貝独楽の想い出
「思い出」と「想い出」に意味の違いがあるのか、あるとすれば自分では、思い出は貧しく暗く、想い出は明るいことかも知れない情緒の気持ち。貝独楽(ベーゴマ)は貧しかった小学生時代のペーソス(哀愁)の記憶といえば「思い出」といえる。昭和ノスタルジー的な郷愁をともなう懐かしさを夢見るよ うな時は「想い出」といえよう。その戦後の昭和33年当時のノスタルジーをうりにした横浜ラーメン博物館が新横浜駅から5分の場所にある。
成人の日の12日は横浜市成人式が恒例となっている横浜アリーナで行なわれたので新横浜駅周辺は混雑が予想され、翌日の13日にラーメン博物館に出掛けた。ラー博も今年3月で20周年を迎える。開館した当初は地方の有名なラーメンを食べによく通ったがここ数年はご無沙汰であった。ネットで見たベーゴマの情報に触発されて久しぶりの訪問である。
自分のイニシャルと同じベーゴマのKとTは八角形だが六角と呼ばれる東京六大学の慶応と東大である、他に早稲田W・明治M・立教R・法政Hがあった。因みに戦後の箱根大学駅伝は中央大が強かった。
自分が好きだったのは当時のホームラン王の青バットの大下弘さんであった。赤バットの川上哲治さんと人気を二分していた。後のホームラン王となった王貞治は自分と同い年の小学生であった。
ラーメン博物館内の駄菓子屋で販売していたベーゴマの大下と廻す紐である。懐かしさのあまり購入した。紐の結び目は二つは自分で作った。ベーゴマの床さえあればいつでも廻せる。
ラー博の駄菓子屋夕焼け商店の狭い入口、愚痴が出ればここは出ぐちとなる
ベーゴマを販売する年季が入った箱、ベーゴマを9種に分けて販売している、左の角瓶に廻す紐が@25円で販売していた。ペチャとはペチャパイと同じ意味、ガキの頃はペチャパイが好きだった。ペチャは厚みの薄い背丈の低いベーゴマ、上の大下は中 王様の中から選んだ、ここだけ200円であった。手前右下の角六は人気があるのか売り切れであった。
駄菓子屋の金髪のおばさん(若いのか年寄りなのか?・・謎のX婆さん )が廻し方を知っているかと言うので浜離宮で実践済であったが参考までにベーゴマの廻し方の説明書を一緒に貰った。浜離宮で実践した(相手がいなかったので実戦ではない)廻した方と同じであることを実感した。
ラー博の地下2階の夕焼け広場、B1にある鳴戸橋駅の真下、赤いコーラの自販機の横にベーゴマの樽が置いてある、ここでベーゴマ遊びをすると昭和ノスタルジそのものを想い出す。
これが大きめのベーゴマの床、あまり使ってないので防水シートが弛んでいるように見える、この日は誰もベーゴマを廻していなかったので寂しい張りのない床である
ベーゴマ床の脇には3つのケン玉、独楽、ベーゴマ2個と紐、使い古したメンコ、輪投げなどの昭和のレトロな 遊び道具が備えつけられていた。だが平日で子供がいない、遊ぶ大人もいなかった。ここに来ればいつでもベーゴマを廻せることが出来ることがわかった。ラー博に来て初めて気が付いたが20年前からあったのか?
このベーゴマは買ってきたばかりで鋳物のままである、鋳物をいいものにするために今はヤスリやグラインダーで削ればよいが戦後の20年代は烏山小学校に通う行き帰りの甲州街道で、1m位の竹の先にベーゴマをセットして、八角の一辺を擦りながら歩いた、八辺を順番に削るのである。直角に削ると弾く力も強いが、勢い良く廻る重たい相手には弾かれることも多いのでこの角度に秘伝があった。この竹竿を使ったベーゴマの削り方は「門前の小僧習わぬ経を読む」ではないが上級生や中学生のやり方を見て自分の技にしたものである。
ベーゴマの下面はバイ貝の名残りなのか、紐を廻し易い模様なのか、このような渦巻きの溝がある。ペチャを更にペチャにして相手の下に潜り込んで弾き飛ばすために、角を削ったと同じ方法で竹棒の先にセットして小学校の行き帰りに甲州街道で削った。こちらの方が芯を出すことと、尖らすことで数段難しかったが、ベーゴマは子供の遊びではあるが博打と同じ賭け事であったので自分のベーゴマの最も強い「しんしょうがん」を作るのに一生懸命であった。数年後に金持ちの子供は親に買って貰ったヤスリを使って「しんしょうがん」を作っていたがこの子の「しんしょうがん」を弾き出して勝つた時は勝ったベーゴマを返してヤスリを借りた、ヤスリは新兵器のように強力な武器であった。ヤスリの出現で加工精度はあがり、ベーゴマを廻す腕(技術)があがると負け知らずとなり、戦利品のベーゴマが沢山溜まった。子供の賭け事ではあったので作戦もあった。相手の使うベーゴマを見てから自分のベーゴマの角の角度(オリジナルの角度から直角まで)とペチャ度(ペチャ、中ペチャ、厚ペチャなど)を選んで使い、チィ・チィのチィや”セーノ”などの掛け声とともに思い切り力を入れて床の真上に放り投げ、手元に引いて廻した、回転力が強いほど弾き出す力も強いのである。満州からの引揚者だった家が貧しかったのでベーゴマやメンコなどはあまり買って貰えず、子供の頃から賭け事は強かった。社会人となってからもガキの頃の性分が麻雀に引き継がれた。
入館時に配付されたラー博の栞、赤い表紙の中身は9つあるラーメン店の一覧、そのうちの前にも入店したサッポロ味噌ラーメンの「すみれ」に入る
あえて注文したのは醤油味の「昔風ラーメン」でナルトの渦巻きを見ながら昔を懐かしく想い出した。
今日はガキ大将の時代、勝てば取る、負ければ取られる、子供の鉄火場であったベーゴマを通して物事に真剣に取り組む姿勢を学び、腕を磨けば勝つ喜びが増え、負ける悲しみが少なくなり、余裕が出来ると初心者への手加減や下手な者にベーゴマの削り方や廻し方などのコツを教えるなどの人間関係も学んだような気がする。ベーゴマについてはまだ奥深い話もあるが今年はいつしか戦後70年、昭和二十年代のノスタルジー 小学時代の想い出である。
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