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2015年1月

2015年1月28日 (水)

梅と桜が早かった熱海ぶらフォト散歩

 糸川遊歩道のあたみ桜まつりの見物後は糸川河口の市営駐601_5 車場の上にある親水公園に出てスカイデッキを歩いて、貫一お 宮の 松の方向へぶらフォト散歩です。桜は最も開花していた処のあたみ桜の接写です。

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熱海梅園から下り坂を糸川遊歩道のあたみ桜まつりへ、その後は糸川河口の親水公園スカイデッキから熱海サンビーチ方向へ、途中のサンデッキに腰掛けての一休みしてから貫一お宮の像とお宮の松を見物して来た道をぶらフォト散歩で戻る。

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この糸川遊歩道は、海と市街地を結ぶ「歩いて楽しめる散策ルート」のコンセプトがあるのか、糸川遊歩道は川底の両側が散策できる、柳橋の下にもこのような壁画?が施されていた。銀座町を流れる糸川も清流に見える。

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糸川河口からの熱海市街の景観

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糸川河口は熱海のマリナーそれともヨットハーバーなのか、ヨットハーバーとマリーナの区別は解らず、困マリーナ!

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親水公園スカイデッキをお宮の松へぶらフォト散歩

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逆光の中で逆境のお宮と貫一の像、金色夜叉の有名なセリフ「来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」を思い出す

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二代目のお宮の松と金色夜叉の碑・・・明治の文豪尾崎紅葉の傑作「金色夜叉」にちなんで建てられたものである。「宮に似たうしろ姿や春の月」終遍金色夜叉を執筆した門弟小栗風葉自作自筆の句が刻まれた記念碑である。

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推定樹齢300年の年輪を重ねた初代のお宮の松は立ち枯れて、このように輪きりで展示保存されている

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昔は熱海と言えば熱海海岸通りのお宮の松の前にあった大月ホテル、今は2007年に再生したホテルミクラス(MICURAS)、20代の頃の50年前は初代のお宮の松があった熱海温泉は高級リゾートであった、当時は熱海の先のまだ漁村のような網代温泉に宿泊した。

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十時頃あたみ桜まつりの糸川遊歩道に戻る、写真はさくら橋、日曜日は熱海市役所から無料シャトルタクシーが乗車できる。梅園からここまで下り坂を歩いて来たが観光客4人を乗せて熱海梅園まで上り坂をタクシーで約8分で着く 、上り坂を歩けば30分はかかるだろう。無料タクシーは有り難い。

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熱海梅園に十時過ぎに戻る

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八重寒紅

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松尾芭蕉の句碑があった。
梅が香に のっと日の出る 山路かな

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貫一の梅 十郎はまだ咲いていないが貫一・お宮の梅がある

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ミス熱海梅娘の二人が無料で甘酒を観光客に振る舞っていた

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ここは静岡県地元のB級グルメの出店も多い、常設出店のウグイス笛の音色も響く

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梅園内の大道芸で女性猿回しが熱演していた

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香林亭では新春梅見落語会も開催していた。

この後は中山晋平記念館、韓国庭園、足湯と回り、最後に梅見の滝の洞窟を通り抜け、梅園橋を渡り、早朝に車を駐車した澤田政廣記念美術館の駐車場に戻り、11時には熱海を後にして帰路についたが25日は梅も桜もまだ一週間は早かったと思われる。

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梅見の滝洞窟からの早咲きの紅梅も二分咲き?

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毎年撮影しているこの美術館のあたみ桜は蕾も小さく開花はまだ先のようだ!ここは山の上で一番寒い処のようだ。

 

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2015年1月27日 (火)

あたみ桜と野鳥

 伊東線は来宮駅を出て直ぐ丹那トンネルに入る、次のトンネルは東海道線、001 その奥に東海道新幹線の3つの丹那トンネルがある山の上に熱海梅園がある。ここは歴史のある第71回熱海梅園の梅まつり会場である。♪梅はさいたか、桜はまだかいな~、梅はまだだったので期待は出来ないが桜を見物に山を下りた。
この熱海梅園前の信号から徒歩で坂を下ると来宮駅→熱海警察→熱海市役所→ニューフジヤホテルまで下り坂を歩いて20分で熱海桜まつりの糸川遊歩道に辿り着く、ここが御成橋この下流に新柳橋・ドラゴン橋・桜橋・糸川橋(国道135号線上り)・柳橋、最後は国道135号下り線の渚橋となり、糸川は熱海の河口となる。糸川桜まつりは御成橋から糸川橋の5橋の間に出店コーナーや写真スポットがある。日曜日の午前8時はまだ観光客もいない静かな朝である。

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満開の桜の下をそぞろ歩く気分で眺める! 糸川遊歩道マップの拡大図

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人通りの少ない8時頃、糸川橋袂(たもと)にある熱海桜基準木と基準木の碑。熱海桜はもともとは日本の桜ではなくてインド原産の寒桜の一種。明治4年頃イタリア人によって熱海にもたらされ その後増殖が行われました(熱海市観光協会)

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あたみ桜基準木の開花状況、こちらもまだ早かった!

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さくら橋では観光客もまだいない

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ドラゴン橋も人がいないのでドラゴンが寂しそう

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新柳橋では出店コーナーを準備中でした

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御成橋の袂のあたみ桜、後方のホテルは花火の時に便利な熱海ニューフジヤホテル(露天風呂からも花火見物)

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あたみ桜基準木に来たヒヨドリ、人がいないのでのんびり?

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あたみ桜と青空のメジロ、野鳥撮影が目的ではないので120mmレンズの撮影

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あたみ桜にスズメも来た、何しに来たのかな、高見の見物のようです

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あたみ桜蕾の中にメジロが二羽寄り添う、花蜜はどこかと開花を探す。25日の日曜日は人にもメジロにも熱海桜はまだ早かったようです!見頃は週末頃かな?橋から橋まで、端から端まで90mのぶらフォト散歩でした。

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2015年1月26日 (月)

熱海梅園の紅白梅合戦

 熱海の梅まつりはまだ早すぎた!
昨日の日曜日は熱海に観梅観光でした。4日に熱海館に宿泊した時に1月10日より日本一早咲きの熱海梅園の梅まつりの垂れ幕を見たのと、一昨日はネットで熱海の糸川桜まつりが1月24日から始まったのを見た!この二つの情報で「熱海梅まつり」と「あたみ桜まつり」の観光に出掛けたがオオハズレであった。
「急いては事を仕損じる」だったのだろうか、「鉄は熱いうちに打て」ともいう、「最善は慎重に」絶好のタイミングは難しい!

