中3受験生は鷹ガール 恋人はオオタカ、鷹匠の夢追う
今日は購読している朝日新聞デジタル版の記事からのブログです。1月27日の朝日新聞デジタルの記事と1月2日浜離宮恩賜庭園の恒例の「新春の空に鷹が舞う」の実演広場で自分が撮影した女性鷹匠の写真との合体です。
「恋人」はオオタカ、夢は鷹匠(たかじょう)――。鷹を放ち獲物を捕らえる「放鷹術(ほうようじゅつ)」に15歳の少女が挑んでいる。山梨県富士河口湖町の中学3年生、篠田朔弥(さくや)さん。受験勉強に励みながら毎日の練習も欠かさない。めざすのは伝統の技の極意、「人鷹(じんよう)一体の境地」だ。
(朝日新聞デジタル 1月27日より写真・記事の転載)
正月2日。徳川将軍家ゆかりの鷹狩(たかが)り場だった浜離宮恩賜(おんし)庭園(東京都中央区)で、新春恒例の放鷹術の実演があった。(記事原文)
「1月2日11時撮影、諏訪流17代宗家田籠善次郎氏を先頭に鷹をその場の雰囲気にならす輪回り、2番目は昨年夏に18代宗家に就任した大塚紀子鷹匠、3番目にお母さん鷹匠の稲田早苗鷹匠・・・中略・・左端に輪回りの殿(しんがり)を歩くのが中学生女性鷹匠補の篠田朔也さん」
(原文の続き) 大役を担う鷹匠たちに交じり、見習いの鷹匠補の篠田さんもいた。白梅柄の着物に黒の羽織、ハンチング帽と地下足袋姿。数十メートル先の鷹匠に向け、左腕の先に載せた2歳の雄のオオタカ「颯雅(そうが)」を放つと、大勢の観客から歓声があがった。「緊張して、気持ちが拳を通して伝わっちゃった。まだまだです」
午前11時開始時の横一列に整列した鷹匠の左端が篠田朔也鷹匠補
8歳の時、静岡県掛川市の鳥園であったバードショーに家族で出かけ、鷹を操る鷹匠に目を奪われた。拳に載せてもらうと、「爪でギュッとつかまれ、とっても力強かった」。憧れは募るばかり。13歳の誕生日、「プレゼントはいらない。鷹匠になりたい」と両親に頼み込んだ。
1月2日午前8時半頃、浜離宮恩賜転園入り口前の駐車場に家族と到着
御岳山(東京都青梅市)のふもと、代表的な流派の諏訪流第17代宗家、田籠(たごもり)善次郎さん(68)が暮らす庵(いおり)で行われる講習会に、母に連れていってもらった。鷹は繊細で神経質。数年かけて調教し、ようやく信頼関係が築ける。並大抵の努力では「人鷹一体の境地」は会得できない――。田籠さんの話にますますひかれて入門した。月に数度、会社員や学生ら約15人に交じって修業に励んでいる。
相棒・颯雅との出会いは2年前の秋。英国から約50万円で買い求め、庭の小屋で飼い始めた。毎日午前4時ごろ起床し、眠い目をこすりながら颯雅を左手に載せ、近所の林に向かう。飛び立たせて、また左手に戻らせる練習の繰り返し。くちばしや爪で指を深く切られ、血だらけになった。
埼玉県で鷹狩りをしていて颯雅が山中に消えた日は一晩中泣き明かした。しかし、田籠さんは「鷹は教えられたことを必ず覚えている。あなたが信じないで、誰が信じるんだ」。翌朝、見失った場所に行くと、颯雅がパサッと左手に舞い戻り、うれし涙があふれた。練習の成果が出たのは昨季。初めて野生のキジを捕らえさせた。田籠さんは言う。「大人でも何年もかかることが、感性の鋭さですぐにできてしまう。諏訪流を継ぐ逸材だ」
今は高校受験を控え、机に向かう日々だ。友人からカラオケに誘われても断るが、颯雅との練習は毎日欠かさない。「親友であり、家族であり、恋人。この子がいるから頑張れる」
正月、放鷹術の実演を終え、颯雅ににっこりと笑いかけた。「お疲れさま」。ご褒美にウズラの肉をいつもより多めにあげた。
1月2日実演後に観客席にオオタカの颯雅を魅せる篠田朔也鷹匠補
観客の冗談に笑う?
■女性進出、宗家就任も
調教した鷹やハヤブサを使って鳥や獣を捕らえる鷹狩りは4世紀ごろに大陸から伝わったとされ、「日本書紀」にも登場する。その担い手の鷹匠は現在、全国で50人ほどと言われる。初心者が各団体に入門し、数年から十数年の修業を経て、各団体の認定試験を受ける。鷹匠に合格すると、催しでの実演に加え、害鳥駆除や追い払いも担う。
諏訪流は江戸時代に徳川将軍家の保護で栄え、明治以降は皇室のお抱えとなった。「最後の職業鷹匠」と呼ばれた第16代宗家の故花見薫さんまでは宮内省(現宮内庁)職員だった。
田籠さんは「男性しかいなかった伝統狩猟の世界にも女性が進出してきた」と話す。諏訪流でも女性の門下生が増え、正月に放鷹術を実演した8人のうち6人が女性だった。大塚紀子さん(44)は早大在学中に田籠さんと知り合い、入門から10年後の2007年に諏訪流の認定試験に合格して鷹匠に。田籠さんが体調を崩した昨年、女性初の第18代宗家に就任した。
諏訪流18代宗家 大塚紀子鷹匠
中央 大塚紀子鷹匠 右 篠田朔也鷹匠補
(本文続き) 国内の鷹が希少となって取引が禁じられる中、海外産の輸入でしのぎ、狩りができる里山も減少するなど鷹狩りを取り巻く環境は厳しい。大塚さんは「流行ではない普遍的なところが魅力。先人から受け継いだ技で鷹と関わっていきたい」と話す。(矢島大輔)
観客席から戻る最後の一枚はタカも鷹匠補も横顔朝日新聞デジタルをスクラップに保存してから転載したが、見出しの文言や文章はやはりプロの作品は勉強になった。
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