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2015年11月

2015年11月25日 (水)

断捨離始めました!ダンシャリアンです

最近よく耳にし、目にするようになった「断捨離」の三文字、断捨離をする人を「断捨離アン」とか「ダンシャリアン」と呼ぶそうです。出版した関連書籍が累計300万部を超える「断捨離」考案者の「やましたひでこ」さんのお宅を訪ねる元おニャン子クラブの新田恵利さんのTV番組を見ました。

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番組名はBSジャパン7chの番組、輝き人~何歳からでも楽しめる人生~。
毎週土曜日 夕方6時からの30分 放送.。この番組のコンセプトはひとつの道をきわめた人だけが放つ「輝き」その輝きはあなたを変えてくれるかも しれない、ある分野でその道をきわめようとする人を著名人が取材。 彼らの仕事ぶりや ライフから日々を過ごすヒントを発見します。
今回は11月21日PM6:00からBSジャパン7chの番組輝き人は「やましたひでこ」さんが登場。番組のタイトルは断捨離で変わる人生~必要なモノと不必要なモノ~」 やましたひでこ(右)×新田 恵利(左).。この番組で断捨離と収納術の違いを知りました。この後編はBSジャパン・テレビ東京系BSデジタル7ch 11月28日 午後6時の予定です。断捨離を学ぶために忘れずに後編を観たいと思います。

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さてなぜこのTV番組に興味を持ったのか?実は今年から後期高齢者のお仲間に入り、人生のクライマックスとも言えた林住期が終わり、来年からいよいよ遊行期に入ります、この世とのお別れの準備としての終活の一環として、9月から断捨離の真似事を始めていました。
まず初めは物置からあふれた物を収納していたレンタルボックスの整理です。16年前から契約中の(株)加瀬倉庫のレンタルボックス4帖タイプの解約が第一歩でした。レンタルボックスは家から4kmの距離にある第三京浜港北ICの出口横にありましたが、港北IC新出口の建設で数年前に都筑区川向町に約500m移動したのが上の黄色い看板(4帖の大きさ)の写真です。横浜・川崎・東京でよく見かける倉庫会社です。まだ現役時代の1999年9月に賃貸契約してから一年毎の自動延長でなんと16年も経過しました。この度今年の9月に解約を申し込み、10月末まで一ヵ月掛かって中の荷物を処分していました。4帖タイプの大きさは幅X奥行X高さ=2.20mX2.75mX2.25m=13.6立方メートル。因みに所有するマンションの物置は120cmX120cmX200cm=2.9立方メートル。約4.7倍の物置を外部に借りていたことになります。平成11年9月から27年10月まで上段の税込み月額16200円(下段は27000円)で16年間の月額レンタル料は優に300万円を超えていました。

レンタルボックスには70cmX35cmX30cmのプラスチックの衣装ケースが20個(中身は衣類・鞄・バッグ・本・雑誌・VHDカセットテープ・DVD・CD・レコード盤・写真・アルバムなどの滅多に使わない物品の山)、洋服掛け2台に40着の服と背広・コートなど、自分の古いPC、子供のゲーム機、おもちゃと遊具、Samsoniteの旅行鞄2ヶと海外出張用のSamsoniteのスーツケース、ゴルフバック3セット(自分のと家内と倅)、カメラと家電製品の空箱などガラクタの山でした。
6,7年前までは自分のゴルフバックは玄関に置いていましたが右手首の腱鞘炎でゴルフをやめてから物置に移動、二年前に北海道での右手首関節の骨折で更にレンタルボックスに格下げになりました。最初に処分したのがこのゴルフバック3セットです、市営地下鉄の二駅先にある新羽駅から歩いて5分の買取り屋に車で持ち込むと査定額は3セットともゼロ円でした、5年以上経ったゴルフ用品は値が付かない、只でも良かったら引取りますと言われて自分以外の2セットはその場で引き取って貰い、気持ちが収まらないので自分のゴルフセットは持ち帰り、譲る先を探して欲しいと言われた義理の息子(娘の旦那)に譲り、なんとか破棄処分を免れました。自分の断捨離の第一歩はこのようなゴルフセットの処分から始まりました。

