皇紀2600年誕生の紀子さんは黄蓮雀が好きかな?
今日は国民の祝日、建国記念の日であるが流石は朝日新聞は一言も触れていないので何気なく思い出した。ご近所の奥さんに名前が紀子さんがいる。普通は女性は自分の生年は明かさないものだが、この家で旦那さんと飲んでいる時に酒の勢いなのか、ご本人が名前の由来をあかしてくれた、皇紀2600年(1940年・昭和15年)の生まれなので親が紀子と名づけたそうです。
明治安田生命のHPに昭和生まれの女の子にはどんな名前が多いのか分るサイトがあります。これによると昭和に入って長らくトップの座を維持したのが「和子」。 戦前戦後を通じて、女性のもっとも多い名前でした。女子社員にもいましたのでもっともだと思います。和子さんは 昭和の「和」を取ったのでしょう。ちなみに昭和2年の第2位は 「昭子」。こちらも昭和から取っています。戦前・戦後を通じて 「和子」がトップの座を譲ったことのあるのが3回。 1940年(昭和15年)紀子、1942年(昭和17年)洋子、1949年(昭和24年)幸子。 1953年(昭和28年)~1961年(昭和34年)は恵子。「和子」に代わってトップの座についたのが「恵子」でした。美人女優の津島恵子、岸恵子、淡路恵子、関根恵子(高橋恵子)など女優に恵子が流行った時代でもあった。
ネットで生涯学習の真似事をすると今日は「建国記念の日」であって、建国記念日ではない。「の」が入るのは「建国記念の日」が「建国記念日」ではないのは、史実に基づく建国の日とは関係なく、建国されたという事実そのものを記念する日だからだと言います。現在の歴史学上は神話・伝説上の人物とされている神武天皇(紀元前711年2月13日~紀元前585年4月9日)は、日本の初代天皇とされ、127歳の長寿であったと「古事記」「日本書紀」に登場します。1873年(明治6年)に2月11日を明治政府が「建国記念の日」を紀元節と定めた。戦後GHQにより廃止されたが1967年にかっての紀元節の日を建国記念の日として復活したのである。
紀子さんが誕生した年の紀元二千六百年記念行事とは、1940年(昭和15年)に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った行事を指す。日本政府は、日本が長い歴史を持つ偉大な国であることを内外に示し、また日中戦争の長期化とそれに伴う物資統制による銃後の国民生活の窮乏や疲弊感を、様々な祭りや行事への参加で晴らそうとした一連の行事(ウィキペディア:紀元二千六百年記念行事より抜粋)
その後は日本政府と軍閥の暴走で太平洋戦争まで拡大したが敗戦後は平和憲法下でこのようなことは再発していないが最近は安倍政権下では何やらきな臭いことが起こるような気配を感じるようになってきたと思うのは自分だけだろうか。
神話も皇紀弐千六百年もあまりにも遠い昔の話ではあるが、鳥撮り10年も経つと始めた頃の野鳥は遠い昔のことと想う様になって来た。その中で始めてから2,3年は夢中で追いかけた冬鳥に連雀(レンジャク)がいる、中でも黄蓮雀(キレンジャク)は緋連雀の中に稀に僅かではあるが混在していることがある。近所の紀子さんは黄蓮雀が好きかどうかは分らないが、紀つながりで黄蓮雀である。諏訪湖畔のナナカマドの赤い実のキレンジャクと埼玉の公園のヤブランやリュウノヒゲを採食するキレンジャクを思い出した。写真はどれも初めて使用するような気がする、いや・・・黄がする。
諏訪湖畔のナナカマドを採餌するキレンジャク、100羽くらいの緋連雀の中に2羽の黄蓮雀が混在していたが、600mmを構える目の前のナナカマドにキレンジャクが採餌、枠からはみ出すので後づ去りしながらやっとのことで画面に納めた。2006年3月撮影
蓮雀の名前の由来のように緋連雀が鈴なりです、この100羽の群れの中に黄蓮雀が二羽だけ混在でしたがなかなか見つかりません。上の大写し写真を撮る前の話です。
キレンジャクは尾の先端が黄色い、ヒレンジャクはL18cm、キレンジャクはL20cmで少し大きい。二枚の写真はキレンジャクが紛れ込んでいます?
キレンジャクの黄色い尾羽狙いの写真。2007年4月4日
キレンジャクがリュウノヒゲを採食する処に誰かが桜花の枝を置いた?2007年4月埼玉県
キレンジャクがリュウノヒゲの採食、2011年2月4日埼玉県
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