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2015年12月

2015年12月22日 (火)

篠原八幡神社冬至の日の出

今日は冬至、今朝は冬至の朝、冬至日の出の日を遥拝の気持ちで撮影。

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地元の800年以上も歴史のある篠原八幡神社の境内には午前6時半からのラジオ体操の時間でした。拝殿の灯りは付いていましたがガラス戸は閉じられてました。御神鏡も見えないようです。神主が引退して二代目の時代にになりましたが真の冬至日(地元の日の出のイベントは毎年祭日の天皇誕生日の23日)にも関わらず、日の出がご神鏡に入る準備を怠っているようです。ここの新神職はここでしか見られない(都会では珍しい鳥居をくぐる日の出)冬至の日の出を理解しているのか?今日の日の出は横浜では6時47分、太陽が地平線に接した時間。

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東の空が明るくなってきた日の出前の6時34分、左手に見えるのは・・・

境内で地元の鳥友に声を掛けられた、マスクを掛けていたので分からなかったが久し振りの鳥友のSさん、会話は昔は良かった!菊名池のハスの花とカワセミでした。

 

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6時44分、日の出前の掲示板には照明がまだ灯る

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民家の屋根の上から鳥居の中を日の出が射す、6時52分

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日の出の光が鳥居の中央をくぐり、参道を一瞬に走り始める

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参道を走る光 ”光陰矢の如し” とはこのことか?鳥居の中央から日の出が射すと地元の自慢、日の出を見るイベントは明日、境内は人が溢れるが明日は曇り、夕方から雨の予報で暖かい今日の撮影となった。

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拝殿の閉じられているガラス戸に日の出が射す、6時56分

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光と影、ガラス戸が鏡となり、日の出と境内の舞台と杜を写す

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拝殿に入光したが・・・・

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後ろを振り返ると日の出はまだ鳥居の中、ますます光の影は長くなる!

 

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長い長い人影、狛犬も眩しそう!

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拝殿を撮る人の影が日が沈む夕日のように長い、一年で朝日の影が一番長い日である。今日の日の入りは16時33分、一年で日の出(6時47分)から日の入りまで最も短い日、それは冬至日です。

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7時8分 日の出が射した神社の鳥居、人はカボチャを食べて柚子湯に入る

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参道脇の篠原八幡神社の緒祈願

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このような歌碑もある、冬至日の日の出で有名な神社となっている。今朝も八王子から日の出をビデオで撮影に来られた方もいた。話を聞くと私のブログでここを知ったそうです。野鳥のブログもお役立ちのようです。神社の脇で昨年は富士山を遥拝して撮影したが今朝は黒い雲がかかり、冬至の朝の富士をとり逃がした。

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2015年12月14日 (月)

洋酒の断酒離(だんしゅり)をしました

12月14日は忠臣蔵四十七士の討ち入りの日であり、今日は南極の日でもある。1911年12月14日ノルウェーの探検家・アムンゼンが人類で初めて南極点に到達した日が由来である。
12月
4日に左眼の白内障を手術してから3種の目薬を日に10回の点眼で10日間何事もなく、100回の点眼が無事に過ぎた。目薬を差すのが下手な自分が難局を乗り越えた日でもある。(大袈裟 (@Д@;)

左眼の白内障手術を待つ4ヵ月間に徒然に始めたのが雁の肉に似せた「雁もどき」の語源と同じように「断捨離」のような真似した「断もどき」である。「雁もどき」は雁の肉に似せたものという江戸時代からの由来らしいが横浜で徒然に始めたのが「断もどき」、断捨離のコンセプトはモノへの執着を捨てることにあるがこの心境には100%至っていない、いまだに「擬き(もどき)」の状態であるので「断もどき」、何やら語感が「雁もどき」に似ていると勝手に想い、使ってみた。

