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2014年9月11日 (木)

盆の旅は歴史を学ぶ旅

 東山温泉から車で5分も走れば鶴ヶ城(会津若松城)である、会津若松と鶴ヶ城の歴史は戊辰戦争で会津藩とともに多数が散った史上最強の剣客集団の新撰組の無残な結末と会津藩の軍制で数え16~17才の会津藩士子弟で編成された白虎隊が敗走して飯森山に辿りついた時に鶴ヶ城から上がる煙を見て生き残った20名が自刃して、ただひとり生き残った白虎隊の悲劇があった。この二つ悲劇が鶴ヶ城落城とともに今までの歴史認識であったが、新たな歴史散歩は2011・3・11の東日本大震災が発生したことを受け、NHKが東北復興支援する目的で制作した大河ドラマ、福島県会津出身で、同志社を創設した新島襄の妻となった八重の生涯を描いた物語「八重の桜」が原発事故による風評被害で観光客激減という危機に直面していた(原発から100km離れているが)地元では2013年1月の放送開始から風評払拭の解決の大きな鍵として期待していた。鶴ヶ城の天守の見学では過去には注目していなかった新島八重とスペンサー銃など歴史上の八重を学ぶ機会となった。

会津若松市では152ヶ所の公園などのモニタリングポストで定期的に放射能を測定している。基準以下で毎年減少しているようです。この際にマイクロSV/hとミリSVを学習したが3年半経ち、原発から50kmの避難区域外のいわき市内に住む友達の家の雨どいの土からいわき市の測定で1.28~1.46マイクロシーベルトの高濃度で汚染されていたそうです。これからはスペンサー銃の代わりに放射線測定器・ガイガーカウンターを放射能汚染土に向けての戦いが始まります。
子供達が安全だと言える基準値は国際的に、毎時0.15マイクロシーベルトで年1ミリシーベルトです。安全神話が崩れて3年半、汚染水の処理さえも遅遅として進まない福島第一原発の事故対応に政府は降伏してしまったように見えるが、これでは福島は放射能汚染の脅威から逃れず。「福が満開、福のしま」の幟だけでは、いつまで経っても幸福は訪れない

 

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会津は戦国時代に、葦名・伊達・蒲生・上杉・保科・松平と数多くの大名が治めた歴史がある。また、幕末戊辰戦争では旧幕府派として最後まで抵抗したため、会津が激しい戦場となり、新政府軍に対し、鶴ヶ城から最新のスペンサー銃を撃ち抗戦する男装の女性がいた。八重の桜の主人公の山本八重、波乱に富んだ人生を歩んだ後の新島八重である。

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城には石垣の歴史がある、一番古いのが天守閣の石垣で、蒲生氏郷が築いたもの。「野面(のづら)積み」という石の積み方で、自然石を組み合わせて積み上げ、傾斜が緩やかで、裾野が広いのが特徴。会津鶴ヶ城の築城の歴史は会津領主の葦名盛氏が現在の城郭の原型を築き、文禄2年には蒲生氏郷が本格的な天守閣を建てた。蒲生氏郷が築いた400年前の石垣と2011年に赤瓦に葺き替えられた鶴ヶ城。本丸跡付近から撮影

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鶴ヶ城独特の「武者走り」の石積み

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400年以上経った石垣が今でも朽ちることなく、往時の姿を忍ばせている。

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旧表門の埋門の石垣

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蒲生時代の表門の石垣

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天守閣見学の入口の石垣

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入口にある塩蔵、城内の撮影はこれから先の歴史展示物などは撮影禁止となっている、八重に関する物は何一つ撮れないので興味半減、以後は天主閣からの風景のみ撮影可

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雲の上に磐梯山、木々の向こうは会津若松城下、天守閣の下の様子

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磐梯山と右手方向のポールの後方は白虎隊の悲劇の山、飯盛山

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文禄2年には蒲生氏郷が本格的な天守閣を築城し、名前も『鶴ヶ城』と改められ、この時に積まれた石垣が400年以上経った今でも朽ちることなく、往時の姿を忍ばせている。

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天守の赤瓦と千飯櫓、見える門は表門の鉄(くろがね)門

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表門(鉄門)からの石垣と天守閣

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石垣を背に城内の桜の老木これが八重の桜か知るよしもないが会津若松城は日本のさくら100選の名所

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「八重の桜」主演女優の綾瀬はるかの桜

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綾瀬はるかさんの復興への願いをこめたメッセージ
「にしは桜だ。花が散っても、時がくればまた花をさかせる・・・何度でも、何度でも花を咲かせろ」

戊辰戦争で1ヶ月持ち堪えた名城の次は最後の藩主松平容保が参勤交代で江戸時代へタイムスリップしたような大内宿。大内宿は江戸時代の宿場町がそのまま残っている。会津藩主の保科正之によって会津城下と下野(しもつけ)の国(現在の日光市今市)を結ぶ32里(約130km)に及ぶ会津西街道が整備された、茅葺屋根が両脇に連なり、今にも会津藩主の大名行列が通る昔を思い出させる貴重な文化財である。会津と日光間に近道ができたため、人々から忘れられ、昔のまま取り残された宿場町(これが理由で昔の宿場が今に蘇る)

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若松城(鶴ヶ城)から5里(約20km)の距離にある大内宿には、本陣(大名や旗本、幕府の役人などが使用した宿舎)や脇本陣(本陣の予備)が設けられ、会津藩をはじめ新発田藩、村上藩、庄内藩、米沢藩などの参勤交代で賑わっていた。

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江戸時代に翔る道の看板が大内宿の入口にある

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茅葺の民家は手作り民芸品などのお土産・飯屋・民宿(土産品や飯屋も営む)店が連なる

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会津木綿の手作り民芸品、ネギソバを食べるネギが面白かった

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江土時代の宿場町の風情を今に残す茅葺屋根が軒を連ねる集落

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大内宿の中ほどにある本陣を復元した大きな茅葺屋根

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大内宿の突き当たりのお地蔵さんは大内宿を見続けてきた証人

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茅葺屋根のかやが見本に植えられていた

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「国選定重要伝統的建造物群保存地区」という国の文化財に指定されてから、トタン屋根から元の茅葺屋根に戻す家が毎年のようにあるそうです。

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8月17日はお盆休みの日曜日、訪れる観光客で賑やかな大内宿、各戸の前を流れる用水でビールや清涼飲料を冷やして販売していた。

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「福が満開、福のしま」帰り道に見た幟、かなり昔に歴史街道の旅で観光した妻籠宿(長野県木曽町)、奈良井宿(長野県塩尻市)に次いで全国3番目の重要伝統的建造物群保存地区を三番目に「きてくれて ありがとう」の幟の返答は「見せてくれて ありがとう」

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