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2016年1月

2016年1月28日 (木)

中3受験生は鷹ガール 恋人はオオタカ、鷹匠の夢追う

 今日は購読している朝日新聞デジタル版の記事からのブログです。1月27日の朝日新聞デジタルの記事と1月2日浜離宮恩賜庭園の恒例の「新春の空に鷹が舞う」の実演広場で自分が撮影した女性鷹匠の写真との合体です。 

中3受験生は鷹ガール 恋人はオオタカ、鷹匠の夢追う

「恋人」はオオタカ、夢は鷹匠(たかじょう)――。鷹を放ち獲物を捕らえる「放鷹術(ほうようじゅつ)」に15歳の少女が挑んでいる。山梨県富士河口湖町の中学3年生、篠田朔弥(さくや)さん。受験勉強に励みながら毎日の練習も欠かさない。めざすのは伝統の技の極意、「人鷹(じんよう)一体の境地」だ。

   

(朝日新聞デジタル 1月27日より写真・記事の転載)

 正月2日。徳川将軍家ゆかりの鷹狩(たかが)り場だった浜離宮恩賜(おんし)庭園(東京都中央区)で、新春恒例の放鷹術の実演があった。(記事原文)

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「1月2日11時撮影、諏訪流17代宗家田籠善次郎氏を先頭に鷹をその場の雰囲気にならす輪回り、2番目は昨年夏に18代宗家に就任した大塚紀子鷹匠、3番目にお母さん鷹匠の稲田早苗鷹匠・・・中略・・左端に輪回りの殿(しんがり)を歩くのが中学生女性鷹匠補の篠田朔也さん」

 

(原文の続き) 大役を担う鷹匠たちに交じり、見習いの鷹匠補の篠田さんもいた。白梅柄の着物に黒の羽織、ハンチング帽と地下足袋姿。数十メートル先の鷹匠に向け、左腕の先に載せた2歳の雄のオオタカ「颯雅(そうが)」を放つと、大勢の観客から歓声があがった。「緊張して、気持ちが拳を通して伝わっちゃった。まだまだです」

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午前11時開始時の横一列に整列した鷹匠の左端が篠田朔也鷹匠補

 

 8歳の時、静岡県掛川市の鳥園であったバードショーに家族で出かけ、鷹を操る鷹匠に目を奪われた。拳に載せてもらうと、「爪でギュッとつかまれ、とっても力強かった」。憧れは募るばかり。13歳の誕生日、「プレゼントはいらない。鷹匠になりたい」と両親に頼み込んだ。

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1月2日午前8時半頃、浜離宮恩賜転園入り口前の駐車場に家族と到着

 

 御岳山(東京都青梅市)のふもと、代表的な流派の諏訪流第17代宗家、田籠(たごもり)善次郎さん(68)が暮らす庵(いおり)で行われる講習会に、母に連れていってもらった。鷹は繊細で神経質。数年かけて調教し、ようやく信頼関係が築ける。並大抵の努力では「人鷹一体の境地」は会得できない――。田籠さんの話にますますひかれて入門した。月に数度、会社員や学生ら約15人に交じって修業に励んでいる。

 

 相棒・颯雅との出会いは2年前の秋。英国から約50万円で買い求め、庭の小屋で飼い始めた。毎日午前4時ごろ起床し、眠い目をこすりながら颯雅を左手に載せ、近所の林に向かう。飛び立たせて、また左手に戻らせる練習の繰り返し。くちばしや爪で指を深く切られ、血だらけになった。

 

 埼玉県で鷹狩りをしていて颯雅が山中に消えた日は一晩中泣き明かした。しかし、田籠さんは「鷹は教えられたことを必ず覚えている。あなたが信じないで、誰が信じるんだ」。翌朝、見失った場所に行くと、颯雅がパサッと左手に舞い戻り、うれし涙があふれた。練習の成果が出たのは昨季。初めて野生のキジを捕らえさせた。田籠さんは言う。「大人でも何年もかかることが、感性の鋭さですぐにできてしまう。諏訪流を継ぐ逸材だ」

 

 今は高校受験を控え、机に向かう日々だ。友人からカラオケに誘われても断るが、颯雅との練習は毎日欠かさない。「親友であり、家族であり、恋人。この子がいるから頑張れる」

 

 正月、放鷹術の実演を終え、颯雅ににっこりと笑いかけた。「お疲れさま」。ご褒美にウズラの肉をいつもより多めにあげた。

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1月2日実演後に観客席にオオタカの颯雅を魅せる篠田朔也鷹匠補

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観客の冗談に笑う?

