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クマゲラ観察のブログが後先になりましたが一番子の巣立ち四日前、6月16日のクマゲラ雌雄の給餌の様子です。
撮影日6月16日
♀が給餌に飛んできました
お母さんですよ!
給餌の開始
僕にも、私にも・・・クチバシを出す
餌をもっと欲しがる雛
天敵のカラスを威嚇するような鳴き声を数回
もっと餌を欲しがる雛を尻目に飛び出し
はやく来てね!
今度は♂の給餌
足を前に羽を広げてブレーキをかける
いつもの着木
給餌の開始
雛は四羽いるが一番子が先のようです(巣立ちしてから分かる)
時々天敵のカラスを警戒する素振り
三羽の雛に給餌する♀
給餌後の♀の飛び出し
クチバシ三つは三羽の嘴、♂の給餌
♂は位置を替えながら、周囲を警戒しながらの給餌
給餌後の警戒
給餌後に軽快に飛び出す♂
道有林のアイドル・キキタ君の弟や妹が今年も無事に巣立ちました。
クマゲラの巣立ちは、短距離競争と同じで短い距離を全速力でスタートするように、最初から全力を出して巣穴の縁に爪を掛けて、ロケットスタートで飛び出すのが巣立ちですが、この二番子の雌の巣立ちは、巣穴の周囲で暫くとどまった後に、モタモタスタートでした。こんな珍しい巣立ちを初めて観察しました。
撮影日6月20日AM9:46~47分
一番子の♂が巣立ちした後には♂1羽♀2羽が残っていましたが二番子は巣穴の上の♀か下の♀か、よくわかりません。この体勢からは下の雛が巣立ちしたものと思われます。
巣穴の縁に掛けていた爪を外に出した瞬間
上の写真から9ショット目です、巣穴から這い出してきました、通常のロケットスタートの巣立ちではありません
バタバタしながら巣穴の周囲にどうにか爪を掛けました
カラスなどの天敵を警戒するように見えましたが本当かどうか?
位置を微動して
上だけでなく左右も確認
これが巣立ちの初飛翔
巣立ちの2ショット目です
初めて観察したモタモタ巣立ちの証拠写真でした。
チゴハヤブサ♀のお気に入りは、グリコの万歳のように幹から天に向かって、上に枝が伸びているのが「天までとどけ!のトドマツに雌。身体を使って漢字を表現する人文字ギャグで人気となったTIMのゴルゴ松本の「命」の字のように両腕を下げて一本足で表現した形は、幹からの枝が下に下がっている。下に下がっても「え~ぞ松」がエゾマツの木がお気に入りが雄。
私は正気ですがもし、木が違っていたらキチガイですね。営巣木はカラスの巣跡のある赤松です。ハヤブサが巣立ちを迎えたが稚児ハヤブサは今が交尾の時期です。今回は写真の町で撮影したトドマツ、エゾマツ、アカマツの三松の稚児ハヤブサの番です。
撮影日6月13、14日
雄と思われるチゴハヤブサの三態
♀と思われる
雌の飛び出し
♀の止まり木にソロソロと近づくのが♂、♂の胸が♀よりも白い ♀のストレッチ 尾羽よりも翼が長い証拠写真♀ 営巣木のアカマツに♀ チゴハヤブサ【Falcosubbuteo】 ワシタカ目ハヤブサ科 稚児隼 英名=Hobby. 体長= ♂32〜35cm、♀=33〜37cm. 翼開長=♂72〜81cm、♀=78〜84cm. 体重=130 〜340g. とまっている姿を見ると尾より翼が長い. ♂は胸の縦線が細かく、綺麗に入る ..体長=♂32〜35cm、♀=33〜37cm(出展:ウイキペディアのチゴハヤブサより一部抜粋)
バリケードにはいろいろあるが、街中で一番目にするのは黄色と黒のトラ柄の通行止めの移動式バリケード。
枝川さんちのおばあちゃんの愛称は枝バア―と呼ばれる、アカゲラの巣の前にある枝葉のゲートは若葉バー、巣作りの時はあまり邪魔にならなかったようだが、雛の成長とともに育雛の頃になると葉っぱが64枚にも増えて(ハッパ 8x8=64)給餌に邪魔になるようになった。枝葉の上を超えるのはハードルが高すぎるので、バーの下を潜るリンボーダンスのスタイルでこの枝葉を潜りながらの給餌や糞出しのお掃除をするアカゲラの雌雄。バリケードは相手の侵入や攻撃を防ぐために築かれる障害物、この枝葉のバリケードはカメラマンを防ぐためかも知れない。
餌を咥えて、雌が給餌に来た!