レンタルボックス4帖を借りている(株)加瀬倉庫の本社は新横浜駅前に10階建ての本社ビルがありますので7階の受付で解約手続きをしました。9月に解約手続きをして10月中に空にしなければなりません、加瀬倉庫の系列の加瀬運輸では不用品の回収処分をしていますが4帖全部の処分費用95000円、引取り費用30000円総額125000円掛かります。16年間にレンタルボックスに持ち込んだ家財は捨てる目的で持ち込んだ訳ではなく、一時保管のつもりがズルズルと16年間も増え続けた物です。まずは仕分け作業でした、この際に「捨てる物(売れそうな物とゴミ捨て場行)」「物置に入れる物」「家に持ち込む物」などの一時仕分け。その前に物置の中もこのような仕分けを行い、キャンプ用品などを破棄して満杯だった物置の中身を約半分にしたが物置の約5倍の広さのレンタルボックスの物を移動するにはスペースは猫の額でした。

横浜市の清掃車がゴミ収集に来る日、月(燃えるゴミ)・木(プラスチック)・金(燃えるゴミ)・土(ペットボトルと缶)に数十回に分けて破棄しましたが全てのゴミを清掃車が持ち去ってくれました。自治会が火曜日に収集している資源ゴミ(アルミ缶・段ボール・新聞紙)などはレンタルボックスと物置からは出ませんでした。

次回はプラスチックの衣装ケース20箱の中身の仕分け方法とリサイクル方法、BOOK・OFFなどへの買取り屋への持ち込み、学童バザーへの出品などについて語りたいと思います。それでは今週28日の土曜日PM6時BSジャパン7chの断捨離アンの後編を見てから、このブログの後編をまとめたいと思います。

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2015年11月17日 (火)

国鉄の思い出✡ディスカバージャパン

微かな記憶の断片しかない43年前、ディスカバージャパンのスタンプ帖16頁にある当時の北海道国鉄路線図とスタンプを置いてある駅の地図から話を始めたい。その前に11月17日は将棋の日、徳川家康は将棋好きで将棋を幕府の公認にした、八代将軍徳川吉宗も将棋好きで旧暦11月17日に行われた「御城将棋」に由来して新暦の11月17日を日本将棋連盟が将棋の日とした。

現在の時刻表にある北海道路線図と比較すると俄か鉄ちゃんのみならず、何方でも一目で路線図の違いに気付く。このブログでもフクロウ撮影の三笠市の幌内線廃線駅跡を訪ねた旅でも書いたが1882年(明治15)開業の官営幌内鉄道から始まり、北海道の鉄道は輸送インフラとして北海道開拓に多大な役割を果たしたが石炭から石油への変革により、産炭地の衰退とそれに伴う北海道自体の人口減少とが相まった。マイカーの普及によるモータリゼーションの進展は、国鉄北海道の大半が赤字路線となり次々と廃線に追いやられた歴史がこの路線図から垣間見える。今年の8月11日JR北海道の発表でも留萌本線の留萌―増毛間が来年度中に廃線されることが決まった、この区間は輸送密度が極端に低く、一列車平均乗車が3人の赤字路線ではやむを得ないと思われるが地元の観光地、増毛町の痛手は大きい。北海道新幹線開業の明と暗の赤字路線の廃線・廃駅の明暗はこれから先も交錯すると思われる。

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43年前は主要幹線・本線からの枝線や盲腸のような支線が数多く見える。現在のオホーツク海沿岸の鉄路は釧網本線の知床斜里~網走しかないが網走から北への路線では湧網線・名寄本線・興浜南線・興浜北線・天北線などのオホーツク沿岸の廃線となった路線が目に付く、日本海側は幌延・天塩から留萌までの羽幌線と名羽線・深名線などが廃線となっている。道央の手宮線・岩内線・胆振線など、道南の瀬棚線・江差線・松前線など、道東の広尾線・白糠線・標津線・根北線・相生線・士幌線など、全部は書ききれない程、びっくりするほど多くの路線が廃線となっている。

