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2015年3月

2015年3月31日 (火)

三つ池のヒヨドリ

ソメイヨシノが開花した三つ池公園で事もあろうにも満開まじかのサクラを無視して花盛りの過ぎたような山茶花(サザンカ)に来ました。ヒヨドリも花蜜は好き好きがあるのでしょうか

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山茶花と椿の見分けはよく分からないが花姿が平たく開き、落花がばらばらに散るのがサザンカで首が落ちるのが椿、この木の下には花弁がばらばらに散った落花がある、花姿は平開である。

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葉縁には細かいギザギザがあるのが山茶花、椿には鋸歯のようなギザギザはない、この木には鋸歯があるので見立て通りの山茶花である

 

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山茶花の蕾の前でヒヨドリの正面顔

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サザンカの花蜜はどこかな?

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サザンカの花の上で蜜さがし

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結局は隣のソメイヨシノに移動

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やはりこの時期はソメイヨシノの花蜜です

 

2015年3月30日 (月)

三ツ池の桜と野鳥

今朝は陽気に誘われて、さくら100選の名所県立三つ池公園に一週間ぶりの撮影です。PCを更新したがまだ画像処理の要領が得ず、お手軽なコンデジ写真を貼る(最後の二枚のヒヨドリはD7100の写真を無修正で春がやって来たので貼る)

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三ツ池公園HPより拝借した園内マップ

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中ノ池と下ノ池を分ける散策路には満開の横浜緋桜

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下ノ池売店横の三ツ池公園のソメイヨシノ標準木、今朝6時では7分咲きに見えた、明日の午後には満開と思われる。

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花の広場の二代目紅枝垂れ、昨年は花が咲かないうちに枯れてしまった公園のシンボルが代替わりした、菜の花に囲まれてまだ花は咲かない、後ろのソメイヨシノが見守るように満開で見つめていた。

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花の広場のシダレソメイヨシノ

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花の広場入口近くのソメイヨシノと下ノ池

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下ノ池のソメイヨシノと鯉と金黒羽白

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丘の上の広場のソメイヨシノとヒヨドリ

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丘の上の広場のソメイヨシノを吸蜜するヒヨドリ

 

2015年3月29日 (日)

掃き溜めにオガワコマドリ

 掃溜めに鶴とは、つまらないものの中に飛びぬけてすぐれた者や美しい者がまじっていることのたとえ。このたとえにあやかったこれはかなり昔の話である人が大勢集まると必ず塵が出る、塵が積もれば山となるの諺どおりの話でもある。2006年2月この鶴見川の河川敷はオガワコマドリの情報が日本全国に知れ渡り、既に二ヶ月が経った4月のある日ある朝の写真である。喉の青色が鮮やかになってきた、オガワコマドリが毎朝出てくる水辺の枯アシ原でゴミを焼いたのか、焚き火の焼け跡が残っていた。地元の奇特な人が全国各地から撮影や見物に来た人が散らかしたゴミを集めて焚いたのか、水辺の枯アシの一部が焼け焦げていた。この人はオガワコマドリには関心がないのか、それともご近所さんがオガワコマドリのブームの前からここで落葉焚きなどの場所だったのか、他所者には知る由もない(葦はあるが・・・)。

ここは毎朝オガワコマドリが塒(ねぐら)からの枯アシの中を跳ねるように歩いて来て、ここの世話人がお立ち台の木に仕掛けた生餌を採餌に来る通り道である。
掃き溜めに鶴のたとえのようにここにオガワコマドリがやって来た。塵捨て場の焼け跡に冬羽から夏羽の青色が鮮やかになってきたオガワコマドリである。

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水がが引いたアシ原の中を歩いてきます、そして

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こんな朝日が射す若葉の上や・・・  

 

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いつもの気に入ったこの木に来るのがこの頃の朝の日課であったが・・・この朝はいつものルート変更があった

 

 

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これが水が引いたあとの殺風景な焼け跡のオガワコマドリ、掃溜めに鶴ではなく、喉から胸にかけて色鮮やかな小川駒鳥です。

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焼け跡のアシの上で橙色斑の尾羽を見せてくれました

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青い喉を見せてまだ寒いのか、マントを着たように見えた焼け跡のストレッチングの終わり

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この後は青葉の出始めた葦原に待避です

このブログを創める前の写真は1年3か月分ありますが始めた当初は全ての野鳥が珍しく普通種が多かったが特に野鳥撮影の切っ掛けとなったカワセミが多いのは今となっては当然の帰結です。今日は地元の新横浜(新横浜公園、対岸は新羽)の鶴見川河川敷から約5km下流の綱島河川敷(対岸は自動車教習場)で9年前に撮影したオガワコマドリです。次回の野鳥写真はたった1度だけ撮影できた尾羽の橙斑に絞り、掲示する予定です。

2015年3月27日 (金)

ビールに惚(ほ)れて惚(とぼ)ける

Asahi_3自分史を思い出した事柄毎に記録しておくことにした。今日はビールの飲み始めの頃と現在。アルコール類が一切飲めずに社会人になった頃は渋谷駅で井の頭線に乗り換えて通勤していた、優しい上司の課長さんに道玄坂下の渋谷宇田川町の甘味処でお汁粉屋に誘われて喜んでいたいた時代があった。それが所帯を持った年から親の真似をして晩酌を始め、25歳からビールを飲み始めて半世紀、毎晩のように飲み続けて50年以上も経った。最初は恐る恐る当時新発売されたずんぐりむっくりした形の小瓶ビール、アサヒスタイニーから飲み始めて、ビールが飲み慣れてくると中瓶になり、30代には大瓶に出世した。仕事の付き合いも個人的な飲み会も全てビールで通したが、この時分はまだビ

ールの銘柄には拘らなかった。働き盛りの40代後半に新発売された、すっきりした飲み口のドライ味のスーパードライが気に入り、50代の頃の晩酌は大瓶3本まで出世した。晩飯のおかずを肴にして、この頃はビールで満杯になり、晩飯を食べたことがなかった。現役を退いた60代からは500cc2本が日課であったがいつの日からビールから発泡酒に成り下がり、更に第3のビールに変わった。飲む量も最近は500cc1本にまで降格してきた。銘柄は2008年頃から新発売された田村正和のCMが気に入った「ビール歴44年、不覚にも、間違えました」のCMで「麦とホップ」を飲み始め、同じビール歴、好きな時代劇役者などの理由で現在も飲み続けている。子供の頃はチャンバラ映画の阪東妻三郎を見て育ったが成人してからは往年の映画スター阪妻の後を継いだ田村3兄弟を知った。兄の田村高廣と弟の田村亮の3兄弟の真ん中の
Mig_2田村正和は作家・柴田錬三郎の「眠狂四郎」のニヒルな役柄と現在でもCS放送で放映中の田村高と共演している「乾いて候」の当たり役となった腕下主丞(かいなげ もんど)の役柄と佇まいが

