日光戦場ヶ原と中禅寺湖
奥湯西川温泉・上屋敷 平の高房を出発してから鬼怒川温泉、今市ICから日光宇都宮道路に入り、日光IC経由して終点の清滝ICへ、一般道からいろは坂を登り国道20号を戦場ヶ原の三本松で休憩、ここまで宿を出てから90分。昨秋の紅葉のいろは坂は大渋滞で5時間も立ち往生、明智平を最後に帰宅した。今年は空いているが鳥がいない、車と人も少ないまだ残雪が残る黄金週間前の寂しい観光地であった。
撮影日4月11日
戦場ヶ原・三本松駐車場からの男体山
三本松土産物店の裏からの男体山、何年か前にここの店先の軒下でランプのシェードにツバメの巣があったが今年は何もなかった。
国道120号線は湯ノ湖湖畔ではまだバリケード、金精峠の開通は4月25日、湯滝の駐車場はまだ雪の中、車も2台だけこの日は無料
まだ観光客が少ない湯滝であった。
湯ノ湖から戻り光徳牧場によるが道路以外は残雪が多く、道路際で5,6羽のシジュウカラが笹の中と道路を行き来して餌探し、他の小鳥は見えず。三本松に戻りトイレ脇(上の現在地付近)で下の看板を撮る
戦場ヶ原では鳥はなにも見えなかった。
土産物店前から撮影した竜頭の滝、中禅寺湖に近いせいか観光客は湯滝よりも多かった。
土産物店右横の龍頭観音、龍頭の滝を見物後は中禅寺湖歌ヶ浜の立木観音に向う。
中禅寺湖の名前の由来となった中禅寺(立木観音)に数十年ぶりのお参り(連れ合いは3年ぶりらしい)
山門の仁王像
左端の山門脇に工事中の鐘楼、映画愛染かつらで有名になった愛染明王のお堂と幟
愛染明王のお堂
本堂にはご本尊の十一面千手観音を祀る本堂内は撮影禁止、たった二人の拝観にも関わらず、立木観音の由来を説明(お土産のPRも)する僧がいたので撮影の機会はなかった。
日光山中禅寺は784年、日光開山「勝道上人」によって創建されたお寺で、世界遺産「日光山 輪王寺」(にっこうざん りんのうじ)の別院である。 ご本尊は、桂の立木を勝道上人ご自身が手刻されたと伝わる「千手観音」様。 高さ6mと大きい。中禅寺のHPより拝借した。今年は午年なので立木観音様から五本の五色の綱が参拝者と縁があるようにと結ばれていたが撮影は禁止であった。
五大堂から望む中禅寺湖・白根山方向、右の玉葱のお化けのような擬宝珠のある屋根はご本尊の立木観音の本堂。
境内の最高所にある不動明王を中心に本尊の五大明王を祀った五大堂も内部は撮影禁止、中禅寺湖・白根山・男体山を一望出来る五大堂の擬宝珠の欄干から撮影した男体山。五大堂の天井には大雲竜が睨んでいた。
本堂前の歌ヶ浜から男体山を撮影
帰路は華厳の滝の駐車場前の蕎麦屋で、湯葉と茸のついた蕎麦で遅い昼食、お土産は名物の「たまり漬」。
老いの温泉旅はお寺参りが多くなった、立木観音のお土産は「名香 立木観音」のお線香と午年の娘のお土産に手首に嵌める五色の「五縁綱」であった。
旅から帰宅した日に友達が亡くなった。先週は二歳年下で先に逝った友の通夜と告別式の悲しい日であった。
今週はご近所の知り合いが急病で入院した翌朝に54歳で急逝する悲報があり、二週続いての通夜・告別式となる。
良き友が先に逝き、54歳の現役の人が急逝するなど「死」は不公平であり、理不尽である。
これから先「死」をどう考えるか、どう受けとめるか、老いじたくの重たい課題である。
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