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熱海梅園の入口の紅梅と白梅の二本の梅(午前7時半)

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この日は開花が遅れて早咲きの梅はまだ二分咲き、300円の入場料は無料であった。

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蝋梅は花盛りであったがロウバイはバラ科サクラ属の梅とは違い、ロウバイ科ロウバイ族、1月から2月かけて黄色い花の落葉低木、梅の仲間でなかったことに始めて知る、朝からいきなりの狼狽!名前に梅が付くので誤解していた。梅がウメ~く咲いていない時期にロウバイは満開であった。

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まだ蕾の梅の木の下で水仙が満開であった、花を見るならこちらを推薦とでも言っているように見えた。

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熱海梅園前の白梅は冬至梅、紅梅は八重寒紅、どちらもこれでも花が咲いている方の早咲きの梅である。
ところで今年の紅白歌合戦はどちらが勝ったか聞かれる時がある、白と答えるとそれは間違いである。何故か?・・・紅白は大晦日、今年はまだ紅白歌合戦は・・・引っ掛けの質問であったと途中で気付く・・・

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9時開園前のまだ薄くらい7時30分、まだ観光客がいない梅園入口前の八重寒紅(紅)と冬至梅(白)の二本にメジロの番が来た

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24-120mmのレンズで撮影をトリムしたが陽が射さないので暗い

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メジロは八重寒紅には一度も行かず、白梅の吸蜜だけであった。紅白の梅合戦は白の方が美味いのか、上手いのか白の勝ちであった。

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2015年1月23日 (金)

小耳の想い出

 昨晩テレビ東京の「木曜8時のコンサート(モクハチ)」で伊東ゆかりが「小指の想い出」を歌っていた。昭和40年代のはじめ清純そうな伊東ゆかりの大ヒット曲であった、だが小指の想い出はかなりエロチックな歌詞の昭和歌であった。今年は昭和90年になる、自分の年齢から逆算すると伊東ゆかりも今年は68歳になると思われるので昔とは異なり、今は清楚な感じはしない。昨夜は2番まで歌ったが3番まであるがだんだんとエロチックになる歌詞であった。
小指の想い出から「小耳の想い出」が浮かびあがった。冬鳥の小耳とは顔盤の発達した羽角が短い(耳の小さいミミズク)である。漢字では小耳木菟、数字では533、53329など、車のナンバーにするほどの愛鳥家もおられた。L38cmW99cmの中型の愛嬌があるミミズクである。

1あなたが噛んだ 小指が痛い
 きのうの夜の 小指が痛い
 そっとくちびる 押しあてて
 あなたのことを しのんでみるの
 私をどうぞ ひとりにしてね
 きのうの夜の 小指が痛い
2あなたが噛んだ 小指がもえる
 ひとりでいると 小指がもえる
 そんな秘密を 知ったのは
 あなたのせいよ いけない人ね
 そのくせすぐに 逢いたくなるの
 ひとりでいると 小指がもえる
3あなたが噛んだ 小指が好きよ
 かくしていたい 小指が好きよ
 誰でもいいの 何もかも
 私の恋を おしえてみたい
 ほんとにだけど 言えないものね
 かくしていたい 小指が好きよ
HDD(ハードデスク)を一台一台コミミの探鳥のように検索していたら雪景色のコミミがあった。またもや連想したのは小雪である。小雪の降る日に神奈川県座間市で生まれたので名前の「小雪」は本名であるとか。石川さゆりの「ウイスキーが、お好きでしょう」の楽曲が流れるサントリー角ハイボールのCMで2年前まで見ていたが今頃は子育ての真っ最中だろうか。昨年から井川 遥に交替したが「小雪」の方が好のみ顔である。
関東いちえんから北海道(野付半島)まで撮影記録があるが好みと言えば鳥類ではコミミの正面顔である。
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小雪の降る中で飛翔するコミミと目が合う、始めた頃はこれがなかなか撮れなかった記憶がある。

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小雪の降る中でとまり木のコミミ 、虹彩が黄色で目の回りはアイシャドウのように黒い
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ネズミでも見つけたのかとまり木からの飛び出し
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533が音もなくゆったり飛ぶ
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おや~ネズミがいたようだ!小雪の中でカヤネズミか?
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ネズミを捕食した様子
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暫くしてから元のとまり木に舞い戻る
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今度は枯れ野の中で獲物を待つ
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コミミの飛翔
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体長の割りには翼が長い、ゆったりと飛ぶ、翼下面は淡色だが初列風切先端に2~3本の黒帯がある
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どこまで飛ぶのか、獲物を目指す真剣なコミミの横顔も味がある
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最後までカメラは追えなかった!
小指の想い出から小耳の想い出、しかも小雪の中の小耳をHDDの中からの探鳥記であった。
 

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2015年1月22日 (木)

放鷹術のアカオノスリの消息

 新年から七回ブログで紹介した正月2日の浜離宮恩賜庭園の放鷹術実演でメインイベントである電通ビル屋上からの放鷹実演で会場に戻らなかった初出場のアカオノスリ、その後の消息を諏訪流放鷹術保存会のHP「鷹匠の庵」に問い合わせしたところ、事務局長の大塚紀子鷹匠からコメントがあり、当日の同じ木に戻り、夕方4時過ぎに無事に戻ったと回答をいただきました。翌日3日もカラスの群れにあったが恐れずに戻ってきたそうです。今回の電通ビル屋上の経験が今後に生かされるとの添え書きもあり来年が楽しみです。

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1月2日11時からの放鷹術実演前の10:10分頃に撮影したアカオノスリ、浜離宮では初のお目見えである。
アカオノスリの分布は北米大陸L50-55cm、食性は肉食性で、鳥類、小型哺乳類爬虫類、両生類等を捕食する。上空を旋回したり、見通しのいい高所に止まりながら獲物を探す。(出典Weblio辞書)

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アカオノスリの飼い主は鷹匠門下生の龍 君代さん、開演45分前の据え、平成の鷹匠の世界を数年間追い続けたドキュメンタリー映画でも鞢(エガケ)鷹を据えるときに拳につける、いぶし鹿革製の手袋を作る場面に出ていた、龍 君代門下生(鷹匠捕)である、エガケは全て鷹匠の手作りである。

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1月2日内掘広場の奥で開演45分前の女性鷹匠達の談笑のひとときの様子、冒頭の写真はここで鷹匠の拳に据えていたアカオノスリを望遠で撮影

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輪廻りの時は鷹匠補の拳に据えていたのはハリスホーク(ももいろのすり)にスリ替わっていた、アカオノスリは大塚鷹匠が電通ビル屋上へ連れていった。

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「ぬくめどり」のDVDでも2014年の放鷹術実演が記録されていたが電通ビルの屋上に高さ3mの足場の櫓を組んで目がくらむような更に高い櫓の上からの大塚鷹匠の放鷹である。この時は田籠鷹師のオオタカ翔雲を放鷹したがトビの群れに追われて会場で白鳩を振る田籠鷹師の元には戻らなかったが鴨場の森の中で見つかった。
2015年1月2日11時50分頃の大塚鷹匠がアカオノスリを放鷹した瞬間、地上の振り鳩を無視したのか、地鳩を追いかけたのか、カラスに追われたのか、トビやオオタカに追われたのか、会場には舞い降りて来なかった、どこに行ったのか会場の誰もがうわの空を見ていた。

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アカオノスリはここにいた。13時10分頃に庚申堂鴨場近くの木にとまって下で呼ぶ鷹匠の声を無視するアカオノスリ

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午後の実演後の15時5分にもここが気に入ったのか同じ木にいたがその後カラス群れに見つかり、ここを追い出されてどこかに逃げた後の情報が知りたくて、諏訪流保存会のHP「鷹匠の庵」にメールして確認した次第である。無事に戻ったので来年のアカオノスリに期待して今年の放鷹術のブログを完としたい。

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2015年1月20日 (火)