好きな時代劇が似合う役者である。今年から「サッポロ 麦とホップ The GOLD」にCFが替わり、田村正和から俳優の浅野忠信とV6の岡田准一の若手コンビに代わったが味が進化したこの銘柄を飲み続けている。

さて、これからが今日の本題である。川柳の「酒けなくて何の己がさくらかな」の人生を続けて、このままビール類を嗜み続けるとアルツハイマーになる前にアル中ハイマーで惚(ぼ)けるかもしれない。

「惚(ぼ)ける」「惚(とぼ)ける」「惚(ほ)れる」「惚(ほう)ける」は、四字とも同じ漢字の惚(コツ)であり、送り仮名によって読み方が変わるのである。もちろん意味も大違いであるが、このように「ぼける」と「ほうける」は同じ意味に近いが「とぼける」「ほれる」が同じ漢字であったと気付いたはとき、驚きをかくせなかった。

若い時から好きなビールに惚(ほ)れて、老後の今も惚(ほう)けるように飲み続け、「惚(ぼ)ける」よりも、いつまでも「惚(と)ぼける」ことが出来る人生を送りたいものである。

2008年11月から6年半使い続けたSONYのノ-トブックPC15・6インチVista7、各種の画像ソフトをインスト-ルしているために約1年間ドライバの初期化などを躊躇って、何とか使いこなしてきたが24日にはとうとうブログの写真が貼れない事象が起き、PCデポで故障診断を受けたがCDやDVDの読込も故障しているので修理よりも新規を勧められた。Adobeソフトも使えなくなってから1年も経ったが何とか重たい、遅いPCを騙しだまし使い続けて、このブログを継続してきたがとうとうHP15ノートパソコンに変更したが永年ソニーのVAIOシリーズを使っていたので要領を得ず、ブログの再開が遅れてしまった。今日現在も未だに暗中模索が続いている。例によってガイドブックを読まずにいきなり電源ONして使い始めたのでOSの違いもあり、慣れるまで当分時間がかかりそうである。今日は使い試しであるので色々と問題点が有りそうである。

 

2015年3月22日 (日)

三つ池の春いろいろ

春分の日に選抜が始まり、球春が開いた。大相撲も照ノ富士の活躍で優勝争いも今日の千秋楽へ。ソメイヨシノは春分の日に鹿児島・熊本・名古屋などの標準木の開花を新聞が報せて、春の便りがぐんぐん北上している。
春分の日の小雨降る早朝の三つ池公園のソメイヨシノの標準木です。

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下の池の売店横のソメイヨシノの標準木、開花は今月末、見頃は4月に入ってからか?

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小雨降る春分の日、早朝の標準木に花一輪。今朝は陽気が良いのでもっと花開いたと思われる。

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標準木の下を餌探しのハシビロガモの番

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下の池の横浜緋桜の蕾もそろそろ弾けるのも真近のようです

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テニスコートと野球場横のオカメが二本、メジロの吸蜜がみられたのは奥のオカメ、こちらはそろそろ葉桜

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オカメの手前にある5~6月に白い花が咲くエゴノキの新芽を啄ばむシジュウカラ

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テニスコート脇に植樹された若いカンヒザクラ

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上のカンヒザクラの近撮、記念植樹された人の名札が下がっています。

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中の池の冬桜の名残り花がソメイヨシノへのバトンタッチを待っているかのように寂しく咲いている

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一番最初に訪れた丘の上の広場、東屋横のシダレザクラはソメイヨシのより先に花開く

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東屋で雨宿りしながら小鳥を30分以上待ったが・・・人に人気があるシダレザクラも野鳥には人気がなかった!

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先日はヤマガラが花弁を咥えていたヒカンザクラはヒヨドリが一羽佇むだけであった、根元には花弁が多数落ちていた

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ヒカンザクラの根元にある木瓜の花をボケッと撮る

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南門水の広場の修善寺寒桜はまだ花盛りであった、相変わらずヒヨドリの群れが吸蜜に来る、こちらもソメイヨシノの開花を待つかのように散りの八分か、義務感に萌えている。

2015年3月21日 (土)

春分の日のオカメとメジロ

 今日は二十四節気の一つ、春分の日「自然をたたえ、生物をいつくしむ」国民の祝日。お彼岸の中日である。今朝はお墓参りの前に、小雨降る三つ池公園を散歩して来た。先日は野鳥用のレ020_3   ンズを持って行かなかったが今朝は傘をさしながら200-400mmを手持ちで使用、2,3枚は持ち堪えるが10枚も連写すると重くて持ち切れなくシャッターチャンスを逃がす、随分と体力が落ちたと気付く春分の日となった。野鳥撮影後の8時には雨も降り止んだ。

お彼岸の中日なので帰路に東林寺でお墓参りを済ました。線香と花はお寺の受付で販売している。ビールは出掛ける前に車に入れたのを持って墓参り。雨がやんだ境内の駐車場はガードマンが数人で入出庫の整理をするほど参拝客で賑わっていた。

三つ池公園でメジロ・シジュウカラ・ヒヨドリを写したのでこれで、一石の意味と後先が違うがこれで、一石三鳥の早業で昼前に帰宅した。
早咲き桜のオカメを愛でながら、メジロの吸蜜を眺める「自然をたたえ、生物をいつくしむ」春分の日を讃えた。そして帰路に菩提寺の天宗山東林寺へ寺参りと墓参りをして、亡き父母の供養をした春の彼岸の中日であった。

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小雨降る春分の日にオカメザクラとメジロ

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昼と夜が同じ長さの日であるが小雨とあっては暗い朝

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明るく大きく修正

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後ろの木はツバキかサザンカのようです

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6日前のオカメがまだ満開に見えます

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メジロもオカメの上を右往左往

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オカメにも葉が出始めましたのでこれからは葉桜でしょうか、草木が芽吹き春の訪れを一層感じる時季です。

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元気なメジロとオカメを愛でると本格的な春がやって来た!

