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2018年10月

2018年10月30日 (火)

阿寒蝦夷梟二番子の巣立ち

 4ヵ月前の阿寒町の特別養護老人ホーム鶴の園の裏庭にそびえる営巣木の洞から巣立ちしたエゾフクロウ一番子の巣立ちをブログに掲載したが二番子についてのブログを書いた記憶がないので、今回は二番子の巣立ちです。
そのまえに二年前の6月同じ営巣木の巣立ち前の兄弟です。_dsc12980

二年前も鶴の園の受付で撮影許可証の黄色い腕章を付けて、裏庭に回り当時の営巣木はまだ裂けたり折れたりはしていませんでした。

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二年前の6月、左に巣立ち前の二番子、右の枝の上に巣立ちした一番子の様子です。

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撮影日6月4日、今年の営巣木は姿形が変貌していました。

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6月4日午前8時頃の二番子

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午後3時頃に洞の中にいる二番子に給餌に来た親

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給餌後の親の飛び出し

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6月4日 15時47分 避けた洞の上に立つ、今にも巣立ちの様子だったが・・・

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6月5日 翌朝のAM 4:43

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6月5日 AM 9:24 洞の中でエンジェルもどき

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6月5日 AM 9時50分 避けた洞と中でつながっている裏口の洞から身を出す二番子

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裏口から巣立ちした二番子

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14:06 巣立ちした二番子

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一番子のいる枝を見つめる二番子

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14:22 巣立ちした洞の周りでウロツク

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14:25 洞から離れだした

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6月5日16:33 枝をよじ登り一番子の方へ、下には給餌に来た親がいる

この時分はタンチョウ・クマゲラ・ハヤブサなどの巣立ちと育雛の時期で忙しいので6月6日で許可証を返して他の営巣地に移動したが天候に恵まれない日が続いた。

2018年10月28日 (日)

鳥撮本線・宗谷本線のご当地入場券

 野鳥を撮りながらご当地入場券のコレクターとなり道北の宗谷本線は鳥撮本線、稚内駅~旭川駅までの宗谷本線ご当地入場券の収集。

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稚内~旭川間の水色の宗谷本線のご当地入場券の収集旅Img0070

日本最北端の駅稚内駅の来駅証明書と観光入場券と普通入場券(硬券)

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3枚目の入場券は2018年5月より発売した183系特急の引退記念入場券

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裏面は183系特急サロベツのヘッドマーク

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稚内駅の4枚目の入場券がわがまちご当地入場券

稚内空港隣のメグマ沼はツメナガセキレイの繁殖地

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6月22日撮影 間宮林蔵の測量の像と日本最北端の地宗谷岬の碑

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稚内市の道の駅「わっかない」からメグマ沼で野鳥撮影後に花が綺麗に咲いていた日本最北端の地、宗谷岬に立ち寄り、猿払村の道の駅「さつふつ公園」に向かう 

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サロベツ原生花園はシマアオジの繁殖地、次のご当地入場券は幌延町の無人駅(秘境駅?)の安牛駅であったが発売駅は幌延駅で痛恨のミスで通り過ぎた。数年前に幌延ビジターセンターの長沼でアカエリカイツブリがヒナを背中に載せる写真を撮った思い出がある。

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道の駅「なかがわ」から道の駅「おといねっぷ」に向かう天塩川のほとりに音威子府(おといねっぷ)村には探検家松浦武四郎の「北海道命名乃地」の碑が建っている。

 

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北国博物館前の準鉄道記念物・SL「キマロキ」編成排雪列車の撮影地

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朱鞠内湖キャンプ場のクマゲラなど野鳥の撮影地

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比布町の男山公園のハヤブサ営巣撮影地

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数年前に護国神社のチゴハヤブサの繁殖を撮影、近年は写真の町東川町でチゴハヤブサの撮影地。

宗谷本線の上り 稚内駅~旭川駅のわがまちご当地入場券と野鳥撮影の実績は鳥撮本線の思い出。

2018年10月27日 (土)