ぶらフォト散歩で熱海の岩盤浴

 今日は大寒で温泉が恋しい日です。2週間前の寒の入りに今年の温泉初めであった。松の内の4、5日に一泊二日で伊東園ホテルズの伊東園ホテル熱海館に家族と孫と8名で電車で行きました。365日同一料金、1泊2食付7800円小人6800円と人気がある大衆リゾートホテルです。カラオケ、卓球、麻雀、ビリヤードなど無料で楽しめますが私はここの岩盤浴が目当てです熱海駅前の熱海軽便鉄道7機関車の横から土産物店の並ぶアケード街からAtami_044 徒歩2分と言われるが、ぶらぶらフォト散歩では4,5分かかる。正月三が日は混雑していて予約が取れなかったのでこの日になった。2日に朝7時に家を出て夕方5時に帰宅するまで浜離宮恩賜庭園の放鷹術の見物などで望遠レンズを左肩に担いで久し振りに17000歩の散歩が右腰に鈍痛を伴う疲労を感じていたのでお気に入りの岩盤浴で松の内の中休みとなった。玉砂利のような天然の北投石とたくさんの玉砂利の薬Atami 石の上に寝る この温泉の岩盤浴はとても腰の痛みに効果があり、昨年も正月3日4日に宿泊している。冷水を飲んでから入ってからじわじわと大量に汗が噴出す感じは、体中の悪い病の源が汗になって抜け出す気がしている。サウナと違い仰向けに寝ながらの10分間でこれだけ汗をかいてもちっとも苦しくなく、5分の休憩と冷たい水を飲んでまた10分間の岩盤浴で更に汗が噴出し、花粉症の鼻もすーっとする感じ。腰の痛みも軽くなります。二日間で4回も岩盤浴の魅力の虜になってしまいました。
さて近年に初めて車でなく東海道線で熱海に行った理由は件(くだん)の腰の疲労と視力の低下(朝の天声人語が読みはじめにぼやけてよく見えない、見えるまで時間がかかる)、それに車検が切れる日が1月12日であった。
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11時頃新横浜駅から菊名・大口・東神奈川・横浜駅まで横浜線で10分の移動はモハE231
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横浜駅では踊り子号E185系、各駅停車で90分、チェックインの3時まで時間があるのでこの電車を見送る。
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東京・熱海間の快速アクティーは横浜から辻堂・大磯・二宮・鴨宮の4駅を通過するだけで熱海まで70分に乗車、空いている先頭車両の対面座席に座る、車両はE231系
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午後1時チョット過ぎには熱海駅に到着
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一番上の写真にある軽便鉄道蒸気機関車の運転台
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軽便鉄道蒸気機関車の説明文
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1月4日の熱海駅、駅前広場の整備が進行したように見える
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アケード街(仲見世名店街)の入口、車では何回も来た熱海ではあるが電車では何十年ぶりだろうか、ぶらぶらフォト旅である。
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まともに歩けば二分でアケードの終点にある熱海館本館玄関に着く、3時のチェックインまで1時間半もある。
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熱海館の前は人気寿司の磯丸、この日もここで遅い昼の予定であった、1時30分頃でも混んでいたので30分待ちであった。
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磯丸寿司は店舗は、沼津と伊東と熱海に平和通りとこの仲見世通りの4店、生ビールと地の沼津ずくしを注文する、昼間から地の魚と生ビールが空き腹に染み渡る。
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昨年は偶然にも別館5階で熱海駅が見える部屋で孫どもが喜んだので今年も熱海駅が見える部屋を指定したところ本館最上階12階であった。
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熱海駅を通過する新幹線
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熱海駅を通過するN700Aの上下のすれ違い
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熱海駅は伊東線・伊豆急の始発駅でありいろいろな電車が見える

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東海道線の普通列車や伊豆急特急の踊り子などが熱海駅に入線する

昨年の正月3日は有楽町の火事で新幹線のぞみなどが臨時停車していたが今年は事件・事故は起きなかった。

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孫どもが撮り鉄をしている間に目当ての薬石の岩盤浴に入ったが効能書きの一番最初に花粉症があるので更に気に入った。近頃は鳥撮りのモチベーションが下がりぱなし、岩盤浴は鳥撮りに頑張って欲を出して、頑張欲!!!意気盛んな頃の温故知新。

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本館地下の温泉は洗い場が4つしかなく、別館3階の温泉よりも狭い。ガン治療の玉川温泉と同じ、台湾・北投温泉の天然薬石が施錠した手前の箱に入っている、岩盤浴の前後に入るこの温泉にも癒される。

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本館のカラオケ個室は4つしかなく、しかも8名では狭い、夕食後の予約は満杯で夕食前の90分間の利用であった、あとは数十人が楽しめる混浴のような混歌のカラオケ大部屋が二つある。

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夕食のバイキングは料金から期待していなかったが刺身と寿司の魚をお代わりするほどまあまあであった、生のスーパードライを飲み放題で二桁を目指したが若い頃と違いそんなには飲めなかった。

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いろいろ遊戯施設はあるが孫三兄弟はプレーランド、年寄は足裏マッサージ三兄弟、翌日のチエックアウト12時前にここで集合写真は昨年と同じであった。その前に昨日と同じ温泉と7時からの岩盤浴は朝一番と11時頃の2回も楽しむ。

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熱海館前の五月みどりの店はスタッフの説明では本人はこの日は仕事でいません。アケード街をぶらフォトしながら昼頃に帰路につく

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熱海館を出て左直ぐにある福福の湯、足湯は珍しくもありませんがここは「手湯」です。左には「夢掛け地蔵さん」お湯を掛けて夢が叶えて幸せになるそうです。今年の夢は・・・

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帰路は熱海駅始発のアクテイーE231系、横浜駅まで70分新横浜駅まで約90分、新幹線こだまで帰れば新横浜駅まで29分、ぶらぶらフォトの暇人には時間はたっぷりある。孫が撮影した熱海の記念写真。

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アクテイーの運転台

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E231系のセミクロスシート、車内は平日の午後1時頃でガラガラでした。中距離電車のセミクロスシートの4人掛けは長距離電車よりも狭いが熱海駅の駅弁を4人で楽しむ、車のドライブでは体験出来ない。撮り鉄のまねごとも経験した。

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2015年1月15日 (木)

貝独楽の想い出

「思い出」と「想い出」に意味の違いがあるのか、あるとすれば自分では、思い出は貧しく暗く、想い出は明るいことかも知れない情緒の気持ち。貝独楽(ベーゴマ)は貧しかった小学生時代のペーソス(哀愁)の記憶といえば「思い出」といえる。昭和ノスタルジー的な郷愁をともなう懐かしさを夢見るよ003_2 うな時は「想い出」といえよう。その戦後の昭和33年当時のノスタルジーをうりにした横浜ラーメン博物館が新横浜駅から5分の場所にある。
成人の日の12日は横浜市成人式が恒例となっている横浜アリーナで行なわれたので新横浜駅周辺は混雑が予想され、翌日の13日にラーメン博物館に出掛けた。ラー博も今年3月で20周年を迎える。開館した当初は地方の有名なラーメンを食べによく通ったがここ
数年はご無沙汰であった。ネットで見たベーゴマの情報に触発されて久しぶりの訪問である。
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自分のイニシャルと同じベーゴマのKとTは八角形だが六角と呼ばれる東京六大学の慶応と東大である、他に早稲田W・明治M・立教R・法政Hがあった。因みに戦後の箱根大学駅伝は中央大が強かった。
自分が好きだったのは当時のホームラン王の青バットの大下弘さんであった。赤バットの川上哲治さんと人気を二分していた。後のホームラン王となった王貞治は自分と同い年の小学生であった。

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ラーメン博物館内の駄菓子屋で販売していたベーゴマの大下と廻す紐である。懐かしさのあまり購入した。紐の結び目は二つは自分で作った。ベーゴマの床さえあればいつでも廻せる。

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ラー博の駄菓子屋夕焼け商店の狭い入口、愚痴が出ればここは出ぐちとなる