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春分の日は前向きにやる気に満ち溢れる瞬間でもある。

2015年3月20日 (金)

椿寒桜と繡眼児(メジロ)

 三つ池公園の花の広場の奥に咲く、カンヒザクラ群の修善寺寒桜の手前に、満開の椿寒桜に誘われた。花の形に特徴があり、雄しべ、雌しべとも花冠より長くつき出るので椿の花のように見える。あまり見慣れない早春を飾る早咲きの桜だ。椿寒桜(ツバキカンザクラ)の原木は愛媛県松山市居相町の伊予豆比古命神社(いよずひこのみこと)別名の椿宮に原木があり、名前の由来は椿宮にある寒桜に由来する。萼筒は杯形、しわが多い花柄には毛が見られる、一昨々日(さきおととい)撮影した写真のように一見、桜の花とは思えない。開花時期は3月初旬である。図鑑によれば、葉の展開に先立って花を咲かせる。花径は3センチくらいの中輪である。蕾の色は紅色である。花は一重で、濃くて明るい桃色をしている。花弁の形は卵形で、内側に曲がる。散り際には花芯が赤みを増す。この種に近いとされるサクラはヒカンザクラ群と呼ばれる。三つ池公園のヒカンザクラ群で当日開花していたのは、シュゼンジカンザクラ(修善寺寒桜)、オオカンザクラ(大寒桜)、オカメザクラ(阿亀桜)、ツバキカンザクラ(椿寒桜)であったが同じヒカンザクラ群のヨコハマヒザクラ(横浜緋桜)はまだ蕾であった。

お馴染みの早咲きのオカメとヒカンザクラの蜜を吸うメジロは撮った経験があるが椿寒桜のメジロは初であるような気がする。

芭蕉の「さまざまな ことを思ひだす 桜かな」この桜の句を想い出す。
桜の季語は春、メジロは夏、寒桜・寒緋桜は冬だとか、季語が重なりても飽き(秋)ずに駄句ばかり。とうとう駄真に駄文と駄句までなりにけり、枯れ木も山の賑わい、駄句もブログの賑わい。

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ツバキカンザクラ(椿寒桜)は雄しべ、雌しべが花弁よりも突き出ている。

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目白には 椿寒桜 良く似合う

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林住期 括りの歳の 桜かな
(林住期最後の一年になってしまった)

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後期には 椿寒桜 優しかり
(3月から後期高齢者になった)

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カメラ持ち すれ違う人も 桜かな
(桜撮るカメラマンが多い季節)

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桜咲き うずうずしてる カメラかな

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吸蜜の 桜散らすは 眼白なり

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咲き満ちて 雄しべ雌しべの 薫り立つ

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かの鳥を 桜の頃に また想う

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さまざまな 繡眼児(メジロ)も迷う 花万朶(はなばんだ)

2015年3月19日 (木)

花弁のおみくじを引く山雀

 春先の出不精の理由にスギ花粉で半世紀、反省する日々である。徒然にマスクとメガネをかけて三つ池公園を久し振りに5000歩以上散歩した。今年一番の暖かい日にスギ花粉の洗礼を受け、花粉を十分に吸ったのか、朝からくしゃみの連発銃である。むしろ機関銃のようである。くしゃみの瞬間に全てが吹き飛ぶように忘れる、誤字脱字の理由でもある。必然的にティシュペーパの山が積もる。
三つ池公園のカンヒザクラ(寒緋桜)の別名はヒカンザクラ(緋寒桜)とも呼ばれます。彼岸桜と聞きなす人がいますので一般には寒緋桜と呼ばれています。まだソメイヨシノが開花していないので悲観桜でもありません。まだ肌寒い早春に葉より先に、濃桃色の花を枝一杯に俯き(うつむき)かげんに咲かせ、
花弁ばかりではなくガク(萼)もピンク色をしています。
池の周囲よりも人通りの少ない丘の上の広場に咲くヒカン桜にヤマガラがおみくじの札のように花びらを咥えていました。

枝を折る 馬鹿よりましな 花千切る

緋桜の花札選ぶ 山雀(ヤマスズメ)

酒なくて 鳥(撮り)で彷徨う(さまよう)  花見かな
(売店のビール販売なくなりました)
  

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丘の上の広場に咲くカンヒザクラ

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ひた向きに半開きで下向きに咲くヒカンザクラ

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ヒカンザクラの花ビラを咥えるヤマガラ、メジロとは全く異なる作法の花盗人

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年配者にお馴染みの昔は、おみくじを引く小鳥として飼いならされた時代もあった、今はヤマガラがおみくじの替わりに桜の花ビラを引く

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ヤマガラが花弁を足で押さえて花の蜜を吸っているのでしょうか

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ヤマガラの花弁を咥えた正面顔、花弁に吉凶はあるのでしょうか、吉は花蜜があふれ出るとか、今日は凶で蜜が空とか?

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ヤマガラが嘴に花弁、足に花びらを押さえる、器用なのか欲張りなのか、どっちだろうか、おみくじを引いた記憶力の良い小鳥のDNAのなせる術か?

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昆虫・蜘蛛・果実などを食べるヤマガラにしては桜の花ビラは珍しく思ったので思わず足をとめてとりまくった。流石に花の命は短いので貯食はしないようです。

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ヒカンサクラ咲く近くにこんな貼り紙があった。今年はこれでウグイスと桜が期待出来るかも

2015年3月18日 (水)

三つ池の早咲き桜

 梅は咲いたか桜はまだかいな。昨日の3月17日は春の陽気に誘われて久し振りに日本さくら名所100選の県立三つ池公園にさくらの下見に出掛けて来ました。

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県立三つ池公園HPより園内マップを拝借

マップの一番左下(正門の左横)にある南門から入り、水の広場に咲く「修善寺寒桜」から桜ぶらぶら散歩の開始、三脚は忘却して、カメラとレンズ(AF-S70-300、24-120、マクロDi90)とコンデジ1台の軽装備であった年をとるとフイールドでのレンズ交換はやはり面倒くさい。

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南門を入って直ぐ、水の広場の修善寺寒桜が満開のようであった

