北海道命名ゆかりの地
旭川・神楽岡公園でヤマゲラ撮影中に隣でD5のカメラで撮影していた名寄市の方から名寄の静態保存のSLが素晴らしいと聞いて6月11日に名寄へ行き準鉄道記念物の「キマロキ編成排雪列車」5輌連結(キ機関車SL59601号・マックレー車キ911号・ロ―タリー車キ604号・キ機関車D51 398号・5輌目は車掌車ヨ4456号の連結・全長75m)の写真を撮影してその日は道の駅「もち米の里☆なよろ」に宿泊して翌朝5時からから行動開始。
名寄から国道40号を士別方面に戻り、天塩川水郷緑地にある「つくも水郷公園」に静態保存のSL D51 397号機、自分と同じ昭和15年の製造を見て古い友達にあったような気分になる、このSLを撮影して名寄駅に戻る。
名寄駅で特急宗谷を撮影
名寄駅近くにある名寄市北国博物館前、晴天のキマロキを再度撮影して、国道40号36キロ先にある次の道の駅、天塩川流域の中川郡美深町の「道の駅びふか」に着いたのが10時50分、ここから22km離れた次の道の駅は中川郡音威子府村の{おといねっぷ」、音威子府から右に行く国道275号線は後日浜頓別方面に向かう時に走行、今回は国道40号次の道の駅の目的地は「なかがわ」である蛇行する天塩川に架かる音威子府大橋を渡り・・・
国道にある「北海道命名の地入り口」の看板、昨年は17時で閉館する「なかがわ」のスタンプラリーで急いでいたので通り過ぎたが「おといねっぷ」を出てから10数分の地点、国道がカーブする途中、天塩川が蛇行して近くを流れる、森の中の砂利道を100mくらい進むと
国道からの砂利道の終点に記念碑と写真入りの由来があった。
5年前に建てられた高さ5mの北海道 高橋はるみ知事の書「松浦武四郎 北海道命名之地」の記念碑
拡大して読んでみた。趣旨は松浦武四郎が故事に詳しいアイヌのアエトモ長老から話を聞き、アイヌの通称である「カイナ」の「カイ」とは、この国に生まれた者ということで、「ナ」とは、貴人をさす尊敬の言葉である。これを聞いた武四郎は、「アイヌの人々は、自らその国を呼ぶとき、加伊(かい)と言い、アイヌはひげがながいところから、 蝦夷(かい)の字を用いたが、もともと蝦夷地の蝦夷(えぞ=かい)とは加伊(かい)のことである。」と発想した。
明治二年七月十七日、武四郎は道名に関する意見書を提出。
候補に、日高見道(ひたかみどう)・北加伊道(ほくかいどう)・海北道・海島道・東北道・千島道の六道を提示、この中から「北加伊道」が採用され「加伊」の字が北方の海に通じる「海」をあて「北海道」名が誕生した。初めて知った!!北海道の名前の由来。
6月12日にコンデジで撮影した天塩川歴史紀行・北海道の名付け親・探検家・松浦武四郎の6月11日「天塩日誌」紹介している説明文
安政4年(1857年)、幕末の探検家・松浦武四郎は天塩から石狩川上流への道路開さく調査をした際、これを「天塩日誌」に記録している、その時の天塩川探検の宿営地推定箇所マップの拡大
6月12日はこの後は道の駅「なかがわ」「富士見」、金浦原生花園を通過「☆ロマン街道しょさんべつ」「ほっと♡はぼろ」「風Wとままえ」「おびら鰊番屋」まで日本海を南下してから、また金浦原生花園まで北上して野鳥撮影、この日の最終地は13時頃にスタンプラリー、二度目は18時頃の道の駅「富士見」、ここで日本海に沈む夕日と利尻富士を撮影の予定であったが夕日の時間に海から黒い雲が邪魔をして撮れず、野営地は富士見となった。6月12日は静態保存のSL二ヶ所、JR名寄駅・道の駅スタンプラリー8か所、野鳥撮影は金浦原生花園、この日340km走行のトピックスは北海道放浪家による探検家・松浦武四郎の「北海道命名の地」の大発見であった。
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