夕張市の三菱大夕張鉄道車輌保存地
夕張市は夕張メロンで有名ですが2006年(平成18年)6月20日に夕張市長が「財政再建団体」申請を行うことを表明して、夕張市が事実上倒産した。この年の6月にこのブログを開始して10年になります。夕張市の財政破綻のショックが日本中に知れ渡ってから今年で十年になります。夕張市のHPによるとこの十年間返済した借金は106億円、借金残高は246億円と順調に再建計画は進んでいるがこの十年間の緊縮財政の課題も多いと夕張市長の鈴木直道氏の談話がWebにありました。「財政の再建」だけではなく、地域の再生や人口の減少を食い止める施策をしっかり加速させ、新たな財政再生計画の抜本的な見直しを図ることが35歳の若い夕張市長の課題のようです。がんばれ!夕張市、頑張れ!鈴木市長。
夕張市紅葉山の夕張国道452号線にある道の駅「夕張メロード」のスタンプには夕張メロンとロードの造語の名がつけられ、財政破綻前に観光誘致で莫大な資金を投入した「石炭の歴史村」がデザインされたスタンプでした。
三川国道274号沿いの夕張市の道の駅「夕張メロード」、スタンプのデザインもこの看板、山間の炭鉱地帯で田畑の少ない夕張市の一番の売りは夕張メロン。
夕張駅より3kmの大夕張鉄道線・旧夕張本町駅跡に石炭の歴史村の看板が見える
石炭の歴史村の中核施設の石炭博物館、訪れた5月9日は閉館日、開館は4月29日~5月8日までのGWと夏休みの7月16日~8月28日、秋の行楽シーズンの9月17日~9月25日が個人の開館日となっていた(入り口の開館予定表)、残念ながら見学は✖
石炭の歴史村にあるSL館は2006年の夕張市財政破綻から閉鎖中、ボイラーや運転席の屋根が雪の重みで壊れたと思われる大きなD51の建物に入り口があり、中に夕張鉄道の蒸気機関車の4号機と14号機が展示されているらしいが閉鎖中で近づくことも出来ず立入禁止の歩道橋の上からD51のお化け写真を撮る。
三菱大夕張鉄道保存会の三菱大夕張鉄道保存地の看板、Since1999。
炭鉱の衰退ととももに廃止になった私鉄、1911(明治44)年の開業以来夕張炭鉱を支えた大夕張鉄道が1987(昭和62)年に廃止され、夕張市南部東町の南大夕張駅の跡地にSLはないが一部の車輌が静態保存されている。
夕張国道(国道452号線)沿いにあり、ホーム跡には独特の顔つきが印象的なキ1 ラッセル車や、保存会により客車には中にも入れるように綺麗に手入されています。三菱大夕張鉄道保存会は夕張鉄道25号車の塗装作業にも支援されているようです。静態保存のボランティア活動で観光客の誘致に頑張る保存会の活動に頭が下がります。
駅裏から撮影の保存車、キ1(ラッセル車)客車スハニ6・オハ1・ナハフ1・貨車セキ1(石炭運搬用車両)・セキ2の車両が保存されている。
駅裏から撮影の旅客荷物緩急車 スハニ6
駅裏からのキ形式100、スリーダイヤモンドが目立つ キ1
スハニ6とオハ1の連結部分
スハニ6の内部、手前の荷物室は展示車両
スハニ6の奥は客室、板張りの背板が懐かしさを呼ぶ
駅名表示、三菱石炭鉱業大夕張鉄道線は、北海道夕張市にあった清水沢駅と大夕張炭山駅を結んでいた三菱石炭鉱業の鉄道路線である。「三菱大夕張鉄道」、「大夕張鉄道線」などと略称される。駅数8、距離17.2km。
貨車 セキ2(石炭運搬車)、手前にセキ1が保存、大夕張地区から産出された石炭搬出と住民の足として親しまれてきた、北海道の石炭産業の歴史を今に伝える貴重な文化遺産となっている。バスの行先表示は三菱(鉱)バス保存車、バスの右手奥にシューパロダムが見える。
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