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2015年9月

2015年9月30日 (水)

カシオペア・日本の秘湯・支笏湖野鳥の森

久し振りに「花鳥風月」の月を風流な気分で眺めた、27日は中秋の名月、時々白い雲が漂う横浜の夜空をドキドキしながら月を待った、夜空にぽっかり浮かぶ名月であった、28日は十六夜の満月、中秋の名月よりも、いざよい(ためらい)ながら50分も遅く月が出た、二夜とも満足した満月であったが十五夜と満月は必ずしも同じ日ではないと再確認の望月であったが9月も今日が晦日である、暇な毎日ではありながら月日に追われている気がする。
さて今回は”カシオペア””日本の秘湯””支笏湖野鳥の森”の三題話である。まず最初は「寝台特急カシオペア廃止へ 来年3月、北海道新幹線開業で・・・」こんなWebニュースを見たのは2週間前だった!来年3月に予定されている北海道新幹線開業に合わせ、9月16日にはJRからもカシオペア運行休止の書面が掲載されていた。
思い出の詰まったカシオペアに乗車して北海道への夫婦旅行は16年前の1999年9月であった。この時は現役を退任する二年前である。十年勤続毎に二十日間の休暇(チャージ休暇制度)が貰える年で9月を事前に選択していた。この年の7月に上野 - 札幌間にA寝台個室のみ、全個室にトイレ、洗面台を備え、食堂車、ラウンジカーの設備を持った豪華寝台列車「カシオペア」が登場した。北海道の紅葉は早い!7月にデビューしたカシオペアの予約を取りに8月に入ってから一ヵ月後の9月の上野発運航日(日・火・金)の寝台券を予約するために朝6時に開始する新横浜駅みどりの窓口へ通った。朝5時50分頃から一番で並び、6時の予約開始直後に取れなかったとのつれない返事を3回も聞いた。いくらなんでも連続三日間(日・火・金)6時前から並び一番に申し込んいるのに「おかしいだろう!」みどりの窓口に苦情を言ってから家に帰ると暫くしてからJR新横浜からキャンセルが出たとの電話が入り、やっと寝台券を手に入れた思い出がよみがえる。同時にダイニングの予約もとった、食事はフランス料理(肉)とフランス料理(魚)と懐石御膳がコース料理であったが懐石御前コースを選び、朝食の予約制度はなかった。カシオペアが開業して2ヶ月後の事でであった。開業した当時からチケットの入手が困難であったが廃止が決まった以降はますます予約が殺到して入手が難しくなったプラチナチケットである。

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カシオペアは1999年7月にデビューした豪華寝台列車で、上野―札幌間を1編成で週3回程度往復。牽引機関車は EF510 上野 - 青森(EF510はカシオペア専用塗装機あり) 青森 - 函館間はED79 函館 - 札幌間はDD51重連(2両連結)と三回牽引機関車がかわる。カシオペアの定員は174人、客車は10両の全室個室寝台車、ダイニング車とラウンジ車の12両となっている。乗車した時は青函トンネルを通過するまで起きている予定であったが寝てしまい、函館で牽引機関車がジーゼルのDD51に変わる早朝に目を覚まし、ラウンジカーの最前列でDD51重連の後ろから移り変わる北海道の景色をSonyのビデオカメラ(ハンデイカム)で撮影した遠くの記憶も甦ってきた。

”日本の秘湯”
「日本の秘湯を歩く」スタンプ帖に宿泊した宿が十軒になると押印されている一軒を選んで一泊二食付きの無料招待がある、日本秘湯を守る会のHPによると、昭和50年の設立、平成26年で40周年を迎えた、ここのコンセプト「旅人の心に添う 秘湯は人なり」 は日本秘湯を守る会の永遠の理念であり、使命としてとして認識し、多くの旅人に支持され、愛される宿の集まりでありたいと願っております。会員旅館は
2015年5月現在会員旅館数178軒。
会員旅館は変動するようだ、1999年9月には北海道では会員旅館は5軒であった。その後は10軒に増えたが2008年に「かんの温泉」が休業してからは現在の会員旅館は8軒である。
16年前の北海道の会員旅館は
高原温泉・大雪山高原山荘
旭岳温泉・勇駒荘
菅野温泉・かんの温泉
丸駒温泉・丸駒温泉旅館
上の湯温泉・銀婚湯
この5軒の秘湯を2週間に分けて温泉旅行をした、9月5日(日)上野から寝台特急カシオペアで札幌に行き、6日に路線バスで支笏湖畔の丸駒温泉旅館泊(最初のスタンプ帖・日本の秘湯を歩く)にスタンプがあるので16年前の思い出が残るへ、帰路は札幌から函館本線の特急スーパー北斗で八雲、八雲から普通列車に乗り換えて落部へ、この駅から銀婚湯の送迎車で宿に到着、宿泊日のスタンプ帖の日付けは9月9日、銀婚湯は大正天皇の銀婚式の日に温泉を掘り当てたのでその名が付く、新婚さんや銀婚さんで賑わっていた。函館観光後の11日に空路で帰浜する1週間の旅行であった。この一週間後に往復空路とレンタカーで残りの日本の秘湯を3ヵ所を回った、紅葉の季節に廻った北海道の秘湯は素晴分らしかった。今日の主題はカシオペアで旅行した支笏湖畔の丸駒温泉旅館である。