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ベーゴマを販売する年季が入った箱、ベーゴマを9種に分けて販売している、左の角瓶に廻す紐が@25円で販売していた。ペチャとはペチャパイと同じ意味、ガキの頃はペチャパイが好きだった。ペチャは厚みの薄い背丈の低いベーゴマ、上の大下は中 王様の中から選んだ、ここだけ200円であった。手前右下の角六は人気があるのか売り切れであった。

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駄菓子屋の金髪のおばさん(若いのか年寄りなのか?・・謎のX婆さん )が廻し方を知っているかと言うので浜離宮で実践済であったが参考までにベーゴマの廻し方の説明書を一緒に貰った。浜離宮で実践した(相手がいなかったので実戦ではない)廻した方と同じであることを実感した。

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ラー博の地下2階の夕焼け広場、B1にある鳴戸橋駅の真下、赤いコーラの自販機の横にベーゴマの樽が置いてある、ここでベーゴマ遊びをすると昭和ノスタルジそのものを想い出す。

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これが大きめのベーゴマの床、あまり使ってないので防水シートが弛んでいるように見える、この日は誰もベーゴマを廻していなかったので寂しい張りのない床である

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ベーゴマ床の脇には3つのケン玉、独楽、ベーゴマ2個と紐、使い古したメンコ、輪投げなどの昭和のレトロな 遊び道具が備えつけられていた。だが平日で子供がいない、遊ぶ大人もいなかった。ここに来ればいつでもベーゴマを廻せることが出来ることがわかった。ラー博に来て初めて気が付いたが20年前からあったのか?

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このベーゴマは買ってきたばかりで鋳物のままである、鋳物をいいものにするために今はヤスリやグラインダーで削ればよいが戦後の20年代は烏山小学校に通う行き帰りの甲州街道で、1m位の竹の先にベーゴマをセットして、八角の一辺を擦りながら歩いた、八辺を順番に削るのである。直角に削ると弾く力も強いが、勢い良く廻る重たい相手には弾かれることも多いのでこの角度に秘伝があった。この竹竿を使ったベーゴマの削り方は「門前の小僧習わぬ経を読む」ではないが上級生や中学生のやり方を見て自分の技にしたものである。

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ベーゴマの下面はバイ貝の名残りなのか、紐を廻し易い模様なのか、このような渦巻きの溝がある。ペチャを更にペチャにして相手の下に潜り込んで弾き飛ばすために、角を削ったと同じ方法で竹棒の先にセットして小学校の行き帰りに甲州街道で削った。こちらの方が芯を出すことと、尖らすことで数段難しかったが、ベーゴマは子供の遊びではあるが博打と同じ賭け事であったので自分のベーゴマの最も強い「しんしょうがん」を作るのに一生懸命であった。数年後に金持ちの子供は親に買って貰ったヤスリを使って「しんしょうがん」を作っていたがこの子の「しんしょうがん」を弾き出して勝つた時は勝ったベーゴマを返してヤスリを借りた、ヤスリは新兵器のように強力な武器であった。ヤスリの出現で加工精度はあがり、ベーゴマを廻す腕(技術)があがると負け知らずとなり、戦利品のベーゴマが沢山溜まった。子供の賭け事ではあったので作戦もあった。相手の使うベーゴマを見てから自分のベーゴマの角の角度(オリジナルの角度から直角まで)とペチャ度(ペチャ、中ペチャ、厚ペチャなど)を選んで使い、チィ・チィのチィや”セーノ”などの掛け声とともに思い切り力を入れて床の真上に放り投げ、手元に引いて廻した、回転力が強いほど弾き出す力も強いのである。満州からの引揚者だった家が貧しかったのでベーゴマやメンコなどはあまり買って貰えず、子供の頃から賭け事は強かった。社会人となってからもガキの頃の性分が麻雀に引き継がれた。

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入館時に配付されたラー博の栞、赤い表紙の中身は9つあるラーメン店の一覧、そのうちの前にも入店したサッポロ味噌ラーメンの「すみれ」に入る

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あえて注文したのは醤油味の「昔風ラーメン」でナルトの渦巻きを見ながら昔を懐かしく想い出した。

今日はガキ大将の時代、勝てば取る、負ければ取られる、子供の鉄火場であったベーゴマを通して物事に真剣に取り組む姿勢を学び、腕を磨けば勝つ喜びが増え、負ける悲しみが少なくなり、余裕が出来ると初心者への手加減や下手な者にベーゴマの削り方や廻し方などのコツを教えるなどの人間関係も学んだような気がする。ベーゴマについてはまだ奥深い話もあるが今年はいつしか戦後70年、昭和二十年代のノスタルジー 小学時代の想い出である。

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2015年1月14日 (水)

貝独楽(ベーゴマ)と再会する

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正月2日の浜離宮恩賜庭園で放鷹術の開始前10時半頃と終了後の3時半過ぎに野外卓広場で昔懐かしいベーゴマで遊んでいた一団がいた。
ベーゴマの語源は鋳物の町にゆかりがある。
川口で鋳物作りが始まったのは室町時代末期といわれ、その頃は近くを流れる荒川の岸で、製造に使う砂や粘土がたくさん取れたんだそう。ベーゴマの歴史は古く、平安時代に京都でバイ貝に砂や粘土を詰めて、それを子供がヒモで回したのが始まりだと言われています。ベーゴマと言う名前は、関東に伝わってからバイゴマがなまってベーゴマになったもので、今でも関西ではバイゴマと言うそうです。(ベーゴマ製造販売の日三鋳造所のHPより)

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午前10時半頃の野外卓広場のお楽しみ広場の会場、昔の正月の遊び方を指導する半纏姿の庭園職員の姿が見えるが客はまだ少ない。

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紅白幕を張ったテントの中に子供の頃遊んだベーゴマと回す紐が自由に遊んで下さいと置いてあった、川上・別所・金田 などの懐かしいプロ野球選手の名前もある。

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防水シートを張った床が三つと水桶があったが庭園職員以外はまだ人はいない、好きだったベーゴマの「大下」を捜したが無かったので「川上」を選んで回して見た、床の端目掛けて放り投げてから手元に思い切り引くタイミングが合わず、最初の2回はOBであったが三度目は見事に床の上で廻った。この瞬間(とき)の感激は近来にないものであった、昔とった杵柄は60数年経ってもまだ体が覚えていた。放鷹術が始まるので午前中はここでベーゴマとはお別れであった。

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放鷹術終了後も午前中から鷹匠の拳に戻らないアカオノスリがカラスの群れに追われて飛んでしまったので、日も傾いた午後3時半過ぎにもう一つの新年のイベントである野外卓広場のお楽しみ広場、午前中よりも人だかり多い。昔の正月遊び、羽根つき・独楽まわし・竹馬・ケン玉・輪投げ・ベーゴマなどを楽しむ子供達に大人も混じり遊んでいた。

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赤い上着の二人の子供はケン玉をしている後ろ姿、その右奥で大人二人がベーゴマを回していた、半纏を着ているのは庭園職員が正月遊びの指導員

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夕日が傾き、そろそろ4時の終了時間ベーゴマで遊ぶ人達に近づく

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若い男が3人とベーゴマをしていた、子供と後ろ姿の女性は見ているだけ、大人一人はぎこちない様子でベーゴマに紐を巻いていたが二人はベーゴマを廻していた、見ている壮年の人が若いのにやるな!というような顔で見ていた。

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二人が廻したベーゴマを撮ったが、庭園職員が後片付けを始めたのでこの広場は4時で閉園、ベーゴマ遊びに参加することが出来ずに残念な思いをした。