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満開のような修善寺寒桜にはヒヨドリの群れが採蜜に来ていましたので他の小鳥を寄せ付けません

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上の池の脇にあるトイレの近くに咲く、寒桜は既に葉桜になっています。

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滝の広場の手前、池畔に咲く大寒桜

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上の池と中の池の散策路に咲くオカメ

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中の池と下の池散策路にある横浜緋桜はまだ固い蕾

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下の池の先にある通路のオカメ

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マクロ撮影のオカメ

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テニスコート脇の寒緋桜は一番色が濃いピンク色で咲いていた

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マクロレンズで撮影した下向きに咲く寒緋桜

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三つ池公園のシンボルであった花の広場のシダレザクラが昨年枯れてしまい伐採された跡地に若い二代目が植樹されていた。

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花の広場の奥に咲く椿寒桜

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満開を迎えた椿寒桜

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椿寒桜のメジロ

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丘の上の広場に咲く寒緋桜

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寒緋桜の花弁を啄ばむヤマガラ

売店横のソメイヨシノの標準木はまだ蕾さえも確認出来ない様子でした。今日はコンデジの写真が大半であったが明日は300mmで撮影した野鳥を少々貼ろうと思います。

2015年3月16日 (月)

洞(うろ)覚えの神子秋沙

 写真には年月日時間まで自動的に記録されているが撮影地は自分で記憶して記録しなければならない、9年前に始めたこのブログを開始する以前の1年3ヶ月間に撮影した野鳥写真にどうしても出て来ない撮影地があった。前からも後ろからも頭を叩いても思い出せない始末である。ブログを始める前の出来事なので致し方ないが感と勘の見等では関東までは出てくるがそれ以上詳しくは思い出せない場所である。うろ覚えの場所を書く訳にも往かず、ただうろうろ空を見ても思い出せない、空覚えでもある。水鳥なのに空覚え?ではなく、ミコアイサは繁殖地では湖沼のそばの樹の洞(うろ)で営巣すると言われるので洞(ウロ)覚えも致し方ないかな

10年前の2005年12月に撮影した♂がパンダガモの愛称のある、ミコアイサの雌雄である。繁殖期の♂は羽が白い、和名のミコは♂成鳥の羽が全体にに白く、神社の巫女の白装束のように見えることに由来している。目のまわり、後頭、背などが黒い。嘴と足は鉛色。成鳥♀は頭から後頸は茶褐色、喉から頸側は白い。上面は黒褐色で、体下面はそれよりも淡色、目先は黒い。

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ミコアイサ♂ 胸部側面には2本の黒い筋模様が入る、これぞパンダガモ!

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ミコアイサ♀ ミミカイツブリやハジロカイツブリの冬羽に似る

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ミコアイサ♀2羽

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ミコアイサの雌雄 番かどうかはわからない?

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正面顔、手前のアシでここは海ではなさそう!

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ホシハジロが眠る群れの横を何事もなく通過

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今度はミコアイサ♀二羽を従えてゆうゆうと泳ぐ

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時にはハバタキもする

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ミコアイサ♂ パンダガモの目が出ないカモ!

近所の八幡神社の巫女挨拶(ミコアイサッ!)すれば場所を思い出すかもしれないが・・・初詣も終わり、巫女見えない居ない。ミコミエナイ、ミコミナイで見込みないようである。 

2015年3月13日 (金)

水中を歩く雉の記事

 日本五大おとぎばなし(御伽噺)・・・江戸時代から今日まで語り継がれる「桃太郎」「はなさか爺さん」「舌きりすずめ」「さるかに合戦」「かちかち山」の5つを日本五大おとぎばなし(昔ばなし)と言います。誰が定義したのかは詳しく分かっていません。出典: 桃太郎「日本文化いろは事典」
この御伽噺で一番読まれてきたのが「桃太郎」・・・お婆さんが川で洗濯している時に流れてきた大きな桃を持ち帰り、桃から生まれた男の子がたくましく成長し、きびだんごを与えることでお供になったイヌ、サル、キジの3匹を引き連れて鬼ヶ島の鬼を退治し、財宝を持ち帰るという御伽噺。桃太郎の家来になった犬・猿・雉は仁・智・勇をあらわし、仁はいつくしみの心と正しい行いをする仁義。智はものごとの道理を考え判断し処理する心の働きである知恵。勇は勇ましく困難に立ち向かう勇気をあらわして、勧善懲悪の大切さを教えている。子供の頃は「桃太郎」で育ち、大人になってからは「桃太郎侍」の時代劇で勧善懲悪を見て、老後の暇な時間を過している。「桃太郎侍」といえば高橋英樹の代表作となった1976年~1981年にかけて日テレ系にて全258話放送された作品である。「頭隠して尻隠さず」の悪事・悪行を重ねるこの世の鬼を

ひと~つ 人の世の生き血をすすり
ふた~つ 不埒な悪行三昧
みぃ~つ 醜い浮き世の鬼を
退治てくれよう桃太郎

般若のお面と派手な衣装と立ち回り、この決め科白でこの世の鬼を退治する痛快明朗時代劇である。昨年6月10日から高橋英樹主演でスカパーの時代劇専門チャンネルch662でハイビジョンで再放送が始まったが現在も継続放送されている。好きな時代劇のひとつである、全258話があるのでまだ当分の間、毎日が楽しみである。

草むらに隠れた雉子は頭だけ隠して立派な尻尾を出したままの様子から「頭隠して尻隠さず」余計なひと言で人生を台無しにする「雉も鳴かずば撃たれまい」つっけんどんにされる「けんもほろろ」など雉にまつわる諺も多いがあまり良い意味ではないが何故か、日本の国鳥はキジである。狩猟期間中は狩猟できる鳥類が28種類と法律等で定められおり、キジもその中に含まれている。キジは世界中で主要な狩猟鳥となっているが、国鳥が狩猟対象となっているのは日本だけである。

さて、今日の野鳥写真は桃太郎の黍団子(吉備団子は黍が主材料ではない、もち米の粉から作った求肥が生地)で家来になった雉(キジ)の記事である。これからの季節は見掛けることが多くなる雉である。桃太郎が恋しいのか、黍団子が欲しいのか、川から流れて来る桃を探す雉である?。雉に出会える季節になったが明るい草地や畑地を歩く雉は近所の新横浜公園や鶴見川河川敷でもみられるが水中を歩く雉は珍しい。

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岸辺の菜花とキジ

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桃が流れてこないかな~~~

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場所を変えて上流へ

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桃が流れてこないかなあ~~~水の中まで歩く、真剣のようです

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飛ぶのは苦手ですが歩くのは得意です、長い尻尾を上げる時は警戒の様子

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またも水の流れの中で夢の桃探し?それとも食性の進化で水草も食べるように多様化するのか?