 

■女性進出、宗家就任も

 

 調教した鷹やハヤブサを使って鳥や獣を捕らえる鷹狩りは4世紀ごろに大陸から伝わったとされ、「日本書紀」にも登場する。その担い手の鷹匠は現在、全国で50人ほどと言われる。初心者が各団体に入門し、数年から十数年の修業を経て、各団体の認定試験を受ける。鷹匠に合格すると、催しでの実演に加え、害鳥駆除や追い払いも担う。

 

 諏訪流は江戸時代に徳川将軍家の保護で栄え、明治以降は皇室のお抱えとなった。「最後の職業鷹匠」と呼ばれた第16代宗家の故花見薫さんまでは宮内省(現宮内庁)職員だった。

 

 田籠さんは「男性しかいなかった伝統狩猟の世界にも女性が進出してきた」と話す。諏訪流でも女性の門下生が増え、正月に放鷹術を実演した8人のうち6人が女性だった。大塚紀子さん(44)は早大在学中に田籠さんと知り合い、入門から10年後の2007年に諏訪流の認定試験に合格して鷹匠に。田籠さんが体調を崩した昨年、女性初の第18代宗家に就任した。

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諏訪流18代宗家 大塚紀子鷹匠

 

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中央 大塚紀子鷹匠 右 篠田朔也鷹匠補

(本文続き) 国内の鷹が希少となって取引が禁じられる中、海外産の輸入でしのぎ、狩りができる里山も減少するなど鷹狩りを取り巻く環境は厳しい。大塚さんは「流行ではない普遍的なところが魅力。先人から受け継いだ技で鷹と関わっていきたい」と話す。(矢島大輔)

 

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観客席から戻る最後の一枚はタカも鷹匠補も横顔

朝日新聞デジタルをスクラップに保存してから転載したが、見出しの文言や文章はやはりプロの作品は勉強になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

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2016年1月24日 (日)

福老(フクロウ)は「森の賢者」の佇まい

 人生の収穫期とか黄金期といわれる林住期の後半に始めた野鳥撮影、毎日のように撮影に出掛けた頃は、森や林に入りびたりのようであった。

わしは森のケンじゃ~、わしは森の健じゃ~~、わしは森の健者だぁ~~~
凡才がいくら望んでも、いくらわめいても、いくら叫んでも森の賢者にはなれなかった!錯覚なのか薄らボケなのか、鳥撮りを始めてから過去にはこんな白日夢(白昼夢)を見たような気もする。


幸いにも鳥撮り3年目に現実の「森の賢者」を見ることは出来た!

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2007年2月、9年前初めての冬の北海道で初めてのエゾフクロウ、朝日が射しこむ里山のクヌギの森、物思いにふける姿は西洋では知恵の神様といわれる「森の賢者」と呼ばれる、北の大地では先住民族のアイヌ人からは「狩猟の神様(インサンケカムイ)」と敬われている神話のエゾフクロウです、西洋では知恵の神様、北海道では森の守り神として崇められてきました。

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同じ洞(ウロ)を左に配置して撮影した椚(くぬぎ)の森、エゾフクロウは内地のフクロウよりも白っぽいので黒い地肌のクヌギの洞ではより白く見えます

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ガキの頃、夏は滲み出た樹液に集まるカブトムシやクワガタなどの昆虫採集、秋にはドングリを拾った里山のクヌギ、こんな子供の頃の思い出が沢山詰まった木に、森の賢者といわれるエゾフクロウの横顔

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夜行性のエゾフクロウは朝と昼間は寝ていますがお面のような顔にかわいらしい朝の寝顔も愛くるしい。

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朝日があたる横顔、首をかしげて物思いに耽る姿が「森の賢者」として一層際立つように見える

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寝顔に朝日がまともに射す、眩しくないのかぁ~~~

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これぞ知恵の神様、森の賢者!物思いに耽る佇まいはエゾフクロウの一番美しい、愛らしい姿と想われる

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フクロウは福来郎(福が来る)福篭(福がこもる)幸福の鳥、あるいは不苦労に通ずるとして安心・安全を呼び込む縁起の良い鳥

