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2016年11月 2日 (水)

静態保存23・雄別炭礦鉄道8722号機

 6月15日釧路市春採公園で巣立ち雛に給餌するシマエナガを撮影した帰路に、釧路市川北町9番19号に本社工場がある橋梁・製缶・クレーン他鋼構造物の設計・製作・施工メーカーの(株)釧路製作所が保存する、近代化産業遺産の「雄別炭礦鉄道車両8722号」を見学してきた。

(株)釧路製作所は10月26日のブログで5月29日に釧路市阿寒町にある「炭鉱と鉄道資料館」を訪れた際のSL C1165号機の雄別鉄道と関係がある。雄別鉄道は、釧路市の根室本線釧路駅から、阿寒郡阿寒町(現・釧路市阿寒町)の雄別炭山駅までを結んでいた鉄道路線などを運営していた炭鉱鉄道会社の関連会社その関連会社である。

(株)釧路製作所のHPによると
この車輌は、1957(昭和32)年に雄別炭礦鉄道に譲渡され、釧路~雄別炭山間の石炭輸送に活躍、同鉄道の廃止後に、関連会社であった当社に引き取られ保存されました。雄別鉄道は、1923(大正12)年、北海炭礦鉄道として営業を開始。翌24年、三菱鉱業傘下に入り、雄別炭礦鉄道として事業展開。 1959(昭和34)年には経営合理化のため、炭鉱部門から分離され雄別鉄道となりました。 釧路~雄別炭山間44.5kmを結んだ鉄路は、C11形や C56形蒸気機関車等が石炭輸送に活躍したほか、釧路市街地への通勤通学の足として活躍、1957(昭和32)年には気動車も導入いたしました。 しかし、親会社である雄別炭鉱が1970(昭和45)年に閉山、雄別鉄道も47年の歴史に幕をおろしました。

8722号は、8700形として現存する国内唯一の車両であります。 8700形は1911(明治44)年、当時の東海道本線などの急行列車けん引用として、英・独・米の3国から輸入された蒸気機関車の一形式で、英国ノースブリティッシュ社から12両が輸入され、翌年には国産大型機関車の製造技術取得を目的に、汽車製造会社で18両が追加製造されました。 当時の国内産業の技術水準は欧米に「追いつき、追い越せ」という時勢で、機械・車両などの多くは欧米からの輸入品の模倣であり、8722号の車輪やロッド類も、当時のわが国の鋳鋼技術では製作することが出来ず、ドイツ・ヘンシェル社の輸入品に頼っておりました。 
製造当初は東北線用として盛岡・青森に配置されておりましたが、その後国産の大型蒸気機関車が登場すると一線を去り、北海道拓殖鉄道を経て 1957(昭和32)年に雄別炭礦鉄道に譲渡され釧路~雄別炭山間の石炭輸送に活躍、同鉄道の廃止後、関連会社であった当社に引き取られ保存されました。 8722号は阿寒町(現在は釧路市)にあるC1165号と共に残り少ない保存車両であります。(以下略)

Dscn9673 

正門入口右の管理棟二階で愛想の良い受付嬢に見学許可をすませて、管理棟前に展示されている8722号車、来客用駐車場に車を停めずに反対側の駐車場に停めて撮影。 

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8722号車あらまし、キャブの8722ナンバープレート

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あらましの拡大

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仕様の拡大、明治時代の製造国産蒸気機関車

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近代化産業遺産とあって管理が良い保存状態

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明治45年の国産だが車輪やロッド類はドイツ・ヘンシェル社からの輸入品といわれる

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一眼レフの写真が見つからないのでコンデジ5枚の写真

Sl8722 

写真は(株)釧路製作所HPの8722号機、小学生の写生画材にもなっているそうです。

駅名の新釧路駅は北海道釧路市古川町(現・新釧路町)にあった、雄別鉄道の雄別本線の駅、廃線とともに1970年4月に廃駅になった。

明治の香りが漂う古典スタイルの蒸気機関車であった。

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