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2015年8月

2015年8月31日 (月)

森林鉄道蒸気機関車雨宮21号

 その昔木材運搬で活躍した蒸気機関車、北海道遺産の「雨宮21号」は東京・雨宮製作所で製造された初の国産蒸気機関車。昭和3年~33年まで国有林から伐り出した木材や生活物資の搬送で丸瀬布の産業を支えてきたがトラック輸送の本格化により昭和33年に廃止。地元町民の保存活動で昭和51年に北見営林局から旧丸瀬布町に譲渡され、町は“森林公園いこいの森”を建設、現在は森林公園いこいの森の一周2kmを煙をあげて走っている。この森林鉄道蒸気機関車の動態保存は全国で唯一のものといわれる。遠軽町観光協会のパンフレット「丸瀬布」などより転載・編集

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小雨&曇りの土曜日に煙突から白い煙を上げながらプラットホームから出発する雨宮21号

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足回りのピストンから蒸気を吐きながら動き出す

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小雨の土曜日とあって乗客は少ないようだ

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目の前を通過する蒸気機関車の機関士のうしろ姿をとらえる

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白煙を上げながら鉄橋を渡り始める

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鉄橋を渡るとキャンプ場内の踏切を通過、西武鉄道時代の塗装色の客車と開放型の客車の二両を牽引、朝からの小雨で乗客はチラホラ

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キャンプ場内をループ状に回って今度は鉄橋を渡って来る正面からの撮影

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発車したプラットホームを反対側から通過する小ぶりな蒸気機関車

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プラットホームを通過して機関庫の横を通過

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機関庫には空色と黄色の客車と蒸気機関車などが見える

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静態保存の蒸気機関車532号

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30分間隔で発車するこの日二度目の撮影、発車間際の雨宮21号が汽笛を鳴らす

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駅を出発する、今度は道路際からの撮影

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モクモクと白煙の中から姿を見せる、発車直後は迫力がある

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レバーを手前に引いて汽笛を鳴らす機関士

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暗い森林の中からライトを点けて現れた森林鉄道の蒸気機関車

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煙突からは黒煙と白煙、ピストン周りからは白い蒸気を吹きながら迫って来る

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轟音をたてながら目の前に迫りくる蒸気機関車

 

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目の前を通過して行く雨宮21号がプラットホームに帰って行く、この日16時30発の最後の運行であった。

今年は4月29、30日から10月18日まで土日祝日の運転日が決まっている。9月は今度の土日、5.6日に運転される。撮影日6月13日(土)

今日は8月31日 831は野菜の日、北海道の旅を始めて3ヶ月半、帰浜して1ヵ月半も過ぎ去った、時の流れは早い明日からは9月の声を聞く。このブログはどこえ行くのか、このまま趣味の世界に迷い込むのか、元の野鳥のブログに戻るのか、明日のことは自分にも解らぬ。
今日は二百十日を前に831のヤサイの日よりも防災グッズの点検や水や乾パンなどの賞味期限や防災ラジオの電池などの使用期限のチエックが大事な日だと思う。

 

 

2015年8月29日 (土)

サロベツ原生花園の最寄りは豊富駅

 宗谷本線の豊富駅から南西7kmにサロベツ原生花園がある。駅よりさらに南東7kmに最北の温泉街、豊富温泉がある。町営の日帰り温泉施設「ふれあいセンター」は朝8時30分から夜9時まで入浴できる。ここにはアトピーなどの皮膚病の湯治客用の浴場と一般客用の二つの浴場がある。シマアオジなどが撮影できない雨天の日にはここで休養するようになってから十年も経った、今年も1週間も滞在して利尻富士は一度も見られなかったがこの温泉には毎日通い、雨天の日は朝から晩までここで過ごした。一般浴場の少し黄濁した石油臭のある温泉にはすっかり慣れたが最初に間違えた入った源泉をそのまま使った湯治客用の浴場は石油がギラギラ浮いて光り、いかにもアトピーなどの皮膚病に効くような温泉であった。
撮影日6月30日

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豊富駅二本の煙突が寒冷地の駅舎の面影を残す 

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駅舎内のサロベツへの歓迎挨拶 

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駅舎内の利尻富士の写真、実物は天候不順で今年は一度も見られず

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二面二線式ホーム、下り稚内方面の駅名と名物の看板

 

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豊富駅を中心にサロベツ原生花園は南西7kmバス17分、豊富温泉は南東7kmバス17分

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二面二線の豊富駅上りホームから撮影、6時45分に稚内行7時05分発が入線して待機

 

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今度は6時49分発名寄行が入線

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上下に普通車ワンマンカーが揃う、名寄行が6時49分が先に発車

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7時38分頃特急スーパー宗谷2号が見えて来た

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跨線橋の上から入線する特急スーパー宗谷2号を上から撮影

 

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上りホームに入る後尾の真上のショット

 

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後尾の特急の運転台を跨線橋の通路から撮影

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停車の寸前

 

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稚内7:00発札幌着12:06の特急スーパー宗谷2号のダイヤは豊富駅7時49分発

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豊富駅の脇に客車のような救援車 形式オエ61 67が錆びてボロボロになって屋外静態展示されていたが内部は見られない

 

2015年8月28日 (金)

老鉄ちゃんの銭函と札幌駅見物

 ニッカウヰスキーの工場見学の後に余市の道の駅「スペース・アップルよいち」でスタンプを押印して、北海道で一番新しい今年新設された115番目の道の駅「あかいがわ」に向かった、余市から36号線の冷水峠を登り、標高の高い位置にある「あかいがわ」でスタンプラリーを終えて、函館本線・銭函駅に向かった。398号線の毛無峠を下り、海岸伝いに5号線を走り、ニシン漁で活況のあった当時に小樽手宮と三笠幌内間に北海道で初めて鉄道が開通した頃に、鰊漁が不漁になったと鉄道反対の不穏な騒動が起きた鉄道の歴史も残る、漁港近くの銭函駅前で駐車して入場券を購入する。

 

 

 

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余市駅よりも小さな駅だが駅名人気の観光旅行記念の入場券があった

 

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札幌まで普通で32分、区快で24分、かなりのダイヤ本数がある銭函駅 

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夕方5時直前の夕刻ダイヤ 

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駅名表示、小樽方面の朝里駅まで運賃220円、札方面はの隣駅ほしみまで170円 

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入場券縁起きっぷの銭函が改札口横に鎮座していた

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札幌方面のホームより小樽方面側へ渡る跨線橋を写す

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小樽始発16時41分、銭函16時49分発の区間快速いしかりライナーが到着

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行先は岩見沢の区快いしからライナーの指定席

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定刻に発車を見届ける

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札幌に向かう途中で銭函駅脇の踏切で普通電車の通過を待つ間に車内から撮影、銭函発17時06分発小樽行と思われる。

 

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車で銭函駅を5時頃出発して、札幌駅北口に到着したのは6時15分、電車ならば32分で到着するが流石に札幌周辺は車では時間が掛かる、北口広場の駐車場に車を停めて夕方の札幌駅の見物である。

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入場券の日付と時間は7月11日18時22分、入場券は2時間以内有効、上から使用した自販機の入場券、中と下はみどりの窓口で購入した硬券の入場券、下の観光用の入場券は8月23日上野駅までラストランして2500人以上の撮り鉄が待ち構えていた寝台特急北斗星のデザイン。お宝の入場券になった。

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特急の発車する7番8番ホームに行く

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18時30分発スーパーカムイ33号旭川行

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18時37分発特急スーパーとかち7号帯広行

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18時40発快速エアーポート184号新千歳空港行

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18時44分発L特急すずらん8号室蘭行Dscn69950_4
7番ホームに19時29発振子型特急スーパー北斗18号函館行きの入線

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ホームを出て札幌駅表口に出る

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大丸を一部入れての撮影

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JRタワーを入れての札幌駅

 

黄昏れ時の大丸前ではサッポロビールの特設ビヤガーデンが賑わっていたが車の運転があるので横目に見て札幌駅を午後7時にお別れする。

2015年8月27日 (木)

マッサンの余韻が香る余市は良い地

 余市駅と余市のニッカウヰスキー蒸留所を見学した時の写真日記。朝ドラが終わって半年近く余市ではまだマッサン人気の余韻がある、ニッカウヰスキー工場見学の観光客で賑わっていた。駐車場から徒歩5分の余市駅に先に行き写真を撮り、その帰りに駅から3分のニッカウヰスキーの工場見学。Epson0111_2市駅の入場券、ここには観光用入場券は販売していない

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ニッカウヰスキー方面からJR余市駅の遠景

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余市駅構内のポスター、街中にマッサンゆかりの地、絡みのポスターなどが見られる

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切符売場

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ソーラン武士とニッカウヰスキーの宣伝樽

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跨線橋の階段、富良野駅にもこの手の階段画があった!

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ソーラン節の発祥地だそうだ?ソーラン武士??

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駅の跨線橋の通路から小樽方面を写す

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その拡大写真 

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がらんとした2番と3番ホーム

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2番ホームより見た、1番ホームの改札口付近 

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1番ホーム上のニッカウヰスキーの宣伝

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1番ホームの幟の数々、まだマッサンの舞台が観光の売りであった 

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余市駅から3分のリタロードを歩いて、マッサン人気で観光客があふれるニッカウヰスキーの工場見学をしてきた。現在地は駐車場、石造りの正門に工場見学の受付がある。

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工場では駅にあった宣伝写真と同じ構図で撮影 

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工場見学記念の撮影スポット

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ニッカウヰスキー工場創立当時の事務所
 

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事務所左の案内板、余市町の文化財指定となっている

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工場受付でガイドさんの案内で工場見学を申し込むと案内嬢が引率しての工場見学に参加できる
 

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蒸留所見学ルートの一部

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ニッカウヰスキーができるまで見ても試飲場所には近づかないでいた、いまだにビール党一辺倒です。 

ネットに出ていたQ&A”ニッカウヰスキーはなぜ“ヰ”なのか?” 

