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2016年10月

2016年10月31日 (月)

静態保存21・北見市SL広場のC58119/D51444号機

 北海道北見市栄町のSL広場にC58119号車とD51444号車とDB12形貨車移動機(入替動車)の3機が静態展示されている。
北見市HPに写真入りでこの3機の説明があります。

C58119号車 昭和10年頃からローカル線の輸送量が増えたため、旅客列車用8620形式と貨物列車用9600形式の中間の性能の客貨両用蒸気機関車として製造されました。 石北本線、ちほく線、釧網線で活躍しました。
製 造:昭和14年設置月日:昭和52年9月18日(展示場所 SL広場)

D51444号車 貨物列車用や急勾配線区の急行旅客列車用にと高性能を発揮、「デゴイチ」の愛称で親しまれた日本の代表的な蒸気機関車です。 石北本線の北見、旭川間で活躍しました。
製  造:昭和15年設置月日:昭和52年9月18日 (展示場所 SL広場)

DB12型貨車移動機(入換動車) 昭和50年紋別駅構内の貨車移動に配置され、昭和57年には相内駅構内に配置換えされ、昭和59年に廃車となりました。
製    造:昭和50年設置月日:昭和60年5月24日 (展示場所 SL広場)

北見駅からの石北線のトンネルがこのSL広場の下を通る、北見市の管理で3機ともきれいな状態で保存されていた。

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北見市栄町SL広場のC58119

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露天の展示ではあるが植栽などが邪魔して全体像がなかなかうまく撮れない

 

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C58119の後ろにD51444がある

 

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SL広場の非公式側、キャブ内には入れない

 

 

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SL広場のC58119号車歴

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公式側はSL広場の外、家庭菜園からの撮影

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SL広場の外から撮影C58119

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SL広場内からD51444の撮影

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D51444号車歴

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全体を撮るには植栽が邪魔になった

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近づくと全体が入らない!

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密閉型が密閉されていたのでキャブ内は撮れない

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SL広場内の撮影

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SL広場外から公式側のD51444

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公式側はSL広場の外から、ここは不法占拠場所?

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D51444を牽引しているように見えるDB12入替動機

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2016年10月30日 (日)

静態保存20・和寒町郷土資料館D51337号機

 デゴイチの現存保存地、北海道上川郡和寒町字北町61番地の和寒町郷土資

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料館(昔使われていた生活用具や農機具・書類など、和寒町の歴史と先人の生活ぶりを物語る資料の展示)の資料館の外側に屋根付きで蒸気機関車D51337号機が静態保存されている。

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曇り空の公民館前に和寒(わっさむ)町開拓100年記念のモニュメントが建ち、その台座には「あったか心がひかる和寒町わっさむ100年/1999」の記念碑がある。SLはモニュメントの右手に保存されている。


ここには6月13日(月)と一週間後の6月20日(月)の二度訪れている。13日は隣の士別市つくも水郷公園で無惨な姿のデゴイチを見た後だけにここに保存されているデゴイチは大切に保存されて幸せである。

 

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6月13日 雨上がりの公民館前の芝生にツツジが見頃であった。 

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一週間後の6月20日同じ様な処からのショット、花の命は短くツツジの花は小さな白っぽい花と咲き替わる、時のうつろいを花で知る。

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郷土資料館側の公式側は屋根の柱がクロスして入るのでスッキリは撮れない

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郷土資料館が管理するSLとあって保存状態は申し分がない、右手の白い建物は郷土資料館、排障器のスカートにもD51337が浮かび上がる

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6月20日は周囲の芝生に白い花盛り

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左に履歴、右は郷土資料館

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12月に誕生から77年の喜寿を迎える、現役引退から40年も経つが保存状態はすこぶる良好である。

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テンダーからライトが覗く、テンダーの上に屋根のような工作物、冬期にシートを被せる骨組みだろうか、連結器の前にベンチが置かれていた。

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バタフライウインドーの機関室から公式側を撮る

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防寒対応のキャブの下からD51337のナンバープレートとタブレットキャッチャー

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タブレットキャッチャーの大写し

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非公式側の密閉キャブ、タブレットキャッチャーはたたまれています

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D51337の保存位置より和寒町公民館を撮る、撮影日6月13日

 

 

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D51337より和寒町郷土資料館、開館日は水曜日、訪問日は二度とも月曜日であった。

毎回と同じ二日間ともコンデジと一眼の混合写真です。

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2016年10月29日 (土)

静態保存19・つくも水郷公園D51397号機

 士別市東7条北9丁目のつくも水郷公園は案内図にあるように天塩川河跡湖を利用した広大な敷地を持つ公園。天塩川の豊かな水を蓄える大きな池では、のんびり水辺のボート遊びやパークゴルフ場やレンタサイクル、キャンプ場、野球場、ミニアスレチックなど、子供から大人までが一日中楽しめるようである。運動広場は冬場はスケートリンクとして活用される。

この公園に訪れた日、6月12日(日)の早朝に
JR北海道の準鉄道記念物として名寄市北国博物館前の旧名寄本線の線路上に静態展示されているキマロキ編成排雪列車のSL 59601号機とD51389号機を訪れた直後であった。

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この案内図の傍の駐車場に車を入れて、🚂のマークの場所はすぐ見つかったがその荒廃した姿を見て落胆した。

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直前にキマロキを見てきた直後でもあり、同じ野晒しの静態保存でもこの落差は酷過ぎると残念な思いがよぎる。  

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D51397蒸気機関車の履歴 に目が行く
      製造 昭和15年1月22日 日本車両(株)
      廃車 昭和51年3月10日
      走行距離 2,714,233.1km
      地球一周 40,056.6km (68周)
      稚内~鹿児島間 2,806.6km (484往復)
 

自分と同い年の1940年生まれ、製造から76年、廃車になってから40年経つが名寄市のキマロキ編成のD51389も同じ1940年1月の製造であり、引退から43年と似たような履歴でありながら静態保存の維持管理の違いでこんなにも差が付いた。 

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哀れな姿の D51397 三橋美智也の哀愁列車を思い出す

 

♪惚れて 惚れて
 惚れていながら 行く俺に・・・・昭和30年代に大ヒットした

 

現役の若い頃の蒸気機関車の旅を思い出し、高度成長期のモ―タリーゼーションの進展により滅び行く哀愁の蒸気機関車を見て来たが、今は人生の黄昏旅の途中にある、SLと同じ様にいずれ滅び往くだろう。

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今度は枠の上部が破損している説明板の「D51397号機のあらまし」を見るとこの蒸気機関車は昭和15年1月製作されて以来函館.五稜郭.滝川.追分の各機関区に配置され、北海道内の主要線区で活躍し、その力強い英姿は多くの人々に愛され親しまれてきました。
昭和51年3月走行キロ2,635,924.8kmをもってその使命を終えました。

不思議なことに履歴の説明板の走行距離 2,714,233.1kmとの違いに気付いた。保存状態が悪いとボロにも気づく。どちらが正しいのか? 

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ヘッドライトが2灯とも破損しています、煙室扉のハンドルも盗られています。ナンバープレートが目立ちません。

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非公式側もこの有様です 、前後左右のプレートは4枚無事でした

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見学階段があり、中に入ることを禁じていますが、階段が付いているので、どうしってもキャブの中を見たくなります、禁止なら階段を外すべしです。 

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上にあるはずの圧力計類がありません

 

 

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キャビン内の計器類はひとつも無い有様です

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焚口戸が半開きで固定、罐の中にあるのは石ころとゴミ?

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テンダーの上には冬季にはシートを被せるのか屋根もどきの板がありました

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キャブとテンダーの間に木が生えています、なにやっテンダー!

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リヤービューもみすぼらしい

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周囲の美しい風景にそぐわないように見える蒸気機関車

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青空の下に青色の信号機が印象的だったがSLの保存状態は赤信号、荒廃した野晒しの保存であった。

 


 

 

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2016年10月28日 (金)

静態保存SL18・北見市三治公園D5025号機

 北見駅ホームから見える北見トンネル出口の左手にある、北見運転所車輛基地にほど近い小さな三治公園(南仲町)に露天保存、屋根なしだが良好な静態保存。周囲は黒塗りの低いフェンスで囲まれている。東屋と植栽、案内板と注意看板でSL全体を撮るのは難しい状態と思われる。この日は北見駅を探訪した後に三治公園に向かった。

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二面三線の北見駅構内の左手に車両基地がある。1番ホームの延長先に北見トンネル出口が見える。駅北側には貨物駅もある。

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北見トンネル出口から出て来た特急オホーツクの入線、14:17発 網走行、オホーツク後方に見えるのが改札口側にあるホテルルートイン北見駅前の正面

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北見駅南側の北見運転所車両基地近くの小さな三治公園(北見駅南側より500m)、露天で保存されているD5025を逆光の時間帯(14:30)の写真、公式側からは北見駅改札口側のホテルルートイン側面が背景に入る。特急オホーツク発車から13分後の撮影

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北見駅方面の左が北見トンネル出口・中は待機線の車止め・右手前方に北見運転所車両基地、この写真の右手が駅より500mの小さな三治公園のある場所、石北線を跨ぐ高架の道路、西4丁目通りより撮影。

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北見市三治公園に静態保存されているD50 25号機

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D50形式蒸気機関車の説明板
大正時代のわが国の産業の発展に伴い輸送力増強のために貨物用9600形(キュウロク)より強力な蒸気機関車が必要となり制作された380輌のうちの1輌である。大正13年に制作されたから昭和45
年までの47年間道内で勾配線区の急行旅客列車や石炭輸送に活躍した。

