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2014年9月

2014年9月29日 (月)

タカ見の広場のタカ柱

 白樺峠タカ見の広場からタカならば南西方向にひとっ飛びの距離にある古からの信仰の山、日本百名山である木曽の御嶽山が突然の噴火、27日から自然災害・自然の驚異とともにを多数の心肺停止(心臓と呼吸が止まった状態で医師の死亡判定を受ける前の状態を意味している)の方々の安否と救助活動のTV報道に釘付けになって心配の今日この頃。

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10日前の晴れ時々曇りの9月20日は今年最大数の2500羽弱のタカが渡った日であった。添付したのはタカ見の広場の売店で「信州タカ渡り研」の中村照男さんから定価100円で購入したタカ見の広場の眺望図、それぞれの特徴あるポイントに愛称が付いている、タカが渡ってくる前方北東のタカを見つけた人が愛称(地名)を叫ぶと一斉に双眼鏡やスコープを向けるのである。左から二番目にある一番遠い山のピークは「お高さん」と呼ばれる。
10年前に初めてこのタカ見の広場でお世話になった中村照男さんと名刺交換した時に日本でただ一人の「木登り師」の肩書きを今でも鮮烈な記憶である。タカが飛んで来るポイントの地名(愛称)もこの時に教わった。

Tenbou
殆どが見た目の地形(1,2年前までサンマの骨と呼ばれた処は木々が成長して今ではサンマの骨の形が見えなくなった)処もあるが、唯一の人名が付いているのが9月20日に亡くなられた土井たか子さんの愛称「お高さん」、タカ見の広場を整備はじめた頃に、民社党委員長の土井たか子さんが大活躍していた頃、「マドンナ旋風」を巻き起こし、1989年の衆院選で与野党逆転劇で「山が動いた」が流行語になった頃に「お高さん」と名付けたとお聞きしたことがある。偉大な功績を残した護憲の山は動かず、お高さんの愛称が山に引き継がれた。

9月20日は中村さんも5年か10年に一度しか見たことがないと言われたタカ見の広場の真上で15時30分から8分間のタカ柱のショーがみられる幸運な日であった。タカ柱が南西の方向に飛び去るとタカ見の広場の避難小屋の前あたりから拍手が起こり、その拍手の波が前方まで広がって来たので思わず、つられて拍手喝采の渦の中にいた、サンサン七拍子ではないが「讃さんタカ拍子」であった。これほど近くで長く川の流れのようなタカ柱を初めて観察したがその写真が表現出来たかタカの写真に自信が持てない、むしろ視力の衰えと飛蚊症の悪化とともに年々下手になっていく気がする。

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15時過ぎに前方の松本平から舞い上がったタカ柱が数を増してタカ見の広場に近づいてきた。

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15時30分にはタカ見の広場の真上でタカ柱となって空を舞う

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300mmFXの三連写二枚目のサシバ

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三連写三枚目のサシバのタカ柱

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数羽が重なるようにタカが舞う

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円を描くようなサシバのタカ柱

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青い雲の中にも

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200mmレンズとらえた白い雲の中にも

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タカ見の広場の左端の白樺の上にも

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15時38分に撮った最後のタカ柱、この後にタカ見の広場で拍手が起きた、20日は今年最大の2500羽近くのタカの渡りの日となった。

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2014年9月27日 (土)

タカ見の広場の差羽

 (  )~(  )~(  )~、5月から初夏にかけて静かな写真の町で朝な夕なに、飛びながらも、夜中にも鳴く カッコ~カッコ~カッコ~の鳴き声に眠れずにいると農家のおじさんが近づいてきたのは一昨年6月であった。東川町でチゴハヤブサをこの農家の前で一人で撮影中に「カッコーが夜中でも鳴いて煩くて眠れないのでカッコーを退治して呉れ!」とせがまれた。カッコウが鳴き始めると昔から農作業の目安とされ農家にとっては農作業の季節を報せる鳥であるが、この農家のおじさんは「志村けん」のような変なことを言う”変なおじさん”に出会ったがあまりにも突然のことであり、咄嗟に返す言葉を見失ったことがある。カッコーが悪いのか、変なおじさんが格好悪いのか、過去の出来事である。

過去の出来事と言えば10日前に白樺峠のタカ見の広場に居た。
夜明け前に鳥仲間のご兄弟とその仲間に偶然にも出会った日でもあった。期待したタカの渡りは朝から近くを飛ばない、渡らないタカに見切りをつけて鳥友達は1時半に山を下りてしまったが、つづら折の急坂を喘ぎ喘ぎ息を切らして五日間タカ見の広場に通った。

今回は年々タカ見の広場に上ってくるのも苦しいがタカの撮影も拙くなってきた。

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タカ見広場の真上を飛ぶサシバの成鳥♂

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サシバ成鳥♂尾羽が抜けたのか、生え揃っていないように見える

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暗色型成鳥♂黒い顔に黄色の虹彩が目立つ、尾には太い横帯3本

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降下しながら下の景色を視認するような成鳥

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尾羽の形が割れたように翔ぶ成鳥♂

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成鳥♀

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成鳥♂

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幼鳥、体下面は縦斑、開いた尾羽は♀と似ている

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幼鳥、暗色の虹彩と体下面は縦斑

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成鳥♂喉中央の縦線が目立つ、サシバ(差羽)の名前の由来はいろいろあるようだが、喉の真ん中の1本の縦線が羽を差しているように見えるため、その名がついたと言われる説がある。

  

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2014年9月18日 (木)

道の駅巡りスタンプ旅の終わりに

 何度も行ったり来たりした三笠市を出発して今年は時計回りに留萌市から稚内市へ232号を北上してサロベツ原生花園でシマアオジなどの撮影後に稚内市に上り、ここまで三笠より290km、オホーツク海岸の国道238号線を東へ紋別市に向かう、浜頓別町のベニヤ原生花園から枝幸町の道の駅「マリーンアイランド岡島」雄武町の道の駅「おうむ」興部町の道の駅「おこっぺ」紋別市の道の駅「オホーツク紋別」、紋別ではオムサロ原生花園とシブノツナイ湖でベニマシコ・マキノセンニュウ・コアカゲラなどの撮影後にギンザンマシコの撮影で知床峠に向かう。道の駅「わっかない」→道の駅「オホーツク紋別」210km、道の駅「オホーツク紋別」→道の駅「うとろ・シリエトク」まで約220kmあるのでオホーツク海沿岸を鳥撮りしながら道の駅「メルヘンの丘めまんべつ」などを寄り道しながらスタンプ押印旅である。

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昨年6月雨の日に滑って転んで右手首関節の骨折と右眉を5針縫う怪我をした道の駅「オホーツク紋別」のメイン施設流氷科学センターを駐車場から撮影(メイン施設の流氷科学センターでは、真夏でもマイナス20度の厳寒体験室で本物の流氷にさわれる)転んだ正面玄関のスロープ、冷たい流氷に触る体験を出来ず、痛い怪我の体験をした、二度と転ばぬように反省を込めて現場を撮影してきた。

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道の駅「マリーンアイランド岡島」は道北エリアでそれ以外はオホーツクエリアの道の駅、このエリアでは「うとろ・シリエトク」「しゃり」「パパスランドさっる」は既にスタンプ押印済みである。

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ギンザンマシコ撮影後は2度目のサクラマスの撮影で同じく二度目の道の駅「パパスランドさっつる」から5km先を左折してさくらの滝まで約2km二度目のサクラマスのジャンプは撮れた。この後はエゾライチョウの親子を撮りに標津町に向かう。