四十数年前頃から仕事で海外出張の旅の度にお土産として買い、サイドボードに飾って置いたウイスキーやブランデーなどの洋酒の数々、当時は洋酒の輸入関税が高く、海外旅行者の洋酒持ち込みが流行っていたので三本まで持ち込みが制限されていた。そのうち関税引下げや輸入自由化により、並行輸入も増え、洋酒持ち込みは下火になり、いつしかブランデーやウヰスキーがワインに変わった。この間にお土産の洋酒はサイドボードに入り切らずに、書棚の上に箱ごと十数本積み重ねてあった。洋酒コレクターではないので格別高価なものはないが海外旅行者がお土産にする程度の洋酒である。

一般的に現役引退すると旦那は内向的になり、奥さんは外交的である、奥さんの繋がりでご近所さん四家族八名の忘年会を知り合いの家で今月初めに行ったが三人の旦那とは初めての会食であった。この時に挨拶代わりにナポレオンを持っていったが、自分は出されたビール・オンリーであったが他の人が持って来た日本酒と焼酎は皆さんで飲まれたがナポレオンは出てこなかった?。後日会ったらサイドボードに飾ったと言われたのでそれは良かった!と笑顔で返した。元サラリーマンにはまだナポレオンは魅力があるらしい。ビール以外は飲めない自分でもブランデーは熱い紅茶に数滴たらす程度しか馴染みがないものである。
40年位前に父が胃癌の手術をした病院の執刀医にお礼にナポレオンを持って手術の経過をお聞きした時に5年は持つと言われたが6年目に肝臓に転移して71歳で旅立った。これが直近と最初の「おつかいもの」の記憶である。
40年間自分では開栓して飲んだことがない洋酒ではあるが今までの使い道は殆どこのような「おつかいもの」であった。

書棚の上の洋酒はいつかは起きるであろう?杞憂とも思うが、大地震で落下破損しては危険であり、もったいない。断捨離の「断もどき」と呼ぶべきか、飾るだけ、ストックしておくだけの洋酒を断つ、捨てる(売る)、執着から離れる。「断酒離」と言うべきか、「酒捨離」なのか、売れるので「酒捨利」なのか、この際に書棚の上の洋酒だけを洋酒買取り専門店に写真を撮って見積り額の査定を依頼した。

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Hennessy COGNAC X.O. ヘネシー XO 金 グリーンボトル

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いつごろの物か購入時期不明、ナポレオンの包装箱は擦り傷多数、栓の下部には緑青が発生している、この写真を洋酒買取り専門屋の二社に送付して買取り見積額を査定したところ、A社は20000円、B社は12000円の仮査定額で8000円の差額が出た。

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輸入洋酒ではないが木箱に入ったサントリーの山崎 12年の木箱が埃にまみれて書棚の上にあったがなぜあるのか記憶が甦らない?、A社B社ともこの査定額は5000円であった。

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レミーマルタン XO セントー 龍は台湾か中国の出張の折りで比較的新しい、晩年の現役の頃で15年位前のものと思われる。A社3500円の仮査定額であった。A社からの査定額のメールの備考として「商品の製造年、流行、コンディション、嗜好状況、取引状況から商品の価値(ニーズ)より価格を算出致しました」が添付されていました」。この三本の仮査定額のボトルを段ボール箱に入れて着払いでA社に送付すると翌日には仮査定額通りの価格28500円で買い取りをしてくれました。現物の状況などから仮査定額よりも下がる場合があるらしいが今回は仮査定額通りであった。

これでメールで送った写真が仮査定額通りの価格での買い取りが実証されたので次に6本の洋酒をミカン箱の段ボールに入れてA社の指定する宅急便で送付した。その写真が下記にある。

 

 

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REMY MARTIN XO speial レミーマルタン XO 旧ボトル、A社5000円、B社3000円の仮査定額、上の写真レミーマルタン XO セントー 龍よりも古いが購入時と空港名など全く記憶にないしろもの。