巣穴の中で給餌中の雄が飛び出し、リンボーダンスの空中バー潜り、巣穴と飛び出しが何とか撮れる位置は唯一この角度
雌が交替で巣穴の中に入り、給餌する。雛はまだ小さい。
給餌を終えた雌が顔を出し、周囲を警戒しながら飛び出す 半端ない葉っぱの下を空宙リンボー ♂が来た、♀が顔を出す! ♀が飛び出し、バーくぐり ♀が来て♂が出る ♂の飛び出し バーくぐり ♀が来た!今度は何だ! 糞出しバーくぐり 今頃は無事に巣立ちしただろうか、それともまだ給餌中かな?巣穴の出入には外敵対応のカーテン代わり、カメラマンには邪魔な緑のカーテンでした。撮影日6月10日
梟の音読みと訓読みを今日 、字書を紐解くと梟の音読みはキョウでした、訓読みは、ふくろう、さら(す):意味はさらし首にする。つよ(い):意味はたけだけしい、あらあらしい。ふくろう以外は意外な印象です。
梟の語呂合わせや当て字では「福老」幸福に年をとる。「不苦労」「不苦老」苦労知らず。「福篭」福がこもる。「福来」福が来る。などと縁起がよい字が充てられている。
西洋では知恵の神や森の賢者、森の哲学者などといわれています。北海道の先住民族アイヌでは神話や伝説に登場して、森を守る神として崇められてきました。
梟の縁起の良い当て字や大きな目や360度近く廻る首の仕草やとぼけた表情などに愛嬌を感じ、ふくろうは置物などにも人気があります。
そんな先入観のあるフクロウですが、ここのエゾフクロウは神出鬼没です、4回訪問して2回は森中を探しても見つからない日があると思えば、洞の中で寝顔を見せたり、洞の中で大きな目を開けて訪問者を見つめている時があります。洞から飛び出して、近くの枝でそれも変幻自在に表情を変えています。まるで江戸川乱歩の怪人二十面相のような怪梟(かいきょう)二十面相の思いがします。
小生の名前は健ですが、十分に歳を重ねましたが、いまだに賢者になり切れないが大きな病気はまだ一つもない健者です。
6月4日午後4時頃、黒い大きな瞳で見つめる賢者の佇まい
森の賢者も幸せな夢見る寝顔
遠くを半身に構え半目で見つめる森のひと時
嘴が水平近くになり、天を見つめるのは明日の天気か?このところ悪天候続き
なにやら難しそうな顔、明日の天気が心配なのは俺の方だが
物思いに沈む時もある
君は足を伸ばして、ストレッチ 気味に見えるは 上の空
西を見れば東も気にかかる、なんだかなぁ
右足の爪をがっちりマンデー、今日はがっちり挟んデーだった
足場はガッチリ、顔盤はボケ気味
足が写ったが幽霊みたいになってしもう~た、動きの少ないエゾフクロウ撮影なのでSSを上げてなかった油断大敵のホンボケ、加齢のボケとは違います(言い訳はいいわけないさ)これは怪梟(かいきょう)二十面相の最高の変装顔
オウムの懸垂に見えたが?棲息する洞から垂直に跳び上がる、青葉の眼帯変装
暗い処に移動して仕舞ったが今度は全身が見える
ここでも西を見て
東を見る、もしかすると狩の帰り待ち?
止まり木はさっきまでいた洞の傍です、今度は洞の方角を見る
洞の傍で監視かな?