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標津町を出発して国道244号の根北峠を越えて斜里町に向かい、334号から39号で道の駅「おんねゆ温泉」を経由して旭川の手前でR39の道の駅「とうま」で休憩する。旭川から何度も通ったR12で道の駅「ライスランドふかがわ」と次の道の駅「たきかわ」からR12と札幌まで並行して走るR275に入る、前にも休憩した道の駅「つるぬま」まで、ここまでの道の駅5ヶ所は全て以前に通過した時にスタンプは押印済みである。当別町からR337で石狩市に入り、R231の石狩河口橋を渡り右折して石狩浜海水浴場に着く、ここまでナビの所要時間と距離は430km9時間であったが途中の道の駅で休憩しても6時間足らずでまだ明るい18時前、日本海に夕日が沈む前に到着したのである。番屋の露天風呂で夕日を見ながら一日のドライブとしては最長距離の疲れを癒す。

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7月2日のアカモズの成鳥

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苫小牧市の道の駅108番目の「ウトナイ湖」をスタンプラリーの上がりに予定していたが、「サーモンパーク千歳」がリニューアル工事でスタンプが押せないことが判り、今回の目標50駅には1つ足りないので先に15km先の鵡川に向かい道の駅「むかわ四季の館」で49番目のスタンプを押す。
今年もスタンプラリーの上がりはフェリーを乗船する苫小牧市の道の駅「ウトナイ湖」である、ここは観光客が多いのでスタンプ台の使用が頻繁なのか、インクが乾いたのか、なくなったのか、今までどおりの押印時の力では薄005 かった、それともこれで上がりで心に安心感の油断があったのか、道の駅の一番最後に薄いスタンプとなった。今にも消え失せてしまいそうなさま、影が薄くなるような状態はこれから先の前触れなのか、ウトナイ湖は2009年に開業した道内で108番目の道の駅、108の煩悩が断ち切れないことを暗示するような上がりとなった。
人生は旅、
諸行無常の旅である。

総走行距離は道内5590km昨年よりも約7 00km多く走り、昨年は道の駅38駅のスタンプ、今年は鳥の撮影地は同じような処であったが、後戻りや遠回りしながらもスタンプ収集に強引に押印して50駅を達成。昨年は30駅以上のラリー賞に応募出来たが応募せず、今年は50駅以上の敢闘賞で道の駅特産品セットBの抽選に応募出来るがスタンプ帳は記念に手元においてある。北海道の道の駅114駅を回るには8000kmとも言われるが鳥撮りをしながらの道の駅のスタンプの位置づけは今後も変わらないのである。2014年のスタンプラリーは4月19日から2015年3月22日までの1年間有効となっている。


道の駅巡りのスタンプラリーには御朱印帳の魅力が密かに潜んでいる気がする。

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2014年9月17日 (水)

道の駅印章集印旅その3

今回の北の大地の撮影は目的の半分は初めてのカワアイサの巣立ちであると前にも述べたが5月下旬に北海道に入り、最初の一週間を11羽と16羽の巣立ちを撮り、更に6月6日~8日までの三日間を勝手知ったる音更でのカワアイサの撮影の日々となった。
9日は雨で撮影ナシ釧路の温泉、10日釧路のオジロワシ11日厚内ハヤブサ12日13日ヒップのハヤブサ、東川町源水のクマゲラ、チゴハヤブサ14日東川町チゴハヤブサ。「川」の地名の町と市の移動。
東川町→旭川市→深川市→滝川市→砂川市、道の駅では、ひがしかわ「道草館」→あさひかわ→ライスランドふかがわ→たきかわである。しかも撮影地は砂川市にある滝川公園であった。15日滝川公園でアカゲラ。16日三笠市→奈井江町→砂川市→滝川市(道の駅たきかわ)→新十津川町→雨竜町(道の駅田園の里うりゅう)→北竜町(道の駅サンフラワー北竜)→秩父別町(鐘のなるまち・ちっぷべつ)留萌市→小平町(道の駅おびら鰊番屋)→苫前町(道の駅風Wとままえ)→羽幌町(道の駅ほっとheartはぼろ)→初山別村(道の駅ロマン街道しょさんべつ)→遠別町(道の駅富士見)まで移動。小高い丘の上に聳え立つ道の駅富士見で晴天の日本海に沈む夕日と利尻富士を撮る予定であったが夕日の時間に海面に雲が出て目的を果たせず。翌日は通過してきた金浦原生花園に戻る。

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「南ふらの」は北海道の道の駅発祥第三の駅、ここはAC電源とインターネットがフリーの無線ランがあるので長時間のPC作業が出来る。

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アカシアの木にとまるハヤブサ親子の帰りに遠回りして撮影し、当麻町の道の駅「とうま」でスタンプ、チゴハヤブサの撮影で寄った旭川市の道の駅「あさひかわ」のスタンプ。

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川のつく地名の移動、東川、旭川、深川、滝川、砂川の移動で道の駅はひがしかわ「道草館」「あさひかわ」「ライスランドふかがわ」でスタンプ、滝川は既に押印済み。

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三笠のエゾフクロウがまだ巣立ちしていないことを確認してサロベツ原野を目指して北上する。

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今年は日本海側の留萌市から北上することにした。

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天売島へのフェリーが出る羽幌町の道の駅「ほっとheartはぼろ」今回初めての村の道の駅「ロマン街道しょさんべつ」

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小高い丘の上に聳え立つ道の駅富士見で晴天の日本海に沈む夕日と利尻富士を撮る予定であったが夕日の時間に海面に雲が出て目的を果たせず。翌日は通過してきた金浦原生花園に戻る。夕日と利尻富士の道の駅「富士見」の4km手前の金浦原生花園は今年はエゾカンゾウが満開であった。

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サロベツ原生花園で早朝のシマアオジ撮影後に向かった北海道で一番新しい道の駅「わっかない」のスタンプはJR稚内駅の窓口に隣接している、鉄道と道路のコラボの駅である。

ベニヤ原生花園に行くことにしたが大回りして猿払村の道の駅「さるふつ公園」でスタンプをゲットする。

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2014年9月16日 (火)

道の駅印章集印旅その2

 苫小牧からR36で札幌(野幌森林公園)、R12で三笠市(道の駅三笠)、奈井江町(道の駅ハウスヤビル奈井江)、砂川市(滝川公園)、滝川市(道の駅たきかわ)R12からR38に入り芦別市(道の駅スタープラザ芦別)芦別から狩勝峠を越えてR38から帯広市を経由してR241で音更町(道の駅おとふけ)まで約340km走り道の駅4つのスタンプを押印してきたが音更町で5月24日~31日までの8日間はカワアイサの撮影で道の駅のスタンプは増えなかった。

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北海道では初めてのカワアイサ親子の写真が目的であったが今年は4回の巣立ちがあり、そのうち三回の親子の写真が撮れた。

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親の背に乗る雛は5羽も6羽もあったがゴチャゴチャして見えるので三羽の雛がスッキリして良い、静かな池面に親子のイケメンが映る。日本三景も日本三庭園も三である、音更3雛?

