盆の旅は龍泉洞
8月14日午後8時、カメラ器材を全て車から降ろして、8人乗りに7人が乗車して岩手県宮古市に向かう。最初は親戚と知り合いの2軒が目的地である。盆休みを利用して田舎に泊ろうの娘夫婦の家族5人に老夫婦二人が同乗した盆の旅である。運転席後方の座席に座り、運転はドライバーまかせ、東日本大震災後の初の東北旅行となる。昔と比べると比較的スムースに首都高・東北道とも走ったが途中のSA・PAはどこも帰省客で混雑していたが2時間おきにトイレと休憩をとりながら最後は紫波SAで給油と2時間の休憩・仮眠をとり盛岡ICで降りる。宮古まで約2時間を106号から宮古市街から45号の宮古湾沿いを走る、目に入るのは変わり果てた災害の爪跡、堤防と護岸・防潮堤などの工事、低地は更地となり人家はなく雑草が生い茂る、高台に見えるのは新築の家ばかりであった。訪問した親戚と知り合いの家は海からかなり上の高台にあり、地震と津波の被害はなかったが周囲の人家では地震で壊れて新築した家が2,3軒あった。
挨拶を済ませると岩泉町に向かう途中に4年前に観光した浄土ヶ浜へ向かう。
8月15日午前8時半第一駐車場にはまだ十数台の車で空いていた、震災前はこの時間では満車であった記憶がある。第一駐車場前の斜面に建っていたターミナルビルは津波で全壊し跡形もなく撤去され整地されていた。
旧ターミナルビルの右手にあたる場所に新ターミナルビルが完成していた。その二階テラスから撮影した観光船乗場とその先はトンネルを潜ると浄土ヶ浜、新ターミナルビルからエレベータで下に降りるとそこから観光遊覧船乗場・浄土ヶ浜へ通じる木道が整備されていた。
コンデジの望遠で撮った観光船乗場、昔も今も乗船券はターミナルビルで発券されている。4年前とその前の過去2回は晴天の日に浄土ヶ浜で海水浴や浄土ヶ浜遊覧船に乗り、天然記念物のローソク岩や自然の造形美を眺め、また船に寄ってくるウミネコに孫どもがウミネコパンを手渡しでの給餌させたりした記憶があるが今年は今にも降りそうな15日の曇り空で今回はターミナルビルからの景色を眺めるだけで浄土ヶ浜を後にした。
浄土ヶ浜から岩泉町に向かう途中で、今年開通した三陸鉄道を見たいという孫の意見で田老駅に向かう、宮古市田老地区は市街地を取り巻く堤防があったにも関わらず、防潮堤が倒壊して壊滅状態になって多数の死者・行方不明者を出した町である。45号線を走りながら見た海岸の漁港方向には建物は殆どなかった。昔北山崎観光で宿泊した田老町時代の民宿もなかった。早期に市街地を高地に移転する復興が望まれる。
田老地区では津波被害の甚大さに心の余裕はなかったので三陸鉄道北リアス線の車両を見る前に立ち去る。
岩泉町の田舎に泊る前に日本三大鍾乳洞のひとつ、天然記念物の龍泉洞に昼食と観光で立ち寄った。ここも東日本大震災前に3,4回も観光した岩手県の観光名所のひとつである。
日本三大鍾乳洞とは山口県秋芳洞・高知県龍河洞・岩手県龍泉洞
入口近くの長命の淵、長雨で濁ったのか?ドラゴンブルーと言われる地底湖の涌き水もグリーンに見えた
百間通路、洞内には無数の鍾乳石や石筍、地底湖がある
玉響きの滝、滝の玉ボケなのかレンズの汚れか?
鍾乳洞の暗闇に光る電飾案内板は撮り易い
亀岩と呼ばれる地底を這う岩の亀
音無しの滝
地蔵岩 お地蔵様の形をした岩に赤頭巾と赤い涎掛け被せていたので遠くからは本物のお地蔵さんに見えた
月宮殿はLEDで五色の照明をした広場にある
石筍とは石の竹の子
守り獅子
ドラゴンブルーと称される地底湖の色は神秘的で国の天然記念物にも指定されている。第三地底湖は水深98m!そして透明度は45m以上と、世界有数の透明度を誇る
第三地底湖の先にある第四地底湖(非公開)は水深120m)と言われる。
第三地底湖を見物する観光客、ここが龍泉洞観光の終点、ここから階段を登ると出口がある。
龍泉洞に入る前に腹ごしらえした。4年前にもここで流し蕎麦を食べた処、TVの珍百景にも出た処、竹筒の流しは5本しかないので5人で満席、二人はテーブル席で丼物を食べていた。
壁の奥から掛け声とともに蕎麦を流すのでそれをざるに受けてから食べる流し蕎麦。雨が降り止むまでここでやり過ごしたがそれでも止まないので龍泉洞入口まで4本の傘を7人で相合い傘をさして歩いた。二枚の写真が後先が前後した。
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