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CAMUS XO COGNAC カミュ XO ロングネック 、仮査定額はA社1500円、B社2000円であった。これが2本あったのでA社に3000円、これだけがB社よりも買取り価格が安かったが送る手間などトータルでA社を選んだ。

 

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ジョニーウォーカー オールデスト、仮査定額はA社18000円 B社8000円、商品状態や付属品状況により商品の査定額が変わると言われるが買取り屋さんでもこんなにも違うとは、二社以上の見積もりは必須要件と思われる。

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バランタイン 21年 青 A社4000円 B社3000円、箱が綺麗であった、台無しの「台」は仏像の台がないと威厳がなくなるのが語源らしいが「箱なし」は査定額が下がる、箱も大事に保管すべし、ほかしてはならない。

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カミュ ナポレオン エクストラ A社の仮査定額 1500円
第二便6本の洋酒をA社に同じように宅急便着払いで送ったが6本とも仮査定額通りの買取り額で指定した銀行口座に31500円振り込まれた。二回の合計9本の洋酒の合計額6万円は白内障手術の費用に賄われ今年で後期高齢者になつたので一ヶ所の病院費用の上限45000円の制度のお蔭でおつりが来た。
横浜市内の中古品買取りと販売店では買取り価格の4~5倍の価格で販売していた。アマゾンや楽天市場でも大体この程度の買取り価格の4、5倍程度の販売価格のようである。
次にA社からのメールにての連絡事項をご参考に添付します。
【梱包について】
お荷物は可能な限り段ボール一箱におまとめし、お送りくださいませ。
その際、緩衝材として新聞紙などで隙間を埋めて頂くようお願い致します。
また、液漏れなどなく安全に送っていただくためにも、
お酒を縦に入れて頂きますよう、お願い致します。

【同梱頂きたいもの】
①身分証明書のコピー(免許証、保険証など)
②お振込先銀行口座情報
高久 健様の身分証明証をコピーし、その用紙の余白に、
銀行名、支店名、口座番号、口座名義(カタカナ)をご記入ください。

【お品物到着後】
お品物が到着しましたら、本査定結果、お振込みの日時をお知らせ致します。

【配送業者について】
佐川急便の着払いをご利用ください。
なお、佐川急便以外をご利用された場合、保険の適用と送料の弊社負担が
できかねますので、ご認識の程、宜しくお願い致します。


【送り先】

 〒130-0012
  東京都墨田区太平4-13-2太平サクラビル3F
  株式会社ファイブニーズ

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2015年12月10日 (木)

視力0・02左眼の白内障手術の記録

加齢とともにトイレが近くなった、車の運転中にトイレ休憩は必ず行程に入れてあるがお盆休みなどの高速道ではどこのSAやPAでも満車になり、なかなかトイレ休憩が取れない経験が過去に多々あった。こんな時のダジャレが女性外人タレント(外タレ)の草分け的存在であった?流暢な日本語を話した、フランソワーズ・モレシャンを思い出した「不安沿うわ~ず・漏レシャン」、身震いする程洩れそうな古い話!weep
加齢とともに白内障が進行して、今夏の北の旅路の終わり頃には薄暮や夜間の運転が難しい程に急速に悪化していた。7月中旬の帰浜後に掛かり付けの岸根公園眼科の診断では左眼の白内障手術の診断であった。左眼は視力検査表の一番上の大きい文字や記号(C)を1m位前に持って来てようやくぼんやり読める、視力0・02と判定された。
市内にある白内障手術の稲村眼科クリニックの紹介状を戴いた。電話予約を入れて指定された9月29日に紹介状を持って術前検査を受けて、手術日(12月4日)が決まったた。電話予約から4ヵ月待ちであった。高齢化の進展とともに白内障患者が急増しているようだ。11月16日に院長診察、この時に眼内レンズのピントを近くにするか遠くにするか、どちらでもない中間を選択した。11月24日に手術前説明会、手術前に3回の通院をして手術の事前準備をした。稲村眼科クリニックの説明では稲村院長は今までに3万例以上、毎月200件以上の白内障手術を行っているそうです。4ヵ月待ちも納得の日帰り入院の白内障手術を得意とする眼科です。