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対岸から採餌でカメラマンのいる方に近づく3羽の雛

6月1日にタンチョウ親子などの撮影でR38号で音更町から幕別030 町・豊頃町を経由して浦幌町まで移動して道の駅「うらほろ」で8日ぶりにスタンプ押すことになった。

浦幌町から山道を太平洋岸を目指して霧止め峠に向かって走り、海岸沿いでハヤブサを探したが海霧が深いので諦めて厚内駅前を通り、直別で国道38号線を釧路方面に向かう。

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6月1日白糠町と釧路市の中間あたりにある道の駅「しらぬか恋問」で白糠名物のタコとイカの名物をしらぬか!とコイタくんとメイカちゃんの歓迎をうける。しらぬか恋問の隣のスペースは道の駅「摩周温泉」は6月5日に温泉民宿北の大地に宿泊した前日のスタンプ。

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6月1日に撮影した釧路市丹頂自然公園の親子、スタンプはここから15km15分の距離にある阿寒町の道の駅「阿寒丹頂の里」のスタンプである。

6月2日は道の駅「しらぬか恋問」からR38から釧路からR44で浜中町の霧多布岬に向かう、途中の厚岸町の道の駅「厚岸グルメパーク」は月曜日は休館日、二年連続スタンプが押せないのでスタンプの救済措置となる建物の証拠写真を撮る。

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根室市街に入る前に白鳥とルート44が道の駅の名前に入る「スワン44根室」に寄る。「しらぬか恋問」から霧多布で寄り道してここまで160km3時間、ここから納沙布岬まで40km、根室市内の千島桜の名所である清隆寺に寄るが残念ながら日本一開花の遅い千島桜は終わっていた。市内の明治公園で得た情報で納沙布岬の手前の歯舞に行くとここは満開であった。
044 千島桜の次は根室半島と知床半島の中間あたりに位置する砂嘴(さし)の野付半島に向かう、その手前にある別海町の道の駅「おだいとう」でスタンプを押す、昔は「四島への道 叫び」老女が息子、孫を両脇に従え、すさまじい迫力で「返せ」と叫ぶ姿の像と3階建ての北方展望塔展示室・展望室が先にあった処に2012年に道の駅になった。ここのスタンプのデザインは「叫びの像」と隣接する白鳥台に冬から春にかけて飛来するハクチョウと野付湾の風物詩である北海シマエビ漁の打瀬舟の3点セットであった。北海道で112番目の新しい道の駅であるが10年前からこの展望塔で休憩していたので北方領土返還の願い、すさまじい叫びの像がいつまでも記憶に残る。038
釧路・根室エリアは道の駅が最も少ない8ヶ所であるが唯一完走したエリアである(厚岸グルメパークは休館日で証拠写真のみ)、このエリアで最後のスタンプは「知床らうす」であるが1ページに二ヶ所のスタンプが番号が若い順になっているので先に貼ってある。
知床横断道路で知床峠を越えると反対側の道の駅は世界自然遺産「知床」の玄関口、知床番屋をイメージした道の駅「うとろ・シリエトク」である。

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ギンザンマシコはまだ早く、知床五湖とフレペの滝などを観光した道の駅「うとろ・シリエトク」から翌日向かった「しゃり」である、途中にある以科原生花園をのぞいたが花はまだ早かった。インターネットにつながれた5台のパソコンで観光等の情報検索ができる道の駅「しゃり」の館内は無線ランとなノートパソコンを持ち込んで利用することが出来る。ここからさくらの滝に向かう、途中にある道の駅「パパスランドさっつる」知床と阿寒の中間に位置し駅の正面には日本百名山の秀峰斜里岳が見える。この二つの道の駅のデザインは斜里岳だけである。パパスはスペイン語でじゃがいも、日本初のじゃがいも焼酎工場がある。さくらの滝のサクラマスはまだ飛び跳ねていなかった、ここも6月4日はまだ早かったようだ。この後は摩周湖と硫黄山の観光をして道の駅「摩周温泉」のスタンプを押して釧路・根室ブロックの八駅を全て完走した。北海道道の駅114駅6ブロックのうち最も少ない8駅であるが完全走破したのはこのブロックだけである。

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2014年9月14日 (日)

道の駅印章集印旅

 今年も昨年に引き続いて、シーニックドライブマップを三井商船フェリー「さんふらわあ」の売店で購入し、スタンプ帳は最初に寄った道の駅「三笠」で購入して「北海道・道の駅スタンプラリー2014」を始めたのであるが、野鳥撮影の移動中に寄ったり、宿泊した道の駅でスタンプラリーに参加するサブ目的であったが、スタンプ帳のスタンプが増えていくのは単純に嬉しくなり、雨天の日以外は撮影地以外の道の駅には行かない、寄らないことにしていたが、いつの間にか100km離れた道の駅にもわざわざ行くようになり、かなり嵌ってしまった。これも趣味なのか性格なのか性(さが)のなせる技なのか。スタンプラリーとは和製英語のようであり、タイトルのスタンプを印章、ラリーを集印と勝手に漢字にすると「印章集印」こんな感じである、スタンプラリーの中国語はなく漢字表記の一つの例として图章拉力赛とある。旅の途中でたびたびスタンプを集印するので「旅」を付け加えた。道の駅スタンプラリーを漢字で「道の駅印章集印旅」としたが押印旅かも知れない。
 野鳥撮影に夢中になる前は御朱印帳を懐に古都鎌倉の寺社巡りをした時期もあった、鎌倉五山(建長寺・円覚寺・壽福寺・浄智寺・浄明寺)を一日でお参りした日もあった。本堂へのお参り以上に御朱印の上に墨痕鮮やかな文字を拝見する都度に心が洗われ仏心が湧いてくる気持ちになったのである。古都鎌倉の最古・関東一番の杉本寺や竹の寺の報国寺、縁切り寺の東慶寺、鎌倉で唯一尼寺の英勝寺など十寺を巡っただけで十年経ってしまった。継続は力なりは鳥とともに飛び去ってしまったのである。十年前は五木寛之の百寺巡礼のTV放映を楽しみにしていた時期でもあった、著書の「百寺巡礼」と「ガイドブック百寺巡礼」の各10冊づつ20冊を取り揃えたが野鳥撮影に嵌ったのでいまだに著者には気の毒であるが積読で未読のままである。この先は百寺巡礼の旅に出るのが早いのか、それともかねてより願っていた四国88ヶ所お遍路の旅に出掛けるのが早いのか、これから先の命運次第である。御朱印帳はスタンプラリーのルーツとも言われるのである。
スタンプラリーと言えば城好きでもあるので「日本100名城スタンプラリー」にも興味があり、こちらもいつかはスタンプ帳にスタンプを集めたいと思っている。
大好きな温泉は日本秘湯を守る会のスタンプ帳に3年の間に会員旅館10ヶ所巡るとそのうちの1ヶ所が無料になる特典がある、三年前に長野県の鹿塩温泉の山塩館に無料特典で泊って鳥撮りをしたのでここの温泉は二泊している。4,5年前から毎年行く法師温泉にも無料で宿泊したこともある、この時は混浴の法師の湯も奉仕温泉であった。単独行動のタカの渡りの白樺峠、峠の入口にある日本秘湯を守る会会員旅館である奈川温泉・富貴の湯は立ち寄り湯で入ったことがあるが秘湯は夫婦で泊るのが基本なので泊ったことがない。スーパー林道の入口近くで昔、鳥友と宿泊した経験がある渓流釣りの宿、素朴な民宿岩花荘である。
 今年は日本秘湯の会の温泉は春の「法師温泉」と奥湯西川温泉の「平の高房」と先日の墨湯の「大出館」の3ヶ所である、あと7ヶ所でまた無料の日本の秘湯に行ける将来の楽しみがある。
ここでWebのウィキペディアで調べたスタンプラリーとは鉄道駅・道の駅・観光地などある一定のテーマの中でスタンプをあつめる企画のことである。集めたスタンプに応じてプレゼントなどの特典を与えられる企画もある。