日本有数の透明度を誇り、清らかな湖水を湛える、支笏湖のほとりにある一軒宿の丸駒温泉旅館は宿のHPによると、大正4(1915)年、初代佐々木初太郎によってこの地に開かれた当館は、幾度かの建て替えはあれど、今も昔も変わらぬ名湯と、変わらぬ景色で、皆様をお迎えしております。源泉掛け流しの天然温泉は、創業当時よりこんこんと沸き続ける天然露天風呂は大浴場から続く渡り廊下の先にある、全国でも約20か所しかないといわれる、足元湧出湯の天然露天風呂。浴場と湖を岩場で隔てただけの野趣あふれる造りは、創業当時から変わらぬ姿を守り続けています。湯は、支笏湖の湖水と同じ、無色透明。湯の深さも、季節によって上下する、支笏湖の水位と同じ自然まかせのこの風情が、秘湯と呼ばれるゆえんです。当館は、全国の温泉宿からなる「日本秘湯のを守る会」の会員です。季節ごとに変わる景観とともに、支笏の自然と一体になる、ダイナミックな湯浴みのひと時をお過ごしください。・・・これが丸駒温泉旅館のHPによるPRを編集した能書きです。

 

Marukomaonsen2006年6月の北海道野鳥撮影3週間の旅で6月18日にも丸駒温泉旅館の立ち寄り湯に訪れている。その時のブログを抜粋すると「・・・札幌の野幌森林公園でクマゲラとエゾフクロウを捜したが見つからずフクロウの洞を確認する程度でここを去り、支笏湖の丸駒荘に向かった、途中の王子発電所付近にはヤマセミなどがいると聞いたが又の機会にして通過した。丸駒荘は支笏湖畔から湧き出る温泉が支笏湖の水位と同じで深いところは水深1.5mもあり子供は入浴禁止のところ、7年ぶりに来た日本の秘湯を守る会の会員旅館で対岸の風不死岳を望む名物の温泉に入り、心身を癒してから休暇村野鳥の森に来た。観察小屋は感じは権現山に似ているが、池も森林も原生林の中でスケールは全く違う所、日曜日の日中でもたまにバーダーかカメラマンが立ち寄る程度の静寂な場所であった。午後からと月曜日の朝はほぼ独占的にここの池狙いで撮影した。」丸駒温泉旅館を丸駒荘と誤記しているが9年前にも子供は入浴禁止の深い天然露天風呂に癒されたが、湖岸の岩にもたれると背中にも湧出する温泉を感じたので温泉の湧出は足元だけではなかったと思われる、野趣溢れる天然露天風呂であった。支笏湖畔から丸駒温泉旅館までは電信柱が一本もない、100%自家発電の宿である。

”支笏湖野鳥の森”
支笏湖温泉のすぐ南側にはキムンモラップ山(標高478メートル)というこんもりとした小山がある。この山腹一帯が環境省が整備する休暇村支笏湖と中モラップとを結ぶ1.7キロメートルの区間に上下2本の探勝路が整備され、途中には解説板や野鳥観察舎が二ヶ所設置されている。野鳥の森を一周する探勝路は、所要約1時間30分。森林性の野鳥から水辺の鳥まで多様な野鳥を観察することができる。十年前に初めて訪れた時は上の探勝路を歩いたがアップダウンも多く、結構きつかった、その後は探勝路や湖畔を歩いた記憶はなく、毎年支笏湖ビジターセンター前の駐車場に車を停めて、休暇村横の入り口近くの池がある野鳥観察舎に直行している。冬に一度訪れたが休暇村で有料のスノーシューを借りて、三脚とカメラ・レンズを担いで観察舎まで100mの新雪と深雪の雪道を30分以上掛けて歩いたことがあるがやっとの思いで辿り着いたら観察舎の池は雪で覆われていた苦い経験がある、夏は2,3分ところを往復1時間も雪の中でもがいて大空振りであったが今となっては笑い話である。

今年の7月13日に支笏湖野鳥の森・野鳥観察舎・水場に来た小鳥さんです。

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オオルリ♂L16cm幼鳥 頭・肩羽・背羽が淡褐色で瑠璃色が少ない

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キビタキ♂L14cm幼鳥 褐色の幼羽とまだ眉斑・胸などの黄色部分が淡い

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キタキバシリL14cm 幼鳥と思われる まだ羽に黄色味がある

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クロジL17cmの雌なのか幼鳥なのか不詳

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クロツグミ♂L22cm 水浴びの好きなクロツグミの羽が濡れているがまだ褐色の羽色がある、胸・脇腹の黒斑も淡く少ない、嘴・アイリング・足の黄色も淡いので若鳥と思える

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エゾコゲラ幼鳥L15cm 成鳥の嘴は灰黒褐色、この子は下嘴の基部が淡黄色、足が灰茶褐色なので幼鳥と思われる

