十年で一つの巴鴨
30年前の夏休みに当時小5の息子と二人で山陰をドライブ旅行中に出雲大社から宿のある日御碕に向かう途中でラジオで聞いたJAL123便の大惨事が起きた日で忘れもしない1985年8月12日(月)、この時が最初のご縁参りで、その後は仕事の出張で大阪支店の仲間と鳥取へのビジネスの帰りに2,3度 参拝している。最近では二年前の60年に一度の出雲大社大遷宮の前年に世界遺産に登録された岩見銀山の観光に合わせて夫婦で初めてご縁参りした。参拝のお土産に神話のシンボル、めのう勾玉(まが玉)を組み合わせたような形をした 巴(ともえ)は日本の伝統的な文様の一つである。巴を使った紋の総称を巴紋(ともえもん)ともいう。家紋や神紋・寺紋等の紋 としても用いられ、太鼓などにも描かれる。師走から新年のBS・CS放送の時代劇で恒例であるお馴染みの忠臣蔵 や赤穂浪士四十七士の映画やTV番組で大石内蔵助の兜や打ち鳴らしたといわれる山鹿流の陣太鼓にも右二つ巴の家紋がある。一つ巴の家紋から九つ巴まで数十種の巴の家紋があるそうです。
新春恒例の浜離宮恩賜庭園の諏訪流放鷹術では女性鷹匠の稲田早苗さんが披露した「振替」と「渡り」の演技では彼女が飼育している雌のオオタカ「巴」が活躍した。昨年春公開されたオオタカと鷹匠のドキュメンタリ映画(DVD)「ぬくめどり」の中にも鷹匠捕から鷹匠への昇格試験で見事に合格した場面も見られた。彼女自身の説明では平安時代末期の信濃の女武将巴御前(木曽義仲の愛妾)からつけた強そうな名前が♀のオオタカの巴である。振替の演技で稲田鷹匠がオオタカの巴を投げた時の「巴投げ」の写真です。
柔道の捨て身技の一つに巴投げがあります。相手を前方へ崩して、自分はからだを後方へ捨て、片足を相手の下腹に当てて、相手と巴の形になりながら頭越しに回転させて投げる大技である。
相撲では流石に巴投げはありませんが土俵際のうっちゃりで頭の上から空中投げでうっちゃれば相撲の巴投げになると思われるがまだ大相撲の記録にはないようです(当然決まり手にもない)。体重200kg前後の関取を空中に放り投げるのは空想の世界でしょう。だが大相撲にも巴の名がつくのが優勝決定戦の巴戦です。三人が千秋楽で同率になって優勝を争う時、だれか一人が他の二人に続けて勝つまで順番に戦う優勝決定戦の方法です。
今日は「巴」絡みでブログを始める10年前に八王子の公園で撮影した巴鴨です。全長約40センチ。雄の顔に緑色と黄色の巴形の斑紋がある。東シベリアで繁殖し、日本には日本海側に多く渡ってくるが太平洋側は珍しいようです。冬鳥の巴鴨ですが10年間で後にも先にもこれが一つ巴の出合いでした。
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