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菜花の中で一休み

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雉の字は矢と隹(とり)です。「隹」(とり)と字音を表す音符「矢」からなる文字である。矢は直線状に数十mとんで、地に落ちる。つまり雉とは「矢のように飛ぶ鳥」という意味である。距離も短く、真っ直ぐに飛び曲がれません。飛ぶのが苦手の雉です。

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歩くのは得意ですが飛ぶことは苦手のキジです、水中は歩けませんので飛びます、桃が流れてこないか空中査察です

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最後は川面が見えるここに落ち着きました、桃は夢の世界であったようです。

♂L81cm、♀L58cm、地上を歩き餌を採る、主に草の種子、実、芽、葉などの植物性のものを食べるが、昆虫やクモなども食べる。繁殖期のオスは赤い肉腫が肥大し、縄張り争いのために赤いものに対して攻撃的になり、「ケーン」と大声で鳴き縄張り宣言をする。その後両翼を広げて胴体に打ちつけてブルブル羽音を立てる動作が、「母衣打ち(ほろうち)」と呼ばれる、鳴き声の「ケーン」と「母衣打ち(ほろうち)」を合わせて冷たい仕打ちの「けんもほろろ」の諺となっている。
撮影日はブログを始める前の2006年4月撮影地神奈川県藤沢市

2015年3月 9日 (月)

後期高齢の誕生会

 戦前戦後を通じて昭和時代の女の子の名前第一位は年号の一字を入れた名前の和子さん(通算23回)であったが、女の子の名前に紀子さんが史上初の一位になったのは1940年、昭和15年、皇紀2600年の祝賀のあった年である。近所の紀子さんと同じ年に誕生したので皇紀2675年にあたる今年3月の誕生日で後期高齢者となった。皇紀祝年生まれの後期高齢者となった、高貴とは縁がなく、036_2 好機とも言えず、林住期も今年一年で臨終を迎え、来年からは遊行期に入る。随分と遠いところまで来たもんだ。
 後期高齢者になった誕生日祝いをご近所の後期高齢の先輩ご夫婦が近所の「きじま 新横浜店」でお祝いをして下さった。
003 新横浜プリンスホテル2Fにある「きじま」は交通の便もよいのでこの日は送別会・歓迎会の時節柄いつもの個室を含めて210席は満席であった。季節の前菜でスーパードライの生ビ-ルをタンブラーで乾杯したが、自分以外は日本酒・久保田千寿での乾杯であった。いつで005 もどこでも、どんな時でも、この歳になるまで最初から最後までビールを嗜んできたのである。二杯目のタンブラーを空けた。暖かい部屋でいつもより小ぶりの鯵の活き造りだったが、冷たい刺身に冷えた生ビールの喉越しがたまらなく美味い。 007_2 現役引退後の晩酌はスーパードライから発泡酒さらに第3のビールまでビールが格落ちしたがやはり、ビールはスーパードライの生が一番である。いつものように大好きな烏賊の姿造りが出た、さっきまで水槽で泳いでいたWasabi_3 イカである、きじま名物活いか姿造りである。この刺身には必ず生山葵がついてくる。山葵を円を描くようにすりおろして食べるイカ刺しは香りも口当たりも最高で至福のひとときである。
六十年で一回りする十千十二支の庚辰(かのえたつ)は1940年と2000年と同じ干支である。3月7日生まれは魚座である。若い時から刺身に目がなかった。
016_2 三杯目の生ビールはアマダイのシャブシャブを食しながらタンブラーを空けた。「きじま」の店名は日本大漁物語がキャッチフレーズなので魚尽くしで腹が一杯になる。齢を重ねると食が細くなったせいもある。

019 〆のご飯は竹の子ご飯であったが四杯目のビールを優先して竹の子ご飯は食べきれなかったので「ご招待を受けて食べ残すとは失礼よ!」と嫁に叱られた。

025_2 近所のご夫婦の誕生月は旦那さんが1月、奥様が7月なので、我が夫婦の3月と4月の年4回がこの「きじま」で誕生日会をしている。昔は子供が幼稚園時代には誕生日会に子供の友達が来たがあれから70年、今は後期高齢者同士の誕生日会である。年をとると昔に戻ると言うがその通りの老後の誕生日会である。予約時に誕生日の会食といえば、お店のサービスで誕生日の人に花束と記念写真(夫婦二人の)が戴ける。これは友達が撮影した、馬齢を重ねて75年、とうとう後期高齢者になってしまったがいつまでも四杯目のビールを離さない”成れの果て”。026

ビール腹で水菓子のアイスクリームとお茶を飲む余裕がお腹にはなかったので見送ったのは我一人であった。脇からの”勿体無い!”の声を無視!した。ビールには別腹はないのだ。ビール腹のみである。

後期高齢者となった誕生日に大好きな生ビールと刺身を満喫した自分史の1ページとなる。酔った勢いで下手な川柳をひとひねり。

生ビール DHAを 朋に飲む

タンブラー 泡にロマンの生ビール

生ビール 喉ぼとけには生きぼとけ

喉ぼとけ たまげる旨さ 高齢期

生ビール 誕生会 いつまでも

2015年3月 7日 (土)