静岡県の日本100名城探訪

 東海への一週間の旅が十日間も過ぎてしまったが近頃は過去ブログを真面目に書いていないと自覚する日々を過ごしている。根気・やる気・書く気の三気がないようだ。山気が薄れたようだ。
四日前にブログにUPした愛知県の日本100名城の帰路は静岡県の日本100名城のスタンプ・ラリーでした。静岡県に入って最初の城は十数年前に野鳥撮影を始めた頃にNHKの大河ドラマになった、司馬遼太郎の歴史小説の「功名が辻」の主人公、山内一豊と出世の手助けをした妻千代の内助の功の掛川城。
織田信長に仕えていた時に信長が武将たちを集めての馬揃えを開催、一豊は千代の持っていた黄金十両で名馬を購入して馬揃えに参加し、これが信長の目にとまる出世の糸口になる内助の功の逸話がある。信長没後は秀吉に付いた。
豊臣秀吉から小田原の北条攻めの戦功にて掛川城5万石を拝領した。
秀吉の没後は掛川5万石の城主として東軍の徳川家康に近づき関ヶ原の戦功が認められ、家康から土佐藩24万石の大名まで上り詰めた戦国武将。
信長・秀吉・家康の時の覇者に仕えて出世した。

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木造で復元した日本100名城の掛川城

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丘の上に建つ平成五年本格木造復元した掛川城天守閣、小さな割には望楼型の天守は威容に見える。

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城内に展示してある掛川城天守閣

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東西には張り出し部が設けられた複合式望楼型3重4階建て。△◇○などの挾間の壁の階段を上り掛川城に登城する

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入口近くに展示してある山内一豊の騎乗姿

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天守閣より見た登って来た石段

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天守から見た復元した御殿

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御殿の内部・広間・御談の間・三の間など

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家康から関ヶ原戦の功績により土佐一国24万石を拝領した山内一豊が,慶長6年(1601年)高知城の築城工事を始め、三層六階の天守閣や追手門などの建物は国の重要文化財となっています。掛川城はこの高知城を参考にして再建している。

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徳川家康が大御所時代の居城、家康の死後に天守は火災で焼失、以後は天守は再建されていない。
10月17日に秀吉の武将であった中村一氏が城主時代の天守台と金箔瓦の新発見のニュースが発表された日に駿府城のスタンプ・ラリーをしていた。自分的には歴史的再発見日となった。

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東御門橋と東御門

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巽櫓(たつみやぐら)と東御門(ひがしごもん)

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坤櫓(ひつじさるやぐら)二の丸の南西の角の櫓

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駿府城本丸跡に建つ徳川家康像、像の後ろは天守台発掘現場

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秀吉時代と徳川時代の二つの天守台跡の発掘現場

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家康の天守台発掘現場の石垣

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手前の石垣は家康の天守台、右奥に見える石垣は秀吉の天守台の発掘現場

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小田原城に構える関東の雄、北条氏政・氏直父子が秀吉に対抗して箱根山中に築いた山中城。 秀吉は小田原城を攻める前に山中城に圧倒的戦力で攻め入った豊臣軍だが、すべりやすい関東ローム層で造られた山城の掘の畝堀・障子堀に手間取ったが山中城を落城させる。

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障子堀跡

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畝堀跡

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山中城に圧倒的戦力で攻め入った豊臣軍はついに山中城を落城させる。
 その後秀吉軍は北条氏が籠城する小田原城へと歩を進めた。

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神奈川県唯一の日本100名城に登録、小田原城の出城であった箱根山中の山中城の次にこの小田原城のスタンプ・ラリー

小田原城は、戦国時代から江戸時代にかけて、関東一円を支配した戦国大名、北条氏が本拠地としていたお城です。城郭の規模は、我が国最大難攻不落の名城としても知られています。

いよいよ天下統一を目前にした秀吉は1590年、小田原城に構える関東の雄、北条氏政・氏直父子を討つべく大軍を発した。当初秀吉は北条氏に対し、武力に寄らず臣従させようとしたが、氏政はこれを無視。さらに秀吉の領地裁定をも無視したため、秀吉は激怒。北条氏に宣戦布告したのである。
 

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1960年に再建され、2016年5月にリニューアルされた復興した天守閣

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天守登城口 戦国時代、関東を支配した小田原北条氏の本拠地。秀吉の来襲に備えて城下を囲み、日本最大の中世城郭を作りあげた

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馬山門(うまだしもん)

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銅門手前の住吉橋

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銅門(あかがねもん)