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スタンプ帳に付いていた地図の一部、A4のスキャナーではこれでいっぱい、道南を割愛してコピーした。北海道の道の駅は全部で114駅ある、道南は函館を中心に12駅あるが直近の過去5年間には道南での探鳥記は表舞台には出てこないのでスタンプの記録はない。もっとも探鳥しながらの夏季のスタンプラリーは今年で2年目である。

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これが今年愛用したスタンプブック、114駅「(オスコイ!もえない)冬期閉鎖、(サーモンパーク千歳)がリニューアル工事休館中」であるので112駅で全駅完全制覇となる。北海道にフェリーで上陸した苫小牧の道央には一番多い40駅がある。最北の道の駅「わっかない」がある道北には22駅、今年最初の撮影地の音更がある十勝には14駅、世界自然遺産知床のオホーツクには19駅、釧路・根室には7駅で6地区の合計114駅がある。今年は上掲の写真のスタンプブックの中に50駅のスタンプを押してきた。昨年は38駅であったのでスタンプ収集にも熱が入って来た。鳥撮りにとってスタンプ収集の問題は道の駅の開館と閉館が9:00~18:00、早い処は17:00である、24時間スタンプが押せる駅は114駅中わずか7駅であるといわれる。温泉が併設されている道の駅は18駅あるが全駅ではないが19~23時と比較的遅くまで押印できるので便利で助かる。また道の駅「三笠」には隣接する「太古の湯」がある、道の駅「摩周温泉」は名前に温泉が付いているが足湯しかない。

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道の駅の番号は設置順である、北海道の道の駅は一番最初に設置されたのがこの三笠である、三笠は北海道の道の駅発祥の地である。鳥屋にはエゾフクロウで有名であるが三笠市は炭鉱と鉄道の発祥の地でもある。幌内炭鉱から産出される石炭の積み出しのため, ここから小樽港までを結ぶ鉄道として計画され, 1882(明治15)年に 手宮駅(小樽)まで 91kmが開通。日本で最初の鉄道が開業したのは 1872(明治5)年の 東京(新橋)~横浜(桜木町)間で, 1874(明治7)年には 大阪~神戸駅間が開通し, 幌内鉄道は 日本で3番目の鉄道であった。北海道鉄道発祥の地として“三笠鉄道村”が開設されて 多くの鉄道車両が保存され, 駅舎もその中核施設“三笠鉄道記念館”となった。起点の手宮駅(小樽)の駅舎跡にある「小樽総合博物館」にも北海道で活躍した動態・静態保存された鉄道車両と鉄道発祥の記念碑を見学したことがあるが三笠はまだ見ていないので今後の楽しみがある。
三笠は化石マニア人気の処である、ここのスタンプのデザインにあるアンモナイトも桂沢湖周辺から発掘されたもので道の駅にもその化石が展示されてある。スタンプのデザインがそれぞれその駅の歴史や特徴を表わし親しみやすい図柄で表していて、それだけでも面白い。三笠市立博物館は日本一のアンモナイトを展示をする化石の博物館でもある。
都内の鳥友はエゾフクロウの撮影で市来知神社へ歩いて行ける三笠市内の民宿アンモナイトが定宿らしい。ここのご主人は生前はアンモナイトの収集で有名な人であったと聞く。三笠市は鳥屋さんも鉄ちゃんも化石マニアなどの人気の歴史のある街である。

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目的の音更町に行く近道は三笠市から山道を走り、桂沢湖に抜けて452号から国道38号で芦別市に抜けて南富良野町に出るルートがあるが三笠市から旭川市に向かう幹線道路の12号線で美唄市から滝川市向かう日本一の29kmの直線道路を走り、中間地点の奈井江町の道の駅「ハウスヤルビ奈井江」でスタンプを押したが時間を気にして慌てたのか上手く捺印出来なかった。滝川公園に寄ってエゾフクロウの様子を見に行くことにした。公園には車もなく人の気配もなく、今年はエゾフクロウの気配がなかった。道の駅029 「たきかわ」でスタンプを押して、R12号からR38号に入り芦別市の道の駅「スタープラザ芦別」に入る頃は日が落ちていたが閉館時間の19:30前であったのでスタンプは押印出来た。この道の駅は三笠の次の開設した2番目の駅で星の降る里・芦別、環境庁認定・星空の街である。北海道の初日は苫小牧港を午後2時頃に出発して野幌・三笠・滝川とふくろう街道を北上してきたがこの芦別近くにもふくろうの営巣木があったが昨年倒木してしまった。道の駅で星を眺めながらの最初の宿泊となった。
24日は夜中の1時半に目が覚めたのでそのままR38を狩勝峠を越えて音更まで150kmを走りだした、音更には4時頃着いたが既にCMが役場の池のまわりで待機していたが朝霧で写真は撮れない様子であったが前日巣立ちした11羽のカワアイサの雛は無事であった。

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23日巣立ちしたカワアイサの雛11羽である、親の背中に乗るカワアイサが撮れたが早朝5時半には音更川に移動したと聞いて初日の撮影はあっけなく終わった。初日の道の駅のスタンプは三笠・奈井江・滝川・芦別の四ヶ所、24日の深夜に通過した南富良野は別の日となった、24日の道の駅「おとふけ」は夕方の押印となり、二日目の北海道の夜が更けていった。

 

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2014年9月12日 (金)

盆の旅は墨色の温泉

 日本唯一の珍しい墨色(すみいろ)の温泉は塩原元湯温泉の名湯「墨の湯」と「五色の湯」の二つの自家源泉がある日本の秘湯の宿大出館にある。
大正12年創業の大出館のHPに
よると、日本にたった1つしかないお風呂は鉄分をたっぷり含んだお風呂です。普通、鉄分のお風呂と言いますと、赤茶の色をしたものがほとんどですが黒いというのは他にないと言われています。効能としてはリュウマチ、糖尿病、関節痛、神経痛などです。また貧血ぎみの女性には飲んでいただくと非常に良いと思います。少しお湯に浸かりますと、黒い湯花が体に付着します。これを楽しみにされてる方も多いようです。真っ黒に染まったタオルを旅の思い出にお持ち帰り下さい。
「五色の湯」は天候や季節により色が変化することからこの名が付けられました。晴れると、エメラルドグリーン乳白色となり、雨が降ると灰色に変化します。自然とは不思議なものですね。色の変化を実際に見た人は驚いている様です。お湯の温度も地熱の変化のため、その日によって異なります。自然の不思議を実感できるといいですね!

