昭和の大横綱・大鵬相撲記念館
昨日から始まった大相撲秋場所(11日初日、東京・両国国技館)で横綱白鵬が休場しています。毎場所優勝候補筆頭の白鵬が休場で初日から波乱含みの展開のようです。ネットの情報では9月7日に都内の病院で精密検査を受け「右母趾伸筋腱損傷」「右足関節炎」「左膝タナ障害」で4か月の加療が必要と診断され、この日に日本相撲協会へ診断書を提出した。
白鵬は横綱になってから初日からの全休は初めてである。
その白鵬が常々「私には3人のオヤジがいる」と公言。生みのオヤジは実父・ムンフバトさん、育てのオヤジは師匠・宮城野親方(元幕内・竹葉山)、そして角界のオヤジが第48代横綱大鵬の納谷幸喜さんだ。
大鵬と言えば、自分が社会人となって高度成長期に働きはじめた頃に「巨人 大鵬 卵焼き」が流行語になった。V9を達成した強い川上巨人軍と横綱柏戸と柏鵬(はくほう)時代の黄金期を築いて、安心して見ていられる強い横綱大鵬、それに子供が好きな卵焼きであった。
白鵬の四股名(しこな)はこの両横綱に由来するいわれ、生前の大鵬を角界の親父と呼ぶほどに敬慕していた。
大鵬はアンチ巨人で知られているが個人的には1940年(皇紀2600年・名前の幸喜は皇紀に因んで名付けられた、昭和15年)生まれの同い年の王貞治とは親しく、青年時代は一緒に酒を飲む仲であったと自伝にある。(ウィキペディア・大鵬幸喜より抜粋・編集・転載)
私も野球は昔からアンチ巨人、高度成長期の大相撲は大鵬よりも柏戸を応援していたが(現在も白鵬が負けると心の中で座布団を飛ばす)、大鵬とは同じ生まれ年(昭和15年)なので親方になられてからは同年のよしみを感じていたので3年前に亡くなられた時は悲しく残念に思った。
今年の北海道旅行で昭和の大横綱大鵬の足跡を弟子屈町の3ヵ所で記録してきた。大鵬 幸喜(たいほう こうき、1940年(昭和15年)5月29日 ~2013年 (平成25年)1月19日は、北海道川上郡弟子屈町川湯温泉(出生地は樺太太敷香郡敷香町))出身の元大相撲力士。
弟子屈町の道の駅「摩周温泉」、私のエゾフクロウとクマゲラの撮影基地、インターネットコーナーでPC作業が出来るお気に入りの道の駅の一つ
道の駅「摩周温泉」の町出身の横綱大鵬の写真コーナーがある
釧網本線川湯温泉駅
川湯温泉駅に大鵬土俵入りの写真が掲示されている
弟子屈町川湯温泉街の大鵬相撲記念館と大鵬の銅像
大鵬記念館のパンフレット(表)と(裏) パンフレットの中開き 入口の相撲やぐらのミニ模型 大鵬幸喜個人年表と明け荷 修行時代の大鵬 座右の銘「忍」、大鵬還暦土俵入りの掛軸、太刀持ち・北の湖、露払い・千代の富士 化粧まわし 大鵬親方のサイン(一部)座右の銘の「忍」が多い 昭和35年関脇、昭和36年大関 大鵬の大記録 相撲甚句・大鵬親方世界人道主義賞受賞記念甚句、48代横綱大鵬引退甚句、弟子屈町名所 弟子屈町名誉町民賞受賞、国民栄誉賞受賞 弟子屈町贈・大鵬化粧まわし
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