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天守閣正面の常盤木門

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二の丸隅櫓

15世紀末、伊勢宗瑞(後の北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していきました。小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え城下を囲む総延長9kmに及ぶ総構の出現に至ってその規模は最大に達しました。
北条軍5万6千余に対し、豊臣軍は14万弱の大軍で小田原城を取り囲み、海上まで完全に封鎖した。秀吉の「石垣山一夜城」の完成など、豊臣軍の攻勢に万策尽きた北条氏は3カ月後に抵抗を断念し開城。氏政とその弟氏照は自刃し、ここに5代百年に渡り関東を支配し続けた北条氏は滅亡した。 天正18年(1590)、秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。

※出典は入城した掛川城・駿府城・山中城・小田原城の各パンフレットやHPより編集・転載しております。

2018年10月23日 (火)

愛知県の日本100名城

 北海道遠征中に日本城郭協会が100名城に認定した北海道の三城(根室半島チャシ跡群・五稜郭・松前城)の3城を皮切りに、100名城スタンプ・ラリーを「人生百歳時代」に歴史を学ぶ、生涯学習の課題の一つとして、日本100名城スタンプラリーを始めました。
鷹の渡りの撮影で訪れた愛知県には日本城郭協会が認定した日本100名城は、国宝の犬山城・名古屋城・岡崎城・長篠城の四城があります。
14日15日の二日間これらの四名城を巡り、
日本100名城のスタンプ・ラリーを行ってきた。今年から始めた100名城スタンプ・ラリーは7月の北海道では三城、お盆休みの八月に東北の五名城を登城してきたのでこれで100名城スタンプ・ラリーは十二名城を登城したことになるが殆どの城は現役時代から今日まで一度は観光や城巡りで訪れたことがある。100名城スタンプ・ラリーで二度目、三度目の思い出もある歴史を学ぶお城めぐりでもあります。

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”日本100名城に行こう”スタンプ・ラリー帳のスタンプ

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犬山城にある犬山城の城主などの歴史

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国宝の犬山城、現存する12天守閣のひとつ

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織田信長の叔父信康が天文6年(1537年)、木曽川沿いの丘陵上に築城したのが始まり。城主はめまぐるしく交代し、元和3年(1617年)、尾張徳川家の付家老の成瀬氏が城主になった。天守閣にある初代と二代目の額、江戸時代から現在の11代目までの成瀬家城主の額が飾られていた。

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天守閣から東方向、橋はツインブリッジ犬山橋、右岸奥に鵜飼乗船場

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西方向に見えるライン大橋

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別名 白帝城の犬山城は三層四階、天守台の石垣は野面積

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名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が九男義直のために天下普請によって築城したとされる。以降は徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として明治まで利用された。昭和20年5月の空襲後に昭和34年コンクリートで復元された現在の名古屋城。

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  名古屋城(なごやじょう)は、尾張国愛知郡名古屋(現在の愛知県名古屋市中区・北区)にあった日本の城。「名城(めいじょう)」、「金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)」、「金城(きんじょう)」の異名を持つ。日本100名城に選定されており、国の特別史跡に指定されている。

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今年復元された本丸御殿の玄関、名古屋城天守閣も木造に復元する

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天守閣木造復元事業に伴う調査及び工事により、名古屋城天守閣は平成30年5月7日(月)から入場禁止(閉館)石垣の周囲全面に足場が構築されている。(2018年10月14日撮影)

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天守閣と東南隅櫓関ヶ原の合戦で勝利をおさめた徳川家康が大阪の豊臣秀頼との衝突に備えて普請した城。加藤清正が築いた石垣は必見。徳川御三家のひとつ、尾張徳川家の居城。

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名古屋城といえば金の鯱、複製の展示コーナー

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岡崎城は徳川家康が生まれた城として有名です。
1959年には天守が
3層5階建てに復興され、2006年には日本100名城に選定されました。

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「桶狭間の戦い」で今川義元が敗死した際に家康(当時は松平元康)が今川氏から独立した城でもあります。江戸時代には家康誕生の城として重要視され、譜代大名が歴代の城主を務めています

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戦後の1959年にコンクリート造りで復興された天守閣

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岡崎には現役時代にここに会社の岡崎製作所があるので訪れたことを思い出した岡崎公園の一画にある復興した城郭でした。