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午後4時頃初めての写真です。夕日があたる横顔の森の賢者、内地のフクロウよりも白っぽいのが亜種エゾフクロウの特徴です、横からもお腹の縦縞がよくみえます。

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突然洞(ウロ)の中を覗くと・・・番の相手がいるのか?次の瞬間には・・・

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午後4時08分 目を開きました、夜行性なので夕方にならないと目を開けてくれません、これは前日の夕方にこの森に来た時に撮影したもので、上の朝の写真は翌朝になり、写真の順序が逆になります。

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今度は向きを変えましたがまだまん丸い目ではありません、夕方4時8分でも夜行性のフクロウには眩しいのかもしれません

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正面を向いてもまだ薄目です、じっと物思いに耽っているように見える様子は森の賢者の風格、そのものです。西洋では知恵の神様、北海道では森の守り神として崇められてきました。

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こんな丸まった格好でウサギの足のような足を見せました!愛嬌あふれる仕草やとぼけた表情はなんとも親しみやすい。背を丸めた年寄り?そうではなく「福老」の字をあてて、福を呼ぶ不老長寿の象徴です。

2007年2月20日PM3:58~4:50
2007年2月21日AM7:21~8:45
北海道ではこの木が一番細く、小さい洞でした。
朝夕とも誰もいない森で撮影、カメラ Nikon D2X

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2016年1月17日 (日)

昔日のオジロワシ

 琵琶湖・湖北・山本山に18年間渡来してきた「おばあちゃんオオワシ」に触発されて、昔日のオオワシのブログを掲載したが冬の北海道ではオオワシと同じ狩場・餌場にいるオオワシよりも一回り小ぶりのオジロワシの写真を同時に思い出したので9~10年前頃の羅臼周辺のオジロワシを再掲をします。

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羅臼港のひとつ手前にある松法漁港で撮影したオジロワシの木

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松法漁港の後背地の木にとまるオジロワシ

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漁港の岸壁に右オオワシL95cm、左オジロワシL95cm

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岸壁の雪の上に撒いた餌のスケトウダラなどの冷凍魚を持って飛び立つ若いオジロワシ

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獲物はタコんおかイカなのか?それともヒトデ?なのか鷲掴みのオジロワシ成鳥

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逆光の中、獲物を目掛けて岸壁に舞い降りるオジロワシ

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石の上に3分

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逆光の中、雪の堰堤からの飛び出し

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青空にオジロワシ若

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青空にオジロワシ成鳥

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流氷クルーズのオジロワシとオオワシ

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流氷のオジロワシ

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流氷のオジロワシ

オオワシ、オジロワシと続けば次は釧路湿原のタンチョウとなります。

 

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2016年1月14日 (木)

琵琶湖・山本山のオオワシの追憶

 野鳥ブログにも関わらず、過去半年は温泉や地元のイベントなど野鳥以外のブログで閑話休題。
正月松の内に早朝のラジオで毎年琵琶湖に渡来してくる、オオワシの話題に耳をとめた、今年で18年連続の飛来「オオワシのおばあちゃん」と呼んでいたのである。このブログを回想すると2007年1月4日に琵琶湖の山本山でオオワシを初撮りしたとある、正月3日の深夜に横浜から琵琶湖の湖北まで走り、元気とやる気に溢れていた9年前の回顧である。


九年ぶりに琵琶湖水鳥・湿地センター/
湖北野鳥センターのHPにアクセスすると昨年12月8日に初飛来!今まで最も遅い飛来となりました!の説明がある12月8日のオオワシの写真が貼られていた。懐かしさが込み上げてくる。

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掲載された記録・写真を使用されたいときには、センターまでお問い合わせ下さい。 このような文言もあるので、湖北野鳥センターに電話してスタッフからこの写真の転載許可を戴いたのである。

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2007年1月4日に撮影して1月6日のブログに貼付した琵琶湖で魚を捕獲して山本山に戻る途中のオオワシ♀のトリム、想い出の写真である。

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山本山に戻りお気に入りの松の枝に向かうオオワシ、9年前に撮影した時の雄姿、あれから9年連続、通算18年連続の飛来、オオワシも年老いて今では呼び名は「おばあちゃん」とか???この時は5日に尼崎市まで一般道をドライブして園田競馬場隣の公園でヤツカシラを撮影してまた湖北に戻り、オオヒシクイを撮影している、やる気満々鳥撮りのモチベーション最高潮の頃。この1ヵ月後に大洗港からフェリーで苫小牧港へ単独で真冬の北海道撮影旅行。