左眼を老人性白内障の手術を受けることになったが
白内障の有病率は年齢とともに増加します、白内障の初期の混濁を含めた有病率は、Webで調べると50歳代で37~54%、60歳代で66~83%、70歳代84~97%、80歳以上で100%といわれています。
まずは白内障とは?稲村眼科クリニック備え付けのパンフレットでは

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出典:稲村眼科クリニックの待合室に配置してあった参天製薬・提供のパンフレット「白内障の症状と治療」

 

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手術待ちの4ヵ月間は「悲しみよこんにちは」のフランスの女性作家の状態であった。フランソワーズ・サガン、「不安そわ~ず・左眼」

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(稲村眼科クリニック白内障手術のご案内、手術までの流れ )

手術日の4日前から目薬、術前抗菌薬(ベガモックス)を毎日4回(朝・昼・晩・寝る前)と手術日は朝と家を出る前に点眼した。

手術日の二日前の12月2日9時~11時に電話があり、12月4日11時45分に手術待合室に入るように連絡があった。
12月4日は付き添いの家内と一緒に指定された時間よりも15分前に手術待合室に入ると既に7,8人の患者が付き添いの人と待機していた。
手術前の準備として「瞳を開く目薬」を3分間隔で6回の点眼、その後に血圧測定と血糖値の検査を無事に済ます。

手術待合室で1時間30分後に手術室前でモニターを見ながら手術の説明を付き添いと一緒に見てから手術室に入室した。超音波手術台と手術顕微鏡が各2台と多くの治療機器があった気がするが手術台に座る束の間の出来事でチラリと見た一瞬の出来事、緊張しているので記憶にのこらない一瞬でもあった。手術台に座ると右手人差し指にパルスオキシメーターのプローブのような器具を嵌めてから手術台が仰向けに倒れて、真上に手術顕微鏡を見た。

手術台の周りには執刀医の稲村院長の他に女性スタッフ3名の4名で手術(自分が確認したのではなく、手術室見学室で見学していた家内の情報、ここで手術の一部始終をモニターと男性スタッフの説明を聞きながら見ていたそうです。

手術台の上で頭からスッポリ帽子を被され、左眼の目の周囲をテープを貼り、目薬の麻酔薬点眼を2回施される。スタッフの女性が両手で左手を優しく持って、手術が終わるまで落ち着かせてくれる。(手術室の様子はこの後も続く)

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この上図のような超音波水晶体乳化吸引術の白内障の手術を行い、12月4日約10分間の手術の様子をDVDに記録して手術後にいただきました。付き添いできた家内は手術室の様子と手術の一部始終をモニターに見ながらスタッフの説明を聞いていたそうです。

 
(手術室の續)手術室・クリーンルーム(無菌室クラス10000)の中に導かれて超音波手術装置の上に座り、直ぐに仰向けに寝かされ、目薬の麻酔(ベノキオール)を表面につける。次に眼内にも麻酔薬(リドカイン)を注入してから院長先生による手術の執刀が始まります。以下は戴いたDVDより一部転載

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左眼の真下の眼球にメスが入る、小さな切り口を開ける

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次に目尻の反対側の目頭にもメスが入る、最初の切り口から90度右(目頭)の角膜を切り開く、最初の切り口よりも大きく約3mmの長さと思われる

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超音波で水晶体を砕きながら濁った水晶体の核を取り出す

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眉毛の位置の下あたりの水晶体が固くなかなか取り出せない!医者の声が聞こえる、二十歳の時の交通事故で左目を強打した影響なのか?