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100名城とはいえ長篠城址には天守閣などの構築物はない

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本丸跡などの土塁と空堀などのみである

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復元された構築物もない

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あるのは長篠城址史跡保存館のみである

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保存館には長篠の戦いの史跡などの保存品が展示されている

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歴代長篠城主の変遷
長篠城は、豊川と宇連川が合流する断崖上にあり、本丸、帯郭、野牛郭、巴城郭、瓢郭、弾正郭等があります。  戦国時代末期の城であるため、現在、建物は残っておりませんが、一部残っている内堀と土塁が城の東側を守り、後方は合流する2つの川が堀として巧みに利用されている様子から、ここが天然の害であったことがわかります。 長篠城は、永正5年(1508)、菅沼元成が築城し、天正3年(1575)、徳川家康が奥平貞昌(信昌)を城主に任命し、城を守らせました。 もとよりこの城は、愛知県から長野県、静岡県北部、さらに山梨県へ通じる道中にあり、戦国時代、武田と徳川が拠点として奪いあった城でした。(新城市HPより)

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保存館には烈士 鳥居強右衛門の磔の史実と籠城時の血染めの陣太鼓などが見学者の目を引いている。

2018年10月21日 (日)

渥美の森の野鳥

 

 渥美の森の展望台で撮影した普通種の野鳥です。連続して来襲した台風25号の通過後に鷹の渡りを撮りに出掛けましたが、サシバとハチクマはピークが過ぎており、天候にも恵まれず、青空を見ることなく曇天の空を眺め、近くを渡るタカが来ませんので空を見るよりも近くの木の梢を見ていました。鷹の渡りで八百長のようなことになりましたが渥美の森の普通種の野鳥達です。

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展望台の近くに来たアカゲラ

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枝の裏にホオジロ♂

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台風で折れた桜の虫探しのコゲラ

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渡りのヒヨドリが集団で通過、一羽が採食で枝にとまる

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塩害の桜にヤマゲラが来た

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花蜜の好きなメジロが狂い咲きの桜一輪を見つめる

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頭央線がないのでセンダイとは異なるムシクイ?

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狂い桜の花とコゲラ

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エゾビタキ

渥美の森展望台でタカ見の見物で空振り、小鳥の撮影に宗旨替えに終始。

2018年10月20日 (土)

塩害桜の梢に蝦夷鶲

 三ヵ月前に蝦夷から帰浜して、愛知県田原市の渥美の森でこの秋に初めて撮った野鳥。繁殖地が北方四島以北のサハリン・カムチャッカなどからの旅鳥の蝦夷鶲(エゾビタキ)が南方へ東南アジアなどの越冬地へ日本列島各地を南下する旅の途中に渥美半島に寄ったものでタカの渡りの時期にこの地でよく見かける。春に繁殖地への北上よりも秋の南下の時期に見掛けることが多い。北方四島以北が繁殖地により名前に蝦夷が付いていると思われるようである。よく似ているサメビタキ族三種のコサメビタキ・サメビタキ・エゾビタキの中で一番大きい14・5cm。雌雄同色であり、背面は灰褐色、腹面は白く暗褐色の縦縞が明確に並ぶのが外見の特徴。

撮影日10月10日~14日

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台風による塩害ですべてが落葉した枯れ木のように見える山桜の梢

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梢から好みの昆虫をフライングキャッチするのが得意

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枯れ木のように見える山桜の梢のエゾビタキでした

2018年10月19日 (金)