現在のニッカウヰスキーの親会社アサヒビールのお客様相談室の回答だそうです。 もともと日本では、ウイスキーは「ウヰスキー」と書かれることが多かった(ヰの正確な発音は「ウィ」に近い)。ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝氏は、ウイスキーは水が命なのでヰではなく、井戸の井を使おうと考え、1952年に社名を当時の「大日本果汁」から「ニッカウ井スキー」で登記申請した。だが当時は漢字とカナを混ぜて登録できなかったため、やむなくカタカナの「ヰ」を使い、「ニッカウヰスキー」となったといわれる

2015年8月26日 (水)

動態保存のSLアイアンホース号

 北海道鉄道発祥の地、旧手宮駅構内の小樽総合博物館で1993年から動態保存されている、アイアンホース号は1885年に輸入されたしづか号と同じアメリカのH・Kポーター社で1909年製造銘板がある蒸気機関車。
16年前ここを訪れた時は小樽市交通記念館と呼ばれていたが4年前は小樽市総合博物館に名称が変わっていた。この古い蒸気機関車が、小樽市総合博物館屋外フィールドの「中央ホーム」と「手宮ホーム」の間200m往復している。往復乗車が普通だが往路は屋外を走行するアイアンホース号の撮影をして、復路に乗車して車上からの撮影を楽しんだ。

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機関庫のアイアンホース号

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アイアンホース号を転車台に載せて人力二人で回しています

 

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ゲージは914mmで小ぶりである 

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これから右手にある緑の客車と連結する 

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バックして客車3両を連結して中央ホームで待っている客を乗せます

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客車と連結の直前 

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午前11時30分第一回目の運転、普通客車1両と開放型客車2両を引いています 

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中央ホームで見物する人が見えます
 

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中央ホームと手宮ホームの間は200m、静態展示の列車の横を走行します、遮断機の下りた踏切を通過 

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右後方は総合博物館の建物、左後方は機関庫

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開放型客車の乗客、小樽総合博物館入場者は無料で乗車できます、平日なので比較的空いています 

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手宮ホームに到着 

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ここでも転車台で方向転換、乗客は転車を見物する

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こちらの転車台は機械で動きます 

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転車台から離れて行きます

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先ほど走行してきた中央ホームの方向から客車の待つ、手宮ホームにバックで入ります  

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客車と連結、ここでも連結を見物する非日常の機会がある

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一番前の開放型客車に乗車して中央ホームに向かう アイアンホース号をカメラで追う

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3分で発車した中央ホームに戻る

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次の乗客が待つ中央ホームに到着・停車

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乗客を降ろし、客車を切り離して中央ホームに残し、機関庫前の転車台に向かう 

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転車台の周囲にアイアンホース号に乗客が見物に集まる

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こちらは機械と人力の併用で転車

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歴史ある機関庫と転車台アイアンホース号

 

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また中央ホームに向かうアイアンホース号、平日は11時30分、13時30分、15時30分の3回、土日祝日はこれに14時30分が追加されて4回運行されて人気を集めている。アイアンホース号の動態保存。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年8月25日 (火)

鉄道史を訪ねて、北海道鉄道開通起点標

 

今度は北海道の鉄道起点のある小樽市手宮の小樽市総合博物館である。日曜日に札幌からの最終運行のブルートレイン北斗星が上野駅に到着して撮り_dsc48011_6

鉄が見納めしたようだが、また一つ昭和の名残が消え、寂しくなったと新聞記事を読んだ。16年前の9月にカシオペアで上野から札幌まで17時間の寝台特急カシオペアで夫婦旅をした、カシオペアはこの年の7月に開業したばかりで超人気の切符を入手するのに苦労した思い出がある。当時は小樽市交通記念館と呼ばれていた時にここを訪れている、撮り鉄の素地は昔からあったようだ。今は小樽市総合博物館に名称が変わっているが、4年前の2011年8月にも鉄道好きの孫と来ているので今回で3回目となる(この時の記録は2011年9月7日のブログ)。昨日の記事で「北海道鉄道発祥の地」碑がある旧幌内線幌内駅の跡に建てられた三笠交通記念館は「北海道鉄道開通起点」のある小樽総合博物館の反対側の端になる。北海道の鉄道史の両端、起点と終点を探訪したことになる。

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北海道鉄道開通起点の左にあるゼロキロ・ポイントの説明文

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小樽総合博物館内入り口にある静態展示のしづか号、1885年(明治18)アメリカより輸入

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大阪・交通科学博物館の義経号1号機と大宮の鉄道博物館の弁慶号2号機、ここに展示してあるSHIZUKA号6号機は北海道で最初に走った蒸気機関車でアメリカから輸入した8台のH・Kポーター社製で日本に現存しているのは義経号・弁慶号・しづか号の3台のみである。

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国産蒸気機関車、形式7150(大勝号)

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説明文によると大勝号は1895年(明治28)に北海道炭礦鉄道手宮工場で造られた、国産第2番目の機関車で、現存する最も古い国産蒸気機関車です。7100形(義経号・弁慶号・しづか号など)とそっくりですが、煙室やドーム、運転室の形などが違います。(機関庫の側面から撮影したが柱があり、運転室が入らない)

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動態保存されているアイアンホース号を11時からの定期運行をするために煉瓦造りの機関庫から出して転車台(後方右側の二人が人力で転車している)

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アメリカから輸入した義経・弁慶・しづか号と同じH・Kポーター社製の蒸気機関車、今は石炭の代わり重油で走る蒸気機関車、黒煙は見えず、少々の蒸気を出しながら客車3両を連結するために進行中

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客車3両を牽引して蒸気を吐きながら運行中のアイアンホース号、1909年製造の銘板があるので今年で生誕106年になる蒸気機関車、赤い牛除けは西部劇でよく見た姿かたちを思い出す。

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三笠交通会館ではC122が静態保存されていた、こちらはC126である

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C126の運転台釜を撮影

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形式キハ56 23 急行用ディーゼル動車

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キハ56 23 普通客車の内部

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ED75 501 交流電気機関車

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キハ03 1 ディーゼル動車(普通車)どこかで見たような形の気がしたが製造は1956年(昭和31)東急車輌製造、50年以上前に都内で通学・通勤で乗車していた京王線や東横線に似ている。

北海道の鉄道の歴史を訪ねて小樽の手宮に3度目の見学であった。今回は4年前に乗車出来なかったアイアンホース号に乗車したのが楽しい思い出になったが小樽総合博物館内展示品の撮影が少なかった。

 

 

 

 

 

2015年8月24日 (月)

三笠鉄道村・鉄道記念館

 日本の鉄道の開業は明治5年の新橋・横浜間、明治9年の京都・神戸間そして三番目が明治15年に北海道の小樽手宮・三笠幌内間である。
北海道の道の駅は今年から余市郡赤井川村の「あかいがわ」が115番目に新設されたが1番目の道の駅は「三笠」である。北海道の鉄道も道の駅も最初は三笠であった。三笠にはエゾフクロウの撮影で十年も通ったが三笠鉄道村は初めてである。

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三笠鉄道村・三笠鉄道記念館の正面玄関

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鉄道発祥の地碑

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鉄道発祥の碑文の拡大

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三笠鉄道記念館の静態保存の機関車

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C12 2 蒸気機関車

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C122の運転台

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C122の性能・仕様・履歴

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静態保存のSL C59609

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機関車の内部、左は機関手の正面、右は釜の蓋が見える

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C59609の履歴と仕様・性能

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三笠鉄道村案内図

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鉄道記念館の内部(一部)の信号機

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タブレット閉塞式

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タブレット閉塞器

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外部に展示してある機関車の一部。DE10 1702ディ―ゼル機関車

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外部に数台展示してある雪カキ車の一部、ラッセル雪カキ車、形式キ100

鉄道記念館の内部には北海道の鉄道史、鉄道の恩人や鉄道に関する装置や器具など無数の展示品がある。外部の展示は各種機関車・各種客車・除雪の雪カキ車などの北海道特有の写真を撮ったが俄か鉄ちゃんにはその存在価値、展示価値は知る由もなかったが今回は独断と偏見でその一部を貼った。

 

2015年8月22日 (土)

蝦夷梟、福路でえ~ぞふくろう!

 蝦夷フクロウの撮影ではふくろう街道と呼んだ国道12号線は福路でもある。この梟は不苦労の字を当て縁起がよいとされています。不苦労=苦労しない。ところが今年はフクロウの撮影では苦労が多いような気がした。可愛いい雛の撮影ではなかなかアイキャッチが出来ない、ヤチダモの枝葉の中にとまるので目に光が入らないなど、二羽の雛ではなかなか二羽が同じ方向に大きな目を開けてくれない。三羽では尚更である。四羽では同じ枝にとまるだけでも数時間待たなければならない。四羽が揃ってもなかなか同じ方向を見て大きく開けた目が揃わない。エゾフクロウ雛4羽に会えだけでも福老の身で贅沢にも苦労した不苦労の話である。296で96した至福の時間のブログである。
撮影日6月3日~9日までの1週間
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境内のヤチダモの木にとまると雛の目にはなかなか光が入らない、これでも目が光った方である

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たまには片足でこんなサービスもする雛、何番子かは知る由もない

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二羽の蝦夷ふくろう、え~ぞ不苦労

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3羽揃ったが視線は不揃い、ま~いっか!

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晴天の日に三羽でも視線が揃った揃った

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青空の下でふざけた真似は四番子かな?

