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2016年10月 3日 (月)

北海道・静態保存SLを巡る旅その2

 北海道河東郡鹿沼町東町一丁目・旧鹿追駅跡の北海道拓殖鉄道のSL8622号機。北海道拓殖鉄道(ほっかいどうたくしょくてつどう)は、かつて国鉄根室本線新得駅から分岐して、河東郡上士幌町の国鉄士幌線上士幌駅までを結んでいた民営の鉄道路線、通称は「拓鉄」。名前の通り開拓を目的として、十勝平野北部に地元の有力者らの力によって作られた路線。計画では根室本線の新得から網走線(のちの池北線、現在のふるさと銀河線)の足寄を結ぶことになっていたが計画は経営難で未達に終わっている。

 

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8620形は、国鉄の前身である鉄道院が製造した、日本で初めて本格的に量産された国産旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車。「ハチロク」と愛称され、国鉄蒸気機関車の末期まで全国で使用された。 

 

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地図を見ると北東方向に士幌町、西方の隣町は新得町、東の隣町は音更町、近くの観光地は然別湖がある

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屋根があるので比較的綺麗に保存されている 

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北海道拓殖鉄道8620形、1928年(昭和3年)9月に汽車製造で2両(8621, 8622)が同社の開業用に新製(製造番号1023, 1024)されたもので、民鉄向けに製造された唯一の8620形である。8622号機は廃車された後に、鹿追駅跡に保存された。(8621号機は解体された)

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  北海道拓殖鉄道(創設昭和3年社長中木伊三郎氏)は、鹿追町の開拓の歴史の中で忘れられない大きな功績を残し、昭和43年廃線になるまで、40年間鹿追町と共に歩み続けました。ここに保存された8622機関車は創設者中木伊三郎氏の2代目平三郎氏の御好意により寄贈を受け、開拓の昔を知る関係住民の絶大な協賛寄附金によって保存されることになりました。
郷土鹿追の限りない発展の礎としての拓殖鉄道の歴史を、ここに住む人々は永く忘れることはないと信じます。

8622号機関車履歴
      車 種 型 式     8600型式過熱テンダー機関車
      製  造  所     汽車製造株式会社大阪工場
      製 造 年 月     昭和3年9月(北海道拓殖鉄道発注により8621号8622号2輌製造)
      運転使用開始   昭和3年12月15日新得~鹿追間運行
      所用蒸気圧力   火格子面積1.63m2 過熱面積27.6m2 全伝熱面積88.4m2 煙管78.3m2 火室10.1m2
 大煙管直径    12.7cm 長さ 3.96cm 数 18本
       小煙管        4.4cm     3.96cm 数 91本
      炭水車水槽容量  12.75ガロン
炭水車石炭量   6TON
      機関車重量     運転整備 48.62TON  空車 44.49TON
炭水車重量           34.33TON      18.74TON
速     度    32K
      動 輪 直 径     53cm
      牽 引 重 量     90.7TON 但10/1000ノ勾配ヲ上ルトキ35.4TON

(鹿追町無形文化財の解説と車歴より) 

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一両の貨車を牽引する姿で静態保存 

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貨車の表示、無蓋車なので当時は木材などを運搬したと思われるが無蓋車の記号「ト」が見当たらない

 

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貨車の後方より撮影

 

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機関室の計器類は取り外されていた 

 

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サビの見える機関室側面、昭和3年生まれのハチロクも今年で米寿の88歳になる、パチパチと拍手のお祝い。昭和43年の廃線から48年間の半世紀あまりを迎えるが老兵は鹿追町の人々に見守られて静に休息していた。(撮影日2016年5月6日)

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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