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ここからが今回の本題に入る。43年前にもなる今となっては遥か彼方の思い出、国鉄時代のディスカバージャパンのスタンプノート、二冊目は昭和46年10月1日初版発行、昭和47年8月1日4版発行、弘済出版の青表紙ビニール装丁の79頁の文庫本と同じ大きさ。

表紙をめくると1972年8月~1973年7月のCALENDARが目に入る

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最初の頁の見出しは全国1400の駅に記念スタンプを用意してあります。これは一冊目と同じ内容の説明書きであるが挿絵が違うだけであった。

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全国の有名行事カレンダー

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全国の有名行事カレンダー、この当時の旅行は殆ど出張でこの行事カレンダーには縁がなかったようだ。 

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一番から72番もある長い鉄道唱歌(北陸地方)

♪車輪のひびき笛の聲
  みかへる跡に消えて行く
 上野の森の朝月夜
  田端は露もまださむし
 

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最後の72番は上野と新橋へ
 

♪思へば汽車の出来てより
  狭くなりたる國の内
 いでし上野の道かへて
  いざやかへらん新橋に
 

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北海道の人には懐かしい思い出の路線図と思われる。 この16頁に冒頭に説明した北海道の路線図がある。

はじ めて北海道旅行したのは28年前の青函連絡廃止直前の夏休みであった、当時中一の息子と三人での家族旅行であったがこの時はマイカーの旅であった。北海道列車の旅は16年前にカシオペアが登場した時に寝台特急カシオペアで札幌に旅行して、支笏湖畔にある日本秘湯を守る会の丸駒温泉と札幌から特急北斗で八雲駅まで、ここで普通車に乗り換えて落部の上の湯温泉・銀婚湯への旅行が唯一の列車での旅行であった。行程(列車時間・目的地・宿など)が事前に決めてあるのが旅行。その後十数回の北海道の旅はフェリーとマイカーのひとり旅であった。一人旅というが一人旅行とは言わない、旅は事前に行程を決めていないことが多い。自分の旅行と旅の違いは大雑把に言うとこんな違いだろうか。

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日付を見ると32歳の会社の夏休みと思われる、この当時は中目黒に住んでいたのでまだマイカーを持っていなかった。列車の旅であったが軽井沢と中軽井沢のスタンプが押印されているが乗車した上越線・信越線の記憶の欠片(かけら)も出てこない。 

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軽井沢旅行での横川駅は「おぎのや峠の釜めし弁当」以外はなにも思い出せない、今は鉄道旅ではなく、長野方面への撮影旅の帰りによるSAでのお土産に峠の釜めしである。
勿来駅はここに協力会社があったので出張旅と思われる。
 出張は旅行と同じように旅の行程を決めてある。八幡太郎源義家が「吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな   」と詠んだ和歌の碑が、いわき市内の勿来の関にあるが勿来駅にこの歌碑があった。

 

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東海道線の袋井駅は記憶のかけらも出てこない。家電メーカーの多い大阪は新幹線の出張が多かった。47年9月26日の日付の9が抜けている、苦抜けの洒落?かどうか単なる9のハンコが奥に入り印字面がスタンプされなかったと推測

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1964年10月1日東京オリンピックの日に開業してから8年目、1972年9月に新大阪出張の折りのスタンプと思われる。1965年5月の九州への新婚旅行の帰路に新大阪から乗車してから5億人乗車の日まで何回も乗車しただろうと思われる。右の上野駅は上越方面かいわき方面への出張の折りと思われる。乗降客の多い駅はスタンプ台が乾いている、いくら強く押してもスタンプ面がかすれる場合が多い。(道の駅のスタンプ押印の経験から推量)

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長岡駅はスピードメーターのメーカーへの出張と思われる。ここへの出張の帰りは、海藻がつなぎの緑色ぽっいへぎ蕎麦がソバ好きには楽しみであった。

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上諏訪と茅野は諏訪湖・霧ヶ峰高原と白樺湖・蓼科高原などの観光旅行の気がするが記憶が定かではない。 仕事で上諏訪に行く機会が多かったが信州は精密機器メーカーが多かったが営業と同行しての出張であったが今日は将棋の日であるので車中で磁石の携帯将棋盤で往復とも将棋を何十回もへぼ将棋を指した記憶がある。