桜の狂い咲きと渡り蝶の浅葱斑蝶

10月19日今朝の朝日新聞・天声人語(全文)に触発された
秋の夕暮れは、ときに郷愁を誘う。俳人の西東三鬼(さいとうさんき)は虫の声を聞き、いわし雲の空を見ながら、小学生の頃の風景を胸に描いた。学校の上の城跡から鐘が鳴り響いたこと。暮れゆく空にカラスが胡麻(ごま)をまいたように群れ騒いでいたこと▼鳴き声を聞きながら思い思いに家に帰ったとも、随筆にある。耳で目で肌で感じる夕暮れである。日を追うごとに夜が長くなる。それを植物たちも感じ取っていると最近知った。葉っぱが夜の長さをはかっていると植物生理学者の田中修さんが書いていた▼季節が変わるのを前もって知り、花芽をつける時期を逃さないためらしい。太陽を浴びて光合成をするだけが仕事かと思っていたが、どうやら葉っぱを見くびっていたようだ▼いまあちこちで季節外れの桜が咲いているのも、葉っぱの仕事に関係があるという。この時期は、花芽の成長を抑制する植物ホルモンが葉から出ている。しかし、台風により塩分を含む暴風にさらされ、多くの葉が落ちてしまった。気温の高い日が続いたこともあり、花芽の成長が止まらなくなった▼秋のさわやかな空気のなかで桜の花が見られるのかなと思い、東京の目黒川沿いを歩いた。よく探すと1輪、2輪と白い花がある。ほとんどの花芽は、春まで待ってくれるのだろう▼季節外れの開花を「狂い咲き」という。植物たちの方がおかしくなったような言い方で、かわいそうでもある。異常続きのこの国の気象に、私たちと同じように、木々も振り回されている。(朝日新聞デジタルより転載)

 鷹の渡りを観に訪れた渥美半島の渥美の森展望台の山桜は台風の影響で紅葉の時期にも関わらず、葉が全て落葉して、そのかわりに季節外れの白い花が5~6輪咲いていた。この花に鷹と同じように長距離移動する渡りの蝶である、南西諸島や台湾などの温暖な地域に移動すると言われている。アサギマダラ(浅葱斑の浅葱色は現在の青緑色を意味しますにとっては移動の途中に幸運ともいえる狂い咲きの桜の花に吸蜜に来た様子を撮影してきました。

 

撮影日 10月14日12時46分

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葉が全て落葉した山桜には5、6輪の花が狂い咲き

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アサギマダラの吸蜜

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狂い咲きの桜の花は全て吸蜜した

 

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サクラからサクラへ渡りの蝶

 

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浅葱色とは青緑色

 

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桜から飛び去るアサギマダラ

 

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サクラの吸蜜のあとは南面のクリの木の方向へヒラヒラ

 

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トリムしてみました。

渥美半島の渥美の森の狂い咲きの桜と渡り蝶のアサギマダラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年10月18日 (木)

駿府城跡天守台に新たな発見

 今年は鷹の渡りの時期に台風21~25号の来襲で白樺峠と渥美半島の鷹の渡りの最盛期を逸してしまった。北海道から帰浜してから80日ぶりに10月9日から渥美半島の伊良湖崎・恋路ヶ浜や渥美の森へ、鷹の渡りの撮影に出掛けたがサシバ・ハチクマの渡る最盛期は残念ながら月初に過ぎていた。
伊良湖シーサイドゴルフ倶楽部の入口前に芭蕉の句碑があります。「鷹ひとつ 見つけてうれし いらご崎」
今年は近くを渡るサシバ・ハチクマの写真が撮れなかったので、この芭蕉翁の句意が分かるような気持ちになりました。

Aが駄目ならBがある ”鷹が駄目なら城がある”
愛知県には日本100名城がある、国宝の犬山城・名古屋城・岡崎城・長篠城の四城、帰路の静岡県には掛川城・駿府城・山中城の三城がある。因みに神奈川県の100名城は小田原城のみである。14日から17日までこれらの八城を巡り、日本100名城のスタンプラリーでタカのうっ憤を晴らして来た。 Bが駄目ならCがある。Cは大井川鉄道のSL。今回はAのうっ憤をBではらしたのでCはまたの機会になった。

ところが17日朝のNHK静岡第一の朝のニュ―スで16日に訪問した徳川家康大御所時代の居城である駿府城の駿府城跡天守台発掘調査で秀吉時代の天守台が発見されたニュースを聞いて、再度の駿府城訪問となった。
撮影日10月17日

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駿府城東御門・巽櫓(たつみやぐら)、後方は静岡県庁別館展望台(21階)

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県庁別館21階展望ロビーから撮影した駿府城天守台発掘調査現場

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”おまけ”展望ロビーからの富士山と傘雲

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駿府城公園案内図より

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発掘現場の見学はOKでした 

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家康の天守台跡(一部)