 

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小さい切り口から水を流す、破砕した水晶体を取り出し、折り畳んだ眼内レンズ6φを挿入

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水晶体を吸引後に折り畳んだ眼内レンズを挿入開始、後嚢に固定するループが見える

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折り畳んだ眼内レンズを広げる、まだ水晶体の細かい破片が見えるがこれらも超音波水晶体乳化吸引で綺麗になる

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広げたレンズの下にある破砕した小さな水晶体を水で流しながら吸引

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左眼の水晶体に代わって眼内レンズ6mmφが正常に納まり手術が終了、この間約10分間、上部の部分の水晶体が固くなり、除去するのに手間取り、普通は5分前後が10分に手間取ったようだ。手術直後から左眼はよく見えるようになったが手術後の眼帯をする必要がなく、保護メガネを掛けて帰宅。

手術当日は術後の注意や3種の目薬や内服薬の説明を受けた、1週間は洗顔してはいけない。首から下の入浴は可。手術当日は目を保護する花粉症の保護メガネと同じようなメガネを貸してくれる、翌日の診察時に返却する。
手術代は1割負担2万円、2割負担4万円、3割負担6万円である。3割負担の後期高齢者となっていたので手術代は4・5万円で打ち切りであった。翌日と4日後の術後の診察代も手術日の支払い後は請求されなかった。

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翌日から朝・昼・晩・寝る前の1日4回の3種の目薬を点眼を毎継続中、医者がやめて良いと言うまでこれを継続しなければならない。

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毎晩寝る前にこのような視野をあまり妨げない透明のプラスチック眼帯を当てて寝る、目を圧迫することを避けることを1ヵ月継続しなければならない。術後3度目のからの診察は掛かり付けの眼科でよいことになった。
3種合計3~5分おきに一日10回の左眼の点眼と4,5年前から始めている右眼の白内障の進行を遅らせる点眼薬(カリーユニ)の一日3~4回の点眼で一日を過ごすのが日課となっている。
因みに左眼は翌日の検査で裸眼視力は0・8で矯正視力は1・2(視力検査時にレンズで矯正後)まで回復していた。                                                 

 


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2015年12月 6日 (日)

島梟の撮影用ストロボを断捨離(ストロボ禁止の鷲の宿は?)

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野鳥撮影でストロボがおおぴっらに使用出来た場所は北海道・羅臼の民宿・鷲の宿で のシマフクロウ撮影でした、2006年6月に初めてストロボ撮影したシマフクロウの写真と最後のストロボ撮影が禁止される前年の2010年3月が最後のストロボ撮影でした。2011年4月以降は明るくなった投光器のお蔭でストロボなしで、誰でも易しく撮れるシマフクロウの撮影が出来るようになったが当初は投光器の照明色に難点があったと思います。

 

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基本的にはシマフクロウ撮影用に購入したNikonのストロボ(スピードライト)SB-800を2台とスピードライト・コントローラーSU-800の合計3台を処分しました。ストロボは

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最初購入した新横浜のビックカメラの買取り部門に現物を持ち込みま したが、見積もり価格が事前に調査した情報よりも買取り価格が安いので他の買取り屋に写真を送り、ネットで価格の査定を依頼したところ、三台とも一台7600円の査定額でした。「高く買い取るドットコム」の地下鉄ブルーラインの 新羽駅に近くにある横浜営業所に持ち込みその場で現金化しました。写真Dscn7808_24枚のうち、上の三枚はSB-800、いずれも購入時の箱とケース付きです、屋外で使用したのでバウンスアダプターなどは一回も使わず包装のままでした。スピードライトスタンドは池の近くに三脚を立て、その上にスピードライトを装着する時に使用。三枚目の写真は5本目の単三電池を入れる増設バッテリーパックSD-800です。電池5本にすることで発光間隔を短縮することが出来る、ニッケル水素単三電池で約3秒になる。4枚目のSU-800ワイヤレス・スピードライト・コントローラは二台のストロボのリモート発光で使用したが1度しか記憶がありません。SB-800とSU-800は取説をろくに読まずに撮影現場に行きましたので、2台とも使いこなせずに、ストロボの所有を断つ、夜間撮影を捨てる、シマフクロウから離れる、断捨離で手放すことにした。SB-800は生産中止となり、後継機のSB-900が。8万円前後で発売されましたがSB-800はアマゾンや楽天の中古品市場では2万~5万円で販売されているようです。ストロボ撮影にはこの他にはストロボ用三脚、単三電池増設パック、5mの延長コード二本など総額20万円以上投資しましたので使用回数から判断するとレンタルでよかったと反省しています。