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四羽の視線が合えば、それは幸せ(四羽合わせ) 

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こんな時にエンゼルスタイルで不揃い
 

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真ん中の二羽が好き勝手なチュー、注意したいが・・・ 

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こんな覗きは終いにして欲しい四番子かな  

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兄弟喧嘩と思ったら・・・
 

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♡ チュウ!

4羽揃ったのは6月9日完全な四合わせではなかったがこれで福路街道を後にした。後で聞いた話では10日はもっと良い四羽並びがあったそうです。これを後の祭りと言うか、10日は廃駅の神居古潭駅のSL3重連の撮影していた。

 

 

 

 

 

2015年8月21日 (金)

大河ドラマ「真田丸」ゆかりの地、上田城

 7月17日戸倉上山田温泉・リバーサイド上田館に宿泊した翌朝は、来年のNHK大河ドラマ「真田丸}のゆかりの地、真田幸村が生まれ育った上田城址を先撮りして来た。2016年NHK大河ドラマは戦国武将真田幸村こと真田信繁の波瀾万丈の生涯を描いた「真田丸」が主人公の真田信繁(幸村)を演じる主役が、俳優堺雅人に決定している。あらすじは信州の小さな領主・真田家に生まれた信繁(幸村)は、家族とともに戦国の世を必死にサバイバルしていく。そして迎えた大坂の陣、知略と武勇を武器に抜群のリーダーシップを発揮、胸のすくような活躍をした真田信繁(幸村)のNHK大河ドラマである。

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現在は公園として整備されれいる上田城は、幸村の父親である昌幸が築城した平城で戦国末期に、徳川の軍勢を2度も撃破した名城。築城当時からの建物は西櫓のみ、復元された東虎口櫓門と両側にある南櫓と北櫓を見物。添付は上田城ガイドマップの拡大コピー

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正面から写した東虎口櫓門と左の南櫓と右の北櫓、この櫓門と二つの櫓の内部が見物できる。

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南櫓の入り口から見学開始、真田家の家紋瓦

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南櫓の二階から西櫓の方向、芝生広場・尼ヶ淵、昔はここまで千曲川が流れて掘割の役目をしていたそうな

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櫓門の火縄銃で記念写真

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種子島で狙った方向は櫓門から入城してきた方向

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上田城址から発掘された金箔鯱瓦の復元品、昔は本丸跡に天守閣はあったのか?

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上田城瓦

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種子島御筒を入れた箱とその説明

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櫓(やぐら)は矢倉・矢蔵とも書く、櫓の説明書き

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挾間(はさま)でも鉄砲挾間よりも弓挾間のようだ?

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天井の一部

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櫓門内部の一部

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櫓門からの北櫓

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北櫓の内部 

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北櫓の陳列品ケース

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真田赤備えの大きな兜、兜の前に6,7人が一緒に記念写真が撮れるカメラポイント、来年の大河ドラマ真田丸の文字が見える

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真田神社社務所には来年の祝・真田丸放映

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真田神社

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真田神社の由緒

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真田井戸、抜け穴があって城北の太郎山麓の砦に通じていた

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逆光の中の西櫓(上田城にあった7つの櫓で唯一築城当時の姿を見せる県宝、内部は非公開

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真田神社参道から櫓門(内側)の方向

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真田石、城の玄関である大手門に城主は権威を示すために石の大きさを競ったといわれる。

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堀の一部

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上田城・大阪城友好城郭提携記念碑。真田丸は慶長19年(1614)大坂の陣(冬の陣)において、豊臣方の真田信繁(幸村)が大坂城の平野口(現大阪市天王寺区)に構築した曲輪である。両城は真田幸村を通じた深い関係がある。

この他に真田幸村ゆかりの地は真田正幸・幸村父子が関ヶ原後に上田城が廃却され、和歌山県九度山に配流された地がある。大阪の陣がはじまると九度山を抜け出して大阪城に入城する。



 

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2015年8月20日 (木)

名月の里と篠ノ井線姨捨駅

 北海道から帰浜して1ヵ月以上経った、毎日写真の整理とブログで一日が終わり、この間は一度も遠出がない日常であった。お盆も終わり観光地も空いEpson0040たと思われる17日~19日2泊3日の家族旅行。「牛に引かれて善光寺詣り」数十年前に韮崎の義父義母と初めてお詣りした善光寺をお盆に思い出して、思い出に引かれて善光寺詣りである。今度は孫たちと七人でお詣りした後に信州戸倉上山田温泉の宿に向かう途中で宿に近い、名月の里・姨捨山を観光した。北海道で俄か鉄ちゃんに変身した術を活かしてJR姨捨駅を目指した。篠ノ井線の中でも特に険しい山々の中腹に位置し、急勾配のためスイッチバックのある駅である。右は表表紙、下は広げると入場券が挟んである。

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営業時間外であったが駅のおばちゃんが観光用入場券を販売してくれた。入場券は北海道では170円ここは140円

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篠ノ井線姥捨駅

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改札口脇のの駅舎内のベンチ

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時刻表とホームのベンチに座る人の背中

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駅の内部の観光案内

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駅名表示板と跨線橋入り口

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ホームの下(田毎の棚田が見える位置)長野方面から来たJR貨物列車が松本方面に向かう、貨物は姨捨駅は通過していく

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名月の里、田毎の月の棚田(17日は横浜を出発する時から雨天)長野は雨上がりの曇天(宿でも月見は当て外れ)

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長野方面のホーム、跨線橋の先は線路の終点

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松本方面から長野行の入線

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長野行の発車は入線した方向へバックして行く

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スイッチバックから二つの踏切を通過して

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スイッチバックからホーム下の線路を行く長野行

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ホームの名所案内

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ホームの案内図

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ホームの芭蕉の句碑、おもかげや 姨ひとりなく 月の友

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駅舎の脇にある姨捨山の物語

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駅舎の下、近くに長楽寺

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長楽寺境内の名勝田毎の月案内板の数々

姨捨駅には乗降客一人、姨捨山の観光客なのかスイッチバックを撮る鉄ちゃんなのか、我々を含めて十数人、ここは見物客が集まる駅であった。名月の月夜には大勢の見物客と思われる。

 

2015年8月16日 (日)

ラムサール条約登録雨竜沼湿原

 道内にある13ヵ所のラムサール条約登録地の「雨竜沼湿原」の解説では、山間部に位置する山地型湿原であり、冬期に長期間堆積する積雪の融雪水や降水が池塘に貯留され、この水が湿原を涵養し、特異な湿原環境を維持している。我が国でも有数の面積規模を誇り、水生、湿原性、高山性の植物群が混交するなど自然性の高い優れた景観を呈している。 

13ヵ所のラムサール条約登録地は「雨竜沼湿原」以外は全て訪れているが今年も道南の「大沼」以外は訪れたかまたは近くの国道など付近を通過しているEpson0060_3野鳥の情報があれば車で直ぐにも行ける態勢にあった。
ところが高層湿原の雨竜沼湿原は車では行けない、ラムサール条約登録地であった。7月9日の富良野・美瑛の後行程では国道275号線沿いの北竜町の道の駅「サンフラワー北竜」、隣町の雨竜町の道の駅「田園の里うりゅう」、浦臼町の道の駅「つるぬま」でスタンプを押印した後はつるぬま温泉に入り、ここで車中泊した翌日の7月10日朝5時に雨竜町まで戻り、国道275号から道道432号線を26km、途中の暑寒湖・ダムを過ぎるとダートと舗装が交互にある狭い山道を約50分進むと大きな駐車場がある登山口に到着する。

 

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雨竜湿原登山ガイドの登山案内図 

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赤字の入山協力金の500円が目に入る 

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いろいろな案内板や看板が立ち並ぶ

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登山口ゲートパークにある管理棟で入山届と協力金500円を出して午前6時に出発した。装備はトレッキングシューズ、カメラを首に吊り下げて、ジャンバーのポケットにコンデジと500ccのお茶1本の軽装備 

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宿泊施設定員70名の「南暑寒荘」の前を通り最初は平坦で広い山道 を歩き出す

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歩き出して15分で渓谷第一吊り橋、ここから本格的な登山道に入る 

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吊り橋からのペンケペタン川

 

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白竜の滝まで500mの案内板 

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これでも楽な方の山道の階段 

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石がゴロゴロしている急な小さな沢を渡る 

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石の山道が続く

 

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ようやく辿り着いた高さ36m幅5mの白竜の滝、ここまで登山口から30分1・3kmとあるが途中休み休み来たので45分かかる

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滝の途中まで降りたので急な上り道はロープを掴みながら登る

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白竜の滝は登山道の上からの方が良かった、予備知識がないと苦労する

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第二の吊り橋が見えてきた

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第二の吊り橋、登山口から40分1・5kmと登山ガイドにあるが白竜の滝で手間取ったのでここまで1時間は掛かった

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川沿いの険しい登山道

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こんな木を跨ぐ前に、ここで休憩

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登りがいつまで続くのか、急な上りは足のももまで使うので腿まで疲れる

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やっと見えた案内板

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靴底を洗うブラシがぶら下がっている

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この小川の流れの中でトレッキングシューズの底をゴシゴシ

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湿原入り口テラスの案内板、ここまで登山口から3km

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湿原入り口から500mにあるテラスで柵の上にコンデジを置いてセルフタイマーの自撮り、寒い地と思ったジャンバーはお荷物、飲んだ水分は全て汗になる。後方の山は南暑寒岳、このテラスまでガイドでは2時間となっていたが75歳の単独登山は2・5時間掛かり、ペットボトルのお茶も飲み干し、疲労も頂点になり、ここまでで帰路に就く