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新発見された秀吉の天守台跡と思われる石垣、後方の銅像は家康像の背中

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鷹狩姿の徳川家康、後方は天守台発掘現場の囲いと覗き窓

10月17日の朝日新聞デジタルの記事を転載

徳川家康(1542~1616)が築いた駿府城(静岡市葵区)に、豊臣秀吉(1536~98)が配下に築かせた城跡が見つかったと、発掘調査を進めていた静岡市が16日、発表した。約330点の金箔(きんぱく)瓦や野面積みの天守台の石垣から、豊臣期の城の特徴に間違いないという 

 市によると、6~7月、現在の駿府城趾(じょうし)の天守台付近から、金箔で装飾された大量の瓦が出土。さらに8月ごろには、天守台の南東角に重なるようにして、家康の駿府城とは異なる形状の石垣(南北約37メートル×東西約33メートル)が見つかった。石垣は自然石を積み上げた野面積みの技術を用いており、金箔瓦を作る技術も豊臣期の特徴を示しているという。 

 駿府城は、1585~89年に家康が築城。90年の関東移封で家康が江戸に移った後、豊臣方の武将中村一氏(なかむらかずうじ)が入城した。秀吉の死去後、関ケ原の合戦を経て、再び家康が駿府城に入り、1607年から大改修を行ったとされる。戦国時代は城を攻め取った後、我流の城に建て替えるのが一般的だったが、一氏時代の駿府城については詳細が明らかでなく、「幻の城」とされていた。 

駿府城跡天守台発掘調査の資料とHPより 

~金箔瓦と"秀吉が築かせた天守台"が出土~ 

 天守台の発掘調査で新たな発見がありました。 見つかったのは、金箔で装飾された瓦(金箔瓦)330点と、徳川家康の駿府城とは異なる形状の石垣=秀吉が築かせた天守台=(大きさ:南北約37m×東西約33m)の2つです。 

 専門家の先生にお聞きした結果、今回発見されたのは、天正18年(1590)に、豊臣秀吉が、子飼いの部下である中村 一氏(なかむら かずうじ)という武将に築かせた城であることが分かりました。 

 当時、この城の天守台の上には、金箔瓦を使用した豪華絢爛な天守が建っていたと考えられます。

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新発見 ①大量の金箔瓦(330点が出土)

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新発見 ②秀吉の天守台(南北約37m×東西約33m)

天正の石垣.JPG

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静岡市歴史文化課 資料vol. 3 より転載

歴史好き・城好きにはたまらないニュースでタカの渡りの不満を解消したがこの間のブログを十日間お休みしてしまった。

日本100名城巡りのスタンプラリーは別の機会に掲載します。

2018年10月 8日 (月)

仲睦まじい蝦夷フクロウの雌雄

 今年の夏もエゾフクロウの繁殖地と雛の観察機会が少なくなりました。三年前までは野幌森林公園から札幌起点の国道12号線を函館本線と並行して走る幹線道路を旭川方面に向かうと繁殖中のエゾフクロウの撮影ポイントが数ヵ所あり、誰が名付けたか国道12号線はいつしかふくろう街道と呼ばれていましたが今年のふくろう街道のエゾフクロウは、江別市の一画にある道立野幌森林公園内にある江別市森林キャンプ場駐車場から徒歩15分位の営巣木の一ヶ所のみ撮影でしたが、この地では親の雌雄が睦まじく、愛情交歓が10分間も続きました。子育てチュウーにネズミ🐀を狩りして来た洒落なのか♂と♀のチュウ、何度も何度も子育て中のチュウしていました。

撮影日2018年5月27日 撮影地江別市

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「親」という漢字は「木」の上に「立」って「見」ると書きます。繁殖中の親は雛に給餌を行いますので木の上に立って見ているだけではありません。雄が🐀などの餌を捕ってくると雌に渡し、♀が給餌をします。ここの番はそれだけではありません。子育て中に雌雄が愛の交歓を楽しんでいる光景がありました。

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手前♂ 右奥♀

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トリム

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原画を立て切りのトリム

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この日はこの後に二番子が巣立ちしました。

2018年10月 7日 (日)

蝦夷梟一番子の巣立ち

 「親」という漢字は「木」の上に「立」って「見」ると書きます。エゾフクロウの生態を観察していると繁殖中の親はまさしくこの漢字が当て嵌まります。今回は巣立ちした一番子が、親からの巣立ち後のご褒美の給餌が難しいと思われる細い枝葉の処ばかりへ移動する一番子の生態です。

撮影日5月26日 撮影地 江別市

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一番子なのかそれとも二番子?  