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これが混浴の「墨の湯」、壁のタイルは剥げ落ち、湯口の上の浴槽の壁は温泉のあくで黒ずんでいました。源泉の鉄分の力でしょうか、癒しの温泉気分よりも温泉の効能でやって来る湯治客に向いています。湯口には黒ずんだような飲泉用のコップが置いてある。

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浴室には二つの浴槽がありました。墨の湯の隣には白濁した違う源泉の湯船がある。こちらの源泉名が「五色の湯」、こちらの浴槽が「鹿の湯」です、墨の湯で真っ黒になった身体を白濁した方で落として上がるのが基本らしい。

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「墨の湯」と「鹿の湯」二つの浴槽はこのように隣あっています。洗い場は二つしかなく、蛇口は黒く変色しています、しかもシャワーの設備はありません。湯治客相手の湯治場の雰囲気です。

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源泉は五色の湯、手前の浴槽が「平家かくれの湯」、奥が「御所の湯」壇ノ浦の戦いで敗れた平家の武士が逃げ込み隠れたことからこの名が付けられました。効能としては、胃腸病、糖尿病に良いとされております

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御所の湯の外にある露天風呂の「岩の湯」です、五色の源泉の緑色が一番綺麗に見えた、景色を見ながら山奥の佇まいに浸る

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貸し切り家族風呂の「藤の湯」、八つある浴槽はこれで六つ目です。3時にチェックインして夕食前に六つ全部入りました(チェックインは13時から)。後の二つは女性専用の「高尾の湯」と女性の露天風呂の「子宝の湯」です。

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部屋からの眺望は原生林そのもの静寂

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夕食は地産地消に心掛けた山菜や川魚、旬の地元の野菜を使った料理は素朴ですが、秘湯の宿ならではのおもてなしの食事を部屋でこのようなお膳を七人で囲みました。

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原生林の中は温泉の楽しみしかありません、夕食後は露天風呂です、小六の孫に撮ってもらいました。

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墨の湯の入口、下に女性専用の時間が出ています。女性専用時間は14:00~15:00、19:00~20:30、この時間以外は混浴です。

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墨の湯はタオルが黒くなるといわれますので新しい旅館のタオルで実験をしましたが思った程黒くなりません。地元のお客さんの話では昔はもっと黒く染まったそうです。年々墨の湯も頭の毛と同じように薄くなっていくようです。

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翌朝5時に起床して露天風呂の岩の湯に行くと小学生時代を思い出すノコギリクワガタ・カミキリムシ・蝉(ヒグラシ?)などが温泉に浮いていた、クヌギやミズナラの原生林の中の秘湯で昆虫と混浴で童心にかえる。

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岩の湯で朝風呂を浴びていると隣の露天風呂では人の気配がない(昨日の午後と夕べはおしゃべりが盛んに聴こえた)ので露天風呂の子宝の湯を参考に撮った、左の板壁が岩の湯との仕切りとなっている。

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女性専用の「高尾の湯」も100%源泉の強さでタイルが落ち浴室の傷みが酷い。これで8つの湯船を撮影してそさくさと退散した。

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朝5時半の大出館の玄関、日本の秘湯の赤い大きな提灯がない、2日前の突風で提灯をぶら下げる大きな台ごと吹き飛ばされたそうです

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玄関から50mも歩くとこのような表示、北海道では珍しくなかったがこれを見て直ぐ宿に引き返した。

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ロビーにあった観光マップ、ここは左端の原生林の中、塩原温泉十一湯の元湯、1100年以上も歴史のある温泉

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朝8時の朝食は夕食と同じように部屋で素朴なお膳を7人で囲んだ

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食後にのんびり浴した墨の湯の色が明るいように見えた

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露天風呂の岩の湯も朝とは違う明るい緑色になっていた、源泉の五色の湯の色は変幻する。

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どの浴室にも時計とドライヤーが見えなかったがその理由がここに書かれていた、TVが50台近く、エアコンが20台近く壊れる、電化製品の寿命が長くもって1年・・・全部屋数26室の旅館としては強い温泉の成分で人の寿命は延ばすが電化製品は短命の運命である。

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地元紙に掲載された墨の湯と若女将の写真

18日10時に墨の温泉に少ない後ろ白髪を引かれながら横浜に向かった。14日20時に出発したお盆の旅は帰路に着いたのである。

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案内板の現在位置で撮影、ここにも塩原温泉11湯のマップ、元湯は左にある一番古い湯治場

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2013年12月、東北自動車道の上り線、羽生PA(パーキングエリア)に、「鬼平犯科帳」とコラボした施設『鬼平江戸処』がオープン、盆の旅にこの鬼平江戸処で休憩とお土産の買い足しに寄る

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鬼平犯科帳でお馴染みの店があるあるある

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フードコートの空は15分間隔で朝昼晩に変わる

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お土産処

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日本橋大通の大店が並びの中に盗賊に入られた酢醤油問屋の野田卯兵衛の店構え

この後はさしたる渋滞もなかったが首都高で渋滞にはまり順調なら15時に着く予定が17時に帰浜して孫達との盆の旅が終わる。中秋の名月も終わり、来週は敬老の日だが近頃は軽老の日のような気がする。再来週にはお彼岸の季節になる。

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2014年9月11日 (木)

盆の旅は歴史を学ぶ旅

 東山温泉から車で5分も走れば鶴ヶ城(会津若松城)である、会津若松と鶴ヶ城の歴史は戊辰戦争で会津藩とともに多数が散った史上最強の剣客集団の新撰組の無残な結末と会津藩の軍制で数え16~17才の会津藩士子弟で編成された白虎隊が敗走して飯森山に辿りついた時に鶴ヶ城から上がる煙を見て生き残った20名が自刃して、ただひとり生き残った白虎隊の悲劇があった。この二つ悲劇が鶴ヶ城落城とともに今までの歴史認識であったが、新たな歴史散歩は2011・3・11の東日本大震災が発生したことを受け、NHKが東北復興支援する目的で制作した大河ドラマ、福島県会津出身で、同志社を創設した新島襄の妻となった八重の生涯を描いた物語「八重の桜」が原発事故による風評被害で観光客激減という危機に直面していた(原発から100km離れているが)地元では2013年1月の放送開始から風評払拭の解決の大きな鍵として期待していた。鶴ヶ城の天守の見学では過去には注目していなかった新島八重とスペンサー銃など歴史上の八重を学ぶ機会となった。

会津若松市では152ヶ所の公園などのモニタリングポストで定期的に放射能を測定している。基準以下で毎年減少しているようです。この際にマイクロSV/hとミリSVを学習したが3年半経ち、原発から50kmの避難区域外のいわき市内に住む友達の家の雨どいの土からいわき市の測定で1.28~1.46マイクロシーベルトの高濃度で汚染されていたそうです。これからはスペンサー銃の代わりに放射線測定器・ガイガーカウンターを放射能汚染土に向けての戦いが始まります。
子供達が安全だと言える基準値は国際的に、毎時0.15マイクロシーベルトで年1ミリシーベルトです。安全神話が崩れて3年半、汚染水の処理さえも遅遅として進まない福島第一原発の事故対応に政府は降伏してしまったように見えるが、これでは福島は放射能汚染の脅威から逃れず。「福が満開、福のしま」の幟だけでは、いつまで経っても幸福は訪れない

 

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会津は戦国時代に、葦名・伊達・蒲生・上杉・保科・松平と数多くの大名が治めた歴史がある。また、幕末戊辰戦争では旧幕府派として最後まで抵抗したため、会津が激しい戦場となり、新政府軍に対し、鶴ヶ城から最新のスペンサー銃を撃ち抗戦する男装の女性がいた。八重の桜の主人公の山本八重、波乱に富んだ人生を歩んだ後の新島八重である。

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城には石垣の歴史がある、一番古いのが天守閣の石垣で、蒲生氏郷が築いたもの。「野面(のづら)積み」という石の積み方で、自然石を組み合わせて積み上げ、傾斜が緩やかで、裾野が広いのが特徴。会津鶴ヶ城の築城の歴史は会津領主の葦名盛氏が現在の城郭の原型を築き、文禄2年には蒲生氏郷が本格的な天守閣を建てた。蒲生氏郷が築いた400年前の石垣と2011年に赤瓦に葺き替えられた鶴ヶ城。本丸跡付近から撮影