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湿原テラスから撮影した雨竜沼湿原ペンケペタン川、季節を彩どる花が少ない感じ

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雨竜沼木道を後から来て追い越して行った、湿原テラスから1時間の雨竜沼湿原展望台を目指す、熟年登山グループをコンデジの望遠で撮影

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暑寒別岳を縦走して隣町の増毛町への10時間の縦走ルートもあるらしい

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雨竜沼湿原を周遊する全長約4kmの木道

帰路は二時間で下山した、ガイドには片道2時間とあるので時間通りであった。万歩計は2万歩を超えたが、ここの一歩は散歩の一歩と大違い、朝6時から歩き始め10時半に管理棟にある入山届の控えをポストに入れて、次の目的地である石狩市の撮影地に向かった、昨日のアカモズはここで午後から撮影した。
ラムサール条約登録地の湿原でありながら、鳥の写真が一枚もない登山記録だけの半日であったが北海道のラムサール条約登録地を全制覇したことになる。

 

 

2015年8月15日 (土)

赤百舌鳥の育雛給餌

 赤百舌鳥(アカモズ)は図鑑によれば雌雄ほぼ同色、額から眉斑、腮から下は白く、頭頂からの上面は赤茶色。翼は黒褐色で羽縁は淡褐色、過眼線は黒い、胸脇から腹は淡橙褐色。雌は額の白色部が雄より狭く、灰色みを帯びる。脇腹の羽縁は黒褐色で鱗模様となって見える、嘴と足は黒褐色、光彩は暗褐色、幼鳥は頭部から背、肩羽と体下に褐色の鱗状横斑があり、過眼線も褐色。嘴の大部分は肉色とあるが実際はどうかな。巣立ちから数日後と思われる育雛中のアカモズの一家。
撮影地 石狩市 撮影日 7月10日

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幼鳥がいるのか、用心深くしているのか「ギチギチギチ・・・」と軽快とは言えない重たい警戒態勢

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ここでも、どこでもギチギチギチ・・・・
大声が鳴り響く

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尾羽の枚数12枚すべて公開

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生憎の逆光の中、柏の葉に包まれるような左右は雌雄でしょうか、左の額の広いのが♂?右の額が狭いのが♀かな?。柏餅の語源は柏の中のモズを見立てて、それとも柏モズが訛ってかしわ餅?の珍説、これは親切な解説ではありませんね。

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こちらは親子、♀親と幼鳥かな?

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幼鳥3羽並びはエゾフクロウよりも難しい?こんな処で見つけた親子の会話、どこにもソッポを向くのはいるようです。人工物の上ではアカンモズ!柏餅のように柏の葉に包まれては見えず、この方がマジでマシともいえる。

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威嚇の態勢でギチギチギチ・・・・ なにしろ育雛中は警戒心が旺盛

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尾羽を開く、鳴き声だけでなく尾羽でも威嚇の表情

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今度は尾羽を思い切り上げて・・・フンではなさそう、これも怒っているらしい

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ギチギチ鳴きながらの飛び出し

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獲物の昆虫を咥えてこれから給餌に行く態勢

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親が給餌に近づくと喜ぶ幼鳥、残念ながらうしろ向きでした

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羽をバタバタ給餌を待つ幼鳥と給餌に飛んで来た親 

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給餌の瞬間は羽は水平

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お腹が膨らんだ幼鳥、腮の下に鱗状横斑も少し見える

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赤茶色の昆虫の給餌を受けた幼鳥が、見守る親

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食後の親子の平穏なひと時、親よりも太目に見え、下の嘴は黄色く、尾は親よりも短い、育雛中のアカモズの生態は静態でした。

 

 

 

2015年8月14日 (金)

大空と大地の中で足寄町のラワン蕗

 道の駅のシ―ニックドライブマップでは東北海道(道東)をオホーツクエリア、釧路・根室エリア、十勝エリアの3エリアに区分してあるが、ひがし北海道観光協議会の地図では「ひがし北海道」として一つの地図にまとめてある。但し、ひがし北海道は広いのでオホーツク地方、十勝地方、釧路地方、根室地方に分けてひがし北海道観光の問い合わせに対応している。下の地図はシ―ニックドライブマップの「道の駅」地区エリアである。

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北海道の道の駅は115駅が6つのエリアに分かれており、今年は道南エリアは零であったが道央エリア41駅を15駅、十勝エリア14駅のうち9駅、釧路・根室エリア7駅を全制覇、オホーツクエリアは19駅の内「あいおい」を残し18駅、道北エリア22駅の内一駅(しむかっぷ)を残し21駅、合計70駅のスタンプラリーを完成した。

昨日のブログの青い池・美瑛の丘・ラベンダー観光の前日に道の駅スタンプラリーをしながら観光してきた、十勝エリアの足寄町に自生する北海道遺産・巨大なラワン蕗の記事である。
7月5日に道北のサロベツからオホーツクエリアのウトロまで380Km移動して来た(ギンザンマシコの撮影で6月27,28日は撮れなかったのでに正確には戻って来た)が7月6,7日もギンザンマシコが鳴かない、見えないので撮影を諦めた。ウトロの道の駅で7月7日に北見のEさんが食料品・営養剤・ドリンク剤・菓子などの沢山の差し入れを持ち抱えるようにして見送りに来ていただいた、また一年後の再会を七夕の日に誓ったがお世話に成り過ぎた感がある。惜別の後に距離にして330Kmある道北の道の駅「南ふらの」に向かって移動開始、斜里岳が見える道の駅「パパスランドさっつる」でスタンプとお土産を買い、次はさくらの滝でサクラマスの遡上を撮影(この写真はまだブログには未掲載)、弟子屈から帯広に向かう国道241号線を走り、道の駅「あしょろ銀河ホール21」、「足寄湖」、「ピア21しほろ」、「うりまく」、「しかおい」のスタンプをゲット、足寄町で北海道遺産の人間の背よりも高い巨大なラワン蕗(ふき)の自生地と保護地を撮影した。

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足寄町の案内板、241号線を足寄町の手前で左折して山道を抜け、道道664号沿いにあるラワンブキの自生地やほ場を見物。この241号は5月21日に音更でカワアイサ16羽の雛の行列が渡った国道241号でもある。

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ラワン蕗よりも大きいラワンブキの看板 

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ラワン蕗ほ場入り口の看板 

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ラワン蕗ほ場のラワン蕗(ふき)の説明板、これによるかっては草丈4m葉の大きさ2mのものもあったが次第に小型化しているそうです 

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ラワン蕗ほ場の観光通路、高さは人間の頭の上に蕗の葉がある 

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ラワン蕗自生地の看板、自生地のあちらこちらに建つ 

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自生地のラワン蕗、大人のモデルが脇にいると大きさが分かるが・・・ 

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螺湾川の岸辺に自生するラワン蕗 

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自生なのか栽培なのか道端の畑で撮影したラワン蕗、自分の背丈よりも大きくトンネルを潜る感じであった、エゾニュウも茎が紫色だったが大きい草木は茎が紫色になる? 

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足寄町出身の松山千春の碑、手のひらにある緑のボタンを押すと曲が流れるらしい 

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松山千春の足跡碑、過去に町の宣伝に松山千春がラワン蕗を傘のようにさしている写真を見たことがあった。

松山千春とラワン蕗の写真を見て、かねてよりラワン蕗に興味を持っていたが今回足寄町(あしょろ町)の道の駅二ヶ所のスタンプラリーで実現した。フキとして食べられるが大きいので大味と思うのは野暮、大きくても普通の蕗と変わらぬ味らしい。 

大空と大地の中で 作詞/作曲 松山 千春
 
果てしない大空と広い大地のその中で
いつの日か 幸せを
自分の腕でつかむよう

歩き出そう 明日の日に
ふり返るには まだ若い
ふきすさぶ 北風に
とばされぬよう とばぬよう

こごえた両手に 息をふきかけて
しばれた体を あたためて

生きる事が つらいとか
苦しいだとか いう前に
野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ

こごえた両手に 息をふきかけて
しばれた体を あたためて

生きる事が つらいとか
苦しいだとか いう前に
野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ

こごえた両手に 息をふきかけて
しばれた体を あたためて

果てしない大空と広い大地のその中で
いつの日か幸せを 自分の腕でつかむよう
自分の腕でつかむよう                
1977年(昭和52年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年8月13日 (木)

青い池・美瑛の丘・ラベンダー

 野鳥撮影しながらの必需品のドライブマップとスタンプラリー帖とJR時刻表の三点セットが三種の神器ともいえるように常に助手席に鎮座している。ドライブマップは目的の道の駅に確

Epson0061_4実に行くには、毎回9桁のマップコード(3桁の数字が3列)の数字を入力して、素通り防止をしている、国道沿いの道の駅は間違いなく到着するが、ややこしい処や街中にある道の駅は素通りし易いので確実に行けるマップコードの入力が欠かせない、今回は70ヶ所の道の駅を巡り、広げる使用頻度が多く、その為か横8つ折り縦3つ折りのドライブマップが折り目から破れてボロボロになる、途中で二枚目のドライブマップを購入するほど使い 

Epson005_2切っている。
スタンプラリー帖はスタンプの押印の度に持ち出すが雨天の日に不用意に開けた助手席から滑りて水溜りに落ちて、道の駅「阿寒丹頂の里」のスタンプが滲んで見えなくなった。スタンプ帖はスタンプがハッキリ見えるように上手に捺すことにコツがあり、スタンプ台のインキをスタンプに万遍なく付けて出来る限りの力
 

Epson0011_3を入れて押すことである。
時刻表は道の駅の近くや街道筋に駅がある場合に立ち寄るが全体的に列車本数が少ないローカル線は時刻表を見て、立ち寄るか否かの判断をしている。北海道の列車ダイヤにはページのしわや、書き込みと蛍光ペンで活用した形跡が残っている。