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鶴岡は前にも書いたが関係会社への出張、石巻はスタンプ帖を忘れたのでメモ用紙に捺印して後日貼った形跡がある、ここは仕事には無縁の駅。

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本塩釜駅もメモ用紙にスタンプしてあり、記憶にない石巻駅と同様に43年前を推測するカギも全くない記憶が甦ってこない駅である。東北本線小牛田駅も罫線があるメモ用紙にスタンプ、この頃はスタンプ帖を忘れて出掛けることがなぜか多い、思い出せない謎のひとつ 

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東北本線一ノ関駅も小牛田駅と同じメモ用紙なので同じ日のスタンプと思われる、まだ東北新幹線開業していない。

1982年(昭和47)10月14日は鉄道開通100年記念、47年11月30日仙台駅のスタンプはこれが最後の駅となっていた。

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東北新幹線開業は1982年6月、これより10年前の1972年11月の仙台駅のスタンプ。このスタンプがスタンプ帖最後のスタンプであるが手帳から切り取った紙片に押印されてスタンプ帖に糊付けしてあった。79頁あるスタンプ帖はこの36頁が最後の頁となった、42頁も余して旅のスタンプ帖が終わっていた、なぜだろうか全く思い出せない、余白の空だらけである、飽きたのか?厭きたのか?記憶が甦らない43年前の秋である。ディスカバージャパンよりもディスカバー記憶の断片と欠片(かけら)であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2015年11月11日 (水)

懐かしの「DISCOVER JAPAN」スタンプ帖

+-+-の電極から11月11日は電池の日。記念日からみで先月の鉄道の日に因んでの最も古い過去ログとなった。日本の鉄道史を紐解くと新暦の10月14日は「鉄道の日」であった(旧暦は9月12日)、1872年(明治5年)新橋―横浜間に鉄道が開通した日、現在は新年度の4月が始まる3月にダイヤ改正をしているが昔の国鉄のダイヤ改正はこの日に因んで十月に改正された。
今年の北海道遠征旅では野鳥撮影と道の駅スタンプラリーに加えて三つ目のタスクに俄か鉄ちゃんを始めた。巡ったJR駅は道央・道東・道北などでの37駅であったが約半分は無人駅であった。訪れた廃線駅も十ヵ所近くになった。
道の駅スタンプラリーでは2013年から始めてこの年は40ヶ所、昨年は50ヶ所、今年は北海道・道の駅115ヶ所のうち道南の道の駅を除いて70ヶ所のスタンプを押印して来た(帰宅)。

鉄道好きとスタンプ収集癖は自分でもよくわからなかったがその原点(源典)の一つを身辺整理の断捨離中に見つけた気がする。それが今回のタイトルである。

このスタンプ帖には31歳の44年前の懐かしい思い出が詰まっていたが詳細については思い出すことが酷なほど、国鉄時代(酷鉄とも呼ばれた)のスタンプ帖である。このスタンプ帖のカレンダーは当時のダイヤ改正の十月から始まる。

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「DISCOVER」と「JAPAN」の間に風見鶏の風向計のような矢印が付いた、1971(昭46)ビニール装丁緑色表紙、1972(昭47)青色表紙・文庫本大の国鉄監修・弘済出版 旅の手帳の初版と二冊目(各定価200円)を身辺整理(断捨離)中に見つけた。

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記念すべき最初のスタンプは芦原温泉と東尋坊の観光地である芦原駅であったが詳細を思い出せないが1971年8月会社の夏休みの個人旅行?。我が家の宗派・曹洞宗の大本山永平寺の参拝が旅の目的と思われる?。しかしスタンプには「DISCOVER JAPAN」が入っていないので国鉄の駅ではなさそうである。どうやらスタンプは現在の「えちぜん鉄道」のあわら湯のまち駅の旧称芦原駅と思われる。この駅は芦原温泉に一番近い駅、現在のJR芦原温泉駅の旧称は金津駅であった、46年も経つと最初のスタンプから謎だらけである。       

 

  

