梅と桜が早かった熱海ぶらフォト散歩
糸川遊歩道のあたみ桜まつりの見物後は糸川河口の市営駐 車場の上にある親水公園に出てスカイデッキを歩いて、貫一お 宮の 松の方向へぶらフォト散歩です。桜は最も開花していた処のあたみ桜の接写です。
熱海梅園から下り坂を糸川遊歩道のあたみ桜まつりへ、その後は糸川河口の親水公園スカイデッキから熱海サンビーチ方向へ、途中のサンデッキに腰掛けての一休みしてから貫一お宮の像とお宮の松を見物して来た道をぶらフォト散歩で戻る。
この糸川遊歩道は、海と市街地を結ぶ「歩いて楽しめる散策ルート」のコンセプトがあるのか、糸川遊歩道は川底の両側が散策できる、柳橋の下にもこのような壁画?が施されていた。銀座町を流れる糸川も清流に見える。
糸川河口からの熱海市街の景観
糸川河口は熱海のマリナーそれともヨットハーバーなのか、ヨットハーバーとマリーナの区別は解らず、困マリーナ!
親水公園スカイデッキをお宮の松へぶらフォト散歩
逆光の中で逆境のお宮と貫一の像、金色夜叉の有名なセリフ「来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」を思い出す
二代目のお宮の松と金色夜叉の碑・・・明治の文豪尾崎紅葉の傑作「金色夜叉」にちなんで建てられたものである。「宮に似たうしろ姿や春の月」終遍金色夜叉を執筆した門弟小栗風葉自作自筆の句が刻まれた記念碑である。
推定樹齢300年の年輪を重ねた初代のお宮の松は立ち枯れて、このように輪きりで展示保存されている
昔は熱海と言えば熱海海岸通りのお宮の松の前にあった大月ホテル、今は2007年に再生したホテルミクラス(MICURAS)、20代の頃の50年前は初代のお宮の松があった熱海温泉は高級リゾートであった、当時は熱海の先のまだ漁村のような網代温泉に宿泊した。
十時頃あたみ桜まつりの糸川遊歩道に戻る、写真はさくら橋、日曜日は熱海市役所から無料シャトルタクシーが乗車できる。梅園からここまで下り坂を歩いて来たが観光客4人を乗せて熱海梅園まで上り坂をタクシーで約8分で着く 、上り坂を歩けば30分はかかるだろう。無料タクシーは有り難い。
熱海梅園に十時過ぎに戻る
八重寒紅
松尾芭蕉の句碑があった。
梅が香に のっと日の出る 山路かな
貫一の梅 十郎はまだ咲いていないが貫一・お宮の梅がある
ミス熱海梅娘の二人が無料で甘酒を観光客に振る舞っていた
ここは静岡県地元のB級グルメの出店も多い、常設出店のウグイス笛の音色も響く
梅園内の大道芸で女性猿回しが熱演していた
香林亭では新春梅見落語会も開催していた。
この後は中山晋平記念館、韓国庭園、足湯と回り、最後に梅見の滝の洞窟を通り抜け、梅園橋を渡り、早朝に車を駐車した澤田政廣記念美術館の駐車場に戻り、11時には熱海を後にして帰路についたが25日は梅も桜もまだ一週間は早かったと思われる。
梅見の滝洞窟からの早咲きの紅梅も二分咲き?
毎年撮影しているこの美術館のあたみ桜は蕾も小さく開花はまだ先のようだ!ここは山の上で一番寒い処のようだ。
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