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国道335号(標津→羅臼)国後(クナシリ)国道を羅臼港へ向かう5,6km手前にある松法漁港ではオオワシが木に成っていた。琵琶湖・山本山で一羽のオオワシを追いかけていたのが夢のような場面に遭遇した。

 

 

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手持ちでオオワシの真下で撮影、とぼけた顔の若いオオワシ?まだ前頭が黒い、飛ばずにカメラを興味深そうに見ていた。

 

 

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二羽並んで飛ぶ、こんな演技?も見られた

 

 

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頭が白いのでオオワシ成鳥

 

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ノントリで画面いっぱいの写真も容易に撮れる

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松法漁港の岸壁から飛び立つオオワシ、大きな爪から雪が舞い散る

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2007年2月16日から4日間も羅臼に滞在したがその理由はこの年は流氷が少なかった!遅かった!来なかった!16日と18日はシマフクロウの撮影に「鷲の宿」に宿泊して翌朝5時に起きて、流氷クルーズに行くのがコースになっているが、17日の流氷クルーズは流氷が羅臼にまだこないので羅臼漁港周辺の近海でスケトウダラ漁の見物で料金は2000円であった。

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17日の流氷が少ない海のオオワシ、この日は鷲の宿の紹介で漁師さんが経営する「民宿よね丸」に宿泊

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18日は鷲の宿に宿泊してシマフクロウを深夜まで撮影して、翌朝5時には宿を出発して羅臼漁港へ、この日の流氷クルーズは1時間以上も知床方面に北上して流氷を探す

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流氷の上にエサの魚をばら撒いてオオワシを誘う、餌の魚をあさるオオワシの群れを撮影する

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冷凍の餌の魚を持って移動するオオワシもいる

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ばら撒いた冷凍魚に群がるオオワシ、流氷クルーズの制限時間は3時間、羅臼港から往復で2時間以上も航海してやっと流氷を見つける年であった。

この年はシマフクロウ・オジロワシ・エゾフクロウ・タンチョウなどの撮影をした、翌年も二月に北海道へ撮影旅に出掛けた野鳥撮影に意欲満々の時期であったと思われる。

閑話休題、野鳥撮影のモチベーション旺盛な頃のオオワシの追憶である。

 

 

 

 

 

 

 

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2016年1月12日 (火)

岩盤浴と七湯めぐりと熱海桜

 未年の初温泉は松の内の4日5日に熱海の伊東園ホテル熱海館(岩盤浴の旧そよかぜ)であったが申年は3連休の9日10日に同じホテルに昨年同様に家族と子供夫婦・孫などの8人で宿泊した。
5日に白内障術後1ヵ月の検診にを受けたが順調に回復して、術後の炎症や合併症もなく、視力も術後の0・6→0.8→1.0と上がっていた。ところが良いことばかりではなく、半年間も鳥撮りを休んだ影響で運動不足と正月料理で飲んだり食ったりの生活の影響なのか、体重が夏よりも5kg以上も増え、寝起きの度に左腰に激痛が走る、寝起きの度に体重を支える右手首は2年半前に骨折した関節に痛みあり、6日に整形外科に行き左腰と右手首関節のレントゲン撮影の結果は骨に変調があり、電気治療のリハビリを受けることになったが1日だけで済まし、昨年同様に岩盤浴で腰の痛みが楽になることを思い出して熱海館に出掛けたのである。

  

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本館地下1階の大浴場、別館大浴場よりもはるかに小さい、岩盤浴に入る前と出た後にはいる温泉

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玉川温泉と同じ北投石、鉄の箱の中にガラス越しに見えるがその上に鉄格子が嵌り、鍵が掛けられて厳重に浴槽の中に保管されている。

この北投石は台湾の北投温泉で発見されたことから、その名をとって北投石と呼ばれる。学術的には鉛を含む硫酸バリウムで含鉛重晶石。学術名はホクトライト。北投石は1年で約0.2ミリほど成長をするとされる。10年でたった2mm大きくなる成長速度。

 

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北投石の効能書

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エレベーター内部に貼られていた岩盤浴(薬石風呂)のご案内

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岩盤浴の効能には花粉症をはじめ、アトピー性皮膚炎・喘息・便秘・腰痛・高血圧症など持病や思い当たる症状に効果がありそう

 