珍しい名前の縞味

 JAF(日本自動車連盟)に入会して30年目、JAFから30年永年会員ステッカーが016 送られてきた。JAFのロゴマークを堅牢な盾に見立て、「プロテクト(守り)」を表現している10年、20年目とはデザインと色が変わったようだ。最初に自家用車が持てたのは都内から駐車スペースがある横浜に来てからではある。初の車のオーナーになったのは1976年にホンダから新発売された初代アコードであったので記憶に残る。1・6L、CVCCエンジンを搭載した3ドアハッチバックであった。この時季にJAFに入会していれば40年目のゴールドのステッカーであるが、何故か入会したのはこの十年後の1986年である、入会の切っ掛けは記憶にはない。この当時に乗っていたのはスカイラインである、前年の8月夏休みにスカGで小学生の息子と二人で天橋立の股覗きを皮切りに山陰・山陽一週間のドライブ旅行した折に三日目の月曜日に出雲大社参拝後に日御碕の宿に向かう途中にJAL123便の御巣鷹山墜落事故をラジオで知ったのが30年前の出来事である。この後の車は初代レジェンド、1994年初代オデッセイ、1996年初代ステップワゴン、現役引退した2001年に発売当初から人気のあったFitを7ヶ月間待ちで乗ったがセカンドカーと2台分の駐車場持つ身分でも無かったので3ヶ月で手放したこともあったがこの時は二台目のオデッセイに乗っていた。2003年に三代目低床式オデッセイに乗り継いで2005年鳥撮り開始後の二年目の2006年からエリシオンに現在まで乗っている。それまでは車検前に乗り換えていた。はじめて車検を受けたのがエリシオン、今年1月の車検は4回目の車検であり、丸9年間鳥撮り用に乗り続けている傷だらけの愛用車。
前回2013年1月の車検時の総走行距離198155kmであったのが今回の車検時には223348kmであった、この二年間は25193kmで年平均12597kmある。随分乗らなくなってきたものだ!。2009年の初車検では92331km、年間平均30777km、晴天ならば毎日の様に鳥撮りに出掛けていたのが目標達成後は1/2以下の走行距離になった。野鳥に嵌まった頃はやる気まんまんであったがやる気にも賞味期限があるようだ。
免許歴五十五年、自車歴四十年、JAF歴三十年、野鳥歴10年、
鳥撮り二年目に入った4月、まだブログを始める前、雨が降らない限り鳥撮りで忙しく、ヒマがなかった時分に変わった鳥名のシマアジの情報を県内の鳥友からいただいて撮影した。
魚の縞鯵(シマアジ)はアジの中では最高の食材と言われるが鴨の縞味(シマアジ)も食用にしていた時代には味の良い鴨だったのかも?鴨なのにシマアジとは珍しい名前の由来に、「しま」は変わった鴨のこと、「あじ」トモエガモの古名でトモエガモに似たかわったカモの説があります。トモエガモもシマアジも自分にとっては出会う機会が珍しい鴨でどちらも一期一会の一鳥一会の鴨でした。

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繁殖羽の白い長い太い眉斑が目立つシマアジ♂

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場所は藤沢市の親水公園、この近くで柳の新芽を採食するレンジャクを撮りにきたこともあった。

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水面に浮く植物性のエサを採食

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シマアジ♂の活発な活動は夜間なのか?あまり動きが少ない

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シマアジ♀に似ている同じ大きさのコガモ♀とツーショット

2015年3月 5日 (木)

88万時空の旅すがらとツリスガラ

 弥生3月の誕生日で満75歳となり、その勲章として誕生日以降から使用する青い後期高齢者医療被保険者証が送られて来た。今日は頭を使う計算をしてみた、頭の体操である。2月22日のブログにも紹介した「高齢者運転講習会の記録(三年後のために)」でも講習予備検査として認知症の検査があったが記憶力の時空の検査みたいなものであった。
一年間の時間は、1年365日X24時=8760時間
今月は日本野鳥の会から11枚目の青い鳥会員証が送られて来た、入会後丸10年経過したのである。三月の誕生月の65歳から野鳥撮影を始めて十周年となった。あっと言う間の十年でもある。
365日X10年+閏年2日=3652日
(閏年と五輪開催は同じ西暦、2008年北京オリンピック、2012年ロンドンオリンピック)
3652日X24時=87648時間

65歳から野鳥撮影を趣味として、ブログのサブタイトルにセカンドステージの思いを行動に変えて、野鳥撮影で自己実現 、目標は国内400種。」一年後にスタートして野鳥撮影とブログを生き甲斐として、始めてから十年を経過した。10年間3652日を林住期(人生謳歌の期間)として黄金の時間、収穫の時節(ハーベストタイム))とも言われる十年間の88万時間である。
米寿は数え年88歳のお祝いであるが、米寿万時間のお祝いかも?一日24時間のうち睡眠・食事・入浴など約10時間、一日の40%は生命維持に必要な時間であるので88万時間の残り60%が自由に出来る活動時間。大凡(おおよそ)53万時間であった。
この53万時間の過し方が誤算(53)であったかどうか。
人生と同じように一度きり、やり直しのきかない、取り替えることも出来ない撮影時間もあった。この野鳥撮影の「旅すがら」、「道すがら」の時空の旅を精算してみた。時空の旅とは自分が体験してきた、朝から晩までの終日の「日すがら」撮影や鷲の宿のシマフクロウのように「夜もすがら」撮影など過去の野鳥撮影を思い出すことである。「~すがら」の語感から今日は昔撮ったツリスガラ(吊巣雀)を思い出した。

吊巣雀はフリー百科事典のウイキペディアによると、群れを作って生活する。水辺に近い河口、川岸、海岸のヨシ原に生息し、ヨシの茎の鞘を嘴ではいで中にいる昆虫類を食べる(冬季の枯死したヨシの葉鞘と茎の間の間隙にはカイガラムシの仲間のビワコカタカイガラモドキが多数越冬していることが多い)。そのため、生息しているアシ原ではパチパチ音が聞こえることがある。
繁殖地では、湿地や林の中の樹木の枝に、主に草を使って袋状の吊り巣を作る。これが、和名の由来である。卵数は普通6-8個。雌のみが抱卵する。
野鳥図鑑によれば冬鳥として沖縄から本州中部に渡来して、関西方面ではみられるが、関東ではあまり見掛けないようだ。
ツリスガラの初見初撮りは野鳥撮影を始めて2年目の2006年4月18、21、22日であるがツリスガラは2,3日後には抜けたようだ。この年の6月から開始したこのブログの二ヶ月前である。2006年は2月に鶴見川のオガワコマドリ情報が公開されて、東横線綱島駅の乗降客が急増し、綱島西2丁目の卍久光院周辺のコイン駐車場がオガワコマドリが抜ける4月末まで終日満車であった時期である。鶴見川の河川敷に一度に600人に来たとか、日すがらでは千人以上の日もあったとか、この十年間で最大の鳥見イベント会場であった。
2月よりも綺麗な夏羽になってきた4月末のオガワコマドリの「撮りすがら」に撮ったのがツリスガラである。