大きな眼で見つめられた、この日の出会いの睨めっこ
少年時代の人気本、江戸川乱歩の少年倶楽部の怪盗・怪人二十面相のタイトルにあやかったが、エゾフクロウは変装がとびきり上手な訳ではなく、愛嬌あるのごく自然体の姿を見せてくれただけでした。
サンバ(Samba)といえば、リオ(リオデジャネイロ)のカーニバル、ブラジルの代表的な音楽サンバにのって躍りまくる世界最大のカーニバルの一つです。
50万人の人出があるといわれる、浅草のサンバカーニバルも今年は8月の最終土曜日の26日に開催されますが、写真を撮るのを毎年楽しみにしている人達もいます(普段は野鳥撮影ですが・・・)
昔、結婚式の披露宴で花嫁の友達がチェリッシュの「てんとう虫のサンバ」を歌ったのを聴いたことがあります。
郷ひろみの「お嫁サンバ」の歌詞にある。1,2,3バ 2,2,3バ のようにカワアイサ成鳥♀が一度にサンバに来て賑やかに給餌をしました。
一番最初に来た母親と思われる雌が給餌を終えた後に雛の叔母さん?なのかお姉さんなのか?飛んできました。
飛んで来ると直ぐに給餌のようです
二番目が給餌中に三羽目が飛んできました
三番目も給餌開始です
二番目三番目の同時給餌です
バタバタと給餌がてんやわんや
サンバを躍っているようです
給餌に一生懸命の様子
給餌を終えたようです
飛び出し
ふあ~と浮くような飛び出し
もう一羽も給餌が終わったようです
飛び出しの様子
二羽目も飛び出す
最初に来た親と思われるのもこの後飛び去りました、この後にもう一回給餌があり、この日は巣立ちがありません。19日の巣立ちから17日間巣立ちがありません。道内の方も道外の皆さんも待ちくたびれました。
動体視力の衰えと共に野鳥の飛翔の撮影能力が低下してきたと認めざるを得なくなりました。飛び出しは何とか撮れましたが飛びつきが撮れません。飛びつきは四六時中見張っていなければならず、根気と忍耐力の低下と共に指先の反応時間が遅くなりましたのでその決定的瞬間に間に合いません。飛び出しは巣穴から飛び出す瞬間だけ、緊張していれば何とか反応出来ました。
視野角と動体視力は加齢とともに低下するため、75歳以上の運転免許が今年から厳しくなり、更新する場合に認知症検査と共に、運転適性検査としての視野角と動体視力検査があります。年々厳しくなる高齢者適正検査で、来年は3度目の検査です。視野角と動体視力は野鳥の飛び付き、飛び出し撮影で鍛錬して、動体視力の向上に努めたいと思います。
ところがもう一つの課題は、朝日が出ると、毎日のように、読者にブログを報知している読売のような活動が目を酷使していますので、ブログを書き終えると目がショボショボします。毎日をやめて三日に一回の掲載、略してサンケイにするか、北海道での新しい出来事、略して道新にするか、スポットの情報を日毎に書く、スポ日にするか、やはり日中の出来事を日掲(日経)するか中日かデイリーにするか、勝毎(十勝毎日新聞の略称)の地元の撮影地で悩んでいます。
今朝も2週間待っているカワアイサは3度目の巣立ちがありません、鳥会えずです。取り合えず今後のブログは三日に一回のサンケイを予定しています。
給餌後の♀の飛び出し、出だしが一瞬遅かったと思います
二枚目は羽が水平よりやや上に広げる
三枚目は羽が上に、♀の飛び出し3連写でした。
♂の飛び出し姿勢
万歳で水平に飛び出し
重力で下に下がり、羽は上げたら下げないと加速しません
下がりながら巣穴から遠ざかります
餌場へ飛んで行きました、このあたりから上に上昇
これも♂の飛び出し、見ているのは正面でしたが・・・
予想そうに反してこちらに向かってきます
更に左へ向きを変えます、このような飛び出しでCMにフェントを掛けます
オリジナルは♂♀ともに右方向へ飛び出すので画面左に巣穴の位置をセットしてあります。時々出出しの方向をクマゲラが勝手に変えるので予想が外れます。この写真以外は全てトリムしてあります。撮影日6月1日 D500+200mm
北海道有林野(道有林)のアイドルキャラクターはキキタです。漢字で書くとどのような感じ(漢字)でしょうか、キキタは「木木多」なのか、北海道の北を入れて木々を連想する「木北」でしょうか。高齢者の勝手な妄想です。もうよそうと想います。
今年も道有林(面積は茨城県の面積とほぼ同じ広さ)を彷徨い、キキタのオリジナル・モデルを探し求めて、勝手知る山道を徘徊しました。痴呆症の徘徊ではありません。遊行期の目的を持った自主的な徘徊です。
まだ林道が暗い中でキキタのモデルが巣穴からこちらを見ていました
5時過ぎに♀が飛んで来た、巣穴に入る前に周囲を警戒します
巣穴の入口近くを4,5回、キツツキのトントンです。雛に起きろ!の合図なのか?、朝餌を持って来たよ!の知らせでしょうか?、初めて見る仕草です。