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鶴ヶ城独特の「武者走り」の石積み

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400年以上経った石垣が今でも朽ちることなく、往時の姿を忍ばせている。

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旧表門の埋門の石垣

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蒲生時代の表門の石垣

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天守閣見学の入口の石垣

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入口にある塩蔵、城内の撮影はこれから先の歴史展示物などは撮影禁止となっている、八重に関する物は何一つ撮れないので興味半減、以後は天主閣からの風景のみ撮影可

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雲の上に磐梯山、木々の向こうは会津若松城下、天守閣の下の様子

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磐梯山と右手方向のポールの後方は白虎隊の悲劇の山、飯盛山

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文禄2年には蒲生氏郷が本格的な天守閣を築城し、名前も『鶴ヶ城』と改められ、この時に積まれた石垣が400年以上経った今でも朽ちることなく、往時の姿を忍ばせている。

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天守の赤瓦と千飯櫓、見える門は表門の鉄(くろがね)門

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表門(鉄門)からの石垣と天守閣

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石垣を背に城内の桜の老木これが八重の桜か知るよしもないが会津若松城は日本のさくら100選の名所

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「八重の桜」主演女優の綾瀬はるかの桜

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綾瀬はるかさんの復興への願いをこめたメッセージ
「にしは桜だ。花が散っても、時がくればまた花をさかせる・・・何度でも、何度でも花を咲かせろ」

戊辰戦争で1ヶ月持ち堪えた名城の次は最後の藩主松平容保が参勤交代で江戸時代へタイムスリップしたような大内宿。大内宿は江戸時代の宿場町がそのまま残っている。会津藩主の保科正之によって会津城下と下野(しもつけ)の国(現在の日光市今市)を結ぶ32里(約130km)に及ぶ会津西街道が整備された、茅葺屋根が両脇に連なり、今にも会津藩主の大名行列が通る昔を思い出させる貴重な文化財である。会津と日光間に近道ができたため、人々から忘れられ、昔のまま取り残された宿場町(これが理由で昔の宿場が今に蘇る)

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若松城(鶴ヶ城)から5里(約20km)の距離にある大内宿には、本陣(大名や旗本、幕府の役人などが使用した宿舎)や脇本陣(本陣の予備)が設けられ、会津藩をはじめ新発田藩、村上藩、庄内藩、米沢藩などの参勤交代で賑わっていた。

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江戸時代に翔る道の看板が大内宿の入口にある

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茅葺の民家は手作り民芸品などのお土産・飯屋・民宿(土産品や飯屋も営む)店が連なる

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会津木綿の手作り民芸品、ネギソバを食べるネギが面白かった

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江土時代の宿場町の風情を今に残す茅葺屋根が軒を連ねる集落

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大内宿の中ほどにある本陣を復元した大きな茅葺屋根

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大内宿の突き当たりのお地蔵さんは大内宿を見続けてきた証人

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茅葺屋根のかやが見本に植えられていた

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「国選定重要伝統的建造物群保存地区」という国の文化財に指定されてから、トタン屋根から元の茅葺屋根に戻す家が毎年のようにあるそうです。

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8月17日はお盆休みの日曜日、訪れる観光客で賑やかな大内宿、各戸の前を流れる用水でビールや清涼飲料を冷やして販売していた。

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「福が満開、福のしま」帰り道に見た幟、かなり昔に歴史街道の旅で観光した妻籠宿(長野県木曽町)、奈良井宿(長野県塩尻市)に次いで全国3番目の重要伝統的建造物群保存地区を三番目に「きてくれて ありがとう」の幟の返答は「見せてくれて ありがとう」

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2014年9月 9日 (火)

盆の旅は田舎に泊ろう

岩泉町葛巻にある田舎、娘の旦那はここの次男坊である、お盆なので四男の家族四人も帰省していた。兄弟がお婆ちゃんとお兄ちゃんの住む田舎に帰省したのである、我々老夫婦も帰省の5人家族に寄生して「盆の旅は田舎に泊ろう」を実践した。

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横浜から7名川崎から4名の家族が泊り、15日の夕食は合宿のような状態、夕食は育ち盛りの孫どもの好きなジンギスカンである、大人たちは深夜12時まで昔話を肴に飲み明かした。

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翌朝の散歩で田舎の家専用の橋の上から田舎を写す

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田舎の前の川から物置小屋を写す

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道路から泊った田舎と裏山

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近所にある岩泉町立国見小学校まで朝の散歩

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小学校の校庭にある仮設のプール、4年前にTVの珍百景でこのようなプールを見たが今年はビニールの覆いが何故か無かった。

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校庭の外から花壇とプールを写す

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9時半、朝飯も子供はジンギスカン、流石に大人は納豆と鮭。遅い朝食後にお墓参り、それから目的地の会津東山温泉まで約420kmのドライブの行程で10時40分に田舎を出発する。

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岩泉町の観光マップ、やはり一番の売りは龍泉洞、岩泉から盛岡まで約100km

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盛岡市と下閉伊郡岩泉町を結ぶ国道455号線には「いわいずみ」と「三田貝分校」の二つの道の駅がある、学校の校舎を利用した道の駅でお土産を買いに立ち寄る。時間は11時20分を過ぎる

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盛岡南ICから郡山JCTまで285km通常なら3時間もあれば通過するが16日お盆の上りは大渋滞で想定外の8時間、途中から予約した東山パークホテルに夕食の終了時間を確認したが8時までに間に合わず、郡山JCTから磐梯道の磐梯河東ICまで40kmを順調に30分で通過、ICを下りて夕食を済ませてホテル到着は9時過ぎであった。

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楽しみは源泉元湯の温泉しかなかった

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渋滞旅の疲れを源泉掛け流しで癒したが10時を廻っていた。

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ここの温泉の適応症は一般的な温泉と同じように神経痛・筋肉痛・関節痛・疲労回復・健康増進などであった。

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翌朝の東山パークホテル新風月の玄関、ここも「人生は旅」の伊東園ホテルグループ、365日同一料金で7800円の宿である。食べ放題飲み放題の夕食のバイキングに間に合わなかったので朝食バイキングのコースに変更して2000円引きの一人一泊5800円X7人の料金になった。

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ホテルの部屋からの眺望は会津若松市街、鶴ヶ城址は左の山の方向で見えず

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朝の露天風呂

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朝の内風呂

ここは内風呂と露天風呂の二ヶ所の温泉である。朝食後にもう一度自家源泉の源泉掛け流しに入り、ひとときの安らぎを得た後にチエックアウト、宿から近くの会津若松城に向かう。

   

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2014年9月 8日 (月)

盆の旅は龍泉洞

 8月14日午後8時、カメラ器材を全て車から降ろして、8人乗りに7人が乗車して岩手県宮古市に向かう。最初は親戚と知り合いの2軒が目的地である。盆休みを利用して田舎に泊ろうの娘夫婦の家族5人に老夫婦二人が同乗した盆の旅である運転席後方の座席に座り、運転はドライバーまかせ、東日本大震災後の初の東北旅行となる。昔と比べると比較的スムースに首都高・東北道とも走ったが途中のSA・PAはどこも帰省客で混雑していたが2時間おきにトイレと休憩をとりながら最後は紫波SAで給油と2時間の休憩・仮眠をとり盛岡ICで降りる。宮古まで約2時間を106号から宮古市街から45号の宮古湾沿いを走る、目に入るのは変わり果てた災害の爪跡、堤防と護岸・防潮堤などの工事、低地は更地となり人家はなく雑草が生い茂る、高台に見えるのは新築の家ばかりであった。訪問した親戚と知り合いの家は海からかなり上の高台にあり、地震と津波の被害はなかったが周囲の人家では地震で壊れて新築した家が2,3軒あった。
挨拶を済ませると岩泉町に向かう途中に4年前に観光した浄土ヶ浜へ向かう。