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380輌製造された現存するのはたった2輌の貴重なD50 25蒸気機関車を見たことがない子供達のために北見市教育委員会が手厚く保存しているようだ。それとも近くにある車両基地の有志の人があり日の雄姿を大切に保存しているのだろうか。

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三治公園の東屋からのD50 25号機、陽だまりに弁当を食べながらSLを眺める姿を空想。

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東屋にルピナスの花が咲いていた

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6月7日のルピナスとD50 25号機

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キャビン内は金網で厳重に保護され中は撮影出来なかった

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屋根なしにも関わらず保存状態はすこぶる良好

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ロッド類は白い縁取りに赤色塗装が綺麗に仕上がっていた

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リアビュー

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コンデジ撮影のフロントビュー

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コンデジの公式側

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三治公園全体、公式側は二枚の看板、この非公式側は4枚の看板があり、スッキリしたSLの写真は撮れないようだ。

路駐で撮影に夢中になり、エアコンSWをONの状態でエンジンを止めたようでバッテリーが上がり、JAFの世話になったが翌日はエンジン・スターターの故障とガラケーの寿命(6年)など酷い事が起こる予兆となった日であった。6月7日はロク(6)ナ(7)日ではなかった。近くの北見市本町5丁目のSL広場にあるSL C58119とD51441の撮影を後日にした。


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2016年10月27日 (木)

静態保存17・別海町鉄道記念公園D51-27号機

 野付郡別海町西春別駅前西町271番地の別海町鉄道記念公園に静態保存のD51-27。6月6日、走古丹の海浜で子育て中のタンチョウ一家を撮影後にスタンプラリーで別海町の道の駅「おだいとう」に寄った後にこの鉄道記念公園に来ましたが別海町には風連湖や野付半島などの探鳥地がある馴染みの深い広大な町です。

別海町鉄道公園は標津線西春別駅跡に作られた公園で、蒸気機関車D51-27、その後ろに車掌車ヨ4642、ラッセル車キ276を連結した状態で保存され、少し離れた一面二線のホームには塗装色の色褪せたキハ22 239が保存されています。

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6月6日は月曜日の休館日で標津線西春別駅跡地に建てられた木造の別海町交通記念館は休館日で閉じられていた。

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別海町鉄道記念公園の記念館と蒸気機関車

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閉じられていたガラス戸越しに屋内を写すと待合室になっています。

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別海町鉄道記念公園のD51-27と信号機

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ヘッドライトが大きく、連結器の形式が違うなど見慣れたデコイチとは少し趣が異なる。

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D51-27の説明板には、この蒸気機関車は、戦後、日本からサハリン(樺太)へ輸出されたものを購入したものである。この型式は、日本国内には1両しかない。昭和24年から昭和40年頃まで、サハリンの東海岸沿いで主に石炭輸送に従事していた。型式は日本のD51に準拠しているが、防寒目的で運転室は密閉式となっており、性能・装備などほぼ同じであるが、区分するために型式と番号の間にハイホンが入っている、などの趣旨が書かれている。

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赤いナンバープレートのハイホン「D51-27」と大きなヘッドライト、赤色塗装が異様、連結器の形など国内用のD51とは異なる。

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赤と白がサハリンでの塗装色の基本だったのか?他のD51蒸気機関車と比較すると赤色が目立つ

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噴水広場からのD51-27と車掌車ヨ4642

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訪れた時間は12時30分頃、公式側は逆光で非公式側からの写真が多くなった

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公式側は逆光を避けて下の動輪部分、赤・白・銀の派手な塗装色

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動輪・ロッドの塗装と比較して、逆光で撮影した防寒用の密閉式ドアと窓の周囲は赤錆びが見え、塗装が剥げ落ちている。下部は塗装直後で上部は未塗装・未整備だろうか?

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車掌車ヨ4642の車体は窓枠の白塗装が流れ落ちて汚れた形跡がある

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反対側には塗装が剥げ落ちて赤い下地塗装が見える箇所があった

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機関車リアより写した車掌車の内部、手前はストーブ

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車掌車の反対側からにビュー

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三両目に連結されていた排雪車(ラッセル車)キ276

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ラッセル車「キ276」

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ラッセル車「キ276」の正面は漫画で見たような、水中眼鏡をかけたカッパに似た顔、クチバシや体が汚れていた

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「キ276」のリアービューに

信号機と踏切遮断機の踏切が保存されている公園内の道路

 

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公園に入る方向からの踏切とキ276の後部、遮断機には竿は付いていない

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一面二線のホームに「キハ22 239」の朱色が色褪せて桃色に退色したディーゼル客車

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ホームには「西春別」の駅名板、逆光撮影

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一面二線のホームにジーゼル気動客車キハ22 239が保存されている

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「上春別」「春別」「平糸」「別海」などの駅名がホームの端にあります。

5月29日のC11 65号機以来の一週間ぶりのSL撮影、この時期はエゾフクロウの巣立ちとクマゲラの給餌などの撮影で多忙な時期であった。

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2016年10月26日 (水)

静態保存その16・雄別鉄道C1165号機

北海道釧路市阿寒町阿寒自然休養村・静態保存C11 65号機。


このブログの静態保存SLシリーズは過去15回で計17輌のSLを掲載してきたが静態保存SLシリーズの名称以外に、7/21に音更駅跡大通交通公園のSL48624号機、7/30の名寄市の準鉄道記念物「キマロキ」の59601号機・D51389号機、7/31の旭川市神居古潭駅の29638号機・C57201号機・D516号機、8/11札幌市サッポロビール工場9543号機・千歳市キリンビール工場D511052号機、9/3の帯広市愛国駅のSL1967号機、小樽市手宮の小樽総合博物館と三笠市の鉄道記念館の静態保存SLを含めると既に静態保存SLの車輌合計は30輌に達する。

今回は阿寒町の静態保存C1165号機は5月29日(日)に阿寒町のエゾフクロウを撮影する機会を利用して、国道240号線沿いにある道の駅「阿寒丹頂の里」の国道を挟んだ向かいの丹頂の里赤いベレ―、阿寒自然休養村野営場の中にある
「炭鉱と鉄道資料館」を訪れました。
雄別鉄道は、釧路市の根室本線釧路駅から、阿寒郡阿寒町(現・釧路市阿寒町)の雄別炭山駅までを結んでいた鉄道路線などを運営していた炭鉱鉄道会社。

炭鉱と鉄道資料館は1970年(昭和46年)に閉山した雄別炭鉱と雄別鉄道の歴史の記念館で館内には様々な写真や資料・新聞記事などが展示されており、屋外のプラットホームにはSL C1165と車掌車ヨ8057が屋根付きで静態展示。

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キャンプ場の入口にある雄別炭鉱と雄別鉄道の歴史や記録を残すための施設として1987(昭和62)年に炭鉱と鉄道資料館などが整備された。 

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炭鉱と鉄道資料館、この建物名は雄鶴駅、裏に阿寒駅の由緒ある駅名表示とプラットホーム、C1165・ヨ4085が屋根付きで静態保存 

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C1165 蒸気機関車の履歴 

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説明板を拡大して、切り抜き、貼り付け

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C1165号機の仕様を拡大・切抜・貼付

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塗装の履歴を拡大・切抜・貼付 

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塗装は綺麗です 

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駅名は雄別

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7年前の再塗装のまま?比較的綺麗に保存されていました

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C1165の運転席

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罐の焚口戸

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C1165の車掌車から斜めのリアービュー

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リアーのライトは球が入って無い

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ホームと反対方向からのヨ8057

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ホーム上からのヨ8057

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蒸気機関車と車掌車の連結部

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左にカーブして山の中までレールが延びている、レールの先に台車、その先はロープで造られた機関車の遊具、その先に軌道自転車などがレール上にある。

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車掌車ヨ8057の後方に台車だけがある、傷んで解体されたオハ6295の現在の姿らしい

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台車の先はロープで作られた機関車の遊具、その先に軌道自転車

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静態保存と駅舎の方向

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レールの終点は鉱山を模した坑口

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人車や炭車などの展示跡、現在は閉鎖されている。

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鉄道資料館の内部、炭鉱と鉄道の軌跡

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炭鉱と鉄道の軌跡、炭鉱と鉄道の歴史写真

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雄別鉱業所などの炭鉱で使用された器具類と社章

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昭和30年代、冬の雄別炭山駅待合室の風景、ダルマストーブと二人のお婆さんの人形

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雄別鉄道の写真とプレート・カンテラなどの鉄道用具

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車掌・気動車運転手・機関手の制帽・制服

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旅客運賃表

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雄別炭山駅の発着時刻表

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炭鉱と鉄道の軌跡の展示でした。

5月29日日曜日とあって家族ずれがBBQなどを楽しんでいましたが鉄道資料館には訪れる人は少ないようです。一眼とコンデジの撮影。

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2016年10月25日 (火)

新横浜パフォーマンス2016・10/23(日)

新横浜パフォーマンス2016・10/22(土)・23/23(日)は秋晴れの二日間でした。

 

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23日午前10時からの幕開けは「岸根囃子連」

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獅子舞い

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獅子舞よりもオカメが面白い

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港北区岸根町の祭囃子として江戸時代から受け継がれて郷土芸能「岸根囃子」

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アンコダンスキッズ、メンバーは年少さん~小学生、幼稚園~低学年チームが3チームと小学生・中学生~高学年が1チームがの出演があり、写真はその内の1チームです。

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SOUL freedom、城里小机地区センターで練習している幼児から大人のダンスサークルの数チーム中の1チーム、朝から一番前の見物席で大勢の親子が場所取りをしていました。

 

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チアダンスチーム「Stare」横浜を拠点に活動している社会人チアダンスチーム

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社会人チームとは思えない程元気なチアダンスでした 

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このチアチームのモットーは「人を笑顔に、心に元気を」!