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この時代は地方への出張が多く、得意先の品質保証と関係会社(子会社)や協力工場(外注先)の品質管理などを担当する品質管理課長の頃であった。1971年の福山駅は山陽新幹線がまだ岡山までの開業で岡山から在来線の特急に乗り換えて福山まで行き、タクシーを飛ばして、音響機器の輸出専用会社F社の子会社に訪問した時のスタンプ。新潟駅は会社の新潟営業所か又は新潟に十数社あった外注工場への訪問の記念か?詳細は思い出せず。どちらも出張の折りのスタンプ。この時代は上越新幹線を着工開始した頃で新潟へ行くには上野から「特急とき」か急行佐渡の時代であった。

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この二つのスタンプは新潟方面に出張の折りのスタンプ収集

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鶴岡駅は関係会社への出張であったがこの当時は急行寝台天の川は上野発22:38、鶴岡着8:01をよく利用していた。
金沢には得意先も外注先もないのでこの駅に来た記憶が甦ってこない。子供が5才と2才の頃で家族旅行ではなさそうと懐疑的に思う。46年前の金沢旅行を思い出す鍵が必要である。

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スタンプがかすれているが左は上越線の六日町駅、ここには協力会社(外注工場)があった。宿泊した宿は名人戦などの将棋の対戦会場となる龍言であった。
右は常磐線の平駅、大規模な町村合併でいわき市となっていたのでその後1994年に駅名が改称されて「いわき」となっている、隣の湯本に関係会社(子会社)があり、出張で何回も来ている。ハワイアンセンターが近くにあり、ここに宿泊した記憶がある。

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名物のうなぎと大凧上げ観光の浜松駅は初めての日付入り、46年11月5日ここは二輪車メーカーへの出張、擦れてよく見えないが原爆ドームと思われるスタンプは広島駅、ここは四輪車メーカーへの出張、なぜか広島駅のスタンプにはディスカバージャパンが入っていない?  

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こちらは広島駅にあった観光スタンプ   

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武生は大阪支店長と同行した得意先、米原で待ち合わせて北陸本線に乗り換えて武生に出張した時のスタンプ、武生駅の前に敦賀駅のスタンプもあったので出張先は敦賀かもしれない? 

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米原出張の帰りのスタンプと思われる、羽越本線の村上は特急いなほで出張、ここには仕入先の工場があったが日本海に夕日と瀬波温泉の観光地でもある。  

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村上駅は翌日の色違いのスタンプ、上越線の小出駅は村上からの帰路に浦佐駅近くの協力会社に行く途中にスタンプか? 

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山陽新幹線が博多まで開業する4年前の博多駅と長崎駅、寝台特急の全盛期の時代に寝台特急さくら、はやぶさ、あさかぜ・・・どうしても思い出せないブルートレイン、ブルーになる。今でも人気がある寝台特急出雲は44年前の鳥取三洋電機の工場への出張を思い出した。ブルートレインは仕事絡みでしか乗車していない。

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金山駅で大井川鉄道に乗り換えて家山駅に合弁会社があった、この駅の名産品は家山茶、お茶が切れると家山出張と思い出すほどお茶が美味いお茶所、仕事どころではなかった?

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二本松は輸出専用の音響機器メーカーの記憶、高崎は電機メーカーそれぞれクレーム対応

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名古屋は名古屋支店の主要得意先の自動車部品メーカーへの対応、仙台駅は仙台営業所の得意先対応だったようだが具体的な客先名は思い出せず

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1982年に東北新幹線が開業する十年前、現在の登米市にある関係会社(子会社)に出張するには、当時は東北本線の急行停車駅の石越駅か、小牛田駅に迎えの車が来ていた、東北新幹線開通後は古川駅その後に地元の請願で出来た、くりこま高原駅が最寄りの駅となったがタクシーで40分位だったがあまりおぼつかない記憶。

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NHKの大河ドラマで樅の木は残ったの原田甲斐は記憶に残るがこの岩井山のスタンプは記憶のかけらも出てこない、こまった怪(甲斐)である。陸羽東線の当時の旧称羽前赤倉駅はその後に赤倉温泉と改称された

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陸羽東線の瀬見駅は現在は瀬見温泉駅と改称されている、奥羽本線の新庄駅は陸羽東線の終着駅であり、ここから余目まで陸羽西線となる、奥羽本線と陸羽東線・陸羽西線の交差点と言える駅が最上川観光の出発点の新庄駅であるが小牛田始まり余目に至る東北の関係会社への出張旅のスタンプ、陸羽東線の瀬見駅と赤倉温泉では途中の宿捜しの記念スタンプ?