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シロハラゴジュウカラL14cm ゴジュウカラと比べて体下面白く、橙褐色部が少ない、この個体は橙褐色部が全くなかった。

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センダイムシクイL13cm

 

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ハシブトガラL13cm雌雄同色 北海道のみに分布、低地から低山帯の林に生息 

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ヤブサメL11cm ここで一番小さくいつもチョコチョコしてオドオドしていた、他の小鳥が来ると直ぐ草むらに隠れる臆病ものであった。

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ヤマガラ(山雀)L14cm この子は全体に淡色で胸の黒帯も見られないヤマガラ幼鳥

撮影した7月中旬の支笏湖野鳥の森では若鳥や幼鳥が多く見られた時期であった。


三日前から思い出の豪華寝台特急カシオペアの廃止記事に触発されて書き始めたがいろいろ野暮用で進まなかった、昨日は12月4日に白内障の手術を受ける事前の術前検査であった、10時30分前から午後1時30分頃まで3時間もかかったが途中で急患が入り40分間待合室でぼけ~とする訳もいかず、持参した本(松田忠徳著 温泉教授の温泉ゼミナール)は瞳孔を開く薬を点眼したので読み難くかったが一度読んだ本は斜め読みでもスラスラ・スイスイ・スィ~とスーダラ調読んだが理解・読解はできたようようだ。次回は11月16日院長先生の診察である。ここの眼科クリニックは大勢のスタッフと先生も皆さん優しく親切なので今のところは安心して手術を受けられそうである。


 

 

 

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2015年9月25日 (金)

でっかいどう!岩見沢駅&岩見沢運転所

 天高く馬肥ゆる秋に夏の北海道の思い出、北海道の野鳥撮影はいつものように雨模様の日は野鳥撮影をほったらかして俄か鉄ちゃんに変身して、エゾフクロウ雛4羽の最後の撮影日となった6月9日朝9時には三笠市内の幌内線廃線駅萱野駅跡を撮影していたその足で約4km隣の岩見沢駅に向かった、北海道内で最古の鉄道である幌内鉄道の主要駅として開業した非常に古い歴史を持ち、幌内炭礦・幾春別炭鉱、空知炭鉱から運んで来た石炭を手宮港(小樽)室蘭や苫小牧港へ積み出す貨物列車が多く往来したので岩見沢駅の敷地は北海道でっかいどう!であったが炭鉱の閉山により石炭輸送はなくなり、広い敷地はかっての繁栄を物語る。

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JR北海道HP岩見沢駅より転載した岩見沢駅構内図、右端の連絡歩道橋南口の無料駐車場に車を入れて、3階の連絡歩道から岩見沢駅を撮影する。単式1面1線と島式2面4線を合わせた計3面5線を有する地上駅だが、跨線橋と駅舎3階の改札口が直結しているため構造的には橋上駅 に近い。ホームのない副本線(2・5番線)もあり、2番線は主に貨物列車の発着、5番線は車両の留置などに使用される。夜間滞泊 設定駅であり、7番線以降にも多数の側線を有する。2009年に開業した4代目の駅舎は、3階建て総ガラス張りの駅舎とは思えないぐっとデザイン大賞を受賞した近代建築の今でも新しい駅であり、改札口とみどりの窓口は3階にある。

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岩見沢駅構内の跨線橋と1番線と3番・4番線、6番7番ホームは画面右手に一部見えます

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3番4番線のホーム先端と広い駅構内、線路は12線路まで数えたがここからは岩見沢運転所内の鉄路はわからない

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画面右端の建物は駅構内から撮影した岩見沢運転所、手前はチキ6000形レール輸送用貨物車、中はキハ40 1784気動車 苫小牧-岩見沢の表示が見える

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長い連絡歩道橋の北口から歩いて直ぐに明治時代の建築と思われる赤レンガの建物がある。新しいアルミ製のドアガラスに「JR岩見沢レールセンター事務室」の文字が見える。レンガ造りの建物にはところどころに修復の跡が見られ、社章のような大きな形状の✡印が認められる。
この由緒が.ありそうな建物をウィキぺディアで調べてみた。レールセンターは道内各地のJR路線で使用されるレールを加工を一手に行っており、青函トンネルの全長52kmに渡るロングレールの製造にも携わっている。事務所は旧北海道炭礦鉄道の岩見沢工場材修場を使用しており、近代化産業遺産]および準鉄道記念物の指定を受けているほか、日本建築学会も建築学的に希少性の高い建物として認定している。
岩見沢工場材修場は1892年(明治25年)の北海道炭礦鉄道(現・JR室蘭本線)開通後、車両製造と修理のために建築された施設である。頭頂部に掲げられている五稜星のマークは旧北海道炭礦鉄道の社章であり、現存するものはこれが唯一だと言われる。1898年9月着工・翌1899年8月に完成した建物である。

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岩見沢レールセンターの前に岩見沢運転所の看板

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岩見沢レールセンターにはレール輸送用貨物車チキ6000形が配置されている

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岩見沢運転所の煉瓦造り建物の裏に回り、暫く民家のある公道を歩くと、公道からの出入り口と思われる金網の塀がなくなった部分から岩見沢運転所のレール運搬用チキ6000形を撮影、その奥に客車が見えた