 

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稚児ハヤブサ撮影地の道の駅ひがしかわ「道草館」のスタンプは6月1日であったが隣の道の駅「丘のくら」は距離にしてたったの21Kmであったがスタンプは帰浜が近づいた7月9日である。美瑛と富良野はあまり野鳥撮影に縁がなかったのでこの人気の観光地には今まで近づかなかった。今回は道の駅「丘のくら」のスタンプと隣の石造りのJR美瑛駅にノロッコ号の撮影に立ち寄ったのである。その延長線上にラベンダー畑と青い池とぜるぶの丘の花畑観光があった。気まま旅、思い付き旅の写真である。 

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北海道のラベンダー鑑賞スポットとして有名な「ファーム富田」三年ぶりである、前回は家族での観光であった。 

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ファーム内は広く、一年中季節の花が咲いていて、毎年たくさんの観光客の方が訪れる。7月9日の平日であったが駐車場に停めるまで20分位待たされた。園内にはカフェもあり、ラベンダーソフトクリームや北海道産野菜を使用したカレーライス、オリジナルスイーツなどここでしか味わえないものに修学旅行生の行列が見られた。 

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東の十勝岳連峰を背景に紫の絨毯を敷き詰めたように濃紫早咲きが満開 

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富良野盆地の田園風景と十勝岳連峰が一望。 ラベンダーだけでなく、四季折々の花が楽しめる。 

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ここは人が多く、日蔭は少なく、駐車待ち時間が掛かる観光地だが観光客が多い、日蔭から花畑と十勝岳連峰を撮影。 

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同じ日美瑛の青い池も観光客で溢れていた 

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池の周囲には観光客で写真を撮るのに一苦労であった 

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場所によっては青い色に変化がみられる、神秘的な青い池は初観光であったが一人旅でも来た甲斐があった。 

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東川町から花人街道に入り、15kmも走ると道の駅「丘のくら」の手前にぜるぶの丘がある 

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ぜるぶの丘の花畑 

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ここにはケンとメリーの木がある 

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一面に黄色いヒマワリ畑が丘の上に続く 

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帰り際に駐車場からの丘のヒマワリ畑を撮影して美瑛の丘に別れを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年8月12日 (水)

来春廃駅予定の”秘境駅”上白滝駅

 旭川のハヤブサと北見のクマゲラの撮影で国道333号を行ったり、来たりしていた6月中旬の頃に石北線の上白滝駅が地元のTVで取り上げられた秘境駅であるとラジオから流れて来たので俄か鉄ちゃんとして興味を持ち、初の秘境駅探訪の上白滝駅である。

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国道333号際にある民家の横から少し引っ込んだ処に無人の駅舎がありました 

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今年修理したのか入り口左側の新しい板材が目立ちます

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秘境駅の所以は上下各一本の全国一少ないダイヤ、時刻表を調べると隣の上川始発6:16が7:04に到着・発車の網走行、夕方は遠軽始発が17:08着・発の旭川行の上下で二本しかない寂しいダイヤ。遠軽高校に通う高校生の通学用ダイヤらしい。それもたった一人で来春卒業とか?

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二つ目の所以は隣の上川までの距離が34.0km運賃が740円もかかります。時刻表の所要時間は上り(上白滝→上川 1時間08分)下り(上川→上白滝 48分)のひと駅の乗車時間が長時間である。これも日本一の理由の秘境駅。

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ホームから撮影した秘境駅の改札口、入り口も改札口も常に閉まっている

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雑草の中に駅名表示、脇に芝桜が咲き、後方にトイレがある、使用したのは何時ごろかなのか?

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一面一線のホーム、改札口付近からの眺望、雨上がりの曇天であったが初夏の田舎の駅らしい光景、野生のルピナスが盛りであった。

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下り遠軽方面、ここで下車して秘境駅を見学した人は国道を歩いて3.3kmの隣の特急が停車する白滝駅に行くらしい。駅名の上白滝→白滝→旧白滝→下白滝と4駅連続に白滝が入るのも珍しい。

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上り上川方面、この前方で左にカーブして国道333号の下を通り、右手にカーブしながら湧別川の鉄橋を渡る。ここが3つ目の秘境駅の理由とした訳はこの国道の陸橋の上からカーブしている鉄橋を走る、廃車の時期がせまる?特急オホーツクの撮影できる鉄道写真マニアのポイントらしい?

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上川方面から4両編成の特急オホーツク2号が鉄橋を渡る(10:15分頃) 

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国道333号の下を通過する直前のジーゼル特急オホーツクの先頭車

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国道333号の下を通過して上白滝方面へ向かう、特急オホーツク1号の後尾 、旭川行の上りはこちらが先頭になる

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上白滝方向から上川方向へ「上3湧別川橋梁」を渡る特急オホーツク2号(8時50分頃)

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橋梁を渡りきる直前のオホーツク2号

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鉄橋の下を通る天狗平地区農免農道、この道路際に30000年~12000年前の黒曜石が有名な後期旧石器時代の遺跡がある、4つ目の秘境駅の理由?現場は看板だけで山野の風景、遺跡らしいものは何も見えない。

 

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考古学に興味がある人は、発掘品が展示されている、白滝駅前の遠軽町埋蔵文化財センターにはマンモスの化石や黒曜石をたたいて作った尖頭器などの石刃などが見られる、展示されている発掘品の一部を撮影(入館は有料)

秘境駅探訪で国指定史跡「白滝遺跡群」まで広がったが秘境駅「上白滝」探訪は二本の特急オホーツクの撮影、遺跡跡や埋蔵品展示の見学など有意義な半日であった。来年3月に上白滝は廃駅予定の情報があるのでこれからは訪問者が増える予感がする。

7月22日の北海道新聞デジタル版より

【遠軽】JR北海道が21日、来年3月のダイヤ改正に合わせて、オホーツク管内遠軽町にある石北線の無人駅の上白滝駅、旧白滝駅、下白滝駅の3駅を廃止する意向を、同町に伝えたことが分かった。JRは経営合理化の一環として利用の少ない数十の無人駅を廃止する方針を示しており、既に同じ石北線の金華(かねはな)駅(北見市)の廃止方針が明らかになっている。 JR旭川支社長らが同日、遠軽町役場を訪れ、佐々木修一町長に伝えた。石北線をめぐっては、金華駅も来年3月に廃止する方針を示しており、JRは同町に対し、石北線は維持するとした上で、白滝駅には今後も特急を停車させると伝えたという。

 

 

 

 

 

 

2015年8月11日 (火)

蝦夷雷鳥林道の親子連れ

 エゾライチョウはキジ目キジ科エゾライチョウ属L36cmW48cm、漢字名蝦夷雷鳥、留鳥として北海道の平地から亜高山帯の森林に生息。体長は雌雄同じであるが喉の下がもっと黒く、目の上の肉冠と呼ぶ部分が雌よりも大きい雄に林道で出合うと一目散に飛んで逃げるのが♂、♀は雛を連れて採餌訓練の時期であるので飛んでも近くにいて雛に呼びかけている。雛は孵化後一週間前後と思われる。
撮影日6月20日、撮影地 標津町の林道

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林道の轍(わだち)の草のない処で雌親の庇護の下、エゾライチョウ雛が日向ぼっこ、雌親が草のなかにいる雛に呼びかけているようだ、草陰に一羽で3羽の雛が見えた

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常に周囲の警戒を怠らない雌親、雛が起き出した

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雌親が動き出す後を追う一羽の雛、他の雛は先に行ったのか、まだ蕗などの草の中なのか見えない、カワアイサの親子は一列縦隊で歩くがエゾライチョウの雛はバラバラ、正確に何羽の雛がいるのかもわからない、たぶん5,6羽と思われるがあるいは7,8羽か?真相究明の方法分からず仕舞い。

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左の轍から右の轍へ、♪わだち飛べるのよ、林道の中央にいる雌親の前を飛ぶ雛、あまり飛ばないエゾライチョウだが雛でも飛べるが親にピントを合わせている時に偶然撮れた

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雛に焦点を合わす、この時期は採餌訓練で林道に出てくるが草の無い車の轍を歩く時しか撮れない

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雛はあちこち歩きまわるので雛の群れが撮れない!非難したいが雛は車が近づくと草の中に避難

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林道の轍を歩いていた雌親が車があまり近すぎたのか、突然飛んで林道際の枝の上にとまる、体形はずんぐりむっくり

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ここから雛の行動を見張る態勢、歩いていた時は目立たなかった冠羽が逆立つ、警戒態勢のようである、目の上に赤い肉冠が少し見える(雄はもっと目立つ)

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5,6羽の雛がバラバラに逃げる、親と同じように熊笹の中に飛び上がった雛を見つけた、車の直前で近い、よくみると冠羽の気配が見える、図鑑の写真ではこれが孵化後二週間ではハッキリ伸びてくる。

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こちらは灌木の枝葉の中にチョコンととまる雛、熊笹からここに移動

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雌親の方向を見ながら指示を待っているような不安そうな目つきに見えた

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こちらは別個体、雛は軽いので熊笹の上でも載れるようだ、林道の轍での採餌訓練の邪魔をしたようだ。

旅先でブログをUpした撮影直後の6月21、22日の写真を一部を編集し直して再掲。

 

2015年8月10日 (月)

美瑛の丘と富良野・美瑛ノロッコ号

Epson0122花人街道(富良野国道・国道237号線)を旭川から美瑛の丘方面にドライブ、富良野線と並行しながら走る鉄路もある。道路から見える丘にはジャガイモ畑や花畑などが目に入る、目的地の道の駅びえい「丘のくら」とJR美瑛駅の手前で右手にあるぜるぶの丘の駐車場に車を停めた、ここが最初の撮影地。