♀が見上げる方向に♂がやってきました
♀の傍に♂が飛んできました
♀が給餌に入りました、♂は待機です
♂は巣穴の外で待機です
♀がなかなかでてきません
待ちきれなく巣穴を覗きます
♀が顔を出します
♀が咥えていたのは雛の糞のようです、時間が掛かったのは糞出しのようです
この後は♀は糞出しの飛び出し、♂は給餌で中に入りました。
今年は何羽の雛が育つのか?カラスなどの天敵から逃れて今年も無事な巣立を願っています。
6月1日は11年前にこのブログをアップした記念日です。65歳の誕生月の2015年3月に野鳥撮影を始め、1年3ヶ月後にブログを開設し、稚拙なブログながらも「継続は力なり」をモットーに今日に至りました。この間ブログのUPにアップアップしたことが何回もありましたが野鳥の他に旅行記・温泉・SL・鉄道などに趣味の範囲が拡がり、ブログの継続を余生の残日録にしました。今回は野鳥以外で初めて、この記念日に約2ヶ月前の世界遺産・富岡製糸場のブログをアップすることにしました。
平凡な句だが、芭蕉の句と知ると名句に思える桜の俳句。
「さまざまな こと思い出す 桜かな」 芭蕉
16年前に現役を引退した頃に始めたのがの桜の撮影、野鳥撮影を始めた12年前までの4年間は花を追っていた。花といえば桜の思い出。はじめた頃に撮影したライトアップした三渓園の池に浮かぶ和船と燈明寺三重の塔の夜桜であった。明治35年頃から昭和14年まで、原三渓が生糸貿易で成した財をつぎ込んだ三渓園に咲く桜である。
三ツ池公園でサクラ撮影中に12年前から嵌ったカワセミなどの野鳥撮影、その後は信州への野鳥撮影旅の度に通過する富岡であったが、上州から信州の旅の中で、富岡を通過する度に歴史で学んだ富岡製糸場の見学を願っていた自分がいた。世界遺産に登録後はその想いが募るばかりであった。
2014年6月世界遺産に登録されてから3年目、その機会がやっと訪れたのが2017年4月11日からの夫婦で喜寿記念の上州温泉旅行。初日の法師温泉長壽館に行く前に寄り道して、生憎の雨だったが桜満開の富岡製糸場へ、4月14日まで世界遺産の建物群の庭で満開を咲き誇る桜のライトアップをしていた頃である。
入場時に配付されたパンフレットによると、明治5年(1872)操業開始から昭和62年(1987)まで115年間操業し続けた歴史の中で原三渓が経営に携わった時期がある。三井家から明治35年(1902)に経営譲渡を受け、昭和13年(1938)に片倉製糸紡績に経営委任するまでの36年間は原合名会社として原三渓が製糸業の経営に携わっていた。横浜と富岡は明治からの縁(えにし)が深かった。(配付された小冊子より)
正面入り口の煉瓦塀越しの桜
最初の建物は国宝の東置繭所(ひがしおきまゆじょ)、世界遺産になってから国宝といわれると社寺仏閣を彷彿するが煉瓦倉庫の建物が国宝と言われてもピンとは来ないのは我だけか。
パンフの富岡製糸場の場内配置図
東置繭所(ひがしおきまゆじょ)1階で繭から生糸を取り出す実演、右に昔の写真なのか絵が見えます
原合資会社当時の写真、三井時代・原時代・片倉時代の順に当時の製糸場の写真があった。
繭の実物
東置繭所の裏手に見える桜
東置繭所の二階が置繭の場所、明治5年にフランス人が設計して日本の大工が建てた二階の梁
東置繭所の二階から修理中の隣の建物
東置繭所の二階から工事中の西置繭所
東置繭所二階から奥に見えるのが国宝の繰糸所
復元されたブリュナエンジンのはずみ車、横型単気筒蒸気機関(エンジン)は電気モーターが導入されるまでの繰糸器と揚返器の動力源として使用された
ブリュナエンジン(上と反対側)
大きな鉄水溜を公開中、雨天でレンズに水滴が付いたが鉄水溜の水漏れではありません。
「西置繭所」保存修理工事現場見学受付、ここでヘルメットを被る
「西置繭所」保存修理工事現場は撮影禁止、外の中庭の桜を撮影
外は撮影OKでした
場内の桜と花
3棟目の国宝、繰糸場入り口
繭から生糸を取る作業の繰糸器
繰糸場の機械
繰糸場の斜め前は診療所と病室
ブリュナ館横の来場記念撮影場所、場内に3ヶ所
首長館(ブリュナ館)フランス人のブリュナが家族と暮らした住居、後に女工の寮となった。
昭和15年建設の寄宿舎、浅間寮・妙義寮、長さ55m幅7.3m
寄宿舎の榛名寮と桜
スタンプラリーに参加してお富ちゃんバッジをお土産にしました。
ソメイヨシノが咲く頃の雨の日にサクラ咲く富岡製糸場です。この世界遺産が生糸貿易で財を成して、三渓園を作った人物。原三渓が亡くなるまで富岡製糸場を所有して経営していたことを知りました。これも生涯学習の一環です。
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