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夏草に埋もれた中に色の褪せた廃車?が留置されていた、夏草で完全には読めないが3両編成の普通列車S-117 クハ711-217 と思われる

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上の写真に連結されている二両目、いずれもコンデジの望遠撮影

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煉瓦造りのレールセンター前に戻り、岩見沢駅7番線ホームを撮る、ここから3階の自由歩道橋から改札口へ戻る

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改札口から1番線ホームから3番・4番・6番・7番線ホーム方向の跨線橋

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跨線橋の6番・7番線ホーム側から3番・4番と1番ホーム・改札口と待合室方向

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本州から来た者にはものめずらしい実物大のそりを引く農耕馬の木彫、一番線のホームには岩見沢始発 11:05発 の手稲行、区間快速いしかりライナーが待機中

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岩見沢競馬場で開催されたばんえい競馬の宣伝用に作成された。銘板には農業用馬の木彫、彫刻家中川貞司氏、馬橇と馬具・装具は実際使用された現物のようだ、昭和55年4月10日から3.4番ホームに35年間も展示されているようだ。2006年(平成18年)にばんえい競馬が廃止された後は1番線ホームに移動されたとものと思われる。輓馬の体重は1トン、ばんえいは「輓曳」、輓馬(ばんば)が橇(そり)を曳くという意味。

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札幌10:00発 L特急スーパーカムイ11号が定刻10:25に6番線ホームにクハ789系が入線してきた

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10:25発 L特急スーパーカムイ11号旭川行が発車した後部を撮影、上は3階建て自由通路、この左手に歴史的建造物の中に岩見沢レールセンター事務室がある

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一番線に手稲行 区間快速いしかりライナーが入って来た、G113クハ731系3両編成

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11:05発 手稲行 区間快速いしかりライナー

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1番線のいしかりライナーと3番線の普通車、右側が駅舎後方が跨線橋

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4番線にL特急スーパ―カムイ18号札幌・千歳空港行が入線してきた先頭車両はクハ785系

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4番線より、11時55分発札幌・千歳空港方面へ発車したL特急スーパーカムイ18号の後部車両クモハ785系

俄か鉄ちゃんの素人には車両形式の調査には時間が掛かるがそれが視力が落ちて車の運転と野鳥撮影が駄目になった暇つぶしになっている。
昨日は21年前のお彼岸の墓参りの翌日に他界した母の祥月命日で彼岸入りの20日に続き、二度目の墓参りであった。7月30日に菩提寺のお施餓鬼、8月のお盆と歳をとるとお墓との縁が深くなる、10月は亡父の祥月命日のお墓参りがある。

 

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2015年9月21日 (月)

縞栗鼠と木走は北海道夏の記録

 諺なのか慣用句なのか、夏の暑い風が吹きやむと男女の間に「秋風が立つ」とか「秋風吹く」とは、秋は飽きに掛けて愛情が冷めることを言うらしいが肌寒い風が吹き始めた今頃になって夏の北海道の思い出が甦ってきた。時は大多数の国民が反対する安保法の厭き風が国会などで吹き荒れたSW(シルバーウイーク)の真っ最中であるが、このSWも前回は2009年、今年の2015年の次は11年後の2026年にならないとSWは来ないらしい、毎年あるGWとは大いに異なる大形連休であるが、10年以上前に現役を離れ毎日が日曜日のシルバーライフをおくるシルバーエイジにはあまり関係がない、恩恵もないSWでもあるが今年はお彼岸の墓参りがSWの行事である。

今回は夏の北の大地で池の周囲に来た5本の黒い縞の間にシルバーなのかクリーム色なのか、縞模様のある蝦夷シマリスと水場に水浴びに来たゴールドなのか黄色気味の羽色の北キバシリが同じ木で餌さがしをしていた。地中に巣があるエゾシマリスと樹木に巣があるキタキバシリが同じ場所での採餌である。7月12日の午後3時半頃のエゾシマリスと午後12時半頃のキタキバシリは場所が同じでも採餌の時間差は2時間あった。

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エゾシマリス 頭胴長12-15cm、尾長が11-12cm

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キタキバシリ 全長L14cm

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木に上るエゾシマリス

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同じ場所に来たキタキバシリ、水浴び後の姿のようだ

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更に上に上るエゾシマリス

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同じ枝の下のキタキバシリ、嘴がかなり細く下に湾曲している

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エゾシマリス更に上を目指す 

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キタキバシリが樹皮の隙間や木の割れ目で採餌

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後姿は5本の黒い縞がよく見える

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体長と同じような長さの尻尾

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木に登らずUターンもある

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エゾシマリスが乗っていた斜めの木の裏でキタキバシリがゴジュウカラの真似か

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まだ若いキタキバシリのようだ

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動きが早いのでなかなかピントが来ない

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暗い場所でシャッタースピードが上がらなかった

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2015年9月18日 (金)