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2015年1月12日 (月)

将軍の御鷹場

 目黒通りと駒澤通りの二つの大通りに挟まれた、東横線の学芸大学駅付近に目黒区の歴史を今に伝える目黒区鷹番の地名082 がある。ここは八代将軍徳川吉宗(将軍職 1716年~1745年))のころに指定された御鷹場が六筋(6ヶ所)あり、その一つが目黒筋と呼ばれ、付近には野鴨が豊富な碑文谷池(碑文谷公園弁天池)などが鷹狩の好適地として利用され、鷹番や鳥見役所などが置かれた。鷹番とは御鷹場の監視や管理をする番所があったことや、鷹狩りに携わる役職(番人)が住んだ土地から鷹番と呼ばれるようになった。(東京おもしろ雑学を参照)
鳥見とは江戸幕府の職名。若年寄に属し,将軍の狩猟地を巡検し,鳥の所在を調査する職。(大辞林の解説)

昔から時代劇が好きだったが三十数年前に鷹が飛び回るTV時代劇を見た記憶がある、昨年はCS放送の時代劇で再放送を観賞した。時代は1770年代、悪政を極めた田沼意次時代に、鷹を自由に操る10代将軍・家治直属の探索機関“があった“お鷹組”と呼ばれ、将軍から切捨て御免の権限を与えられた“江戸の鷹”の面々は、汚職した武家政治の中、いかなる権力にも屈せず、社会正義と庶民の治安を守るため、名優・三船敏郎が将軍直属の探索方に扮し、鷹と共に活躍した痛快時代劇である。(ウィキペディア 江戸の鷹 御用部屋犯科帖より一部参照・抜粋)

浜離宮恩賜庭園には江戸時代に築造された二ヶ所の鴨場がある、庚申堂鴨場(こうしんどうかもば)は安永七年(1778)、新銭座鴨場(しんせんざかもば)は寛政三年(1791)に築造されたものである。

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入園時に配付されたパンフの園内見取り図を拡大、右上に新銭座鴨場が見え、東京湾から引いた潮入りの池に架かるお伝い橋の左脇に庚申堂鴨場が見える。

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東京湾側から撮影した往時の面影を残すお伝い橋

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園内の説明文、鴨場の元溜り、引掘、小覗、大覗、双手網(さであみ)などの鴨場の説明

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鴨猟の説明図

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庚申堂鴨場の元溜まり

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小覗きと引掘り

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小覗きの内部、覗き窓、ヒエ・アワなどの餌の挿入口、囮のアヒルに合図する板木と木槌引掘りと小覗きの外観、このような引掘りと呼ばれる細い堀が元溜りには数筋ある、ヒエやアワなどの餌に飼いならされた家鴨(アヒル)の後に野鴨がついて来る習性を利用してこの堀に引き込む

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小覗きの外観

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小覗きの真下の引掘り、このような引掘りと呼ばれる細い堀が元溜りには数筋ある、ヒエやアワなどの餌に飼いならされたアヒルの後に野鴨がついて来る習性を利用してこの堀に引き込む、野鴨がついてくると元溜まりの入口を塞ぐ

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大覗きは池や鴨の様子を見る、野生のオオタカがやってくると鴨が落ちつかなので囮の鳩を仕掛けて捕える

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大覗きの内部、囮の鳩をどのように仕掛けたかは不明

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双手網(さであみ)が展示されていた、明治以降はこのサデアミで引掘りに誘い込んだカモを捕えた、飛んで逃げるカモは仲間にここは危険な場所と知らせるのを防ぐために鷹匠のタカがカモを狩した。

因みに将軍の狩場は、御鷹場(オタカバ)、御拳場(オコブシバ)、御留場(オトメバ)などと呼ばれた。

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2015年1月10日 (土)

新春の空に鷹が舞う

 正月2日の浜離宮庭園の放鷹術実演から早くも一週間以上も時が流れた。今年は更に時のうつろいを早く感じる齢になった、今日はとうとう十日である。
2日の午前11時開演の放鷹術実演終了後に出演した鷹匠達が鷹を拳に据えて、観客席に来たので写真を何枚も撮った後、12時半頃から将軍徳川家斉の食事記録に記されたレシピに基づき再現された一杯600円の「将軍の雑煮」を販売する出店の二十人以上の列に並んだが途中で雑煮が売り切れる程の人気であり、将軍の雑煮を食べ損なった。正月二日間で一万人以上の観客には、将軍の雑煮は異常な人気がある、人気があるのは鷹ばかりではなさそうである。豚汁に切り替えて温かい飲食物を摂り、午後2時からの開演まで午前中のハイライトで空に舞った、アカオノスリが戻るのを待ったが、庚申堂鴨場の木にとまったアカオノスリの撮影で午後の開演まで時間を費やした。

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午後2時からの実演開始で鷹匠達が拳に鷹を据えての輪回りがはじまる、午後からは二番目に大塚紀子鷹匠が電通ビルから戻りこの定位置、午前中に輪廻りに参加していた龍君代鷹匠補は電通ビル屋上から飛ばした後に庚申鴨場に戻ってきた、アカオノスリのとまる木の処で忍縄(おきなわ)の鳩や鳩肉を入れた餌合子(えごうし)を鳴らしたり、声がかすれるほど掛け声を掛けたり、2時間もへばりついたままである。そんな中で午後の実演の始まり、鷹をそのばの雰囲気に慣らす輪回りが開始された。

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先頭は諏訪流第17代宗家・田籠善次郎鷹師、昨年春に完成した映画「ぬくめどり」では髭をはやしていたが今年は髭がなく、さっぱりした顔である。

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二番目は大塚紀子鷹匠、午前の部は電通ビル屋上に上がっていたが一日1回の屋上からの放鷹は午後の部ではない。

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三番目は稲田早苗鷹匠「ぬくめどり」の中では鷹匠の試験に合格する姿がみられた。

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四番目は榊原智子鷹匠補、鷹匠への試験で苦手な振鳩で苦戦していた。

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五番目は菊池正人鷹匠補、ぬくめどりの中では休日に鷹匠の庵の料理長を勤めていた

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六番目は若い十代の篠田朔弥鷹匠補。日本初の鷹匠の姿を数年間追ったドキュメンタリー映画「ぬくめどり」の中では、鷹匠に憧れてまだ鷹を飼うことが出来ない、13歳の中学生の時から河口湖から奥多摩の「鷹匠の庵」へ通い、田籠鷹師から指導を受けていた中学生が美少女に変身していた。憧れの女性鷹匠への道を歩んで浜離宮の晴れ舞台に立つ。

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実演開始の田籠鷹師、英国産のオオタカと供に挨拶

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稲田早苗鷹匠は「ぬくめどり」では会計事務所勤務のかたわら毎朝出勤前に近くの公園で鷹を据えて歩く姿があった。2013年に鷹匠試験に合格して2014年から鷹匠として放鷹術の実演に参加している。この日は最初の実演にオオタカ♀巴の据前(巴の飼い主)として出演

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田籠鷹師目掛けてオオタカの巴が飛ぶ、巴は平安時代に木曽義仲と男勝りの活躍をした女武将の巴御前の名前から付けたそうです。♂以上に勇ましそうな♀鷹

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振替の相手は田籠鷹師

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田籠鷹師から稲田鷹匠への振替

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鷹の巴が飛ぶ

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稲田鷹匠が背中で巴の振替を受ける

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稲田鷹匠から二度目の振替

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田籠鷹師への二度目の振替、鳩肉を喰う巴

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背を向けて巴の振替を受ける稲田鷹匠

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演技の二番目は渡りの実演、稲田鷹匠と巴の渡り、渡りとは拳から樹上に飛ばした鷹を再び拳に呼び戻す技である。

