薩摩川内の想い出
戸隠神社五社詣でと日本三大不動の米子不動尊奥の院、日本の滝百選の米子大瀑布、奥の院のご神体でもある不動滝と権現滝の癒しとともに霊験に触れたのは二週間前である。
三日前の11月8日の朝刊に川内再稼動 県も同意の大見出しに続いて、鹿児島県の知事が九州電力川内(せんだい)原発(薩摩川内市)1,2号機の再稼動に同意する考えを表明した。この記事を読んでいろいろな想い出と思いが過(よ)ぎったのである。
2009年と10年の高速道路土日祝日千円の時代に鹿児島県まで 2年続けて車で遠征した。鹿児島県薩摩川内市高江町の干拓地の田んぼの中の山林(干拓前は海の中の小島だったと思われる)にカラフトワシが20年も越冬で渡来して来た時期である。
カラフトワシがどこかに飛んで行った時間帯に 江戸時代に薩摩藩が人柱で完成させた悲しい謂れのある、干拓地の長崎堤防から車で5分程度走ると県道43号線を川内港と火力発電所へ渡る方向の川内河口大橋を渡らず、直進して隣町の久見崎町にある九州電力川内原発 の前にある「みやま池」にオシドリを撮りに行った。この池の畔に安全神 話PR用の原発展示館があり、誰もが原発施設の構造を見学出来る施設であったが「みやま池」には数回ほどオシドリを撮りに行ったがこの施設の見学はしたことがなかった。みやま池の周囲に車が近づくとここのオシドリの群れ
は飛んで逃げ出す警戒心の強いオシドリであった。なぜ直ぐ逃げるのか?この池はバスフィッシングでは知る人ぞ知る所らしい、そのためか原発警備会社のパトロール車が池に近づく車をチェックに来るので県道を降りて、野鳥撮影のレンズ・カメラを担いで県道を外れて、池の
奥の森に近づくと警備会社の車に不審車(不審者・不審写)と疑われた記憶がある。この池は九州電力の私有地で密漁を見張っていたのか、あるいは原発施設を警備して原発の周囲をどこかで監視している気配を感じた。結局オシドリの群れはドングリを投げて届く距離で撮れることはなかった。
8日の朝刊で薩摩川内市の原発再稼動の記事を読んでこの川内原発みやま池での野鳥撮影を思い出した。楽しかった事が電発再稼動の記事で重い想い出となった。(写真は上二枚は2009年と2010年撮影のカラフトワシ、2010年のカラフトワシの近くにいたツンドラハヤブサまたはシベリアハヤブサ、下の二枚は2010年撮影、みやま池のオシドリ、いずれもトリムしてある)
「ブレない人」とは、他人の意見に惑わされない人、自分を曲げない人、主義・主張を貫く人。あの人は一貫性があって終始ブレない立派なものだと「ブレない人」とは褒め言葉であったと思ったが本当にそうだろうか、最近はこの「ブレない人」に疑問を持つようになった。「ブレる人」の代表は政治家、党利党略・私利私欲でブレることで周知である。だがいまだに自宅に戻れない被災者を抱える福島の原発事故、安全神話の崩壊後も原発再稼動は危険であるとの反対に耳を貸さず、終始一貫して原発再稼動を推進する政府与党は「ブレない人」の集まりである。
初めは誰にも束縛されない自由を満喫し、自己の実現を目指して開始したこの鳥撮りブログも、何か目標をと変節したのがベテランの鳥撮りの会話から耳にした400種類を目標に掲げた。その後は年々初見・初撮りのペースが落ちる中で鳥撮り5年間で360種までやっとの思いで来たが古希を過ぎた6年目は12種であったことから6年目からは情報が入っても、晴天の日も毎日の鳥撮りも出掛けなくなり、400種の達成後は更にブログに対する熱も下がり、鳥撮りブログの軸もぶれて今日に至る。
人間は生まれながらの健康はいつまでも続かず、齢を重ね加齢とともに老化が起き、調子の良いときもあれば調子の悪いときもあり、身体も心も揺れ動く、ブレない人などいないと思う年になった。
原発神話の有効期限は3・11で切れたと同じように、野鳥人生にも賞味期限がある、心が揺れ動くのはそれがいつ来るのか自分では計り知ることが出来ないことである。人生には元気で自足歩行出来る有効期限がある、これが健康寿命というものか、ピンピンコロリのPPKで人生を終える意気込みが果たして最後まで揺れ動かず、ブレずに往けるかどうか。選挙で公約したマニフェストはブレてはならないが加齢とともに人の心はブレるのが当たり前の世の中と思う。そうゆう心が弱い齢となった。
麦蒔を待っていた蔓柾にブレブレの写真となったジョウビタキ♀なのかそれともルリビタキ♀なのか判断もブレる写真となった。
ムギマキを待つ蔓柾に飛んで来たのは・・・
ムギマキと違いバタバタと動きがない
それなのに鮮明に撮れないブレ模様
ジョウビタキ♀のように思えるが
それにしてもムギマキと較べて動きがない変化のないブレない鳥なのにブレなのか甘ピンなのかハッキリしなかった。
今日のブログは今までで最も前書きが長い拙文となったが原発再稼動の記事に触発されて福島原発事故の教訓が活きていない、後世に禍根を残さずの思いの本筋がブレて力の至らぬことを知った。
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