最初の三枚は2006年6月11日にシマフクロウはもとよりストロボで初見・初撮りの思い出の写真となっている。

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川岸に沿って車5~6台位が置けるポジションにべテランはストロボ用置台や三脚を常設している模様である。自分はカメラにストロボ(ガイドナンバー105mm時56)を直付けして撮影したが、初年度はストロボ1台のため、全て光量不足とカメラ直付けにより、シマフクロウが赤目になる。経験者はストロボを外付けで被写体に近づけたりシマフクロウの目に直接光が行かないように二灯以上のストロボを使用していた(2006年6月11日撮影)

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2006年6月初めて撮影した木どまりのシマフクロウ 

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2006年6月シマフクロウ♂親が赤目になったので当時はブログに貼れなかった失敗作が沢山在庫にある、今となっては二度と撮れない貴重品。ストロボ撮影の最大の失敗はストロボの充電時間約3秒が待てずにシャッターを切るので真黒な写真が続出、シマフクロウのシャッターチャンスと同調させるのが難しかった。昼間の野鳥撮影はいつも鳥の動きに合わせて連写、その癖が夜間撮影に出てしまう始末。

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2010年2月ストロボ撮影の最後となったチトライ川の川岸の木から飛び込んで来たシマフクロウが池の縁に着地寸前、バスの中からの撮影

 

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2010年2月投光器による光の影とストロボが撮影のシマフクロウ 

 

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20010年2月 餌の魚を咥えてお持ち帰りの飛び出し、以上の写真が探鳥記のシマフクロウ初年度(2006年6月)とストロボ撮影最終年(2010年2月)の写真です。以下は年代順に2007年から2009年までの写真です。

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二年目・二度目の羅臼・鷲の宿、初めての冬のシマフクロウ、2007年2月18日撮影、雪山の中にクマと見間違うようなクマフクロウ? 

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2007年2月18日二度目の鷲の宿、雪の中に冬用の小さな池の脇でお手伝いさん、ヘルパーのシマフクロウ、光量不足とカメラにストロボ直付けによる赤目になった。エンジンを止めた車の中で震えながらの撮影

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三年目の2008年2月26日 雪と木どまりのシマフクロウ

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上と同じ日の左ヘルパー 右親の♂、手前が魚を入れる小さな池、撮影年度のブログではシマフクロウの番と間違えたことがある。隣の人の言うことを鵜呑みにしたのが間違い、これは島梟の親子

 

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2008年2月25日冬用の小さな池のヘルパーの魚とり

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嘴に咥えた後に飲み込む、飲み込み後に旨そうに目をつぶる

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2008年2月、雪の中の採餌池の縁で巣にエサを持ちかえるヘルパー

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2008年6月16日の採餌池の様子

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二台のSB-800ストロボでの撮影、冬は足元が危ないので三脚に乗せたストロボの調整は難しいが夏はストロボの向きや照射角度などの調整が比較的出来るようになった。

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2008年6月16日

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2009年2月11日 冬用の四角い小さな池の縁

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この年の冬は川の水が少なく、冬用の四角い小さな採餌池であった

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金色の足環はヘルパー、青い足環は親の♂

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 009年2月11日 赤目に写ったシマフクロウのヘルパー、ストロボ撮影5年間の初夏と冬のこのようなストロボ撮影の失敗作はブログに貼らなかったが、今となっては北海道の思い出の一つである。