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近くの樹に鷹を放つ、枝にとまる巴

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稲田鷹匠が拳に呼び戻す

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二度目の渡りは巴は更に高い細い枝にとまる

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稲田鷹匠の拳に渡る、二度目の巴

 

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稲田鷹匠からご褒美の鳩肉をもらう巴

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三つ目の実演は見知らぬ人への振替、振替の実演に参加した希望者の一人目の女性と大塚鷹匠、参加者はいぶし鹿革製の手袋の「鞢:エガケ」を左手にはめて、鷹を拳の上にとめる指導をそれぞれの介添えの鷹匠から受ける。写真は無事に振替たハリスホークに鳩肉を与える場面

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鷹匠のテント前で振替の二人目の希望者の女性と介添え役の榊原鷹匠補

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振替の希望者三人目の女性のエガケにハリスホークがとまる直前、三人の見知らぬ女性に振替が無事終了。

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午後の最終演技は飛び流し

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午後の実演が始まる前に鳩の入ったバードランチャーをセットする田籠鷹師と大塚鷹匠の二人の様子

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あっと言う間に飛び出した鳩を取り押えた、空中の写真はタイミングを外してボケた

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大塚鷹匠が鷹の獲物の鳩を据上げして鳩を逃がす

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実演後は鷹匠が観客席に鷹を見せに来て放鷹術は終演となる。

鷹匠の世界を数年間追い続けたドキュメンタリー「ぬくめどり」の中でも浜離宮の放鷹術実演は鷹匠の晴れ舞台である、今日は2014年の浜離宮の放鷹術の場面をもう一度観賞することにした。

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2015年1月 8日 (木)

ドキュメンタリー映画「ぬくめどり」のDVD

鷹のとるこぶしの内の
むくめ鳥氷る爪根の情をぞしる
         (後京極鷹三百首)

ある冬の寒い夜 鷹が
小鳥を捕えてつかみ
一晩中鷹は足をあたためる
翌朝 鷹はその小鳥を放す
しかし鷹は
その小鳥が飛び去った方向へ
その日は
決して狩に行かないという     

開幕は心温まる鷹の寓話の字幕と宇崎竜童の語りでこの映画は始まる

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1月2日の浜離宮恩賜庭園の放鷹術会場で販売していたドキュメンタリー映画「ぬくめどり<鷹匠の世界>」のDVD 税込み\3240円を特価3000円でお土産に購入して自宅で観賞しました。宇崎竜童の語りで102分、上がDVDケースの表、今年の放鷹術では髭を剃っていましたがDVDでは髭の鷹匠の長として登場。DVDケースの裏面は初の女性鷹匠の大塚紀子鷹匠。
昨年は体調不良で5年間継続していた放鷹術の見物を休みましたが、2014年の諏訪流放鷹術実演がこのDVDで観賞出来ましたので今年を含めて七年連続?で観覧したことになります。

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日本で初めての鷹匠の姿を迫ったドキュメンタリー映画。1650年以上続く諏訪流放鷹術伝承の全貌、鷹の生態、鷹の彫金「12の鷹」鈴木長吉(東京国立近代美術館工芸館蔵)、諏訪流17代田籠善次郎鷹師、大塚紀子鷹匠のインタビューを交え、師匠の鷹「翔雲」の活躍や門下生たちの特訓の様子など伝統を守る人々と鷹との心温まる物語。そして命の大切さを教えてくれる感動のドキュメンタリー。
上がパンフレットの宣伝文句の抜粋です。下が当日会場で配布されたパンフレットです。
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上の公式HPとブログの部分を興味ある方に拡大したものです。ネットでは諏訪流保存会のHP「鷹匠の庵」と「ぬくめどり~鷹匠の世界」でも紹介されています。
お正月に開催される浜離宮恩賜庭園の放鷹術の会場が鷹匠を目指す若い人達にとっては最高の晴れ舞台となっている事を映画で知りました。また司会者が鷹匠全員を紹介しますが音声ではどのような文字の姓名かワカリマセンが映画の巻末で鷹匠一同の姓名の文字が判りました。知りたいと思っていたことが判り喉に刺さっていた魚の小骨がとれた感じです。

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 次は著者が2007年に諏訪流の放鷹術試験に合格して、女性初の鷹匠となり、2011年9月に発刊された著書、放鷹術を見物する時に鷹狩りの歴史や伝統と道具名や演技の名称などを知る上で参考にしている本である。諏訪流保存会のHP「鷹匠の庵」の管理と同会の事務局長を兼務されている大塚紀子さんの著書である。

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会場で販売している初の女性鷹匠の大塚紀子さんの著書です。DVDにも長の田籠鷹師の補佐役として門下生の指導や放鷹術実践会場で活躍している場面が出てきます。2年前に当会場で購入して大塚紀子さんのサインを戴きました「そんな訳で写真の本は価値ある中古本になりました m( _ _ )m 」 

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本よりコピーした諏訪流鷹匠の盛装です。鷹師・鷹匠・鷹匠捕・門下生などの衣装の違いに興味が湧きます。この絵はHPの鷹匠の庵にもあります。

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著書の写真の一部です。鷹匠の様々な道具です。放鷹術の実演を見物しながら鷹師・鷹匠・鷹匠捕・門下生などの道具の違いを見るのも興味があります。

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当日のDVD売り場でこのような鷹をデザインした箸置きが@300円で販売されていましたので記念品に3つ(小さいのは孫用に)買い求めてきましたので七草粥はこの箸置きでいただきました。今年の無病息災が叶う気持ちになりました。

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記念箸置きが入っていた包装の表と裏です、箸置き製作者への小さな応援と「ぬくめどり」製作委員会への敬意を込めてご紹介します。

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2015年1月 7日 (水)

初見の放鷹術・赤尾鵟

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私の年賀のご挨拶です、正月の松飾を飾っておく期間も今日までです、この年賀状も出してない方からの賀状の返信に元旦からも投函していましたがまだ消費期限はありますが賞味期限切れで今日でお役御免です。写真は長野県中野市で撮影したハヤブサ雌雄の空中餌渡しの瞬間です。
小惑星探査機「はやぶさ2」を搭載したHーⅡAロケット26号機は
Hayabusa2 2度の天候不順で打ち上げが延期されたが昨年12月3日13時22分04秒に種子島宇宙センターから打ち上げれた。この中継を見た瞬間から今年の年賀状はハヤブサと決めたのである。再掲した写真の出所は愛読しS_4ているデジタル朝日からである。地元神奈川の江の島でハヤブサを撮影したのは10年前のことであったがその後毎年好きなハヤブサを日本のどこかで撮影している。五年後の東京五輪の後、年末に小惑星からのお土産を持っての帰還が楽しみであるが2020年は我も略字で八と十の組み合わせの
傘寿(さんじゅ)の祝いの年であり、願わくばそれまで健康寿命で浮世を憚(はばか)りたいたいものである。

今日は七草粥の日でもあり、「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ」と暗記した七草は、早春にいち早く芽吹くことから邪気を払うといわれそこで、無病息災を祈って七草粥を食べる江戸時代からの習慣。正月疲れが出はじめた胃腸の回復にはちょうどよい食べもの。あっさりと仕上げたお粥は、少し濃い味のおせち料理がつづいたあとなので、今晩はとても新鮮な味わいになると思います。