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陸羽西線の終点は羽越本線の余目駅、当時は鶴岡駅の隣の藤島駅近くにあった関係会社の工場からは田園地帯を煙を吐きながら走るSLが見られた

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酒田といえば本間様「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」という歌も詠まれるほどの栄華を誇った日本最大の地主だった本間家、豪商の本間家旧本邸を話のタネに見物をした記憶がある。一冊目の最後の87頁は越後湯沢、ここには協力会社があったが強力であったかの記憶は定かではない。一つひとつのスタンプの説明も誤りがあるのか定かではないと思う。

スタンプに仕事の思い出が詰まっているようだが想い出は朧の中にある。44年前のスタンプ帖の二冊目は次回の記録ログにしたい。

 

 

 

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2015年11月 7日 (土)

増毛駅入場券はお宝となり、薄毛のお守りとなるか?

今年夏の北海道はあまり天候には恵まれず・・・

こんな文章で始まる三ヵ月前の年8月7日のブログ、タイトルは「留萌本線終着駅増毛の観光」であったが、実はこのブログをUPした三日後にはJR北海道の発表によると2015年8月10日付で、留萌本線の末端部・留萌~増毛間(16.7㎞)について、2016年度中の鉄道事業廃止を留萌市長、増毛町長に説明したと公式に発表した。このニュースにより増毛駅は来年には廃止されることになった。

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廃線によりこの入場券がお宝になるのか。増毛は「ぞうもう」に非ず、縁起の良い増毛(ましけ)である。増毛駅の珍しい縦書きの看板の写真をそのまんまの増毛駅来駅記念入場券

 

 

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これが入場券の増毛駅の看板、駅名には珍しい縦書き、髪の毛は横よりも縦が似合う、縦に増毛!「ぞうもう」ではない!ましけ!!である。

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留萌本線の終点、撮影日2015年7月1日、今頃は駅舎の周囲は雪景色に変わっていると思われる。

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一面一線のホームから撮影した増毛駅、ピンク色小形観光バスはノスタルジックな増毛の街並み観光の団体客が乗っていた。

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留萌本線終着駅ましけ

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ホームより留萌方向、留萌まで16.7kmに箸別(はしべつ)・朱文別(しゅもんべつ)・舎熊(しゃぐま)・信砂(のぶしゃ):阿分(あふん)・礼受(れうけ)・瀬越(せごし)の七駅がある。

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留萌本線は函館本線の深川を起点に増毛まで66・8kmのうち廃線予定は留萌―増毛の16・7kmの区間

 

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一日7本の列車は一列車あたりの乗客は平均3人、これでは廃線も已む無しか、直通列車のない増毛観光は千歳空港や札幌からはバスや車の方が乗り換えがなく早く便利

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無人駅だが夏季は食堂で切符や入場券を販売している

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駅前旅館

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駅前にある風待食堂、高倉健・倍賞千恵子出演の映画「駅 STATION」(1981年)の映画内に出てくる舞台「風待食堂」、当時のまま観光案内所として営業中、ここでも増毛駅の入場券を販売していた。 

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レトロな建物の旅館

 

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増毛の観光名所、丸一本間家の外観の一部、ニシンで栄えた、財をなした古き良き時代へのノスタルジーがある

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上の写真の玄関拡大、旧商家丸一本間家 明治初期から営業を続けてきた天塩國一の豪商 重要文化財、この建物群は、平成9年3月に増毛町有形文化財に指定され、北海道の有形文化財に指定されたのを受けて、平成12年4月から一般公開、平成15年12月には国の重要文化財に指定。
      

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丸一本間家の隣にある卯建壁と歴史の広場、実際の大火で類焼を防いだ卯建壁の説明があった。

いつまで続くのか趣味のヨタ話、閑話休題 野鳥ブログはいつから再開か?本人にも分からず仕舞い・・・うだつの上がらない話である。

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