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チアダンスチーム「Stare」でした

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FLy Battyストリートダンスサークル

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Fly Betty 新羽を中心に活動している

ストリートダンスサークル

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Shiny Dance トワラーズの入場

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バトンや小道具を用いて演技披露をするショーバトンする

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子供のチーム

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Shiny Dance トワラーズ 

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「雅」のはじまりは日本の伝統文化

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昔見た女剣劇の舞台、だが女同士の殺陣でした

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剣舞集団「雅」の殺陣

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雅とは「剣舞集団」殺陣の立ち回りの女性軍団でした

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Hula Lei Makamaeのはじまりはタチヒアンダンス

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タチヒアンダンス

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ハワイアンダンス

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ハワイアンダンス

Hula Lei Makamaeのハワイアンダンス、港北区・鶴見区・神奈川区などで活動し年齢を問わないハワイアンダンス教室

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シュクラン ベリーダンスサークル

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シュクランとはアラビア語で”ありがとう”

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日舞は剣劇、ベリーダンスは剣を載せてアラブ

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”ありがとう”

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この日のシュクランは6名でした

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午後からの太鼓フェスタの始まる前に、「TAIKO-
LAB新横浜」の講師、太鼓の鉄人の指導による当日の飛び入り参加の練習

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「相州和泉野太鼓」

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午後からのプログラムは太鼓フェスタ、最初の出番は「相州和泉野太鼓」

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ステージから降りて来て太鼓がカメラに迫ります

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「相州和泉野太鼓」

横浜市泉区・戸塚区を中心に活動する創作太鼓のチーム、女性が多い!

この後は19時までタイコフェスタは続きますが10時から13時まで3時間も新横浜広場会場のステージイベントを見たので日産スタジアム会場へ移動しました。 

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惜しくも22日(土)ガンバ大阪と2:2のドローでした

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まずは「絆」への寄付

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2F4Fのスタジアム外周部分を一周する大賑わいのBigフリーマ―ケット

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会場への道筋や会場中にトリコロールの幟がはためいていました。

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会場のステージではストリートダンスのコンテストの最中でしたが興味がないので興味のあるB級グルメ巡り、スタジアム前の階段は食事の場所になっています。

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出来るだけ顔が写らないように後姿に努めたが・・・今年も人出が多い!

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B級グルメの出店数は30以上もありました。

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3時半頃の日産スタジアムからの帰り道、新横浜労災病院の角で「岸根囃子連」の山車の上では後継者の育成でしょうか普段見慣れない若者が太鼓を敲いていました。

久し振りに歩き回り万歩計は1万を超えました!

 

 

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2016年10月23日 (日)

2016ふるさと港北ふれあいまつり

新横浜パフォーマンス2016と同日開催のふるさと港北ふれあいまつりの様子です。

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会場は例年と同じ新横浜公園野球グランドです。新横浜パフォーマンスと土曜日は同時開催ですが、地元の人は最初にここに来ます、昨年は泥んこの中での開催でしたが今年はお天気に恵まれました。

 

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会場の入口付近の様子

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開会式のセレモニーは最後の表彰式に間に合いました

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わくわくステージのプログラム

09:30 開催式・表彰式
10:10 横浜F・マリノス トリコロールマーメイズによるチアリーディング
10:40 港北区のキャラクター大集合!
11:10 それいけ!アンパンマン ショー
11:50 岸根囃子
12:20 小机城址太鼓
12:50 港北阿波踊り連盟
13:20 大曽根夢太鼓どどん鼓
13:50 それいけ!アンパンマン ショー
14:20 フィナーレ

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ちびっ子の横浜F・マリノス トリコロールマーメイズによるチアリーディングの始まり

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横浜F・マリノス トリコロールマーメイズによるチアリーディング

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港北区のミズキ―

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港北区のキャラクター大集合!

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それいけ!アンパンマン ショー

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それいけ!アンパンマン ショーのフィナーレ

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岸根囃子

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小机城址太鼓

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港北阿波踊り連盟

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港北阿波踊り連盟

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大曽根夢太鼓どどん鼓

この後は子供ずれ親子に一番人気のあった二度二回目のアンパンマンショーでした。

今日はこれから新横浜パフォーマンス2016の二日目のイベントを見にいきます。



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2016年10月22日 (土)

静態保存SLその15・C58106号機

 5月10日頃に桜が開花した釧路市の春採公園に5月13日桜を撮影に行くが見頃にはまだ早く、帰りに釧路駅から徒歩5分ほどの幸町公園に静態保存のC58106号機を撮影。

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C58形は1938(昭和13年)から1947(昭和22年)にかけて、431両が製造された。愛称はシゴハチである。

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C58106号車の履歴が書かれている。
シゴハチ(C58)の愛称で親しまれたこの蒸気機関車は、昭和14年1月19日、大阪汽車製造会社で完成し、室蘭機関区を経て昭和18年3月釧路機関区に配置され、根室本線、釧網本線で活躍しました。昭和29年8月、天皇・皇后行幸啓の際には、お召し列車をけん引した由緒ある機関車です。その後、昭和47年8月6日、釧路~帯広間のさよなら運転を最後に引退し、鉄道100年記念として当地に保存されることになった機関車です。

➀全長 18.275メートル ②重さ 72.1トン

③高さ 3.940メートル  ④動輪直径 1.52メートル
⑤走行キロ 263万キロメートル

地球一周が約4万キロといわれるので65周以上も回ったことになる。

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例によってコンデジと一眼の撮影、欠品や壊れているような箇所は見つかりません。

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公式側も非公式側も屋根の柱が邪魔だったが屋根付きの静態保存では止むを得ない

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元、お召し列車の蒸気機関車とあって綺麗に保存されています。

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運転室には入れません

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ロッドには赤色の塗装が入る

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午後4時半のまだ明るい陽射し

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保存場所のスペースが広く、静態保存にはめずらしい踏切があります。

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説明板と静態保存場所の全景です。

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2016年10月21日 (金)

静態保存SLその14・十勝鉄道4号機

 十勝鉄道4号機と客車コハ23とともに帯広市西7条南20丁目のトテッポ通りに屋根付きで静態保存されています。
 十勝鉄道は、砂糖の原料となる甜菜の輸送を目的に、大正9(1920)年北海道製糖株式会社(現在の日本甜菜製糖株式会社)の専用鉄道として開通しました。 大正12(1923)年から旅客輸送も始まり、旧川西村を中心とした山麓地帯で働く人々の足として十勝開拓史上大きな役割を果たしました。また、十勝鉄道は「トテッポ」の愛称で呼ばれ、人々から親しまれていました。 しかし、時代とともに自動車輸送が中心となり、昭和34(1959)年営業を停止しました。(帯広市HPより)

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帯広市西7条南20丁目4のトテッポ通りのイラスト案内板
撮影日2016年5月12日午後4時半

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上のステンレス製案内板の十勝鉄道4号機の履歴の拡大

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煙室扉の「4」のゴールド色のペイントが鮮やか

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正面からのコンデジの縦撮り、SLの撮影は常に一眼とコンデジの2台で撮影しています。

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公式側の十勝鉄道4号車と客車コハ23、白いフェンスにSLと客車のシルエットが描かれています。

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蒸気溜め(スチームドーム)と罐胴を支える鉄板に製造会社の社章の大きなメダル

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「NIPPON SHARIO KAISHA LTD. “NO.11 1920” NAGOYA JAPAN」日本車輌会社と1920(大正9)年の製造が読み取れます。

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キャブの窓は塞がれて中は見れません、扉にも鍵が掛かっているようです。

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タンクの横には、十勝鉄道の社章と、大きな「NO.4」がペイントされています、3軸の小さな動輪とロッドはシルバー塗装

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斜め後方からの公式側

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公式側の十勝鉄道4号機と客車コハ23

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客車「コハ23」の十勝鉄道社章とコハ23のペイント

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コハ23の後尾

十勝鉄道の甜菜輸送の大正9年製造の蒸気機関車と大正14年製造の客車

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2016年10月20日 (木)

静態保存SLその13・桜山公園の桜とD51312号機

 留萌本線深川駅の次駅・北一已駅から約2kmの桜の名所、桜山公園に静態保存SL2輌のうちのD51312号機です。100m離れた場所に放置されたように保存されていたC5898号機よりはましな保存です。
こちらもテンダー(炭水車)にタイヤを入れていましたがその上にシートが被さり、シートの上にも十数本のタイヤが載っています。C5898はタイヤの山積で下にタイヤが散乱している保存状況よりはましな保存ですが、それでもタイヤが目障りで出来るだけタイヤを写さない写真になりました。必ず撮影する機関車後尾の写真を故意に忘れました。
テンダーにタイヤを積んでシートを被せることでタイヤ積載の保存方法に何か意味がありそうですが、シートの上にもタイヤが見えたので初めて見るタイヤ積載の意味が俄鉄ちゃんには、その目的がわかりませんでしたが公式側のデフレクター(除煙板)が曲がっていましたのでここの豪雪による雪害と関係があるかもしれません。静態保存にはそれぞれの立場でご苦労があるもと感じました。

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C5898の近くにD51312が白い囲いの中に、こちらも野ざらしの静態保存、テンダーには同じように山積にタイヤが載ってその上にシート、その上にも十数本のタイヤがあるのでSL撮影気分の興が乗らない。

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C5898の保存と違いこちらは運転席側の公式側が撮れる、ヘッドライトが割れて、デフが曲がっている、桜とD5898のコラボ。