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岩盤浴の黒い扉の入り口、足元に薬石の砂利がある

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岩盤浴の入り口を入った直後から山石・川石・海石・ラジウムなどの薬石の小砂利 が床に敷き詰められている。館内に貼付されている効能書によるとこの砂利の上から温泉水(50~60℃)で温め、蒸発した粒子が体内に吸収されやすくなり大量の汗が排出されますので新陳代謝を促進し、血管が拡がり血流を良くすることから様々な疾病を予防、再発防止が期待できます。

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岩盤浴(薬石風呂)の黒い枕が並んだ室内、岩盤浴というよりも砂利浴、午前11時半頃より如雨露に入れた消毒薬を砂利の上から万遍なく振り撒いて消毒が始まる、岩盤浴をすると大量の汗が排出されるのでどのような衛生管理をしているのか気になっていたが、温泉水で砂利を温め、濡らすだけではなかった。
9日は午後3時の入館直後に大浴場で入浴した後にサムイに着替えて、最初に冷水を飲んでから岩盤浴室に入り、黒い枕の上に仰向けに寝る。痛い腰のあたりに砂利を寄せ集めて腰痛への効果を目指す、直後から大量の汗が体中から噴き出す、熱いのと噴き出す汗を10分間我慢して、備え付けのウオータークーラーの冷水を飲んで5分間休憩する。再度10分間岩盤浴で汗を流す、この後に大浴場の温泉で体を癒して1サイクルの終了。二度目は5時間後となっているので夕食後の9時頃に二度目の10分、5分休憩10分間の岩盤浴で腰が軽くなったような気がする。翌10日の朝は7時から岩盤浴が開始されるので1番に入る、朝食後は糸川遊歩道へ熱海桜の見物散歩、チエックアウトが12時なので11時過ぎに4度目の岩盤浴に入る、入り口で掃除のおじさんから11時半から掃除の時間と言われ、時間ギリギリまで粘ると一番最後の客となった、如雨露で水を撒いているので何かと問うと、消毒薬を撒いているようだ。一泊二日の熱海館の岩盤浴4回は自分自身の新記録となった。大浴場にサウナもあるが入ったことがない、仰向けに寝ている姿勢の岩盤浴はサウナ以上に発汗すると思われる。

 

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最後に別館3階の大浴場に行くと、午前11時からの清掃開始していたが浴場内の写真を撮らせていただくが湯気で浴槽がよく見えない。

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別館3階大浴場の脇の廊下にある「熱海七湯めぐり」、廊下を歩くだけで熱海七湯めぐり、老化現象の人には廊下を歩くだけで熱海七湯の歴史にふれることが学べる旅が出来る。

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その一 河原湯

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その二 佐治郎の湯(目の湯)

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その三 清左衛門の湯

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その四 風呂の湯、水の湯

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その五 大湯

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その六 小沢の湯(平左衛門の湯)

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その七 野中の湯

熱海七湯めぐりの後は日本列島で一番早咲きの熱海桜の見物

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今年の糸川遊歩道の熱海桜まつりは1月23日(土)~2月14日(日)に開催される

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熱海館の前の平和通りを道なりに下ってくると伊東園ホテルグループのニューフジヤホテルの横を流れる糸川にかかるおなり橋に着く、早咲きの熱海桜が3分咲きであった、熱海桜を見上げる空にトンビとホテルの屋上が目に入る。

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銀座通りにあるバス停の熱海桜の基準木も暖冬の影響か?既に三分咲きであった。

 

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日本一開花が早い熱海桜、部分的には満開に近い枝もあった(1月10日撮影)、スズメの群れはいたが花蜜を吸いに来るメジロはまだ見当たらなかった。

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熱海館に戻る途中の交差点の右に本店、道路を隔てて左にこの写真のお店がある、老舗の常盤木羊羹店が二店並ぶ、右の総本店の看板には鶴吉羊羹、左の写真のお店には100年羊羹の宣伝がある。

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左の常盤木羊羹店の店頭に横山大観の写真が掲示されていた

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更に坂を上ると熱海七湯めぐりの風呂の湯・水の湯、熱海館別館の廊下ではその四に登場した本物をここで見物した。

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昔の面影を残す福島屋旅館の西側にあり、坂の途中にある風呂の湯と水の湯、水の湯はここから1・5m東にあるそうです。