さて、今日のタイトルは正月2日浜離宮の放鷹術の実演の続きである。例年2日と3日とも午前11時と午後2時の二回の実演があるが2日の午前の部でハイライトの電通ビル屋上からのアカオノスリの初めての放鷹は内掘庭園の会場に降りて来ず、どこかに飛んで行き、観客の期待に応えてくれなかった。そのアカオノスリが内掘庭園隣の庚申堂鴨場の木に戻ってきたが鷹匠の呼びかけにも関わらず拳に戻らず、必死になって手元に戻るように呼びかける様子を垣間見たがこれが輸入種を調教したアカオノスリの初見であった。

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庚申堂鴨場近くの中央の木にとまるアカオノスリと呼びかける鷹匠達

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和名の赤尾鵟(アカオノスリ)は英名のRed-tailed Hawk の直訳

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女性鷹匠補がオキナワにつけた鳩で誘うが効果なく、鷹は降下せず、木の上で硬化するばかり

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長(おさ)である田籠鷹師も応援に来たがそれでも降りてこない、

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アカオノスリの分布は北米大陸L50-55cm、食性は肉食性で、鳥類、小型哺乳類爬虫類、両生類等を捕食する。上空を旋回したり、見通しのいい高所に止まりながら獲物を探す。(出典Weblio辞書)

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午後2時前に鷹師は午後の開演の準備で内掘庭園の会場に戻られる

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鷹匠の方を見ているアカオノスリ、尾が短く見えるが赤茶色が見えない

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声を掛けながら餌の鳩肉で鷹匠補が誘うが・・・

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アカオノスリは鷹匠の手元には戻らず、右往左往する鷹匠達のタカ見の見物 を決めこむ?この後は午後の実演終了後の3時過ぎまでこの木にとまっていた。

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アカオノスリの名前の由来である表面の赤尾が撮れない!裏面の白ぽっい部分ばかり、まだ素人の域、ため息が出る。

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その後はカラスの群れにここから追い出されて飛び出し、鷹匠達がまた飛び去った方向へ捜索を開始したが午後3時10分にはお楽しみ広場で行なっている羽根つき・独楽やベーゴマなどの子供の遊びを見に行った。                       

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2015年1月 6日 (火)

観客による鷹の振替え

 北米などからの輸入している鷹、ハリスホークの名で知られるモモアカノスリ(腿赤)は人に慣れやすく訓練もしやすいので鷹狩りによくもちいられている。このハリスホークによる「振り替え」を観客の中から希望者3名を募り、鷹匠の指導で実演が行なわれる。二人の大人の次に3番目実演した女の子の振り替えの様子である。振り替えは(鷹匠の拳から別の人の拳へと、鷹を飛び移らせる術)

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子供の鷹匠?ではなく、観客の中からの希望者です、2日の午前中は3人のうち、大人の男女二人の後にトリとして登場した女の子、手助けする鷹匠捕から振替えで飛んで来るハリスホークを待ち受ける場面です

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ハリスホーク(モモイロノスリ)が飛んで来ましたが・・・

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ところが、何故かハリスホークは拳にとまらず、通過して観客席後方の木に行ってしまいました

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立ち見の観客席方向へ飛び去るハリスホークを見送る田籠鷹師

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戻って来たハリスホークで田籠鷹師からハリスホークを振替えで飛ばす要領を教わっている女の子

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振替えの飛ばす直前

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女の子の拳からハリスホークの飛び出し

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地を這うように飛ぶハリスホーク

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無事に待ち受ける鷹匠へ振替えで観客参加の実演は終了

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一日一回のハイライトの電通ビル屋上からの放鷹

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持参した双眼鏡で覗くと屋上で実演しているのは女性の大塚紀子鷹匠が放鷹の瞬間です

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飛び立ったアカオノスリは下で待ち構える振り鳩のところへは降りて来ず、飛んでいる地鳩に興味を持ったのか、浜離宮の森の上空へ飛んで行き、戻ってきません(午後2時からの放鷹術実演の開始時間にも戻らず)

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獲物を捕える実演に急遽、振り鳩によるオオタカで行なわれました、女性鷹匠の稲田早苗鷹匠とオオタカの巴

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この振り鳩の様子です(最初にオオタカ若が戻らない時の写真)

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あっという間に振り鳩の鳩を捕えました

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振り鳩の紐も見えます、鷹匠が来るまで獲物の鳩を押さえたままです

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鳩を無傷で放した後にご褒美に鷹匠から鳩肉を貰います

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無事獲物を捕えて実演終了後の女性鷹匠の稲田早苗さんの笑顔と巴の写真で午前の部は終了しました。 

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2015年1月 4日 (日)

放鷹術の振替えと渡りの実演

二年ぶりに放鷹術を見物したきのうの続きです。最初の実演は師匠の諏訪流第17代宗家、田籠善次郎鷹師から山梨在住の一番若い女性鷹匠への振替とこの女性鷹匠による渡りの実演です。

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初々しい女性鷹匠のオオタカ若の振替え(鷹匠から他の鷹匠への鷹の移動)

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師匠の呼ぶ合図でオオタカが飛び出しました

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地上低く飛ぶオオタカ若

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田籠善次郎鷹師へ無事振替え

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今度は師匠から弟子への振替えです、失敗したらオオタカが振替サギになります

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獲物を狙う時と同じようにオオタカは地上すれすれを飛びます

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後ろ向きの新人鷹匠の手前でオオタカは上に上がり拳にとまり振替えは成功です

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次は渡りの実演です。鷹匠から傍の木の枝に渡良瀬です

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オオタカが木に向かって飛び出します

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オオタカが気に入った木に向かいます

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タカがこちらの枝がエ~だとこの枝に移動、ここから戻る合図を待ちます

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鷹匠の合図で戻ってきます

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拳の位置に戻りました、年々カメラマンが増えますね!2年前はこの位置にはCMはいなかった記憶ですが・・・

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ご褒美に大好きな鳩肉を貰います

この後の続きはまたの機会に!

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2015年1月 3日 (土)

新春の恒例、放鷹術の実演

新春の空に鷹が舞う、諏訪流放鷹術の実演
1992(平成4年)から毎年恒例の第23回目となる、将軍家の御鷹場(おたかば)であった浜離宮恩賜庭園で、鷹匠の伝統ある鷹狩の技「放鷹術:ほうようじゅつ」の実演が正月2日、3日に行われます。昨日の二日に二年ぶりに観覧してきました諏訪流放鷹術です。朝7時に家を出て新横浜発7:16で東神奈川に到着、大宮行きに乗り換えて新橋駅から徒歩約15分で浜離宮庭園大手門口に到着したのが8時30分頃、鷹撮りに来た先着は4名(妙齢の女性二人を含む)の5番目に並ぶも新年初開門は9時。30分後に初開門、一般300円・65歳以上150円、窓口にSuicaも使えるとあるのでスイカを通し150円で通過、初めてこの浜離宮で放鷹術を見物した2009年(第17回)頃に比べると見物席のイスも2倍位に増えていた、数年前から始まった合気道の畳の正面にあるイスに持って来た座布団で席を確保したのはまだ9時である。あっという間に一番前の席は鷹撮りを目的に来た人で埋まる。放鷹術の開始まであと2時間どう過すか、この庭園は旧御鷹場であり、現バードウオッチング場でもあるので200-400レンズにD7100をセットして庭園内を探鳥するも鷹狩のタカが来るのを予知したのか、あるいは野鳥も正月休みで姿見せずで成果はなにもなし、だが野外卓広場で羽根つき・独楽まわし・竹馬・ケン玉・輪投げ・ベーゴマなどを楽しむ子供達に大人も混じり遊んでいた。樽の上にシートを張ったベーゴマ床が3つあり、ここで子供がベーゴマを床の上で廻すのに苦心しているようだった、65年ぶりにガキ大将の頃遊んだベーゴマの「川上」を手にとり、太いタコ糸にコブを二つ作ったヒモに巻きつけて廻して見た、1,2度目は床に入らずOBであった、3度目に昔とった杵柄で見事に回り、探鳥の不満を含めて溜飲を下げる。11時前に見物席は満員であり、二時間前に確保した自分の席に付く。

