廃線駅・函館本線旧神居古潭駅のSL
三笠で4羽のエゾフクロウ雛の撮影中に元国鉄マンでSLの運転歴を持つMさんに蒸気機関車が3台ある処を教わった、俄か鉄ちゃんには最高の情報であった。12号線を三笠から90km先の旭川方面に向かったのは6月10日の時の記念日、深川市と旭川市の境にある国道12号線の神居古潭(かむいこたん)トンネルの手前を左折して直ぐの場所に駐車場があり、川幅が広い印象しかない石狩川がここでは狭い峡谷の間を急流となり、その激流の上に神居大橋の吊り橋が掛かり、この吊り橋を渡り、階段を上ると復元された旧神居古潭駅舎とトイレそれにSLの動輪碑があり、左側には蒸気機関車の三重連が見えます。
8月はまだ整理が完了しない野鳥写真を勝手ながら中断して、趣味の枠を広げた俄か鉄ちゃんに変身します。本日はすべてコンデジの写真。
アイヌ語の地名表示板に神居古潭とは神の村
駐車場から吊り橋の神居大橋を写す、橋を渡るとSLと旧神居古潭駅舎がある、この吊り橋は一度に100人以上同時に渡らないでくださいと表示があったがこの日は自分ひとりであった。
吊り橋の神居大橋を正面から写す、右手上方に駅舎がある
吊り橋から写した石狩川、緩やかに流れる石狩川しか見てないがここの曲がりくねった急流は川が交通手段であった時代は難所であったと思われる
旧神居古潭駅舎
駅舎の説明文(トリム)、この説明板に昭和44年9月30日、函館本線の納内~伊能駅間がトンネル化され神居古潭駅は廃駅となった。
この当時は山形県鶴岡市にある子会社へ出張でよく通ったのを思い出す、急行寝台天の川は上野を午後10時半頃出発して三等の三段目の窮屈な寝台でピーナツでビールを飲み、眠りにつくが停車や発車の度にガタン・ゴトンと衝撃を受けながらの旅を思い出す、午前8時前に寝台をたたむ頃に鶴岡駅に到着であった。工場からは田園を煙を吐きながらSLが走る光景などの郷愁を思い出す。
プラットホームと国鉄型の駅名表示と名所案内
動輪碑の向うにSL三重連のように見えたが実際の展示は離れている
先頭の96(キュウロク)蒸気機関車
3台の蒸気機関車の仕様・性能・履歴などが表示されている
二台目のC57 201
三台目のD51 6 雨上がりの曇り日であった
D51の後方からの撮影
D51 6 正面縦撮り
C57 201の反対側からの写真
96(キュウロク)の反対側からの撮影
三重連のように見える三種三台のSL
一度に三種三台のSLが見られて、現役時代の煙を吐きながら汽笛を鳴らし、ばく進する雄姿が甦る妄想に浸る・・・しばらくすると今度は三橋美智也の哀愁列車が聞こえる・・・幻聴なのか・・・追憶なのか・・・SLには男のロマンが宿る。
昨日の商船三井フェリーの火災にはビックリ(@_@)した、今までこの十年間に30回以上利用しているが無事故であったので尚更である。この写真は5月16日午後10時に乗船した深夜便、17日午前1時45分に大洗港を出港、苫小牧港に19時45分に入港した「しれとこ」(今回の火災事故を起こした、だいせつと同型船)の救命艇を出港前に撮影。しれとこ/だいせつDATA・旅客定員154名・乗用車62台・大型トラック160台。事故船は幸いに乗客71名全員無事に救助とあるが、定員の1/2以下の乗客も幸いしている、黒煙の上がる中で救命胴着の乗客が救命艇で避難する映像を見て自分は何を思ったか、今後は火災の原因次第では気軽に北海道には行けなくなる思いがする。
帰路は7月14日苫小牧港18時45分出港、15日午前4時20分頃、商船三井フェリーさんふらあ ふらの 救命艇の上に出た朝日、乗船したフェリーの往復の救命艇を偶然にも撮影していた。大洗入港は定刻よりも早めの13時40分であった。
今回の火災事故で日本のフェリーの安全神話が一つ崩れた、リスクはいつでも、どこでもあるものと再認識した。
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