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2014年9月29日 (月)

タカ見の広場のタカ柱

 白樺峠タカ見の広場からタカならば南西方向にひとっ飛びの距離にある古からの信仰の山、日本百名山である木曽の御嶽山が突然の噴火、27日から自然災害・自然の驚異とともにを多数の心肺停止(心臓と呼吸が止まった状態で医師の死亡判定を受ける前の状態を意味している)の方々の安否と救助活動のTV報道に釘付けになって心配の今日この頃。

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10日前の晴れ時々曇りの9月20日は今年最大数の2500羽弱のタカが渡った日であった。添付したのはタカ見の広場の売店で「信州タカ渡り研」の中村照男さんから定価100円で購入したタカ見の広場の眺望図、それぞれの特徴あるポイントに愛称が付いている、タカが渡ってくる前方北東のタカを見つけた人が愛称(地名)を叫ぶと一斉に双眼鏡やスコープを向けるのである。左から二番目にある一番遠い山のピークは「お高さん」と呼ばれる。
10年前に初めてこのタカ見の広場でお世話になった中村照男さんと名刺交換した時に日本でただ一人の「木登り師」の肩書きを今でも鮮烈な記憶である。タカが飛んで来るポイントの地名(愛称)もこの時に教わった。

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殆どが見た目の地形(1,2年前までサンマの骨と呼ばれた処は木々が成長して今ではサンマの骨の形が見えなくなった)処もあるが、唯一の人名が付いているのが9月20日に亡くなられた土井たか子さんの愛称「お高さん」、タカ見の広場を整備はじめた頃に、民社党委員長の土井たか子さんが大活躍していた頃、「マドンナ旋風」を巻き起こし、1989年の衆院選で与野党逆転劇で「山が動いた」が流行語になった頃に「お高さん」と名付けたとお聞きしたことがある。偉大な功績を残した護憲の山は動かず、お高さんの愛称が山に引き継がれた。

9月20日は中村さんも5年か10年に一度しか見たことがないと言われたタカ見の広場の真上で15時30分から8分間のタカ柱のショーがみられる幸運な日であった。タカ柱が南西の方向に飛び去るとタカ見の広場の避難小屋の前あたりから拍手が起こり、その拍手の波が前方まで広がって来たので思わず、つられて拍手喝采の渦の中にいた、サンサン七拍子ではないが「讃さんタカ拍子」であった。これほど近くで長く川の流れのようなタカ柱を初めて観察したがその写真が表現出来たかタカの写真に自信が持てない、むしろ視力の衰えと飛蚊症の悪化とともに年々下手になっていく気がする。

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15時過ぎに前方の松本平から舞い上がったタカ柱が数を増してタカ見の広場に近づいてきた。

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15時30分にはタカ見の広場の真上でタカ柱となって空を舞う

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300mmFXの三連写二枚目のサシバ

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三連写三枚目のサシバのタカ柱

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数羽が重なるようにタカが舞う

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円を描くようなサシバのタカ柱

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青い雲の中にも

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200mmレンズとらえた白い雲の中にも

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タカ見の広場の左端の白樺の上にも

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15時38分に撮った最後のタカ柱、この後にタカ見の広場で拍手が起きた、20日は今年最大の2500羽近くのタカの渡りの日となった。

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コメント

ご訪問ありがとうございます。

20日のタカ柱は十年通って初めての感動物
でしたが自然におきた観客の拍手も感動的
でしたね!
出掛ける前の土日の天気予報が雨でしたが
天気予報が見事に外れて快晴となり、予想
だにしていなかった生涯初となる見事なタカ
柱が見られて大満足でした!
檀那様に宜しくお伝え願います。
ありがとうございました。

はじめまして(^^)私もこの日、ここにいました。
だんなの趣味の鳥の写真撮影に付き合って今年が3回目の白樺峠。初めて見たものすごい数の鷹たち。だんなは感動で涙を流してました(^^ゞ
自然と起きた拍手の渦も感動でしたね~

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