人生の旅と旅行、思い出に惹かれて善光寺参り

北海道の旅から帰浜して2ヵ月以上経った、この間は一度だけお盆が終わった直後に孫どもと信州へ家族旅行をした。お盆も終わり観光地も空いたと思われる1ヵ月前の8月17日~19日2泊3日の善光寺参りから始まった旅行であった。
2,3年前までは伊東園グループはどのホテルにも白地のタオルに青字で「人生は旅」のタオルであった。今の伊東園ホテルズは「気軽に、気楽に、身近に温泉」が旅行の売りである。タオルも無地に変わっている、365日同一料金・朝夕バイキング・夕食のアルコール類飲み放題の低コストが売りの伊東園グループが文字を省いたコストダウンかと思っていたがこれはどうやら思い違いのようだった。「旅」と「旅行」は違うものと気付いたようである。もしかするとこれも自分の思い違いかもしれないが・・・

今回のテーマは「旅と旅行」の違いである。BSジャパン7chの「ローカル線気まぐれ旅」というTV番組は毎回異なる男女二人のタレントが一緒にローカル線の起点から終点までを一泊二日の旅をしながら、その地元の人が薦めるローカルの名所旧跡、名物やグルメの旨い処などを聞きこみ、10ヶ所を探す旅番組であるがこの番組のローカル鉄道風景を毎回楽しみにしている。この旅番組の最大の特徴は指定されたローカル線の時刻表と地図だけを頼りにその土地の人に聞き込み「10ヶ所の名所を巡ること」と「「宿泊場所を予約していない、毎回飛び込みの宿泊」である。旅の目的地と宿泊地が事前に決まっていない「気まぐれ旅」である。これを「気まぐれ旅行」とは言わない。

今までの人生で「旅行」は目的地(観光目的・物見遊山)への日時と交通機関・宿泊するホテル・旅館などを事前に調べて、旅行会社やネットなどで予約する旅の行程が決まっていた。「修学旅行・卒業旅行・慰安旅行・新婚旅行・家族旅行・海外旅行」などを経験してきたが、企業の研修旅行や招待旅行、仲間とのグループ旅行などもあった。今年4月の結婚五十年の金婚旅行は特例である。夫婦それぞれの山あり谷ありの「人生は旅」を歩んできた二人とも長生きして金婚旅行を迎えたのである、50年前の思い出作りの新婚旅行を新婚旅と言わないように金婚旅の言葉はない。

今年の北海道の旅も「気まぐれ旅」と同様にあらかじめご承知された目的地がない60日間の旅であった。野鳥撮影と道の駅スタンプラリーと今年からは鉄道写真が増えて3テーマを巡る北海道ひとり旅、一人旅の言葉はあるが一人旅行の言葉はないようである。

伊東園グループのホテルは倒産したリゾートホテルを買収して365日同一料金で人気があり、観光シーズンによってはなかなか予約が取れないホテルである。お盆の旅も現役の家族もいるのでお盆休みの一ヵ月前に予約を入れたが満室で予約が取れず、やむなくお盆休み後にようやく予約が取れたのである。予約なしで泊まるのが旅の醍醐味でもあるが伊東園グループのホテルは予約なしでは泊まれないので「人生は旅」の名入りタオルを廃止したのは当然と思われる。「人生は旅行」の言葉は聞いたことがないし、新語・造語にしてもなかなか馴染めないフレーズでもある。一枚のタオルから旅と旅行の違いを思い知らされた。

ここで自分の考えている旅」と「旅行」の違いをまとめてみたい。
BSーTVの旅番組「ローカル線気まぐれ旅」は二人連れの観光とグルメの気まぐれ旅であるが自分の場合は旅の行程が殆ど決まっていない、北海道行き当たりばったりの一人旅であった。最初は野鳥撮影が目的であったが昨年から道の駅スタンプラリーが増え、今年は更に観光しながらの鉄道テーマが増えて、横浜の日常生活の場とは全く違う、現実の生活の場から遊離した、非日常の生活の中にどれが一番の旅の目的なのか、何が目的を達成したのか、しないのか、迷いながらの老いぼれのひとり旅と言えるかも知れない、或いは老いても男の夢とロマンを追い続ける冒険の旅といえるので暴健の旅かもしれない。

今年の自分の「旅行」は「旅」とどのように異なるのか振り返ってみた。
25歳の4月に九州一周一週間のハネムーンは思い出のおぼろの中にあるが今年75歳の4月に石垣・沖縄への一週間のフルムーンは結婚五十年を記念する金婚旅行であった。この旅行のはじまりは二ヵ月前から航空便の時刻表調査から航空券の予約、観光目的地のホテルの予約、石垣島ガイドさんの予約、沖縄の五日間のレンタカー予約など旅行の始まりは予約が始まりであった。旅行に行く前から行程表作りから楽しみが始まるのが旅行である。
今年は
「気軽に、気楽に、身近に温泉」365日同一料金・朝夕バイキング・夕食のアルコール類飲み放題、バイキングプランの伊東園ホテルズに宿泊する旅行に3回行った。
正月は熱海の岩盤浴と温泉の伊東園ホテル熱海館、5月は花火の日に熱海ニューフジヤホテル、8月のお盆休みの週に善光寺参りと信州・戸倉上山田温泉のリバーサイド上田館と翌日は白樺湖畔の白樺湖ビューホテルに宿泊、どのホテルにもあるカラオケと卓球など孫どもは行く前から楽しみにしていた。
旅は行き当たりばったりがある迷いながらの行程があるが旅行は計画の段階から複数の家族が旅行の楽しみが味わえる迷いのないものである。