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一番子なのか、お腹が空いたようです? 

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5月26日AM5:20  

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近くで営巣木の洞を見守る親

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お腹が空いたのか?それともお疲れ様なのか?

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7時23分

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8時頃から巣立ちの様子

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8時頃から洞(うろ)の上をウロウロ

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8時05分 洞にバイバイ、二番子にお先に!

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8時16分 ヨチヨチと洞の上に登って行きます

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8時26分 そして幹から枝へ

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8時28分 翼でバランスをとりながら

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8時39分 巣立ちから40分

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9時03分 洞からこんな処まで上る

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上に一番子、洞の中では二番子がカメラマンを見つめる

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小さなエンゼルスタイル

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10時30分 こんな処で飛び移る

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飛び移った先は枝葉の密集地帯

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10時48分 こんな処では親が給餌に来れないよ!

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10時49分のカメラ目線

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真下からの撮影 お尻を失礼!!

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森の中で見守る親、きっと給餌のし易い処へと願っているかもね

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11時15分 小鳥がとまるような細い枝に

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11時20分

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葉隠れのつもり?

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葉隠れの術?

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11時36分

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ここも親が給餌に来れない細くて枝葉の多い処

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 Y字の枝で逆Y字 

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15時45分 心配顔の二番子の巣立ちは翌日でした。

細い枝葉の好きな、親が給餌に来れないような処へ移動する一番子、巣立ちから8時間近くも親からの給餌を受けてない一番子でした。

2018年10月 5日 (金)

新緑の頃のシマエナガ

 北海道のみに留鳥として棲息するエナガの亜種シマエナガ、5月の新緑の頃のシマエナガです。体は丸くて小さく、尾が柄杓の柄のように長く見えるので漢字名は柄長。北海道に分布するシマエナガのシマは北海道の島を表し、漢字名は島柄長。シマエナガはエナガの黒い眉斑がなく、頭部全体が白いのが特徴。

撮影日2018年5月17日 音更町

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新緑のシマエナガ

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新緑の無い枝

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新緑の中

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新緑に隠れる

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新緑の中でエサを追う

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木肌のコケを採餌するシマエナガ

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大木に生える苔を啄ばむシマエナガ

2018年10月 2日 (火)

函館本線路線図のご当地入場券

 JR北海道全駅417駅のうちご当地入場券発売駅は100駅。函館本線458・4kmに103駅のうちご当地入場券発売駅は21駅ある。
函館本線は北海道三大都市の函館から大沼公園、森駅から内浦湾沿いに長万部駅を経て山線と称するニセコ方面に方向を変える。現在は距離は約30km長いが時間が短いので、函館―札幌間は長万部から噴火湾沿いの室蘭本線に入る。
20年前に特急寝台カシオペヤで上野から札幌の北海道への温泉旅行の時は、長万部から噴火湾沿いに海岸を走る室蘭本線で洞爺・伊達紋別・東室蘭、苫小牧から千歳線方面に入り札幌駅への車窓の旅を楽しんだ思い出がある。
函館本線の路線図は長万部から単線で急こう配・急曲線の通称山線と言われるニセコ・倶知安を通り、日本海側の余市・小樽を経て札幌・岩見沢・旭川に至るが、現在は函館駅から旭川駅までの全区間を運行する列車はない。函館から札幌までのメインルートは函館―長万部までの函館本線、長万部から海線といわれる室蘭本線・千歳線経由の札幌となっている。

北海道三大都市を結ぶ函館―札幌ー旭川 458・4km薄いピンク色の函館本線は北海道最長の路線図

Hokkai

函館本線路線図にはご当地入場券発売駅は21駅あるが現在は函館―札幌―旭川までの三大都市を結ぶ直通列車はありません。ご当地入場券で結ぶ函館本線です。

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函館本線路線図のご当地入場券(表側)でした。裏面のご当地自慢の観光地・行事・グルメなどは別の機会にします。

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