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8月15日午前8時半第一駐車場にはまだ十数台の車で空いていた、震災前はこの時間では満車であった記憶がある。第一駐車場前の斜面に建っていたターミナルビルは津波で全壊し跡形もなく撤去され整地されていた。

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旧ターミナルビルの右手にあたる場所に新ターミナルビルが完成していた。その二階テラスから撮影した観光船乗場とその先はトンネルを潜ると浄土ヶ浜、新ターミナルビルからエレベータで下に降りるとそこから観光遊覧船乗場・浄土ヶ浜へ通じる木道が整備されていた。

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コンデジの望遠で撮った観光船乗場、昔も今も乗船券はターミナルビルで発券されている。4年前とその前の過去2回は晴天の日に浄土ヶ浜で海水浴や浄土ヶ浜遊覧船に乗り、天然記念物のローソク岩や自然の造形美を眺め、また船に寄ってくるウミネコに孫どもがウミネコパンを手渡しでの給餌させたりした記憶があるが今年は今にも降りそうな15日の曇り空で今回はターミナルビルからの景色を眺めるだけで浄土ヶ浜を後にした。
浄土ヶ浜から岩泉町に向かう途中で、今年開通した三陸鉄道を見たいという孫の意見で田老駅に向かう、宮古市田老地区は市街地を取り巻く堤防があったにも関わらず、防潮堤が倒壊して壊滅状態になって多数の死者・行方不明者を出した町である。45号線を走りながら見た海岸の漁港方向には建物は殆どなかった。昔北山崎観光で宿泊した田老町時代の民宿もなかった。早期に市街地を高地に移転する復興が望まれる。

田老地区では津波被害の甚大さに心の余裕はなかったので三陸鉄道北リアス線の車両を見る前に立ち去る。
岩泉町の田舎に泊る前に日本三大鍾乳洞のひとつ、天然記念物の龍泉洞に昼食と観光で立ち寄った。ここも東日本大震災前に3,4回も観光した岩手県の観光名所のひとつである。

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日本三大鍾乳洞とは山口県秋芳洞・高知県龍河洞・岩手県龍泉洞

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入口近くの長命の淵、長雨で濁ったのか?ドラゴンブルーと言われる地底湖の涌き水もグリーンに見えた

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百間通路、洞内には無数の鍾乳石や石筍、地底湖がある

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玉響きの滝、滝の玉ボケなのかレンズの汚れか?

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鍾乳洞の暗闇に光る電飾案内板は撮り易い

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亀岩と呼ばれる地底を這う岩の亀

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音無しの滝

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地蔵岩 お地蔵様の形をした岩に赤頭巾と赤い涎掛け被せていたので遠くからは本物のお地蔵さんに見えた

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月宮殿はLEDで五色の照明をした広場にある

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石筍とは石の竹の子

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守り獅子

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ドラゴンブルーと称される地底湖の色は神秘的で国の天然記念物にも指定されている。第三地底湖は水深98m!そして透明度は45m以上と、世界有数の透明度を誇る

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第三地底湖の先にある第四地底湖(非公開)は水深120m)と言われる。

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第三地底湖を見物する観光客、ここが龍泉洞観光の終点、ここから階段を登ると出口がある。

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龍泉洞に入る前に腹ごしらえした。4年前にもここで流し蕎麦を食べた処、TVの珍百景にも出た処、竹筒の流しは5本しかないので5人で満席、二人はテーブル席で丼物を食べていた。

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壁の奥から掛け声とともに蕎麦を流すのでそれをざるに受けてから食べる流し蕎麦。雨が降り止むまでここでやり過ごしたがそれでも止まないので龍泉洞入口まで4本の傘を7人で相合い傘をさして歩いた。二枚の写真が後先が前後した。

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2014年9月 4日 (木)

ありがとう!北海道

あ 明日に向かって

り 凜とした

が 我を通す

と 鳥の桃源郷

う 嬉しかったぜ!楽しかったぜ!

  北海道!!

支笏湖野鳥の森からウトナイ湖に向かう途中の国道276号線を80kmで走行中に対向して来た白バイとすれ違う、バックミラーの中にUターンする白バイを確認して制限速度の60kmに落とす、暫く追走してきたがそのうち諦めてまたUターンして支笏湖方面に走り去ったので10kmオーバー程度にスピードUPした。過去の経験を活かしたドライブで今年は北の大地を43日間約6000キロ走行して貰った年金を罰金で一度も国庫に戻す事はなかった。36号線に入り、いつも寄る北大研究林は7月に入り情報がないのでスルーして、鵡川の道の駅「むかわ四季の館」に目的地を変更した。49番目に予定していた道の駅「サーモンパーク千歳」がリニューアル工事でスタンプが押印出来ないことが判ったので49番目はウトナイ湖から30kmの一番近い道の駅にしたがそれでも往復60kmの寄り道である。鵡川では撮影場所へは向かわず、道の駅ウトナイ湖の最後の宿泊地に戻った。ここが50番目最後のスタンプとなった今年は昨年のスタンプ数を十以上も上回る上がりとなる。スタンプ収集編を忘れないうちに近日更改。
最終日7月4日の撮影地は高齢になっても恒例のウトナイ湖サンクチュアリである
。駐車場から木道に入りキタキツネの小径を5分も歩けばタオス池であるが、3年前はここに水飲みに集まる野鳥が十種以上来るのが楽しみであったが昨年も今年も小さな水溜りのようなタオス池は枯れていたのでこれでは好例と言えない。ネイチャーセンターも昔は月曜日が休館日であったが今は平日は休館、土日祝休日しか開館していない時代の流れである。取り合えず(撮り合えず・鳥合えず)とっくにいなくなった(一度も合ったことがない)シマアオジの小径を歩き、合ったのはシマがないアオジだけでしまらない。新調された(昨年までは穴だらけの朽ちた危険な木道)イソシギの木道から湖岸のデッキに出たが水鳥も見えない、湖岸を歩き湖岸の観察小屋までネイチャーセンターから約15分で着く、誰もいない観察小屋の窓を3方を3ヶ所開けてレンズを出したが鳥くんが少ない、草原の観察小屋方面にノゴマとノビタキが小さく見える程度、近くに来たのはカワラヒワのみ、花鳥が少ない中で草原に咲く花に蝶が舞うのが見えた。
午後から苫小牧FT(フェリーターミナル)に向かう途中にカササギを探したが既に営巣場所からは巣立ちしていたので今年はカササギの写真が寂しかった。

43日間のメモなのか備忘録なのか置き忘れ、仕舞い忘れの多い、予備を含めて手帳三冊を持って秘かに書いた忘備録、書きまくると手帳も忙備録になる忙しさ哉(かな)。齢(よわい)を重ねると記憶も弱い、物忘れなのか呆けなのか、加齢とともに佳麗に減退する記憶力。9年間の時空の旅でもある北海道、10年目の新しい記憶も健忘の彼方に、ガキの頃は健坊と呼ばれ今は健爺の野鳥撮影旅、遊び惚けた北の旅路はるかに。ありがとう!北海道。