 

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ぜるぶの丘、顔を写すヒマワリの穴から丘を撮影、加齢が進むと子供に帰る 

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ぜるぶの丘の花畑、この丘はバギー車で周遊するらしい
 

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スカイラインに乗っていた頃が懐かしいケンとメリーの木、
ぜるぶの丘から道の駅ふらの「丘のくら」に向かう

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JR美瑛駅舎、道の駅に車を駐車して歩いて2,3分の街中から撮影

 

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直ぐ近くの線路際にある道の駅びえい「丘のくら」も美瑛駅も重厚な石造りの建屋である。観光用の入場券もこの駅舎が描かれている 

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旭川9:56発の富良野・美瑛ノロッコ号1号が10:25に美瑛に到着すると待ち構えていた大勢の観光客がノロッコ1号に乗り込む

 

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ノロッコ1号の客車 ナハ29000形

 

 

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富良野行はこちらが最後尾、ノロッコ1号のジーゼル機関車DE15形、美瑛駅ホーム端に咲くラベンダーと撮影

 

 

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美瑛駅で10分の停車後に10:35に機関車から黒い煙を吐きながら発車して行った

 

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美瑛の丘の花畑を走るノロッコ号はどこにも見当たらない、道路と並行して列車は平たんな処を走る、こんなことを考える俄か鉄ちゃんであった

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踏切を通過するノロッコ号

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美瑛の丘を背景に走るノロッコ号
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JR上富良野駅舎

Epson0123_4観光用の入場券は販売していない駅であった

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上富良野ホームのラベンダー

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上富良野駅跨線橋の上からDE15形とすれ違う二両連結のワンマンカー

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上富良野はラベンダー畑の発祥の地と駅構内に書かれていた。創業者が亡くなれたニュースを聞いて近くのフアーム富田を観光する。富良野を全国的な観光地にしたファーム富田のラベンダー畑には大勢の観光客が訪れていた。高校生の修学旅行の団体もいた

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フアーム富田の花畑

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美瑛の青い池を初めて観光した、アジア系の外国人も大勢が観光に来ていた人気観光地の青い池

 

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青い池が青く見える理由の説明板があった

2015年8月 9日 (日)

ラベンダー観光の富良野ノロッコ号

 野鳥撮影ではあまり縁がなかった観光地の富良野、昔エゾフクロウとクマゲラで富良野の東大研究林の近く行ったことがあるくらいである。ここは家族で観光したラベンダー畑と温泉の思い出しかなかったが今回の旅で富良野をゆっくり走るノロッコ号など鉄道写真が増えた。ノロッコ号は釧路湿原だけではなく、富良野・美瑛・旭川にも色違いで運行されていたのを初めて知った鉄道音痴。釧路湿原と違いこちらは花人街道(富良野国道237号)と並行して走る姿を撮影できるのも楽しい。

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富良野線の富良野駅を発車してから近くを流れる空知川の鉄橋を渡り、美瑛方面に向かうノロッコ号
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富良野駅には一ヵ月前の7月8日、9日の2日連続で撮影に行った観光地の駅である。下の硬券2枚は8日、上の自販機の入場券は9日に購入して3種の入場券が記念に手元に残った。観光旅行記念の入場券は北の国からの「五郎の石の家と大雪山連峰」

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ノロッコ号が発着するホームの階段にも五郎の石の家が描かれている、富良野は連続TVドラマ「北の国から」の大人気で北海道の観光地になった。

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富良野駅の隣駅は三つ、深川・札幌方面は布部、新得・帯広方面は島ノ下、旭川・美瑛方面は学田駅

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根室本線・石勝線の赤は札幌行特急、黄色は旭川方面へのノロッコ号のダイヤ

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16:49発フラノラベンダーエクスプレス2号札幌行が退避線に入線していた、車両は5両連結、ピンク・オレンジ・グリーン・ブルー・ラベンダーの5色、先頭車両の運転席にはNORTH RAINBOWのロゴマーク、キハ183系

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フラノラベンダーエクスプレス4号のロゴはCRYSTAL EXPRESS、キハ183系

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反対側の待避線に17:36発札幌行4両連結のフラノラベンダーエクスプレス4号として待機

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ノロッコ号が到着すると並んでの撮影、15:00発のノロッコ号は13:54着、暫くの間は乗客の記念写真でホームは混雑する、アジア系の外国人が多かった、富良野も外人観光客で賑わう、ノロッコ号は一時間以上も駅で待機して旭川に向かう

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富良野―美瑛、富良野―旭川間に各1本/日のノロッコ号のジーゼル機関車DF15 因みに釧路湿原のノロッコ号の機関車はDF10

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乗客が下りた後の客車、オハテフ510

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15:00発は富良野→旭川

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客車の内部 

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富良野駅に到着する時は先頭になるオクハテ510形のエンブレム

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おりしも7月8日はラジオから「ファーム富田」創業者で富良野地方をラベンダー畑で全国的な観光地に押し上げた功労者の富田忠雄さんが亡くなったニュースが流れていたので中富良野の「ファーム富田」を訪れて、早咲きのラベンダー濃紫早咲を撮影。ラベンダーの功労者は83歳で満開の時期に旅立たれた。
撮影日7月8日

 

 

 

2015年8月 8日 (土)

宗谷本線音威子府と天塩中川駅

 今回も旅の過去ログは続く、増毛の帰路に寄った音威子府村の宗谷本線音威子府駅と三日後にサロベツから50Kmもある道の駅「なかがわ」に時間切れで不発に終わった二度目のスタンプ押しに懲りずに行き、そのついでに近くの天塩中川駅に寄って来た時の鉄道撮影旅の記録。

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スタンプラリーの道北エリア地図の一部、音威子府の道の駅はサロベツに向かう時にスタンプで寄ったので二度目の通過、ここは国道40号と275号の岐路、前回はここから275号を中頓別・浜頓別を通り238号のオホーツク街道に合流して、猿払村・宗谷岬・稚内に向かったのである。

Epson0011_2鉄道撮影旅の必需品は時刻表の5月号、北海道全線を掲載する654頁の函館本線~693頁の宗谷本線まで特急やワンマンカーの発車時間や通過時間がボールペンや蛍光ペンの書き込みがズッシリある旅の記録となった。

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増毛観光からサロベツに戻る日、雨の音威子府駅

 

_dsc98571駅改札口の運賃表

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音威子府は廃線になった天北線の始発駅であった、その面影が随所に残る 

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廃線直前まで天北線を走る天北号と路線の絵がある

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現在の宗谷本線音威子府駅のダイヤ 

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音威子府駅のホーム、木造のSLがあった 

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雨の音威子府駅の跨線橋、7月1日はこのJR駅に寄ったので道の駅「なかがわ」閉館時間5時に10分遅れたようだ。 

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三日後に寄った道の駅なかがわの帰りに寄った天塩中川駅

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宗谷本線天塩中川駅のダイヤ

 

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天塩中川駅の運賃表

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駅舎と反対側のホーム

 

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鰊番屋風の駅舎とホーム

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特急サロベツ3両編成が上りホームに入線、稚内発 札幌行 天塩中川発15時14分発の到着

 

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特急サロベツのエンブレム、稚内方面のホームからの撮影

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運転席側面の車両名、H E T 183、HETはHokkido Express Trainの頭文字

2015年8月 7日 (金)

留萌本線終着駅増毛の観光

 今年の北海道はあまり天候には恵まれず、紋別から稚内に移動した日は天気が良かったが翌日の6月晦日は雨でサロベツ原生花園へ移動してもカメラを担ぐ気にはならず、この頃は600mmレンズはハヤブサの撮影中にAFが効かない故障により、400mmと三型の三脚の軽い装備である。7月初旬のサロベツは天候が優れず、利尻富士は一度も見ることはなかった。
一日中豊富温泉ふれあいセンターで過ごした日もあった。ここは電源と温泉館内のWifiに接続出来るので朝8時半から夜9時まで温泉・PC・昼寝などが出来る、レストランで食事もできる、65歳以上は一日居ても入浴料は380円で済む。7月1日も9時ごろから雨が降り出し、この日は道の駅巡りに決めた。サロベツ湿
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原から日本海沿いを走ると幌延のオトンルイ風力発電所の巨大な風車が林立する街道を飛ばすと天塩河口大橋を渡るとオロロンライン(天売国道232号)に合流すると間もなく、天塩町の道の駅「てしお」、次は丘の上にそびえ建つ遠別町の「富士見」、利尻富士が良く見える道の駅に付けられた名称も見えなければ只の道の駅。ここから4km南下すると金浦原生花園、既に花は終わり熊笹ばかり、横目に見て通過。初山別村の「☆ロマン街道しょさんべつ」羽幌町の「ほっと♡はぼろ」天売島には二回渡ったが何年にまるか思い出せない、風力発電の苫前

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町の「風W(ふわっと)とままえ」、小平町の「おびら鰊番屋」、道の駅の内部に大漁旗が処狭しと並びヤン衆のいぶきを感じる、隣の重要文化財旧花田家鰊番屋は明治37年の建築、道内屈指の規模で漁夫や船大工など200人あまり収容していた鰊 屋であった。 

 

ここまで来たので留萌本線の留萌駅と終着駅、増毛駅まで足を延ばした、増毛からあと100km日本海沿いに石狩方面に南下すると札幌市である。

 

 