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柳の種類は350種もあるといわれるが鶴見川に合流する早渕川の合流点近くの川柳は名前知らず、この柳の花を啄ばむように見えるツリスガラ♂右と左の♀と思われるツリスガラを4月18日午前9時頃に撮影。

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アイマスクをしたように見えるツリスガラ♀

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♀よりも灰色とアイマスクが濃い♂と思われる、全長11cmの小形の野鳥

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蒲の穂に来たツリスガラ♂2羽、4月18日14時32分

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蒲の穂とツリスガラ♀、ガマの茎にはガの幼虫呼ばれるガマヨトウやオオチャバネヨトウの幼虫がいるそうですがその時期かどうか分りませんがツリスガラの様子では茎を割っている様子には見えないのでガマの穂なのか花を採餌しているようです。

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ソーセージの形がなくなった蒲の穂とツリスガラ♂

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4月21日8時54分、川辺の柳に来たツリスガラ♂

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21日9時頃の柳の花に来る虫を捕るのか?花を啄ばむのか?白ぽっい腹を見せるツリスガラ♂のように思える

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三回目の4月22日7時30分、ツリスガラ♀

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4月22日7時50分 やっと枯れアシ原のツリスガラ♀

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枯れアシの茎を割るツリスガラ♂、カイガラムシの仲間のビワコカタカイガラモドキを採餌しているのでしょうか

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次の瞬間アイマスクを見せたツリスガラ♂は満足そうに見えた!

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次はどのアシに行くのか、アッシには分らない!枯れ葦の茎とツリスガラ♂

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午前11時、河原に咲くアブラナ科の花、黄色い花びら4枚が十字に並ぶ、カラシナの花や菜の花・菜種の花も同じ仲間、この花に来る虫を待つのか?花どまりのツリスガラ

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菜の花にとまり、飛んでいる虫を見ているツリスガラ

鶴見川河口から14・5kmにある地元の新横浜大橋から直ぐ下流にあるワールドカップ大橋から3・0km下流は新羽橋、その下流1・5kmに掛かるのが大綱橋は河口から9・5kmの位置。この5kmの間に四橋がある。歩けば1時間強であるが重装備では歩けない、オガワコマドリを撮りに何回も通ったがコイン駐車場を確保するには早朝からの出番であった。
4月中旬からはオガワコマドリの出番が無い時間帯はツリスガラの撮影時間であった。つまりオガワコマドリの撮りすがらのツリスガラの撮影であったが、合間の割りにはヤナギ・ガマの穂・枯れアシ・菜花の四つの場面のツリスガラが撮れた。400種を追いかける身には、このツリスガラが最初で最後である。

2015年3月 4日 (水)

10年前の撮影装備

 林住期の自分史の1頁となる10年前に始めた頃の撮影装備です。現役引退後の4,5年は桜などの花を追い掛けて南は沖縄(沖縄は緋寒桜が本部町八重岳桜まつりから始まり、桜の開花は南の那覇へ南下する)から北は弘前城まで春は桜を追った、一年に春と秋から冬にかけて二度咲く、十月桜と冬桜も撮影していた。秋には京都の紅葉の名所まわりなどが撮影地、紅葉の名所は東福寺、京都の西の山は高雄山神護寺、市内は永観堂・高台寺・清水寺などの紅葉を昼と夜の撮影。
「日本さくら名所100選」の三つ池公園でカワセミを撮影する一団に遭遇してからカワセミに始まり、野鳥撮影に嵌まってしまい、2005年3月に日本野鳥の会に入会してから、広角レンズやマクロレンズに替わって取り揃えたのが野鳥撮影用の望遠レンズとカメラ。10年前に撮影した撮影装備である。場所は現在は首都高工事中の横浜環状北線が鶴見川の下を走る部分の上あたり。新横浜大橋と新横浜プリンスホテル・日産スタジアムなどが見える鶴見川の堤でした。

Dsc00095

2005年3月2日撮影、退職金を注ぎこんだ野鳥撮影用の初期投資の撮影器具、撮影地は鶴見川・新羽側の亀甲橋付近、手前のソニーのカメラは桜時代からの使用カメラとソニーのビデオ用三脚。

Dsc00101

左端のソニーと左から2台目の70-400mmとD200は友人などに譲り今はないが、ニコンの80Φフィルドスコープと専用の純正雲台と純正三脚は購入当初は2,3度使用したが今でも保有しているだけの存在で衝動買いの最たるもの。

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右から2台目のフイルムカメラはNIKON F100はフイルム一本を使用して新品のままお蔵入り、D2Xと一緒に防湿庫に入ったままである、今では考えられないムダ遣いであった。

400mmレンズの補充にF4の200-400mmレンズとGitzo3型GT3540LS三脚と雲台Manflotto503が増えた。600mmレンズは現在も愛用中。

Dsc00090

カメラはD70・D2X・D200・D300・D3まで購入したが2012年に400種の目標達成後はその後に発売されたD800とD4から新製品を追いかけることをやめた。写真のカメラ2台ともお蔵入りしたので現在はD3とD300であったが手軽に持ち運べる軽くて小型のD7100がフォトぶら散歩などの使用機となった。

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2005年3月2日撮影、駆け出しの頃に通った鶴見川の新羽側、亀甲橋の袂付近、対岸は日産スタジアム前の遊水地と野球場などの運動公園。手前のGitzo(ジッツオ)の5型三脚は当時はジッツオの油圧雲台、その後はザハトラー(Sachtler)DV12Sを購入したがオーバースペックのようだ。この三脚を10年間に5,6回撮影場所や駐車場に忘れてきたが鳥友の皆さんのお蔭で必ず手元に戻るブーメランのような持ち主の懐具合を心配してくれる三脚。
最後に忘れた場所は2013年6月鶴居村の鶴見台であったが泊った宿の北の大地さんと地元の皆さんのお世話になり、翌日には釧路警察署鶴居村駐在所に届いていた。この際から名前・住所・電話番号を記入した迷子札を付けてその後は二年近く、ボケは進んだが三脚忘れは起きていない、撮影回数が極端に減少したのが主因と思われる。

ワイヤレススピードライトコマンダーSU-800は、昔の鷲の宿でシマフクロウ撮影で一度使った切り、ストロボSB-800二台も出番が無くなった。


今日は野鳥撮影を始めた10年前の地元での記念写真でした。

2015年3月 2日 (月)

