貝独楽(ベーゴマ)と再会する
正月2日の浜離宮恩賜庭園で放鷹術の開始前10時半頃と終了後の3時半過ぎに野外卓広場で昔懐かしいベーゴマで遊んでいた一団がいた。
ベーゴマの語源は鋳物の町にゆかりがある。川口で鋳物作りが始まったのは室町時代末期といわれ、その頃は近くを流れる荒川の岸で、製造に使う砂や粘土がたくさん取れたんだそう。ベーゴマの歴史は古く、平安時代に京都でバイ貝に砂や粘土を詰めて、それを子供がヒモで回したのが始まりだと言われています。ベーゴマと言う名前は、関東に伝わってからバイゴマがなまってベーゴマになったもので、今でも関西ではバイゴマと言うそうです。(ベーゴマ製造販売の日三鋳造所のHPより)
午前10時半頃の野外卓広場のお楽しみ広場の会場、昔の正月の遊び方を指導する半纏姿の庭園職員の姿が見えるが客はまだ少ない。
紅白幕を張ったテントの中に子供の頃遊んだベーゴマと回す紐が自由に遊んで下さいと置いてあった、川上・別所・金田 などの懐かしいプロ野球選手の名前もある。
防水シートを張った床が三つと水桶があったが庭園職員以外はまだ人はいない、好きだったベーゴマの「大下」を捜したが無かったので「川上」を選んで回して見た、床の端目掛けて放り投げてから手元に思い切り引くタイミングが合わず、最初の2回はOBであったが三度目は見事に床の上で廻った。この瞬間(とき)の感激は近来にないものであった、昔とった杵柄は60数年経ってもまだ体が覚えていた。放鷹術が始まるので午前中はここでベーゴマとはお別れであった。
放鷹術終了後も午前中から鷹匠の拳に戻らないアカオノスリがカラスの群れに追われて飛んでしまったので、日も傾いた午後3時半過ぎにもう一つの新年のイベントである野外卓広場のお楽しみ広場、午前中よりも人だかり多い。昔の正月遊び、羽根つき・独楽まわし・竹馬・ケン玉・輪投げ・ベーゴマなどを楽しむ子供達に大人も混じり遊んでいた。
赤い上着の二人の子供はケン玉をしている後ろ姿、その右奥で大人二人がベーゴマを回していた、半纏を着ているのは庭園職員が正月遊びの指導員
夕日が傾き、そろそろ4時の終了時間ベーゴマで遊ぶ人達に近づく
若い男が3人とベーゴマをしていた、子供と後ろ姿の女性は見ているだけ、大人一人はぎこちない様子でベーゴマに紐を巻いていたが二人はベーゴマを廻していた、見ている壮年の人が若いのにやるな!というような顔で見ていた。
二人が廻したベーゴマを撮ったが、庭園職員が後片付けを始めたのでこの広場は4時で閉園、ベーゴマ遊びに参加することが出来ずに残念な思いをした。
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