プチお遍路 御朱印ウオーク
伊豆にもお遍路があるんです!江戸時代からの八十八ヶ所霊場巡りのお遍路があり、一番札所は伊豆市田沢の観富山嶺松院、結願の88番札所は、地名にもなっている伊豆市修善寺の曹洞宗 福地山 修善寺である。
江戸時代に創業したこのお遍路は444kmの道程に八十八ヶ所の霊場・札所がある。先日、2015年の日本人の平均寿命が発表され、男性80.75歳、女性86.99歳と過去最高となったが、これは統計的な平均値で保証はない、重要なのは健康寿命。残りの人生まだ何が起きるのか?先のことは誰にも分らない。老化とともに仏心が増し、逆に足腰が弱くなってきたが、健康なうちに人生一度はお遍路に挑戦したいと思う、冒険心が心の片隅に芽生えてきた。
河津桜の発祥の地、河津町にある伊豆88遍路の札所の三寺を廻る御朱印ウォークが河津桜まつりの期間に新しく企画された。お遍路の旅支度衣装などを販売する、河津桜観光交流館からスタートして、6ヵ所の霊場巡りの御朱印ウオークが今年から開始された。河津桜を愛でながら河津の歴史と文化に触れるプチお遍路を体験してきました。
自分の野鳥撮影の拠点である、踊り子温泉会館近くの駐車場に車を置いて、上流の峰小橋方向へ歩き、峰小橋を渡り、涅槃堂駐車場の「涅槃桜」を撮った後に、徒歩1分の涅槃堂に向かった。
6ヶ所の霊場を説明する御朱印ウォーク・パンフの切抜コピー
河津町沢田の涅槃堂、毎年お釈迦様が入滅した2月15日に涅槃会のお祀りがある、今年の2月15日は涅槃堂周辺は大変な混雑でこの日はお参りを回避して、10日後の二度目の河津桜観光の2月26日に参拝した。
当日の撮影、涅槃堂内の蛍光灯が反射しているが、釈迦如来涅槃像(檜一本彫り 漆箔 全長2.58m)、桜まつり期間中の2月10日~3月10日は参拝者が多く、上のような寝釈迦像を中心に左右の仏像を入れる広角の写真は撮れなかった。
寝釈迦像の頭の右に祀られている像
涅槃堂、ここに日本三大寝釈迦像(2・58m)が祀られている、日本三大のあと二つはどこだろうか?
その昔、微笑みの国タイで参拝したバンコクのワットポーの寝釈迦像は46mであった、アユタヤ観光で見物した露天に寝ていた涅槃像はもっと大きかったと記憶している。日本三大とは大きさなのか、由緒などの名声なのか、何だろうか?気になる日本三大の記述。
涅槃堂横の小高い見晴台から河津川沿いの桜が一望できる。ここは河津町の新名所となっている。ここから左手の下流方向へ歩き出す。
御朱印ウオークの行程とは異なる自分の都合(野鳥撮影)で下流方向へ歩きはじめる、かわづいでゆ橋・豊泉橋・来宮橋を通り過ぎ荒倉橋で対岸に出て直ぐの処がかっぱ寺
涅槃堂から徒歩で下流方面へ約30分、栖足寺の本堂
栖足寺の境内にあるカッパの甕 (かめ)
本堂の内部 本尊を参拝
本堂の天井絵、家紋の原型植物が描かれた日本古来の植物画は見事であった。
カッパ展が開催中であった
絵画・皿絵・掛軸などいろいろ、カッパの絵・文字などがが入れば何でもカッパ 上の写真は本堂内の右手の部屋でカッパ展が開催中であった。カッパに関する数々の展示品があふれていた。 伊豆88遍路35番札所のカッパ寺で遊んだあとは河津町の平安時代の仏像群へ かっぱ寺から1.2km 駐車場の案内板、ここから山道の急坂がはじまる 南禅寺と河津平安の仏像展示館まで急な上り坂を喘ぎ喘ぎ登る、息切れする急坂をやっと上り切ると南禅寺本堂が現れる、急坂の途中で仏像を見に行くのに、まさかと思うが息切れして自分が仏になるのではないかと何回も思った急坂であった。花粉症の時季はマスクをしているので余計に息苦しくなる。 南禅寺本堂 無住職の寺で本堂内は空でした、仏像は全て左手にある展示館へ 河津町は、平安時代、華やかな仏教文化が花開いた土地でもありました、多くの仏像を伝える河津町にあって最も古く、学術的美術的に重要な仏像を多数伝えるのが谷津の南禅寺です。南禅寺の本尊・薬師如来坐像は、平安時代前期(9世紀)に遡る仏像で、静岡県最古の仏像です。他にも、東海最古の地蔵菩薩立像(10世紀)や、ヨーロッパ各地での展示会で絶賛された二天立像(10世紀)を始め、24体の平安仏が伝えられており、まさに仏教美術の宝庫といえます。(伊豆ならんだの里 河津平安の仏像展示館 パンフレットより) 展示管内は撮影禁止、パンフレットのコピーで展示館の入口から見た展示館内の展示、入り口を入った両脇に一対の神将立像、正面中央に本尊の薬師如来坐像などの24体の仏像群は、伝承によると七堂伽藍を備えた大きな那蘭陀寺(ならんだじ)があり、749年行基が創建したといわれる。 1432年の山津波により堂宇もろとも埋没したした仏像を1541年に土中より掘り出されたものと伝えられている。 展示館内の中央で、でんと座っておられた、南禅寺の本尊、土中から掘り出した後にかなり修復したものと思われる 頭が長いのか額が長い地蔵菩薩立像 土中から掘り出した後にお顔を彫り直したといわれる平たい顔の観音菩薩像 神将立像 平安時代前期(9世紀)、土中から掘り出した割には保存状態が良い。 あとの20体近くの仏像・神像は顔の部分の凹凸が見られず、のっぺりして摩耗したような顔は、長期間土中に埋もれていたご苦労が偲ばれる。 展示館発行の小冊子に書かれていた見出し、何故 此の地に 千二百年の眠りから覚める仏像群 急坂を下りながら何回も繰り返す台詞となった。
今回は四ヶ所目のお寺でこの日は住職が近在のお寺での葬式に出掛けて留守でしたのでここで腰砕け。
お寺の引き戸を開けるとご本尊が見えたので一枚撮影してお参りをすます。
曹洞宗 千手山 三養院 本殿 伊豆88遍路34番札所
今年から始まった河津桜まつり御朱印ウオークも二ヶ所残して、プッチンとなり、プチ遍路は来年に持ち越しとなった。お遍路の挑戦どころでは無くなった。
夢と現実とはこんなものと思われる。
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