熱海館に戻りながらの散歩で湯の町の情緒や歴史ある建物、名所をぶらぶら見物しながら坂を上る、ぶらフォト散歩であった。

 

 

 

 

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2016年1月 7日 (木)

浜離宮の合気道演武とゆかりの地の思い出

「せり・なずな / ごぎょう・はこべら / ほとけのざ / すずな・すずしろ / 春の七草」 五・七・五・七・七の調子で暗記してから、いまだに覚えている春の七草。松の内も早いもので今朝は七草粥の日であった、そして正月飾りもこの日までである。七草研究会の神奈川県産「春の七草」セットで炊いた七草粥はお節料理に食べ飽きた時期には新鮮であった。
大晦日の晩から家族が観るつまらない紅白歌合戦の番組につき合わされてから松の内はビールを飲むか、お節を食べるか、TVを観るかで過ごしてしまった、唯一の写真撮影は正月二日の浜離宮のイベントであった。

8年前から浜離宮庭園での新年の恒例行事となっている、放鷹術の実演を見に行くようになり、ここ数年前から放鷹術の合間に合気道の演武が行なわれていた。今年も昨年同様に日本晴れの陽光の下で2日午前10時の放鷹術の始まる1時間前から合気道の演武を見物した。その時の写真の一部です。

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2016年1月2日午前10時 合気道演武前の挨拶 

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合気道の演武の開始 

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女性が男性に投げ技を掛ける  

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外人が一度に二人を投げる 

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夫婦の演武では奥方が旦那を投げる技を掛ける

 

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暖かい日の澄んだ青空に陽気も寒さを感じることなく日の光があふれるなかで合気道の演武が終わりました。合気道の演武者の胴着は柔道・空手などと同じような白晒し筒袖・前合わせの上衣に下は黒袴を着用していました。

司会者の説明によると、合気道は他の武術やスポーツと異なる最大の特徴は相手と戦う事でなく勝ち負けを目的としない護身術である。合気道では基本的に試合を行いません。ここが、他の武道と大きく異なる点です。

当日会場で配布された「合気道の演武」のビラには

合気道とは
合気道の創始者「植芝盛平」先生(1883~1969)が若い時から柔術をはじめ日本伝統の武術の奥義を究め、さらに厳しい精神的修業を経て創始した現代武道です。
1942年(昭和17年)頃より合気道と称しましたので、まだできて70年程の新しい武道です。
武道は我が国の数多い文化の中でも最も日本的な伝統と特色を持ったユニークなものです。現在、国際的にも広く普及し、幅広い年齢層の人々に親しまれています。
特徴はその稽古法にあり、試合形式をとらないで技の型を繰り返し稽古しお互いに技を練り合い調和していく和の心を磨く武道です。

このビラを見て、昨年6月に北海道・遠軽町の二ヶ所で撮影した合気道開祖「植芝盛平」顕彰碑を思い出した。

 

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石北本線白滝駅の付近にある白滝ジオパーク交流センター 埋蔵文化財センター前にある合気道開祖植芝盛平翁顕彰碑

 

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石北本線白滝駅と上白滝駅間の国道333号線沿いにある看板

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看板の奥に旧白滝村の石碑には「合氣道開祖植芝盛平翁 ゆかりの地」

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記念碑の脇にある「合気道ゆかりの地」の由来、ゆかりの地は全国に四ヶ所、四市町あるようだ。 

 

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この国道333号線は石北本線と併走しているので列車の写真が容易に撮れるの場所がある、上川方面から湧別川の鉄橋を渡る特急オホーツク、国道333号線の陸橋の上から撮影、約5分後に次の無人秘境駅の上白滝駅を通過する。

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女高生一人が通学に乗車していた朝夕で一日二本の日本一少ないダイヤの秘境駅、今年の3月25日で廃駅になる上白滝駅。次の駅は白滝駅、旧白滝駅、下白滝駅と白滝が付く駅が四駅続くが3月25日で白滝駅以外の3駅は廃駅となる。(写真は2015・6・13撮影)

合気道ゆかりの地も一度に廃駅が三駅になり、白滝駅のみが3月25日からゆかりの地の駅となる。

 

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2016年1月 3日 (日)

今年の浜離宮恩賜庭園、新春の空に鷹が舞う!