牛に引かれて善光寺は昔話、三回目は思い出に惹かれて善光寺参りの家族旅行

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雨の善光寺参り、8月17日の本堂前の盆踊りの櫓と提灯飾り

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善光寺本堂、旅行は雨でも行程は予定通り進むので平日でもお参りの人が多い、娘から善光寺「爪彫り阿弥陀如来さま」の有名な目のお守りを授かってもらった。この旅行は往復とも車の二列目の座席で観光であった。

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善光寺本堂の説明板、本堂の歴史と本堂床下の45メートルの真っ暗闇の回廊「お戒壇めぐり」の説明がある。3回目のお戒壇めぐりであったが今回も暗闇の中にある錠前に触れることが出来なかった、連合いは今回も触ったと自慢していた。触れるコツは暗闇の中では手に触れる壁から一度も離れないことである。江戸っ子は気が短いので45メートルも人込みで混雑する暗闇の壁に触り続けることは出来ないのである。

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善光寺の次は明治33年に開業した姨捨駅舎を昭和9年当時の二代目駅舎をイメージしてリニューアルした現在の駅舎、来駅記念入場券

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宿に行く前に姨捨伝説の姨捨駅の入場券をゲットする

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姨捨駅のホームでは撮り鉄ちゃんがスイッチバックの写真を撮りに集まっていた

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姨捨駅から撮影した「姨捨の棚田(田毎の月」、今年の中秋の名月は9月27日、好天ならば姨捨駅はフルムーンの名月を見物に来る人で賑わうことであろうか、水田に水がない時分では田毎の月はないだろうと他人事に思う

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雨が止んで宿泊したのは、伊東園ホテルズの365日同一料金・バイキングプラン、飲み放題の一泊二食7800円(消費税・入湯税別)のリバーサイド上田館、善光寺詣りの精進落としの湯として、古くから親しまれてきた戸倉上山田温泉の風景

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リバーサイド上田館の展望風呂、外は千曲川河畔

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美人の温泉に癒され、展望風呂から千曲川河畔の風景に包まれる宿であった。

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晴天の翌朝は来年の大河ドラマ「真田丸」ゆかりの上田城見物、天守閣は現存しないので見学は左側の南櫓から入り、中央の復元された東虎口櫓門と右の北櫓に陳列してある上田城の遺跡瓦などと火縄銃などの武具を見物、見所は櫓門右手の巨大な石垣の真田石

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本丸跡は芝生の広場、建物は東虎口櫓門・南櫓・北櫓・真田神社・西櫓の上田城址

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二日目に宿泊した白樺湖畔にある白樺湖ビューホテル、ここも伊東園ホテルズの系列、リバーサイド上田館と同一料金・同一条件の宿泊であったがバイキングも温泉もこちらの方が劣るようである。

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白樺湖ビューホテルの温泉、両サイドの壁側から温泉が流れ出ているが自噴の掛け流しではない、引湯するには遠い芹ケ沢温泉から運ばれた温泉を循環ろ過している。 

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壁際からざあ~ざあ~と浴槽にお湯が流れ落ちるのは循環ろ過の湯である

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掲示してある元湯の温泉分析書元は芹ケ沢温泉だが循環ろ過している条件(加温・消毒剤など)が不明である、翌朝は肌の弱い、アレルギー体質気味の娘の顔が赤く腫れたのは塩素系の消毒剤が原因とみられる。

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国宝・松本城、左の赤い橋は埋橋、右端の赤い欄干は月見櫓

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天守閣からの赤い橋(埋橋)

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娘の家族5人とも国宝松本城の見物は初であるが娘は幅広の帽子にサングラスを掛けての見物であった。翌日近所の皮膚科の治療で三日後に全治したが、今後は循環ろ過の温泉は注意が必要である。
夫婦ふたりの温泉旅行は日本の秘湯などに行くが孫夫婦と一緒の時は料金が安い伊東園ホテルズが多い、今回は温泉の当たり外れを経験した家族旅行であった。

 

 

 

 

 

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2015年9月14日 (月)

三笠市の歴史と幌内線廃線駅萱野

_dsc39880三笠市(みかさし)は、北海道
の空知地方南部にある市。
炭鉱で栄えていたが、相次ぐ
閉山で人口が激減。過疎が
進む町となり、2012年10月に
は人口が1万人を割り込んだ。
北海道の石炭と鉄道、『北海盆唄』発祥の地であ
り、三笠メロン・三笠スイカ・三笠たまねぎや三笠
あすか梅の杜(旧三笠梅林邦梅園)の梅、炭鉱史
跡群、アンモナイト化石等が有名。地名の由来は、
明治時代に存在した空知集治監の建物の裏山が
奈良の三笠山
に見えることから。(出典:ウィキペ
ディア)