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ここでの写真撮影の興味は桜花とのコラボに謳歌、ライトのワレがよく見える

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D51312のプレートが見えるように桜を入れる、除煙板が逆「く」の字に曲がっているのが分かる

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非公式側にも桜の花、周囲は桜山公園の桜は散りの七分か

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タイヤが目障りで炭水車のタイヤを隠すように撮る、テンダー後部からの写真も撮らない拘りようであった。

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コンデジ撮影の桜とフロント

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静態保存の囲み付近の桜

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コンデジのレンズに雨滴が付き罐の扉が白くなる

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D51312の正面4、非公式側6のロクヨンの写真、鉄道写真はナナサンが常識らしいがこれは非常識かな、タイヤ隠しのロクヨンでした。

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雨の桜山公園のサクラとデコイチでした。


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2016年10月19日 (水)

静態保存SLその12・桜山公園C58 98号機

 北海道静態保存蒸気機関車巡りが続きます。花見のシーズンに桜の名所として知られる北海道深川市桜山公園の静態保存SLのC58 98号です。C58の愛称はシゴハチ、園内には約800本の桜があり、5月中旬頃、見頃となります。
雨上がりの5月11日の正午頃の訪問でしたが炭水車(テンダー)に車のタイヤが満載、周囲にあふれて散乱するタイヤの光景を一目見てガッカリ、今まで訪問した静態保存SLとは異様に違う光景を見た!左向きの公式側(運転席の機関士側)からの撮影も出来ない保存状態、いつも撮影しているテンダー後部からの撮影も忘れてしまう程、タイヤは異常であったので写真枚数が最も少ない撮影地となった。もう少しましな保存方法はないのか不満が残る静態保存でした。

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雨上がりの深川市北一已(きたいちゃん)町の桜山公園にポツンとシゴハチ

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桜山公園片隅のC5898、雨の後の公式側(運転席側)には木があり、入る気がしませんでした。俄老鉄ちゃんを自称して始めた静態保存SL撮り鉄訪問旅、今回は撮り鉄用語でSLの機関士(運転席)側を公式側と呼ぶことを知りました。機関助士側は非公式側。

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山裾のテンダーには何故か?タイヤが山積、自動車の発達が蒸気機関車の衰退を早めた筈がその敵のタイヤを山盛りとは、これ如何にの謎です。まさか燃料の石炭の代わりにタイヤじゃあるまいし、桜山公園の駐車場の一角に放置されたように置かれているC5898のテンダー(炭水車)です、自分でも何いっテンダー。

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錆び隠しなのか、連結器に白塗装は素人目にも異様に見えました。周囲のタイヤの散乱は更に異常です、以上。

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半開きのドアからコンデジの撮影、錆びだらけで全く油っ気がありません。撮影中は人っ気もありません。撮り放題。

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計器類は二つの油圧計以外は全て持ち去られたのか、盗り放題で欠品しています、錆びも寂しい、窓の板張りも痛々しい。

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運転席の下の部分、テンダーとの連結部分の覗き見撮り

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3軸の白塗装の動輪と赤塗装のロッドの不思議な色合わせ、野ざらしでも塗装は定期的に行われているようです。

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C5898の側にサクラがないので2台目のD51312の保存場所から望遠で芝桜と蝦夷山桜を入れました。サクラと蒸気機関車で目出タイヤ。明日は同じ桜山公園のサクラとデコイチ。

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2016年10月18日 (火)

静態保存SLその11、79616号機

 北海道沙流郡日高町字富岡にある公園(日高山岳ビラパーク)に静態保存されているSL 79616号機(9600形式の717号機)、日高山岳ビラパークは、日高町市街地から約1kmほどに位置する。ここのSLは仕様・経歴によると、1924(大正13)年に製造され、1975(昭和50)年に廃止になるまで日高線ほか北海道全域で活躍していた。
9600形式は日本
で初めての本格的な国産貨物列車牽引用のテンダー式(炭水車)蒸気機関車である。「キューロク」、「クンロク」あるいは「山親爺」と愛称され、四国を除く日本全国で長く使用された。国鉄において最後まで稼動した蒸気機関車ともなった、長命な形式である。1913年(大正2)~1941年(昭和16)までに総製造数は828両になる(ウィキペディアの9600より抜粋)

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ここの静態保存は手入れが行き届かない、この看板もかなりサビが浮き出ていたのでかなり放置?の状態

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屋根付きの静態保存を正面からの撮影屋根付きでも定期的に塗装する野ざらしよりも保存状態がよくないようだ

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5月10日は北海道では花見の時期 

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桜と79616号機 

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桜に気をとられていたがかなりの錆び付きである

 

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日高町には保存会などの組織がないのか、手入れをしていないので、いたるところが錆びている、誕生から92年の老兵もかなり色褪せていた。

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テンダーにはナンバープレートが無い、ライトが寂しそうに見える、年々歳々桜は咲き、年年歳歳 SLは錆びれ往くのだろうか

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ハシゴはあるが運転席には入れない、キャビン内は窓ガラス越しの撮影

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運転席を撮影中にガラスに映る外の建物が映り込む不思議な写真も( ^ω^)・・・

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ガラス越しにスピードメーターを撮る、仕様では最高速度65kmのキュウロクであるがスピードメーターは120kmまである、運転室には立ち入れないためなのか、機器類は無事に揃っている。

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焚口戸のハンドルも錆びで寂しい

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動輪の主連棒(コネクティング・ロッド)連結棒(カップリング・ロッド)ピストン・ロッドなど全てのロッドが錆びて塗装部分も色褪せていたのが物悲しい

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桜の花びらの上にSLの管が外れて地面に落ちていた

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錆びと色褪せたロッド、剥がれ落ちた塗装はどこまで荒廃していくのだろうか、さび落とし・ペンキとコーティングなど早めの手入れが望まれる静態保存の状態であった。

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剥がれ落ちた塗装と対照的に桜が満開であった。

桜見物しながらの静態保存SL訪問旅はまだ続く。

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2016年10月17日 (月)

夕張市の三菱大夕張鉄道車輌保存地

 夕張市は夕張メロンで有名ですが2006年(平成18年)6月20日に夕張市長が「財政再建団体」申請を行うことを表明して、夕張市が事実上倒産した。この年の6月にこのブログを開始して10年になります。夕張市の財政破綻のショックが日本中に知れ渡ってから今年で十年になります。夕張市のHPによるとこの十年間返済した借金は106億円、借金残高は246億円と順調に再建計画は進んでいるがこの十年間の緊縮財政の課題も多いと夕張市長の鈴木直道氏の談話がWebにありました。「財政の再建」だけではなく、地域の再生や人口の減少を食い止める施策をしっかり加速させ、新たな財政再生計画の抜本的な見直しを図ることが35歳の若い夕張市長の課題のようです。がんばれ!夕張市、頑張れ!鈴木市長。

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夕張市紅葉山の夕張国道452号線にある道の駅「夕張メロード」のスタンプには夕張メロンとロードの造語の名がつけられ、財政破綻前に観光誘致で莫大な資金を投入した「石炭の歴史村」がデザインされたスタンプでした。

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三川国道274号沿いの夕張市の道の駅「夕張メロード」、スタンプのデザインもこの看板、山間の炭鉱地帯で田畑の少ない夕張市の一番の売りは夕張メロン。

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道の駅の近くにJR石勝線・新夕張駅、道東道夕張ICからも近い、新千歳空港から40km、札幌から70kmだが車以外は不便な場所

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JR石勝線夕張支線の終点夕張駅、後ろは人影がない大きなホテルマウントレースイと人通りの少ない夕張駅前

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ダイヤは上下10本/日、一面一線の夕張駅と駅から30秒のホテルマウントレースイ、マウントレースイスキー場はホテルから3分の至近距離であるが新千歳空港や札幌からのスキー客は来るのだろうか?外国人スキー客はどこえ行くのか?

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夕張駅より3kmの大夕張鉄道線・旧夕張本町駅跡に石炭の歴史村の看板が見える

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石炭の歴史村の中核施設の石炭博物館、訪れた5月9日は閉館日、開館は4月29日~5月8日までのGWと夏休みの7月16日~8月28日、秋の行楽シーズンの9月17日~9月25日が個人の開館日となっていた(入り口の開館予定表)、残念ながら見学は✖

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石炭の歴史村にあるSL館は2006年の夕張市財政破綻から閉鎖中、ボイラーや運転席の屋根が雪の重みで壊れたと思われる大きなD51の建物に入り口があり、中に夕張鉄道の蒸気機関車の4号機と14号機が展示されているらしいが閉鎖中で近づくことも出来ず立入禁止の歩道橋の上からD51のお化け写真を撮る。

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三菱大夕張鉄道保存会の三菱大夕張鉄道保存地の看板、Since1999。

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炭鉱の衰退ととももに廃止になった私鉄、1911(明治44)年の開業以来夕張炭鉱を支えた大夕張鉄道が1987(昭和62)年に廃止され、夕張市南部東町の南大夕張駅の跡地にSLはないが一部の車輌が静態保存されている。
夕張国道(国道452号線)沿いにあり、ホーム跡には独特の顔つきが印象的なキ1 ラッセル車や、保存会により客車には中にも入れるように綺麗に手入されています。三菱大夕張鉄道保存会は夕張鉄道25号車の塗装作業にも支援されているようです。静態保存のボランティア活動で観光客の誘致に頑張る保存会の活動に頭が下がります。

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駅裏から撮影の保存車、キ1(ラッセル車)客車スハニ6・オハ1・ナハフ1・貨車セキ1(石炭運搬用車両)・セキ2の車両が保存されている。

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駅裏から撮影の旅客荷物緩急車 スハニ6

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駅裏からのキ形式100、スリーダイヤモンドが目立つ キ1

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スハニ6とオハ1の連結部分

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スハニ6の内部、手前の荷物室は展示車両

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スハニ6の奥は客室、板張りの背板が懐かしさを呼ぶ

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駅名表示、三菱石炭鉱業大夕張鉄道線は、北海道夕張市にあった清水沢駅と大夕張炭山駅を結んでいた三菱石炭鉱業の鉄道路線である。「三菱大夕張鉄道」、「大夕張鉄道線」などと略称される。駅数8、距離17.2km。

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貨車 セキ2(石炭運搬車)、手前にセキ1が保存、
大夕張地区から産出された石炭搬出と住民の足として親しまれてきた、北海道の石炭産業の歴史を今に伝える貴重な文化遺産となっている。

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バスの行先表示は三菱(鉱)バス保存車、バスの右手奥にシューパロダムが見える。

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2015年3月竣工、夕張シューパロダムは新たな観光資源となるか?