 浜離宮恩賜庭園の今年のネット情報が気になった。2016年の恩賜庭園浜離宮の正月恒例の案内文言が気になった!例年の恒例文とは違う下記の案内であった。

①新春の空に鷹が舞う!諏訪流放鷹術の実演 日時:2日・3日 各日11時・14時(各回約1時間) ※小雨決行 場所:内堀広場 内容:諏訪流鷹匠・大塚紀子氏の指揮により将軍家のお鷹場であったこの地で、伝統ある鷹狩の技「放鷹術」を行います。各日1日目は、電通本社ビルの屋上より舞い降りる「ハヤブサの急降下」を放鷹術のひとつとしてご覧いただくことができます。

気になる案内の確認に正月2日は楽しみにしていた大学駅伝のテレビ中継観戦の予定を変更して、近くを大学駅伝が通過するJR新橋駅から浜離宮まで直行した。

最初は鷹匠が拳に鷹を据えての輪回りはいつものように始まった。
 

 

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鳩を入れて飛ばすバードランチャーの周りを田籠善次郎17代宗家を先頭に鷹をその場の雰囲気に慣れ指す 

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田籠善次郎鷹師の後に例年と同じように大塚紀子鷹匠が続く,三番目は稲田早苗鷹匠・・・以下例年と同じ隊列、何事も変わらぬ様子であった。

 

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7人の鷹匠が横一線に整列 しての諏訪流17代宗家の新年のあいさつが始まる、右手に司会者の女性鷹匠補がいるが画面に入らず

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田籠善次郎17代宗家の意外な新年挨拶、昨年の7月に脳梗塞で倒れたので大塚紀子鷹匠に諏訪流18代を就任させた・・・・毎年観覧している観客の中に動揺が走る、当日はお元気そうに見えたが全く意外な挨拶であった。 

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1月2日午前11時には本人からの就任挨拶はなく、この後はメインイベントの放鷹のためにアカオノスリを据えて電通本社ビル屋上に向かった。

当日は本人からの挨拶が無かったのでこの確認をすると、2015年12月19日の週刊文春掲載WEBに次のような記事があったので転載することにした。

タイトルは「女性鷹匠の試技で年初め」 

「鷹はメスのほうが体が一回り大きく獲物に対してまっすぐに狩りをします。オスはより繊細です。それぞれの性格に合わせて一人前に育て上げるのが、鷹匠の仕事です」

 こう語るのは、かつて天皇家に仕えた鷹匠、諏訪流の18代宗家に就任した大塚紀子さん。仁徳天皇以来、1600年の歴史をもつ日本の鷹狩だが、女性が宗家を継ぐのは史上初の快挙。20年の厳しい修業を積んだ大塚さんは、鷹狩の盛んなアラブ諸国や欧州で世界的評価を受けている。

「私が18代を継ぐことになりましたが、これまで以上に先代から多くを学び、日本の鷹狩の技と高い精神性を広めるお役に立ちたいと思います」

 その華麗な試技を1月2日・3日、東京汐留の浜離宮恩賜庭園で実見することができる。両日とも午前11時と午後2時からの2回。向いに建つ超高層の電通ビル屋上からの“急降下”(午前中の回)や、空中に放った獲物を捕えさせる“飛流し”や樹上の鷹を拳に呼び戻す“渡り”、鷹匠同士が拳に鷹をやり取りする“振替”などを大塚さん始め、諏訪流の門下生たちが披露する。

 鷹匠体験(人数限定)や鷹と鷹匠との写真撮影も出来る毎年恒例のイベント。日本が誇る鷹狩文化をこの機会にぜひ。(出典:2015・12・19週刊文春WEB)

以下は当日の鷹匠と鷹匠補の面々

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稲田早苗鷹匠

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榊原智子鷹匠補

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菊池正人鷹匠補

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龍君代鷹匠補

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篠田朔弥鷹匠補

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篠田鷹匠補の後ろに鷹を据えずにいるのは司会者

 

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8人目は昨年も司会を務めた神奈川県の若い女性鷹匠補

この日は座った観客席からの位置があまりよくなく、観客参加による据替の実演などの写真は昨年1月のブログの方が良く撮れていますので割愛します。

 

 

 

 

 

 

 

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2016年1月 1日 (金)

平成二十八年元旦 謹賀新年

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昨年は夫婦ともども後期高齢車になりました、戦後七十年、結婚五十年と林住期の野鳥撮影10年の節目に四月の沖縄へ、ささやかな金婚記念旅行の際に撮影した山原(やんばる)のヤンバルクイナの番です。

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