三笠市の国道12号線にある、太古の湯とイカと
タコの仲間が1億前は海で泳いでいたアンモナイ
トの化石がある道の駅「三笠」から116号線を道
央道三笠ICの前を通り、三笠総合病院の手前に
ある、珍しい名前の市来知(イチキシリ)神社へ
向かう途中に写真のような立て看板がある。三笠
市は北海道の鉄道と石炭発祥の地として栄えた
歴史のあるところであるが現在の人口は最盛期の
1/5以下の過疎化が進む街となっている。ここに
季節が来るとエゾフクロウの撮影に道内・道外から
鳥撮り屋さん集まって来る。

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三笠市文化財となっている市来知(イチキシリ)の
空知集治監の典獄官舎レンガ煙突の由来説明板。
多い時は3000人余の囚人が収容され、未開の土
地の開墾や道路の開削、幌内炭鉱採掘作業に
従事していたなどが記載されている。
 

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ここはアイヌ語のイ=チキル=ウシまたはイ=チャル=
ウシ(熊の足跡が多い)がイチキシリに
転訛して当て
字された「市来知村」と呼ばれていたが、
集治監
(しゅうじかん)とは、明治時代に作られた刑務所の
前身で、所長は典獄と呼ばれ、空知集治監にあった
裏山が奈良の三笠山に似ているという、囚人が望
郷の念をこめて当時から三笠山と呼んでいました。
明治23年に典獄官舎が新築された際の煙突、レン
ガは空知集治監自製で屋根瓦も製作していた。

 明治39年(1906年)、市来知・幌内・幾春別の
三村合併ときにこの山の名
を取って三笠山村としま
した。  昭和17年に三笠町が誕生し、昭和32年に
三笠市(北海道内で22番目の市)
となりました。
(ウィキペディアと三笠市のHPより編集・転載)
今は明治時代の赤レンガの煙突だけがポツンと
建つ侘びしい風景といまでも緑豊かな三笠山が
当時の面影を残す。
 

市来知(イチキシリ)神社で「杜のフクロウを守る会」
のボランティアさんのお世話になりながら6月9日に
エゾフクロウ雛四羽が並んだ日に、市来知神社から

また幌内線廃線駅の撮影に出掛けた。
幌内線は1882(明治15)年、石炭輸送のため小樽
(手宮)幌内間に敷設された
北海道で最も古い鉄道
路線(国内3番目)。既に三笠鉄道村・鉄道記念館の
ある幌内駅跡とクロフォード公園の三笠駅跡(前身は
幌内太駅)はブログUP済であり、今回は同じ三笠市内
にある隣の萱野駅跡の写真である。

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幌内線萱野駅跡にある記念碑

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萱野駅舎の全景、宿泊施設のライダーハウスに
なっている

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貫禄がある古めかしい萱野駅名が入り口に掲げら
れてある

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ホームに静態保存の連結器に固定された時計が
風変りに見える

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一面一線のホームに車掌車ヨ8000型が静態展示

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駅舎から反対側からの撮影、隣の三笠駅名が幌内太
と岩見沢なっている時代の駅名表示

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幌内線は1882(明治15)年、石炭輸送のため小樽
(手宮)幌内間に敷設された北海道で最も古い鉄道
路線(国内3番目)。萱野駅は1913(大正2)年に開設、
1987(昭和62)年に幌内線の廃止とともにその役目を
終えた。廃止直前の幌内線は、岩見沢駅で函館本線
から分岐し、三笠市の幾春別駅とを結ぶローカル
路線として運行。石炭産業と盛衰をともにした路線の
ひとつ。現在の萱野駅は2001(平成13)年に地域住民
の活動によって再生されたもの。ライダーハウスとして
開放されている。(出典:ウィキペディア)
左後方はライダーハウスの部分

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旧萱野駅周辺の緑化事業

この撮影の後は隣駅の岩見沢に向かった。

今日のブログは写真が数枚ボケてしまったが原因不明です?

 

 

 



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2015年9月10日 (木)

北海道初の鉄道、廃線駅跡地のクロフォード公園

 今夏の北海道で俄か鉄ちゃんに変身したのでもとより旅の前の事前調査や鉄道史については全く疎いのである。雨天の日はエゾフクロウの撮影を中断して三笠市内を観光ドライブしていた。

 

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クロフォード公園は8月24日のブログ「三笠鉄道村・鉄道記念館」に行くときに素通りした、三笠鉄道記念館の分館的な鉄道公園施設であり、三笠市街地の南部、旧幌内線三笠駅(幌内太)の跡にある。こちらにも北海道で使用された鉄道車両が静態保存されているほか、旧三笠駅の跨線橋とホームが保存されている。旧幌内太駅の駅舎も復元されて鉄道関連グッズの売店になっている、当日は雨天で鉄道記念館まで2・5kmのトロッコ鉄道の運行は中断されていたが乗車手続きと切符もここで販売している。公園の名称は、北海道初の官営幌内鉄道設を指導したアメリカ人鉄道技術者ジョセフ・ユリー・クロフォーにちなむ(ウィキぺディアより編集)写真は復元された旧幌内太駅(旧三笠駅の前身)。

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ホームにあるクロフォード公園の表示板、雨天の撮影でレンズに雨滴

