歯舞の千島桜
野鳥撮影を始める十年前は桜に嵌っていました。十年前の趣味の桜か、今の趣味をとるか、今年の北海道は迷いましたがズバリ!「今でしょう!」最初に鳥を撮るか、桜を撮るか、当然まだ見たことがないカワアイサの背中に載る雛を優先しました。
賑やかに大袈裟な花見の宴が好きだった豊臣秀吉が最晩年に京都・醍醐寺で行なった花見は「醍醐の花見」として世に知られています。この花見を最後に五ヵ月後に秀吉は世を去り、「最後の花見」でもある。日本人の花見好きは天下人となった秀吉が元祖かも知れません。
日本列島で一番最後に咲く桜は千島桜と言われています。1月中旬頃から沖縄では寒緋桜(緋寒桜)が北のヤンバルから南の那覇に向って南下して行き、沖縄からから島伝いに九州・四国へと桜前線は日本列島を北上して行きます。
沖縄から五ヵ月後に北海道で最後に咲く桜が「千島桜」です。根室市の清隆寺が有名です。ここは明治初期に国後から移殖された樹齢100年以上の老木が樹高は高いものでも3mくらいの桜です。
二度目となるこの清隆寺の千島桜を見たい思いながらも音更でカワアイサの撮影を優先したために、6月2日に清隆寺を訪問した時は今年は例年よりも早く花は一輪か二輪を残す葉桜になっていました。音更の川愛沙は撮れても可愛い千島桜を撮り逃がす。
6月3日には3組目のカワアイサ雛が誕生したと鳥友から聞きましたがこの日の音更は37・8℃の90年前の観測史上の最高温度に並ぶ猛暑日となる。音更はカワアイサの”写真熱”でヒートしていたが気象も猛暑日となったようだ。横浜でTVニュースを見ていた愚妻から熱中症大丈夫か?と電話が入る。この時には音更には居なかったが知床の世界自然遺産を見物中はTシャツでも暑かった。
猛暑で脱線したが話を千島桜に戻す。
山門を入って本堂に向って手前左側に葉桜の千島桜の木が見える
ようやく見つけた葉桜の中に残り花、これでは千島桜の花見とは云えない。近くの明治公園に行くもここも葉桜、公園内を清掃中のボランティアさんにどこか咲いている千島桜はないかとお尋ねすると納沙布岬方面の歯舞ではまだ咲いているらしいとの情報で歯舞に向う。
根室市歯舞の曹洞宗・法泉寺境内の千島桜、散りの五分、これではまだ満足な花見とは云えない。
根室市歯舞の民家の庭先に咲く桜と蕾、近所で昆布干しの準備をしていた人にこれは千島桜とお尋ねするとご近所に千島桜に詳しいおじいさんがいるとのことでご紹介していただく。私が訪問したいと電話を入れてくださる。
ご紹介いただいた根室市歯舞二丁目の長山誠一氏(95歳)敷地内の千島桜、小学生頃に父親が1本の苗木を植えたのが始まり、その後80年以上の間に自宅の敷地には100本の千島桜の庭園となる。
貝殻島の昆布漁が解禁される6月1日前にはご近所さんと敷地内の東屋で毎年BBQをしながら花見 をしているが今年は大雪で東屋が倒れて花見の宴が出来なかったと笑っておられました。白っぽい満開の千島桜とピンクかかった色の千島桜、まだ蕾が多いものなど自慢の千島桜の前で記念写真。
長山誠一氏宅の玄関脇の千島桜
同、お庭に咲く千島桜、マクロレンズを忘れてきたのが返す返すも残念至極である。
国道から撮影した敷地内の千島桜にうしろ髪を引かれるように根室市内に車を走らす。千島桜を思い切り見て撮って想い出を残した。
情(なさけ)を報(しらせる)と書いて情報、明治公園でのボランティアさんとの出合い、歯舞の昆布干し作業の準備をされていた中年のおばさん、歯舞の千島桜の長老であられる長山誠一氏、千島桜の花見は一期一会の情報が取り持つご縁であった。
« カワアイサの撮影熱 | トップページ | 川秋沙は可愛いさ »
「趣味」カテゴリの記事
- このブログはまもなく終焉を迎えます(2023.07.16)
- 始めあるものは必ず終わりあり・その2(2023.07.26)
- 転ばぬ先の杖と杖ことば(2023.03.07)
- 満洲開拓団の地図と小説「地図と拳」(2023.02.19)
- 篠原神社の冬至の記録(2022.12.22)
コメント