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夕張シューパロダムにある夕張付近の案内図

隣町の夕張郡長沼町ながぬまコミュニティ公園の夕張鉄道25号機、同じように隣接する夕張郡栗山町栗山公園の夕張鉄道21号機など廃止された私鉄の静態保存が多い地区。私鉄の廃線・廃駅・車両等は鉄道マニアには必見の場所だがこれだけでは一般の観光客は呼べないのでイベントの付加が必要と思われる。


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2016年10月16日 (日)

秋桜と野鶲

 秋もはや10月中頃、道端や公園に咲く菊科の花に「秋桜」という文字をあててコスモス、数多くまとまって咲く花が秋の風に可愛らしく揺れる、揺れるコスモスにとまり、コスモスに魅かれて寄って来る虫を採餌するのが、スズメ目/ヒタキ科/ノビタキ属の野鶲(ノビタキ)を久し振りにHDD(ハードデスク)から取り出した、コスモスとノビタキの在庫写真です。
秋になって夏の黒羽からバフ色に変わり、南国に渡去する野鶲を秋桜と野鶲でコスノビの愛称で呼んだが漢字の感じでは秋鶲になるのだろうか?


北海道で撮りためた未整理の静態保存SLとカレンダーの残り日が競争している、どちらが先になくなるか、そんな日々のブログ暮らしに、偶には野鳥のブログも秋と飽きのアクセントになる。

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コスモスの花ことば

赤いコスモスは愛情

薄いピンクは純潔

白いコスモスは純潔のほかに、美麗、優美

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コスモスとノビタキのコラボをコスノビと呼んで馬入親水公園や赤い曼珠沙華のあとに咲く巾着田のコスモス畑に通ったのも今は、遠い昔の想い出となっている。台風がやってくるとコスモスが倒れてしまう、10月中旬のコスモスの花つみ前までが撮影時期、台風が多い今年は両地とも訪れなかったが、今年は台風の影響と花つみはどんな年であったであろうか。
良い想い出はハードデスクの中に詰まっている。

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2016年10月15日 (土)

静態保存SLその10、夕張鉄道21号機

 北海道夕張郡栗山町桜丘・栗山公園の静態保存SL 夕張鉄道21号機。夕張郡長沼町ながぬまコミュニティ公園に静態保存の夕張鉄道25(49694)号機は国鉄譲渡機であるが21号機は国鉄に在籍したことがない自社発注の「形式 9600」の私鉄機。1941年製の昭和のキュウロク(クンロク)

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「くりやまこうえん」の看板と夕張鉄道21号機、 自社発注機の国鉄9600形同形機

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夕鉄25号機と同じような簡易排雪装置(雪カキを上下するシリンダー)装備のフロントデッキ

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先輪1・動輪4・過熱蒸気式・炭水車式・蒸気機関車(形式9600)、夕張鉄道21号機

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レールの説明板

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アメリカのカーネギー社製とドイツのライエツ・セステール・ウォク社現在フォエックス社製のレールが展示されている

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案内板方向からの左向き

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コクピット見学用のハシゴがある

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キャビンに夕張鉄道のマークと21号機

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コクピット全体、運転士と助士の座席は底板が出ているが塗装の一部が新しいチグハグ

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運転士側の拡大

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21号機のテンダー(炭水車)

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北海道栗山町の栗山公園に保存さている夕張鉄道21号車でした

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2016年10月14日 (金)

静態保存その9、夕張鉄道25(49694)号機

 北海道の静態保存SLシリーズの続きに戻ります。北海道夕張郡長沼町ながぬまコミュニティ公園に静態保存の夕張鉄道廃止まで活躍した国鉄譲渡機の夕張鉄道25(49694)号機。

説明板は25号機とは記載がなく、国鉄時代の49694号機のみになっています。この説明版によりますと、
1921年川崎造船所製造
1961年夕張鉄道 
1975年廃車
1976年現在地に搬入・静態保存、それから40年。

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フロントデッキに簡易形の雪カキ機には昇降用シリンダを装備。

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夕方16時30分、パークゴルフ場には誰もいない。逆光のSLには同じ様な文言の説明板がSLの前とホームの上に二枚あった。


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”機関車として969番目に生まれました”と書かれているが9600式の製造番号は495番目、誤記の他に夕張鉄道25号機の説明が一切ない不思議な説明書がSLの脇と休憩ホームの二ヶ所にある

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パークゴルフ場の一角にあるホームは、パークゴルフの休憩場になっている。SLは野ざらしだがホームには屋根がある

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SLの周囲のオレンジ色のネットはパークゴルフのOBボールがSLの下に転がり込む防止用と思われる。  

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オレンジ色の布製ネットはSLの全周を囲む、他所の静態保存では見たことがないオレンジ色のスカート

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SLの撮影はオレンジ色のネットからは逃れられない

 

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運転室だけがネットから逃れての外からの撮影

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北海道夕張長沼温泉のながぬまコミュニティパークの夕張鉄道25(49694)号機はパークゴルフ場の一角に野ざらしで展示されていたが最近になって塗装された気配を感じた。 

5月9日は静態保存SLを4ヶ所を巡り、ここが4ヶ所目でこの日は黄昏となった。大正生まれの老SLを昭和生まれの後期高齢の黄昏人が撮影する。


 

 

 

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2016年10月13日 (木)

熱海軽便鉄道7機関車

 完成目前の熱海駅舎・駅ビルと駅前広場・通路の再整備中に駅舎正面の足湯の脇から、仲見世通り入り口付近に引っ越した、熱海軽便鉄道7号車。熱海温泉めぐりの帰りに仲見世通りを出た熱海駅前で撮影。

今回は北海道の静態保存SLシリーズを掲載中の特例版です。

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10月9日に撮影したバス発着所付近から撮影した完成まじかい熱海駅ビル

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工事中の人通りの多い仲見世通り入り口に鎮座する熱海軽便7号機

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仲見世通り入り口方向に正面を向けて静態保存

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長さ3.36m、高さ2.14m、幅1.39mのミニSLのキャブ、ここでの記念写真を撮影する親子の後に順番待ちでの撮影

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東日本旅客鉄道(株)・横浜支社指定・準鉄道記念物第一号の標識が左にある

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工事中の駅ビルと駅前広場・歩行者通路を背景に入れての熱海軽便鉄道7機関車

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工事中の駅ビルを背景に側面と説明板の写真

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日本語部分の拡大写真 機関車の規格 車両の長さ:3.36m 高さ:2.14m 幅:1.39m 重さ:3.6t 時速:9.7Km 客車定員:40~50名    熱海・小田原の所要時間 軽便鉄道:160分 東海道本線:25分 新幹線:10分

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斜めからの撮影、この形が竈(かまど)に似ているので明治・大正の時代に「へっつい機関車」と呼ばれていたそうです。

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展示を開放的な場所に移動したので運転室も丸見えで近くで撮影できる

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熱海~小田原間の25キロを白煙あげ、2時間40分かけてこの華奢で窮屈そうな小さな椅子に座って運転していたのを想像する・・・SLロマン

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シリンダーとロッドと2軸の動輪

次回の熱海温泉は来年正月を予定しているが駅ビルと駅前広場の工事が完成していると思われる。

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2016年10月12日 (水)

景勝地錦ヶ浦の温泉

 熱海七湯めぐりで足が棒になった日に”家族の記念日”に宿泊した錦ヶ浦の景勝地に建つ、アカオリゾート公国(錦ヶ浦にある25万坪の広大な敷地にニューアカオホテル・ロイヤルウイングの二つのホテル、アカオハーブ&ローズガーデン、アカオビーチリゾートの4つの施設)の中のホテルニューアカオの温泉に癒される。

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錦ヶ浦 の馬の背

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錦ヶ浦の景勝地に建つホテルニューアカオ、最上階17階にホテルのフロント・駐車場などがある

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ホテル玄関へのアプローチ

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このホテルは”記念日”の利用を集客のキャッチフレーズ、我々家族四人もある記念日で宿泊 

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ディナーショウ 

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ディナーショーのメニュー

 

 

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翌朝は屋上のススキを入れて、初島の左から上る日の出を撮る

 

 

 

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1階の露天風呂、奥は政子の湯(女性)、手前は頼朝の湯(男性)

 

 

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頼朝の湯、泉質はナトリウム・カルシウム―塩化物・硫酸塩温泉(低張性・弱アルカリ性・高温泉)の無色透明。

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頼朝の湯は海から5m

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頼朝の湯成分表

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烏帽子の湯の入口(男性午前5時~午前10時、女性午後1時~午後9時)

