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2018年10月27日 (土)

静岡県の日本100名城探訪

 東海への一週間の旅が十日間も過ぎてしまったが近頃は過去ブログを真面目に書いていないと自覚する日々を過ごしている。根気・やる気・書く気の三気がないようだ。山気が薄れたようだ。
四日前にブログにUPした愛知県の日本100名城の帰路は静岡県の日本100名城のスタンプ・ラリーでした。静岡県に入って最初の城は十数年前に野鳥撮影を始めた頃にNHKの大河ドラマになった、司馬遼太郎の歴史小説の「功名が辻」の主人公、山内一豊と出世の手助けをした妻千代の内助の功の掛川城。
織田信長に仕えていた時に信長が武将たちを集めての馬揃えを開催、一豊は千代の持っていた黄金十両で名馬を購入して馬揃えに参加し、これが信長の目にとまる出世の糸口になる内助の功の逸話がある。信長没後は秀吉に付いた。
豊臣秀吉から小田原の北条攻めの戦功にて掛川城5万石を拝領した。
秀吉の没後は掛川5万石の城主として東軍の徳川家康に近づき関ヶ原の戦功が認められ、家康から土佐藩24万石の大名まで上り詰めた戦国武将。
信長・秀吉・家康の時の覇者に仕えて出世した。

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木造で復元した日本100名城の掛川城

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丘の上に建つ平成五年本格木造復元した掛川城天守閣、小さな割には望楼型の天守は威容に見える。

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城内に展示してある掛川城天守閣

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東西には張り出し部が設けられた複合式望楼型3重4階建て。△◇○などの挾間の壁の階段を上り掛川城に登城する

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入口近くに展示してある山内一豊の騎乗姿

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天守閣より見た登って来た石段

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天守から見た復元した御殿

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御殿の内部・広間・御談の間・三の間など

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家康から関ヶ原戦の功績により土佐一国24万石を拝領した山内一豊が,慶長6年(1601年)高知城の築城工事を始め、三層六階の天守閣や追手門などの建物は国の重要文化財となっています。掛川城はこの高知城を参考にして再建している。

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徳川家康が大御所時代の居城、家康の死後に天守は火災で焼失、以後は天守は再建されていない。
10月17日に秀吉の武将であった中村一氏が城主時代の天守台と金箔瓦の新発見のニュースが発表された日に駿府城のスタンプ・ラリーをしていた。自分的には歴史的再発見日となった。

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東御門橋と東御門

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巽櫓(たつみやぐら)と東御門(ひがしごもん)

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坤櫓(ひつじさるやぐら)二の丸の南西の角の櫓

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駿府城本丸跡に建つ徳川家康像、像の後ろは天守台発掘現場

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秀吉時代と徳川時代の二つの天守台跡の発掘現場

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家康の天守台発掘現場の石垣

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手前の石垣は家康の天守台、右奥に見える石垣は秀吉の天守台の発掘現場

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小田原城に構える関東の雄、北条氏政・氏直父子が秀吉に対抗して箱根山中に築いた山中城。 秀吉は小田原城を攻める前に山中城に圧倒的戦力で攻め入った豊臣軍だが、すべりやすい関東ローム層で造られた山城の掘の畝堀・障子堀に手間取ったが山中城を落城させる。

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障子堀跡

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畝堀跡

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山中城に圧倒的戦力で攻め入った豊臣軍はついに山中城を落城させる。
 その後秀吉軍は北条氏が籠城する小田原城へと歩を進めた。

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神奈川県唯一の日本100名城に登録、小田原城の出城であった箱根山中の山中城の次にこの小田原城のスタンプ・ラリー

小田原城は、戦国時代から江戸時代にかけて、関東一円を支配した戦国大名、北条氏が本拠地としていたお城です。城郭の規模は、我が国最大難攻不落の名城としても知られています。

いよいよ天下統一を目前にした秀吉は1590年、小田原城に構える関東の雄、北条氏政・氏直父子を討つべく大軍を発した。当初秀吉は北条氏に対し、武力に寄らず臣従させようとしたが、氏政はこれを無視。さらに秀吉の領地裁定をも無視したため、秀吉は激怒。北条氏に宣戦布告したのである。
 

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1960年に再建され、2016年5月にリニューアルされた復興した天守閣

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天守登城口 戦国時代、関東を支配した小田原北条氏の本拠地。秀吉の来襲に備えて城下を囲み、日本最大の中世城郭を作りあげた

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馬山門(うまだしもん)

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銅門手前の住吉橋

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銅門(あかがねもん)

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天守閣正面の常盤木門

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二の丸隅櫓

15世紀末、伊勢宗瑞(後の北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していきました。小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え城下を囲む総延長9kmに及ぶ総構の出現に至ってその規模は最大に達しました。
北条軍5万6千余に対し、豊臣軍は14万弱の大軍で小田原城を取り囲み、海上まで完全に封鎖した。秀吉の「石垣山一夜城」の完成など、豊臣軍の攻勢に万策尽きた北条氏は3カ月後に抵抗を断念し開城。氏政とその弟氏照は自刃し、ここに5代百年に渡り関東を支配し続けた北条氏は滅亡した。 天正18年(1590)、秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。

※出典は入城した掛川城・駿府城・山中城・小田原城の各パンフレットやHPより編集・転載しております。

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