今もまた 知能の老化 進む哉

書いたメモ ブログに書かず書き忘れ

物忘れ するが晩麦酒 忘れない

メモをしたそれをどこかに 置き忘れ

今日もまた 何か忘れて 生きている

忘れ物 夫婦で探す 呆けの山

物忘れ何回しても自己がある(事故がない)

だからこそ ブログに残す 探鳥記

ボケ川は限りなし生まれ とめどなし

そのせいか最後の写真もピンアマ・ピンボケが多かった気がする。

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シマアオジの小径にいたのはアオジだけ

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アオジの囀り

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センダイムシクイ

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十年以上もシマアオジが来なくなったが看板はいまだにシマアオジの小径、なにも知らずに10年前に来た時はこの看板を見てワクワクしたものだったが今は看板に偽りありと思うようになった。

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駐車場にある案内板

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ネイチャーセンター近くの木道にいつも出てくるいるアカハラ

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キタキツネの小径にあるタオス池は今年も枯れていた野鳥の水場はどこに移動したのか?

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湖岸の観察小屋から遠くのノゴマ

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ノビタキ♀もいた

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花も少ない草原でホザキシモツケの花に群がる蝶を見て、三方の観察窓を閉めて野鳥の少ない湖岸の観察小屋を後にした。

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ウトナイ湖サンクチュアリを後にして苫小牧FTに向かう途中でカササギを探したが今年はあまり撮れなかった。

不調のPCを故障診断にも出さず、過去ログの完成目指して、約25000枚の写真整理もやっと終わることが出来た。7月5日に帰浜して二ヶ月経つ、フェリーの往復を含めると45日間撮影旅の過去ログもそろそろネタ切れとなって来た。

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2014年9月 3日 (水)

支笏湖の野鳥

 支笏湖野鳥の森・休暇村支笏湖周辺の①近くて②簡単に③見て④撮る。支笏湖野鳥の森野鳥撮影四つのコツ、四コツを過去の体験を含めて独断と偏見で纏めてみた。
①二つある観察舎のうち休暇村支笏湖側から50mには池があり朝夕だけではなく昼間でも
野鳥が水飲みに来るので近くて便利。
②200-300mmの手持ちの撮影が野鳥の素早い動きに対応、窓からは大きいレンズは上下左右に振れ難い。

③藪蚊が多く蚊取り線香や虫除けスプレーが必需品、時には池の手前の雑草などを取り除き見晴らしを良くする。
④野鳥観察者がいない時は観察窓の上と屋根との間、軒下の隙間からの撮りおろしが面白い(靴を脱いでベンチの上からの撮影)

撮影日7月3日午後12時30分~1時30分、石狩浜からの移動で途中三ヶ所の開館時間の遅い道の駅でスタンプをゲットして来た関係で支笏湖野鳥の森に到着したのは12時過ぎ、野鳥の出があまり期待出来ない時間だったが夕方まで待てないので1時間ばかりの間、専ら観察舎での撮影、野鳥撮影の初心者らしい先客と二人で撮影した。昨日はキビタキだけを先行してブログUPしてある。

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メボソムシクイ?

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池の脇に立つ樹にキバシリが来た

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エゾムシクイ?

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ハシブトガラ

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ハシブトガラの水飲み

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頭央線が微かに見えるセンダイムシクイ

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右手にキビタキ♀いたのでセンダイムシクイの威嚇

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池の端で隠れるようにゴジュウガラ、上からの撮り下ろし

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シジュウガラの水飲み

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千島笹とか根曲がり竹とも呼ばれる竹にとまるメジロ、その昔秘湯で5,6月頃に七輪で皮ごと素焼きにして味噌を付けて食べた根曲がり竹の子の野趣あふれた美味な食感を思い出す。

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千島笹に隠れるウグイス

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水浴び後にとまり木に来たがこの野鳥はなんだかな~~

一時間で10種以上の野鳥を観察した観察舎の背景は支笏湖面がPhoto 木々の間からチラホラ見える林、以前に来た時はクマゲラ・ヤマゲラ・アカゲラなどのキツツキにも遇えたが今回はこん。この後は最終目的地のウトナイ湖に向かう。

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2014年9月 2日 (火)

支笏湖の黄鶲

 黄鶲(キビタキ)の名は「黄色いヒタキ」の意です。全長14cm、背中部分は黒が基調で雨覆に白班がある、喉はオレンジ色、胸やお腹や眉部分や腰は見事なまでの鮮やかな黄色、黒と黄色の粋な配色である。
 伊達政宗は黒い甲冑・黒の兜に前立てが黄色(金色)の三日月の伊達男、危険個所を示す黄色と黒のだんだら模様はよく目立つ、米国のKodakフイルムの箱は黄色だった、Nikonカラーも黒地に黄色である。黒に黄色は目立つ配色となる。
 森林で中間の高さの枝にとまるキビタキを5月に音更の千畳敷公園で撮ったがいつ見ても黄色が目印となる綺麗な野鳥である。日本の野鳥にはこのキビタキと外見が類似のマミジロキビタキとムギマキがいる。黄色い体色をした小鳥にマヒワ、キセキレイ、シマアオジなど何種類かいる。雌は地味なオリーブ褐色・暗緑色をしている。
 北海道探鳥旅とも言うべき旅の想い出の一つに変わったキビタキと思われる小鳥を見た。キムンモラップ山の麓、支笏湖畔にある環境省の支笏湖ビジターセンターと国民休暇村から呼び名が変わった「休暇村支笏湖」の玄関近くから散策路が設けられている、ここから歩いてすぐ入口近くにある野鳥観察舎での出来事である。ここはブログを始めた年の2006年7月4日のブログに初めて登場して以来、山へ
森へ湖への探鳥記の撮影地である。
撮影日は二ヶ月前の7月3日

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キビタキの特徴である「背中部分は黒が基調で雨覆に白班がある」だがこの子は背羽は「黒が基調」が「黒が貴重」となり、黄色部分が多く、キビタキではなく別の鳥に見えた。細い青竹にとまっていたのでキビタケとも言うべき別種に見えた(黒いジョーク)

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更に大きくトリムした写真です、黒いはずの背中の黄色い部分に何故か目がいきます

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腰から上尾筒まで黄色く盛り上がり見慣れたキビタキと異なる、だが黄色い眉班、雨覆いの白斑、オレンジ色の喉、黒い嘴と足はキビタキそのものである。二羽が重なったようにも見えるキビタキであった。

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念のために少し動いた5枚目の写真を大きくトリムしてみたが雨覆いが尾の下よりも下がり黄色い腰の部分が盛り上がったように見えるキビタキであった。白斑も大きいので成鳥である。

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観察舎の池に入ってきたキビタキ、撮影順は上の写真よりも先に撮影

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何故か尾を拡げての水浴び

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大きくトリム、最後まで尾を開いたままの水浴びやはり腰の黄色が目立ちます

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池の縁にあがりカメラ目線

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水に映る「水も滴る」いいキビタキとはこのことか

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今度はカメラ目線の水浴び

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池の上に飛来してきたのはキビタキ♀のようだ

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地味な色のキビタキ♀

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雌も水飲みなのか水浴びに来たが

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池の上のとまり木に戻った、解説も地味で終わる。

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