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烏帽子の湯(ハーブ露天風呂)は海の上

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青い浴槽はラベンダー風呂

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赤い浴槽はローズマリー風呂

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烏帽子の湯から撮った烏帽子岩

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大きい方の大浴場(潮騒)は翌朝は男女入れ替えで男性は小さい方の大浴場となる、写真は翌朝の大浴場、熱海の総源泉数は500以上の温泉が湧出すると言われるがここもそのうちの一つ

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温泉成分表

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朝食会場の入口”錦”

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朝のバイキング会場、前夜はディナー会場でした

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ホテルニューアカオから朝の熱海の景観

チェクインは午後1時、翌朝の大浴場は男女とも午前10時まで、露天風呂の頼朝と政子の湯はチエックアウトの午前11時まででした。


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2016年10月11日 (火)

熱海温泉七湯めぐり

 熱海七湯めぐりをしてきました、熱海温泉の古来から数ある温泉の中でも熱海温泉の歴史に重要な位置をしめてきた自噴の温泉「熱海七湯」の復元モニュメント、その七つの温泉めぐり「熱海七湯」にまつわる話と歴史にふれ、湯の町情緒を楽しんで来ました。北海道でのスタンプラリー癖になりました。

3連休の10月8日にWebの熱海温泉スタンプラリー押印帳を7枚プリントアウトして、久し振りに観光地の散策は「熱海七湯めぐり」歴史散策です。下記は熱海七湯に関する熱海市HPからの転載。

 平成9年に市制60周年事業の一環として、本市の温泉の歴史を築いてきた「熱海七湯」の再整備を行うことで、湯けむりを立ち上がらせ、情緒豊かな当時の熱海温泉の再現を図りました。
 七湯は、お宮の松にほど近い熱海銀座近辺に散在していますので、七つの源泉をめぐり、『熱海七湯』にまつわる話と歴史にふれ、湯の町の情緒を楽しんでみてください。※七湯は当時の温泉施設を復元したモニュメントで、自然湧出時代の痕跡はとどめていません。(熱海市HPより)

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プリントアウトしたスタンプラリー帳の表紙

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スタンプ帳2頁目の七湯めぐりの地図です、大雑把な地図ですが一月に糸川のあたみ桜まつりのついでに七湯めぐりを散策している、熱海銀座周辺にある今年二度目の勝手知ったる散策路、スタンプラリー帳片手に巡る歴史散歩は初でした。

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スタンプ帳の七湯についての歴史的由緒

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七湯は全て当時の温泉施設を復元したモニュメントで自然湧出した痕跡は残していない。鉄製の柱の右端にスタンプが鎖付・蓋付きで格納されて、その右に鉄板のスタンプ台が設置されている。取り出したスタンプをこの台の上で押印する。七湯すべて同じ構造。

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河原湯のスタンプは比較的上手に押印された

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河原湯のモニュメント

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河原湯のモニュメントの拡大

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現在は目には効きません

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佐次郎の湯(目の湯)のスタンプ

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清左衛門の湯のスタンプ、湯壺に落ちた清左衛門の落馬と笑う町人

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坂の角にある清左衛門の湯は湯けむりが上がっていた、突き当りは古屋旅館

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風呂の湯・水の湯のスタンプ

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ここのスタンプ台が使い込まれていた

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福島旅館の西側・坂の途中にある

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福島屋旅館の玄関

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スタンプインクがないのか擦れてしまった

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大湯はニューフジヤホテルの近くにある

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外国人など多くの観光客が間歇泉の噴出を待っていたが湯煙程度の噴出であった、かっての世界三大間歇泉は今は面影なし

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大湯の場所は公衆電話発祥の地、現役の公衆電話

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大湯の前にある湯前神社

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ここだけはゆで卵を許可されている、ザルと蓋などの道具が備わっている。

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小沢の湯と名水百選の丹那湧水が並んである、ゆで卵を食べた後は名水で喉を潤すのか

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小沢の湯のスタンプもかすれ気味

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スタンプ格納場所にマスコット

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野中の湯のスタンプ

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中銀ライフケア20の下は白い湯煙で霞んでいた

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野中の湯の先はシーズンホテルと中銀ケアライフ17がある、ここは熱海駅から歩いて一番近い七湯めぐり

熱海駅から徒歩で一万歩の七湯めぐりの歴史散策で足が棒になる、この日は錦ヶ浦のホテルニューアカオで家族と落ち合う。

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2016年10月 9日 (日)

静態保存SLその8、D5147号機

 C57144号機と同じ場所の北海道岩見沢市九条東2丁目 みなみ公園に静態保存のD5147号機。国鉄D51形蒸気機関車の愛称「デゴイチ」「デコイチ」は、日本の蒸気機関車の代名詞にもなった。主に貨物輸送用に太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、その総数は1,115両に達するので日本全国に静態保存されているSLである。

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ドームの形状からの名称はD51のナメクジ形

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横から見たらナメクジが這っているように見えるのでこの形状の由来、誰が付けたかナメクジのお化け

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正面から見たナメクジのデゴイチ

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みなみ公園の芝生とデゴイチのナメクジ形

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ロッドと配管が赤色塗装

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運転席は金色の化粧、製造から来年で80歳になるが100歳でも元気だったキンさんギンさんになるまでここに居続けてと願うように大事に保存されている

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製造年月日:1937(昭和12年)1月30日
廃車年月日:1973(昭和48年)11月30日
製造所:日立製作所
岩見沢機関区配属年月日:1939(昭和14年)
前配属機関区:東鉄局(東京鉄道局)高崎機関区
運転キロ数:23216566.4km
使用線区:函館本線・室蘭本線・根室本線・幌内線・万字線・歌志内線
重さ:自重90t・積載量125t
長さ:19.730m
幅:2.8m
高さ:3.98m

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炭水車(テンダー)部分

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テンダーの後姿はシックなデコイチ

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学校跡地にある岩見沢市みなみ公園でナメクジと貴婦人が仲良く並んでいた。
(撮影日2016年5月9日)

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2016年10月 8日 (土)

静態保存SLその7、C57144号機

 情報メディアなどからは「貴婦人」の愛称で呼ばれている蒸気機関車が静態保存されている公園がある。北海道岩見沢市九条東2丁目 みなみ公園に静態保存のC57144号機。国道12号線沿いに設置されている「みなみ公園」の園内に二機(C57とD51)の蒸気機関車が静態保存されている、今回は自分と年齢が同じ昭和15年(1940)に製造され、鉄道ファンには「シゴナナ」の愛称で呼ばれるC57形のC57144号車。

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国道12号線沿いの岩見沢市みなみ公園

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 製造年月日:1940(昭和15年)10月19日

廃車年月日:1976(昭和51年)3月1日
製造所:三菱重工
岩見沢機関区配属年月日:1969(昭和44年)10月1日
前配属機関区:札鉄局(札幌鉄道局)室蘭機関区
運転キロ数:2992899.4km
使用線区:室蘭本線
重さ:自重80t・積載量115t
長さ:20.330m
幅:2.8m
高さ:3.945m

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貴婦人は何を考えているのか少し傾げたかな?周囲は子供の遊戯器具

 

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 除煙板の先端を垂直に短く切りつめて改造されているようです、東京都庁と都議会は 大改革が必要だがここは改造・改革よりも清掃・整備が必要な処。

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青塗装のロッドと銀色の縁取り塗装と赤色のアクセント塗装は少し派手かな?派手な化粧の貴婦人は今をときめく都知事と同じ厚化粧?芝生のような勝負服のグリーンよりもクリーンが欲しい。 

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板バネや配管などあちらこちらに口紅のような赤色のアクセント塗装  

 

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外観の塗装も東京都知事と同じように厚化粧に見えたが機関室も同じように厚化粧していた、罐の焚口戸は鉄板で塞がれていたので中はブラックボックス、某所の静態展示では石ころなどが投げ込まれていたのでイタズラ防止かも?

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運転席も金色塗装が目立ちすぎ

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炭水車(テンダ)(tender) — 火室で使用する石炭とボイラーで使用する水は見ず。

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青と銀色塗装のロッドとピストンなどの可動部
岩見沢市みなみ公園のC57144号機でした。

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2016年10月 7日 (金)

静態保存SLその6、旧朝日駅跡B201号機

 子供の頃からの蒸気機関車への憧れと郷愁、SLロマンに魅かれて、ドームやタンクが角形のB20式蒸気機関車を静態保存してある、北海道岩見沢市朝日町 旧国鉄万字線朝日駅跡の蒸気機関車B20 1号機を5月9日に訪れた。

B20形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である運輸通信省(のち運輸省)が第二次世界大戦末期から終戦直後にかけて少数を製造した、主として入換え作業用の小型タンク式機関車である。単純化された戦時設計で、あくまでも生産性重視の省力構造である。徹底した資材節約と工数削減化により一切の装飾が排除され、ドームやタンクは直線形態、仕上加工も省略するか最低限に抑えるなど、美観に対する配慮はほとんど見られない。
(ウィキペディア国鉄20形蒸気機関車より一部参照)

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プラットホームの屋根下に静態保存のB201号機

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ドームとタンクの直線と角形のスタイルのB20-1号機

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見慣れたのデコイチ(D51)やシゴナナ(C57)、キュウロク(9600)などからみると小型軽量の角形スタイル、かなり異形の蒸気機関車であるが現役の姿を見た記憶がない。   

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屋根のある他の静態保存の場所と違い、ホームにも屋根があるので一般的な静態保存の屋根よりもかなり大きくSLを雨・雪から保護している。 

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朝日駅跡の左脇に「国鉄万字線 朝日駅跡」の石碑がある。

 

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石碑の裏書には「大正三年十一月十一日室蘭線志文駅より分岐する万字線(志文―万字炭山間)が開発、大正八年十一月十一日朝日駅が新設される・・・以下割愛 