梅花繚乱の大倉山梅園

 久し振りの大倉山観梅会の梅見に行き、32種200本の梅が咲き誇る!!写真を撮りながらの梅見であった。10年ひと昔と言うDsc00061_2 が鳥撮りを始めた十年前の大倉山観梅会(2005年2月27日)の写真を見つけた。花から鳥に趣味を乗り換えた年でもあったのでまだ花に未練があった時期でもあったようだ。一脚と2台のカメラの出で立ちにもまだ梅花と梅香に興味があったようだ。ウメの老木には変わりがないが10年前の写真とすっかり変わり果てた老僕に成り下がった想いである。
これも人生を謳歌してきた10年間の林住期の自分史の1ページでもある。

今回は土曜日の2月28日、観梅会のステージ・イベントの合間に手持ちのマクロレンズで撮影した園内の梅花である、梅香はお伝えできませんが風が微妙にそよぐピンボケの味はお伝え出来ます。

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2月28日の「思いのまま」、園内で3,4本を視認したが一つの枝に紅白の花が咲いていたのはしょうぶ池前の一本だけでした。

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「見驚」

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「野梅」やばい。一番本数が多く、どこでも満開であった。

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「玉英」

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「冬至梅」

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「茶青花」

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「白加賀」野梅の次に目立って咲いていた

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「月影」

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「八重寒梅」

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「緑萼梅」三渓園に数十本咲いていた上海市から横浜市に桜の返礼に贈られてきたという珍しい花弁を支える萼(がく)の部分が緑色の「りょくがくばい」がここにも咲いていた。

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「豊後」ぶんごはまだ蕾であった。

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「花香実 」

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「白滝枝垂れ」しょうぶ池の白のシダレ梅

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「淡路枝垂れ」しょうぶ池の前はこのシダレ梅の撮影と記念写真を撮る人だかり大混雑

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「古今集」

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「唐梅」

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「蓬莱」

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「玉垣」

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「鹿児島紅」かごしまくれない 園内の紅色系では一番濃い紅梅

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「長寿」名前が良いがまだ蕾でまだ若かった!

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「八重旭」

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「紅千鳥」

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「月宮殿」

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「宝鶏」

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「楠玉」

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「春日野」

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「玉簾」

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「月影」

梅の名前は「思いのまま」が気に入ったが人混みの中での写真は思いのほか難しかったのでピンボケ有り、ウメの名前もボケで勘違いや間違えも有りや否やである。

2015年3月 1日 (日)

大倉山観梅会

 春到来!みんなで行こう!!大倉山観梅会。金曜日に日刊スポーツの号外、大倉山観梅会のお誘いが舞い込んできたので、徒然なるままの日常に、暇つぶしに行ってきた。
港北区のHPでも同じような内容が公開されていた。
Kanbaikai27
平成27年2月28日(土曜)・3月1日(日曜)午前10時~午後4時
大倉山公園梅林(東急東横線「大倉山駅」下車徒歩7分)
港北区大倉山2-10
(大倉山公園面積6.9万平方メートル、同梅林1万平方メートル)

春の恒例行事である大倉山観梅会を今年も開催します。
※天候により、ステージ・売店の一部を中止する場合があります。 
 なお、大倉山公園内梅林は、入場自由となっておりますので、梅はいつでもご覧いただけます。

大倉山公園の梅林では、一つの枝に淡い紅、紅、白の花が咲き乱れる「思いのまま」や、花弁を支える萼(がく)の部分が緑色の「緑萼梅(りょくがくばい)」など、32種類約200本の梅が植えられています。(港北区HPより)

大倉山観梅会プログラム(会場で配付された案内書)
2月28日(土曜)のステージ
10:30~11:00 太尾・大倉山・大曽根保育園(ダンス・歌)
11:10~11:25 后左英会(舞踊)
11:35~11:50 大曽根小学校 (ソーラン節)
12:00~12:15 大曽根夢太鼓どどん鼓 (和太鼓)
12:25~12:40 大曽根小学校 (ソーラン節)
12:50~13:05 菊名子供囃子 (獅子舞)
13:15~13:30 風だまり (和太鼓)
13:40~13:55 渡嘉敷流あけぼの乃会(琉球舞踊)
14:05~15:05 帥和会・竹韻研究会(筝尺八・三曲合奏)

3月1日(日曜)のステージ
11:00~  港北三曲会(筝・尺八等の演奏)
12:00~  港北芸能協会(日本舞踊)
13:00~  港北三曲会(筝・尺八等の演奏)
14:00~  港北芸能協会(日本舞踊)
15:00~  港北三曲会(筝・尺八等の演奏)

018

狭い園内に二日間に6万人が訪れる、カメラマンも観梅も人気があるのは池の周囲にある紅白2本の枝垂れ梅です

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白滝枝垂れのマクロ写真

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池の前はこの枝垂れ梅の撮影で混雑

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淡路枝垂れのマクロ写真、32品種を探したが30品種まで2品種はわからず仕舞い。

梅林内のステージでイベントが始まったので演技の一部をカメラにおさめた。

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地元の保育園児のステージと観覧する人々

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后左英会の舞踊はカッポレ等

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地元小学校のソーラン節

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風だまり(和太鼓)

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風だまり 10代の高校生から70代まで5人が出演、白梅の子は元気が良いので高校生だがピントは観梅会の主役です

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あけぼの乃会の琉球舞踊、後ろからも女性が覗いていますが白梅から覗いて撮りました

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これが主役の白梅、白梅にピント合わせるなんて扇子が疑われる

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紅白の幕と沖縄舞踊で撮影も幕にしました。

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午後2時頃の梅園ステージ入口、この混雑をやっと抜けて大倉記念館前の休憩スペースでお決まりの生ビールとケンチン汁で一杯やってから帰路に着く。往路は電車で来たが復路は大倉山駅を2時半に出て、約1万歩、一時間半もあるいて家に着いた時はヒザがガクガクしていた。往きと園内で5千歩、一日に1万5千歩は久し振りの歩行、太尾緑道を歩いて水道局の建てやあたりの途中から鶴見川の堤に出た、駆け出しの頃はこのあたりでカワセミなどの野鳥を撮影していた懐かしい場所でもあった。

 

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