2015年12月5日朝日新聞デジタルの記事です「野生シマフクロウあえて公開 知床、観察と保護共存へ 」この記事(抜粋)は最近の鷲の宿の状況と思われたので鷲の宿に電話して確認をしました”

北海道世界自然遺産・知床で、絶滅危惧種シマフクロウを来訪者に見せる試みが始まった。保護すべき生物をあえて見せることで、知床の自然への理解を深めてもらおうと、地元観光協会が動いた。環境省は「めったに人目に触れることのない希少種を見せて保護、啓発につなげようとしている非常に少ない事例。良い方向に進んでもらいたい」と見守っている。

知床半島の羅臼町を流れるチトライ川。日没から間もなく、川沿いの民宿「鷲(わし)の宿」隣の小屋で、家族連れらが薄明かりに照らされた川面を眺めていた。知床羅臼町観光協会の佐藤紳司さんが説明した。

知床羅臼町観光協会は、知られてしまった出没地を「保護と観察の先進地に」と昨年から動き始めた。野生動物への給餌は専門家の間でも意見が分かれるため、シマフクロウを人慣れさせず、野生の捕食能力を失わせない程度のエサのやり方をめざした。

 簡単には捕食できない給餌池にした。エサのヤマメが隠れる石を置き、放すヤマメの数も減らした。川面を照らす明かりも工夫。シマフクロウが活発に活動を始める夕暮れ時の照度にした。

 人の行動も制限した。必ず小屋の中から観察し、小屋から出る時は決まった経路を歩くよう徹底。その結果、シマフクロウは長く姿を見せるようになった。

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(画面右端が民宿部分、中央が新設された暖房が入る観察小屋、左端には昔からの撮影用のバスがあるが写真には入っていない)

 環境省釧路自然環境事務所野生生物課の藤井好太郎課長は「最大限配慮された取り組みではないか。保護の結果、シマフクロウの個体数は少しずつ増えている。これからは人との関係を個々の場所で考えていかなければならない」と話している。(神村正史)。
朝日新聞デジタルの12月5日の記事より一部割愛して抜粋しました。

鷲の宿の女主人・川村千恵子さんに3年ぶりに電話して本件の裏をとりました。
ストロボ禁止後も川岸に車を並べて自分も撮影した経験があるのでそれらを確認すると現在は

①川岸に車を置けなくなり、バス(従来通り、鳥撮り屋さんに人気あり)か新しい観察小屋(30人)か民宿(元々は自宅)での撮影になった。
②LED照明投光器を設置された名古屋から来られた羅臼町観光協会ボランティアの佐藤神司さんが毎日夕方に来られて、撮影前に観察の注意事項や投光器やカメラの設定などを指導しているそうです。
③シマフクロウも採餌池だけでなく、川の中にも入り魚(オショロコマ・カラフトマス・シャケなど)大きなものは持ち運ばずその場で採食する。採餌池も中に石を置いてヤマメを簡単に捕れないようにしてあるので滞在時間が長くなった。
④年老いた雌は今年の6月頃に落鳥したそうです。
⑤来年2月は予約が満杯になっている。日帰りの観察・撮影はOKだそうです。

12月6日、日曜日の多忙な時間帯に5分以上も電話でお話が出来ました。

 

 

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2015年12月 1日 (火)

究極の断捨離TV番組を観た!