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万字線鉄道公園の案内板 

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案内板の裏の趣旨「国鉄万字線について」の志文駅・上志文駅・朝日駅・美流渡駅・万字駅・万字炭山駅間23・8km、昭和60年3月31日、70年間の歴史を閉じた。 

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斜めからの機関室、ホームから中に入れる

 

 

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ホームの反対側にハシゴがあり、こちらからも運転室に入れる、一番の見所は二軸動輪とクランクシャフトがよく見える 

 

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運転室からの景色

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罐の周囲の計器とバルブ類

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車止め方向の眺め

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旧朝日駅の入口

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旧朝日駅の改札口をホーム上から写す

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朝日駅跡の駅舎・ホーム・桜を写す

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旧朝日駅跡・プラットホームの景観

道の駅三笠よりここまで202km走行しての廃駅探訪の旅、朝日駅跡の静態保存SLB201の撮影であった。

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2016年10月 6日 (木)

静態保存SLその5三笠鉄道村鉄道記念館

 北海道の開拓は鉄道によって著しい発展を遂げたといわれる、1885年(明治15年)幌内炭鉱で採掘される石炭輸送のために、幌内鉄道(幌内~小樽手宮間)が開通した。新橋~横浜、大阪~神戸間に次いで日本で3番目の開通であったが幌内鉄道は、石炭の輸送が直接の目的であった、石狩平野を中心として北海道全域の農業や商工業の振興、生活物資の供給など重要な役割も担い、北海道開拓の礎を築き上げた。(三笠鉄道村資料より)

 北海道で最初の鉄道として1882年(明治15年)に開業し特定地方交通線としてJR発足後最初に廃止されたJR北海道・幌内線を記念する三笠鉄道村の核施設として、幌内線の終着駅である幌内駅跡地を活用し1987年(昭和62年)9月6日に開館した。北海道で使用された鉄道車両や、貴重な鉄道資料、交通・炭鉱関係資料等を保存する。(ウィキペディアの三笠鉄道記念館より)

最初に感動しながら撮影した小振りの動態保存SL、S-304号機は室蘭市の鐵原コークス(現・テツゲン)で工場内の入換に使用されていた、1939年日本車両製造製の産業用タンク機関車。当初は新日鉄室蘭製鉄所で使用。日本において最も遅くまで、保存用や観光用を除いて現役で使用された蒸気機関車である。このSLを三笠鉄道村では、本物のSL・S-304号を運転体験する「SL機関士体験クラブ」を開設しています。自分の手で汽笛を鳴らしSLを運転できる三笠鉄道村ならではの体験が出来る。

今回は運転体験はしてこなかったが乗車体験をしてきた、この動態保存のS-304号車と屋内静態保存の9600形式の59609号車、C12形式のC12 2号車の3台の記事である。

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三笠鉄道村の駐車場に近づくと動態保存のSL S-304が煙を吐きながらこちらに向かってきたので慌ててカメラを向けた、欣喜雀躍の撮影開始となった。

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静態保存の客車の前を通り過ぎる動態保存のSL S-304号機

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車体横には「暖房はコークス」の文字、現役稼働中の名残?、暖房コークスは如何にも北海道の現場で活躍していた証左、動態運転中の機関室には機関手以外数人の姿が見えるが何故だろう?歓喜と疑問の交錯。  

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黒煙と白煙を吐きながら乗客を乗せて走るSLを構内の外れ(終点)まで追いかけた 

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今度は三笠鉄道記念館に入館(入館料300円)して駅に停車中を落ち着いて撮影  

 

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黒煙と白煙を吐きながらの走行中を撮影、右側には「テツゲン」の文字、コンデジの動態撮影

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新日本製鐵室蘭工場や鐵原コークス室蘭工場で活躍し、 日本で最後まで現役で使用された。そのため、車体側面には「テツゲン」のロゴマーク。美容と美肌にコラーゲンは聞いたことがあるがテツゲンは初見・初耳だが???

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左側は道路を隔てて大きな駐車場がある、最初は入館前に向う側で撮影した時は「暖房はコークス」が目に入った。

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静態展示の車両の脇を走る、乗客は展示車輌を見物しながら300mのコースを往復、乗車賃は大人200円を乗車前に駅で立っているおばさんに払うと乗れる、土日は30分毎の運転。

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屋内静態保存の9600形式のSL59609号機 、屋内保存ではスペースが取れないため横からの写真は撮れない

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9600式蒸気機関車は、大正2年(1913)から大正15年(1926)の13年間に770両製造された貨物用標準機関車です。ボイラー中心の高い独特の型が大きな特徴です。四国以外の各線で使用されました。
●59609は9600形の510番目に製造された機関車で、幌内線などで石炭輸送に使用されました。(仕様は省略、原文のまま)
 

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屋内静態保存の写真撮影は正面又は後面のみ

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後ろからは壁があり、距離の制約条件がある

 

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機関室の一部現役時代には無い塗装と思われる

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運転席と罐の焚口戸(たきぐちど)、機関助手が左手で焚口戸の鎖かハンドルを持って開け、右手のスコップで石炭をくべたものと想像される

 

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左端はC12 2号車(全長11・4m重量50t)と比べるとかなり大きい59609号車 (全長16・6m重量60t)

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C12 2号機 誕生から84年、現役期間37年、引退後47年も経つ老兵の姿

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C12形蒸気機関車は、昭和7年(1932)から昭和22年(1947)まで293両が製造された軽量のタンク機関車です。軸量が軽く、しかも強力で、運転、修繕、保守も安価のため、地方路線で使用されました。
● C12 2は昭和7年(1932)製造で昭和44年(1969)に廃車になるまで、客貨両用に使用されました。(仕様は略、原文のまま)

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屋内保存は奥行が狭いので後ろの壁に背中を付けての撮影

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C12 2号機の機関室には計器などに説明札が付いている

 

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罐(かま)の扉 、焚口戸(たきぐちど)の名札がついていた、機関助手が汗だくになりながら絶え間なく石炭を供給したものと思われる

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三笠鉄道村三笠鉄道記念館の屋内静態保存    C12 2号機でした。

 

 

 

 

 

 

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2016年10月 5日 (水)

静態保存SLその4、美唄鉄道2号機

 北海道では殆どの桜が葉と花が同時に咲くエゾヤマザクラだったがソメイヨシノの桜並木が珍しく、そして見事に咲いていたのが東明公園、美唄市開基100年の記念事業として建設されたモニュメントは、その形が宇宙ロボットに似ていることからスペースカリヨンと名づけられ、市内を見渡せる展望台につながる螺旋階段は、開基100年にちなんで100段となっている。この100段の螺旋階段を喘ぎあえぎ上りつめると、眼下の桜と「びばいさくらまつり」の会場、遠くの白いピンネシリの山並みを展望後に近くの美唄市東明、旧美唄鉄道 東明駅跡に立ち寄ったのは5月8日の桜満開の時季であった。

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東明駅(とうめいえき)は、かつて美唄市東明5条2丁目に存在した三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)の廃駅である。
この駅は1972年
(昭和47年)5月31日まで運行していた美唄鉄道の鉄道駅であり、美唄駅から3番目の駅であった。

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東明駅跡の懐かしき美唄鉄道のポスター、同線廃止後も駅舎が保存され、国鉄4110型蒸気機関車の同形機である2号機関車が静態展示されており、美唄市の観光名所の一つとなっている 

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あまり見慣れない形の蒸気機関車が山裾に野ざらしで静態保存されていた  

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5軸動輪のSLを初めて見た気がする 、白塗装の動輪の五軸、お馴染みの三菱マークと「2」号車マークにも目が行く

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五軸動輪の蒸気機関車は日本では稀である。ドイツから輸入された4100、そのコピー機の国産4110、五軸動輪蒸気機関車には、重い列車を牽引する目的に特化しているらしい。

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美唄鉄道2号機の正面と車止め、赤い②が凛々しく見えた

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美唄鉄道2号機の後ろ姿、石炭は約2トン、水は約7トンの積載量、運転台など中を見学できるように階段がある

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美唄市指定文化財4号の解説文。
大正3年(1914)11月、石狩石炭株式会社によって美唄軽便鉄道が開業され、以後昭和47年(1972)三菱美唄炭鉱閉山まで石炭輸送と住民の足として大きな役割を果たしました。
この機関車は、大正8年(1919)11月、美唄鉄道の注文により三菱造船株式会社神戸造船所が製造したもので、原形は国鉄が大正元年(1912)ドイツから輸入した4110型で、勾配のきつい美唄鉄道線の地形に合わせ特別に製造されました。(原文のまま、仕様は省略)

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このSLは窓から顔を出さないと前方が見えにくい運転席の視界

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機関室の罐(かま)

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旧東明駅の改札口(逆光の駅舎の裏側) 

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石積のプラットホーム跡と雑草に埋もれていた線路跡、僅かに線路が見える。

美唄鉄道が発注したSL4110形式5軸動輪の同型機は、同鉄道廃止後半世紀近く経た今日もなお東明駅の跡地に露天で保存されている。

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2016年10月 4日 (火)

静態保存SLその3、19671号機

 北海道帯広市愛国町 旧広尾線愛国駅跡の愛国駅交通記念館に静態保存のSL 19671号機。

通称でかぐろの蒸気機関車9600型19671号機の静態保存である。1918年3月28日に川崎造船所で製造された機関車は、全長16.56m、幅2.61m、高さ3.81m、重量94.85tの870馬力、最高速度65km。石炭は6t、水量は13m2搭載できた。1975年5月4日に運用を停止するまで道内各地で運用され、地球のおよそ55周半に及ぶ2,216,098kmを走行したという。(履歴は説明板より)
ひと月前に幸福駅の気動車と愛国駅のSLをブログアップしたが静態保存シリーズのSLとして今回再編集しての掲載となった。