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午前11時 鷹師と鷹匠・鷹匠捕・鷹匠見習の挨拶、開始前の合気道の実演に使用した畳が目の前にある

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司会者も若い女性鷹匠の門下生

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据え(水平に保った拳の上に鷹を安定して止まらせておく)の状態で鷹匠たちが輪になってゆっくり回る、鷹を会場の雰囲気に慣らす輪周り、先頭は田籠鷹師、二番目三番目は女性の鷹匠、4番目男性の鷹匠捕、5番目6番目女性の鷹匠捕と手明

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二番目から6番目の鷹匠と鷹匠捕

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女性が胸を張りながら廻る中で下を向きながら廻る男性の鷹匠捕

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田籠鷹師の挨拶

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二番目を廻る女性鷹匠とオオタカの巴(ともえ)

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三番目を廻る女性鷹匠とハリスホーク(腿赤鵟:ももあかのすり)の「のあけ」

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4番目は鷹は目隠し、唯一の男性鷹匠捕は下向きながら女性の鷹匠が多くなり肩身がせまいのか

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4番目の女性鷹匠補とハリスホーク(ももあかのすり)

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しんがりは女性鷹匠を目指す若い十代の女の子とオオタカ若

二日は家で楽なTVの箱根大学駅伝を見るか、それとも外出して浜離宮の鷹をみるか、迷いましたが放鷹術の方を選び、久し振りに17000歩も歩いて夕方5時に帰宅、食事後は疲れて寝てしまい、3日の今朝は7時から箱根駅伝を見ながらのブログ作成でしたが時間が掛かりましたので、この後の放鷹術の実演の様子は明日にします。

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2015年1月 1日 (木)

回顧と懐古の謹賀新年

新年明けましておめでとうございます

今年も宜しくお願い申し上げます

野鳥撮影を始めた10年前の酉年から昨年の午年までの回想と回顧で未年に、いざ!ひつじんで年が明けました。
回顧はこの10年の良いことも悪いことも、過去を振り返ってみることであり、懐古は昔は良かったと昔をなつかしむこと。回顧と回想の違いはよく判らず、辞書によると、「回想」は、自分自身の体験を振り返るときに使う。「回顧」は、客観的に過去の事柄を振り返るときにも使うとある。しかし回顧も自己中心で主観的に歩んできた道を振り返る回顧録がある。

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初日の出撮影の回顧録です。宿泊した西伊豆町堂ヶ島の宿から南伊豆町あいあい岬のある奥石廊崎を通り、石廊崎にある廃墟の熱帯植物園・ジャングルパークの中を通り抜けて、石廊崎灯台脇の石段を降り、約10分後に岬の上の洞窟にある石室神社で初詣、初日の出が撮れますようにと祈願して撮影した七年前の伊豆・石廊崎で撮影した回顧の初日の出。伊豆七島の上に昇る初日の出、海鳥も舞う、2008年正月元旦午前6時55分撮影

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初日の出の回想の次は箱根駅伝・東洋大の柏原竜二選手の快走である。2009年正月は箱根小涌園のホテルに泊り、翌日は第85回箱根大学駅伝を見物、ここで一位通過は早稲田の三輪真之選手、ここまで二位の山梨学院大高瀬無量選手に続いて3位で通過したのが往路初優勝した東洋大の柏原竜二選手の8人抜きで4分58秒差を逆転する快走、その後4年間山の神となって東洋大の往路優勝と3回の総合優勝の原動力となったのは周知である。撮影時はまだ3位を走っていた時の応援風景。

正月3日の午前中は浜離宮庭園で諏訪流放鷹術の実演を見てからJR新橋駅から日比谷通りに出て、箱根駅伝のゴール前の熱戦を応援していた。

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総合初優勝した東洋大の新橋駅付近の高見諒選手の快走を回想する写真。

昨年の正月はたった3行の謹賀新年のご挨拶だけでした、長い前書きのこのブログがたった3行でお仕舞いで写真もなく、全くやる気のない年始でした。午年はこのようなウマくない「さんぎょうかくめい」で始まり、しかも写真が一枚もナシの全くやる気のない年の初めであった。ブログのUpは1月1回、2月3回で低調な年初の出だし、河津桜咲く3月に桜絡みで19日、4月はソメイヨシノ桜絡みで15日、5月は過去鳥で4日、6月は北海道の遠征先から11日、7月も北海道の22日、8月は毎日北海道の撮影記録で休みなしの31日、9月タカの渡りの始まりの13日、10月はタカ見の広場と渥美の森のタカの渡りで17日、11月は麦蒔と箱根の野鳥で17日、12月はアカハシハジロで始まり白鳥で〆る12日間のアップでした。2014年午年の一年間合計165日間のブログアップでブログ開始9年目で最低の回数となりました。2012年10月撮影のトキの時が目標の400種達成でそれ以降はモチベーションが落ちたようです。やる気にも賞味期限があるようです。人生にも賞味期限がありますので野鳥撮影にも賞味期限があります。

やる気の賞味期限は3年といわれます。ブログを始めて9年間でこのブログの年間のアップ数が最高の年を調べると2008年でした。野鳥撮影に嵌まって4年目、ブログを始めて3年目の年です。今年の年賀の初日の出の写真は、この年の初日の出です。2008年は正月元旦から師走の仕事納めまで336回の写真ブログアップでした、年間アップ率92%であり、毎月平均28日間のアップであった。今では考えられません。

2014年の結びの写真はハクチョウでしたので白鳥つながりで昔を懐かしみ、懐古の白鳥を年始の写真に選びました。

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ブログを開始する前の2006年3月、自分の誕生日に午前2時に横浜を出発して往復1500Km、運転時間20時間を要した一番の長距離運転で撮影してきた、日本ではきわめて稀な白鳥、岩手県久慈市長内川のナキハクチョウのクロちゃんと帯広川から一緒に来たコハクチョウとのラブラブの様子です。コハクチョウL120cmとの大きさの差があります。

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オオハクチョウL140cmよりも大きいL152cm、嘴が黒く、嘴と目がつながっているように見える。

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ここに来る前は帯広川にいて、このコハクチョウと連れだってこの長内川に飛んで来たそうです。2005年12月に日本に渡来した最初はコハクチョウが日本に渡来してくるクッチャロ湖から帯広川へ移動、そして久慈市の長内川に飛来してきたと現地で聞きました。北帰行はこの逆になるそうです。

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岩手県久慈市の長内川で北帰行直前に撮影できた極めて稀な白鳥のナキハクチョウ:トランペットスワンです。野鳥撮影してきたこの十年間で2006年と2009年の二度このナキハクチョウの渡来記録がある。

懐古は昔を懐かしむという意味ですから、このように古い写真を持ち出して楽しむことです。回顧は野鳥撮影を歩んできた道を振り返って見る、いいことも悪い事も思い出すことに価値がある。

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