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雨の滴がレンズに付着したのか?駅舎入り口がぼやけている気がする

 

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駅舎内のクロフォードの像

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鉄道グッズ販売の駅舎売店内

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駅舎前からホームの跨線橋

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特急おおぞらの食堂車・グリーン車など6両編成、キハ82100、キハ80150、キロ8052、キシ8027、キハ80145、キハ8287、静態保存とは思えない迫力がある

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車掌車 ヨ8006 先頭はDD51 548の4両目はこの車掌車

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DD51 548

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DD51 548側面、奥に駅舎が見える

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DD51 546の二両は小麦用ホッパ車ホキ2200

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DD51 548に牽引されて静態保存のホキ2200の3両目はホキ746

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3両目のバラスト運搬積用のホッパ車、ホキ700型の側面

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最後にもう一度キハ80系の特急おおぞら6両編成の静態保存

 

 

 

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2015年9月 7日 (月)

蝦夷猪独活(エゾノシシウド)と野鳥

 2014年の流行語大賞は「ダメよ、ダメダメ」であったが、まさか自分の目が駄目・ダメになるとは想像だにしていなかった。
北海道遠征から帰浜してから毎日の写真の整理とブログで長時間のPCが原因だったのか、驚くほど急速に視力が落ち、8月末に近所の眼科で視力検査の結果は、裸眼と矯正とも左目が0.02、右目が0.5であった。視界に入る全ての物が朧にしか見えない、左眼は白内障の手術をすることになったが市内の白内障専門眼科で4ヵ月待ちの12月にオペの予約がとれた。
3月の免許更新でこれまでの運転免許証は裸眼から眼鏡使用になったがメガネ作成時は矯正で0・8であったので短期間に極端な視力低下である。
駄目(ダメ)は日常語で「してはいけない」「価値がない」の意は囲碁用語から転じたものといわれるがこれ以後の日常は車の運転も野鳥撮影もダルマさん(手も足も出ない)になりそう、今年は北海道遠征中の野鳥撮影が最後になるカモ。

 今年最後になるかもしれない夏の北海道の野鳥写真の続きです、道北の海岸に群生する猪独活(シシウド)なのか蝦夷猪独活(エゾノシシウド)なのか、それとも同じセリ科の白い小さな花が傘状に密集して咲くシシウドに似た花のアマニュウ・ハナウド・エゾノヨロイグサなどと見分けが難しい花に野鳥が囀っていました。花の名前は朧ですが野鳥の方はなんとかわかりました。

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まだ蕾の花にノゴマの囀り

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コヨシキリの囀り

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まだ蕾に片足立ちのノゴマ 

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シマセンニュウ

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ノビタキがちょこんと座りに見える

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オオジュリン 

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オオジュリン 

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オオジュリン

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エゾニュウのように見える花の蕾にコヨシキリの囀り 

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コヨシキリ

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カワラヒワとカワラヒワ幼鳥、蕾もシシウドではなさそう

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エゾノシシウドでノゴマの舞、これでお仕舞

今日は一週間ぶりのブログになりましたが白内障が撮った、選んだ写真はダメよ、ダメダメ みたいになりました。

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2015年9月 1日 (火)

怪草木エゾニュウの花とノビタキ

 サロベツ原野で一際(ひときわ)異様に大きい草木のエゾニュウとノビタキの思い出、エゾニュウはセリ科シシウド属では一番大きく草丈は1~3mにもなる、昔オホーツクの海岸で6月に初めて見た時は人頭大のキャベツの塊から葉茎が出てくる怪物を見た気がした。茎先に大きな複数の白い花が多いのが特徴。花期は7~8月この白い花に誘われていろいろな虫があつまるのでノビタキなどの野鳥がこのエゾニュウに採餌に来る。
「エゾ」は北海道、「ニュウ」はアイヌ語で、食用・薬用になることに由来していると言われる。この怪植物は人もクマも芽吹きの頃に採取・採食するそうです。
撮影日7月3日サロベツ原野の海岸

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エゾニュウの花に来た全長13cmノビタキ、ノビタキと比較するとこの花の大きさが分かる

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無心に虫を探しているノビタキ♂直立した太い茎は、上部でいくつも枝分かれしている

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ダンスのように花の上で舞う、虫取りの舞

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エゾニュウは一つの茎に一つの花、静止のノビタキ

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逆光の中でノビタキ♀の虫取りの舞

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花が開く前の鞘にとまる♀

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花が開く前の鞘の上で虫を咥えるノビタキ♂

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海岸に咲く巨大なエゾニュウの花が開く前の鞘の上にノビタキ♂ 

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エゾニュウの紫色の茎にとまるノビタキの幼鳥と思われる

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エゾニュウの茎にノビタキの幼鳥  

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最後は開花し結実して枯れ死したエゾニュウの実を採食するシマリス

春先はクマが好んで茎を食べ、人もエゾニュウの山菜とりにクマのエリアに入る、夏の白い花の盛りは昆虫が集まり、野鳥が採餌に来る、枯れ死した後にシマリスが採食に来る北の大地の魅力が詰まった怪物である。 

 

 

 

 

 

 

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