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9600の付番法:製造順に1番9600、2番9601、3番9602となる。1009699、101普通に考えるとの位を上げて9700となる。しかし、すでに9700形という形式の蒸気機関車が存在したため万の位を使い、10119600とした。以後100ごとに万の位の数字が繰り上がり、200番19699、201が29600…19671号機の製造ナンバーは172番目となる。
万の位の数字×100+下二桁の数字+1=製造順(ウィキペディアを参照)

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愛国駅交通記念館のシャッターが開く前のホームとSL19671号機、鳥撮りは朝が早い6時に幸福駅、7時に愛国駅の撮影、駅舎の交通記念館の開館時間は8時。

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愛国駅の由来は、ここに愛国青年団(明治29年入植)という団体があったことに由来する。広尾線の開通と同時の昭和4年に設置、旧愛国駅は交通記念館として整備してある。

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黒光りする勇姿は今にも石炭を食い水を飲み蒸気を吐き出して爆進するような錯覚を起こす

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野ざらしにも関わらず、黒光りする機関車は手入れ が行き届いているものと思われる。

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5月5日のこどもの日撮影、早朝の俄雨から五月晴れの下の19671号機、子供の時から大好きだった蒸気機関車を目の前にして童心にかえる。 

 

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誕生からまもなく百年、引退から41年の星霜が流れる

 

 

 

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後ろ姿も黒光りして凛々しく、綺麗に静態保存されている

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駅名表示よりも大きなキップ、鉄ちゃんはこれを見ただけでも幸福になれそう

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鉄道記念館内の展示物よりも目立つのはブームが去った今でも人気がある愛国から幸福行の切符で待合室は満艦飾のようだ

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お土産に購入した硬券の入場券と切符セットは愛国駅前の土産物店で販売している。日付は旧広尾線の廃線の日。


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2016年10月 3日 (月)

北海道・静態保存SLを巡る旅その2

 北海道河東郡鹿沼町東町一丁目・旧鹿追駅跡の北海道拓殖鉄道のSL8622号機。北海道拓殖鉄道(ほっかいどうたくしょくてつどう)は、かつて国鉄根室本線新得駅から分岐して、河東郡上士幌町の国鉄士幌線上士幌駅までを結んでいた民営の鉄道路線、通称は「拓鉄」。名前の通り開拓を目的として、十勝平野北部に地元の有力者らの力によって作られた路線。計画では根室本線の新得から網走線(のちの池北線、現在のふるさと銀河線)の足寄を結ぶことになっていたが計画は経営難で未達に終わっている。

 

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8620形は、国鉄の前身である鉄道院が製造した、日本で初めて本格的に量産された国産旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車。「ハチロク」と愛称され、国鉄蒸気機関車の末期まで全国で使用された。 

 

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地図を見ると北東方向に士幌町、西方の隣町は新得町、東の隣町は音更町、近くの観光地は然別湖がある

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屋根があるので比較的綺麗に保存されている 

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北海道拓殖鉄道8620形、1928年(昭和3年)9月に汽車製造で2両(8621, 8622)が同社の開業用に新製(製造番号1023, 1024)されたもので、民鉄向けに製造された唯一の8620形である。8622号機は廃車された後に、鹿追駅跡に保存された。(8621号機は解体された)

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  北海道拓殖鉄道(創設昭和3年社長中木伊三郎氏)は、鹿追町の開拓の歴史の中で忘れられない大きな功績を残し、昭和43年廃線になるまで、40年間鹿追町と共に歩み続けました。ここに保存された8622機関車は創設者中木伊三郎氏の2代目平三郎氏の御好意により寄贈を受け、開拓の昔を知る関係住民の絶大な協賛寄附金によって保存されることになりました。
郷土鹿追の限りない発展の礎としての拓殖鉄道の歴史を、ここに住む人々は永く忘れることはないと信じます。

8622号機関車履歴
      車 種 型 式     8600型式過熱テンダー機関車
      製  造  所     汽車製造株式会社大阪工場
      製 造 年 月     昭和3年9月(北海道拓殖鉄道発注により8621号8622号2輌製造)
      運転使用開始   昭和3年12月15日新得~鹿追間運行
      所用蒸気圧力   火格子面積1.63m2 過熱面積27.6m2 全伝熱面積88.4m2 煙管78.3m2 火室10.1m2
 大煙管直径    12.7cm 長さ 3.96cm 数 18本
       小煙管        4.4cm     3.96cm 数 91本
      炭水車水槽容量  12.75ガロン
炭水車石炭量   6TON
      機関車重量     運転整備 48.62TON  空車 44.49TON
炭水車重量           34.33TON      18.74TON
速     度    32K
      動 輪 直 径     53cm
      牽 引 重 量     90.7TON 但10/1000ノ勾配ヲ上ルトキ35.4TON

(鹿追町無形文化財の解説と車歴より) 

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一両の貨車を牽引する姿で静態保存 

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貨車の表示、無蓋車なので当時は木材などを運搬したと思われるが無蓋車の記号「ト」が見当たらない

 

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貨車の後方より撮影

 

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機関室の計器類は取り外されていた 

 

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サビの見える機関室側面、昭和3年生まれのハチロクも今年で米寿の88歳になる、パチパチと拍手のお祝い。昭和43年の廃線から48年間の半世紀あまりを迎えるが老兵は鹿追町の人々に見守られて静に休息していた。(撮影日2016年5月6日)

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年10月 2日 (日)

北海道・静態保存SLを巡る旅その1

 北海道の開拓は鉄道によって著しい発展を遂げたといわれる、1885年(明治15年)幌内炭鉱で採掘される石炭輸送のために、幌内鉄道(幌内~小樽手宮間)が開通した。新橋~横浜、大阪~神戸間に次いで日本で3番目の開通であった。
幌内鉄道は、石炭の輸送が直接の目的であったが、石狩平野を中心として北海道全域の農業や商工業の振興、生活物資の供給など重要な役割も担い、北海道開拓の礎を築き上げた。(三笠鉄道村資料より)

北の大地の内陸開発による炭鉱の石炭輸送、交通不便な開拓時代に原野への開拓物資、開拓地からの農林産物の輸送という重要な役割果した。
人々の歓びと哀愁を乗せ、風雪の原野をSLが驀進した、開拓の功労車である勇者にも、時の流れが厳しくうつろう、石炭と蒸気が奏でる熱気、車輪の回転と汽笛の音色は幻聴となり、今は廃線・廃駅の大地にかっての勇姿を偲び、地元の人々に愛され安住の地に静態保存されている蒸気機関車を巡る旅。

桜観光、道の駅スタンプラリー、JR駅などの「~ながら撮影」しながら撮影した動態保存3ヵ所(三笠・小樽手宮・丸瀬布)と静態保存の約60ヶ所のSL撮影記のアップロードをはじめることにした。
始めるにあたり、ブログのサブタイトルも心機一新で一新したつもりだが一進一退があるやも知れぬ。

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5月6日新得神社の花見見物後に寄った 新得駅 石勝線と根室本線の分岐駅

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11:05頃北隣の落合駅から特急スーパーおおぞら3号がホームに近づくのが見えた、跨線橋から富良野方面の撮影

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11:08 札幌発釧路行下り・特急スーパーおおぞら3号が次の停車駅帯広に向かう、隣のホームは帯広発10:01発・新得11:07着、11:19発滝川行普通車(撮影日5月6日)

台風10号の水害で新得駅付近の橋が流され現在は特急などは全休している

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新得駅北1kmの新得山スキー場下の駐車場のSL広場にSL5195号機が静態保存されている。10km先の狩勝峠3合目の旧新内駅にもSLが静態保存されている。散策路の距離10kmの間に2台のSLが静態保存されている。

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新得スキー場駐車場下に静態保存のSL D5195号機

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コンデジ撮影のD5195号機

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D51 95号機の機関室

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ここは新得駅から約1km北の新得山スキー場入り口に位置する散策路の起点。スキー場下のSL広場にD51 95号機が静態保存されている。ここから昭和41年に廃線となった旧国鉄狩勝線跡を整備した散策路を北へ10km進むと狩勝高原エコトロッコのある旧新内駅に辿り着く、ここにも静態保存のSL59672号機がある。

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旧国鉄狩勝線跡の新内駅跡

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SL 59672号機と3両の客車

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59672号機の運転席側

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機関助手席側

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59672号機の車歴と諸元
9600形の番号は、1号機が9600、2号機が9601としますが、101台目は万の位に1をつけ19600となります。同様に100台ずつ万の位に繰り上がりますので、ここに保存されている59672号機は9600形の573号機となります

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1両目がB寝台(1965年日本車両ナハネ20 132)2両目はA寝台(1958年日立製作所ナロネ21551)

3両目は個室付きA寝台(1960年日立製作所ナロネ22 153)_dsc61460

2両目のナロネ21 551の表示
 

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現役時代を彷彿させる3両目の後尾より撮影、車体には塗装が何回も繰り返された形跡が見える(毎年ボランティア活動で塗装作業している)

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59672号機の斜め後ろからのコンデジ撮影

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SL(59672)」(1922年川崎造船所製造)に3両の客車が牽引されるように静態保存されている。

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北海道と所縁(ゆかり)の深い石川啄木と狩勝と汽車の詩

5月6日、静態保存SLの旅は新得駅から狩勝峠3合目までの10kmの間にあるD5195号機と59672号機から始まった。

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