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サロベツへの帰路は小平町の手前から蕎麦の生産量日本一の幌加内町に向かい道の駅「森と湖の里ほろかない」で7つ目のスタンプラリー、蕎麦街道とも言われる、昔クマゲラを撮影した朱鞠内湖道立自然公園の脇を走り、美深町の道の駅「びふか」が8つ目、この日の最後に予定していた中川町の道の駅「なかがわ」に到着したのは午後5時10分、ここは5時で閉館で10分差でスタンプが間に合わなかった、非常に残念に思う山道のドライブとなった。豊富町から二日後にわざわざ豊富からここえ往復100kmの道程をスタンプを押しに来た、こんな無駄が何回もあったのが今回の北海道のスタンプラリーである。

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留萌駅前の駐車場(無料)

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改札口、留萌本線は函館本線の深川駅と増毛駅66.8km間の単線

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発車時刻表は終点の増毛方面5本、深川方面9本、到着時刻は増毛方面より7本、深川方面より8本

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1999~2006年に運航していたSLすずらんのエンブレム、NHKテレビ小説の「すずらん」にタイアップして運航していた。

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二面二線の留萌駅のホーム、撮影時には入線はなかった

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終着駅増毛の線路の終点、観光バスが駐車していた駐車スペースからの撮影、物寂しい感じの終着駅、哀愁列車が来るような・・・

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一面一線の増毛駅のホーム、ここが終点、ニシン漁で流行っていた面影なし

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ホームから駅舎側を撮影、ピンク色の観光バスはノスタルジックな増毛の街並み観光の団体さんが乗っていた、ここはJRで来るには不便な駅、ある種の秘境駅のような感じがする

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終点増毛駅時刻ダイヤ、13時に到着したので列車は見ることなかった

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増毛駅は無人駅、切符・入場券はこの駅舎内の食堂で販売している

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この食堂で購入した二種類の硬券の入場券、毛が増える「ぞうもう」ではなく「ましけ」と読む、髪の毛が心配の人に人気があり、縁起かつぎなのか、お土産にも人気あり、縦型は珍しい入場券、実質は無人駅なので駅構内には入場券なしで入れる。

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増毛駅舎の外観、観光用(お土産用)の入場券はこの駅舎の縦書きの看板の写真。頭の毛の薄い人のお守りやハゲましのお土産用として、入場券としては珍しく包装してくれる。

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駅前にある風待食堂、高倉健・倍賞千恵子出演の映画「駅 STATION」(1981年)の映画内に出てくる舞台「風待食堂」、今も観光案内所として営業中、ここでも増毛駅の入場券を販売していた。 

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駅前通りのレトロな街並みの旅館「増毛館」ニシン漁で栄華を極めた面影を残す、町の住民5000人弱ではTVCMでお馴染みのアデランスとアートネイチャーの増毛(ぞうもう)工場はない、両社ともタイやヒィリピンなど海外生産

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増毛一番の観光名所、丸一本間家の外観の一部、ニシンで栄えた、財をなした古き良き時代へのノスタルジーを石造りや木造の建物が語り継ぐ

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旧商家丸一本間家 明治初期から営業を続けてきた天塩國一の豪商 重要文化財、この建物群は、平成9年3月に増毛町有形文化財に指定され、北海道の有形文化財に指定されたのを受けて、平成12年4月から一般公開、平成15年12月には国の重要文化財に指定。

数々の時代を通り過ぎてきた木造建築物や重厚な石造りの倉庫群は、少しずつ、そして静かに歴史を語りかけてきます。 歩くほどに古き良き日々の残像を心に感じさせる古都・増毛。(増毛町広報より)
      

サロベツ湿原の豊富→増毛164Km、増毛→幌加内→士別→美深181KM、美深→中川→豊富112Kmのルートを走り、9つの道の駅スタンプラリーと三つのJR駅(留萌・増毛・音威子府)の写真撮影、増毛の観光で460Kmを走破、最後の道の駅「なかがわ」は閉館時間5時を10分の差で間に合わず、三日後に豊富から中川町へスタンプラリーで往復100Km走り抜く、失敗しても諦めないが無駄なガスと時間の浪費をしたと反省。

 

 

 

 

2015年8月 6日 (木)

サロベツ原生花園の夏鳥

ひと月前のサロベツ原生花園、まだエゾカンゾウの花が咲いていた頃に撮影したシマアオジなど花と夏鳥です。

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サロベツ原生花園のエゾカンゾウ

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エゾカンゾウの花とシマアオジ

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シマアオジの囀り

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エゾカンゾウの蕾とシマアオジ

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枯れたエゾカンゾウとノビタキ

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シマアオジと思ったらアオジでした

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ツメナガセキレイ

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ホオアカ

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ノビタキ♂

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ノビタキ♀

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ノゴマのソングポイントはハンノキ、一度もエゾカンゾウには来てくれなかった、高いところが好きなノゴマの囀り、遠くの山は青く、くもり空は白く、ノゴマは近く、シマアオジは遠くに

2015年8月 4日 (火)

日本最北端・宗谷本線稚内駅と道の駅

 昨日のブログは道の駅ピンネシリのスタンプラリーで寄った、天北線の廃線駅がある中頓別町の寿公園のSLであったがこの日(6月29日)は紋別市の原生花園で野鳥撮影が一日の始まりであった。

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目的のベニマシコがなかなか見つからず、近くで撮れたのは北海道で繁殖するオオジュリンであった。道の駅はどこでも開館時間が遅く、9時からが一般的である。この日は7ヵ所の道の駅を巡る予定で紋別市を8時半に出発して最初は興部町の道の駅「おこっぺ」に向かった。
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この日の最終目的地はサロベツの豊富町であったが、道の駅は「おこっぺ」「おうむ」「マリンアイランド岡島」「おといねっぷ」「ピンネシリ」ここで廃線駅のSL撮影、「さるふつ公園」の次は日本最北端の碑がある宗谷岬で間宮林蔵の銅像を見物後にこの日二ヶ所目の野鳥撮影は稚内空港近くのメグマ沼の木道でツメナガセキレイを撮影したのは15時頃であった。紋別を出発してから6ヵ所の道の駅に寄り5時間以上経過していた。写真は二枚ともノントリ

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 宗谷岬、日本最北端の地、ここには旅の旅情を誘う「宗谷岬」の歌碑がある


昨年までは道の駅「わっかない」は北海道で114番目に登録された過去二年間では最も新しい道の駅であった、今年から115番目の道の駅として余市郡赤井川村に道の駅「あかいがわ」が新設されたので、最も新しい道の駅ではなくなったが日本最北端の道の駅である。それにJR稚内駅の敷地内に線路の延長線に駐車場があり、スタンプラリーの窓口はJR稚内駅の切符売場の隣にあってJR稚内駅と同じ駅構内にある。

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日本最北端の宗谷本線稚内駅・線路と道の駅わっかない

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反対の駅舎側から道の駅の駐車場方向を撮影

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稚内駅で硬券の入場券を2枚セットで購入すると

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このような来駅証明書が貰える

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こちらは来駅証明書の裏面

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宗谷本線稚内駅構内の列車時刻表を撮影、発車時刻は8本、到着も8本、上下とも特急3本、普通5本だけの寂しいダイヤ

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待合室からのガラス越しに来駅証明書にある線路終端を撮影した

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ホームから線路の終点とガラス越しに待合室を撮影

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ホームに16時49分発、札幌行スーパー宗谷4号が16:30分に入線してきた、終着駅は根室駅と同じようにホームと線路が一面一線の寂しい感じがする。

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到着したスーパー宗谷の先頭車両

 

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札幌行はこちらが先頭車になる

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日本最南端の駅より3181km、道南の函館より道北の稚内まで703km

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17時07発名寄行の入線、キハ54

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名寄行キハ54 512の発車を見送った後はこの日はサロベツへの移動をやめて日本最北端の駅、稚内のさいはての旅の叙情に誘われて一杯飲みたくなった。

 

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北海道では新鮮この店(酖竹林)のおすすめ、時鮭(ときしらず)のルイベは脂がのっていた、北なホッケで一杯、仕上げはウニ丼の小をサッポロ生で流し込む。久し振りの居酒屋で生ビールが進む。稚内の夜は更け行く、いつもの一人酒で一日を回想、目的地のサロベツの50km手前(遠回りした)で沈没。

画像編集ソフトのアドビを昨年6月からPC不調で使えなくなって不便をしていたが新しいPCにadobe photoshop elements 13 をようやくインストールが完了した。先月末に購入してadobeのIDやPWを忘れていたのでインストール出来なかったがAdobeのIDが自分のメルアドと気が付くのが遅く、新しいPWも大小の英文字と数字の組み合わせもややこしかった。まだ不慣れなので十分に使いこなせないが、これからは暗い写真は明るく、トリムも好きな大きさに出来るようになります。本日は野鳥の写真を貼ってあるがカテゴリーは趣味になっていますのでご不便をお掛けします。m( _ _ )m

 

 

2015年8月 3日 (月)

廃線駅・中頓別町寿公園のSL

 北海道の三つまた旅、それとも一挙三得の旅と名付けるか、今回の旅の決算とも言うべき総走行距離と給油量などをここで記録しておくことにした。
野鳥撮影と三年目のスタンプラリーのついでに近くのJR駅や廃線駅に立ち寄った、雨天の日の計画は五木寛之の著書10冊を積んできたので読書の予定であったが道の駅のスタンプラリー70ヶ所、そのついでに最寄りのJR駅や廃線駅や交通博物館などの見学などに変わった、走行距離は昨年と同じ期間でありながら遥かに走行距離が延びて仕舞った。