人生80年時代に65歳から野鳥撮影を始めて、黄金の林住期を謳歌した輝きの十年であった(大袈裟すぎるかな happy01)、林住期に真の生き甲斐を見つけたと満足しているfull。今年から後期高齢者になって来年からは古代インドから伝わる人生を四つの時期に分けた最後の遊行期に入る。新たな生き方を受け入れる時期になり、終活の一環として断捨離の真似事を始めた。手始めに16年間契約していた(株)加瀬倉庫のレンタルボックス4帖の解約がその第一歩となった。真の断捨離とは言えないがまずは外堀から埋めることにした。

四住期最初の学生期に暗記した記憶があるのが、釈迦により古代インドで生まれた仏教が朝鮮半島を経由して日本に入って来た仏教伝来の年号。飛鳥時代にはインドで発祥したヨガが唐より帰国した僧により日本に最初に伝わったといわれる。断捨離はヨガの行法である断行・捨業・離行の考え方を応用して、不要のなモノを断つ、捨てる、モノへの執着から離れる生き方であると最近になって聞きかじった。
ヒンズー教の四住期の生き方は五木寛之の著書「林住期」で広まったが「断捨離」は著作物が300万部を超える「やましたひでこ」が原点である。

断捨離(だんしゃり)とは、不要なモノなどの数を減らし、生活や人生に調和をもたらそうとする生活術や処世術のこと。基本的にはヨーガの行法、「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」という考え方を応用して、人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え方、生き方、処世術である。単なる「片づけ」や「整理整頓」とは一線を引くという。
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断=入ってくる要らない物を断つ
   ・
捨=家にずっとある要らない物を捨てる
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離=物への執着から離れる
(出典ウィキペディアの断捨離より)

11月28日PM6時~6時30分、BSジャパン7chの断捨離で変わる人生 ~必要なモノと不必要なモノ~やましたひでこ×新田恵利 のTV番組を観ました。11月21日(土)にはこの番組の前編も見ている。

番組案内では.、「断捨離」考案者・やましたひでこが究極までモノを減らした部屋を目の当たりにし、家に溢れるモノたちは収納術ではなく捨てることで解決するという考えに共感する新田恵利。実は二人とも母親との壮絶な片づけバトルを経験していたという共通点があった。やましたは、モノを捨てる時に、モノだけではなく他人との関係、そして自分自身について深く考えていく中で母親との関係の悩みも解決したという。悩んだ末に彼女が見つけた答えとは?そして、すっきり生きる、やました流人生の楽しみ方とは?
当日のTVは21日の後編として、前編と同じ東京に単身赴任している「やましたひでこ」さんのお宅に元おニャン子クラブの新田恵利さんが訪問しての断捨離実践の場です。

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以下はBSジャパン7chの画面をコンデジで撮影

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昭和29年(1954)東京都出身、この日は単身赴任中の自宅を全て公開した、講演やセミナーなどで外出で多忙な人と思えるがクローゼット内の衣装やアクセサリー類などの数が思ったより少なくスッキリしていた。キッチンも冷蔵庫の中もガラアキ状態、ベットルームをはじめその他の部屋も同様にスッキリ状態でした、流石は断捨離のご本家。

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番組で紹介された11月20日発売の最新刊

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これが表紙、簡単「断捨離」生活、モノが減ると心は潤う。2010年以降は様々な著者によって、断捨離の考え方を扱った本が出版されるようになっているが「断捨離」という言葉を最初に出版した「やましたひでこ」が商標登録しているので他の人の出版物には「断捨離」の言葉は使えないが個人が私的に使うには制限はないようです。

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夫婦の人間関係は「うっとおしい」⇔「さびしい」を行ったり来たり、新婚当時のようなベタベタは「うっとおしい」があまりほっておかれるのも「さびしい」、相応しい距離感があるらしい。断捨離はモノだけでなく人間関係にも

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断捨離は人間関係にもふさわしい距離感、他人との関係でも今と自分を見つめることが必要

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断捨離は自分の選択と決断に責任を持つ

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輝き人は「やましたひでこ」さんでした。

断捨離の真似事から始めたが最後はこのブログを含めて自分自身の人間関係も断捨離の対象となるだろう、林住期が去る申年の弥生3月からは過去の人生にしがみつかず、断捨離により新しい生き方をはじめる遊行期に入る。

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