平家の末裔が営む温泉宿・平の髙房
日光宇都宮道路今市ICより車で70分、湯西川の源流近く、山あいの地に平家の末裔が生き続ける湯の里が奥湯西川温泉である。この地に籠もった平家一族の末裔の一人として山砦形式の居館を築造し、旅館名に平家家臣団の長の名前、平高房の名を戴くのが宿泊した日本秘湯を守る会と源泉湯宿を守る会の会員宿。上屋敷 平の髙房 である。(部屋の宿泊案内書を参考に手記)
砦のような風格がある門構えと奥に玄関が見える、車ごと砦の中に入る。
本館の玄関・フロント部分、建物は丘の斜面に客室とその上段にも客室が十六、右方に大露天風呂付き古民家の広々とした離れ(望郷亭部屋数六の53畳と閑静亭部屋数四の35畳)がある、合計十八室。左のワンボックスは1.5km離れたバス停などへの送迎用、山あいの緑豊かな盆地に今も佇む湯の里であった。
玄関には日本秘湯を守る会と平の髙房の二つの提灯が出迎える、お客は四組の名前が見える。
玄関に入ると正面に壁一面に源平合戦の屋島で有名になった下野国の弓の名人、那須余市の勇姿
フロント前のロビーの一部
部屋の廊下(宿泊は屋島)、随所に木造りの温もりを感じる
次の間付きのバス・トイレ付きの部屋、上段にある清盛・重盛・宗盛・知盛などの平家一門の名を冠した四部屋がある。
3時半に入館したのでまずは庭先にある露天風呂に入る、6時より女性時間となっていた、隣のもっと広い女性用は冬期は休業の様子。この宿には露天風呂が五つあるそうな。
参考までに冬期閉鎖中の広いと思われる隣の露天風呂を撮影、見た感じはすぐにも湯あみが出来そう!
まだ西日が射す本館内湯に入る(男女別)、外は本館露天風呂
本館露天風呂は外の露天風呂よりも小規模、明るい内に入館したので露天風呂も本館内湯・露天風呂も独り占めでのぼせる程のんびりと温泉につかり、露天の景色を見ながら至福のひと時を過ごし、誰にはばかることもなく撮影
6時より夕食、囲炉裏を囲むひととき、串物いろいろ岩魚・肉・団子など、平家落人の末裔と称する女将の説明では右の一升べらは味噌仕立てで鶉の骨まで入るコリコリした食感が時たまある、これでお酒が一升飲めるので「一升べら」というそうな!だがジョッキー生は二杯で満腹
これに山菜(ふきのとうなど)の天婦羅が付くので老夫婦には食べきれない野趣あふれる砦料理、10日は木曜日で囲炉裏の間には四組のお客、部屋数は十八、囲炉裏も十八あった。
夕食後8時に予約しておいた貸切露天風呂に入る、子宝の湯と金精の湯があるが予約は勿論、金精の湯に入るが金精のご利益はなかったのが残念無念と落ち延びた。写真は昼間の撮影
翌朝11日も晴天、宿の砦門の外は急な斜面で湯西川に流れも込む支流の谷川、残雪が残る、緑色の木は嫌いな杉なのか檜なのか、スギならば花粉の時期は過ぎているがヒノキはまだ終わっていないかも。平家の里の方へ下るが帰りの上りの辛さを考えて500mくらいで散歩をやめて引き返す、山間で聞いた鳥の鳴き声はカラスとカケスだけ、小鳥はまだ里に降りて戻らない。それよりも担いでいた400mmのカメラが故障、SWがONしない、電池交換してもダメだった、鳥がいないので幸いかな?
夕べの囲炉裏どころで8時からの朝食
夕べの天婦羅は庭先のフキノトウ、朝の散歩でもまだ梅も桜も花はなにも咲いていかった。花と芽吹きは4月末からの黄金週間のようだ、だから客も少ないのだ。
フロント横のお土産品コーナー、ここでは大女将が店番していた。ここでも民生委員は買い物、普段あちらこちらからお土産を戴くのでお返しのようだ、時々我が家と孫へのお土産を忘れるのが玉に疵。
三日目も天気が良いので9時半に中禅寺湖に向うことにした。昨秋は紅葉で大渋滞、宿泊した鬼怒川温泉からいろは坂を登ったところで午後3時となり帰宅した、そのリベンジでもある。
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