2015年1月7日の新車登録後9年目、4回目の車検時点の総走行キロ数は
223、348Km
5月16日の横浜出発時点の走行キロ数は
223、904Km
車検後4ヵ月間で556Kmしか乗っていない、ガソリンは一度満タンにしただけでその後の給油量はゼロであった。この間は1月に熱海の梅と熱海桜の撮影で熱海の近辺へ出掛けて往復200Kmが一番の遠乗り、あとは三ツ池公園へ桜の時期に3、4回などで殆ど野鳥撮影はしなくなった。野鳥撮影に嵌った頃とは雲泥の差、月とスッポンである。近所のスーパーへの買い物などのアッシー君に成り下がった昨今である。
7月15日北海道から帰浜時の走行キロは
232、198Km
北海道遠征で8、294Kmで道内分はここから横浜ー大洗港間の往復320Kmを差し引いた
7、974Kmが北の大地を走行したキロ数である。
ガソリン給油量はカードで給油したENEOSのレシートが20枚、ハイオクを合計883リットル、合計金額136、476円、平均して三日に一度の給油であった。北海道は交通量も信号も少なく走り易いので、平均1リットル当たり9・4km/L であった、普段の1・5倍走れた。

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紋別からサロベツ湿原の豊富までは直接行くには182km、オホーツク国道の途中の道の駅は興部町の「おこっぺ」雄武町の「おうむ」枝幸町の「マリンアイランド岡島」の国道238号沿いの3ヵ所である、枝幸町から道道に入り、国道275号線の音威子府町の「おといねっぷ」へ行き、ここは天北線の始発駅であった。ここから稚内に向かう、次は中頓別町の道の駅「ピンネシリ」へ寄る、ここから先は275号と238号の合流する浜頓別、ここからまた道北のオホーツク沿いの238号線の「さるふつ公園」「わっかない」の2ヶ所の道の駅のスタンプラリーを実行すると一日で7つのスタンプラリーとなり、距離は329Km、147kmも増える。この日はこのようにスタンプラリーをしながらのサロベツへの移動日である。
そんな日に寄った中頓別町の道の駅「ピンネシリ」はピンネシリ岳の麓の道の駅である。中頓別町には天北線の中頓別駅があったが1989年(平成元年)に廃線となり、駅も廃駅になった。現在はバスターミナルとなっている。ピンシネリに寄った後、市街地から2Kmの国道275号沿いに寿公園があり、ここにSLが静態展示されていた。

 

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昭和51年3月2日に追分機関区所属のSL49648は引退し、現役としてのSL運転は終焉を迎え、日本の蒸気機関車の最後を飾った蒸気機関車が公園の脇に展示されていた。

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大正時代から昭和初期に活躍した9600型の49648号蒸気機関車が展示されている。

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晴天の白雲が流れる景色のSL

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中頓別駅は、音威子府駅からオホーツク沿岸を迂回して南稚内駅までの148.9kmを結んでいたローカル線だった天北線の一般駅として、1916(大正5)に開業(開業時は宗谷線に所属)。
しかし、天北線がJR北海道に移行後の1989(平成元)年4月30日限りで廃止されたのに伴い、中頓別駅も廃駅となり、現在は天北線メモリアルパークとしてバスターミナルとなっている。中頓別町長のSLを偲びの碑文、この朝日町長も大のSLフアンのようだ。

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寿公園静態展示のSL正面、ここには自衛隊のF104戦闘機も展示してあったが廃線駅近くの公園にSLは似合うが敗戦国に戦闘機は似合わない。

天北線の天北とは旧国名の天塩国と北見国を結ぶ路線からの名称。

 

 

 

2015年8月 2日 (日)

廃線駅・旧湧網線計呂地駅

 旧湧網線は北海道紋別郡上湧別町(網走支庁管内)の中湧別駅で名寄本線から分岐し、サロマ湖、オホーツク海、能取湖等の沿岸を巡って網走市の網走駅に至る。1987年(昭和62年)湧網線の廃線に伴い廃駅になった。
網走市を起点、終点稚内市、経由地紋別市などオホーツク沿岸沿いに走る、国道238号線のサロマ湖沿いにある、旧湧網線の旧計呂地駅(湧別町字計呂地)をそのまま保存した交通公園となっている。蒸気機関車C58と二両の客車、旧計呂地駅舎などが展示されている。SLに連結した客車と元保線区詰所であった「駅長の家」に宿泊することができる。

ここは国道238号をサロベツから知床へ向かう途中に寄った廃線駅である、前週にウトロからここを通過して紋別に向かう時はSLにシートが被り、化粧直しをしていたのでそのまま通過していた。それから一週間後に網走方向へ走行中に工事用のシートが外れていたので寄ってみた。


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塗装などの化粧直しが終了していたので写真を撮影してきた。

 

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ホームの跨線橋の方向からの撮影、客車2両が連結されて展示されている、展望塔も写し込む

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更にホームを下りて後ろの客車を写す、客車は夏季にライダーハウスとして一泊300円

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北海道では各地で見かける開拓百年記念碑がこの公園にもある。

 

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国道と反対側からの跨線橋とホーム

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旧計呂地駅舎、左の入り口は旧計呂地駅時代の鉄道資料展示室があり、計呂地駅で使われていた駅名標や時刻表、各種鉄道用具などが展示されている

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ホームに置いてある大きな石に計呂地駅の歴史が刻まれている

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現役で動くのか?エンジン付きのトロッコがあった

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最後にもう一度国道側からのC58の側面の写真

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 屋根付きの静態展示のC58の正面

旧計呂地駅舎などがそのまま計呂地交通公園となっていた。

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客車の脇にサロマ湖サンゴ草の案内板がある、ここから300m、見頃の時期は9月中旬~下旬とある。撮影日2015年7月5日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年8月 1日 (土)

廃線駅・函館本線旧神居古潭駅のSL

  三笠で4羽のエゾフクロウ雛の撮影中に元国鉄マンでSLの運転歴を持つMさんに蒸気機関車が3台ある処を教わった、俄か鉄ちゃんには最高の情報であった。12号線を三笠から90km先の旭川方面に向かったのは6月10日の時の記念日、深川市と旭川市の境にある国道12号線の神居古潭(かむいこたん)トンネルの手前を左折して直ぐの場所に駐車場があり、川幅が広い印象しかない石狩川がここでは狭い峡谷の間を急流となり、その激流の上に神居大橋の吊り橋が掛かり、この吊り橋を渡り、階段を上ると復元された旧神居古潭駅舎とトイレそれにSLの動輪碑があり、左側には蒸気機関車の三重連が見えます。
8月はまだ整理が完了しない野鳥写真を勝手ながら中断して、趣味の枠を広げた俄か鉄ちゃんに変身します。本日はすべてコンデジの写真。

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アイヌ語の地名表示板に神居古潭とは神の村

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駐車場から吊り橋の神居大橋を写す、橋を渡るとSLと旧神居古潭駅舎がある、この吊り橋は一度に100人以上同時に渡らないでくださいと表示があったがこの日は自分ひとりであった。

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吊り橋の神居大橋を正面から写す、右手上方に駅舎がある

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吊り橋から写した石狩川、緩やかに流れる石狩川しか見てないがここの曲がりくねった急流は川が交通手段であった時代は難所であったと思われる

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旧神居古潭駅舎

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駅舎の説明文(トリム)、この説明板に昭和44年9月30日、函館本線の納内~伊能駅間がトンネル化され神居古潭駅は廃駅となった。


この当時は山形県鶴岡市にある子会社へ出張でよく通ったのを思い出す、急行寝台天の川は上野を午後10時半頃出発して三等の三段目の窮屈な寝台でピーナツでビールを飲み、眠りにつくが停車や発車の度にガタン・ゴトンと衝撃を受けながらの旅を思い出す、午前8時前に寝台をたたむ頃に鶴岡駅に到着であった。工場からは田園を煙を吐きながらSLが走る光景などの郷愁を思い出す。

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 プラットホームと国鉄型の駅名表示と名所案内

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動輪碑の向うにSL三重連のように見えたが実際の展示は離れている

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先頭の96(キュウロク)蒸気機関車

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3台の蒸気機関車の仕様・性能・履歴などが表示されている

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二台目のC57 201

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三台目のD51 6 雨上がりの曇り日であった

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D51の後方からの撮影

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D51 6 正面縦撮り

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C57 201の反対側からの写真

 

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96(キュウロク)の反対側からの撮影

 

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三重連のように見える三種三台のSL
一度に三種三台のSLが見られて、現役時代の煙を吐きながら汽笛を鳴らし、ばく進する雄姿が甦る妄想に浸る・・・しばらくすると今度は三橋美智也の哀愁列車が聞こえる・・・幻聴なのか・・・追憶なのか・・・SLには男のロマンが宿る。

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昨日の商船三井フェリーの火災にはビックリ(@_@)した、今までこの十年間に30回以上利用しているが無事故であったので尚更である。この写真は5月16日午後10時に乗船した深夜便、17日午前1時45分に大洗港を出港、苫小牧港に19時45分に入港した「しれとこ」(今回の火災事故を起こした、だいせつと同型船)の救命艇を出港前に撮影。しれとこ/だいせつDATA・旅客定員154名・乗用車62台・大型トラック160台。事故船は幸いに乗客71名全員無事に救助とあるが、定員の1/2以下の乗客も幸いしている、黒煙の上がる中で救命胴着の乗客が救命艇で避難する映像を見て自分は何を思ったか、今後は火災の原因次第では気軽に北海道には行けなくなる思いがする。

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帰路は7月14日苫小牧港18時45分出港、15日午前4時20分頃、商船三井フェリーさんふらあ ふらの 救命艇の上に出た朝日、乗船したフェリーの往復の救命艇を偶然にも撮影していた。大洗入港は定刻よりも早めの13時40分であった。

今回の火災事故で日本のフェリーの安全神話が一つ崩れた、リスクはいつでも、どこでもあるものと再認識した。

 

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