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2018年10月23日 (火)

愛知県の日本100名城

 北海道遠征中に日本城郭協会が100名城に認定した北海道の三城(根室半島チャシ跡群・五稜郭・松前城)の3城を皮切りに、100名城スタンプ・ラリーを「人生百歳時代」に歴史を学ぶ、生涯学習の課題の一つとして、日本100名城スタンプラリーを始めました。
鷹の渡りの撮影で訪れた愛知県には日本城郭協会が認定した日本100名城は、国宝の犬山城・名古屋城・岡崎城・長篠城の四城があります。
14日15日の二日間これらの四名城を巡り、
日本100名城のスタンプ・ラリーを行ってきた。今年から始めた100名城スタンプ・ラリーは7月の北海道では三城、お盆休みの八月に東北の五名城を登城してきたのでこれで100名城スタンプ・ラリーは十二名城を登城したことになるが殆どの城は現役時代から今日まで一度は観光や城巡りで訪れたことがある。100名城スタンプ・ラリーで二度目、三度目の思い出もある歴史を学ぶお城めぐりでもあります。

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”日本100名城に行こう”スタンプ・ラリー帳のスタンプ

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犬山城にある犬山城の城主などの歴史

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国宝の犬山城、現存する12天守閣のひとつ

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織田信長の叔父信康が天文6年(1537年)、木曽川沿いの丘陵上に築城したのが始まり。城主はめまぐるしく交代し、元和3年(1617年)、尾張徳川家の付家老の成瀬氏が城主になった。天守閣にある初代と二代目の額、江戸時代から現在の11代目までの成瀬家城主の額が飾られていた。

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天守閣から東方向、橋はツインブリッジ犬山橋、右岸奥に鵜飼乗船場

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西方向に見えるライン大橋

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別名 白帝城の犬山城は三層四階、天守台の石垣は野面積

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名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が九男義直のために天下普請によって築城したとされる。以降は徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として明治まで利用された。昭和20年5月の空襲後に昭和34年コンクリートで復元された現在の名古屋城。

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  名古屋城(なごやじょう)は、尾張国愛知郡名古屋(現在の愛知県名古屋市中区・北区)にあった日本の城。「名城(めいじょう)」、「金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)」、「金城(きんじょう)」の異名を持つ。日本100名城に選定されており、国の特別史跡に指定されている。

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今年復元された本丸御殿の玄関、名古屋城天守閣も木造に復元する

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天守閣木造復元事業に伴う調査及び工事により、名古屋城天守閣は平成30年5月7日(月)から入場禁止(閉館)石垣の周囲全面に足場が構築されている。(2018年10月14日撮影)

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天守閣と東南隅櫓関ヶ原の合戦で勝利をおさめた徳川家康が大阪の豊臣秀頼との衝突に備えて普請した城。加藤清正が築いた石垣は必見。徳川御三家のひとつ、尾張徳川家の居城。

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名古屋城といえば金の鯱、複製の展示コーナー

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岡崎城は徳川家康が生まれた城として有名です。
1959年には天守が
3層5階建てに復興され、2006年には日本100名城に選定されました。

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「桶狭間の戦い」で今川義元が敗死した際に家康(当時は松平元康)が今川氏から独立した城でもあります。江戸時代には家康誕生の城として重要視され、譜代大名が歴代の城主を務めています

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戦後の1959年にコンクリート造りで復興された天守閣

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岡崎には現役時代にここに会社の岡崎製作所があるので訪れたことを思い出した岡崎公園の一画にある復興した城郭でした。

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100名城とはいえ長篠城址には天守閣などの構築物はない

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本丸跡などの土塁と空堀などのみである

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復元された構築物もない

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あるのは長篠城址史跡保存館のみである

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保存館には長篠の戦いの史跡などの保存品が展示されている

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歴代長篠城主の変遷
長篠城は、豊川と宇連川が合流する断崖上にあり、本丸、帯郭、野牛郭、巴城郭、瓢郭、弾正郭等があります。  戦国時代末期の城であるため、現在、建物は残っておりませんが、一部残っている内堀と土塁が城の東側を守り、後方は合流する2つの川が堀として巧みに利用されている様子から、ここが天然の害であったことがわかります。 長篠城は、永正5年(1508)、菅沼元成が築城し、天正3年(1575)、徳川家康が奥平貞昌(信昌)を城主に任命し、城を守らせました。 もとよりこの城は、愛知県から長野県、静岡県北部、さらに山梨県へ通じる道中にあり、戦国時代、武田と徳川が拠点として奪いあった城でした。(新城市HPより)

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保存館には烈士 鳥居強右衛門の磔の史実と籠城時の血染めの陣太鼓などが見学者の目を引いている。

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