憩した草木湖ドライブインで満開の桜を愛でる。
貧乏神と疫病神の木像、左手前の棒杭を身代わりとみなして参拝者がこの棒杭を竹棒やバットのような叩き棒で思い切り叩いて追放する。心の中では他の者を思いながらも叩く、スッキリした。右は 湖畔から遠望した二子山と草木湖の寝釈迦などを見物した。
二年前はここで蕎麦を食したがあまり旨くないので今年は通過した。122号を草木湖・足尾・清滝ICから高速に乗り日光を通過、今市で121号線に入り鬼怒川方面に向う。途中の蕎麦屋一歩庵で昼食をとる。
湯西川温泉は、平家落人伝説の地として古くから知らされていた。湯宿に入る前に復元された平家の里を拝観した。
入口にある平家物語の冒頭の有名な書き出し、昔は暗記したが今は忘却の彼方なり。暗記力・記憶力も久しからず。
祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰の理を顕す
驕れる者久しからず
ただ春の夜の夢の如し、
猛き人も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
九つの茅葺屋根の復元された家あり、二と三は調度営みどころでは生活様式がみられる。
囲炉裏の間
外観がこのような茅葺の家屋が九棟
四、五、六は床しどころと呼ばれる展示館
紅顔の貴公子、笛の名手の平敦盛像
入道姿の平清盛像
種々伝えどころ、座敷の側面から
種々伝えどころ、奥の正面
下関赤間神宮より分祀された、壇の浦で崩じられた八歳の安徳天皇を祀る湯西川赤間神宮
平家の武具や金銀財宝を埋めた所と伝えられている平家塚、奥に見えるのが入口の冠木門と太敷館(受付)
平家塚の説明
平家の里から車で5分もすれば奥湯西川の湯宿、平の髙房に到着した。さらに1km先は平家狩人村がある。
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